9(悪)夢工場としての現代

 9.(悪)夢工場としての現代

 今回は、ヴァルター・ベンヤミン(Walter Bendix Schönflies Benjamin 1892-1940)がとらえた近代、というよりもむしろ現代、を考えていくことにしましょう。

 疎外論から物象化論
マルクスにおいて、「疎外」とは、作り手である人間から産み出された物が、作り手の手を離れて作り手の、作り手である人間の手の届かない物になってしまうこと、いいます。
マックス・ヴェーバーの弟子でもあったジョルジュ・ルカーチは、この疎外論を『資本論』にもとづき、さらに発展させて、「物象化論」を提起しました。
物象化とは、作り手である人間が生み出した関係が独立して、ぎゃくに人間を支配してしまう事態をいいます。例えば、経営のために生きている人間、官僚制に支配される人々などがその例です。
貨幣の出現によって、使用価値とは別の交換価値が生まれ、その交換価値によって物事の価値が計られようになります。物象化論は、交換価値は一般的労働によって定まるのではなくて、むしろ交換関係という形式が結晶化して、その関係が人間を支配するようになることを明らかにしたのです。それは明らかにヴェーバーの「形式合理性」論の延長線上にある議論でした。
貨幣の流通によって、物や人の固有の価値ではなく、交換できる、誰にとっても通用する価値が、計られるようになる、また、そういう目で人や物をみるようになる。貨幣経済がもっとも盛んな大都市において、それがどういう精神構造を生むのでしょうか。それを示しているのが、ボードレールの散文詩集『パリの憂鬱』の中の「群衆」という詩です。

ボードレールの散文詩「群衆」(1961年)
「群衆を沐浴するというのは、誰にでもできる業ではない。群衆を楽しむことは一つの術である。そして人類をうまく利用して生命力を大いに飲み食いできるの は、ただひとり、揺藍にあった時、仙女から、仮装や 仮面への好みや、己(おの)が棲処(すみか)への憎悪や、旅への情熱を 吹きこまれた者のみだ。
 群衆、孤独。活動的で多産な詩人にとって、たがいに等しく、置き換えることの可能な語。己の孤独を賑(にぎ)わせる術を知らぬ者は、忙しい群衆の中にあって独りでいる術をしらない。
 詩人は、思いのままに自分自身でもあり他者でもあることができるという、この比類ない特権を亨(う)けてい る。一個の身体を求めてさまようあれらの霊魂たちと同じように、詩人は、欲する時に、どんな人物の中へ でも入ってゆく。彼にとってだけは、すべてが空席なのだ。そして、ある種の場所が彼に閉ざされているよ うに見えるとすれば、とりもなおさず、彼の目から見 て訪れるに値しないものであるからだ。
 孤独にして思索を好む散歩者は、この普遍的な融合 から、一種独特の陶酔を引き出す。群衆とたやすく結婚する者は、金庫のように閉ざされたエゴイストや、軟体動物のように殼にとじこもった怠け者などには永久に与えられることのないような、熱烈な享楽を識る のである。彼は、めぐり合わせが提示してくれる職業のすベて、歓びのすべて、悲惨のすべてを、自らのものとして受け容れる。
 人間が愛となづけるものは、この筆舌につくしがたい饗宴、すなわち、詩となり隣人愛となった魂が、目の前に姿を現す思いがけないもの、通りかかる未知のものに、己をすべて与えつくす、この神聖な魂の売荏 に比べれは、まことに小さく、まことに限られており、
まことに弱い。
 この世の幸福な人々に、彼らの幸福に優る幸福、より広大でより洗練された幸福があると、時おり教えてやるのは良いことだ、たとえ彼らの愚かな誇りを一瞬 辱めることにしかならむにもせよ。植民地を築く人々 や、民族を牧する人々、世界の涯に流謫の身の宣教者 たちはきっと、こうした不可思議な陶酔について何ほどか知るところがあるだろう。そして、彼らの天才が 自らのために作り上げた巨大な家族のさなかにあって、これらの人々は、かくも波瀾多き彼らの運命やかくも純粋な彼らの生活のゆえに彼らを気の毒がる者た ちのことを、時おり笑っているに違いない。」(阿部良雄訳『ボードレール全集IV』筑摩書房1987年 26-27頁)

ボードレールは、通りすがりの群衆 の誰にでも感情移入できる、そうした詩人の想像力を、「神聖な魂の売淫」と呼んでいます。彼のいう「神聖な魂の売淫」とは、人々が 互いに名も知らぬままにすれちがうような、そうした 大都会の孤独と陶酔のなかから生まれてくるものなのです。

