父性からみた母性
1.母性をめぐる問題 「母性」あるいは「母」なるもの、というのは、生んだメスの親という生物的特性に、文化的な「母なるもの」が重ねられた、セックスとジェンダーがもっとも結びつけられ癒着したものです。落合(2007)が言うように「母幻想こそは女性に対する幻想の中核ですが、女性にとっても、内面から自分を縛るもっとも強力な幻想だといえるでしょう」(131)。 本章では、この「母性」についてみてみましょう。 「母性」の意味の拡大 狭い意味の「母性」とは、妊娠・分娩・産褥期の女性の身体的特徴や状態、あるいはそうした特性を持った者の総称、といえるでしょう。しかし、その意味は拡大していき、広い意味の「母性」は、妊娠・分娩・産褥期の一時期に限らず、母であり、母となりうる可能性をもつ全期間において母性をとらえ、思春期から更年期にわたる女性の身体的特徴や状態、あるいはそうした特徴を持った者の総称、となっています。 「母性」は広い意味の方で使われる傾向があります。それは(生物)医学的な根拠を越えた価値観をも含み、容易に通俗的な「母性」の使い方に近づいていきます。 『広辞苑』をみても、「母性」は「女性が母として持っている性質。母たるもの」とされ、さらに「母性愛」を「母親が持つ、子に対する先天的・本能的な愛情」とされています。ここでは「愛情」という文化的なものが「先天的・本能的」という生物的なものを根拠にもつものとされます。 「母性」の通念によりかかった医学の用例 医学書でも学問的記述のなかに、こうした通俗的な拡大解釈された「母性」の概念が滑り込んでいました。たとえばすこし古くなりますが次のような記述。 「女児が、成長に連れて女性らしくなり、女性として成熟し、結婚し出産して母となる。まずからの子を育て終えて、さらに孫の世話をする。女性の一生は母になること、母であることに終始しているといえよう。母となることは、女性だけのもつ特権であり、男性がこれにとってかわることはできない。このように女性が生まれながらにして有する母としての天分を総称して『母性』という」。[林路彰「母性と母性保護」林路彰・山下章(編)『母性保健』医学書院1970年] あるいは、 「生殖には、もちろん男女両性が関与するが、みずからの体内で胎児を育て、出産し、さらにその後の育児についても、本能的な愛情をもってあたる役割や天性は、まさに女性独特のものであるといえよう。このような、生まれながらにしてもっている女性の特性を、母性という」。[真田幸一「母性とその機能」津島清男・本多洋(編)『星絵保健学』南山堂1976年] 「女性の一生は母になること、母であることに終始しているといえよう」というのは、さすがに勘弁してほしい語りです。母親になれないひとは女性ではないのだろうか。男から見ても、こんな事をいわれる女性はたいへんだなあと同情してしまいます。思うに、こうした「母性」という言葉の使い方は、結果として社会通念としての「母性信仰」を支えることになってしまい、母性の学問的認識をかえって妨げる結果になっています。 「母性信仰」の弊害 学問的記述のなかにまで入り込んでくる、こうした「母性信仰」とでもいうべきものは、じつは二方向の迫害をもたらしかねないものです。 まず、母親たちに対して、母性および母性愛は先天的かつ本能的なのだから、育児に関心がもてない、あるいは自信がもてない母親は欠陥を持っていることにされてしまいます。これは育児にとまどい悩んでときにはノイローゼにまでなっている母親に対する無理解であるばかりか、ののしりの言葉にさえなります。「母親だったら子どもが可愛いと思うのが当たり前だ」、「母親なら自分の子どもを育てられるのが当たり前だ」などなど。結果として育児ノイローゼになやむ母親たちを、なぜそういう状態になっているのか理解・解明していくことなく、非難だけを浴びせることになります。 つぎに、子どもを持とうとしない、あるいは持てない女性に対して、女性=母性とであるから、彼女たちは女性でない、あるいは(あたりまえの)人間ではないことにされてしまいます。「子どもを産まない女は一人前の女じゃないね」などなど。これはもうはっきりとした差別いがいの何物でもありません。 母性主義としての「三歳神話」 こうした母性主義の典型として広まっているものに「三歳神話」というものがあります。これは、「三歳まで母親が密着して育てなくてはまともな子どもに育たない」という考えのことです。 この「三歳神話」の根拠とされたのは、ボルヴィの「母性剥奪論」という考えです。ボルヴィによれば、幼児期における母性的愛情の喪失が発達にいちじるしい(マイナスの)影響を及ぼす。それが証拠に、施設の置かれた子どもは母親との密接な相互作用がないため発達障害を持つことが多い、というのです。 しかしこの「母性剥奪論」には反論があります。すなわち、母親的愛情をもち幼児と密接な相互作用を持つ相手は固定した少数者であれば、一人に限らなくてもよく、おそらく男性でもよい。べつに実の母親でなくてはならないということはない、というのです。