8.ナショナリズムとしての近代

8.ナショナリズムとしての近代社会

18世紀から21世紀の今日にいたるまで、ナショナリズムの時代であると言えます。
ナショナリズムとは「政治的な単位と民族的(文化的)単位とが一致すべきだとする政治的原理」です(ゲルナー)。
 たとえば、日本語を話す文化的なまとまりがそのまま「日本国」という政治的なまとまりをなしている日本という国家は、まさにナショナリズムを体現しているわけですし、朝鮮語を話す文化をもつ人びとが、朝鮮人民共和国(北朝鮮)と大韓民国(韓国)とに分裂しているのはまちがっている、なんとしても統一されるべきだ、というのは、朝鮮のナショナリズムなわけです。
 このように文化的なまとまりを「民族」nationとよび、そのまとまりが国民となって、ひとつの国家stateを形成しているとき、それを「国民国家」nation-stateとよびます。
「民族」と呼ぶと、古来からあったもののように思えるが、それは国民国家を形成する過程で、形成するのに都合の良いものを、綿々と続いたもののであるように、過去に投影したものにすぎない、ナショナリズムはあくまでも近代のものだ、とする考え方を、ナショナリズム論では「近代主義アプローチ」と呼びます。
 近代主義アプローチのナショナリズム論の2つの古典が、同じ1983年に発表されました。
 アーネスト・ゲルナーの『民族とナショナリズム』と、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』がそれです。

ゲルナー『民族とナショナリズム』
ゲルナーは、ナショナリズムをもたらしたのは、産業化だと考えています。
彼は人類の歴史を、前農耕社会、農耕社会、産業社会、3段階にわけます。
農耕社会において、はじめて、国家と文字が発明されます。社会は、支配層と農民とに分けられます。支配層は社会を横断的に支配しています。この支配層には、政治的な権力をもつ者と、読み書きの能力をもつ高文化の知識人、とがおり、両者は必ずしも一致はしません。この横断的な横断的な支配階層の下、農民は分断された農耕民共同体のなかにいます。彼らはその共同体のなかで暮らすために、読み書きの能力もそれを基礎とした高い文化も必要とはしていません。
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 ところが、産業社会に移行すると、社会的流動性が高まります。ひとびとはさまざまな場所と位置に移動することになり、そこでは知らない者同士がコミュニケーションをとれなくては仕事になりません。そのため、読み書き能力を中核とする高文化を社会の全メンバーが習得する必要が生まれます。それまでの教育は「実地教育方式」(見よう見まねで学ぶ)でした。それに対して産業社会では「集中方式(族外教育)」子どもを集めて集中的に教育する。こうした教育は国家しか担えないものです。結果、「国家がおおう政治的領域が、読み書き能力を基礎とした同質の高文化が流通している範囲とちょうど合致することをもとめる政治原理、ナショナリズムが、成立することになる」(大澤2006.p.267)
 ゲルナーはさらに、社会のありようを、権力者/非権力者、教育の機会がある/ない、文化的に同質/異質、軸をつかって、①権力者と非権力者の文化が同質か、あるいは異質か、②教育の機会があるか、あるいは、ないか、で分類します。
 ゲルナーによれば、ナショナリズムがうまれるのは次の3つ類型です。
Ⅰ古典的な西洋ナショナリズム。ここでは、権力者と非権力者の文化が異質で、しかも権力者だけでなく非権力者にも教育の機会があります。たとえば、統一前のドイツやイタリアは、各地を支配する支配者は、地元の人間ではなく、フランスやオースストリアなど別のところからの支配者でした。しかし政治的には分裂していても、ドイツ語やイタリア語という共通語によって高い文化があり、一般大衆はそれを学ぶことができました。その結果、外国支配を排除して「ドイツ人」・「イタリア人」という名の下に、国民を統一して国家を作ることが出来ました。
Ⅱ東欧型ナショナリズム。ここでは、権力者と非権力者の文化が異質で、しかも非権力者には教育の機会がありません。そのため、非権力者の文化を高文化へと練り上げ(捏造)していかなくてはいけない。東欧やバルカン半島などでみられたナショナリズムはこれだとゲルナーはいいます。
さらにこの分類から発見されるのが、
Ⅲディアスポラ(離散)・ナショナリズムです。ここでは、権力者と非権力者の文化が異質で、しかも権力者は教育の機会がとぼしく、非権力者がむしろ教育の機会をもっています。具体的には、世界のさまざまな帝国で、金融を独占的に担いながらも、卑しめられていたユダヤ人がこれにもっとも当てはまります。彼らは、所属していた国を出て、独自の国「イスラエル」を建国しようとしました。

