12.強制収容所の時代としての現代

12. 強制収容所の時代としての現代

(1)塹壕(ざんごう)の世代
二十世紀、それは大量殺戮の時代と呼んでもいいでしょう。
第一次世界大戦(1914年7月28日 - 1918年11月11日)は、兵士だけで900万人以上の死者をだす未曾有な戦争となりました。機関銃、戦車、飛行機、潜水艦、化学兵器など、現代の戦争兵器が出揃い、国家と国民が総力をあげて戦う総力戦の形もここに生まれました。
 この第一次大戦では圧倒的な火器、とくに機関銃から身を守るために、塹壕がはりめぐらされ、その塹壕の中で砲撃の恐怖に怯えながら身を伏せる、しかし総攻撃のときには、その塹壕を飛び出し機関銃などの一斉射撃の前に身を晒さなくてならない、という体験を兵士たちはすることになりました。
 こうした塹壕戦を体験した世代を「塹壕の世代」と呼ぶことがあります。
 映画『西部戦線異状なし』(1930)は、こうした塹壕戦の体験をみごとに描いています。戦闘の合間、つかのまの平安に主人公は蝶に触ろうと塹壕から手を伸ばします。しかし敵に狙撃されて主人公の少年は死ぬのです。
 塹壕からとびだしての総攻撃は死を覚悟しなくてはいけないものでした。その死を覚悟した時に、時計で計られるような、アメのようなのっぺらと伸びていくような日常の時間は途絶え、死を覚悟しなくてはいけない瞬間へむけてまばゆく飛び込んでいくような時間へと変容します。残されたつかの間の時間、その時間のなかであらゆるものがまばゆく輝いて存在して現れる。青い空、ゆれる木々、羽ばたく蝶。存在はまばゆい輝きをもって、死を覚悟した人間に前に現れれる。ドイツ語では「・・・がある(存在する)」というのを、Es gibt ・・・と表現します。直訳するなら、「それが与える」です。「それ」とは「存在」であり、存在が私たちに与えてくれたものが、「在るもの(存在するもの)」なのです。
 死を覚悟した人間に現れるまばゆい存在から、退屈になれきった日常を正していこう。志願して死んだ友人たちを多くもつ塹壕の世代だった哲学者ハイデガーの思索の方向はこれだったと思われます。

(2)強制収容所(死の工場)の世代
第二次世界大戦は基本的には第一次大戦の引いたラインの上にあります。しかし第二次世界大戦で顕著になったものもあります。それは強制収容所の体験でした。
 精神病院のような、人を隔離して管理する施設はそれまでもありました。しかし第二次世界大戦で出現した強制収容所とは、人を1ヶ所にあつめて殺害・抹殺する、そうした装置、「死の工場」としての強制収容所でした。
 最近、わたしは、ワイマールの近くのブーヘンヴァルト収容所跡の見学体験しました。入り口の向こうには収容所の各棟の跡という何もない空間が拡がっていました。なにもない。しかしこのあとかたもないことの重苦しさはなになにか。ここにいた膨大な数の人が消えてその跡地だけがあるという、その人間の不在(消失)と跡地の重苦しい存在。敷地には人間焼却炉は残っており、その隣に医務室があち、研究と称して収容者を切り刻んだ手術台があり、こびりつき変色したその跡がありました。消えた人間たちとそれを消した装置だけがふてぶてしく残って存在している。さらに、身長測定を装って背後から覗き銃殺した部屋があり、その足元の踏み台にはなんどもそこで犠牲者をまちうけて射殺した人間の足ですり減ったであろう凹みがありました。
 いま、あの風景をふりかえってみると、むかし教科書で読んだつぎのような詩がおもいかえされます。
    さんたんたる鮟鱇(あんこう)   村野四郎
    ――へんな運命が私を見つめている  リルケ

    顎(あご)を むざんに引っかけられ
    逆さに吊りさげられた
    うすい膜の中の
    くったりした死
    これは いかなるもののなれの果だ

    見なれない手が寄ってきて
    切りさいなみ 削りとり
    だんだん稀薄になっていく この実在
    しまいには うすい膜も切りさられ
    惨劇は終っている

    なんにも残らない廂(ひさし)から
    まだ ぶら下っているのは
    大きく曲った鉄の鉤(かぎ)だけだ
                          詩集『抽象の城』1954年

この作品に作者はつぎのような解説をしています。
「私は、この魚を魚屋の店頭でみたとき、はてな、このみじめな、こっけいな姿は何かに似ているな、といった妙な衝撃をうけましたが、それがこの詩のモチーフとなりました。
その次に、死さえ奪いさられてしまうこの悲劇は、現代に生きる人間の状況に何かよく似ているように思えたのです。たしかにそうでした。似ているから、この日常的な光景が、暗喩の対象として私の心をとらえたのでした。日々に私たち人間の人間性を削りとり、うばい去る現代の現実にひそむ悪は、ついにすべての人間を、のっぺらぼうの類型にしてしまうのですが、これを形而上(哲学)的にみれば、人間がなくなったことを意味します。これがすなわち、いわゆる「人間喪失」といわれる現象です。私はそのアンコウに、人間喪失の現場を見た気がしました。(中略)
その後から追いかけるようにして、軒からぶら下がっている空(から)の鉄の鉤が目にはいりました。そしてその鉤は、何か次に引っかけられるもの待ちかまえているように見えたのです。
この新しい犠牲を待ちかまえる貪婪なもの、それはさしずめ、この世の悪の実態、人間の原罪の正体ではないかと、考えられてきました。
こうした衝撃が、まとまって、ここにこのような一篇の詩ができ上がったのです。」(http://poemculturetalk.poemculture.main.jp/?eid=121 2014年1月17日)