ベンヤミンの評
ヴァルタ一・ベンヤミンはその著作「ボ一ドレ一ル における第二帝政期のパリ」のなかで、この詩につい てこう言っている。
「ボードレールが『大都市の宗教的な陶酔状態』について語るとき、その陶酔の主体はなざされていないけ れども、それは商品ではなかろうか。そして、あの『神聖な魂の売淫』---これと較べれば『人間が愛と呼ぶ ものは、まったくけちな、限られた、弱々しいものだ』といわれているの---は、愛との対置に意味があると するなら、じっさい、商品のたましいの売淫以外のものではありえない。」川村ニ郎・野村修訳『ヴェルター・ベンヤミン著作集6ボードレール新編増補』晶文社1975年75頁)
交換価値が支配する大都会では、だれにでも売られる、その価値こそが問題となる。そうした価値を推し量る想像力は、物や人の重々しい泥臭い固執から自由になって、軽やかに舞いながら物狂おしく高まり拡がっていく。
ここでは交換価値がもたらす物象化(関係のひとり歩き)が否定的にとらえられるのではなく、むしろ、大都会において出現する新しい詩的な想像力を生み出すものとされているのです。

ポーの紹介文
ちなみに、この散文詩「群衆」は、エドガー・アラン・ポーの短編「群衆の人」に想を得ています。ポーのフランスへの積極的な紹介者でもあり、また翻訳者でもあったボードレールは、その1852年の「エドガー・アラ ン・ポー、その生涯と著作」という論文でポーの「群衆の人」という短編について次のような言及をしています。(その後、この「群衆の人」は1855年にボードレール自身によって翻訳されました)。

「群衆の人」は絶えず群衆の中へと潜りこんでいく。人間の大海原の中で快感をおぼえっっ泳ぐのだ。震えおののく影と光に満ちた黄昏(たそがれ)がおりてくると、彼は静まった街区を逃れて、人間物質の生き生きとうごめく街区を熱心に探しもとめる。光と生の圏が狭まってゆくにつれて、彼は不安になってその中心を探す。洪水の時の人間たちのように、公衆の蠢動(しゅんどう)の最後の頂点をなすものに必死にしがみつく。それだけの話なのだ。孤独を忌みきらう犯罪者なのか?自分自身に耐える ことのできぬ馬鹿者なのか?」(阿部良雄訳rボードレール全集II』筑摩書房1984年116頁)

「群衆の人」
この「群衆の人」はポーが1940年に書いた短編です。舞台はロンドンです。Dコーヒー店の窓から外を見ている語り手は、道行くさまざまな人々をどんな人でどんなことを考えているだろうかと、詩的な想像力を働かせています。ところがひとりの奇妙な老人を見つけます。語り手はその老人だけは、どうしてもどんな人物であるか想像できません。そこでその老人を尾行することにします。老人はうちに帰ることもなく人混みのなかをうろうろ動くばかりです。人混みが密集し活発な所では、老人も元気に歩きまわります。しかし、人が動きもまばらな所では老人の動きはのろくなります。老人は人混みをもとめてうろうろと動いていき、いつまでも動きを止めることがありません。2日目の宵になり、もとのD店に尾行して舞い戻った語り手は、疲れ果てて老人の尾行を放棄し、あれこそは「群集の人」なのだとつぶやくのです。(小川和夫・佐藤正明 他訳『筑摩世界文学体系37 ボオ・ボ一ドレール』筑摩哲房1973年37-42頁)

 ボートレールは、この短編の始めの部分である、ガラス窓越しに行き過ぎる群衆を眺めては、その人々の履歴を読みとる「私」の 精神状態に、散文詩「群衆」の想を得ています。しかし ボーの物語の中心はそこではなく、むしろ絶えず群衆のなかに身をおいて、そのなかでブラウン運動のごとき動きをみせる謎の男こそが、この物語の中心なのです。
「神聖な魂の売淫」を「商品のたましいの売淫」と呼んだ、ベンヤミンにならって、私たちはこの「群衆の人」を貨幣になぞらえることができるでしょう。それは絶えず人と人との間にあって活発に動く。しかも自らはけっして変わることも、何処かに納まることもなく、繰り返し元の場所に返ってくる。市場での活発な商品交換にあって、この運動は活気づく。しかしいかなる商品をも購入することなく、その間をはじかれて動き続けるのである。それは、語り手が老人を評したように、「あらゆる巨大な知力、替戒心、吝嗇、 貧欲、冷静、悪意、残忍、得意、歓喜、極度の恐怖、 強烈な--この上ない、絶望といった諸観念」を担っ ており、そして「すべての犯罪の核心」となり得るのです。
 