また最近は施設での幼児の養育の状態は大変良くなっていて、ボルヴィが根拠とした、施設での発達障害は少なくなっています。 ボルヴィの説じたいも最近では反論されているのですが、この説からは「三歳まで」という年齢についての区切りはうまれてきません。この「三歳まで」という区切りがうまれてきたのは、じつは政策によるものです。つまり、1961年高度成長期のはじめ、第一次池田内閣のもとで開始された三歳児健診に由来します。その導入にあたって厚生省が世論操作をして、「三歳までは母親の手で」という大衆意識を形成させたのです。その意味するところは、「母親は家庭にとどまれ。三歳の後は幼稚園があずかる。また「問題」がある子どもは国が施設に預かる」ということだったのです。人間の再生産の単位としての核家族とそこから職場に来る男性労働者。産業を補完する家族の形成。高度成長をささえるものとして、日本の家族が政策的にも作られてきたことが透けて見えます。 しかし、その結果うまれたのは、家庭をかえり見ない「モーレツ社員」の「お父さん」と家庭にしばりつけられて育児不安などになやまされる「お母さん」と母親と癒着しすぎた「子ども」からなる(郊外サラリーマン)家族でした。 育児不安とは、子どもや子育てに対する蓄積された漠然とした恐れを含む情緒の状態といえるでしょう。育児不安の要因として考えられるのは、父親の協力の欠如、・母親自身の社会的ネットワークの狭さだったように思われます。してみると、じつはかつてのモーレツ・サラリーマン家族そのものが育児不安の原因だった見るべきなのかもしれません。すくなくとも、子どもの問題を母親のせいにだけするような言い方自体が問題だとおもわれます。子どもの問題は、家族、さらにそれをとりかこむ関係に問題にしなくてはいけないのです。 さて大所高所から母性を論じるのはこのくらいにして、私自身の体験にそくして、この母性というものを考え直してみることにしてみましょう。 2.父親になる(個人的体験) 最近、少年犯罪が大々的に報道され、その結果、それは家族にある、やれ母性が足りない、父性が崩壊しているなどと声高に議論がされているようです。 ただそうした議論においてしばしば見られることは、「・・・であるべきだ」というべき論、建て前論がたえず「・・・である」という実態論へと滑り込むことです。どうしてそうなるのでしょうか。 ひとつには、家族というのは私たちにとってとても思い入れの強い領域だけにどうしてそうなりがちだということもあるでしょう。と同時にほとんど誰もが家族を経験しているだけにそれを語ることは自分のきわめて私的ものを語ることになります。私たちはそれを恥じてどうしても建て前論の影に隠れようとし勝ちなのです。 今日、わたしはあえて自分の体験にそくしつつ母性や家族について考えてみたいと思うのです。 母性についての議論で私には致命的な弱みがあります。つまり私は母親にはなれないということです。それだけに母性について語ると、「こうあってほしい」という願望が入り込みがちです。でも母になれなくとも私は父親にはなれます。そこで私が父親になった過程をもう一度思い起こしながら、つまり「父親になる」というのはどういうことだったかを思い起こし、そのうえで「母親になる」ということあるいは母性というものについて考えてみたいと思うのです。 さて父親になることを思い出すといってももう12年も前のことです。そこで私は、アメリカのコラムニスト、ボブ・グリーンの『父親日記』(中公文庫)を読むながら、昔を思い起こすことにしました。私にとって父親になるとは振り返ってみると次のような過程でした。 1)妊娠を告げられる まず妻(当時はまだいっしょになっていなかった)から妊娠を告げられるということがありました。それも詳しく言えば、生理がない、妊娠試薬を買いに行かされた、試薬が妊娠の疑いがある、産婦人科にいってくる、妊娠3ヶ月といわれる、という(真綿で首をしめられるような)細かな段階があるわけです。 妊娠を告げられた時の気持ちを言うと、正直言って、肩に重しがかかったような不安と緊張でした。大学で助産を専攻している学生に講義でこのことを話したら、すかさず「どうして不安になるのだ、相手が妊娠したら喜ぶのがほんとうだろう」と突っ込まれました。 でも本当のことだからしかたありません。妊娠にまつわる責任の重みで重苦しいような気持ちになったものです。 2)出産を決意する もちろん、この人なら自分の子供を産んでほしいという気持ちがありました。今でもおもいだすのですが、互いにテーブルに向かい合い、下を向いて、次のような会話をした覚えがあります。「どうする」「うーん」「生ませたくないの?」「そんなことないよ、君は生みたくないの?」「そんなわけじゃないけど」。そういう会話をしながらふつふつと心の底から喜びがわいてくるような気がしたことを覚えています。 3)変化する妻の体型をみる。 でもそこまではまだ観念的なものでした。事態が切迫してきたのは、妻のおなかが次第に大きくなってからでした。