8. 規律化と臣民化としての近代 --- フーコー・アルチュセール ---  

8. 規律化と臣民化としての近代 --- フーコー・アルチュセール ---
 
 今回の講義は、社会が、人びとが規律の下に管理・監督される、いわば一種の収容所のようなものとして現れる、ということをあつかいたいと思います。まずはその例として独表現主義の有名な映画『カリガリ博士』の改訂をめぐる話から始めましょう。

『カリガリ博士』:全社会の収容所化
 
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『カリガリ博士』(Das Kabinett des Doktor Caligari1920年)

 この映画のもともとのあらすじは以下のようなものでした。
 見せ物小屋で催眠術をつかって眠り男を操る怪しい老人。町にその見せ物小屋が現れるとおなじく、夜な夜な連続殺人が起きる。主人公フランシスはそれが見せ物小屋の老人の仕業であることをつきとめ、老人を追って彼が逃げ込んだ精神病院を訪れる。そこで彼は、殺人をかさねていた老人がまさにその精神病院の院長、カリガリ博士そのひとであることを知る。院長カリガリは催眠術をかけた眠り男ツェザーレをつかって次々に殺人を重ねていたのである。フランシスの活躍によりカリガリは捕まる。
 しかし映画化にあたって、この話はすべて狂人フランシスの夢物語であった、というふうに改められました。彼の話にでてきた町の人びとというのは、じつは、ヒロインをふくめて、すべてラストで精神病院の中庭に患者として登場してきます。そしてそこへ、何かを企てているような病院長カリガリ博士が登場して、映画は終わるのです。

 クラカウアー(Siegfried Kracauer1889-66年)はその著『カリガリからヒットラー』で、この改訂は、脚本が本来が持っていた権力批判を薄めた改悪であるとしました。以来、日本ではその解釈が一般となっています。
しかし、この改訂は、いわゆる「夢オチ」(…というのは夢でした、という結末の付け方。先鋭的な話、奇妙な話、不整合な話も、すべて「夢」だったということでけりがつけられる)をつかった批判を弱めたもの、というだけではないように私には思えます。とくに正常だったと思っていた登場人物たちが、精神病院の中庭に、気がふれたありさまで現れるシーンのインパクトは無視しがたいものです。
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 元の脚本は、扇動し裏から暴力を起こしながらそれを治めるふりをするという権力への批判とも読めるものでした。それがこの改訂で、私たちの社会全体がじつは、精神病院のような収容所であって、「正常」と思っている私たちはじつはそのなかに収容されている。そして異常と正常を分かつのはカリガリ博士によって体現された「知」であり、それは1つの権力として私たちを支配しているのだ、というふうにみえてくるのです。
 社会全体がひとつの精神病院となり、私たちはそこに収容された囚人となる。そこでは精神医学という専門家の知識が権力をもつことになる。
 今回とりあげる、ミッシェル・フーコー(Michel Foucault 1926-84)の描く近代とは、まさにこうした、知識によって管理された、一種の収容所のごとき世界です。フーコーがこうした近代世界のとらえかたを全面的に展開するのは『監獄の誕生 --- 監視と処罰 --- 』(1975)以降ですが、この本を読む前にまず補助線として、デュルケームの『社会分業論』を読んでみることにしましょう。

 デュルケーム『社会分業論』(1893)
あらすじ
 近代以前の社会は、同質性・類似性にもとづく連帯、すなわち「機械的連帯」を基本としていました。ですから、同質性からの逸脱に対して、体罰を与えたり成員としての資格を剥奪をしました。その結果、近代以前の社会では、行為者当人に課せられる苦痛、地位引き下げを本質とする「抑圧的制裁」を伴う法規が中心でした。
 ところが近代になると、社会は、社会的分業(労働が社会のさまざまな生産分野に専門化することによってつくりだされる社会経済的編成)による連帯、すなわち「有機的連帯」を基本とするようになります。逸脱はその社会分業関係の破綻をもたらします。だから逸脱にたいする対応は、分業関係、つまり人や物の関係、の修復をめざすようになります。その結果、諸事物を原状に回復し、阻害された関係の修復をめざす「復原的制裁」を伴う法規が主流となったのです。
 つまり前近代から近代への移行は、「機械的連帯」から「有機的連帯」への移行であり、
それは法体系のおける「抑圧的法律」から「復原的法律」への移行と対応しているのです。

