3.テンニース『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』

3(改) テンニース 『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(1887)

まず前回の復習をかねて、NHK高校講座世界史『産業革命と社会問題』を見よう。

導入
ここに二人の孫、所くんと財全くんがいるとしよう。二人の祖父はともに東京大学を主席で卒業し、恩賜(おんし)の銀時計をもらった。
所くんは小さいころからおじいさんにこの懐中時計をみせてもらっていて触ったりしていた。いまはおじいさんからゆずられたこの時計は所くんの胸ポケットにいつもある。使っているうちにできた小さなへこみ、ねじを巻くときのぎりぎりという指先につたわる美振動、それらがすべてやさしいが凛とした祖父の姿を思い出せる。胸ポケットにコチコチを時を刻む音は祖父の鼓動のように感じされ、所くんの思い出のなかでおじいさんは今も生きている。
生前、ほとんど会うこともなく疎遠にしていた祖父がなくなり、その祖父の銀時計を形見分けとして相続することになった財全くん。さっそくネットでみたら1850000円の高値で販売されいた。ただすこし凹んだところがあり、箱もないので、これほどの高値にはならないだろうが、明日、さっそく骨董屋にもって行って鑑定してもらおうと思う。高値がついたらすぐに売って、新型のiPadを買うつもり。お金が余ったら、そうだなあ、フレンチでも家族で食べに行くかな。

所くんにとってこの銀時計は思い出の品であり、人にはゆずれない、そうした価値のある所有物(Besitz)である。
財全くんにとってはこの銀時計は、処分可能な財産(Vermoegen)であって、売って得たお金はいろんなことに使える。
前回、使用価値と交換価値というマルクスの二分類を見た。所くんにとってはこの銀時計は限りない使用価値をもっているが、財全くんにとっては、売ってなんぼの交換価値をもつものでしかない。
所くんとこの時計の関係は、思い出と代えがたさをもつだ。さらに所くんとおじいさんの関係は、思い出(記憶)と継承の代えがたい関係だ。この関係をおしひろげていくととどんな物と人、さらに人と人との世界がうまれていくだろうか。
また財全くんの時計の関係は、計算づくで、できるだけ高くうることで、お金に代え、できるだけ多く役立てて多くの満足をえることだ。また財全くんとおじいさんの関係は、なくなった人間とその相続人という法的な関係にすぎない。この関係を物と人、人と人に押し広げるとどんな世界がうまれてくるだろうか。

テンニースは、私たちの社会は、欲得づくの計算による選択的な関係であるゲゼルシャフトと、代えがたい記憶と愛着とからなる関係であるゲマインシャフト、の二つからなると考えた。

フェルディナンド・テンニース(Ferdinand Tönnies1855-1936)は、もともとホッブズ(Thomas Hobbes 1588-1679)の研究者として出発した。研究者としてはどの程度のレベルかというと、ホッブズの未発見の草稿をテンニースが発見し、いまでもホッブズ研究者がそれに依拠している。

ホッブズの描く人間社会は、人間と人間が争いあう世界である。
ホッブズが『リヴァイアサン』(1651)の述べた〈服従契約としての社会契約説〉はつぎのような三段論法からできています。
(1)人間には自分を守ろうとする、おのずからそなわった権利がある(自己保存への自然権)。しかしそうして自分を守ろうとする人間は自分を守るために他人を傷つけ殺すこともいとわない。その結果、放っておけば、人間が人間に対して、まるで「狼が狼に対するような」殺し合いの状態になってしまう(〈暴力的死の恐怖〉の中で向き合う自然状態)。
(2)これでは人間同士討ちになってしまいかねない。そこで人々は、自分を守るための手段(暴力・武器など)を、ある特定に人間に預けることにし、それを互いに約束(契約)して、そうしてこの同士討ちをさけようとする。
(3)その特定の人間は、暴力手段を預けられることで、人々を自由に支配する力(主権 sovereignty)を持つ。主権をもつ人間へ服従することで、ひとびとは互いに殺し合うことなく、自分たちを守ることができるようになる。ここに、特定の人間にひとびとが服従している状態、つまりひとつの国家ができあがる。
ホッブズの社会契約説とは、他の契約説と同じく、あらゆる社会関係をいったん解体し、
自己の保存を追求する個人から社会を構成しなおそうという、思考実験です。しかしこの思考実験は決して思考の内部にとどまるものではありませんでした。それは現実の社会関係の解体と再構築に対応していたのです。
ホッブスの社会理論はユークリッド的な公理体系をめざした。
このホッブズの社会哲学にたいしてテンニースはその処女作『ホッブズ哲学注解』(Anmerkung ueber Philosophie des Hobbes)のなかでテンニースはつぎのように述べています。
「定義と公理から推論され証明される幾何学とその確かさにおいて同等になること、それは学問に可能だろうか、あるいはどうしたら可能であろうか。これが認識理論の中心問題であった。トーマス・ホッブズは新しきヨーロッパでこの問題を解こうと努力した最初のひとりであった」(Vierteljahrsschrift fuer Wissenschaftliche Philosophie 3 (1879) S.461)。
 ユークリッド幾何学は23の定義と5つの公理からその全体系を論理的に構築しています(こういう理論体系を「公理系」といいます)。テンニースによればホッブズの哲学は、このユークリド幾何学的な構成をもつ社会哲学です。

