(1)集団的人格の発見 (閉じた共同幻想へ) (2)可視化される異常性・犯罪性 (3)イタリアのヴェリズモ(自然主義)文学との共通性 あらすじ 自分(語り手)はかって東京の私塾で信州の山村出身の青年らと知り合った。五年後、旅の途中で、自分は偶然にもその村を訪れた。平和に見えた村では連続放火事件がおきていた。犯人は重右衛門という四十ニ歳の男とその情婦となった十七歳の野生児である。しかし放火の現場を押さえられず、警察も手が出せない。もとは重右衛門は村でも指折りの名望家の跡取りであった。しかし睾丸の肥大という先天的不具者であるため、性格は屈曲し、長じて、放蕩を繰り返すようになった。家は没落し人手に渡った。腹いせにその家に放火した重右衛門は監獄にいれられた。六年後帰ってきた重右衛門は完全に無頼の徒となった。重右衛門は村人に物をせびり、断られると放火をするようになった。自分が訪問した夜も放火による火事がおき、さらに翌日も放火騒ぎがあった。その消火の手伝い酒を平然と重右衛門はあおっていた。村人との口論の後、酔いっぶれた重右衛門を世話役の号令のもと四五人の若者が連れ出した。二十分後、重右衛門は「田池(ため池)」で溺死していた。事件は終息したかに見えた。しかしその夜、全村は火の海となる。翌日、焼け跡から重右衛門の情婦だった少女の死体が発見された。 リンチ殺人 信州の山村で放火が多発する。犯人は身を持ち崩した「重右衛門」という男。犯人はわ かっているのに、現行犯でないため簪察は手が出せない。そこで起きた、村人によるリンチ殺人事件。 「おい、確(しっか)りしろ」 と世話役は叫んで、倒れたままいよいよ起きまじとするする重右衛門を殆ど五人掛かりにて辛くも抱上げ、なおぐずぐずと理屈を云いかけるにも頓着せずに、Xの字にその大広間をよろめきながら、遂に戸外へと伴れ出した。 一室はにわかに水を打ったように静かになった。今しもその一座の人の頭脳には、云い合わねど、いずれも同じ念が往来しているので、あの重右衛門、あの乱暴な重右衛門され居なければ、村はとこしえに平和に、財産、家屋も安全であるのに、あの重右衛門がいるばかりで、この村始まって無いほどの今度の騒動。 いっそ・・・ とだれも皆思ったと覚しく、一堂の人々は皆意味有り気に眼を見合わせた。 ああこの一瞬! 自分はこの沈黙の一座の中に明かに恐るべく忌むべく悲しむべき一種の暗潮の極めて急 速に走りっっあるのを感じたのである。 一座は再び眼を見合わせた。 「それ!」 と大黒柱を後ろに坐っていた世話役の一人が、急に顎で命令したかと思うと、大戸に近 く座を占めていた四五人の若者が、何事か非常なる事件でも起こったように、ばらばらと 戸外へと一散に飛び出した。 * * * 二十分後の光景。・・・ 諸君、その三尺四方の溝のような田池の中には、先刻火酔して人に扶(たす)けられて戸外へ出たかの藤田重右衛門が、殆ど池の広さ一杯に、髪を乱して、顔を打伏して、まるで、犬でも死んだようになって溺れているではないか。 「一体どうしたんです」 自分は激して訊ねた。 「何アに、先生、えら酔殺たもんで、つい、はまり込んだだア」 とその中の一人が答えた。 「何故揚げて遣らなかった! J と再び自分は問うた。 誰も答えるものが無い。 (『蒲団・重右衛門の最後』(新潮文庫)155-7頁) 「いっそ……」(「殺してしまえj ) 語り手の「自分」は村人の心の声を聞く。しかしそれは誰がいったのでもなく、また特定 の個人の心の声でもない。村人たちの共同の心の声である。そして「なぜ助けなかった」 という「自分」に質問にたいする、村人たちの「沈黙」。そのとき、村人たちは一体と なって私刑の秘密を沈黙の闇のなかに押し込める。 ここにおいて花袋は語り手という「暗箱」に映ったものを叙述する自然主義のスタイルからはみ出しているといえよう。聞こえない声、それも特定の個人の声でなく、村落共同体の語られない「殺してしまえJという声。それを花袋は小説のなかに取り込んだ。 