 こうしてみると、ブラウン運動を続ける貨幣の化身を描いたポーの「群集の人」の影響を受けて書かれたボードレールの散文詩「群衆」のおける詩人の想像力「魂の聖なる売淫」を商品のもつ「たましい」である交換価値に起源をもつものであると指摘したベンヤミンの指摘は的をえたものだと言えるでしょう。そして、さまざま人の気持ちに同化してしまう詩人の想像力と、さまざまな人々の間でふらふらと歩きまわる遊歩人は、ともに、商品の交換価値を受容し媒介する貨幣の精神的な化身にほかならいないのです。

 ともあれ、ここでは、物や人が、その固有の価値(使用価値)から切り離されて、交換価値によって計られ売り買いされるという関係が否定的なものでなく、大都会の生み出す詩的な想像力として評価されているのです。
 この貨幣経済がもたらした、本来の使用される文脈からの物が切り離され、そうしてまったく別の使用文脈にありながらそこから切り離された、物と物が、(交換)価値が同じであるとして、等号で結ばれる(交換される)ということ。この、切り離しと結びつけ、こそが、ベンヤミンが20世紀前半にみいだした新たな思考の可能性を生み出す源泉でした。それをみていくことにしましょう。

 技術的複製可能性の時代としての現代
 ベンヤミンは、その著「技術的複製可能性の時代の芸術作品」(旧邦訳題『複製技術時代の芸術』)(Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit 1935)で、20世紀とは、技術的複製可能性の時代である、と規定しています。この技術的複製可能性とは、具体的言えば、写真とその連続である映画を指しています(この規定は現代にも通用します)。
 オーラの喪失 
 元来、芸術作品には教会や宮殿など、それが設置される場所が決まっていたものです。そこに置かれることで、その作品には独特のオーラ(Auraアウラ) が付随していました。
 しかし、写真によって作品のコピーが簡単に作ることができるようになりました。コピーはそれを作品が置かれた文脈・背景から引き離して見ることができるます。その結果、その作品がもともと置かれた場所でもっていたオーラは消えます。しかし逆に、それまで描かれていたのに気づかなかったものに気がつくことがあります。
 異化効果
 ロシア・フォルマリズムという芸術運動において「異化」Verfremdungというものが提唱されていました。「異化」とは「同化」の反意語です。
 ロシアフォルマリズムは、私たちはそこに日常文脈に埋没してなれっこになっている(同化した)ものを、その文脈から引きはがし、異形なものとして提示する(異化する)ことで、その美しさを、鑑賞者・読者に感受させるという、20世紀の美学を生み出しました。
 たとえば、風景をそれがなじみとけ込んでいる周りから切り離すことで、その風景を正視させることができます。すると、そのとき、その風景のもつ美しさが際立ってくるということあります。
 こうした工夫は京都のお寺のそこかしこに見られます。窓で庭の風景を切り取ったり、ふすまなどで区切ったり、門で矩形に区切って風景を切り取ります。そのことで風景の美しさが際立ってくるのです。
源光庵
悟りの窓・迷いの窓
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圓光寺の庭
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切り取られていないとふつうの紅葉の庭にしか見えない。
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南禅寺の大門
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 ベンヤミンの友人の劇作家ブレヒトは、この異化をつかって、観客にあらたな社会認識をうながそうとしました。慣れっこになっていることを、ことさら大げさに言ったり演じたり、強調したり、字幕を垂れ下げたりして、観客にその事がらに違和感を覚えさせ、注意を向けさせます。
 たとえば、京都の人が出てくる芝居で、「け、なんぼのもんじゃ」、という悪態を、How much are you?とか「お前の値段はいくらだ?」と言い換えたり、「おいくらですか、あなたは?」という字幕を垂れ幕にしてみたり、「なんぼ」というところで指で札を数える真似をしてみたりします。そうすることで、この悪態が、人の価値を貨幣価値で計るほど世知辛い流通の巷である都会人の悪態である、ことに気づかせるのです。
 そうすることで、芝居をみてスッキリした、という感想をもってもらうのではなくて、なんか後味が悪いけど、それはこの芝居がが私たちの社会をまさに描いているからなのだ、たしかに人の価値を「なんぼ」とお金で計るなんて、ずいぶんなことをやっているのだなあ、とかいうふうに、自分たちの住んでいる社会について気づかせるわけです。
 視覚的無意識
 風景の美しさも悪態の世知辛さも、もともとの風景や言葉のなかにあるものです。でもそれに私たちは慣れっこになっていて気づきません。目に見えるものでも、見えているはずなのに気づいていないものというのがいくつもあるはずです。
 たとえば、走っている馬の足はどういうふうになっているでしょうか。馬が走っているのを実物や映像で見ている人は多いはずです。でもそれがそんなふうだったかというとわからない人は多いでしょう。
 たとえば、馬が走っている時、その足はすべて地面から離れている時があるか、ないのか、という議論がありました。写真が最初発明された時に、マイブリッジという人はさっそくその問題を解決すべく、写真を利用されました。彼は馬の走っている姿を連続した写真に撮りました。

