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1.映画の誕生

文化の社会学 映画について

(以下のテキストと映像はマイクロソフト社『エンカルタ2004』とインターネットからの情報を切り貼りしたもので、なんら勝又のオリジナルではないことをお断りします)。

1.映画の起源(映画前史):影絵、動画、写真

影絵・だまし絵・動画
1825年、J・パリスとW・フィトンという二人の科学者によってソーマトロープが発表されました。
http://jvsc.jst.go.jp/find/anime/rekisi/maesetu/index.htmlhttp://jvsc.jst.go.jp/find/anime/rekisi/maesetu/thauma_02.html
1832年にベルギーの数学者プラトーが考え出したフェナキスティスコープ フェナキスティスコープ ヘリオシネグラフ
http://jvsc.jst.go.jp/find/anime/rekisi/maesetu/phenaki_01.htmlhttp://jvsc.jst.go.jp/find/anime/rekisi/maesetu/phenaki_02.html

アメリカでもヨーロッパでも、手描きの絵をうごいているようにみせることが娯楽となり、そのための装置が、中流階級の家庭の応接間におかれるようになった。とくに、1秒間の動きを16枚の絵に分解し、それらを1秒間で連続的にみせると、残像の働きによって、うごいているようにみえることがわかった。
ゾエトロープzoetrope William George Horner, 1834
http://courses.ncssm.edu/gallery/collections/toys/html/exhibit10.htm#video
そうした一続きの絵を円筒の内側にはりつけて回転させるようにしたものは、ゾエトロープとよばれた。円筒の側面にある透き間から中をのぞくと、絵がうごいているようにみえた。もっとも精巧な装置は、フランスの発明家エミール・レイノーのプラキシノスコープだった。この装置は、回転する円筒の内側に絵をはりつけ、中心部に鏡をおいたもので、円筒が回転すると絵がうごいているようにみえた。
プラクシノスコープ
http://web.inter.nl.net/users/anima/optical/index.htmhttp://jvsc.jst.go.jp/find/anime/rekisi/maesetu/praxi_01.html
1882年、レイノーはプラクシノスコープを改良して投影式のプラクシノスコープを作りました。鏡に反射させた映像をスクリーンに映し出します。
1888年、エミール・レイノーは、テアトルオプティークを完成させました。これは投影式のプラクシノスコープをさらに発展させた物で、パーフォレーション(フィルムの穴)もつけられた、とう明のフィルムを上映するという本格的なものです。
写真
カメラ・オブスキュラ カメラ・オブスキュラは光をとおさない箱に小さな穴をあけたもの。光はこの穴をとおって鮮明なさかさまの画像をカメラの裏側にうつしだし、フィルムを感光させる。(C) 1993-2003 Microsoft Corporation. All rights reserved.16世紀にはカメラ・オブスキュラは手でもてる大きさの箱へと発達し、小さな穴には像をシャープにする光学レンズと絞りがとりつけられた。(C) 1993-2003 Microsoft Corporation. All rights reserved.
「ヘリオグラフ」として知られる記録上のもっとも初期の写真は、1826年、フランスの発明家ニエプスにより作成された。
イギリスのタルボットとフランスのダゲールは、ほぼ同じころ最初の実用的な写真技術の開発にとりくみ、1839年にはダゲールが、そして翌40年にはタルボットがそれを完成させていた。
はやくも52年には動画の装置で絵にかわって写真が使用されるようになった。61年には、アメリカの発明家コールマン・セラーズがキネマトスコープの特許をとった。この装置は、被写体にポーズをとらせた一連の写真を回転する輪につけ、うごいているようにみせるというものだった。劇場では、キネマトスコープで写真を連続的にスクリーン上に映写した。写真の感光速度がはやくなると、静止した画像を連続的に再現してうごくようにみせるのではなく、実際の動きを写真に撮影することが可能になった。

科学の目 (見ているのに)見えないものを見る
1877年、イギリス系アメリカ人の写真家マイブリッジ(Eadweard Muybridge1830~1904)は24台のカメラをつかい、はしる馬の一連の動きを写真におさめた。
下の動画はマイブリッジの写真をPhotoshopのジフ・アニメーションという機能を使って、一枚一枚を連続させたもの。いわば写真の「パラパラまんが」とでもいうべきものである。
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Etienne-Jules Mareyマイブリッジ(米)連続写真瞬間の連続としての時間Eadweard MuybridgeGalloping Horse1878
Eadweard MuybridgeDescending stairs and turning around1884-85
http://www.ex.ac.uk/bill.douglas/Schools/movingpics/movingpics5.htm http://www.kingston.gov.uk/museums http://web.inter.nl.net/users/anima/chronoph/index.htm 参照

