まとめ

近代(現代)社会とはいかなる社会か まとめ

私たちを取り巻き、私たちがその中で生きていくこの近代社会(あるいは現代社会)とはいかなる社会なのか、それこそが、一見バラバラにみえる社会学者たちの共通の問題意識であった。

マルクスにとって近代社会とは、資本主義にほかならない。
ものを使う人にとっての価値(使用価値)ではなく、それはいくらで売れるかで計られる価値(交換価値)が優位となった社会のなかで、労働者は労働を売り、資本家はそれを買取り、労働者を働かせ、利潤を上げ、その利潤を再度、資本投下して、資本を拡大させていく。増殖していく資本の運動として資本主義はある。

テンニースにとって、過酷な資本主義の現実こそ、ホッブスが説いた自然状態(人が人に対して狼である状態)にほかならなかった。この人が品物を買うときのようにあれかこれかという欲得づきの選択でしかつながりあえない関係(ゲゼルシャフト)に対して、それとはちがう本質的な意思により結び合う関係(ゲマインシャフト)を対置して、この両者をホッブスのようにユークリッド幾何学的な体系として社会理論を作ろうテンニースは試みたのである。

資本家のたえざる資本増大の欲求と労働者の勤勉な奉仕というのは、幸せをもとめるあたりまえの生きかたから見ると、じつは倒錯した生きかたでしかない。ヴェーバーはこの倒錯した生きかたの原点を宗教改革の禁欲思想にもとめた。聖職者しか求められなかった禁欲的な労働は、いっぱんの仕事も神から命じられた使命である、とされることで、ふつうの労働にも適用されるようになった。しかも、自分が救いに予定されているのか不安に思った信者たちは、仕事による業績(収益)にその救いの確かさを求めるようになり、けっか、自己の幸福とはうらはらな絶え間ない仕事への没頭をして資本を増大させることになり、こうして現代の資本主義がうまれたのである。

ジンメルによれば、貨幣とは交換関係が「形式」として結晶化したものにほかならない。ヴェーバーは、人間の関係が形式として結晶化し硬直化して人間に対峙するのは、貨幣だけではなく、法体系、音階、建築様式、時間システム、官僚制、などなど、西洋の文化全般の性格であると考え、これを「形式合理性」と名づけた。西洋文化の「普遍性」とは自律的なシステムとなったこれらのシステムを、強引に外部にも適用しようとする、西洋の全体性へに志向にほかならない。

デュルケームにとって、近代社会とは、欲望が本能のもつ制限(リミッター)を失ってらせん状に増大していく時代にほかならない。本能の制限を失って、同一種である人間どうしが奪い合い殺し合うような状態を治めるために、彼は宗教がもっていた道徳の力を復活させようとした。
同時代の作家ゾラは、フランスの第二帝政期を題材として、欲望を異常なまでに増大させているさまざまな社会的装置(欲望の喚起装置)を描き出した。すなわち、市場、株式市場、炭鉱、鉄道、デパート、政治、戦争である。

ベンヤミンにとって、本来の使用から切り離されて市場を浮遊する貨幣のありかたは、さまざまなイメージをそのもともとあった場所から切り離し別のものとつなぎ合わせることで、時代の夢を生み出す映画のあり方につながるものであった。ベンヤミンにとって近代とは夢工場にほかならない。バラバラにされたイメージをつなぎあわせて希望の社会のビジョンをイメージしようしたベンヤミンは、皮肉なことに、映画を制作するように政権を作り上げた(悪)夢工場たるナチズムによって死においやられたのである。

ナチズムを予感させる映画『カリガリ博士』の最後において、世界はすべて精神病院のなかに飲み込まれる。そこでは、収容所を管理運営する科学者が支配者となる。だが権力の源泉は、個人ではなく、一望監視装置に代表される収容所という装置にある。フーコーにとって近代とは、精神病院、監獄、学校、軍隊などの、それ自体完結して人を閉じこめる「全制的施設」(total institution ゴフマンの用語)が支配的となる、すなわち収容所の時代にほかならない。

アンダードンによれば、近代とは国民国家が支配的となった時代である。共同体から剥離された人々をまとめあげる「想像の共同体」こそ、この国民国家にほかならない。この共同体は、言語文化によって一体感を形成され、国旗、地図、人々の移動、新聞・小説などによって、同じ共同体に属しているという幻想をもち、国家装置なかでみずからを位置づけそれに殉じていく。

ウォラースティンによれば、近代社会は、中核、半周辺、周辺という、「世界システム」を形成することで生まれてきた。西洋近代社会はアフリカの奴隷を新大陸で働かせることで資本主義を開花させたのである。近代社会はたえずその外に従属的な地域を必要としているのである。

ナオミ・クラインによれば、新自由主義とは、ショック療法により、人が人に対して狼であるような弱肉強食の状態をつくりあげることで、資本主義の強者がさらなる利益を貪ろうとするものでしかない。現代はこのショック・ドクトリンが蔓延している時代なのである。

アメリカ合衆国におけるフロンティアの喪失は、同じパイを奪い合うホッブス的状態をまねきかねなかった。パーソンズはその危険をお互いの役割を遂行していこうという共通価値の受容によって乗り切ろうとした。しかし、それは白人男性優位の体制を普遍的なものとみなす「おじさんのたわごと」でしかなかった。フロンティアの喪失はアメリカン・ドリームの崩壊をもたらす。まともなことでは成功できない移民やマイノリティたちは非合法な方法で成功を得ようとする。マートンはそこの社会問題の発生の原因をみた。しかし対抗文化のなか、これまで成功とみなされてきたもの(目的)、それにいたる道すぎ(手段)を否定する若者たちがうまれてきた。彼らのナイーブな(このナイーブには「バカ」という意味合いもある)感性を反映したのがエスノメソドロジーである。アメリカはその後、外部に敵をつくりあげることでフロンティアを作り続けていこうとしている。

