宮崎アニメにおけるグロテスクなるもの
宮崎アニメほどグロテスクなものをたくみに取り込んでいるアニメはないのではないだろうか
高畑勲があくまでの原作をふくらまして物語りを作るのに対して、
宮崎駿の物語はいつも一つの物語の亜流にすぎない。
それもウラジーミル・プロップの『昔話の形態学』にでてくる、
主人公が出かけていき戻ってきて救われる、という物語のさまざまなバリエーションにすぎない。
そのパターンは『未来少年コナン』で確立していて、
この『風の谷のナウシカ』も同じ話のパターンを繰り返しているにすぎない。