ゲルナーはナショナリズムが産業化の結果であり、産業社会へ適合するために、読み書きできる高い文化とその習得が求められ、その単位として国家と文化とが一致させられるしました。しばしばナショナリズムが標榜する「伝統」や「民族」というのはこうした要請に答えるために過去からもちだされたあと付けのものでしかありません。
ゲルナーの近代主義的なアプローチをさらに展開しているのが、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』です。

アンダーソン『想像の共同体』
この本の冒頭でアンダーソンは次のように言います。
「わたしの理論的出発点は、ナショナリティ、あるいはこの言葉が多義的であることからすれば、国民を構成することと言ってもよいが、それがナショナリズム[国民主義]と共に、特殊な文化的人造物であるということである。・・・ナショナリティ、ナショナリズムといった人造物は、個々別々の歴史的諸力が複雑に『交叉』するなかで、十八世紀末にいたっておのずと蒸留されて創り出され、しかし、ひとたび創り出されると、『モジュール』[規格化され独自の機能をもつ交換可能な構成要素]となって、多かれ少なかれ自覚的に、きわめて多様な社会的土壌に移植できるようになり、こうして、これまたきわめて多様な、政治的、イデオロギー的パターンと合体し、またこれに合体されていったのだと。そしてまた、この文化的人造物が、これほど深い愛着を人々に引き起こしてきたのはなぜか、これが以下においてわたしの論じたいと思うことである。」(14-5頁)
 アンダーソンによれば、「国民」とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体です。たとえば、ナショナリズムの祭典であるオリンピックで活躍する選手を、メディアによって知った他の国民はまるで選手を自分の親戚か知り合いであるかのように語ります(「柔ちゃん」とか「真央ちゃん」とか)。
そして、ナショナリズムは宗教的想像力が衰退した今日において、唯一、死を説明するものになっており、偶然を宿命に転じる力をもっている、といいます。たとえば、たまたま日本国に生まれ育ったために戦争で死んだ人間は、「お国のために死んだ英霊」として靖国神社に祀られるわけです。
 ところで、過去において、そうした働きをもっていた文化システムは、宗教共同体と王国でした。そこでアンダーソンは、この宗教共同体と王国を分析します。
「宗教共同体」とは、キリスト教カトリック教会に属する人びと、イスラーム教を信じ、毎日メッカに向かって礼拝し、一生のうち一度はメッカに巡礼する人びと、さらに、漢字を使用し中華思想を信奉する人びとたちをさします。そこでは「真実語」とよばれる、「真理」を語る言葉がきまっています。すなわち、カトリックではラテン語、イスラーム教ではアラビア語、漢字文化圏のおいては、中国語(北京官話)です。おのおの共同体は、この真実語によって結ばれた求心的・階序的秩序をなしています。
「王国」というのは王がいる居城から周辺にいくほど主権はあせ、境界が不明瞭となります。歴史地図では私たちは境界線のはっきりした王国を見るため、そうした袋のような輪郭のはっきりした王国をイメージしがちですが、実際には辺境にいけばいくほど、王権の力はよわく、そこがどの王国に属しているのかはあいまいでかつ流動的なものでしかありません。
 この宗教的共同体において、人びとは宗教のお話を、壁画や絵画などの視覚芸術と、説教や物語の聴覚的芸術によって、見たり聞いたりしていました。宗教的な出来事は昔のことでも未来(終末)のことでも、いま、そこに目に見え耳に聞こえる形であらわれるのです。たとえば、救世主(メシア)の登場は、その誕生が紀元元年の過去の話でもあり、その救済はその未来(終末)におけるものでありながら、見聞きする者にとって、今まさにここで、現れてあることでした。こうした過去と未来が現在において同時に出現するという形の、「メシア的時間」(即時的現在のおける過去と未来の同時性)が支配したのです。
 ところが18世紀ヨーロッパにおいて、小説と新聞が生まれることで、これとは全く異なる、「均質で空虚な時間」が生まれます。小説と新聞のもつ時間性では、登場人物、著者と読者、すべてを包括して暦の時間に沿って進んで行く、そうした単一の共同体が想定されます。まず小説の構造というのは、「均質で空虚な時間」における同時性の提示です。たとえば、男Aと女Bが夫婦で、男Aには愛人Cいて、その愛人Cには別に情夫Dいるというありふれた小説の場合、
時間Ⅰ
事件 AとBが口論する。 (この間(同時に)) CとDが情事をする。
時間Ⅱ
事件 AがCに電話する。(この間に)、Bは買い物する。(この間に)Dは玉突をする。
時間Ⅲ
事件 Dがバーで酔っ払う。(この間に)AとBは家で食事する。(この間に)Cは不吉な夢をみる。
この時間連鎖のなかで、いちども男Aと情夫Dは出会わないにもかかわらず、同じ社会のなかで共存し関連しあっています。
 また新聞は、その日に起こったさまざまなことがら(選挙、交通事故、催し物などなど)を一挙に紙面として提示します。結果、その紙面にあることが、ひとつの社会で同時に起きている事がらとして読者は意識するようになります。
こうして「十八世紀ヨーロッパにはじめて開花した二つに想像の様式、小説と新聞・・・これらの様式こそ国民という想像の共同体の性質を「表示」する技術的手段を提示した・・・」[44頁] のです。
 古来、三つの基本的文化概念が支配していました。その三つの基本的文化概念とは、
1)特定の手写本(聖典)語だけが真理への特権的手段を提供する
2)社会が高き中央のもとに自然に組織されている[という空間概念]
3)宇宙論と歴史との区別不能による、世界と人との起源は本質的に同一であるとの時間概念
 出版(資本主義)の発達により、古来の三つの基本的文化概念の支配力の低下します。そして、水平・世俗的で時間・横断的なタイプの共同体が想像される可能性がうまれました。