第二次世界大戦以降、際立ってきたのは、排除すべき他者を集めて殺して消去するという、強制収容所における大量殺害である。バウマンはその典型であるユダヤ人の大量殺害(ホロコースト)は、たんにナチズムの狂気だけでは可能とならず、むしろ、近代の(道具的)合理性を駆使した官僚組織と科学技術によって可能になったのだとした。そこではおそろしく凡庸な陳腐な人間が、ぼう大な生命を消去する指示を下しているのである。

産業資本主義はたえずその外部をもたなくてはならず、しかもその外部をたえず侵食していくことで、みずからの危機を招き、その危機を克服するために、技術革新によってみずからの内部に差異をつくりあげなくてはならなくなった。近代社会もその基本原理である「普遍」の名のもとでの膨張によって外部を失っていく。ウルリッヒ・ベックによれば、外部を失うことでそれまで外部に依存し廃棄してきたものは社会の内部に回帰して危険なものとなる。この状態の陥った社会が「リスク社会」である(外部とはたとえば、自然環境、家庭内での女性、政治から分離中立だとされてきた科学などである)こうして近代社会の外部への作用が自分自身への作用へとなるという「再帰的近代」の段階に私たちの社会はいたったのである。
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# by takumi429 | 2016-07-21 20:24 | 社会学史 | Comments(0)

13.リスク社会としての現代

15.リスク社会としての現代
(1)リスク社会の出現
1986年4月26日に旧ソビエト連邦のチェルノブイリ原子力発電所の4
号炉が爆発する事故が発生し、周辺のみならず、ヨーロッパ全土に深刻な放射線被害をもたらしました。同じ年の1986年9月26日、ウルリヒ・ベックの 『危険社会』 が出版されました。同書は専門書としては異例の売上となり、そこで提唱された「リスク社会」の概念は広く知られることになりました。
 リスクとはなにか。私たちの生活は古来、さまざまな危険(英danger,独Gefahr)におびやかされてきました。思いもかけない天変地異が私たちの社会を飲み込んできました。しかし、リスク(英risk,独Risko)とは、こうした危険一般ではなく、むしろ私たちの社会じしんがもたらした危険を指します。
 例えば、2011年3月11日におきた東日本大震災は、地震と津波による災害でした。こうした地震と津波という危険は、地震国である日本が有史以前からかかえてきたものです。しかし、その地震と津波によっておきた福島第一原子力発電所事故は、地震国である日本が、(おそらくは被爆国でありながらも核爆弾の技術を確保したいという隠れた意志のもとに)、過去定期的に津波が襲ってきていた海岸線に原子力発電所を多数建設し、しかも津波に対する備えを充分にしてこなかったという、私たち社会のおこないがもたらし災害、いわば「人災」でした。
 こうした、みずからの行動や選択によって発生しうる危険、すなわち、自己責任により冒す危険、のことを「リクス」とよびます。
 ベックは、自分のしたことが自分に返ってくるという自己回帰的(再帰的reflexive)な構造をもつ社会を「リスク社会」と呼びました。そしてこのこのリスクのもつ自己回帰的(再帰的)構造に、近代の変容、つまり現代の決定的な特徴を求めたのです。

