7.欲望の喚起装置としての近代---デュルケームとゾラ---

アノミー概念の誕生
デュルケーム
 『自殺論』(1897)
 自殺は、個人的な理由により、自殺しようという心理の結果、生じる、と私たちは思いがちです。
ところが、デュルケームは各国の統計を使って、自殺率(10万人あたりの自殺者数)は、国ごとに安定しているということを示しました。(デュルケームがあげている統計は、ヨーロッパの民族国家の統計です。民族国家は同一の民族と言語からなる国家なので特有の社会的文化をもつと考えられました)。しかし人は自殺率を安定させるために死のうとするわけではないでしょう。ですからこの安定した自殺率、という「社会的事実」は、自殺する人間の個人心理からのでは説明できません。
そこでデュルケームは、国)ごとの「自殺率の一定比率」という社会的事実を説明するには、社会的な原因を挙げなくてはいけないとしました。彼が自殺の社会的原因だとしたのは次の4つです。
(デュルケームは当初の構想を改変しているので、『自殺論』の記述からはこの4つが見えづらくなっています。ここはベルナールらによる修正に依拠して4つの社会的原因をあげます)。(『デュルケムと女性、あるいは未完の『自殺論』: アノミー概念の形成と転変 』 フィリップ・ベナール著 ; 杉山光信, 三浦耕吉郎訳.新曜社, 1988.)

Ⅰ自己本位的自殺:社会の統合や連帯が弱まり、個人が集団から切り離されて孤立する結果として生じる自殺
例証としては、プロテスタントとカトリックを比べると、プロテスタントが自殺率が高く、カトリックが低い。また、未婚・やもめ、と、結婚している者を比べると、前者が後者より自殺率が高い。また平時と戦時を比べると、平時の方が自殺率が高い。つまり統合・連帯が弱い者の方が自殺率が高いというわけです。(こういう説明の仕方を「共変法」といいます)。

Ⅱ集団本位的自殺:社会が強い統合度と権威をもっていて、個人に死を強要したり、奨励したりすることによって生じる自殺
例としては、宗教による自殺や軍隊における自殺率の高さがあげられます(日本軍の集団自決などもこの例に入るでしょう)。

Ⅲアノミー的自殺:社会の規範が弛緩したり、崩壊したりして、個人の欲望への適切なコントロールが働かなくなる結果、際限のない欲望に駆り立てられた個人が、その結果、幻滅しむなしくなっておこす自殺
ここでデュルケームは、「アノミー」という概念を提示しました。アノミーとは、欲望の無規制な状態、欲望が螺旋状にどんどんと拡大していくありさまをいいます。(ちなみに、後にマートンは、目的と手段の枠組みをつかって、このアノミー概念を、適切な手段をもたない目的として定義しましたが、これはデュルケームの本来のアノミー概念からははずれています)。
例としてデュルケームは、経済アノミーというものをあげています。いわばバブル崩壊による自殺です。

Ⅳ宿命的自殺:欲望に対する抑圧的規制が強すぎるため、閉塞感がつのって生じる自殺。
ベルナール(1988)が挙げている例は、未婚・やもめの男性は結婚している男性よりも自殺率が高いのに対して、未婚女性あるいは寡婦は結婚している女性はよりも自殺率が低い、という例です。つまり、結婚は、男性によっては適度な拘束ですが、女性にとっては過度な拘束だというのです。

Ⅰ自己本位的自殺とⅡ集団本位的自殺を規定する社会的変数は「統合」(まとまり)であり、Ⅲアノミー的自殺とⅣ宿命的自殺を規定する社会的変数は「拘束」(しばり)である、とデュルケームはしています。
つまり、統合が弱いとⅠ自己本位的自殺が増え、統合が強いとⅡ集団本位的自殺が増えます。
また、拘束が弱いとⅢアノミー的自殺が増え、拘束が強いとⅣ宿命的自殺が増えるのです。
つまり適度な統合と拘束の時に自殺は少ないというわけです。

