カルヴァンの生涯 1509:フランスのピカルディーで誕生(ルターの26年後)。ドゥメルグによれ ば、ピカルディー人は自由解放の精神に富んだ船乗りたちで、「勇敢にして短 気なピカルディー人」という慣用句がある。カルヴァンは怒りっぽい性格だっ たと言われるが、自身の多くの書簡に「私は短気であることを告白します」と いう文章がある。 1523:聖職登録し、パリへ遊学。 1529:父の意志により法律の勉強に転向。 1531:父の死により、生来の希望である古典文学研究者(ユマニスト)になり、文 学、古典文学の研究に没頭。 1532:『セネカ寛容論の注解』を刊行。世に知られるようになる。 1533:友人ニコラ・コップ、パリ大学総長就任演説に際して福音主義を説き、 教会を追われ亡命。この演説草稿を書いた疑いによりカルヴァンも亡命。 1534:回心を体験、福音主義陣営に入る。故郷に戻り聖職禄を辞退。パリで「 檄文事件」(教皇のミサの誤謬を攻撃したビラが、国王の寝室にまで貼られた )が起き、数十人が処刑される。カルヴァンはバーゼルに亡命。 1536:バーゼルで『キリスト教綱要』初版本(ラテン語、全6章)を刊行。 ついでフランス語版が刊行される。フェラーラからバーゼルへの帰途、 戦乱のため道が通行止めになりジュネーブを経由。この地でファレルに 引き留められ、ジュネーブの宗教改革のために働く。 1538:教会改革についてジュネーブの当局者たちと意見が合わず、追放され、 ストラスブールへ。亡命者のためのフランス教会を建てる。 1540:3人の子を持つ未亡人イドレットと結婚。 1541:改革に失敗し、無政府状態となっていたジュネーブへ、再び招聘される 。 1547:過労のため悪性気管支カタルを疾病。生涯過度の徹夜により体力を酷使 。不断の偏頭痛のため口を開けられない状態が続く。 1553:三位一体を否定するセルベトスを告発。(市議会は火刑を宣告。 カルヴァンは火刑を免れさせようと努力するが火刑が執行される) 1556:肋膜炎、肺結核に襲われる。 1559:ジュネーブ大学を創立。 1564:7つか8つの病気と戦いつつ死去。
by takumi429
| 2015-04-26 04:13
| 社会環境論
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