(2)産業資本主義の自己矛盾
 近代の産業資本主義は、つねに、非産業世界(外部)を前提にしていました。産業化はたえずその対象としての未開拓地を必要としていました。
 ローザ・ルクセンブルクはこのことを『資本蓄積論』なかでこう言っています。「資本主義は、その存在と進展のために、非資本主義てきな生産諸形態をその環境として必要とする」(太田哲夫訳書76頁)。
 産業資本主義は、拡大再生産、資本の拡大を不可欠としています。ヴェーバーがいう「伝統主義」が支配する「単純再生産」ではなく、たえざる利潤の獲得とその資本への再投下(拡大再生産)を基軸とするのです。
 しかし、飽和した限られた社会の中からは利潤はうまれません。賃金だけを生活費とするような労働者や正当な賃金払いをもとめる主婦や妥当な価格を要求する資源提供者しかいないような社会では利潤はうまれないのです。片足を自給自足の農業に残したままの労働者や農村を追い出されてぎりぎりの賃金でも満足する労働者が存在し、「愛」の名の下に無給で働く主婦が存在し、ガラス球のようなガラクタや安い対価で鉱物資源や人的資源(奴隷など)を提供してくれる「未開地」があればこそ、産業資本主義はその利潤の獲得と資本
の増大を可能とすることができるとのです。
 しかし、資本の拡大はこの資本主義がそうした未開地へと拡大侵食していくことを意味します。結果、未開地はどんどん失われていきます。労働者は正当な賃金を要求し、主婦は対等な人格と労働の対価をもとめ、「開発途上国」は資源にたいする対価をもとめ、それはどんどん先進国との差を縮めていきます。産業資本主義は外部世界を前提としつつも、その外部世界を侵食して消し去っていくことで、自分の前提条件を突き崩していくという自己矛盾を抱えているのです。
 たとえば、安価でぼうだいな労働者の存在が中国を世界の工場へと押し上げましたが、人口の停滞・現象と労働運動などによる賃金の上昇によって、中国に工場をもつメリットは資本にとってますますうしなわれいきます。中国が資本主義圏に飲み込まれれれば飲み込まれるほど、外部としての性格を失えば失うほど、産業資本主義にとって中国の魅力は薄れていくのです。
 岩井克人はその著『ベニスの商人に資本論』で、遠隔地貿易とは、交換比率のちがう地域間での貿易により利潤(もうけ)をえる経済であった、産業資本主義とは市場と工場内での労働と貨幣の交換比率の差を使った利潤をあげるものであった、といいます。これらの経済はともに、地域格差、空間における価格体系のちがいを利用して利潤をあげる経済でした。
 では地域による価格体系の差がどんどんうしなわれていったとき、どうやって利潤をあげていくのか。岩井はそれは、空間による差異ではなく、時間による差異を利用するのだといいます。つまり、技術革新型の資本主義です。この技術革新型の資本主義は、未来の技術による労働と生産の比率の違いによって利潤をあげる、つまり将来の技術水準を先取りした企業が、まわりの遅れた生産技術との差によって利潤をあげるのだというのです。
 産業資本主義は地域的な価格体系の格差(差異)を利用して利潤をあげてきました。しかし資本主義は空間的に拡大していくというその拡大運動のなかで利潤をあげていきました。技術革新型の資本主義は、こんどはみずからの中に未来を先取りすることで、その先取りに技術革新の広がりの運動の中で利潤を上げていくのです。地域的外部を失った資本主義は、時間的に進んだ部分と遅れた部分とを作り上げることで利潤をあげてきました。しかし、その差は技術の拡散によりつねに解消されていきます。それゆえ、こんどは、たえざる技
術革新あるいは技術モードの変更により格差(差異)を創出していくことが必要とされるのです。
 資本主義の外部への拡大は、外部を失うことで、内部での差異創出の運動へと変化したのです。つまりみずからをたえざる再編へともちこむことで自分を維持する、資本主義がみずからを技術革新によって未来の資本主義へたえず再編していく。そのことによって延命ざるを得ないというわけです。
 この外部から内部への資本主義の運動は、ちょうど外部を近代化していった近代の運動が、みずからの内部へとその運動を転換することにつながります。ここでベックの議論にもどりましょう。

(3)再帰的近代(外部性の喪失)
 ベックによれば、近代とは外部を前提にしていました。ベックのあげるのは次の3つです。
 ①自然環境
 近代産業社会は、自然から資源を取り入れ、外部たる自然に廃棄物を捨ててきました。
 ②「愛」による家庭
 男女の身分的な差別(家父長制)によって、家庭に労働者の再生産をさせてきました。ここでいう「労働の再生産」とは、職場で疲れた労働者が家庭にもどって元気になりまた働くことができるようになる、という現在の労働力の再生産と、子どもをそだててみらいの労働者とするという、新たな労働者の生産(再生産)の両方を意味します。この家庭内の労働は賃金による労働でなく、「愛」の名の下によるほぼ無給の労働でした。近代社会はこうした影に隠れた労働(シャドー・ワーク)を不可欠な前提としてきたのです。
 ③科学の専門化
 科学は政治とは分離させられ、中立公正で客観的なものであるとされてきました。
 しかし、再帰的近代、すなわちリスク社会になるとこうした外部生は失われました。その結果、各領域での再帰的近代化(reflexive modernization)が生じることになります。
 ①廃棄物を捨てることができる余地がもはやなく、廃棄物は環境汚染という形で社会へ跳ね返ってきます。外的環境からの危険とは異なる、人間社会がもたらしたリスクが、問題となってきます。ここでは、富の分配でなくリスクの分配(マネージメント)が問題となってくる。またこのリスクを認知するために科学にきわめて依存するようになります。たとえば、目に見えない放射汚染は科学的な測定によってしか認知できません。私たちは放射線の危機の認知のためにたえず科学をあてにするしかないのです。
 ②産業社会の個人化が家庭にまでおよび、家庭はもはや安定した役割分業の世界ではなくなってきます。失業という危険が人々を個人化する。失業から離婚し、公団やアパートなどで「孤独死」する中高年が増大している現状はまさにこれです。女性の教育水準の上昇し、労働市場への進出して、離婚の増大します。結果、じつは身分的性別役割分業であった核家族(未婚の子どもと両親からなる家族)は解体していきます。
 ③これまで、科学は外に研究対象を見出してきました。ところが、原子力発電事故のように、科学がみずから危険を生産するものになってくると、科学は外に対象を見いだすのではなく、自らが生み出した帰結に対処する(自分で自分のしりぬぐいをする)ようになってくるのです。ここにおいて、科学はおおきな政治的な力をもつものとさえなってきます。しかるにこれまでの議会制民主主義は政府をコントロールすることはできても、こうした政治的な力をもつようになった科学技術には対応しきれなません。これには、市民運動などのサブ政治で対応することが必要になるのです。
 こうして、資本主義のこうした自己回帰的(再帰的)な運動は、近代が外部を近代化する
のではなく、みずからを再度、近代化する、「近代の近代化」(再帰的近代)をもたらすとベックを主張したのでした。
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# by takumi429 | 2016-07-21 20:22 | 社会学史 | Comments(0)

