人間は自然を取り上げ、表現する。独自の気質tempéramentを通して見た自然を描くのである。それぞれの芸術家はこのように、我々にそれぞれ異なった世界を差し出す。そして私は、これらすべての多用な世界を喜んで受け取るのだ。ただし各々は1つの気質を生き生きと表現していなければならない。『美術論』104頁
Une oeuvre d’art est un coin de la creation vu à travers un tempérament. 全集ⅩⅡp.810 芸術作品はある気質を通して見た世界の一隅である。『美術論』110頁 ゾラの言葉を借りるなら、芸術は「ある気質を通してみた自然」にほかならない 高階秀爾『西欧芸術の精神』青土社1979年、372頁 マネは第二帝政時代に当時の都会生活を非常に優れた職人的表現力と、才気溢れる知性で描き出した画家で、まあゾラとほぼ並べていいと思いますが、第二帝政の大変に近代的な面の観察者であり再現者であった。 平島正郎・菅野昭正・高階秀爾『徹底討論 19世紀の文学・芸術』青土社2000年、400頁 サンドーズはふたたび、ゆっくりとした口調でとぎれとぎれに話しはじめた。 「いいか、人間をあるがままに研究するのだ。もはや抽象的なあやつり人形ではなく、環境によって決定づけられ、身体の全器官のはたらきで活動する生理的人間の研究なんだ。・・・(中略)いいか、すべては相互に作用しあっているんだ。つまり人間の機構mécanismeは諸々の機能の総体なんだ!ああ、われわれの近代的革命なるもののよるべき根拠は、そこにこそあるんだ。古い社会の死、そして新しい社会の誕生、こうしてその新しい土壌には、必然的に新しい芸術が生育するのだ。・・・しかし、いまに見ることだ、来るべき科学とデモクラシーの世紀の芽生える文学が!」・・・ 「なあ、そこでなんだが、おれは自分のやるべきことを見出したよ。なに、おおげさなものでなく、まあ本の人間世界の一隅coinともいえるものだ。だがそれでも人間生活全体を示すには充分なんだ。とにかく、野心はでかいぜ。・・・おれはな、1つの家族をとりあげて、その構成員の1人1人を研究してみようと思っているんだ。彼らがどこから来てどこへ行くのか、どのようにして各人が影響しあうのか、など研究する。つまり、一家族という小単位を通して人間性humanité探求、人間たるもの、いかに成長し、いかに行動するかの研究なんだ。・・・なお、それらの人物を1つの限定した時代のなかに投入し、環境やさまざまな境遇の影響するものを究めて一編の歴史を作ろうと思うのだ。それは15巻か20巻のシリーズになるだろう。といっても、各巻がそれぞれ、独自に完結する物語なんだが、それでも全体として大きな枠組みにはいっている小説シリーズなんだ。 ゾラ『制作』300-1頁 ルーゴンマッカール叢書Ⅳ巻p.554 マネ 数人のおなじみのモデルをつかって近代の生活を描く。おなじみのモデルをつかうことでその世界に見ているものが入り込みやすくなる。 バルザック 『人間喜劇』の構想 100編におよぶ小説群全体の表題 人物再登場法 おなじみの人物をなんどもいくつかの小説の中に再登場させて、人間社会全体を描ききろうとする。 「芸術はある気質を通してみた自然」。 絵画の場合、自然を見てとらえる気質の持ち主は画家であるとまず考えられるであろう。しかし小説の場合、どの視点から物語の中の世界がとらえられるのかは、もっと複雑である。物語論ではこの、どの視点から物語られるのか、ということを「焦点化」という言葉をつかって、次の3つに分類している。 1.ゼロ焦点化・・・・・・語り手>作中人物(〈俯瞰焦点〉―― 語り手は、作中人物の誰かが知っている、ないし知覚するよりも多くを知っている、ないし物語る) 2.内的焦点化・・・・・・語り手 ≈ 作中人物(〈共有視点〉―― 語り手は、作中人物が知っている事以上のことを語らない。 3.外的焦点化・・・・・・語り手<作中人物(〈外在視点〉―― 語り手は、作中人物が知っているよりもわずかしか語らない。 1はいわゆる「神の視点」からの語りということになるし、映画ではパン・フォーカスによって登場人物全員の様子・表情が観客に一挙にわかるようなオーソン・ウエルズの映画のような場合である。 2はミステリーなどに多用される。また夏目漱石の『三四郎』は三四郎の視点からだけで語ることで、女の語る「ストレイ・シープ」という言葉が謎めいたものとなる。 3は、アガサ・クリスティの『アクロイド殺人事件』(語り手である日記の書き手はすべてを日記には書かない)やアントニオ・タブッキの『供述によるとペレイラは・・・・・・』(ペレイラの思ったことすべてが書かれない) ゾラは登場人物の目から見た世界を描く手法(共有視点)をもちいることで、読者を、物語世界(第二帝政期の社会)へと引きずり込む。 『ボヌール・デ・ダム百貨店』の冒頭 ドゥニーズはサン=ラザール駅から歩いてきた。・・・ようやくガイヨン広場に出たとき、若い娘は驚きのあまり棒立ちになった。 「まあ、見てごらんなさいよ、ジャン」と彼女は言った。・・・ 「本当に、すごいお店だわ」と彼女は、しばらく黙っていたあとでようやく口を開いた。 それは、ミッショディエール通りとヌーヴ=サン=キュスタン通りの角にある婦人物流行店だった。そのショーウィンドウーは、10月の柔らかな淡い日ざしの中で、人目を引く鮮やかな色彩を放っていた。サン=ロック教会の鐘が8時を付けが。歩道の上は、まだ朝のパリで、事務所へと急ぐ勤め人や小走りに買い物する主婦がいるだけだ。正面の入り口の前では二人の店員が、脚殺陣の上ってウールの布地ルイをつるし終えるところで・・・。 「すごいや」とジャンは言った。・・・ 「ボヌール・デ・ダム百貨店か」と、ジャンは美青年の優しい笑いを含んだ声で、看板の文字を読んだ。・・・ と延々と、おもにドゥニーズからみたボヌール・デ・ダム百貨店(の一隅)が描かれる。 同様の記述は、たとえば、島流しの島から逃げ帰ってきたフロランが仰ぎ見る、鉄とガラスでできたまばゆいレ・アールの中央市場の描写など列挙のいとまもない。 ここでは人間世界を見ているのは、さまざまな気質をもった登場人物であり、その登場人物の目をとおして、読者は、この物語世界(第二帝政期の社会)を知るのである。つまり、気質という個性をもっているのは、作家ではなくて、登場人物たちであり、その登場人物の気質によってとらえられた自然が小説を構成していく。そして気質は、ちょうど何種類か絵の具をねりあわせたように、いくつかの遺伝的な要素の組み合わせでできている。まさにルーゴンマッカール叢書という全20冊は、気質をとおしてみた人間世界、なのである。
by takumi429
| 2010-10-28 23:33
| ゾラ講義
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