 このデュルケームの考えを、(フーコーをふまえつつ)すこし読みかえてみましょう。
 近代以前の共同体社会では逸脱には共同体の怒りと排斥が向けられました。しかし逸脱者たちは共同体のはざまにあって、ある意味で共同体と共存していました。逸脱者は共同体へ影響をおよぼしうる、時には危険な、しかし時には有益な存在としてありました。
 近代となって逸脱者への対応はより巧妙になりました。逸脱した者は排除されるのでなく、おもてむき、社会へ回復することになります。社会は逸脱者を自己のうちに回収することで、逸脱者を無害なものとします。社会は逸脱者を「更生」・「治療」と称しつつ自分の管理下に集めるのです。社会はもはや逸脱者から脅かされることもなければ、そこから学ぶこともありません。こうして社会にとって危険な逸脱者(犯罪者と精神病患者など)は、排除されるのではなく、社会の内に、しかしその周辺に集められ、包み込まれて無害なものとされるのです。社会はその外部をみずからの内にとりこんだのです。

 では、フーコーの『監獄の誕生』を読んでいくことにしましょう。

 フーコー『監獄の誕生 --- 監視と処罰 ---』(1975)
「第1部 身体刑 第1章 受刑者の身体」
この本の冒頭で、フーコーは、2つの身体への刑罰のありさまを描き、それを対比させます。すなわち、(A)国王ルイ15世の殺害を企ててダミアンへの凄惨な八つ裂き刑(1757年執行)と、(B)4分の3世紀あとの「パリ少年感化院」での規律正しい日課規則、です。そのうえで、次のような問題提起をします。つまり、前者(A)から後者(B) への移行はいかにして生じたか、またそれはどんな意味があるのか、と。
「第2章 身体刑の華々しさ」
(A)にみられたように、かつて身体刑は華々しいものでした。なぜならそれはつぎのようなはたらきをもっていたからです。すなわち、(1) 尋問のための拷問(拷問された身体が真理を生み出す)、(2) 刑罰としての拷問(王の権力が身体の上に見える形で刻まれる)、(3) 祭典としての身体刑(犯罪によって傷つけられた王権を再興するための報復の儀式として身体への刑罰が執行される)、最後に(4) 観客としての公衆(処刑は公衆の前でおこなわれ、そのためそれはお祭り騒ぎとなり、しばしば罪人は英雄に転化しました)。

「第2部 処罰 第1章 一般化される処罰」
18世紀になって身体刑の廃止と処罰の人間化が叫ばれるようになりました。王権から資本主義への移行は、君主による報復としての処罰から社会擁護のための処罰への変化をもたらしたのです。
「第2章 処罰のおだやかさ」
処罰は(1)王権に依拠した処罰(受刑者の身体に報復の烙印を押す祭式)から(2)個人をふたたび法の主体として立ち直らせるための処罰、さらに(3)受刑者の身体の訓育としての処罰へと、変わっていったのです。
 つまり直接的な身体刑ではないが、身体には働きかける監獄というものを使った懲罰が優勢となったのです。その理由には背景としての社会全般の規律化という事態があるのです。
「第3部 規律・訓練」
ここで、フーコーは、直接的な身体刑から監獄への移行の背景として社会全般の規律化の歴史をたどります。
「第1章 従順な身体」
17世紀から19世紀(いわゆる「古典主義時代」)に、権力の対象としての身体が発見されました。従順な身体を養成する必要がうまれ、とりわけ学校・施寮院・軍隊において規律=訓練が発達しました。
 規律=訓練は、人を「独房」に入れ、「座席」させ、それを「序列」づけていくという、組織化をすることで、建築的・機能的・階層秩序的な空間を創りだし、そこに人間を配分します。そして、人間の活動を体系化し、段階的なものにして、それらを相互に組み合わせます。

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フレーヌ監獄での行動でのアルコール中毒の害悪に関する講演
『監獄の誕生』図版28


「第2章 良き訓育の手段」
こうして、規律=訓練が個々人を「作り出す」ようになります。訓育の手段には(1)プラミッド状の階層秩序なす監視、(2)規格化をおこなう制裁、と、この両者を結びつける(3)試験、とがあります。
「第3章 一望監視方式」
癩病患者の隔離(「大いなる閉じ込め」)とペスト流行の対する規律図式による取り締まりの結果、19世紀、排除された空間に対して、規律的な権力技術が適用されました。
排除された異常者にたいする規律=訓練の装置として、もっとも典型的なのは、ベンサム(Jeremy Bentham1748-1832 イギリスの哲学者・経済学者・法学者)の考案した「一望監視施設」(パノプティコン)でした。フーコーはこの「一望監視施設」という装置に近代の規律的権力技術の典型を見出します。
 一望監視施設というのは、中央に監視塔を置き、そこからすべての囚人の様子がみえるように円形に囚人たちの独房を配置する刑務所のつくりをいいます。囚人たちは中央の監視塔からたえず監視されています(正確に言うと、囚人からは監視塔の様子は見えないのに囚人の方は監視塔からは丸見えなので、囚人は絶えず監視を意識せざるを得ないのです)。

