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欲望の装置としての館

欲望の装置としての館

『ゴリオ爺さん』:ゾラが手本としたバルザックの『人間喜劇』の中の名編
主人公は南フランスからパリに上ってきたラスティニャック。
舞台はラステニヤックの下宿であるヴォケール荘に集中。
まさないバルザックはお芝居を手本にして小説を書いていた。
だから小説の冒頭に、舞台装置と登場人物の描写が延々続き、その後と小説の舞台場面は1つになる。
篠沢秀夫によれば、バルザックは古典悲劇を手本に小説を書いていた。

ゾラ『ごった煮』
主人公:成功を夢見てパリへ上京してきた青年オクターヴ・ムーレ
舞台はオスマン様式のアパート
ゾラは『ゴリオ爺さん』を手本にして、あえて小説の舞台をこのアパートに集中させる。たとえばオクターヴの不倫相手ベルトの夫のオーギュストの店をこのアパートの1階に設定して、小説の舞台をアパートに集中させている。

オスマン様式アパートでは以前のパリのアパートのように、階ごとに階層がはっきりとちがう、ということはすでにない。貧しい階層はすでにオスマン化(都市整備)で「パリのシベリア」(パリの北東部)に追いやられてしまっているから。
しかし、屋根裏部屋に女中が住んでおり、また台所や便所がアパートの内庭に面した端に追いやられている。だから表面的なきれいさとは対照的に「オスマン様式のアパートは臭い」(ロジェ=アンリ・ゲラン著 『トイレの文化史』ちくま学芸文庫)

ブルジョワ達が住む、一見、立派ですまして見えるこのアパートも、実はその内実は色と金への欲望でどろどろになっている。
女中達は内庭にゴミを捨てながら、それぞれの家庭の不倫・吝嗇・諍いごとの情報を洗いざらいぶちまけている。
きれいに見えるのは外側だけ、そのはらわたは腐りきっている、というわけだ。
ゴリオ爺さんに相当するのはガラス会社の実直な会計係ジェスランで、彼は娘の不倫騒動のあげくに死ぬ。
しかし、じつはその彼も、女中アデールと関係しており、アデールは密かに出産して、赤ん坊を新聞紙に包んで街角に捨ててくる。同じ時、サロンでは嬰児殺しをけしからんとブルジョワ達がほざいている。

ここでは舞台装置であるアパートは、欲望の館(装置)となっている。ここで女達を手玉に取り、この欲望の館を支配するのが主人公オクターブである。
さらに彼は、次の『ボヌール・デ・ダーム(婦人の幸せ)百貨店』で、百貨店という欲望の館(装置)の支配者となって、女達の欲望を操るのある。
工兵あがりのイタリア人技師を父にもつゾラは、絶えずこうした装置(メカニズム)に注目する。『ゴリオ爺さん』では舞台装置だったアパートは、『ごった煮』では欲望の装置となり、『ボヌール・デ・ダーム(婦人の幸せ)百貨店』では、「欲望の喚起装置」(鹿島茂)となるのである。
ゾラはこうした人々の欲望を喚起し巻き込む装置として、株式市場、鉄道、市場、炭坑、居酒屋、デパート、戦争など描いていく。バルザックでは舞台装置だったものが、それを手本にルーゴンマッカール叢書を書いたゾラにおいては、欲望の装置へと変貌しているのだ。
by takumi429 | 2010-12-01 20:45 | ゾラ講義
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