人気ブログランキング | 話題のタグを見る

6.スター star

6.スター star
星のようにきらめく輝かしい存在という意味でのスターは,映画,スポーツその他各界の〈花形〉のことをいう。映画におけるスターとは,映画の都ハリウッドにその原形および典型が見られるように,本来の才能あるいは演技力にはかかわりなく,ただスクリーンに存在すること(screen presence)によって大衆の人気を確実に得ることのできる女優なり男優なりのことであり,映画の興行的成功を最高度に保証する,すなわち最高の〈興行価値box‐office production value〉を誇る存在であり,しばしば映画そのものをしのぐ人気俳優のことである(スターの名まえだけが高くなって出演料のみ上がり,映画の興行成績が低下する場合もあり,そのようなスターはハリウッドでは〈映画興行のガン box‐office poison〉と呼ばれる)。それゆえに,スターは,まずシナリオがあって,一つの役を演ずるというのではなく,逆に,スターのために,スターに合わせて,映画が企画され,役が考え出され,シナリオが書かれ,映画がつくられることになる。
[スター誕生]
 映画スターの歴史はアメリカ映画の歴史でもあるが,エドガール・モラン《スター》(1960)やアレクサンダー・ウォーカー《スターダム――ハリウッド現象》(1970)によれば,映画の歴史の最初の約15年間は俳優の名まえがタイトルに使われることもなく,ただ製作会社の名まえによって〈バイタグラフ・ガール〉とか〈バイオグラフ・ガール〉,役柄によって〈かわいいメリー〉とか〈銀行家〉,あるいは肉体的な特徴によって〈巻き毛の娘〉とか〈デブの大男〉などというぐあいに記憶され,よびならわされていた。会社が特定の俳優の名まえを明かさず〈無名〉のままにしておいたのは,人気と名まえが結びついて名実ともに〈人気俳優〉になれば当然のこととして高い出演料を要求されることをおそれたことが一方にあり,また他方では,演劇に比べて映画を蔑視して名まえが知られるのをきらう俳優がいたためであったといわれる。
1909年,アメリカの映画産業が活況を呈してきて〈モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー(活動写真特許会社)〉というトラストに対抗して〈インデペンデント・モーション・ピクチャー・カンパニー・オブ・アメリカ(IMP)〉を設立した独立製作者カール・レムリは,当時〈バイオグラフ・ガール〉とだけ知られていた人気女優フローレンス・ローレンス(1886‐1938)を,バイオグラフ の週給25ドルに比べて破格の1000ドルを支払い,映画に名まえを出すこと(screen credit)を約束して引き抜き,彼女を〈IMP ガール〉として売りだすためにアメリカ映画史に残る伝説的な〈宣伝〉を行った。〈バイオグラフ・ガール〉のフローレンス・ローレンスがセント・ルイスの市街電車事故で死亡したというつくり話が報道関係者の間に流布したため,彼女の名まえと写真が新聞に一斉に発表され,とくに《セント・ルイス・ポスト・ディスパッチ》の日曜版は,〈バイオグラフ・ガール〉の死を悼む長い記事を載せた。約1週間後レムリは,業界紙《モーション・ピクチャー・ワールド》に半ページ広告をだして,〈バイオグラフ・ガール〉の死亡記事はトラストの陰謀による捏造であり,彼女は〈IMP ガール〉として健在ですでに次回作が決定していると発表。まもなくセント・ルイスに姿をあらわしたフローレンス・ローレンスは文字どおり熱狂的な歓迎を受けた。こうして,名まえが大衆に知られた最初の〈スター〉が誕生したのであった。
[スター・システム]
 1900年代の初めにフランス映画界の支配者となったシャルル・パテは,映画では俳優の頭から足まで全身がスクリーンに写るように撮影しなければならないと配下の監督たちに指示したと伝えられているが,アメリカのエドウィン・S. ポーター(1869‐1941)や D. W. グリフィスの実験的なクローズアップの使用は,演劇の伝統に固執するパテの考えをくつがえし,俳優の魅力を強調してその人気をさらに高めた。
 

“アメリカの恋人”
メアリー・ピックフォード

“快男児”ダグラス・フェアバンクス
「鉄仮面」(1929年)より

09年,バイタグラフ社の映画のスチール写真をいれてプロットやあらすじをよびものにした最初のファン雑誌《モーション・ピクチャー・ストーリーズ》が発刊されて,初めてメリー・ピックフォードの名まえが明かされた。続いて《フォトプレイ・マガジン》(1911発刊)その他のファン雑誌が登場してスターの略伝や日常生活にスペースをさきはじめ,14年には《ニューヨーク・ヘラルド》が日曜版にイラスト入りで映画に関するシリーズ記事を連載

「セダ・バラの話は、いつでも喝采ものだった。スフィンクスの呪いを受け、フランス人とアラブ人との間に生まれた混血女、官能の小悪魔、廃退の毒婦などと、お人好しが信じている彼女の正体は、本名セオドシア・グッドマン、オハイオ州チリコットのユダヤ人仕立屋の娘として生まれたおとなしい田舎者であることは、小さな王国の住人ならみな知っていた。」ケネス・アンガー著『ハリウッド・バビロンⅠ』(邦訳20頁)

