10.フロンティアの喪失 アメリカ社会学史への一視角

10.フロンティアの喪失―――アメリカ社会学史への一視角
 
アメリカ社会学の歴史をどのようにとらえたらいいだろうか。本稿は、それをフロンティアの喪失という観点からとらえてみることにしよう。
                            
1.ロック:新大陸開拓の承認
 イギリスの社会契約思想家ジョン・ロックはその主著『統治二論』のなかで、「土地の持つ潜在的能力を開花させるものがその土地を占有する資格を持つ」と説いた 。
 ロックのこの主張は、新大陸開拓の植民地の指導者たちを狂喜させた。なぜならインディアンを追いやって、土地を開拓していく彼らの行為がこの説によって正当化されたからである。
 
2.スペンサーの社会進化論:弱肉強食の承認
 弱者たるインディアンを攻め滅ぼし、アフリカから奴隷を連れてきて働かせる。こうした新大陸の論理をさらに正当化するものとして現れたのが、スペンサーの社会進化論である。彼の主張によれば、社会は動物の世界と同様に、弱肉強食であり、より進化しより適応力をもったものが、不適合な者を追い越して、繁栄していくのである(適者生存suvibal of the fitest) 。

3.スペンサーの死
 パーソンズ (Talcott Parsons 1902~79)はそのはじめての著作『社会的行為の構造』(1937)の冒頭で、「スペンサーは死んだ」と述べた 。それはすなわちすでにアメリカは社会ダーウィニズムの当てはまるような、外へ向かって膨張していく、またその膨張によって社会内部の対立矛盾が解消されるような社会ではなくなったことを意味していた。
すなわちフロンティアはもはや消えたのである。

4.ホッブズ問題
 フロンティアがなくなれば、いまやきまった土地のなかでお互いが取り分を求めて競い合うことになる。ひとつのパイを取り合うように、人は互いに敵対しあう。こうした問題をパーソンズは「ホッブズ的問題」と呼んだ。
 もしひとびとが自分の利益だけにはしって行為するなら、それはホッブズが『リヴァイヤサン』で描いた「人が人にとって狼であるような状態」になってしまう。そうして状態はどうしたら避けることができるのか、つまり「諸個人が功利的に行為する場合、どうすれば社会秩序は可能となるのか?」という問題、すなわち、彼が名付けるところの「ホッブズ問題」が生じることになる。
 この問題をパーソンズはどう解決しようとしたのであろうか。
 
4.1共通価値の受容
 パーソンズはこの問題を、「共通の価値の受容」ということで解決しようとした。「人が人にとって狼であるような状態」では、ひとはおたがいの出方(行為)を探り合い、結局、「両すくみ」の状態になって、身動きできなくなってしまう。この状態をパーソンズは「ダブル・コンティンジェンシー」と呼ぶ。ひとびとがたがいに、共通の価値と、それを実現するための様式(規範)受け入れることで、この「両すくみ」の状態は克服される、そうして社会の秩序は可能となる、そうパーソンズは考えた。 
 この共通の価値と規範の受容は二つの側面をもっている。ひとつは 共通の価値・規範を各人が自らのものとすること(内面化)、もうひとつは、共通の価値・規範が具体的な社会制度のかたちをとること(制度化)、である。
 
4.2 相補的役割関係
 共通の価値の受容は、パーソンズによれば役割というものが互いに支えあっていること、むずかしく言えば、一定の役割期待の相補性が成立していることを意味する。
 『社会体系論』(1951)の冒頭の献辞で、彼は妻に、病みがたい理論病患者にとって得難い均衡をもたらした、と感謝の言葉を述べている 。
 要するに、仕事をする「ぼく」、それを支える「君」というわけである。「君作る人、ぼく食べる人」というコピーがかつてあったが、それと大差はない。ともに「家庭は大切だ」という価値観を受け入れて、そのなかで補いあう(?)ような役割分担をしているというわけである(まあ男のかってな言いぐさといわれてもしかたないようなものである)。
 パーソンズはこうしたお互いに補いあうような役割関係が社会の大系を作り上げているとみる。たとえば、医師と患者もそうした相補的な役割関係である。
 
4.3 構造-機能主義
 パーソンズの描く社会は、地位-役割の体系としての社会である。地位の構造に埋め込まれた個人がその地位にふさわしい役割を演ずることで、社会の安定は維持されるのである。社会の構造に入れられた個人が、社会の安定に寄与する機能を果たすことで、社会の構造が維持されることを考察するのが、彼の「構造-機能主義」だったのある。
 
4.4幸福な社会=アメリカ
 こうした理論の背後には、50年代、世界でもっとも成功した社会としてのアメリカがある。つまりそれは「幸福な社会の完成体」としてのアメリカがある。しかしそれがたえず、自己を肯定しその価値観を宣伝し教え込まなくてはいけない社会でもある。じつはそれはそれを裏切る造反への不安がたえず抱えている、そうした社会でもあった。
 