もしこの方向がさらにすすめられるなら、それは村人たちの語られない声、個人ではな く、村の共同体がもつ、決して語ることのない深層に押し込められた、凶暴な声を拾い集 めることになってしまう。 しかしそれを追求しては花袋の「片恋Jに学んだ「写真」的手法は瓦解しかねない。 花袋はおそらく二葉亭四迷が訳したツルゲーネフの「猟人日記」を摸して、連作として書き始めたこの小説はこの一作をもっ て終わらざるをえなかったのである。 ではこの共同体の声なき声、個人でなく集合的な人格の声、決してあからさまにされることのない、深層に埋もれている、しかし殺害を命じる声。これを取り上げ浮かび上がらせる作業は誰か引き継いだ者はいなかったのだろうか。 私たちはそう考える時、柳田国男の民俗学に出会うのである。
やなぎた-くにお【柳田国男】 民俗学者。兵庫県の人。東大卒。貴族院書記官長をへて朝日新聞に入社。民間にあって民 俗学研究に専念。民間伝承の会o民俗学研究所を設立。「遠野物語」(明治4 3年(19 10) ) 「蝸牛考」など著作が多い。文化勲章。(1875-1962) 共同体の深層にある殺害の記憶と声 柳田は「後狩詞記」42頁 今の田舎の面白くないのは狩の楽しみを紳士に奪われたためのであろう。中世の京都人 は縻と犬とで雉子・鶉ばかりを捕らえておった。田舎侍ばかりが夫役の百姓を勢子にして 大規模の狩を企てた・・・大番役に京に上るたびに、むくつけき田舎侍と笑われても、 華奢・風流の香も嗅がず、年の代わるのを待ち兼ねて急いで故郷に帰るのは、まったく狩 という強い楽しみがあって、いわゆる山里に住む甲斐があったからである。殺生の快楽は 酒色の比ではなかった。罪も報いも何でもない。あれほど一世を風靡した仏道の教えも、 狩人に狩を廃めさせることのきわめて困難であったことは、「今昔物語」にも「著聞集」 にもその例証がずいぶん多いのである。 「後狩詞記」42頁 「殺生の快楽は酒色の比ではなかった。」 柳田は「遠野物語」において「異人」殺しをする村人を描いた。 またそれは個人の声であってはならない。あくまでも共同体員の共同の思いでなくてはな らない。そうした共同の声を潜ませているものとして選ばれたのが伝承なのである。それ は誰か特定の者が言ったのでもない。村人全体によって語り継がれ、語り継がれることで 村人全体の潜在的な意識を現すものなのである。 柳田はそうした「集合表象Jを叙述するために、独特の文体をとっている。 そこには柳田によるきわめて厳格な統制が働いている。その統制がめざしているのは、村 人たちのなかに埋もれている、「異人」への恐怖、そして「異人」殺害の記憶の発掘なの である。 柳田の山人論は山奥深く探ると始源としての殺意がみいだされるという構造になってい る。-沖縄論:海の彼方へ始源としての日本をとどる旅 「山の人生」序文:山奥には人間の根源的な欲望(殺意)が眠っている 今では記憶している者が、私の外に一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不 景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞で 斫り殺したことがあった。 女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情で あったか、同じ歳くらいの小娘を貰ってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。その子 たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつ も一合の米も手に入らなかった。最後に日にも空手で戻ってきて、飢えきっている小さい 奢の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥に入って?寝をしてしまった。 眼がさめて見ると、小屋のローぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。 