 ではそうした共同体のなかで、なぜ「国民」だけがかくもポピュラーとなったのでしょうか。

 国民意識の起源
 かつてヨーロッパでは共通語の働きをしていたのは、ラテン語でした。しかしそれはわずかな僧侶たちの秘儀と化してしまい一般大衆の共通のものとはなりませんでした。
 そこへ宗教改革が起こり、ルッター訳聖書などのベストセラー出現します。ラテン語ではない、大衆の言葉(俗語)による書籍が出版され流通します。たとえば、ルターはドイツの大衆が話す言葉からひとつの言葉を編み出してそれでラテン語の聖書を翻訳しました。その翻訳語が流通して「ドイツ語」となったのです。またイタリアではダンテがトスカーナ地方、とくにフィレンチェで使われていた言葉で『神曲』を書き、それがイタリア全土で読まれることで、この一地方の方言は「イタリア語」となりました。
 またそれぞれの宮廷では行政のためにラテン語ではない俗語を使用しており、それが国家が発展すると行政語としての地位をえました。どの言葉が行政語となるのかはまったくの偶然でした、ひとたびある言葉が行政語となるとそれは確固たる地位を占めることになりました。
 出版資本主義によって流通することになった特定の俗語(出版語)の流通は、その言葉によって「国民」というものが想像される基盤となりました。たとえばルターの翻訳と著作の流通は、「ドイツ語」をはなす「ドイツ国民」というものを想像させることになりました。ではこの共同体を想像させる基盤のうえにどのようにナショナリズムは展開していったのでしょうか。意外なことにその端初は新大陸にあったのです。