5.1アメリカン・ドリームの功罪
 「アメリカ・ドリーム」と呼ばれるものがある。すなわち、アメリカではあらゆる人に成功の可能性がある、というものである。だがフロンティアの喪失の後、ある者の成功は他者の失敗を意味する。成功した者は他者に追いやられないために、その手段を独占しようとする。それでも成功しようとするものはその独占をうち破るか、あるいはまともではない手段を使ってでも成功しようとする。
 パーソンズの弟子のマートンが、デュルケームのアノミー概念を改変しつつ解き明かそうとしてのは、この問題である。
 
5.2 マートンのアノミー概念
 デュルケームのアノミー概念というのは、欲望の無制限な増大による無規範な状態を意味していた。彼のとらえた近代の病根はこの無制限な欲望の増殖という現象であった。
 マートンのアノミーのとらえかたはすこしちがう。マートンによれば、ある種の社会では「成功せよ」という文化的目標がつよく強調される。しかしそれを実現するための手段は問われない。その結果、人びとはまともな方法、すなわち、社会において制度的にきちんとみとめられ、できあがった手段をとらず、手っ取り早い手段をとるようになる。こうして生まれる無規制状態をマートンは「アノミー」と呼ぶのである
 アメリカは金銭的に成功するように人びとに圧力をかけている社会である。しかしそのための手段はあまり問われないため、人びとは非合法な手段を使ってでも成功しようとする。それがアメリカン・ドリームがもたらしている、アメリカの無規制状態なのである、とうのがマートンの考えていたことである。
 
5.3アメリカン・ドリームへの対応
 マートンは、文化的な目標とそれを実現するための(まともとされ、制度的にできあがっている)手段にたいして、どのような態度をとるかによって、人びとのあり方は5つの分類できるという 。
 Ⅰの「同調」は、社会が設定する目標をまともなやり方、つまり社会が認めた手段で達成しようとする人たちのありかたである。
 Ⅱの「革新」は、同じく社会が設定する目標を求めているが、まともではないやり方でそれを手に入れようとする人びとである。たとえば、ギャングのカポネのような人間を考えればいいだろう。
 Ⅲの「儀礼主義」の人びとは、もはや社会がいう目標を達成する気などなくなっている。しかし、社会的な決まりは守っていこうという人びとである。
 Ⅳの「逃避主義」の人びとは、社会的な目標も求めてはいないし、そのための努力も放棄してしまっている人びとである。
 Ⅴの「反抗」は、社会が標榜する目標もそのための手段にも疑問をもち、あらたな価値観によるあらたな目標とそのための手段を提示する。
 
     個人の適応様式の諸類型
  適応様式     文化的目標   制度的手段
 Ⅰ 同調        +       +     +は従う
 Ⅱ 革新        +       -     -は従わず
 Ⅲ 儀礼主義      -       +     ±は従わず別のものを提示
 Ⅳ 逃避主義      -       -
 Ⅴ 反抗        ±       ±
 
 マートンがいう「反抗」とはいかなるものなのか。それを具体化するような形でアメリカで現れたのが、「カウンター・カルチャー」と呼ばれる文化運動である。
 
5.1 カウンター・カルチャー
 60年代後半から70年代前半にかけてアメリカ西海岸では、「カウンター・カルチャー」(counter culture)と呼ばれる文化的運動が起こった。「対抗文化」とか「 反体制文化」とも訳されるこの運動は 、社会の既存価値観や慣習に反抗する若者の文化・生活様式であった。60年代末期のロック・ムーブメントは基本的にこの文化運動の影響下にあったと言ってよい。
 
