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社会システム論(1)(続き)

(3)-1 パーソンズの社会システム論
パーソンズ Talcott Parsons (1902-79) の社会システム論はその名もずばり『社会学体系』The Social System (1951)という著作においてまず展開された。われわれはまずこの作品からみていくことにしよう。
パーソンズのこの難解な大著を理解するための鍵はその献辞にある。そこにはこうある。  ヘレンに捧ぐ
  彼女の健全で実際的な経験主義は、これまで長いあいだ、不治の理論病患者のための  是非とも必要な平衡論であった。」
 この献辞から読み取れることはつぎのことである。まずここでは、夫と妻との関係が、すなわち二者関係 (dyad)がとりあげられていること。つぎに、理論病患者たる夫(パーソンズ)のかたよりは経験主義者たる妻(ヘレン)によってバランスがとられている、すなわち、この二者関係には相補関係による平衡=均衡 equilibrium(つりあい)が保たれているということである。またさらに読み込めば、両者は夫としての役割と妻としての役割をたがいにはたしており、両者の相互関係は役割として結晶化・安定化しているのである。先取りしていえばここには、バランスのとれた役割の相補関係から社会とらえていこうとする、パーソンズの志向が現れているのである。
 ところでこの『社会体系論』が解決しようとした問題(課題)は何であったのだろうか。 それが有名な「ホッブズ問題」とよばれるものである。この問題をパーソンズは『社会的行為の構造』(Parsons 1937)で提示している。「ホッブズ問題」とは、「諸個人が功利的に行為する場合、いかにして社会秩序は可能か?」という問題である。パーソンズによれば、トマス・ホッブズはこの問題は諸個人が社会契約することで解決するとした。しかしパーソンズはこれを功利(合理)概念の過大な拡張であり、実際には解決できていないとした。
 『社会体系論』においては「ホッブズ問題」は「ダブル・コンティンジェンシー(二重の条件依存性)」の問題へとおきかえられている。その「ダブル・コンティンジェンシー」とは、自己と他我(相手)の欲求の充足がそれぞれ相手の行為に依存するのだが、この相手の行為がこちらの行為のいかんに依存していること、を意味する。こうして社会秩序の問題は、二者関係における相互行為の安定性条件の問題へとうつしかえられる。
 この問題に対してパーソンズが提示した解決は、共通の価値の受容ということであった。すでにみたようにパレートにおいては、財の分配をめぐる闘争、すなわち契約線の上のどこのパレート均衡点を選ぶか、という問題は、エリートが大衆に特定の分配状況を「正しいもの」と信じこませること、つまり「派生体」(正当化の論理)のはたらきによって解決された。パーソンズの場合、パレートの「派生体」は共通の価値におきかえられているのである。
 共通の価値の受容は二つの面をもつ。ひとつは、 共通の価値の内面化であり、もうひとつは、 共通の価値の制度化である。では価値受容が具体的にはどのようなものとなるかというところで、パーソンズはアメリカ人類学が生んだ役割理論を採用する。「ダブル・コンティンジェンシー」における不安定性は、具体的には両者のあいだで一定の役割期待の相補性が成立することによって解消される。それは、 ’役割を演ずるべく人が動機づけられること、すなわち「社会化」と、 ’役割-地位の体系として社会が形成されるということ、から成立する。
 では行為を方向づける価値のパターンにはどんなものがあるのか。パーソンズはこの価値のパターンを、5つの二者択一のかたちに整理し、それを「パターン変数」と呼んだのである。すなわち、普遍主義/個別主義(どんなものに対しても同じか/特定のものにだけか)、業績本位/帰属本位(業績によるか/生まれによるか)、感情中立性/感情性(感情をおさえるか/感情をこめるか)、限定性/無限定性(相手の特定の側面に反応するか/多くの側面に反応するか)、集合体志向/自己志向(みんな(集団)のことを考えるか/自分を利害関心を優先するか)、の5つである。
 『社会体系』のおいてもっとも有名となったのは、このパターン変数の考えである。パーソンズはこのパターン変数を第 章「社会構造と動態的過程--近代医療の事例」で医師-病人の関係において適用している。しかしじつはむしろこの医師-病人関係を理解するために、テンニースのゲマイシャフト-ゲゼルシャフトの図式を修正・解体することで、このパターン変数は得られた。その際パーソンズに重要な影響をあたえたのが、L.J.ヘンダーソンの「社会システムとしての医者と患者」という論文[Henderson1935]であった。
 医師・生理学者であったヘンダーソンはパレート研究会を主催し、さらに『パレートの一般社会学』という著作も書いている。そのかれがパレートの残基の考えを医師-病人関係に適用したのが、この論文であった。その内容をみてみよう。
