看護教育における社会学(1) (『社会学評論』論文)

看護系専門職養成課程の中の社会学―――ある社会学教員の経験から―――
勝又正直
(名古屋市立大学看護学部教授)

The Sociology in the Nursing Schools
---Some Lessons from the Experience of a Sociological Instructor---

Masanao KATSUMATA
(Professor of the Nagoya City University School of Nursing)

要約
看護系学部の社会学教員の体験から次のような経験知が得られる.
看護師は患者を人間として理解し,その理解に基づいて看護しようとする.この目的のために,看護学では他の学問のさまざまな概念を用いて,患者の問題を看護診断として分類している.さらに,看護理論家は他の学問のさまざまな理論を導入して看護を1つの人間学へと高めようとしている.医療社会学は,医療の世界,あるいは医療が社会においてはたす機能に焦点をあてている.それに対して,看護は,患者を理解し看護するために,患者が属している社会に関心を持つ.看護学生に必要なのは,患者を人間として理解するための,社会学的想像力である.その社会学的想像力は,特殊な応用社会学である医療社会学よりも,むしろ普通の元来の社会学によってより養われるのである.
キーワード:看護診断,患者理解,社会学的想像力

Abstract
The experience of a sociology instructor in a nursing school gives the following lessons: A nurse understands a patient as a human being and cares him/her based on the understanding. For the purpose, the nursing science adopts various concepts from other disciplines and classifies the problems of a patient as the Nursing Diagnosis. In addition, the nursing theorists introduce various theories of other sciences and try to promote the nursing to one of anthropologies. Medical sociology focuses on the medical society and the functions of medicine in societies. While Nursing has interest in the society to which a patient belongs in order to understand and care him/her. What nursing students need is the sociological imagination for understanding of a patient as a human being. The sociological imagination can be cultivated by the ordinary and authentic sociology more than the special applied sociology, medical sociology.
Keywords : Nursing Diagnosis, Understanding Patients, Sociological Imagination

1.はじめに
看護系学部に私が赴任しもう21年が経った.もともと私はヴェーバーの宗教社会学の研究から出発し(勝又 1987,1992),その展開として,田山花袋の『田舎教師』をアンダーソンの『想像の共同体』の手法を使って読み(勝又 1998b),さらに文学やメディアやコンピューター・アートついて論じてきた(勝又1998a,2003a,2004,2009).しかし教育では,たまたま看護学部に職を得て,看護職をめざす学生に社会学の教育をすることになり,その教育をいかにすべきか,長く暗中模索を重ねてきた.本稿では,乏しい経験からではあるが,私の看護系学部での社会学教育の体験から,「看護系専門養成課程の中の社会学」について考えてみたい.

2.看護系専門職養成課程の中の社会学をめぐる神話と真実
大げさな題をつけたが,看護系学部に赴任してみて,私が想像していたアテ(予想)がいくつもはずれた,その体験を書いてみようというだけのことである.

(1)神話1:看護師養成に必要な社会学は,医療社会学である.
   真実1:看護師養成に必要な社会学は,一般的な社会学である.