デュルケームはなかなかクールな社会観察者で、一定程度の逸脱が社会にあるのは、「正常」なことだと見なしています。だから、自殺率も一定しているなら、それはそれなりに「正常」なことだと見なします。しかし自殺率が安定しないで以上に増加しているなら、それは「異常」なことだとします。
現代において自殺率が異常に増加しているのは、まさに異常なことであり、その解決策として、統合の中間項として職業集団が活発になる必要があるとしました。
さて、デュルケームのみるところ、彼の時代、19世紀後半のフランスは、統合(まとまり)と拘束(しばり)がゆるんだ社会でした。かれは、社会の統合と拘束をもたらすのは、道徳と宗教だとしました。
『道徳教育論』では道徳のもつ統合性と拘束性を強調し、それを子どもに注入するのが教育の欠くべからざる働きだとしました。
また『宗教生活の原初形態』では、過去において道徳を規定していた宗教の原初的形態を社会学的に探ろうとしました。ドイツの哲学者カントは人間が物事を認識する図式は人間の中にあるとしました。またその道徳原理も人間の内なる精神の中に神から与えられてあると考えました。それに対して、デュルケームはそうした認識図式も道徳原理も人間のうちにあるのではなくて、むしろ社会の方にあるとしました。いわば「逆立ちしたカント主義」をとっています。(ちなみに、カントが人間の精神〈脳?)の中にあるとした認識図式を、すべて人間の身体から生まれたものとして、カントのあげた認識図式をすべて身体から説明するという離れ業の挑戦しそれをやりきっているのがメルロ=ポンティの『身体の現象学』です)。
デュルケームは緩んだ社会のまとまりとしばりを宗教と道徳で締めなおそうとしたわけです。すなわち、「デュルケームは第三共和政の法王たらんとした」(折原浩)のです。
ではデュルケームがなんとかしなくてはと思った、まとまりとしばりが緩んだ社会とは何だったのでしょうか。それは第三共和政の前、ナポレオン三世が支配した第二帝政の時代にほかなりません。ナポレオンの甥によるクーデター成功の後うまれた第二帝政期は、オフェンバックのオペレッタに沸き立たつどんちゃん騒ぎの、まさに際限ない欲望の時代でした。
 デュルケームの欲望論
 際限なく増大していく欲望。この欲望についてデュルケームが述べているのは、『社会主義およびサン-シモン』(森博訳恒星社厚生閣)という講義でです。
サン-シモンというのは、「空想社会主義者」として(マルクスの僚友)エンゲルスが区分した思想家です。彼は、「産業者」の活動によって社会が豊かに改善されていくべきだとしました。彼の言う「産業者」とは、資本や土地を所有している「ブルジョワ」ではなくて、直接、物づくりに携わっている技術者・労働者であり、また物を人々のもとに届ける流通に携わっている人々です。封建的な社会が去って、今やこの産業者が権力をもって、技術革新によって社会をより豊かなものにしていくべきだ、というのが彼の考えでした(172頁)(生産だけでなく流通にも技術革新はあるのは、もちろんです。銀行や鉄道の整備や、最近なら、宅急便のシステムなどをみてもわかることです)。
 しかし、デュルケームは言います。社会が豊かになると人々は満ち足りておとなしくなりはしない。動物には本能があって、欲望の歯止めがかかっている。しかるに人間にはそうした歯止めがない。豊かになり、欲望が満たされると、人間は「もっと、もっと」と求めるようになるだろう。そうして、限りない欲望の増大によって、人々は苦しみ、また闘うようになるだとう。それを抑えるためには、「道徳心」が必要となるのだ、と(231-3頁)
 ホッブスは、こうした人間の争いを、「狼が狼に対するように」と言って、動物的な争いであるかのようにとらえていました。しかし、デュルケームは、こうした闘争が、本能の抑えを失った人間固有の欲望の形であることを、はっきりと見すえています(このあたり、デュルケームはちょっと頭の出来がちがいます)。
 デュルケームは、晩年、サン-シモンもこうした問題に気づき、それゆえ、「新キリスト教」というものを提唱して、歯止めのなくなった欲望に駆られた人々の混乱を納めようとしたのだ、といいます。しかし、サン-シモンはあくまでも、産業者の活動によって豊かになるまとまりのある社会を夢見ていて、それをそのまま、「新キリスト教」の原理としていたために、豊かさがもたらす欲望の無限地獄に対して有効な対策とはならなかったのだ、欲望を抑えこむには欲望の拡大をもたらした産業者の原理とは別の道徳原理を持ってこなくてはいけない、デュルケームはそう批判するのです(267頁)。
 サン-シモンの死後、その思想の賛同者たちは、一種の教団を作り上げます。しかし、この教団の原理は、いわば「産めよ増やせ」なので、それを実践すべく、一種の乱婚制が提唱・実践されたため、多くの信者が離れていき、教団は瓦解しました。しかし、サン-シモンの考えにしたがって、生産と流通の革新によって社会を豊かな(産業)社会へと変えていこうとする人々はその後も続いていきました。彼らは、具体的には、株式会社、銀行、鉄道によって、金を集め、流通させ、物を流通させることで豊かな社会をつくりあげようとしました。
 このサン-シモン主義者の政策を積極的に支援し推し進めたのが、自らもサン-シモンの思想に深く共感していたナポレオン三世であり、サン-シモンの思想によって産業社会へと劇的にフランスが変貌したのが、第二帝政期だったのです(参照 鹿島茂『絶景、パリ万国博覧会【サン-シモン鉄の夢】』(河出書房新社1992年)・『怪帝ナポレオン三世』(講談社2004年)・『渋沢栄一』(文藝春秋社2013年))。
アノミーの概念によって、際限のない欲望の拡大という事態をしてきしながら、その内実についてデュルケームがあれこれ言わず、すぐにそれを抑えこむ道徳と宗教について研究を向けたのは、そうした欲望の拡大が自明のものとして第三共和政の前にあったからです。
ゾラの「第二帝政期の人間喜劇」
しかし、こうした欲望の拡大がどのようにして生まれたのか、そのメカニズムは解明する価値のあることでした。その欲望のメカニズムを、いくつもの実地調査をして描いた人物がいました。それが作家エミール・ゾラでした。
彼は「第二帝政期の人間喜劇」を『ルーゴン・マッカール叢書』という全20巻の小説群で描きました。ゾラがそこで取り上げられたのは、地上げ、中央市場、アルコール中毒、百貨店、高級娼婦、鉄道、炭鉱、株式市場などなど、まさに人々の欲望の喚起する装置たちでした。これらまさに近代の欲望喚起装置(鹿島茂)を実地調査にもとづいてゾラは小説にえがいたのです。
ゾラはイタリア出身のナポレオン軍の工兵あがりの技術者を父に持ち、幼くして父をなくした彼は名門リセを卒後して、大学受験のときに急に理工系のグランド・ゼコールを受けて失敗してしまいます。しかし、技術者のむすこだったというプライドは絶えず持っていたようです。だから、バルザックがかならず小説を舞台装置から描いたように、小説の中心に社会的な装置(mecanisme)をおいてそのメカニズムを描いてみせました。
ゾラの『ルーゴン・マッカール叢書』の巻数と題名、あららまし、そしてそこで描かれた装置を以下列挙してみましょう。