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J.ベンサム作、一望監視施設の設計図(『ジェレミー・ベンサム著作集』より)
『監獄の誕生』図版17
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      N・アルー=ロマン『懲治監獄の計画』『監獄の誕生』図版21
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アメリカ合衆国、ステイトヴィル懲治監獄の内部 『監獄の誕生』図版25
 ここでは権力は、見せる権力ではなく見る権力に変わっています。また受刑者はたえず監視されていることを意識することで監視(権力)の目を内面化します。この装置に入れられば、自動的に監視は意識され、権力は自動化されますし、また誰が監視しているかわかないけど誰が監視しようと同じことなので、権力が没個人化されることになります。
 この権力装置のあり方は、(受刑者などの)例外者から一般の者へ適用されるようになりました。すなわち、監獄だけでなく、さまざまな機構(工場、学校、兵舎、病院)に用いられるようになり、さらにそれらの機構は国家によって管理されるようになりました。(天安門広場に乱立する監視カメラはその典型例でしょう)。まさに現代は監視の社会となったのです。
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2.1666年、ルイ14世がおこなった第1回閲兵式の記念碑
3/4 P・ジファール『フランスの兵術』(1696)
図版3「銃を支えて安め」図版4「火縄をとれ」『監獄の誕生』図版2・3・4

 一望監視装置に代表される規律=訓練のあり方は、学校教育にも広がり、教師は教壇から生徒を見下ろし、また、生徒たちに「きちんとした」所作(しょさ)を叩き込みます。おかげで、資本主義は、最低のコストで、訓練され基準化された身体を手に入れることができるようになったのです。
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「第4部 監獄 第1章 『完全で厳格な制度』」
こうして社会全般の規律化を見た後、フーコーは、刑罰の世界に記述をもどします。
社会全般の規律化を背景して、監獄は、個人を監禁することで、孤立化させ、強制労働によって矯正し、その態度によって刑期と待遇を調節することで、更正をうながすものとなりました。

『監獄の誕生』図版10・11
「第2章 違法行為と非行生」
刑法は犯罪者をその違法行為においてとらえますが、監獄の技術は囚人をその生活態度においてとらえます。前者では違法性が問題とされますが、後者ではその非行生が問題とされます。刑法の建前では、監獄は犯罪者を更正させることになっています。しかし実際には監獄はその特殊な環境によってむしろ「非行者」を生み出し、あらゆる違法行為の可能性を持つ者として社会に循環させているのです。それゆえ、監獄制度の真の意義は、違法行為を減らし、抑制することではなく、社会の転覆や不安につながるような犯罪の可能性を「非行性」として管理し安全なものとして閉じ込めることにあるのです。
[それはちょうど、精神病院のありかたに似ています。精神病院はたてまえとしては精神病患者の治療をするためにあります。しかし患者を閉じ込めることでかえって患者の社会への不適合を生み出してしまいます。実際には精神病院は、社会不安を引き起こす者たちの閉じ込めと管理をしているというべきでしょう]。
「第3章 監禁的なるもの」
監禁的なるものの社会全般への浸透しています。すなわち、平準化、危険分子の囲い込み、規律=訓練的権力の普遍化、権力による規格化の推進、試験のかたちに適合した知のあり方、監獄的な権力にたいする抵抗の難しさ、が広がりつつあるのです。
 
 こうして私たちは最初にみた、(A)ダミアンへの凄惨な八つ裂き刑から、(B)「パリ少年感化院」での規律正しい日課規則、への移行の背後には、監禁的なるものの社会全般への浸透、すなわち、社会全般の規律=訓練化があること、を私たちは知ったのです。

 ではこうした社会全般の規律化が進むと、人びとは、型にはめられたために、いじけた弱々しいものになりはしないでしょうか。じつはそうではないのです。そのことに答えてくれるのが、その後に書かれたフーコーの『性の歴史第1巻 知への意志』です。

