家族写真という装置

 明治文学のおける写真
 1.はじめに
 明治後半になって日本は近代的な国民国家としての形をととのえる。明治近代は、鉄道、写真、地図などの さまざまな文明の利器(装置)をもたらした。そう した装置は人々の集団表象(イメージ)にどのような作用をもたらしたのだろか。そしてその作用は、国民国家としての「日本」の出現とどう関わっているのだろうか。
 この明治後半の時代にもっとも密着じたかたちで作家活動をしていた、当時の「前衛」作家であった、田山花 袋のいくつかの作品(および彼の同時代人の作品)を読 むことで、この問題について考えたい。
 具体的には、『田舎教師』のなかの「地図」の意味、「少女病」という作品のなかでの「市電」のもつ意味、『重右衛門の最後』におけるパノラマ的視線の意味、などを取り上げる。
 地理学的な「地図」が、国家のまなざしの下で従軍する臣民(主体)と、作家のまなざしの下で(地図の上を) 移動する小説の主人公(主体)、をつなぐ装置(しかけ) であることは、勝又[1995]とKatsumata [1995]で、明らかにした。
 本稿では、田山花袋の『生』と、花袋とともに自然主 義文学グルーブの一員でもあった島崎藤村の『家』とい う、二つの小説を、その作品の中に現れる家族写真に着目しながら、読む。そうすることで、「写真」という装置が人々の表象のありかたにいかなる影響を与えたのかを考える手がかりを得たい。

 2.小説『生』のなかの写真
 明治41年(1908年)、田山花袋は、『読売新聞』に「生」という小説を連載した。この小説は、花袋の母親(てつ)の死(明治 32年8月19日)にいたるまでに田山家に起きたできごと をほぼそのまま淡々と描いた作品である。小説の叙述は時 間の経過どうりに進む。おそらくたいていの読者は この小説のだらだらした進行にうんざりしてしまうだろう。しかしこの小説には、最後に、きわめて魅力的な場面が現れる。

「兄弟三人 三軒の家は一家のように睦しく往来した。…
今日は女達が三人お揃いで、九段の鈴木に行って記念の 写真をとらうといふのである。…
車なので、存外早く、午少し前には、三人は写真を撮っ てもう帰って来て居た。
写真屋の話が始まった。
一週間目に其写真が郵便で届いた。割合よく写って居 た。写真の話が一時三軒の家を娠やかにした。… 序に写真を蔵つて置く小箱が其処に届けられる。明治 の初年に大阪で撮ったといふ大小を差した父親の写真はもう黄く薄くなって居た。それに兄弟が三人揃って撮した少年時代の写真、誰れだか陥らぬ丸雷の女と一緒に撮った中年の頃の母親の写真、死んだ叔母の写真、嫂の 写真、総領の姉の写真は其頃はやった種板其まゝの硝子製で、木の框の壊れて取れたのを丁寧に母が白紙に包んで蔵つ置いた。其の他に昨年英男と一緒に寫した母親の写真が一枚あつた。兄弟は皆なそれを手に取って見た。「 (田山[1993:15-8])

 母親の死後、息子兄弟とその妻たちが一同に会する。 一週間前に「鈴木」という写真館でとった女達の写真が郵便で届き、それを見ながら、ふたたび「写真の話」が盛り上がる。それを機会に昔の家族写真が彼らの前に広げられる(相馬注[1972:379]参照)
 単調だった叙述に、映画のフラッシュ・バックのよう に、過去の家族写真が挿入される。そうして失われた 家族と失われた彼らとの時間が思い起こされる。