1『ルーゴン家の運命』ルーゴンとマッカールの家系のはじまり。
ナポレオン三世のクーデターによるプッサンの動乱。
少年シュヴェールと少女ミエットの愛し方さえ知らない幼い二人の悲劇。少女は流れ弾で死に、少年は憲兵に墓場でこめかみを打たれて死ぬ。
装置:プッサンという街。墓場(死者を飲み込む場)。

2『獲物の分け前』オスマン男爵のパリ大改造の下、地上げによって巨万の富を稼ぐアリスティッド・サッカール。若き後妻ルネは夫の連れ子マキシムと温室で不倫にふける。アリスディッドはルネから金を巻き上げて破産を免れ、ルネは若くして死ぬ。
装置:温室(人工楽園)。パリ(人工都市)

3『パリの胃袋』流刑地から逃げ帰ったフロランはパリの中央市場で働くが、そこの人々の讒言によってふたたび島が流しとなる。
装置:パリのレ・アールの中央市場

4『プッサンの征服』フォージャ神父はマルト・ルーゴンの家に住みこみ、いつしかその家ばかりかプッサン市をも支配するにいたる。しかし狂人となったマルトの夫の放火によって家もろとも焼け落ちる。
装置:王党派と共和派の両方が見下ろせるマントの家。

6『ムーレ神父のあやまち』マント・ルーゴンの息子で司祭になったムーレはパラデゥ館の秘密の庭に住むアプビーヌと、アダムとイブのように愛し合う。しかし、彼が庭から去ったため、娘は死に、その葬儀を司祭である彼が司ることになる。
装置:秘密の花園。

6『ウジェーヌ=ルーゴン閣下』ウジェーヌ・ルーゴンは第3帝政で失墜の危機の乗り切り副皇帝にまでなる。装置:政治

7『居酒屋』
『居酒屋』ジェルヴェーズ・マッカールはランチエに捨てられた後、トタン職人クーバーの結婚し、洗濯屋を開業するが、舞い戻ったランチエとクーボーの二人と関係し、アル中となって貧窮死する。
装置:蒸留酒製造装置・居酒屋洗濯屋。

8『愛の1ページ』エレーム・ムーレは娘ジャンヌを救ってくれた医師と不倫し、娘はそれに嫉妬して病死する。別の男と再婚した彼女は娘の墓を訪れ去る。
装置:バルザック邸のあったパッシーの高台から見えるパリ

9『ナナ』ジェルヴェーズの娘ナナは高級娼婦となって多くの男を破滅させるが、最後は天然痘となって死ぬ。
装置:ナナの肉体。

10『ごった煮』プッサンから出てきたオクターヴ・ムーレはアパートの女たちを意のままにあやつる。オスマン様式の表面はきれいなアパートは裏では汚物にまみれ、主人たちと女中との不倫と嬰児殺しが行われている。
装置:オスマン様式のアパート(欲望の館)