してスターの動向もとりあげ,スターに対する興味と関心をあおった。こうして〈アメリカの恋人〉メリー・ピックフォード,〈花のような乙女〉リリアン・ギッシュ,〈喜劇の天才〉チャップリン,〈アメリカの快男子〉ダグラス・フェアバンクスなどの伝説的なスターが生まれた。そして,やがて〈ハリウッドの活力源〉といわれた宣伝によって〈妖婦〉セダ・バラ,〈禁じられたエロティシズム〉ルドルフ・バレンティノ,〈火の玉〉ポーラ・ネグリ,〈女王〉グロリア・スワンソンといったスターがつくられた。
スターは映画が〈企業〉になるとともに生まれ,アメリカばかりではなく,すでに第1次世界大戦前,チャップリンが師と仰いだフランスの喜劇王マックス・ランデル,ヨーロッパにおけるサイレント映画の伝説的なスーパースターであったデンマーク女優アスター・ニールセン(1883‐1972)やイタリア女優リダ・ボレリ(1884‐1959)やロシア人の俳優イワン・モジューヒン(1889‐1939)らがいたが,一般観客つまり小市民層の生活感情の中に潜んでいるロマンティシズム,英雄崇拝,恵まれない物質生活によって抑圧された性的欲望を利用して,スターを商品化して〈スター・システム〉をつくりあげ,企業の要求を満たしたのはアメリカ映画すなわちハリウッドであった。
スター・システムは,映画の内容すなわち芸術的な価値を人気俳優の価値,いわゆるスター・バリューにおきかえるものであったが,1910年代のなかばにはこのシステムが映画界を支配し,第1次大戦後の約10年間に世界映画市場の90%を占めたといわれるアメリカ映画の世界制覇の基礎となり,名まえが世界中に身近な存在として知れわたったスターがハリウッドを代表した。心理学者たちは,スターは一般大衆の欲望や夢や空想の反映であると分析したが,20年には毎週,約3500万人のアメリカ人が特定のスターを見るために映画館へ足を運んだといわれ,20年代はまさにスター崇拝の一つの頂点であった。映画の〈興行価値〉は即スターであったから,バンク・オブ・アメリカは,チャップリンが主演するというだけで《キッド》(1921)の製作会社ファースト・ナショナルに25万ドルを融資したほどであった。20年代の終りから30年代の初めにかけてスター・システムは商業主義でつらぬかれた撮影所システムと密接に結びつき,各社はそれぞれ巧妙な宣伝によってスターをつくり,とくに黄金時代を迎えた MGM は〈空の星より多いスター〉をスローガンとして掲げ,同時にシンボルとしてのスターのイメージが損なわれるのを防ぐため,飲食物から服装,恋愛に至るまでスターの私生活を管理した。スターの契約書に〈道徳条項 morality clause〉が付け加えられたことは,ハリウッドの伝説の一つになっている。

[1920年代、映画業界の垂直的統合が進み、映画会社は、制作、配給、上映のすべてをまるごと管理下におさめるようになる。
映画制作の主導権は、監督から、企画立案し制作全体を統轄するプロデューサーに移る。
映画制作はより計画的なものとなるために、シナリオが導入された。映画は制作されるものから製作(生産)されるものになる。生産から販売まで一貫したシステムとなった企業と同じものとなる。商品構成と同じように、映画もいくつかのジャンルをもち、そのジャンルにスタジオ専属のスターが入れ替わり立ち替わり登場することになる。
映画会社は他のメディアをも使ってスターの偶像化をすすめた。]

[スター時代の終り]
 第2次大戦後の1946年,アメリカ映画は史上最高といわれる興行成績をうたったが,3年後には急速に落ちこみ,1940年代の終りから50年代にかけて,商業映画製作の重要な要素であったスター・システムもゆらぎ始めた。映画を斜陽化させたテレビが,あこがれの象徴であり偶像であったスターを,習慣的視聴から生まれる親近感の中で日常的な存在にし,スターのイメージが変わり重要性も失われた。また,50年代には独立製作会社の活躍が目だち,各社がスターに高給を支払う余裕がなくなり,多くのスターが契約を解除された。60年代になってスターの時代は終わったといわれ,《メリー・ポピンズ》(1964)や《サウンド・オブ・ミュージック》(1965)の成功で,日常的,家庭的なイメージをもった,新しいタイプのスターの地位についたジュリー・アンドリュース主演の《スター!》(1968)の無残な失敗に象徴されるように,スターが映画を支える力を失う一方で,《卒業》(1968)や《2001年宇宙の旅》(1968)のようなスターなしで成功する新しい映画がつくられ,69年,カリフォルニアのバンク・オブ・アメリカの最高幹部は,スターはもはや映画製作になんの保証もあたえないと声明するに至った。 70年代になって,バーブラ・ストライサンド,ロバート・レッドフォードなど数少ないスターが興行成績を保証するといわれたが,《アメリカン・グラフィティ》(1973),《エクソシスト》(1973),《ジョーズ》(1975),《スター・ウォーズ》(1977)などはスターなしで記録的に成功し,ボストン・ファースト・ナショナル・バンクの副社長は,観客をよびよせるのはスターではないと断言した。しかし,それでもなお,ハリウッドの代表的なスターであったジョン・ウェインは,いまなお崇拝者をもっているといわれ,また1本の出演料200万ドルのチャールズ・ブロンソン,《スーパーマン》(1978)に10日間ゲスト出演して225万ドルを得たマーロン・ブランドのような〈スーパースター〉もいる。とはいえ,スターは大衆によってつくられるものであり,かつてサミュエル・ゴールドウィンは,〈スターはプロデューサーではなく神がつくるものであり,大衆は神のつくったものを認めるのである〉といったが,現在のスターは,華麗な生活の代償としてプライバシーと自由を犠牲にして商業主義に奉仕したかつてのスターと異なって,たとえばクリント・イーストウッドのように自分のプロダクションをつくり,あるいはプロデューサーを兼ね,さらには監督を兼ねるのが一つの風潮になっている。