 3小説『家』の中の写真
 花袋の『生』とおなじように家の歴史を扱った作品 に、島崎藤村の『家』がある。明治43年(1910)から 連軟されはじめ、翌44年にまとめられた。この『家』という小説は、藤村自身の島崎家および彼の姉が 嫁いだ高瀬家という二つの旧家が崩壊していくことを描いた小説である。
 あらすじをみておこう。
 主人公三吉(藤村)は、旧家制度から自由な、恋愛結婚による新たな「家庭」homeを望んでいた。しかし彼と彼の妻は現実には見合い結婚であり、結婚後も三吉が望むように、恋愛結婚ではなかった。結婚前には、妻のお雪には勉、三吉には曽根という、それぞれ思いをかけた相手があった。盗み読みした手紙から偶然、お雪の勉へ 気持ちを知った三吉は、身を引いて、お雪と勉を「恋愛結婚」させようとするが果たせない。結局、勉はお雪の妹お種の夫になる。西欧流の「恋愛結婚」による家庭の形成という三吉の夢はもろくも崩れる。
 旧家から逃れ恋愛結婚による家庭をつくることに失敗した主人公三吉。彼の欲望は、三吉の家に手伝いに来ていた姪たちへと向かう。しかし姪たちは実家に帰り、近親相姦の危機を脱した主人公は安堵する。三吉が関係しそこなった姪のお俊は結婚する。橋本家の家長の達雄は出奔し、また跡継ぎの正太も死んで、この旧家は崩壊する。三吉の家は、旧家の重苦しさとは異なり、若人が集う家であったが、この三吉の家にしばしば来ていた正太も、死んでしまう。また三吉の3人の娘もすベて死に、さらに妻のお雪の死も暗示される。こうして旧家どうように、三吉の家庭も瓦解するのであった。
 この作品でも写真というものがきわめて重要な働きをしている。それを見ながらさらに写真というものの意 味について考えてみよう。
 島崎藤村の小説『家』ではすくなくとも十回、写真が登場する。それを以下一覧してみよう。カッコ( )は、モデルとなった実在の人物の名前。
(1)三吉(藤村)が橘本(高瀬)家を訪問したのを記念して、三吉と橋本家全員の記念写真が撮られる (上巻ニ)。
(2)橋本家から届いたその記念写真を小泉(島崎)家の人々が見ながら語り合う(上巻三)。
(3)三吉(藤村)とお雪(冬子)の新家庭のもとにお雪の妹お福が訪れる。三人でお雪の昔の写真と三吉の昔の写真を見る。その際、お雪の実家名倉家に奉 公人で、(じつはお雪が思いをかけていた)勉という青年の写真が出てくる(上巻五)。
(4)三吉の女友達の曽根について、三吉とお雪が語り合っている。三吉の話から彼が曽根の写真を見せてもらうような関係であることをお雪は知り、しおれる (上巻六)。
(5)三吉の姉お種(園子)が三吉の家を訪れ、お雪の実家の人々の写真を見る。その中には、かつてお雪 が思いをかけ、今は妹のお福の夫となって名倉家の養子となった勉の写真があった(上巻十)。
(6)妻の留守中の家事手伝いにきていた姪のお俊(いさ)に、叔父と姪の関係以上のものを求めそうになった三吉は、お俊が実家の兄の家から帰ってこないことに不安をおぼえつつ、死んだ娘のお房(緑) の写真をみる(下巻三)。
(7) 家事手伝いの姪二人が実家に帰り、三吉はほっとしながら死んだ娘のお房(緑)の写真をみる。写真のガラスに反射した彼自身の顔を見ながら三吉は内省する(下巻三)。
(8)三吉とお雪の家に姪や甥たちがあつまり、三吉は 記念に写真を撮ることを提案する。三吉は橋本家の跡継ぎの正太と写真におさまる(下巻七)。
(9)お雪がお俊の結婚写真を取り出す。三吉はお雪との夫婦生活を反省する(下巻八)。
(10)橋本家の跡継ぎの正太が死んだという電報が届く。お雪は、間近のお産に不安を覚えつつ、正太の 写真を取り出し、死んだ三人の娘の位碑の前において燈明をあげる(下巻十)。(お雪のモデルである藤 村の妻冬子は実際にこのあとのお産で死ぬ)。
 2つ旧家の崩壊は、記念写真をとる旧家全員(1)とそれを見る旧家の人々(2)から、跡継ぎの死(10)への移行によって語られる。
 こうして小説『家』のなかに出てくる写真の描写を取り上げてみると、じつはそれがそのままこの小説の概要 になっていることがわかる。
 ではなぜ写真の描写と取り上げると、それがそのまま 小説の概要になるのか。それはおそらく、藤村 がこれらの写真のいくつかを実際に時間順に並べ、そうしてこの小説を書いていったからだ、と思われる。だから小説の節目節目に藤村は写真の図像を織り込んでいる。 この小説の緊密な構成は、じつは写真という装置を活用したことから生まれている。