テンニースはホッブズの描く社会は、まさに資本主義の社会にほかならないと考えた。
カナダの政治学者クロフォード・マファーソンはその著『所有的個人主義の政治理論』で、ずばり、「所有的市場社会」にほかならないと指摘します(邦訳77頁) 。自分を守る、ということがすぐに、他人を損なう、ということにはなるわけではありません。それがホッブスが描くように、自分を守ることが他人から奪うことになる、というのは、人間が互いに「取ったり取られたり」の関係にある、つまり、自分の取り分を増やすためには他人の取り分をへらすしかない、という関係にあるということです。マクファーソンはそういう関係があるのは、人間が、互いの持っている(所有している)ものを(市場で)売り買いし合っているような社会、自分が儲けることが他人の損になるような社会、つまり「所有的市場社会」 にほかならない、と指摘します。。ホッブズの『リヴァイアサン』は、所有的市場における「自然状態」を克服するものとしての国家(リヴァイアサン)つまり市場における闘争から国家が要請されていくことを、ユークリッド幾何学のように、公理と定義から積み上げるように記述しようとしたものだったのです。
それは市場社会の社会幾何学だったといえるでしょう。

テンニースは、私たちの社会には、資本主義とそれを補い支える社会体制とは別の社会があると考え、それをゲマインシャフトとよんだ。
テンニースによれば、ゲマインシャフトとは肉親・家族や古くからの町のことで、そこでは親身な関係が支配しています。それに対して、ゲゼルシャフトとは、会社や大都会のような、欲得ずくの関係が支配している人びとの集まりです。
 テンニースは、人間が作る結合体には2つの類型があるとします。ゲマンシャフトは、本質意志による 有機的な(organish) 結合体であり、ゲゼルシャフトとは、選択意志による 機械的な(mechanish) 結合体であるといいます。ここでいう、「本質意志」とは、思惟をふくむ意志、生の統一性原理であり、「選択意志」とは、目的にふさわしいかを考えてものを選んでいる意志です 。ようするに、ゲマインシャフトがほかではありえないような気持ちでつながっている集団や関係であるのに対して、ゲゼルシャフトとは、欲得づくの計算によってつながっている集団や関係といえるでしょう。

テンニースは、人間機械論から社会の論理まで組み上げたホッブズの手法をつかって、本質意思から論理的にゲマインシャフトを組み上げようとした。
テンニースは2類型の集団結合の基礎となる、人間の意志についての2類型をあげます。すなわち、「本質意志」(思惟をふくむ意志、生の統一性原理)と、「選択意志」(意志をふくむ意志そのものの産物)です。
この意志論にもとづいてあるべき社会の基本となる、人と物と法的な関係がうまれます。
ゲマインシャフトゲゼルシャフト
本質意志 選択意志
おのれ(Selbst)人格(Person)
占有(Besitz)財産(Vermoegen)
土地 貨幣
身分権債権

テンニースのゲマインシャフトには、国家を家族や民族よって粉飾・美化しようという意図はなく、国家はあくまでもゲゼルシャフトにすぎない。
重要なのはテンニースが国家を民族を体現したものとはみなしていないことです。
「国家(Staat)は二様の性格を有する。まず第一に、国家は普遍的ゲゼルシャフト的結合である。・・・第二に、国家はゲゼルシャフトそのもの、換言すれば、ここの理性的ゲゼルシャフト的主体という観念と共に与えられる社会的理性である」(179-80頁)。
「国民国家(nationaler Staat)の形成は無限に拡大するゲゼルシャフトの一時的に限定されたものにすぎない」(189頁)。 
 つまり、テンニスにはいわゆるナショナリズムにみられるような、民族と国家を同一視するような指向はないのです。ふつうナショナリズムにおいては、過去の幻影が民族の形をとって現在の国家体制を正当化するものとして要請されます。しかし、ホッブスの社会幾何学に習って、社会集団の2類型を幾何学的に積み上げ明晰に構成したテンニースにとって、国民国家を「民族」の名の下に正当化することは許されないのです。

ナチズムが、「民族共同体」(フォルクス・ゲマインシャフト)の名の下に、その独裁を正当化し美化しようとしたとき、テンニースは憤然とそれを批判して公的場面をさった。

テンニースは、社会のありようを、ホッブズとマルクスがとらえたゲゼルシャフトだけでなく、ゲマインシャフトという原理から、社会を、構築的にとらえかえそうとした。
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by takumi429 | 2016-05-05 21:44 | 社会学史 | Comments(0)
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