12.強制収容所の時代としての現代

12. 強制収容所の時代としての現代

(1)塹壕(ざんごう)の世代
二十世紀、それは大量殺戮の時代と呼んでもいいでしょう。
第一次世界大戦(1914年7月28日 - 1918年11月11日)は、兵士だけで900万人以上の死者をだす未曾有な戦争となりました。機関銃、戦車、飛行機、潜水艦、化学兵器など、現代の戦争兵器が出揃い、国家と国民が総力をあげて戦う総力戦の形もここに生まれました。
 この第一次大戦では圧倒的な火器、とくに機関銃から身を守るために、塹壕がはりめぐらされ、その塹壕の中で砲撃の恐怖に怯えながら身を伏せる、しかし総攻撃のときには、その塹壕を飛び出し機関銃などの一斉射撃の前に身を晒さなくてならない、という体験を兵士たちはすることになりました。
 こうした塹壕戦を体験した世代を「塹壕の世代」と呼ぶことがあります。
 映画『西部戦線異状なし』(1930)は、こうした塹壕戦の体験をみごとに描いています。戦闘の合間、つかのまの平安に主人公は蝶に触ろうと塹壕から手を伸ばします。しかし敵に狙撃されて主人公の少年は死ぬのです。
 塹壕からとびだしての総攻撃は死を覚悟しなくてはいけないものでした。その死を覚悟した時に、時計で計られるような、アメのようなのっぺらと伸びていくような日常の時間は途絶え、死を覚悟しなくてはいけない瞬間へむけてまばゆく飛び込んでいくような時間へと変容します。残されたつかの間の時間、その時間のなかであらゆるものがまばゆく輝いて存在して現れる。青い空、ゆれる木々、羽ばたく蝶。存在はまばゆい輝きをもって、死を覚悟した人間に前に現れれる。ドイツ語では「・・・がある(存在する)」というのを、Es gibt ・・・と表現します。直訳するなら、「それが与える」です。「それ」とは「存在」であり、存在が私たちに与えてくれたものが、「在るもの(存在するもの)」なのです。
 死を覚悟した人間に現れるまばゆい存在から、退屈になれきった日常を正していこう。志願して死んだ友人たちを多くもつ塹壕の世代だった哲学者ハイデガーの思索の方向はこれだったと思われます。

(2)強制収容所(死の工場)の世代
第二次世界大戦は基本的には第一次大戦の引いたラインの上にあります。しかし第二次世界大戦で顕著になったものもあります。それは強制収容所の体験でした。
 精神病院のような、人を隔離して管理する施設はそれまでもありました。しかし第二次世界大戦で出現した強制収容所とは、人を1ヶ所にあつめて殺害・抹殺する、そうした装置、「死の工場」としての強制収容所でした。
 最近、わたしは、ワイマールの近くのブーヘンヴァルト収容所跡の見学体験しました。入り口の向こうには収容所の各棟の跡という何もない空間が拡がっていました。なにもない。しかしこのあとかたもないことの重苦しさはなになにか。ここにいた膨大な数の人が消えてその跡地だけがあるという、その人間の不在(消失)と跡地の重苦しい存在。敷地には人間焼却炉は残っており、その隣に医務室があち、研究と称して収容者を切り刻んだ手術台があり、こびりつき変色したその跡がありました。消えた人間たちとそれを消した装置だけがふてぶてしく残って存在している。さらに、身長測定を装って背後から覗き銃殺した部屋があり、その足元の踏み台にはなんどもそこで犠牲者をまちうけて射殺した人間の足ですり減ったであろう凹みがありました。
 いま、あの風景をふりかえってみると、むかし教科書で読んだつぎのような詩がおもいかえされます。
    さんたんたる鮟鱇(あんこう)   村野四郎
    ――へんな運命が私を見つめている  リルケ

    顎(あご)を むざんに引っかけられ
    逆さに吊りさげられた
    うすい膜の中の
    くったりした死
    これは いかなるもののなれの果だ

    見なれない手が寄ってきて
    切りさいなみ 削りとり
    だんだん稀薄になっていく この実在
    しまいには うすい膜も切りさられ
    惨劇は終っている

    なんにも残らない廂(ひさし)から
    まだ ぶら下っているのは
    大きく曲った鉄の鉤(かぎ)だけだ
                          詩集『抽象の城』1954年

この作品に作者はつぎのような解説をしています。
「私は、この魚を魚屋の店頭でみたとき、はてな、このみじめな、こっけいな姿は何かに似ているな、といった妙な衝撃をうけましたが、それがこの詩のモチーフとなりました。
その次に、死さえ奪いさられてしまうこの悲劇は、現代に生きる人間の状況に何かよく似ているように思えたのです。たしかにそうでした。似ているから、この日常的な光景が、暗喩の対象として私の心をとらえたのでした。日々に私たち人間の人間性を削りとり、うばい去る現代の現実にひそむ悪は、ついにすべての人間を、のっぺらぼうの類型にしてしまうのですが、これを形而上(哲学)的にみれば、人間がなくなったことを意味します。これがすなわち、いわゆる「人間喪失」といわれる現象です。私はそのアンコウに、人間喪失の現場を見た気がしました。(中略)
その後から追いかけるようにして、軒からぶら下がっている空(から)の鉄の鉤が目にはいりました。そしてその鉤は、何か次に引っかけられるもの待ちかまえているように見えたのです。
この新しい犠牲を待ちかまえる貪婪なもの、それはさしずめ、この世の悪の実態、人間の原罪の正体ではないかと、考えられてきました。
こうした衝撃が、まとまって、ここにこのような一篇の詩ができ上がったのです。」(http://poemculturetalk.poemculture.main.jp/?eid=121 2014年1月17日)