 『性の歴史』「第1巻 知への意志」(1976)
 抑圧説
 古典主義の時代から19世紀にかけて[性にたいする]抑圧の時代があったという仮説があります。しかし実際には16世紀のなかばと19世紀の初頭を画期として、性についての言説ディスクール(discours言語による表現)の絶え間ない「増殖」がみられます。前段階では、教会における告白(懺悔)でいっぱい性的なことが語られ、後段階では、性についての性科学などの医学的テクノロジーの出現によっていっぱい性について語られることになったのです。性は秘されたものという形をとりながら、じつはたえずそれについて語るように、懺悔や性科学によって、命じられていたのです。すなわち、性について知ろうとする「知への意志」が一貫して現在まで貫かれているです。「真実の性を語れ」(「懺悔せよ!」とか「ほんとうのことをおっしゃい!」)という命令が、「性の本質」「性の真理」なるもの(「じつはぼく…しちゃいました」「私、ほんとうは…したいと思っているんです」などなどの「真実」)を一種の「虚像」として成立させているのです。
 
 性的欲望の装置
 この「増殖」は19世紀のブルジョワジーが自分たちを対象とする形ではじえまり社会全般に普及しました。それは別の言い方をすれば、「性的欲望の装置(しかけ)」が「婚姻の装置(しかけ)」を凌駕し、「性的欲望のしかけ」が「婚姻というしかけ」を覆っていくことにほかなりません。「婚姻の装置」とは親族関係を固定し展開する、名と財産のシステムであり、「生殖=再生産」をその重要な要素としてもっています。それに対して、「性的欲望の装置」とは、快楽をつうじて流動的かつ多形的かつ状況な技術で身体を刷新し、併合し、発明し、貫いていくこと、そうして人びとをますます統括的なかたちで管理していくそうして社会的なしかけ(装置)なのです。
 性的欲望の装置が婚姻の装置を支配するようになったことで、女の体のヒステリー化、子供の性の教育化、生殖行為の社会的管理化、倒錯的快楽の精神医学への組み込みなど、新しい戦略はすべて「家族」を通じて成立するようになった。
 
 死にたいする権力と性にたいする権力
 「婚姻装置」と「性的欲望の装置」の対立は、それが結びついている権力のあり方の違いでもあります
 「婚姻装置」と結びついていたのは、法による禁止(「してはいけない」という否定)に基づく権力のあり方です。この権力は、王などの人格を中心とした、死刑を最終的な手段とするような権力であった。いわば「死にたいする権力」と言ってよいでしょう。
 それに対して、「性的欲望の装置」が結びついているのは、あくまでも「生」を管理・経営していこうとする権力のあり方です。この権力は、禁止ではなく、そそのかし、管理し介入していくような、匿名の権力なのです。
 この「生にたいする権力」には2つの主要な形態がある、とフーコーはいいます。
 まずひとつは、『監獄の誕生』ですでにみた、17世紀にはじまる、人間の身体を規律によって訓練していく「人間の身体の解剖―政治学」です。
 もうひとつは、18世紀なかばに形成された、生命への介入と管理、すなわち「人口の生-政治学」です。(たとえば、あらゆる生活を医療が支配し、医療の観点から生活が評価される「医療化」という事態があります。そこでは「健康のために運動し健康ためによい食事をし健康のために結婚する(?)」とかいう言い回しが流布し疑問にも思われなくなってきます)。
 権力が私たちの生(いのち)を組織化していくとき、この身体を規律し、人口を調節するというは、生にたいする権力の組織化が展開する2つの方向です。性というのは、まさにこの身体の生と種の生の、両方の手がかりであるために、この2つ「生にたいする権力」の組織化の対象となるのです。
 
 ここで、フーコーは、私たちの生(いのち)そのものを支配の対象とする「生-権力」(bio-power)という画期的な考えを提起しました。
 ではこの生に対する権力はどこからきたのでしょうか。

 「主体と権力」(1982)(『思想』№718)(権力の系譜学)
こうした生にたいする権力はどこから来たのか。フーコーはそれは、キリスト教会における告白(懺悔)に由来する、といいます。教会に来た信者が牧師や司祭にみずからの罪を告白すること、つまり懺悔、ここに生-権力の起源があるというのです。この権力をフーコーは「牧人=司祭型権力」と呼びます。
 「牧人=司祭型権力」とは、牧人(羊飼い)が羊の群の一頭一頭に心を配るように、各個人をその内面からとらえ、たえず監視しているような権力のあり方です。この権力のあり方は、キリスト教の教会での告白(懺悔)を原型として、「近代国家」へと継承されました。この権力は、上から個人を抑圧するのではなく、むしろ下から、すなわち個人に内面を語らせて、それを教え導くことで、個人を主体(subject臣民)として確立=服従さて、支配の関係のなかへ自発的に巻き込ませるのです。
 