11『ボヌール・デ・ダム百貨店』 オクターヴの作った世界初のデパートは女たちの欲望をあおることで大繁盛するが、周りの商店は破産させていく。
装置:デパート(欲望の館)

12『生きる喜び』海辺の家にもらわれたポリーヌ・クニュは莫大な遺産を受け取るが、養い親子に財産をすり減らされる。しかも彼女の財産を散在した婚約者サザールを友人に譲ることになる。
装置:海によって浸食される岸辺の村。金をくすねられる遺産の入った引き出し。

13『ジャルミナール』炭坑に流れ着いたエチエンヌ・ランチエは最初の夜に会ったカトリーヌに強く惹かれる。彼女もランチエに惹かれているが、結局シャバルに暴力的に女にされてしまう。エチエンヌらが中心となって起こした炭坑ストライキは失敗する。炭坑事故で坑内に閉じこめられた二人はようやく愛し合うがカトリーヌは死に、エチエンヌは助かる。労働運動の芽生えを感じつつエチエンヌは炭坑を去る。
装置:炭坑

14『制作』:印象派絵画ジェルヴェーズの長男クロードは画家となって、嵐の夜に出会ったクリスティーヌに理想のモデルを見出し、結婚する。しかしパリを描いた大作は印象派風の絵から毒々しい象徴的なものへと変貌を遂げ、作品を完成できぬまま首をつって死ぬ。
装置:キャンバス

15『大地』兵隊くずれのジャン・マッカールは、農民となってまじめに働く。フーアン老夫妻の土地の生前分与が失敗し困窮する。土地の奪い合いの中でジャンは妻も土地もなくして、軍隊にもどる。
装置:土地(投資と生産の装置)

16『夢』シドニー・ルーゴンの私生児アンジェリックは刺繍細工人に拾われて見事な刺繍細工職人となる。いつか王子さまがと夢見る彼女の元にオートクール家の跡取りフェリシアンが現れ、身分を超えての結婚式で彼女は昇天する。
装置:夢を紡ぐ刺繍

17『獣人』駅助役のルボーは若妻セヴリーヌが養父の愛人であったことを知り、養父グランモランを列車内で殺害する。それをたまたま知ったジェルヴェーズの次男クロードはセヴリーヌと愛人関係になり、ルボー殺害を計画するが、狂った殺人衝動からセヴリーヌを殺してしまう。その後ペクーの妻とも不倫したジャックはペクーと走行中の機関車(ラ・リゾン)でもみ合いとなって二人とも転落死する。運転手のない機関車は兵士を乗せて闇夜を疾走していく。
装置:機関車・鉄道

18『金銭』 地上げの後、サッカールはユニバーサル銀行を設立して、株をつり上げ、空前のバブルを出現させる。しかし株価はついに暴落して、多くの破産者を生む。
装置:株式取引所

19『壊滅』兵士の戻ったジャンは、ブルジョワ階級のモーリスと戦友となる。フランス軍は大敗し捕虜となった二人は逃げ出して、モーリスの姉のアンリエットの元でジャンは療養する。その後、モーリスはパリコミューンに参加。また軍にもどったジャンは彼と知らず銃剣で刺し、モーリスは治療のかいもなく死ぬ。惹かれ合っていたアンリエットとジャンは別れる。ジャンはフランスの再生へと歩み出す。
装置:戦争

20『パスカル博士』パスカル・ルーゴン医師は年金生活をしながら、ルーゴンとマッカールの家系の遺伝を研究し、『ルーゴンマッカール叢書』の内容と同じ文書を残す。年の差をこえて結ばれ自分の子を宿した姪のクロチルドに文書を託して死ぬ。しかし一家の汚名をおそれた母フェリシテは文書をすべて焼いてしまう。唯一残った家系図を見ながら、クロチルドは生まれた息子シャルルに授乳するのだった。
装置:家系樹。遺伝要因が交錯・発現

ゾラがあげた装置のすべてが欲望の喚起装置とはかぎりません。しかし、鉄道、百貨店、炭坑、市場、レビュウー、投機市場、戦争、はまさに欲望の装置としての、人々の際限のない欲望を引き起こしていったのです。

第二帝政期という欲望の拡大の時代に対して、一方でデュルケームはそれを道徳と宗教で抑えようと道徳と宗教の研究をし、他方、ゾラはその欲望の装置のメカニズムを探ろうとした。つまり、デュルケームとゾラは第二帝政が生んだメダルの表と裏の関係になっているのです。
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by takumi429 | 2016-06-01 17:17 | 社会学史 | Comments(0)
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