二人の子供がその日当たりのところにしやがんで、頻りに何かしているので、傍らに行っ て見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いでいた。阿爺、これでわしたちを殺してく れといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうで ある。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落としてしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕らえられて牢に入れられた。 「山の人生J 93-94頁 欲望の喚起をする赤い光 諸君、自分はその夜更に驚くべく忘るべからざる光景に接したののである。.oo 自分が眼覚めた時には、既に炎々たる火が全室に満ち渡って、黒煙が一寸先も見えぬほど 這っていた。自分は、寝衣のまま、・・・戸外へと押し出された。 押出されて、更に驚いた。 夢ではないかと思った。 どうです。諸君。全村がまるで火!!! 鎮守の森の陰に一つ。すぐ前の低いところの一隅に 一つ。後に一つ。右に一つ。殆ど五六力所から、凄まじい火の手が上がって、それが灰色の雨雲に映って、寝惚けた眼で見ると、天も地も悉(ことごと)く火に包まれて了ったように思われる。雨は歇(や)んだ代わりに、風が少し出て、その黒烟とその火が恐ろしい勢で、次第にその領域をひろめて行く。寺の鐘、反鐘、叫喚、大叫喚!!! 自分は後ろの低い山に登って、種々の思想に撲れながら一人その悲惨なる光景を眺めていた。 実際自分はさまざまな経験を為たけれど、この夜の光景ほど悲壮に、この夜の光景ほど荘厳に自分の心を動かしたことは一度も無かった。火の風に伴れて家から移って行く勢、人のそれを防ぎ難(か)ねて折々発する絶望の叫喚。自分はあの刹那こそ確かに自然の姿に接したと思った。 (『蒲団・重右衛門の最後』新潮文庫164-165頁 閉じた共同体のもつ異人への恐怖にみちた幻想:異人幻想 集団の「声なき声」:民間伝承 柳田国男『遠野物語』 閉じた共同性:民族国家をささえる幻想 異人への残虐さ戦時における残虐さ 本来、異人は交易へと開かれた存在である。それを恐怖する共同性はいわあ「閉じた」倫 理の支配する「閉じた共同体」と呼ばれるべきである。この閉じた共同性の称揚がなぜ行 われるのか。その蒙昧さを啓くのでなく、その恐怖の共同性を歌い上げるのはなぜか。 石尾の指摘によればこうした閉じた共同性は家産制下のライ卜ルギー経済のおいて称揚されるものである。諸共同体を統括する政体が疑似共同体の長として、いわば国家を「想像の共同体」として統括するとき、この閉じた共同性が持ち上げられ、開かれた倫理を放棄されるのである。 花袋のまなざし 放火-性欲=睾丸肥大(創作) 柳田のまなざし ムラにおける集団的殺意の潜在 根源的殺害-ムラの集団的恐怖:笑いのない異人恐怖 佐々木鏡石の語り(ムラ人たちの観点) お化け話;哄笑との同居 を『遠野物語』として、村人の深層にある共同幻想を抽出したかのようにみせる。 (2)可視化される異常性・犯罪性 田山花袋は放火の原因として睾丸の肥大にみられる異常性欲を創作している。 こうした性欲から放火するという説を紹介しているのが、 呉秀三「放火狂を一証侯トシテ論ジ其二三ノ症例を挙グ」 (『東京医学雑誌』7巻1893年,pp.450-460,509-516,585-589,687-694,749-714,890-893,988-989) 呉秀三は日本の精神医学の開祖とでもいうべき存在。 この論文は連続放火犯、永吉力松の精神鑑定の報告書。 ここで「放火ノ處行ヲ以テ一種ノ性慾ヨリ出ヅルモノトノ、狂疾ナキモ其疾性慾ノ為二此犯罪ヲナスモノアリトノ説ハ、嘗テ一時ニ行ハレタリ」と紹介している。 そして最後に永吉力松の顔の精密な銅版画を掲載している。 この連続放火犯の外見にその犯罪を引き起こす異常性を見出そうとしていないか。 