 こうして、欲望を抑圧するのでなく、喚起しそれをまとめ上げることで成立する権力のあり方というものがみえてきました。
 こうした抑圧ではなく、そそのかし喚起し、そのうえでそれをまとめあげる、そうした権力のあり方については、フーコーは高等師範学校(大学教員養成校)での先生であった、アルチュセール(Louis Pierre Althusser,1918-90)に大きな影響をうけています。最後にこのアルチュセールのもっとも影響力のあった論文をみておきましょう。
 
 『イデオロギーーと国家イデオロギー装置』(1970)  
 この論文で、アルチュセールは生産関係の再生産はどのように達成されるのか、と問うています。
 労働者にはいつまでも労働者であり続けさせ、さらにその子どもの労働者となるようにさせる。同様に、農民には農民であり続けさせ、その子どもたちにも同じく農民とならせる。同様に、鉱夫には鉱夫であり続けさせ、その子どもも鉱夫となりつづけさせる・・・。搾取され割が合わない仕事でも、それでもその仕事を続ける、そういう気にどうやったらなるようにできるのか。割り当が合わないからやめる、という人間の頭を叩いて強制的にやらせるというのは、もっとも効率のわるい支配の仕方です。たえず銃剣で背中をつつくような権力、つまりむき出しの暴力による支配体制の維持は、維持するための暴力をさらに維持するため、ぼうだいな人材と費用とエネルギーを必要とし、結果体制を維持できなくなってしまうからです。
 持続可能な体制はつねに、人びとに、支配集団の利害を正当化するのに都合のよい、共有された理念ないし確信を、植え付けさせます。これを「イデオロギー」と呼びます。
 俺は親も先祖もずっと労働者だったから、俺も労働者だ。これも立派なしごとだ。おやじも爺さんも炭鉱夫だった、俺もこの仕事に誇りをもってやっている。先祖代々、この土地を耕してきたし、これからも息子たちがそれをしてくれるだろう、・・・。
 体制をささえる生産関係をすすんで形成すような主体(人間)をくりかえし生み出す(再生産する)、つまりイデオロギーを人びとにうえつけ、子どもたちにもそれを継承させるような、そういった場所があるのです。そういう場所のことを、アルチュセールは「国家イデオロギー装置」と呼びました。
 具体的には、それは、政治であり、宗教であり、法律であり、家庭であり、さらに学校やマスメディア、文化も、そうしたイデオロギー装置なのです。
 とりわけ、学校が、子どもたちに国家を枠組みとした現状の体制と生産関係を、「いいものだ」、「正しいものだ」と思い込ませて、すすんでそのなかの成員へとなっていくようにするという働きを持っている、しかも、学校教育のなかで、エリートと非エリート、資本家と労働者と職人・農民などの仕分けがなされ、人材の配分がなされていく、ということを指摘したのは、青ざめるほどのあざやかなものでした。
 こうしたイデオロギー装置を指摘した後で、アルチュセールは、イデオロギーそのもののありようの根幹を、西洋文明の起源である旧約聖書の思想にもとめていきます。
 旧約聖書の世界において、神は人を呼びかけて答えさせることで人を主体(subject「臣民」という意味もある)にするものでした(すなわち、これがヴェーバーが問題とした神からの召命(呼びかけBeruf)です)。この神からの呼びかけに答えることで、自らを確固たる主体となるという、西洋文明特有の自我のあり方は、神からの呼びかけでそれを自分ことだと思い込んでしまう(誤認してしまう)ということにほかならならないのだ、とアルチュセールは言うのです。そしてそれこそが、国家体制のもといままでと同じ働き手となって生産関係を再生産させる欺瞞(イデオロギー)の根幹にある欺瞞(錯誤)なのだという言うのです。

 規律化と臣民化としての近代 
 フーコーは近代という時代が、規律化の進展していく時代であることを明らかにしました。しかし、それはたんに人びとを規制しているのではなく、個人に呼びかけることで彼らを主体(臣民)とし、その欲望を喚起し巻き込みながら管理していく、そういう権力が作動している時代なのです。 
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by takumi429 | 2016-06-24 12:00 | 社会学史 | Comments(0)
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