最初の映画用カメラの開発にむけて重要な一歩をふみだしたのは、フランスの生理学者エティエンヌ・マレーだった。マレーの携帯用クロノフォトグラフでは、画像がアパーチュアーの前を一定のスピードでうごいた。しかし、彼が使用したフィルムは油紙でできていたため、すぐによじれたり、やぶれたりした。1888年には、アメリカのジョージ・イーストマンが、丈夫なセルロイドに感光乳剤をぬったフィルムを開発した。彼の発明によって、映画の発明につながるより効果的な実験ができるようになった。
(C) 1993-2003 Microsoft Corporation. All rights reserved.
Etienne Jules Marey
http://www.ex.ac.uk/bill.douglas/Schools/movingpics/movingpics6.htm
Etienne Jules Mareyは、フランス人の生理学者(身体の機能を研究する科学者)でした、(写真を通して動きを研究する新しい方法のことを考えるためにMuybridgeの仕事によって影響された)。ただし、彼は、Muybridgeと同じ問題がありました-その点で写真を撮ることに利用されるガラス皿は、速く変えられないかもしれません、したがって、速い動きは、容易に捕えられないかもしれません。 Mareyは、2つの解決を思いつきました。 最初のは、すべての動きが同じ印刷で分析できように、同じ感光板で複数のイメージを取るはずことでした。これは、動きが感光版に沿っ動くものにはうまくいきました。しかしそれほど動かないものにはうまくいきませんでした。そのことを次の写真で見ることができます。椅子を飛び越えるその男は、十分に動きを示します、しかし、剣士の写真は、被写体の動きを分析するの簡単ではありません。 複数の露出の方法は、飛んでいる鳥を写真をとっていることはできませんでした。しかしそれはMareyの主な興味の1つでした。そこでMareyは、新案を思いつきました。彼は、弾丸でなくガラス感光版を装着した「写真銃」を考案しました。引き金が引かれたときに、感光版が回り、シャッターが開くのです。写真家は鳥を「銃」でねらいをつける引き金を押し続ける。結果は、12の異なる鳥の飛行の像が感光版に映るのです。

Étienne-Jules Marey, 'Flight of gull', 1886

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Étienne-Jules Marey, Bird Flight, Pelican, 1886
http://www.ctie.monash.edu.au/hargrave/marey.html
参考文献 ツェーラム著『映画の考古学』(月尾嘉男訳)フィルムアート社1977年

映画鑑賞 スチール写真だけで構成された映画
映画が写真の連続であることを自覚的考察したヌーベル・バーグの傑作
ラ・ジュテ
■1963年ジャン・ヴィゴ賞 受賞■1963年トリエステSF映画祭 金賞受賞
作品情報
ジャンル:SF監督:クリス・マルケル出演:エレーヌ・シャトラン/ダヴォス・ハニッヒ/ジャック・ルドゥー/アンドレ・アンリシュ/ジャック・ブランシュ /ピエール・ジョフロワ/エチエンヌ・ベッケル/フィリベール・フォン・リフシッツ/リジア・ボロフチク/ジャニーヌ・クライン/ウィリアム・クライン/ジェマール・ファチェッティ脚本:クリス・マルケル美術:ジャン=ピエール・シュドル音楽:トレヴァー・ダンカン朗読:ジャン・ネグロニ配給:ザジフィルムズ1962年/フランス/28分/白黒/ヴィスタ

ストーリー

第三次世界大戦後の廃虚と化し放射能に汚染されたパリの地下で、戦争に勝利し生き延びた科学者達が、捕虜を使って、時間旅行を試みている。“過去”と“未来”に救済を求めるためだ。そのため、ある記憶を心につなぎとめている男を実験台に選び出す。彼は少年時代にオルリー空港の送迎台で見た断片的なイメージ-凍った太陽や叫ぶ女-が記憶に焼き付いている。過去で送迎台の女と再開した男は、未来へと送り込まれ世界を救うためのエネルギーを持ち帰る。そこで、彼は自分の記憶の驚くべき真実を知る事になる・・・。
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この映画の中にはヒッチコックの『めまい』の主人公が年輪を見ながら言うせりふが引用されており、そこから影響を受けたことが明らかにされている。『めまい』の主人公は、恋人の転落をなすすべもなく二度も反復して見るることになる。これは、写真の連続としての映画の時間が反復可能なものであり、それを前提としてストーリーが作られている。これとはべつに映画のフィルムは反転することで、行って帰ってくるという時間の提示の仕方もできることを意識したのが、キートンの映画『将軍』である。映画「ラ・ジュテ」ではいわば図書館の図書カードのように並べられた写真を自由にくりながらそこに別の自分の写真をまぎれこますことができるという映画編集の仕方が、主人公の過去への移動という物語を形作っている。なおこの映画はラ・ジュテ テリー・ギリアム監督の「12モンキーズ」の原案となったことでも有名である。
by takumi429 | 2007-06-01 23:39 | 映画史講義
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