 看護系学部なら,そこで教えるべきなのは,「医療社会学」である.だれでもそう思うだろうし,私もそうだった.しかし,看護系の本をぽつりぽつりと読むうちに,しだいにほんとうにそうなのか,疑問に思い始めるようになった.とくに中木高夫著『POSをナース』(中木 1989)を読んで,「看護診断」というものを知ったのは大きなショックであった.
 「看護診断」とは,一般の人には聞き慣れない言葉かと思う
.すこし説明しよう.
普通,私たちが医療の世界で聞く「診断」というのは,疾患を特定する「医学診断」である.これに対して,1970年代から北米の看護師たちは,看護師は医師の診断に追随するだけでなく,看護独自の立場から患者を「診断」するのだとして,「看護診断」というものを提唱しはじめた.
いまここに大腸ガンの患者がいるとする.一人は元医師,もう一人は大工とする.疾患から見ると(つまり生物医学からみると),両者はともに「大腸ガン」と診断される.しかし,元医師はこの疾患について知識は豊富だろうが,大工の患者はこの疾患についてはふつう「知識不足」であろう.また別の,「肝炎」の患者が二人いるとする.一人は看護師,もう一人は専業主婦とする.看護師は「肝炎」についての知識は充分持っているだろうが,専業主婦はやはり「知識不足」であろう.疾患という観点からみるならば,(元医師, 大工)と(看護婦, 専業主婦)という区分がされる.しかし,その病人が抱える「問題」という観点からみてみるなら,知識の面では,(元医師, 看護師)は問題(不足)ないのに対して,(大工, 専業主婦)は,「知識不足」という問題をもっていることになる.
つまり,医学診断が,患者を疾患からくくっていくのに対して,「看護診断」とは,患者が(その病気からもたらされた)どんな問題をもっているか,その問題ごとに,患者をくくっていく,そうした診断なのである.
この看護診断には,医学だけでなく,さまざまな学問領域の考え方が積極的にとりこまれている. 
たとえば,最新の看護診断(Herdman ed. 2009)では,13の領域を,さらに類(クラス)に分けて,その類の中に,病人のかかえる問題(看護診断)をつぎのように分類している.
(領域1)ヘルスプロモーション,(領域2)栄養,(領域3)排泄と交換,(領域4)活動/休息,(領域5)知覚/認知,(領域6)自己知覚,(領域7)役割関係,(領域8)セクシュアリティ,(領域9)コーピング/ストレス耐性,(領域10)生活原理,(領域11)安全/防衛,(領域12)安楽,(領域13)成長/発達.
例にあげた,「知識不足」は,「(領域5)知覚/認知」の「類(クラス)知識」の中に分類される看護診断名で.定義は,「特定の主題に関する認知的情報の欠如または不足」である.
医学的診断でも新しい疾患が見つかれば診断名が増えるように,看護診断でも,病人かかえる新しい問題が見つかれば診断名は増え,それがふさわしい領域の中に入れられていく.日本でも1995年に「看護診断学会」 が発足し臨床現場への導入・普及が行われています.「看護診断」は,領域の題名を見ただけでもわかるように,病人の問題を把握するために,医学にとどまらない広範な学問領域からどん欲にその理論的成果を吸収しようとしている.
ここで重要なことは,この看護診断のなかに社会学の理論が多く導入されていること,しかもそれが特殊な応用社会学の「医療社会学」の内容ではなくて,より一般的な社会学の理論な内容が導入されていることである. 
社会学に関連している看護診断の分類や診断名を見てみよう(社会学に関連していると思われる分類・診断名は太字にした).
「領域5 知覚/認知類5コミュニケーション」,「領域6自己知覚 類1 自己概念, 類3 ボディイメージ」,「領域7 役割関係 類1 介護関係, 類2 家族関係, 類3 役割遂行」,「領域8 セクシュアリティ 類1 性同一性, 類3 生殖母親/胎児二者間系」,「領域9 類 コーピング/ストレス耐性 類1 身体的/心的外傷後反応 レイプ-心的外傷シンドローム, 類2 コーピング反抗 家族コーピング妥協化, 家族コーピング無力化, 家族コーピング促進準備状態, 非効果的地域社会コーピング, 地域社会コーピング促進準備状態, 死の不安」,「領域10 生活原理 類1 価値観, 類2 信念 霊的安寧,類3価値観/信念/行動の一致 信仰心, 霊的苦悩」,「領域11 安全/防御 類3 暴力 自殺」,「領域12 安楽 類3 社会的安楽 社会的孤立」.
これらの分類・診断名を見ると,「自己概念」論,「役割」理論,家族社会学,地域社会学,宗教社会学,自殺論,など社会学の理論を,看護診断は導入していることがわかる.すくなくとも看護診断をみるかぎり,求められているのは,「医療社会学」の内容ではなくて,より一般的な社会学の内容なのである.
もちろん,看護診断だけで看護全般を語るのは危険かもしれない.看護診断を導入していない病院も学校もある.だが,この看護診断が,看護が求めている社会学とは何かを知る,大きな手がかりとなることにはまちがいないだろう.
ここで大切なことは,看護が求め導入しているのは,たとえば,役割理論一般であって,けっして,「病人役割」論といった医療社会学の理論ではないことである.周知のように,「病人役割」はパーソンズが『社会学大系』(Persons 1951)の中で展開し,いわゆる「医療社会学」の大きな理論となっている.しかし看護が求めているのは,そうした医師と患者の関係における患者役割の理論ではなくて,患者が実社会で演じている役割一般についての理論なのだ.
どうしてこうしたズレが生じるのか.思うに,「医療社会学」は,医療というものが社会において果たしている役割やその内部の人間関係や思考などを問題にしている.しかし,看護は,いま目の前にいる患者に対してどう援助すればいいのか,を考えている.つまり,「医療社会学」の対象は医療だが,看護の対象は患者なのだ.看護は対象としての患者を理解するために,社会学をはじめとする他の学問領域に応援をもとめているのであって,そこで求められているのは「医療を対象とした社会学」ではなくて,(患者という人間が属している)社会について社会学,患者という人間をよりよく理解するための社会学なのである.

(2)神話2:看護系教員は看護師である
   真実2:看護系教員は元看護師でしかない.