マイブリッッジ 走る馬の連続写真Eadweard Muybridge, Galloping Horse1878
その結果、馬の足がすべて空中にある瞬間がある、しかしそれはそれ以前に想像されたのとはちがって足を広げている時ではなくて、足をすぼめているだったのです。
テオドール・ジェリコー『エプソンの競馬』1821年(パリ・ルーヴル美術館)
こうして、視覚的無意識(見えているはずなのに見えていないもの)は、
写真に撮りその場から切り離して見ると、見えてくる(無意識が意識化される)、あ
あるいはその写真を組み合わせると見えてくるものがあるのです。
https://www.youtube.com/watch?v=4gLBXikghE0
クレショフ効果
さらにこの写真と写真との組み合わせによって新しい意味がうまれてくることがあります。
ロシアの映画理論家・監督クレショフ
写真の連続(カット)と写真の連続(カット)を接合させることで新たな意味生まれることをあきらかにしました(こうしたフィルムの編集のことをモンタージュといいます)。
たとえば、スープの写真(カット)の後に、無表情の男の顔(カット)を置くと、男は腹をすかせている、と観客は思います。また死んだ子どもの写真(カット)の後に、無表情の男の顔の写真(カット)を置くと、観客は、男は悲しんでいる、と思います。また、裸の女の写真(カット)の後に、無表情の男の顔写真(カット)を置くと、男は欲情している、と観客は思います。実際には、無表情の男のカットはすべて同じものでしかありません。それでも別のカットとつなぐことで、それはそれぞれ別の感情をもったショットだと観客には見えるのです。

また、クロス・カッティングという手法もあります。
ここでは2つの系列のカットが交互に組み合わせられることで、その双方が同時進行しているように見えます。
たとえば、A悪漢に襲われるヒロインというカットと、B疾走する騎馬隊というカットを交互につなぐ(A1→B1→A2→B2→A3→B3)ことで、悪漢に襲われるヒロインを救助すべく急ぐ騎馬隊、という物語で出来上がります。
http://www.youtube.com/watch?v=FMTQ9sU3XXw
ベンヤミンは、こうした映画のカット(写真)とカット(写真)のつなぎ合わせによる意味創造を、新しい芸術のあり方とみなしました。

『パサージュ論』
さらに、この映像の断片と断片のつなぎあわせという技法は、本文から切り離された引用と引用の結合という手法にまで拡大されます。それがベンヤミンが残した膨大な草稿である『パサージュ論』でした。
 パサージュpassageとは、19世紀末にパリで流行した商店街の形式です。アーケードの下にガラス張りの商店が左右に軒を連ねて通路となっているものをいいます。遊歩者は、区切られたガラスごしに商品群をA→X→B→Y→C→Zというぐわいに、順番に、ときには右側の店から左側の店へと視線を移しながら、見て歩くのです。
 ベンヤミンの『パサージュ論』19世紀末期のパリ都市文化をめぐるさまざまな引用を、元の本文から切り離して、まとめたものでした。読み手は、パッサージュを歩く遊歩者のように、読書していくことになるのです。

 無意識の顕在化としての夢
 フロイドがはじめた精神分析において、無意識は夢となって現れます。遊歩者がパサージュを通り抜ける時、近代の無意識が夢となって立ち上ってきます。あるいは詩人が、行き交う人をガラス越しに見ていく時、人々の共通して持つ時代の無意識が、詩となって現れる。
ガラス窓の枠で区切られた商品のイメージが連続していくなかで、都会の人々の無意識の欲望と願望が、写真の連続(映画)として立ち上がってきます(ベルリン交響曲)
 夢を、映像と音と音楽で実現したのが、映画です。引用と引用の集積を読み進めながら、近代の無意識を1つの夢として顕在化させるのは詩人です。あるいは、それはベンヤミンの最晩年の「歴史の概念のために」という文章において、巨大化する瓦礫の山(切断された物の集積)のなかに破局をみいだす「新しい天使」でもあります。
 遊歩者=詩人=歴史の天使。
 現代とは、切断された(そのことで隠された意味(無意識)を意識することが可能となった)断片の集積から、時代の無意識(夢)を、あらわとする(映画的)思考が、指導的な思想となる時代です。

