1.資本主義としての近代 マルクス

1.マルクス 資本主義としての近代


 ――私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕器(クラッシャー)へ石を入れることを仕事にしていました。そして十月の七日の朝、大きな石を入れる時に、その石と一緒に、クラッシャーの中へ嵌はまりました。

 仲間の人たちは、助け出そうとしましたけれど、水の中へ溺おぼれるように、石の下へ私の恋人は沈んで行きました。そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細い石になって、ベルトの上へ落ちました。ベルトは粉砕筒(ふんさいとう)へ入って行きました。そこで鋼鉄の弾丸と一緒になって、細こまかく細く、はげしい音に呪のろいの声を叫びながら、砕かれました。そうして焼かれて、立派にセメントとなりました。

 骨も、肉も、魂も、粉々になりました。私の恋人の一切はセメントになってしまいました。残ったものはこの仕事着のボロ許ばかりです。私は恋人を入れる袋を縫っています。

 私の恋人はセメントになりました。私はその次の日、この手紙を書いて此樽の中へ、そうと仕舞い込みました。

 あなたは労働者ですか、あなたが労働者だったら、私を可哀相かわいそうだと思って、お返事下さい。

 此樽の中のセメントは何に使われましたでしょうか、私はそれが知りとう御座います。

 私の恋人は幾樽のセメントになったでしょうか、そしてどんなに方々へ使われるのでしょうか。あなたは左官屋さんですか、それとも建築屋さんですか。

 私は私の恋人が、劇場の廊下になったり、大きな邸宅の塀(へい)になったりするのを見るに忍びません。ですけれどそれをどうして私に止めることができましょう! あなたが、若し労働者だったら、此セメントを、そんな処に使わないで下さい。


 葉山嘉樹の小説「セメント樽の中の手紙」(1926年)の主人公の松戸与三は、セメントあけの作業中、樽の中から小箱に入った手紙を見つける。手紙は続く。


 

 いいえ、ようございます、どんな処にでも使って下さい。私の恋人は、どんな処に埋められても、その処々によってきっといい事をします。構いませんわ、あの人は気象(きしょう)の確

(しっ)かりした人ですから、きっとそれ相当な働きをしますわ。

 あの人は優(やさ)しい、いい人でしたわ。そして確かりした男らしい人でしたわ。未まだ若うございました。二十六になった許(ばかり)でした。あの人はどんなに私を可愛がって呉れたか知れませんでした。それだのに、私はあの人に経帷布(きょうかたびら)を着せる代りに、セメント袋を着せているのですわ! あの人は棺(かん)に入らないで回転窯(かいてんがま)の中へ入ってしまいましたわ。

 私はどうして、あの人を送って行きましょう。あの人は西へも東へも、遠くにも近くにも葬

(ほうむ)られているのですもの。

 あなたが、若(も)し労働者だったら、私にお返事下さいね。その代り、私の恋人の着ていた仕事着の裂(きれ)を、あなたに上げます。この手紙を包んであるのがそうなのですよ。この裂には石の粉と、あの人の汗とが浸しみ込んでいるのですよ。あの人が、この裂の仕事着で、どんなに固く私を抱いて呉れたことでしょう。

 お願いですからね。此セメントを使った月日と、それから委(くわ)しい所書と、どんな場所へ使ったかと、それにあなたのお名前も、御迷惑でなかったら、是非々々お知らせ下さいね。あなたも御用心なさいませ。さようなら。


(葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」青空文庫http://www.aozora.gr.jp/cards/000031/files/228_21664.html2017年10月9日)


(1)資本主義社会

カール・マルクス(Karl Marx 1818 - 1883)は、私たちが生きているこの近代社会を、資本主義が支配する社会である、としました。      

 資本主義とは何か。冒頭に見た、葉山嘉樹の小説にひきつけて、まとめてみましょう。


 生産の現場で、労働者は命をけずって物を作っている。彼らの生命は生産物となる。だがその生産物は、すべて資本家のものとなり、市場で商品として切り売りされる。労働者がその品物にどんな思い入れを込めようと、それは商品となり、いくらで売れるか、お金(貨幣)で、その価値は計られる。こうして労働者の働きは、金(貨幣)で売り買いされる商品にされる。命をけずり切り売りするしかない労働者と、その労働者を雇いその労働が物となった商品を売ることで資本を増大させる資本家との関係を「資本主義」とよぶ。そしてそれが支配的基調となっている社会、を「資本主義社会」とよぶ。