 人の不在(消失)に対して、ものの存在が不気味に迫ってくる。ここでは、存在はかがやしいものではなく、ふてぶてしいほど不気味に「ある」のです。そこには根源的な悪の存在が感じられる。
 フランス語では「・・・がある」というのは、Il y a ・・・「それがそこに持つ」と表現します。ものがあることはもはや、es(存在)からの贈り物ではありません。存在はかがやしいものではなく、ものの存在することは、賜物でもなんでもなく不気味に押し付けがましく「ある」だけなのです。
 ハイデガーに学びならながらも、ユダヤ人として肉親・縁者・隣人のすべてを収容所で抹殺されたエマニュエル・レビナスの哲学は、この不気味で重苦しい存在を見すえることから出発しているように思われます。西洋の思想は結局、ユダヤ人という他者を抹殺するという帰結をもたらした。異質な他者との出会い、それを否定(抹殺)するのでなく、その面立ちを引き受けること、それを生きる道徳として、引き受けること、そこにこの強制収容所の曠野の向こうに希望の声を聞く可能性がある、そういっているように思えるのです。

(3)アイヒマン裁判
1960年、もとナチス親衛隊(SS)の隊員アドルフ・オットー・アイヒマン(Adolf Otto Eichmann1906-1962)は、イスラエル諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行され、1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられました。いわゆる「アイヒマン裁判」です。アイヒマンは、ドイツのナチス政権による「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担ったとされた人物です。(アイヒマンは同年12月に有罪・死刑判決が下され、翌年5月に絞首刑に処されたました)。
 ハイデガーの弟子だったハンナ・アーレントはこの裁判を傍聴し、その傍聴記を、『イェルサレムのアイヒマン』という本にまとめました。
 アイヒマンにたいするアーレントの下した判断は驚くべきものでした。いや、アーレント自身が、アイヒマンを見ておそらく驚いたのでしょう。何百万人ものユダヤ人を強制収容所に送り込み抹殺させたその恐るべき人物が、じつに平凡で貧弱なつまらない男でしかなかったことに。自分はヒットラー総統の命令に従ってユダヤ人を強制収容所に送っただけであり、職務を忠実に執行したにすぎない、そうこの貧相な男は主張するばかりでした。裁判でアイヒマンの語ることを実際に見聞きした上で、アーレントはこう結論づけます。あの恐るべきユダヤ人抹殺は、悪魔のような人物によってではなく、このアイヒマンのように貧弱な陳腐な人間によっておこなわれたのだ。それを彼女は「悪の陳腐さ」と名づけました。決して許されてはならない絶対な悪というものが、荒々しく悪魔的な、いわば「悪の英雄」によって執行実現されるのではなく、平々凡々とした小心な組織人(官吏)によってなされる。アーレントは西洋近代のもつこの恐るべき「根源悪」をのぞきこみ、それを私たちに開示してみせたのです。

(4)『近代とホロコースト』
アーレントの問題提起をうけて、おなじくユダヤ人で戦後ですがポーランドからイギリスに亡命したへジークムント・バウマンという社会学者は『近代とホロコースト』という本をかきました。
 彼の結論は単純に言えば次のようになります。600万人のユダヤ人殺害は、ナチスの狂気や悪魔的な意志だけではとうてい遂行できるものではなかった。この天文学的な民族抹殺は、(ユダヤ人組織の協力と)ドイツが作り上げた合理的組織と科学知識をつかった装置を使わなくては不可能だった。ショワー(ユダヤ人せん滅)を可能にしたのはじつは西洋近代の道具的合理性なのだ。
「道具的合理性」とはフランクフルト学派の用語です。フランクフルト学派とはフランクフルトの社会研究所に集った哲学・社会学者たちをさします。主要なメンバーは、ホルクハイマー、ベンヤミン、アドルノです。フランクフルト学派は、マルクス主義とフロイドの精神分析を結合して社会を批判しようとしました。ユダヤ人だった彼らは主にアメリカに亡命し、戦後、フランクフルト大学に戻ってきました。「道具的合理性」とは、目的遂行のために研ぎ澄まされた合理性だり、目的の意味と倫理性は問わない合理性です。いかなる目的であれ、目的設定されればその目的へ到達するべく作動する理性です。
 ヴェーバーはすでにその政治論『新秩序ドイツの議会と政府』において、「生きた機械と死んだ機械が我々を支配している」と言いました。「死んだ機械」とは普通の機械装置のことですが、「生きた機械」とは官僚組織のことです。ヴェーバーは生きた機械である官僚制と機械を生む科学技術によって逆に人間が支配されるという疎外をすでに問題にしていました。フランクフルト学派はこうしたヴェーバーの疎外論をさらに展開したのです。

(5)アイヒマン実験
 ではなぜアイヒマンのような貧弱な人間があのような恐ろしいユダヤ人絶滅の輸送を指示することができたのでしょうか。
 バウマンがその説明として、スタンレー・ミルグラムがおこなった、いわゆる「アイヒマン実験」をとりあげています。この実験の報告は『服従の心理』という本にまとめられました。
 ミリグラムは、市民に学習と罰の関係についての実験に協力を求める呼びかけを新聞でおこない、応募してきた人に「教師役」を、もう一人のサクラに「学習者」を割り当て、学習者が間違えるたびに電気ショックを与えさせるよう、「実験者」が指示するという実験をおこないました。対になった言葉を学習するというのがその課題で、「学習者」役のサクラはわざとまちがえ、そのたびに与える電気ショックの電圧をあげていくよう、「教師役」の被検者は、「実験者」に支持されます。「学習者」役のサクラは電気ショックをうけたように演技をし、電圧を上がるたびにどんどん止めてくれるよう声をあげます。

実験の略図。被験者である「教師」Tは、解答を間違える度に別室の「生徒」Lに与える電気ショックを次第に強くしていくよう、実験者Eから指示される。だが「生徒」Lは実験者Eとグルであり、電気ショックで苦しむさまを演じているにすぎない。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93 2014年1月19日)