 ナショナリズムの変遷
ナショナリズムはまず最初、「クレオール・ナショナリズム」、として生まれました。クレオール(クリオーリョ)とは、新大陸生まれのスペイン人のことです。彼らは「本国人(イベリア半島人)」(ペニンスラール)とは常に差別されており、その差別からの撤回を求める運動からやがて独立を志すようになりました。その結果、18世紀後半から19世紀初頭にかけて南アメリカ諸国に新生共和国がいくつも独立することになります。ところで、これらの国はじつはかっての行政上の単位のうえに作られました。それはなぜなのでしょうか。
 それは人びとの移動(巡礼)がその想像力に影響するからです。
 たとえば、ムスリム(イスラム教徒)のメッカへの一生うち一度は巡礼します。この移動がムスリムとしての同一性とまとまりを作っています。
(たとえば、関東では電車も人の流れもすべて東京と住まいとの間の一点集中型の往復になっています。ですから関東ではみんなが「東京人」であるかのように振る舞います。しかし、関西では三都間の交通はあまり便利ではなく人の動きも関東に比べると少ないですし、一点集中ではなくて、三股四股の往復運動です。結果、京都人、神戸人、大阪人などのまとまりとプライドが生まれますし、総称する時も「大阪人」ではなく「関西人」となります)。
 スペインの植民地支配において、行政と教会の地位はほとんど半島からきた「本国人(ペニンスラール)」が閉めており、現地で生まれた支配者クレオール(クリオーリョ)は、行政区の中を移動するだけで、もっとも出世しても行政区の首都にたどりつくだけで、本国スペインに行くことはありませんでした。しかし、このクレオールの動きこそが、彼らに行政区を想像の共同体として想像させる基礎となったのです。ぎゃくに、本国との行き帰りをしている人間は、けっして新大陸「アメリカ人」にはなれっこないのだ、我々クレオールこそが「アメリカ人」なのだという、裏返しの「誇り高き」アイデンティティをもたらしたのです。そしてその誇りが独立戦争を戦いぬき、そのために死をも厭わぬ行動の起動力となったのです。
 また新聞はその行政区である地方クレオール印刷業者 によって担われ、紙面は植民地行政の報道するため、この植民地の行政区が1つの単位として人びとに受け止められました。
 こうしたクレオール・ナショナリズムの現象は、スペインの植民地だけでなく、ポルトガルの植民地(ブラジル)でも、そしてイギリスの植民地(アメリカ)でもまったく同様でした。
 イギリスの植民地アメリカの一新聞業者だったフランクリンが独立運動の立役者でもあったのは偶然ではないのです。かれはクレオールとして劣位におかれた植民人であり、植民地アメリカを1つの単位として報道することでそれを想像の共同体として人びとに提示していた新聞人だったのですから。
 こうして、植民地行政区のなかを遍歴するクレオール役人と、その地方のクレオール印刷業者は、この行政区が、想像の共同体となるにあたって決定的な役割を演じたのです。

 俗語ナショナリズム
 新大陸での動きは旧大陸に影響をもたらしました。
まず最初に、地理上の発見によって、さまざまな人や言語があることが意識され、結果、ラテン語(真理語)の相対化がうまれました。その結果、言語学が活躍し、辞書編纂されるようになりました。結果、俗語によって地域区分されます。たとえば、イタリア語やポルトガル語と大差ないスペイン語が言語学者の活躍によって独立の言語として確立し、結果スペインという地域が確定されました。
(またたとえば、沖縄出身の言語学者、伊波普猷(いは ふゆう)は、「日琉同祖論」をとなえ、琉球の日本編入を正当化しました。言語学者の活動は国民国家の形成に重大な役割を果たすしたのです)。
 封建制から絶対王政への移行は、官僚中間層の増大をもたらしました。そこで使用される言葉に俗語(ドイツ語やイタリア語などなど)が採用されることで、俗語を読み書きできる読書人の増大するとどうじに、俗語教育(ドイツ語教育やイタリア語教育などなど)が増大します。こうして俗語言語によるまとまりが「国民(民族)」として意識されるようになると、アメリカ独立やフランス革命を「国民による国家の樹立」という、「国民国家」の枠組みで解釈するようになりました。