 人の不在(消失)に対して、ものの存在が不気味に迫ってくる。ここでは、存在はかがやしいものではなく、ふてぶてしいほど不気味に「ある」のです。そこには根源的な悪の存在が感じられる。
 フランス語では「・・・がある」というのは、Il y a ・・・「それがそこに持つ」と表現します。ものがあることはもはや、es(存在)からの贈り物ではありません。存在はかがやしいものではなく、ものの存在することは、賜物でもなんでもなく不気味に押し付けがましく「ある」だけなのです。
 ハイデガーに学びならながらも、ユダヤ人として肉親・縁者・隣人のすべてを収容所で抹殺されたエマニュエル・レビナスの哲学は、この不気味で重苦しい存在を見すえることから出発しているように思われます。西洋の思想は結局、ユダヤ人という他者を抹殺するという帰結をもたらした。異質な他者との出会い、それを否定(抹殺)するのでなく、その面立ちを引き受けること、それを生きる道徳として、引き受けること、そこにこの強制収容所の曠野の向こうに希望の声を聞く可能性がある、そういっているように思えるのです。

(3)アイヒマン裁判
1960年、もとナチス親衛隊(SS)の隊員アドルフ・オットー・アイヒマン(Adolf Otto Eichmann1906-1962)は、イスラエル諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行され、1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられました。いわゆる「アイヒマン裁判」です。アイヒマンは、ドイツのナチス政権による「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担ったとされた人物です。(アイヒマンは同年12月に有罪・死刑判決が下され、翌年5月に絞首刑に処されたました)。
 ハイデガーの弟子だったハンナ・アーレントはこの裁判を傍聴し、その傍聴記を、『イェルサレムのアイヒマン』という本にまとめました。
 アイヒマンにたいするアーレントの下した判断は驚くべきものでした。いや、アーレント自身が、アイヒマンを見ておそらく驚いたのでしょう。何百万人ものユダヤ人を強制収容所に送り込み抹殺させたその恐るべき人物が、じつに平凡で貧弱なつまらない男でしかなかったことに。自分はヒットラー総統の命令に従ってユダヤ人を強制収容所に送っただけであり、職務を忠実に執行したにすぎない、そうこの貧相な男は主張するばかりでした。裁判でアイヒマンの語ることを実際に見聞きした上で、アーレントはこう結論づけます。あの恐るべきユダヤ人抹殺は、悪魔のような人物によってではなく、このアイヒマンのように貧弱な陳腐な人間によっておこなわれたのだ。それを彼女は「悪の陳腐さ」と名づけました。決して許されてはならない絶対な悪というものが、荒々しく悪魔的な、いわば「悪の英雄」によって執行実現されるのではなく、平々凡々とした小心な組織人(官吏)によってなされる。アーレントは西洋近代のもつこの恐るべき「根源悪」をのぞきこみ、それを私たちに開示してみせたのです。

(4)『近代とホロコースト』
アーレントの問題提起をうけて、おなじくユダヤ人で戦後ですがポーランドからイギリスに亡命したへジークムント・バウマンという社会学者は『近代とホロコースト』という本をかきました。
 彼の結論は単純に言えば次のようになります。600万人のユダヤ人殺害は、ナチスの狂気や悪魔的な意志だけではとうてい遂行できるものではなかった。この天文学的な民族抹殺は、(ユダヤ人組織の協力と)ドイツが作り上げた合理的組織と科学知識をつかった装置を使わなくては不可能だった。ショワー(ユダヤ人せん滅)を可能にしたのはじつは西洋近代の道具的合理性なのだ。
「道具的合理性」とはフランクフルト学派の用語です。フランクフルト学派とはフランクフルトの社会研究所に集った哲学・社会学者たちをさします。主要なメンバーは、ホルクハイマー、ベンヤミン、アドルノです。フランクフルト学派は、マルクス主義とフロイドの精神分析を結合して社会を批判しようとしました。ユダヤ人だった彼らは主にアメリカに亡命し、戦後、フランクフルト大学に戻ってきました。「道具的合理性」とは、目的遂行のために研ぎ澄まされた合理性だり、目的の意味と倫理性は問わない合理性です。いかなる目的であれ、目的設定されればその目的へ到達するべく作動する理性です。
 ヴェーバーはすでにその政治論『新秩序ドイツの議会と政府』において、「生きた機械と死んだ機械が我々を支配している」と言いました。「死んだ機械」とは普通の機械装置のことですが、「生きた機械」とは官僚組織のことです。ヴェーバーは生きた機械である官僚制と機械を生む科学技術によって逆に人間が支配されるという疎外をすでに問題にしていました。フランクフルト学派はこうしたヴェーバーの疎外論をさらに展開したのです。