 ヘンダーソンによれば、医学は応用自然科学であるが、医師と患者との関係は人間関係の学を用いるべきである。人間は感情をもつ。医師と患者はひとつの社会システムをなしており、そこでは感情とその相互関係が最も重要である。患者はおそれなどの感情に動かされている。医師は患者の感情に動かされることなく、患者の感情に働きかけなくてはならない。医師は、精神分析理論の助けも借りて、患者の言うこと、言わないこと、言えないことを聞こうと努めなくてはならない。患者の感情を知り、患者をはげまさなくてはいけない。自然科学のように、真実をそのまま述べることは、患者に対しては望ましくない。たとえば「これはガンである」などと真実をありのまま宣告することはのぞましくない。医師は、患者に、医師は患者の幸福 welfare を願っているのだという信念を呼び起こさ
なくてならない、というのである。
 医師と患者とのあいだには、たんなる利害をこえたものがある。そしてそれが両者の関係を潤滑に運ばせるものなのである。パーソンズはそれを、患者が医師を父親と同一視する過程(それは同時に治療の過程でもある)と、両者の行為を方向づける価値のパターンの受容であるとみた。癒す者と癒される者は、特定の価値のパターンをうけいれ、たがいに相補的な期待をいだくことによって、医師と病人との安定した役割の関係を形成するのである。
『社会体系論』では、このパターン変数をめぐる細かな(病的ともいえる)議論がなされる。それと対照的に、社会構造についての記述はまだ抽象的なレベルにとどまっている。(そのくどさという点ではどちらもいい勝負ではあるが)。
 ここではパーソンズは、ラドクリフ=ブラウンの構造-機能主義[Radcliffe-Brown1952]をほぼそのまま踏襲して、それを前提にして議論をすすめている。すなわち、社会構造は地位を単位として構成され、地位にはそれにふさわしい役割があるとするのである。(ただしラドクリフ=ブラウンの場合は社会構造の単位をそのまま人間としているに対して、パーソンズの場合は、地位ー役割が単位となっている)。社会体系がおける過程がこの構造の維持にとって有益な場合、それは「機能」しているとみなされるのである。
さて『社会体系論』の内容はこのくらいにして、づぎにこの著作の問題点をみてみよう。
まずパーソンズははたしてかれのいう「ホッブス問題」の解決に成功したのか、という問題がある。これにたいしては、D.ロングの有名な批判がある(Wrong 1961)。かれは言う。パーソンズらは共通価値を内面化する過程(社会化)を、フロイドの「超自我」(規範の内面化されたもの)と結び付けている。しかし、フロイドにおいては「超自我」は、自我とイド(欲望)との三者関係のおいて位置づけられており、人間は完全には社会化され尽くされ得ないというところにこそ、この概念の眼目があったのである。それにパーソンズらのように社会化された人間観からは、およそホッブズ問題のもつ現実性は失われてしまう。また人は他者の承認をかちとることでよき自己像を達成しようするというのは、一面的な人間観である。こうした過剰に社会化された人間観は、過剰に統合された社会観の裏返しなのである。社会学者はご都合主義のおわつらえむきの人間の概念ではなく、もっとも複雑で弁証法的な人間の概念を作り上げていくべきである、と。
 まことにもっともな批判である。パーソンズはコント以来の社会秩序の再建という社会学固有の問題にあまりに性急に答えようとしたため、ダーレンドルフが指摘するように、かえって非現実的なユートピア的な静止した世界をつくりあげてしまったのである。
これに関連して、パーソンズはこの『社会体系論』で「社会過程の第一法則」なる法則を提唱している。すなわち、役割期待の相補性の維持はひとたび確立されると、その後問題化されることなく、相互行為過程を維持する傾向がある、いうのである。いわば社会の慣性の法則とでもいうべきものを提唱しているのである。
 これにたいしてはすぐさまつぎのような批判が生まれよう。この法則は、まず役割遂行をする成員を社会化する際に生じる逸脱の可能性を無視している。さらにある社会体系とその環境との関係(たとえば医師-病人の関係にたいする他の社会事情、および医療技術の進歩、他の医療スタッフとの関係などの影響)も無視している。
 こうした問題点は結局、パーソンズの社会体系論のつぎのような根本的問題へと帰するといえる。パーソンズの社会システム論とは、行為者が共通の価値のパターンを受け容れることで、相補的な(均衡状態にある)役割関係が成立し、役割-地位の体系としての社会が形成される、ということであった。つまりパーソンズ社会体系論の根本的な問題とは、かれの体系論が生物学的な構造-機能(ホメオスタシス)モデルと機械(均衡)モデルの融合によって作られており、実質的には孤立システムにおける均衡概念を用いている点にあるのである。
パーソンズはその後社会構造について理論的内容を充実させるとともに、社会進化論について語ることでこの欠陥を埋めようと努力した。それにたいする評価は(3)-2で述べることとしよう。
by takumi429 | 2005-02-03 05:41 | 社会システム論
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