 


「学習者」役の人間の、エスカレートする苦悶・懇願・罵倒にもかかわらず、「実験のためだから」、「身体的には問題ないことがわかっている」、「電圧をあげて実験をしてください」など、実験のためだ「実験者」と説明・指示されると、ほとんどの「教師役」の被検者が、罰の電圧をどんどん最高値まであげてしまった、というのが実験結果でした。
 つまり、直接的な責任をもたなくてよく、それが手続きや処理の過程として仕方ないとされていると、人間はどんな残酷なことも平気でするのだ、というのがこの実験からわかったのです。それはちょうど、命令だからしかたなかったのだ、といって平気で死の工場たつ強制収容所にユダヤ人を輸送しづけたアイヒマンのようなことを、残忍でもなんでもないごく普通の一般市民もしてしまうのだというのです。
 ここから、バウマンは、合理的な組織と装置のなかで処理をする者は、それがどんな恐ろしいことであっても、良心の呵責を感じなくなっていくのだとしました。また、苦しむ「学習者」が遠隔であればあるほど、平気で電圧をあげるようになることにも着目しました。それはちょうど、無人飛行機を使ってミサイルを打ち込んで誤爆などしている兵士がなんら罪の意識をもたないのと同じ現象なわけです。

(6)他者の排除から他者のせん滅へ
 もともと、アイヒマンはドイツ国内からのユダヤ人消去を命令されていました。ですから当初はユダヤ人の国外への送り出しをしていました。しかしドイツの勝利によりヨーロッパ大陸全体がドイツの制圧下になると、ユダヤ人を送り出せる場所がみつけられなくなりました。結果、ユダヤ人の「再定住化」先は、ドイツ支配下地域の強制収容所へと変わっていきました。そして、その強制収容所は「死の工場」として、ユダヤ人を消滅させていったのです。
 当初は、他者(ユダヤ人)は外部への排除されました。しかし、ドイツの拡大により、排除先の外部の消失すると、他者は、内部に取り込まれ(収容され)、「再定住」の場(収容所)で消去(殺害)させれたのです。
 ユダヤ人、さらにはロマ人、同性愛者、精神障害者、身体障害者などは、激情に駆られた憎悪や悪魔的な狂気によるのではなく、ある種きわめて冷静に淡々に、合理的な組織と科学的な処理装置をつかって、業務として、消滅させられていったのです。
 もし、ナチスのホロコーストが、狂気や憎悪だけから起きたのなら、そうした狂気に陥っているとはおもえない私たちは安心できるでしょう。しかし、あのホロコーストがあれほど膨大な人間を消去できたのは、むしろ私たちが慣れ親しみそれに依存して暮らしている官僚組織と科学技術によるものだとしたら、ホロコーストの恐怖からけっして私たちは無縁ではない。むしろそれはこの現代社会で何度でも再発しうるものであるし、現に再発してきた現象なのです。

(7)主体の液状化
 こうした道具的合理性の貫徹する組織のなかでは、人間は確固たる意志をもった英雄的(あるいは悪魔的)な存在ではもはやないでしょう。それは、殺された人びと同様に、腐敗して崩れどろどろになって液化したような存在でしかない。外部を失い、他者をその内部で消去していく装置のなかで生きている私たちが直面する危機とはいかなるものなのでしょうか。
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# by takumi429 | 2016-07-21 20:20 | 社会学史 | Comments(0)

11.ショック・ドクトリンの時代としての現代

11.ショック・ドクトリンの時代としての現代

(1)カリガリ博士の家
映画『カリガリ博士』では、カリガリ博士は患者チェザーレを治療と称して、自分の操り人形に作り変え、彼をつかった夜な夜な殺人を犯していてしました。そして映画の最後では、カリガリ博士の病院が、実は登場人物全員を収容していることが明かされました。そう、私たちもカリガリ博士の病院のなかに収容されているのです。

(2)『ショック・ドクトリン』
2007年にカナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインが発表した『ショック・ドクトリン』もまた、ふたりの博士の登場から始まります。
 ひとりはカナダのユーイン・キャメロン博士。彼はCIAの援助をうけてモントリオールの病院で、精神患者に電気ショックを与え、その過去の記憶からなる心を消し去り、作りかえる実験を繰り返していました。CIAはかれのショック療法を拷問に技術として導入しました。
 もうひとりは、アメリカのシカゴ大学経済学教授でノーベル賞受賞者、ミルトン・フリードマン博士。かれはケインズ流の国家介入の経済政策を喘鳴否定し、過激な自由主義を標榜しました。その自由主義政策を実施するためには、それ以前の体制がクーデターや大惨事などによって一掃されること、つまり、ショックによって社会が白紙状態になることこそ望ましいとしました。
 この二人の博士のショックによる人間と社会改造という教え(ドクトリン)は、チリの軍事政権のおいて結合しました。社会民主党政権が誕生し、国有化されそうになった多くの企業が国有化されることになり、その所有を奪われそうになったアメリカの企業家は政府に働きかけ、CIAはその手先のピノチェト将軍を使って国家転覆に成功します。この軍事政権の下、シカゴ大学でフリードマンの教えを受けた学生たち(シカゴ・ボーイズ)が経済政策を担当して、政府の機関の多くを民営化して、過激な自由至上主義の政策がとられました。反対者は収容所に拉致されて、キャメロン博士のショック療法からCIAが開発した手法をつかって拷問を繰り返したのです。
 国家転覆や大災害というショックを利用して、弱肉強食の自由主義を導入して、一握りの富裕層と大多数の貧困層を生み出し、反対者は収容所でショック療法によって抵抗力を奪う。ショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義=大惨事につけこんで実施される過激な市場原理主義改革)が誕生したのです。
 この惨事便乗型資本主義は、フォークランド紛争を利用したイギリスのサッチャー政権、「連帯」による民主化革命後のポーランド、ソ連解体後のロシア、壁の崩壊後のドイツ、イラク戦争、津波の襲ったスリランカ、アパルトヘイトの後の南アメリカ、ロシアからの移民を受け入れIT軍事産業国家に変貌したイスラエル、と次々の登場していっているのです。
 この惨事便乗型資本主義では、政府の機関が(軍事や警察までもが)民営化されました。しばしば、政府の担当者が民間企業の経営者を兼ねています。こうした官と民が一体化した「コーポラティズム国家」では復興は一向に進まず、一握りの富裕層が利得を得て、大多数の貧困層はもといた場所から追い出されているのです。