よく妊婦を連れて歩いている男性がいて、「幸せそうね」なんて皆さんは言いますが、すくなくとも私の気分で言えば、「私がやりました」って言っているようで、恥ずかしい気持ちがぬぐえませんでした。とにかくせり出してくる妻のおなかをみて、「えらいことをしてしまった」という気持ちになったことは確かです。胎児の成長は私にとってはこの妻のせり出すおなかと産婦人科でみたスキャナーの映像でしか知ることができないものでした。(男の子だと告げられました)。 4)出産の準備をする さて出産をするにあたって、産院を決めなくてはいけません。もちろん、ラマーズ法がいいのか、自宅で生むのか、実家に帰えすのか、などなど選択肢は多く、それについての議論とつめがあります。そのときになって初めて出産は保健がきかないことをしりました。事態は切迫しつつあります。 5)出産に立ち会う 結局、近くの産院で産むことになりました。出産の時に先生(産婦人科医)から突然「立ち会いますか?」と言われ、「え、はい」と答えて、分娩室に入りました。苦しむ妻の手を握り、自分まで深呼吸して息んでいたことを覚えています。やがて妻の下半身の覆いの向こうから、まるで手品のように先生が赤ん坊を差し出しました。よく「サルみたいだ」という感想があると聞きますが、私はそうは思いませんでした。ちゃんと人間の子供だと思いました。ただひょっとすると先生が分娩台の下からすりかえて出したんじゃないかいかと、あとでよく妻と冗談を言い合ったものです。 6)自宅に帰る 子供を産院から連れて帰る日、息子を寝かせる部屋の畳を一生懸命に雑巾で拭いたのを覚えています。そんなことをしたのを先にも後にもそれっきりだったのですが。 7)名前をつけ、届けを出す 息子がうまれたので、名前をつけて役所に届け出なくてはなりません。一生ついてまわる名前だけに頭を抱えました。結局徹夜で姓名判断の本と首っきりでつけたのを覚えています。 8)触る・匂いをかぐ 赤ん坊が生まれて何がうれしいって、あのやわらかさです。子どもは触っていて本当に気持ちいい。あのやわらかさのためだけでももう一度子供がほしいと思ってしまうほどです。ふしぎなことに男性はそのことを話題にしません。きっと、男はそういうことを言うもんじゃないという、社会的な圧力がかかっているのでしょう。 9)子どもの反応を引き起こす(微笑みをたがいに交換する) さらに顔を向かい合わせ、互いの笑みを交換しあうということがあります。 10)泣かれてうろたえる さて子育てでひとつの大きなハードルがこれです。泣き止まない赤ん坊をどうするか。これを放置して妻に任せたかいっしょに動揺し乗り切ったかで父親として大きな違いがあるんじゃないでしょうか。ともあれ、いつか波長が合うように泣かなくなるのですが、私の場合は仰向けになってその胸の上に子供の胸が合うように寝かすと泣き止みました。 11)人に自分の子どもとして見せる さて自分の子として人に見せるというのもおおきな段階だったように思います。さらに 12)似ている所を探す、「似ている」と言われる というのも父親になるにあたって重要だったと思います。 13)世話をする。おむつの交換など 母親がするとあたりまえとされるのですが、なぜか父親がすると誉められ、自分でいい気分になれるのが、子供の世話です。本当はきわめて不均等な仕事配分にもかかわらず、父親はずいぶんやった気になっているものです。 14)子どもに接する態度から自分の(父)親のしてくれたことを思い出す 「ボブ・グリーンの父親日記」のなかに印象的なシーンがあります。ある日(7月11日)ボブ・グリーンは、子供に向かって、「おはよう、メリー・サンシャイン」と言っている自分に気づきます。そしてそれが子供時代いつも自分に向かって両親が言っていた言葉であることを思い出します。(この本の原題はだから「おはよう、メリー・サンシャイン」です)。それまでずっと忘れていた幼年期の記憶がよみがえったのです。 私にも覚えがあります。お風呂に入れたとき、ぬれたタオルで子供の顔を拭いたのです。ぬれているだけに息がつまってすこし息子は苦しそうでしたが、とにかく顔全体をぬぐったのです。なぜこんなことをするのだろうと思ったとき、それは父親がいつも私にしていたことだとわかりました。そしてその時、どんな思いで父が私を見ていたのか、それがわかったのです。 15)「パパ」とよばれる 子供に「パパ」と呼ばれるのは父親としての自覚をうながす、やはり大きな経験だったように思えます。さらに 16)父親として幼稚園などを顔を出す ことも社会に父親としてデビューするという感じですね。 17)学校(いじめ)や社会(一方的価値観のおしつけ)や交通事故などの外部の脅威から子どもを守る 子供を持ってみてはじめて住んでいる地域社会や学校に深くかかわるようになるものですし、それに対してあるときは批判的にもなります。なんとか子供をそこでの脅威から守りたいという気持ちが私には強かったように思います。 