 公定ナショナリズム
 こうしたナショナリズムの盛り上がりにたいして、上からのナショナリズムがおこなわれました。本来ならナショナリズムに趨勢によって排除されたり周辺に 追いやられる権力集団が先手を打つことで民衆からのナショナリズムの盛り上がり応戦したのです。ここでは、国民と王国という本来なら矛盾するものが、その矛盾を隠蔽されて結合されます。
 たとえば、プロイセン王国によるドイツの統一は、辺境の地にあり、ロシアにまで食い込んでいたプロイセンという田舎の王がドイツの皇帝に化けました。またフランス語を話していたロマノフ王朝の「ロシア化け」してロシアの皇帝になりました。日本では忘れられた存在だった天皇が日本帝国の皇帝となり、さらに、その帝国は朝鮮人、台湾人、満州人を取り込みました。

 植民地ナショナリズム
 第1次世界大戦後の植民地において、「若き」現地エリートによるナショナリズムが生まれました。たとえば、ベトナム、インドネシア、アフリカの諸国。彼ら現地エリートは植民国をおこなった教育と官僚制度のなかで教育をうけエリート官僚となり、そうして独立の担い手となったのです。

 さらに、1991の増補版(『定本  想像の共同体』)では、アンダーソンは、地図や人口調査というものが、想像の共同体を生み出すことを指摘しています。


アンダーソンの手法を使ったナショナリズム研究の一例
 
「地図の上の主体――田山花袋作『田舎教師』を読む――」
(日本社会学会編『社会学評論』第49巻第1号、1997年、21-41頁)


日本自然主義文学の代表作、田山花袋の『田舎教師』には一枚の北関東の地図が添えられていた。この地図にはどんな意味があったのであろうか。
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当時、地図が担った意味を知るために、我々はいったん検定地理教科書から国定地理教科書への変遷をみてみる。検定時代の教科書は横からの視点による挿し絵が添えられ、記述も京都を出発点にしている。それに対して、国定教科書は、地形図を使って上から地域を把握し、記述も東京からはじめている。つまり教科書において、地理的な地図が、国家の上からのまなざしをもつものとして登場してきたことをうかがうことができる。
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博文館で『大日本地誌』の編集にもたずさわっていた花袋は、『田舎教師』でこのまなざしを採用したのである。彼は主人公を地図の上に置き移動させた。この操作がこの小説中の時間と空間とさらに描写を成立させている。
とくにモデルとなった青年の日記に欠落部分をうめるべく花袋が想像して書いた中田遊郭への往復の描写は、目的地までの距離、空間、風景、そこに映る主人公の影、主人公の内省、内面の欲望へと進む。花袋はこの描写を地図をみて、地図をたよりに書いている。読者が地図のうえでの主人公清三の足跡をたどることができるのは、まさに花袋自身が地図をなぞり、そこから風景を想像したからである。ここでの描写はじつは地図からの想像にうながされて生まれたものなのである。
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花袋はこの見方を日露戦争の従軍体験から得ていた。『第二軍従征日記』には陸軍司令本部もつかったであろう遼東半島に地図が添付され、その地図の上に書かれた線の上を、花袋は第二軍とともに進むのである。
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『田舎教師』では地図の上を移動するのは、花袋のかわりに主人公清三となり、地図を見下ろすのは、司令本部ではなく、作者の花袋である。国家が地理的平面の上で臣民を行軍させる、という『第二軍従征日記』の構図は、『田舎教師』では、作者が地図をつかって主人公を地理的平面の上で移動させる、という構図になっている。
 のちに戦争を描いた小説「一兵卒の死」では、主人公は「かれ」と書かれ、結末になって、ほかのだれでも同時代の日本人なら入り(代入)されうる形で、はじめて名前が明かされる。死んでいく兵士の名前に代入され得る人間が日本人であり、日本という想像の共同体をつくりあげているのである。
日本自然主義文学の代表作である田山花袋の『田舎教師』は日露戦争を遂行する国家の上からのまなざしを取り込むことでその作中の時空間を成立させている、と言える。またこの作品がもつ感動の源泉も、このまなざしがもたらす「日本国家」という(想像の)空間的なまとまりなくしてはじつは生まれなかったものなのである。この小説の巻頭に添えられた一枚の地図はこうしたまなざしの出現を示唆するものだったのである。
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by takumi429 | 2016-06-17 23:30 | 社会学史 | Comments(0)
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