(5)アイヒマン実験
 ではなぜアイヒマンのような貧弱な人間があのような恐ろしいユダヤ人絶滅の輸送を指示することができたのでしょうか。
 バウマンがその説明として、スタンレー・ミルグラムがおこなった、いわゆる「アイヒマン実験」をとりあげています。この実験の報告は『服従の心理』という本にまとめられました。
 ミリグラムは、市民に学習と罰の関係についての実験に協力を求める呼びかけを新聞でおこない、応募してきた人に「教師役」を、もう一人のサクラに「学習者」を割り当て、学習者が間違えるたびに電気ショックを与えさせるよう、「実験者」が指示するという実験をおこないました。対になった言葉を学習するというのがその課題で、「学習者」役のサクラはわざとまちがえ、そのたびに与える電気ショックの電圧をあげていくよう、「教師役」の被検者は、「実験者」に支持されます。「学習者」役のサクラは電気ショックをうけたように演技をし、電圧を上がるたびにどんどん止めてくれるよう声をあげます。

実験の略図。被験者である「教師」Tは、解答を間違える度に別室の「生徒」Lに与える電気ショックを次第に強くしていくよう、実験者Eから指示される。だが「生徒」Lは実験者Eとグルであり、電気ショックで苦しむさまを演じているにすぎない。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93 2014年1月19日)



 


「学習者」役の人間の、エスカレートする苦悶・懇願・罵倒にもかかわらず、「実験のためだから」、「身体的には問題ないことがわかっている」、「電圧をあげて実験をしてください」など、実験のためだ「実験者」と説明・指示されると、ほとんどの「教師役」の被検者が、罰の電圧をどんどん最高値まであげてしまった、というのが実験結果でした。
 つまり、直接的な責任をもたなくてよく、それが手続きや処理の過程として仕方ないとされていると、人間はどんな残酷なことも平気でするのだ、というのがこの実験からわかったのです。それはちょうど、命令だからしかたなかったのだ、といって平気で死の工場たつ強制収容所にユダヤ人を輸送しづけたアイヒマンのようなことを、残忍でもなんでもないごく普通の一般市民もしてしまうのだというのです。
 ここから、バウマンは、合理的な組織と装置のなかで処理をする者は、それがどんな恐ろしいことであっても、良心の呵責を感じなくなっていくのだとしました。また、苦しむ「学習者」が遠隔であればあるほど、平気で電圧をあげるようになることにも着目しました。それはちょうど、無人飛行機を使ってミサイルを打ち込んで誤爆などしている兵士がなんら罪の意識をもたないのと同じ現象なわけです。

(6)他者の排除から他者のせん滅へ
 もともと、アイヒマンはドイツ国内からのユダヤ人消去を命令されていました。ですから当初はユダヤ人の国外への送り出しをしていました。しかしドイツの勝利によりヨーロッパ大陸全体がドイツの制圧下になると、ユダヤ人を送り出せる場所がみつけられなくなりました。結果、ユダヤ人の「再定住化」先は、ドイツ支配下地域の強制収容所へと変わっていきました。そして、その強制収容所は「死の工場」として、ユダヤ人を消滅させていったのです。
 当初は、他者(ユダヤ人)は外部への排除されました。しかし、ドイツの拡大により、排除先の外部の消失すると、他者は、内部に取り込まれ(収容され)、「再定住」の場(収容所)で消去(殺害)させれたのです。
 ユダヤ人、さらにはロマ人、同性愛者、精神障害者、身体障害者などは、激情に駆られた憎悪や悪魔的な狂気によるのではなく、ある種きわめて冷静に淡々に、合理的な組織と科学的な処理装置をつかって、業務として、消滅させられていったのです。
 もし、ナチスのホロコーストが、狂気や憎悪だけから起きたのなら、そうした狂気に陥っているとはおもえない私たちは安心できるでしょう。しかし、あのホロコーストがあれほど膨大な人間を消去できたのは、むしろ私たちが慣れ親しみそれに依存して暮らしている官僚組織と科学技術によるものだとしたら、ホロコーストの恐怖からけっして私たちは無縁ではない。むしろそれはこの現代社会で何度でも再発しうるものであるし、現に再発してきた現象なのです。

(7)主体の液状化
 こうした道具的合理性の貫徹する組織のなかでは、人間は確固たる意志をもった英雄的(あるいは悪魔的)な存在ではもはやないでしょう。それは、殺された人びと同様に、腐敗して崩れどろどろになって液化したような存在でしかない。外部を失い、他者をその内部で消去していく装置のなかで生きている私たちが直面する危機とはいかなるものなのでしょうか。
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by takumi429 | 2016-07-21 20:20 | 社会学史 | Comments(0)
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