さてまあ、とりとめのない話ですが、私自身の経験では以上のようなさまざまな段階を経て「父親」へとなっていったように思います。その際、重要だったのは、次のようなことだったと思います。すなわち、①妻との相互関係、②子どもとの相互作用、③親子関係の歴史の想起・継承、④父としての社会的位置の獲得、⑤庇護者としての役割を遂行、です。 私にとってとりわけ重要なのは、父親になるということが、一般的な父親になるということではなく、私の父と私の関係を受け継ぐことだったということです。すなわち、一般的親子関係の再生産ではなく、個別の親子関係の継承・再生産がおこなわれたということです。 (2)父性の性質とそこからの「母性」論への疑問 さてこうした父親になるという体験をとしてみて、もうすこし一般的に父性というものの性格をいくつかを考えてみましょう。そしてそこからいわゆる「母性」について言われているいくつかの事柄に対して、すこしばかり疑問を提示してみたいと思います。もちろん、それは私の個人的体験という小さな窓からみた疑問にすぎないのですが。 ①偶然性 まず私はこうした父親になるという体験を経験したわけですが、もし私が相手が妊娠したことを知らないで別れてしまって知らないままでいたら、はたして私は父性をもちえたでしょうか。もちろん、ノーです。つまり出産前後に子どもに関わらなければ父性を生まれてこなかったでしょう。 これに対して、ふつう母性というものは子供を持つと必然的かつ本能的に生まれるもの、あるいは女性全般が先天的に持っているものとされがちです。でも本当にそうなのでしょうか。産みの母が産んだ後にすぐ子供を手放したらいわゆる「母性」は育つのかでしょうか。もしあったとしてもそれはすこしちがったものとなるのではないでしょうか。 ②交互作用による発達 同じことのいいかえになるかもしれませんが、子供との相互作用によって親密性が生まれ、父性が発達していくということがあります。マーチン・グリーンバーグは『父親の誕生』という本でそうした相互作用への父親からの働きかけを「のめり込み」(engrossment)といってとても重視しています。 母性の発達にもこうした相互作用による発達はあるのではないでしょうか。 ③配偶者との関係 さて子供に対する態度は私の妻に対する関係に大きく影響を受けていたように思います。 このことは母親にとっても同様ではないでしょうか。夫との関係は母性におおきく影響するのではないでしょうか。 ④不完全性 子育てにあたって私はつねに他者からの援助にたすけられてきました。私は一人では子育てを遂行しきれない不完全な親でした。では母親はどうでしょうか。母親だけが育児をするのでしょうか。それはほうっておいても自動的かつ完全なものとして本能に組み込まれているといえるのでしょうか。動物ならいざ知らず、人間の場合、夫はもちろん、親戚やさらには家族をこえたネットワークが子育てを支えているのではないでしょうか。 ⑤多様性 父親になるというのは人によってずいぶんことなる経験だと思います。私は家で仕事をすることが多い職業でしたが、外で仕事をする男性は私の体験はそのまま適用するのはむずかしいでしょう。まして文化風俗のことなる民族ではまたちがった父性というものがあるのでしょう。つまり父性には普遍的な発展段階を提示しにくいと思われます。 だがひるがえって考えるに、母性もまた多様なものであるのではないのかとかんがえられます。 ⑥社会からの影響 同じことかもしれませんが、父親は社会的責任の引き受けとしての役割を負うことが多いでしょう.同時に職業による育児への関わり方も多様性なものとなるでしょう。「会社人間」は育児に手が回らないでしょう。父性はこうした社会からの影響をうけています。 しかし母性も社会から、また社会における位置づけによって大きな影響を受けているのではないのかと考えられます。 ⑦文化性 さらにまた父親の役割はその文化によって規定されています。たとえば統計によれば共稼ぎでも男はほとんど家事をしません。家での性役割は文化によってかなり固定的なものになり勝ちなのです。同じように母性も文化から規定され影響されるのではないのかと考えられています。 ⑧継承性 私は無意識のうちに父親をモデルにして父親になっていたように思います。接するときに振る舞いに亡くなった父の影をみるのです。こういうのを「育児における亡霊」という言い方をするそうです。 妻は子供起こすとき、部屋の入り口で怒鳴るだけでした。ある日私がゆすって起こしてみせ、なぜそんな起こし方をしていら立っているのかと聞くと「だってずっと私はそうやって起こされてきた」と絶叫しました。彼女の母親の起こし方を知らぬ間に受け継いでいたのです。母性というのも固定的なものではなく、その親から継承される面があると思われます。
by takumi429
| 2021-06-21 07:42
| 看護に学ぶ臨床社会学
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