チェザーレ・ロンブローゾ(伊: CesareLombroso、 1835年11月6日 - 1909年10月19日)は、イタリアの精神科医で犯罪人類学の創始者) 犯罪生得説(犯罪者は生まれつき犯罪者でそれは頭蓋骨などの異常からわかる、という説)の提唱者 1876年に上梓された『犯罪人論(L'uomodelinquente)』である。全3巻、約1,900ページにも及ぶこの大著において、彼は犯罪に及ぼす遺伝的要素の影響を指摘した。 イタリアにおいてなぜこのような差別論以外の何者でもない議論がうまれたのか。 ここでイタリアという国が統一された過程を見てみると、 それは南部と北部との内乱状態を経ていることがわかる。 (ちょうどアメリカの南北戦争期と重なる、両国がウエスタンを生み出した理由か)。 「盗賊の顔つきをしている」者を虐殺しつくした将軍の語りは、ロンブローゾのそれと大差がない。 (東京書籍『世界史B』2013年,288-9頁) 南部とシチリア島の暴動 1860年以降の政府の最大の悩みの種は南部であった。晩年の力ヴール(彼は1861年6月に病に倒れ、急死した)も頻発する南部の暴動に悩まされたが、たいていの場合、軍によって鎮圧した。1860年代半ばまでには、政府が表向きは「山賊討伐」と呼んだ暴動鎮圧のため に、10万人ちかい兵士が動員された。南部の暴動や無法の横行は、たしかに犯罪であったが、改治的社会的な抗議でもあった。シチリア島民が新政府に猛反対したことの一つは、徴兵制だった。そのような制度は、それまでのシチリア島にはなかったからである。1862年の夏、ゴヴォーネ将軍はシチリア島で 徴兵忌避者を一斉検挙し、村全体を包囲して水の供給を断ち、「山賊らしい顔つきの者」は見かけしだい射段するという残虐な軍事行動を行った。この将軍は議会に喚問され、当時の作戦をたずねられたとき、殺しただけでは物足りないとでもいうように、シチリア.島民は未開人である、と暴言を吐いた。 (クスリトファー・ダガン著『イタリアの歴史』創土社2005年、197頁)
(3)ジョバンニ・ヴェルガGiovanni Verga1840-1922 ゾラの自然主義文学の影響を受け、シチリアの現実を描いた(ヴェリズモ文学) 「グラミーニヤの恋人」:ヒーローとしての山賊(脱走兵)に恋い焦がれてその子ども生む娘 「カヴァレリア・ルスティカーナ」:徴兵の間に嫁いだ恋人のとの関係に気づいた夫と決闘して死ぬ元狙撃兵 「赤毛のマルペーロ」:硫黄鉱山で父をなくし、自らも坑道の中に消えた赤毛の少年炭鉱夫 「羊飼イエーリ」:幼なじみのマーラとようやく結ばれた羊飼イエーリ。しかしマーラはおなじく幼なじみだった地主の息子ドン・アルフォンソの情婦だった。事態をようやく理解したイエーリは一瞬にしてドン・アルフォンソの首をかき切り、裁判官のまえに引きたらられた時「どうして!」と言った。「殺してはいけなかったの?・・・あいつがぼくのマーラを盗んだのに!」 「マラリア」:マラリアがすべてを奪っていく沼地で酒場のおやじは鉄道によってさびれた店をたたみ、信号夫となる。 「ルーパ女狼」:いつも腹をすかせている狼のように、情欲に飽くことのない女ルーパは、懲役帰りの青年を我がものとするために、娘とめあわせ、シチリアの真昼の小麦畑で、義理の息子となった男と愛欲をむさぼる。 田山花袋にも「一兵卒の銃殺」という作品があり、それは脱走兵の放火を描いている。 人々が、一種、けだもののようになってあい争う。「獣人」となった人々。しかし、それは動物への回帰でも、古代ギリシャへの回帰(D.H.ロレンス)でもなく、南部を搾取するかたちでのイタリア統一のもとでの、むき出しの人間性の現れにほかならない。 田山花袋の小説と似たモチーフが現れるのは、国民国家形成という形で現れた近代化(そのもとでの「獣人化」)を両作家が描いているからにほかならない。
by takumi429
| 2014-07-21 23:03
| 田山花袋研究
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