(2)商品世界における奇妙な等号

 私には祖父からもらった万年筆がある。この万年筆には祖父の思い出がつまっている。その価値は何にも代えがたい。だが、金に困った私は万年筆を質屋に持って行く。「300円」。値踏みをした質屋の主人が言う。思い出の品が自販機のペットボトルのお茶2本分の価値しかないという。金に替え、さらにその金で別の物を買う。その時の価値が、300円。思い出にひたっている時の価値は何にも代えがたい。だが何かに代えよう、交換しようとするなら、それは300円の価値しかない。その交換の価値において、万年筆=300円=ペットボトルのお茶×2という等号がなりたつ。似ても似つかない、万年筆とペットボトル茶2本が等号で結ばれる。

 その品物それぞれがもつ固有の価値をマルクスは「実質価値」とよびました。だが実質価値に固執するかぎりそれは交換できません。交換するためには、それがお金で「なんぼのものか」を計らなくてはならない。その時、お金(貨幣)で表わされている価値をマルクスは「交換価値」とよびました。すなわち、交換価値の成立は貨幣による交換経済の成立でもあります。

 もし物々交換のレベルにとどまっているなら、お互いの持っているものをお互いに欲していいなくては交換できません。たとえば、Aが古万年筆をもち、Bがペットボトル茶2本をもち、しかもAはペットボトル茶2本を、Bはフル万年筆を欲していなくては交換できなくなります。もちろん、こんなことはめったにあることではないです。そこでいつでも人が欲している、しかも小分けすることができるような品物、たとえばタバコとか塩とかにいったん交換しておき、こんどはその品物で、別の物と交換するということがおきます。このいつでも交換され小分けできる特殊な商品としてお金(貨幣)が選定されます。このお金のおかげで、物々交換の等価性・同時性がのりこえられ、広範で活発は商品交換(売買)が生まれるわけです。そしてこの商品世界においてはあらゆるものが商品としてお金で価値が計られることになるわけです。

 この商品世界ではお金(貨幣)によって商品が交換され流通します。その結果、「貨幣運動はただ商品流通の表現でしかないのに逆に、商品流通がただ貨幣運動の結果としてのみあらわれる」のです(『資本論1』大月書店文庫版151-2,206頁)。


(3)マルクスの歴史観

 マルクスの世界観(史的唯物論)では、物を作り売り流通させる関係が社会の基盤となって、その上にそびえる法律、政治、文化(これを「上部構造」といいます)のありようを決めます。

 たとえば、資本主義では誰のものか(誰がその品物を所有するのか)ということはきわめて大切です。所有が決まらなくては交換もできません。ですから、資本主義社会において、所有権をめぐる法律がもっとも重要なものとなります。またその所有権を守るように政治体制がつくられます。 

 また、資本主義では労働というものが社会の基盤となりますから、労働というものを尊ぶ文化が生まれます。「仕事ができない奴はだめだ」といった言い回しがさかんに言われ信じられることになります。こうした体制のありようを肯定する思想のことを「イデオロギー」といいます。

 資本主義も、またそれ以前の、狩猟社会、農耕社会、封建社会も、それぞれそれにふさわしい法律・政治・文化をもっていた、とマルクスは考えました。


 まとめましょう。

 マルクスによれば、近代社会とは資本主義が支配する時代です。

(1)そこでは使用価値が違う物が、等しい(交換価値)を持つものとして交換されます。交換の媒介(なかだち)をするにすぎなかったはずの貨幣(お金)が動きまわり、逆に人々の欲望をかきたて、あらゆるものが商品となっていきます。

(2)商品を生産し販売し資本を増大させる資本家は、資本主義の原則に則った形とはいえ、資本の人格化(金の亡者)として絶えざる資本増大を目指し、労働者を搾取し、他の資本家と弱肉強食の争いを繰り広げます。

(3)このマルクスの歴史観では、物を生み出し交換する関係が社会の基盤となり、その上にそびえる、法・学問・文化・イデオロギーなどの上部構造を規定します。



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by takumi429 | 2017-10-11 18:10 | 近代とは何だろうか | Comments(0)
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