4.反復・回帰する時間から、行きて帰らぬ時間へ
写真の出てくる場面ををもうすこし詳しくみてみよう。
三吉(藤村)と橋本(高瀬)家全員の記念写真の場面(上巻ニ)。

「母親さん、写真屋が来ましたから、着物を着替えて下 さい。」
こう正太がそこへ来て呼んだ。
「写真屋が来た?それは大夕忙だ。お仙--峰の子は こうしておいて、ちゃっと着更えまいかや。お春、お前 も支度するがいい。」とお種は言った。
「嘉助 みんな写すで来いよ。」達雄は店の方を見て呼んだ。
記念のため、奥座敷に面した庭で、一同写真を撮ることになった。大番頭から小僧に至るまで、思い思いの場 処に集まった。達雄は、先祖の竹翁が植えたという満天星の樹を後ろにして立った。
「女衆は前へ出るがいい。」
と達雄に言われて、お種、お仙、お春の三人は腰掛け た。
「叔父さん、あなたはお客様ですから、もうすこし中央 へ出て下さい。」
こう正太が三吉の方を見て言った。三吉は野菊の花の 咲いた大きな石の側へ勤いた。
白い、熱を帯びた山雲のちぎれが、みんなの頭の上を 通り過ぎた。どうかすると日光が烈しく落ちて来て、撮影を妨げる。急に嘉助は空を仰いで、何か思いついたように自分の場処を離れた。
「嘉助、どこへ行くなし。」とお種は腰掛けたままで問いた。
「そこを動かない方がいいよ--今、大きな雲がやつて 来た。あの影になったところで、早速撮って貰おう。」と 正太も注意する。
「いえ---ナニ---私はすこし注文があるで。」
と言って、嘉助はみんなの見ている前を通って、一番日影になりそうな場所を択んだ。ちょうど旦那と大番頭 とは並んだ。待ち設けた雲が来た。若い手代の幸作、同 じく嘉助の枠の市太郎、みんな撮った。
(島崎[1967:254])

 大きな旧家というものは一種の経営体のようなものである。血縁者ばかりではなく、重要な使用人もその構成員である。だからのちに家長の達雄は出奔してしまった後、橋本家を支えるのこのは大番頭の嘉助である。こうした番頭までふくめた旧家の輪郭が写真によってくく られています。この場面にみられる華やいだ晴れがましさからわかるように、いわば写真撮影は一種の「祝祭」であり、それによって集団の結合の確認される。
 しかし家の「祝祭」には盆や正月などの儀礼もあった。かつての儀式はつねに反復され、反復 をされることで永遠へとつながっていました。家が永劫 に続くものとしてその同一性を確保するものであった。家族の統合を確認する機能は家族写真が果たすものになった。しかし写真に写された「今」という瞬間はたちまちのう ちに過ぎ去っていき、喪失惑をもたらす。儀式に よって反復される時間ではなく、つねに失われいく 「今』という瞬間の、その連なりとして、絶え間なく変化していく時間というものが、写真によって意識されるようになる。

 橋本から写真の着いた日は、実は用達に出て家にいな かったが、その他のものは宗蔵の部屋に集まって眺めた。
「達雄さんもフヶましたね。」とまたお倉が言った。… 故郷にあった小泉の家---その焼けない前のことは、いつまでもお倉にとって忘れられなかった。橋本の写真を 見るにつけても、彼女(お倉)はそれを言い出さずにいられなかった。
(島崎[1967:263])

「達雄さんもフケましたね」という言葉に現れたよう に、写真は見る者に時間の推移を鋭く突きつける。ここでは時間は反復されるものではなく、絶え間なく過ぎ 去っていく。さらに突きつけられた時間の推移 は失ってしまったものへの郷愁を呼び起こします。橋家の写真を見ながらお倉は失った「小泉の家」を思い出す。
 盆や正月の家族団らんや家と家との間にとりおこなわ れる結婚式などの「祝祭」儀礼はこうした喪失惑とは無縁である。それは年輪のように家の記憶を太くする。しかるに「家族写真」という「祝祭」は撮られた瞬間の「今」から絶えず遠ざかっていくことを意識させる。写真とは、「失われた時」を意識させる、そうした「装置」なのである。

 5.写真による小説の時間の形成
 この小説では、家族が経ていく「飴のようにのびた」時空間の流れを、瞬間において切断したその切断面が、写真となって最後に読者に提示されている。写真という装置によって、「失われていく今」の連続として家族の記憶はつくられていく。
 田山花袋の『生』での、「父親の寫真」、兄弟の「少年時代の寫真」、「中年の頃 の母親の寫真」、「死んだ叔母の寫真」、「嫂の寫真」、「総領の姉の写真」、「昨年英男と一緒に寫した母親の寫真」、これらはすべては失われた人々と失われた時間の記憶である。
 ほんらい、人間の記憶は、決して時間順の行儀よく。それも等間隔に整理されているわけではない。私たちは自分にとって重要なことなら、それがどんなにむかしのことでも昨日のように思い出す。そのかわり、さして重要でもないことはすぐに忘れる。
 だからこの花袋の『生』と藤村の『家』という小説のなかを流れている時間は、本来私たちが物事を思い出したり覚えている時間とは、異な形式の時間なのだ。そしてそうした時間を成立させているのが、この家族写真という装置なのである。
 この『生』の末尾で出てきた写真群全体をつなぐよう な、田山家の年代記とでもいうべき小説をのち(大正5 年)に花袋は書く。その小説の題名が『時は過ぎゆく』であるのは決して偶然ではないだろう。おそらく、この『生』でもちいた写真による過去の想起と写真による時間の配列・設定、その結果としての「ゆきてかえらぬ時の流れ」という小説のなかの時間性、の展開として小説『時は過ぎゆく』は位置づけられるだろう。


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by takumi429 | 2014-07-13 21:26 | 社会環境論 | Comments(0)
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