5.2 映画『卒業』
 この時代のムードを先取りするように現れたのが、1967年ダスティン・ホフマンが演じた『卒業』という映画である。
 主人公の青年は東海岸の大学を優秀な成績で卒業し、家族のいる西海岸の家に帰ってくる。プールつきの立派な家に帰ってきた彼は、しかしどうもそこでの生活になじめなくなっている。やがて彼は幼なじみのエレインの母親と不倫関係になります。そして仲が良さそうにみえていたエレインの両親がじつは離婚寸前であることを知る。こうして彼は、日常生活の裏側を知り、そこに入っていく」。
 彼がかつてはなじんでいた家族との生活になじめず、まるで異邦人のような気分になっていることを表すシーンにこんなのがある。優秀な成績で卒業したことを祝って、彼の父親は息子に潜水服をプレゼントする。むりやりそれを着させられた彼の目に映る情景が潜水服の中からの視線で映される。8ミリをもってはしゃいでいる父と母。主人公は潜水服着せられ、ぎこちない動きで、水中マスクごしに両親たちを見る。結局かれはプールに潜らされ、水面を見あげ、ついにはプールの底に潜水服を着て沈む。
 同じ年、「ドアーズ」(doors)というロック・バンドがアルバム『まぼろしの世界』(Strange Days)のなかの「まぼろしの世界」(People Are Strange)という曲でつぎのように歌っている(作詞ジム・モリソン)。
「きみが異邦人(stranger)であるとき、ひとびとは見慣れない奇妙なもの(strange)になる。」
https://youtu.be/XZuj_xU-x0I
 この詩で歌われたのと同じように、『卒業』の主人公はまさに異邦人の目でまわりの人びとを見、そのため日常生活を営むひとびとがまるで奇妙な存在に感じられる。
 主人公はやがて幼なじみのエレインと恋仲になるが、彼の不倫相手の母親とそれを知った父親は、急いで娘を別の男と結婚させようとする。結婚式に駆けつけた主人公は教会のガラス越しに、いままさに進行しつつある結婚式を見る。もう手遅れだ、と思った主人公は思わずガラスを手で打ち「エレイン」と叫ぶ。すると突然、式は停止し、彼女は彼を見つめ。それに勇気を得た彼は、式場から花嫁エレインを奪い去り、ふたりしてバスに乗り込み、映画は終わる。
「もう決まったことだ」、「動かしようのないことだ」と思われた日常は、じつは意外にもろいものだった。異邦人の目で日常生活を眺め、それを突き崩していく青年。まさに「反抗」のタイプの人間が登場しつつあったのである。

5.3 エスノメソドロジー
 同じ1967年に ハロルド・ガーフィンケル(Harold Garfinkel 1917-という社会学者の『エスノメソドロジー研究』(Studies in Ethnomethodology) という論文集が出版され。
 この「エスノメソドロジー」という奇妙な名前の学問は、ひとびとがどのように日常生活を作り上げていくか、その方法を、まるで異邦人のような違和感をもちながら、調べていく。
 
5.3.1 エスノメソドロジーによる実験
 ガーフィンケルは、たとえば、学生に「家にかえったら、下宿人になったつもりで、親と会話しろ」と言う。当然、親子の会話は齟齬をきたす。
 たとえば、
親:「あれどうだった?」
子:(下宿人になったつもりで)「あれって、なんですか。」
親:「だから今朝言ってたやつだよ。」
子:「おっしゃることがわかりません。」
親:「お前、どうしたんだ。熱でもあるのか。」
 こうした齟齬をきたした会話からわかるのは、なにげない会話でもじつはその前提となる共通の理解されたもの(「背後理解」)があることである。
 またガーフィンケルは、学生に、「お店で値切ってみろ」と指導する。
 定価販売になれたアメリカの大学生は値切ることなど思いもつかない。品物の値段は「決まったもの」だと思いこんでいる。しかし実際に店の人に、「もう少し安くなりませんか」と聞いてみると、じつはけっこう値引きしてくれるものなのである。
 つまり、日常のふつうに進行していることがじつはかなり込み入ったことを前提にしていたり、「決まりきったこと」だと思っていたことが、じつは案外「やわ」であることがわかる。このように、ひとびとが「あたりまえ」と思っていることを浮き出させ切り出していくのがこの学派のやり方である。またその根底には、社会はあるものではなく作り上げていくものである、という考えがある。
 この学派はまさにマートンが予感した「反抗」の季節の産物といってよいだろう。

6.まとめ
こうしてアメリカの社会学の歴史は、フロンティアの喪失という宿命的な課題との格闘を通じて展開されてきた。フロンティアとは外部への侵出する際の前線を意味する。すなわち、外部へと侵出することが不可能になったときフロンティアは失われる。その後のアメリカの政策は絶えず外部を作り上げそこへと侵略しつづけることで自己を維持していきたように思われる。その意味でアメリカの社会は社会学者たちが立ち向かった問題の解決を回避つづけてきていると言えよう。
 侵略すべき外部の喪失という観点でみるなら、それはけっしてアメリカ一国の問題ではない。それはむしろ私たちが解決すべき問題でもあると思われる。


1.ロック『統治論・第二篇』宮川 透訳、中央公論社、世界の名著、1968
2.コント 霧生和夫.清水禮子 コント・スペンサー 世界の名著36, 中央公論社1970
3.タルコット・パーソンズ著/稲上毅・厚東洋輔/共訳 社会的行為の構造木鐸社1976
4.タルコット・パーソンズ著,佐藤勉訳:社会大系論、青木書店1774
5.マートン(著)、森東吾ほか(訳):社会理論と社会構造、みすず書房1961
6.Harold Garfinkel : Studies in Ethnomethodology, Blackwell Pub.,1984

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by takumi429 | 2016-07-07 22:18 | 社会学史 | Comments(0)
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