(3)ショック=獣人化
 キャメロン博士が生んだショック療法とフリードマン博士が提唱したショックのあとのドサクサに乗じた過激な市場原理導入。この2つは偶然、同時に生まれたものなのでしょうか。
 そうではないでしょう。「狼が狼にたいするように」人が人に襲いかかる自由主義市場原理。これは文化や歴史をもった人間のいるところでは貫徹できないのです。本能のリミッターを失った人間は代わりに、歴史的にけいせいされた文化の中に生まれます。本能をもたないために限界をしらない行動にでてしいかねない人間は、この文化によって、限度を超えない自由をまなんでいるのです。しかしそうした秩序だった自由は、弱肉強食によって社会の富を独り占めしようとしている強者たちにとってはじゃまです。ショックによって人間が歴史と文化の枠をはずれ、本能のリミッターさえもたない「ケダモノ以下のケダモノ「となって互いに奪い合うこと。これこそが、強者たちの望む状態なのです。つまり、ホッブスの描いた自然状態こそ、彼らが望むものなのです。
 こうして人間がショックによって、ケダモノ以下の存在へと転落させられ相争うことを、ゾラの小説『獣人』にちなんで、「獣人化」と呼ぶことにしましょう。
 なぜなら、ゾラの『獣人』では、鉄道という危険な乗り物による恐怖と列車事故による大災害というショックによって、ケダモノ化した主人公たちが、列車殺人や愛人刺殺や機関車内での格闘と転落死、さらにブレーキを失った軍隊をのせた列車の疾走、というものが描かれているからです。

(4)塹壕から収容所
シュベルブッシュの『鉄道旅行の歴史』で明らかにされているように、もともと「ショック」なる言葉は、軍隊の一斉射撃や一斉攻撃によって前面にでてきた言葉です。
 第一次世界大戦において、このショックは、まずは塹壕のなかでの恐怖として現れました。この経験をした世代は「塹壕の世代」と呼ばれます。第二次世界大戦は基本的に第一次世界大戦でうまれた戦争技術と体験の拡大でした。しかし、ショックの新たな現れ方として顕著だったのは、収容所の体験でした。国と国との間の攻撃ではなく、国内における残忍な収容と処刑。このショック体験が第二次世界大戦以降のわれわれの思想の踏み絵となっています。いわゆる「アウシュビッツ以降」と呼ばれる時代、それが現代なのです。
 次回はこの収容所体験がもたらした時代診断を考察することにしましょう。
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# by takumi429 | 2016-07-21 20:18 | 社会環境論 | Comments(0)

10.フロンティアの喪失 アメリカ社会学史への一視角

10.フロンティアの喪失―――アメリカ社会学史への一視角
 
アメリカ社会学の歴史をどのようにとらえたらいいだろうか。本稿は、それをフロンティアの喪失という観点からとらえてみることにしよう。
                            
1.ロック:新大陸開拓の承認
 イギリスの社会契約思想家ジョン・ロックはその主著『統治二論』のなかで、「土地の持つ潜在的能力を開花させるものがその土地を占有する資格を持つ」と説いた 。
 ロックのこの主張は、新大陸開拓の植民地の指導者たちを狂喜させた。なぜならインディアンを追いやって、土地を開拓していく彼らの行為がこの説によって正当化されたからである。
 
2.スペンサーの社会進化論:弱肉強食の承認
 弱者たるインディアンを攻め滅ぼし、アフリカから奴隷を連れてきて働かせる。こうした新大陸の論理をさらに正当化するものとして現れたのが、スペンサーの社会進化論である。彼の主張によれば、社会は動物の世界と同様に、弱肉強食であり、より進化しより適応力をもったものが、不適合な者を追い越して、繁栄していくのである(適者生存suvibal of the fitest) 。

3.スペンサーの死
 パーソンズ (Talcott Parsons 1902~79)はそのはじめての著作『社会的行為の構造』(1937)の冒頭で、「スペンサーは死んだ」と述べた 。それはすなわちすでにアメリカは社会ダーウィニズムの当てはまるような、外へ向かって膨張していく、またその膨張によって社会内部の対立矛盾が解消されるような社会ではなくなったことを意味していた。
すなわちフロンティアはもはや消えたのである。

4.ホッブズ問題
 フロンティアがなくなれば、いまやきまった土地のなかでお互いが取り分を求めて競い合うことになる。ひとつのパイを取り合うように、人は互いに敵対しあう。こうした問題をパーソンズは「ホッブズ的問題」と呼んだ。
 もしひとびとが自分の利益だけにはしって行為するなら、それはホッブズが『リヴァイヤサン』で描いた「人が人にとって狼であるような状態」になってしまう。そうして状態はどうしたら避けることができるのか、つまり「諸個人が功利的に行為する場合、どうすれば社会秩序は可能となるのか?」という問題、すなわち、彼が名付けるところの「ホッブズ問題」が生じることになる。
 この問題をパーソンズはどう解決しようとしたのであろうか。
 
