6bis  形式合理性とは

形式合理性とはなにか。
マルクスは、使用価値と交換価値という価値の2類型を資本論で提示した。しかし、交換価値に、マルクスはすかさず労働価値というしっぽをつけて、その内容を埋めようとした。
しかし生産現場(過程)と市場(交換過程)という2つのシステムがあり、そのシステムのおける交換比率の差異こそ、利潤を生み出すものであったはずである。交換過程(市場)における価格(交換価値)は、労働を製品の込める生産過程とは違うシステムのなかにある。市場においての価格は受容と供給の均衡によって決まる。商品交換を媒介する貨幣の登場によって交換は柔軟でより広がりのあるものとなった。
ジンメルは『貨幣の哲学』で、貨幣を労働価値説ではなく、人間の社会関係から説明しようとした。ジンメルによれば、貨幣を交換関係の結晶化した形式である。この書で、彼は、商品交換を媒介する貨幣の出現とその社会への影響を考察した。
初版を読んだヴェーバーは、この書の最終章にみられる、貨幣の近代社会への影響の考察を光輝あるものとみなした。大都市に典型的にみられる近代社会に対する貨幣という社会関係の形式の影響の大きさに注目した。
ヴェーバーは『貨幣の哲学』第2版が出版されると、この書を「をていねいに読み込むことで、(交換的)社会関係の「形式」(結晶体)である貨幣が、それぞれ商品の価値に対応しているのではなくて、むしろ、その商品がその商品体系のおいて占める比例(関係値)にたいして、貨幣の体系のおいておなじ比例(関係値)をもつ貨幣が対応する(ある品物Wがいくらの貨幣値段Gである、W=Gとされる)ことに着目する。商品を貨幣に代える、または貨幣を商品に代えるときにあらわれる等号は、個別の商品と貨幣についての等号ではなく、その商品と貨幣がそれぞれが属する商品システムと貨幣システムの中で占めている位置価の間に成立している等号なのである。つまり要素と要素の対応ではなく、システム内の位置価とシステム内の位置価との対応なのである。
貨幣が閉じたシステムを成していて、そのシステム内部での位置価でもって、貨幣システムの外(のシステム)のものに対応している、それが交換関係の結晶化として「形式」たる貨幣の、たどり着いた形であること、そしてそのシステム内での位置価は、もっぱら比例(ratio)によって表現されること。これがヴェーバーの考察の出発点となった。
 この出発点から、もっぱらある完結したシステム内部での比例によるシステム構造の構築されていく様のモデルケースとして選ばれたのが、音階であった。音階の分解を比例(有理数rational number)によって完成しようとする試みは結局成功せず、そこで導入されたのは無理数(irrational number非合理数)具体的には2の12乗根による音階分節であった。この非合理的な数(無理数)の導入によって平均律音階は完成し、さまざまな調の音を、異名同音として等号(=)で等しい音だとして扱うことができ、その結果、調から調への転調が可能となった。ここにヴェーバーは、貨幣形式の成立によって交換が用意に広汎に可能になった近代の現象と同様のものを見出した。ただし、ここの自律した平均律音階は、比例(合理数)ではなくによる構成は放棄され、無理数(非合理数)によって構成されている。個々のの基音(はじめてのドにあたる音)からの比例による音階構成は放棄され、無理数で構成された音が、多少のズレを含むにもかかわらず、同じ音として処理される。
 ジンメルが比例(合理)によってできているとおもった形式のシステムは、じつは非合理を使うことではじめて完結する。そしてそれは個々の対応を一旦断念して、システムとしての完結をしたうえで、ようやく外のものへと対応できるのである。
 この個々のものへの合理的(比例的)な対応を断念することではじめて問題を解決して完成できた体系として、ロマネスク様式の教会建築(正方形と円形アーチの組み合わせで作る)にたいするゴチック建築(長方形と尖ったアーチを使用する)や遠近法などの芸術形式をヴェーバーは考えていた。
 しかしもっと彼が重視したのは、法体系である。Aの人をあやめた事件と、Bのなぶり殺しの事件を、いったん法体系における「殺人」というもので等しいものとする(=をつける)、そのうえで差異を考慮する、という法体系のありかたは、まさに、Aという商品とBという商品を、「100円」とすることで等しいものとする貨幣体系と、パラレルなものとしてヴェーバーには映っていたのだ。もちろん、細かな差、ずれ、違和感はある。しかしそうした差やズレにいった目をつぶって、体系の内部での位置価を対応させることで、はじめて、広汎で平等な処理ができる。ちょうど平均律音階のもとに近代の西洋音楽が展開されていったように。
 このようにその内部にズレ(非合理性)をはらみながらも、完結した体系としてそびえ立ち、閉じた自律的体系として、個別的でなく、関係の内部での位置価でもって、外部に対応する、そうした合理性をヴェーバーは、(そのアイディアのもとになったジンメルの「形式」にちなんで)、「形式合理性」と呼んだのである。
 この形式合理性が支配する組織が、法文によって動く、官僚制にほかならない。それは、西洋時計や平均律音階で調律されたピアノと同じように、閉じているシステムだからこそ、さまざまなものに対応できる装置にほかならないのです。(この閉じたシステムによる外部対応、という考え方はルーマンの『法社会学』第二版序文を参照)。
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by takumi429 | 2016-05-26 21:51 | 社会学史 | Comments(0)
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