 ベンヤミンの思想の皮肉な実現
 ベンヤミンが映画的思考とでもいうべきものに期待していたのに対して、映画的思考は皮肉な帰結をもたらしました。
 
 ナチズム 映画国家  
 ドイツのナチズムは、映画を利用することで政権を獲得し、かつ維持しようとしました。
 政治には、古来、行政と祭り事(政)の2つの顔がありました。祭り事としての政治をおこなう国家を「劇場国家」と呼びます。
 それにたいして、ナチズムは敗戦の直前まで映画を製作し続けました。それは、政権自体が、一種、映画のような、映像的英雄ドラマによる大衆動員だったからです。
 宣伝省という省までもうけて、それはドイツ民族(アーリア人)の幻想をかきたて大衆を先導し動員しました。ユダヤ人やロマ人や障害者・同性愛者を収容所に閉じ込め大量死させ、奪った財産を大衆にばらまくことで支持を得ていきました。
 映画の製作所はしばしば「夢工場」と呼ばれます。ナチズムは夢工場としての政権でした。しかしそれは抑圧され殺された者にとって悪夢の工場でしかなかったのです。
 レニ・リーフェンシュタール 
ナチズムの映画製作に積極的に協力したのがレニ・リーフェンシュタールです。彼女は
『意志の勝利』でニュールンベルグのナチス党大会を、『民族の祭典』で、ベルリン・オリンピック記録映画を監督しました。映像の断片を編集(モンタージュ)することで、偉大なるヒットラーとその党とドイツ第三帝国の栄光を描いたのです。

 ボルタンスキーの作品
 収容所に強制連行され殺された少年・少女の写真や、死者たちの遺品としての衣服などを集め、それを配置し設置することで、彼らがたどった過酷な運命を立ち上がらせようとする作品を作り続けているのが、フランスのユダヤ人芸術家クリスチャン・ボルタンスキーです。もともとは学校の写真などから切り取られ、そのうえで集められた写真の集積や、もともとはそれを着ていた人たちから引き離された衣服や遺品の集積を見ることで、私たちは、集められ連行され殺されていった少年・少女たちや人々のその後の過酷な運命を、知ることに成るのです。
 ベンヤミンの手法は、皮肉にも彼をも死に追いやったナチズムの歴史を浮かび上がらせるのにもっとも効果的なものとなったのです。
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クリスチャン・ボルタンスキー「プリム祭」1990年
白黒写真、金属製引出し、白布、電気スタンド



 ゼーバルト『土星の輪』
 ベンヤミンの手法を小説の形で写真などを多用しながら推し進めていたのが、ゼーバルトという小説家でした。彼の『土星の輪』という旅行記は、イギリスの東海岸のさびれた海岸線をめぐるものです。
 今はさびれたイギリス南東部の海岸をたどり歩く<私>。
 この南東部の海岸は、いわばヨーロッパ大陸に貼り付けられはがされたガムテープのようなものです。大陸に起きた汚行・破壊のかけらが、この海岸に張り付いています。つまり、この地方は、世界の破壊と残虐の歴史を写し取ったネガのようなものです。この細分化されたかけらは、かけらの集積ではあるが、土星の環が土星の重力を示すように、ひとつの環をつくっています。かけらの形をとった痕跡をひとつづつたどることで、そこから、人間の犯してきた残虐と汚行の歴史が、土星の環のように形あるものとして、<私>(痕跡を読む者)のまえに立ち現れてくるのです。
「痛みの痕跡」は無数の細かい線となって歴史を貫いている(ゼーバルト)。写真というのも光の痕跡にほかなりません。写真という光の痕跡を多用しながら、痛みの痕跡をたどり、歴史の隠れた像を浮かび上がらせる。ベンヤミンの手法を使うゼーバルトの小説も、ベンヤミンとその民族(ユダヤ人)を追いやった過酷な歴史を浮かび上がらせるものとなったいるのです。

NHK 『映像の世紀』
 映像の断片から20世紀前半の歴史と社会の全体像を浮かび上がらせる
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by takumi429 | 2016-06-30 20:59 | 社会環境論 | Comments(0)
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