映画の観客はなぜかくも映画俳優(スター)に思い入れたっぷりになるのか。

二つの同一化(観客の映画へののめり込み)
1)カメラの眼を自分の目のごとく思いこむ
2)登場人物への同一化、映画上の人物になる、あるいはその人に対面しているかのように思いこむ。
同一化の欲望があるからこそ、あえて観客と同じ人種によるリメーク版を作る必要がある。
カメラの視線→=観客の視線→=登場人物の視線

前エディプス期(2~3歳)
男/女の子=異性/同性の親に育てられる
男子 まず母親に同一化しようとし、その後母親を享受する存在(父)に同一化する。
女子 すぐ母親に同一化できる、母親の欲望の対象(男性)を自己の欲望の対象とする。
1)男性観客の視覚快楽嗜好(しこう)→女性ヒロイン(性欲の対象)
2)男性観客の同一化期待→男性ヒーロー(欲望対象の享受者)への同一化
1)女性観客の同一化期待→女性ヒロインへの同一化
2)女性観客の欲望→同一化したヒロインの相手としてのヒーローとの交歓
男性/女性観客の成長と権力の非対称はヒーロー/ヒロイン像の非対称となる。





観客の映画への巻き込みのために技法(ショットと編集)の例
1)視線ショット(登場人物の視点から撮られたショットで、映画はその登場人物が見ている光景を見ている錯覚を覚える)。
2)ショット=切り返しショット(二者の会話を交互に撮影する技法)
180度ルールと30度のルール
3)クローズアップ 人間は表情(顔)に強く情動を喚起される。




グリフィスの映画技法
180度ルール(180 degree system)
撮影現場で被写体に対して境界線を想定し、境界線の片方(360度中180度以内)から撮影するルール。

各数字のカメラからAとBの人物を撮影すると、ルールに従ったカメラ1~3からの映像はその位置関係がはっきりわかるけれど(Aが左、Bが右)、 境界線を越えたカメラ4からの映像を使うと、位置Aが右に立っているように映り、二人の位置関係がズレる。

こうした技法を駆使することで、グリフィスは、建物の中の部屋の位置関係を表現することに成功した。

ロング・ミドルショット、クローズアップ

左から、ロングショット、ミドルショット、クローズアップの映像。 ロングショットで周りの状況を映し、ミドルショットで登場人物を映す。 クローズアップは、重要な部分を説明する為にあり、この絵では、人物の表情を表している。

グリフィスは、超ロングショットの遠景からクローズアップ迄の流れで、シーンを詳しく説明を試みている。 なお、アップの絵に丸い黒枠があるのは、「国民の創世」の中の表現で、望遠鏡から見た映像のような効果があった。

ポイント・オブ・ビュウ(Point of view)

ポイント・オブ・ビュウはPoint of viewで、英語を直訳すると「視点」。 P.O.V.と略されたりもして日本語でもなじみある言葉だが、 もともと動かない観客の視点から劇場の芝居を撮影していたのが初期の映画なので、 カメラが動いて、カメラの視点がどんどん変わるというのが斬新なアイデアだった。

クロス・カッティング

編集技法の一つ。違う場所で同時に起こっている場面を交互に並べる編集で、 緊迫感を高めることができる。 また、時間と空間とを立体的に表現することができるようにもなった。

今でも、追う者と追われる者を表現する場合に頻繁に使われているが、 双方の緊迫した雰囲気を交差させることで、観る側にもその緊迫感が伝わり、 映画表現の幅が広がったことはいう迄もない。その後、エイゼンシュタインらによるクロスカッティングの更なる研究成果により「モンタージュ理論」が完成することになる。


以上のようなルールに基づきながら、崩すことで更なる効果を得ようとする表現方法が現在の映像技法だが、 最初に基本ルールを構築したグリフィスは、やはり「映画の父」なのである。


http://www.geocities.co.jp/WallStreet/6721/mohis/a2.html(2004年11月16日)
by takumi429 | 2007-06-22 00:30 | 映画史講義
<< 7.オーソン・ウェルズ 5.世界言語としてのドタバタ喜劇 >>