 ふつう大学の医学部は附属病院を持っている.医学部の臨床系教員というのは,その附属病院の(現役の)臨床医でもある.それと同じように,看護教員も現役の臨床看護婦であるにちがいないと私たちは思い込んでしまいがちだ.しかしじつはそうではない.大学の附属病院はあくまでも医学部附の属病院であって,「看護学部附属病院」ではない.だから看護学部の看護系教員は,附属病院の現役の(臨床看護職にある)看護師ではなく,あくまでも看護学部の教員にすぎない.患者を看護するのは病院の(臨床看護職についている)看護師である.看護系大学や学部ができるのは,病棟に学生を送り込むことでしかない.大学附属の病院をもたない看護学部や看護短大の場合は,実習受け入れの病院をもっているが,この場合も同様であって,看護系教員は教員であっても現役の臨床看護職者ではない.もちろん看護学生の実習を見回り,監督・指導することはできる.しかし患者への実際の看護は,受け入れ病院の(臨床看護職にある)看護師がするのであって,看護教員がするのではない.看護学校や看護学部のなかで,臨床現場で実際に看護するのは,皮肉なことに,受け入れ病院で実習する学生であって,看護系教員ではない.看護系教員は,もと臨床の看護職にあった経験者であっても,現役の臨床看護職者ではない.これは看護教育の,きわめて重大な,そしておそらく致命的な問題点である.
 その結果,ベテラン看護教員になると,現役の臨床看護師だったのは何十年も前,ということもざらにある.看護も医学の進歩と同様に日進月歩の進歩を続けている.そのため,元看護師だった看護教員が教える看護が「時代遅れ」であることもしばしば見られる.現場の看護師からの看護教育にたいする不満として,「そんな時代遅れのことはもうやってない」という声が多いのはそのためである.だから自分の看護師としての技量が落ちていくことを心配している看護教員もいる .
看護教員が,患者を対象にして研究よりも,看護学生を対象とした研究をする傾向があるのも,こうした事情によるものだ.
 もちろん,現場の看護師と積極的に関わろうとしている看護教員も多くいる.しかし看護系教員は現役の臨床看護師ではない,という事実に変わりはない.
 では,看護系教員は,現役の看護師でなくとも,すくなくとも元看護師ではあるだろう.だから臨床看護の現場を知っているだろう,と思われるかもしれない.しかし必ずしもそうではない.
 というのは,最近,看護系教員でも学位が重視されるようになり,取りやすい医学博士を取得した者が,看護系教員に進出してくることが多いからである.その結果,教授はすべて医師で,元看護師はすべて準教授以下という看護系学部(実質上の「第二医学部」)もある.また元看護師も,看護学博士より取り易い医学博士を取って,看護系教員となることも多く,そうした場合の研究は,生物医学的な研究であって,看護的研究とはかなりずれがある.
 また看護師の経験がある者でも,その専門とは異なる専門の看護系教員となることもしばしば見られる.「地域看護」は本来,保健所などで保健師職を経験した者が教えるのが望ましいが,あえて保健師という安定した職を辞して大学院に進学して教員をめざす者は少なく,結果,保健師職の経験のない者が教員になることも多い.またなり手の少ない「精神看護学」では,精神病院の勤務勤経験がない者やきわめて短い者が教員になったりもする.さらに臨床には該当する部門がない「基礎看護学」の教員の中には学位はもっているがほとんど看護の臨床経験がない者も含まれている.
 こうしたことは,看護の臨床現場と看護教育とのずれをもたらし,とりわけ,「基礎看護」において,(ナイチンゲール崇拝 をふくむ)道徳論・精神論,空虚な科学論などの横行を招いている. 
 
(3)神話3:看護系大学(学部)につとめていると医療の現場の事例が簡単に手に入る
   真実3:看護系大学(学部)にいても現場の事例は簡単には手に入らない.

看護学部の実習受け入れ病院は,たとえ大学の附属病院であっても,看護系学部の附属病院ではないことはすでにふれた.その結果,実習受け入れ病院の患者や医療について研究しようとする者は,外部からの研究者として,病院から許可をもらわなくてはならない.ようするに,看護系学部でも,他の一般学部とおなじハードルを越えなくてはいけない.
 その結果,看護学部に来ればたやすく臨床現場の事例が手にはいると思ったのにあてがはずれてしまうことになる.   
私も,臨床の現場は無理でも,院内の看護研究発表を聞くのはかまわないだろうと思って,参加しようと思う,と助教らに言ったところ,彼女たちは色めき立って,病院に連絡して許可をもらわなくてはいけないと騒ぎ始め,断念したという経験がある.
結局,私の場合,臨床の事例は,学生の実習報告と,私が主催した研究会(ターミナルケア研究会とナラティヴ・セラピー研究会)と知り合いの看護師から得てきた.
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by takumi429 | 2010-07-25 05:44 | 臨床社会学 | Comments(2)
Commented by 清原 智佳子 at 2011-12-02 01:27 x
まさに、同様のジレンマを感じます。27年の経験を持つ看護師です。今年度より、実習担当教員として医療現場での実習を終えました。現場の看護師より指摘されたのが、教員は現場の人間ではないので、鑑賞して欲しくない。現場の看護師の指導が重要である。残念なことに、自然に体が反応してしまうのです。教員としては失格なのでしょう。現場のことでクリティークすると思わぬ欠点が見えてしまい、学生に忠告してしまう自分がいます。異端そのものです。非常に混乱している自分に気が付いている昨今です。貴殿のブログは私にとっては、ブローバルな視野に立ち返ることのできる唯一のサイトとなっています。助かっています。
Commented by takumi429 at 2011-12-08 20:33
コメントありがとうございます。看護教員の中には、すぐれた現場の看護師であった方も多く、教員になってしまったためにかえってその力が発揮できなくなっているのでは?と思えることがあり、とても残念です。看護教育自体の制度的な問題だと思います。医師と同じように、臨床看護師が教員でもある体制を作っていくべきだと思います。
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