4.1共通価値の受容
 パーソンズはこの問題を、「共通の価値の受容」ということで解決しようとした。「人が人にとって狼であるような状態」では、ひとはおたがいの出方(行為)を探り合い、結局、「両すくみ」の状態になって、身動きできなくなってしまう。この状態をパーソンズは「ダブル・コンティンジェンシー」と呼ぶ。ひとびとがたがいに、共通の価値と、それを実現するための様式(規範)受け入れることで、この「両すくみ」の状態は克服される、そうして社会の秩序は可能となる、そうパーソンズは考えた。 
 この共通の価値と規範の受容は二つの側面をもっている。ひとつは 共通の価値・規範を各人が自らのものとすること(内面化)、もうひとつは、共通の価値・規範が具体的な社会制度のかたちをとること(制度化)、である。
 
4.2 相補的役割関係
 共通の価値の受容は、パーソンズによれば役割というものが互いに支えあっていること、むずかしく言えば、一定の役割期待の相補性が成立していることを意味する。
 『社会体系論』(1951)の冒頭の献辞で、彼は妻に、病みがたい理論病患者にとって得難い均衡をもたらした、と感謝の言葉を述べている 。
 要するに、仕事をする「ぼく」、それを支える「君」というわけである。「君作る人、ぼく食べる人」というコピーがかつてあったが、それと大差はない。ともに「家庭は大切だ」という価値観を受け入れて、そのなかで補いあう(?)ような役割分担をしているというわけである(まあ男のかってな言いぐさといわれてもしかたないようなものである)。
 パーソンズはこうしたお互いに補いあうような役割関係が社会の大系を作り上げているとみる。たとえば、医師と患者もそうした相補的な役割関係である。
 
4.3 構造-機能主義
 パーソンズの描く社会は、地位-役割の体系としての社会である。地位の構造に埋め込まれた個人がその地位にふさわしい役割を演ずることで、社会の安定は維持されるのである。社会の構造に入れられた個人が、社会の安定に寄与する機能を果たすことで、社会の構造が維持されることを考察するのが、彼の「構造-機能主義」だったのある。
 
4.4幸福な社会=アメリカ
 こうした理論の背後には、50年代、世界でもっとも成功した社会としてのアメリカがある。つまりそれは「幸福な社会の完成体」としてのアメリカがある。しかしそれがたえず、自己を肯定しその価値観を宣伝し教え込まなくてはいけない社会でもある。じつはそれはそれを裏切る造反への不安がたえず抱えている、そうした社会でもあった。
 
5.1アメリカン・ドリームの功罪
 「アメリカ・ドリーム」と呼ばれるものがある。すなわち、アメリカではあらゆる人に成功の可能性がある、というものである。だがフロンティアの喪失の後、ある者の成功は他者の失敗を意味する。成功した者は他者に追いやられないために、その手段を独占しようとする。それでも成功しようとするものはその独占をうち破るか、あるいはまともではない手段を使ってでも成功しようとする。
 パーソンズの弟子のマートンが、デュルケームのアノミー概念を改変しつつ解き明かそうとしてのは、この問題である。
 
5.2 マートンのアノミー概念
 デュルケームのアノミー概念というのは、欲望の無制限な増大による無規範な状態を意味していた。彼のとらえた近代の病根はこの無制限な欲望の増殖という現象であった。
 マートンのアノミーのとらえかたはすこしちがう。マートンによれば、ある種の社会では「成功せよ」という文化的目標がつよく強調される。しかしそれを実現するための手段は問われない。その結果、人びとはまともな方法、すなわち、社会において制度的にきちんとみとめられ、できあがった手段をとらず、手っ取り早い手段をとるようになる。こうして生まれる無規制状態をマートンは「アノミー」と呼ぶのである
 アメリカは金銭的に成功するように人びとに圧力をかけている社会である。しかしそのための手段はあまり問われないため、人びとは非合法な手段を使ってでも成功しようとする。それがアメリカン・ドリームがもたらしている、アメリカの無規制状態なのである、とうのがマートンの考えていたことである。
 
5.3アメリカン・ドリームへの対応
 マートンは、文化的な目標とそれを実現するための(まともとされ、制度的にできあがっている)手段にたいして、どのような態度をとるかによって、人びとのあり方は5つの分類できるという 。
 Ⅰの「同調」は、社会が設定する目標をまともなやり方、つまり社会が認めた手段で達成しようとする人たちのありかたである。
 Ⅱの「革新」は、同じく社会が設定する目標を求めているが、まともではないやり方でそれを手に入れようとする人びとである。たとえば、ギャングのカポネのような人間を考えればいいだろう。
 Ⅲの「儀礼主義」の人びとは、もはや社会がいう目標を達成する気などなくなっている。しかし、社会的な決まりは守っていこうという人びとである。
 Ⅳの「逃避主義」の人びとは、社会的な目標も求めてはいないし、そのための努力も放棄してしまっている人びとである。
 Ⅴの「反抗」は、社会が標榜する目標もそのための手段にも疑問をもち、あらたな価値観によるあらたな目標とそのための手段を提示する。
 
     個人の適応様式の諸類型
  適応様式     文化的目標   制度的手段
 Ⅰ 同調        +       +     +は従う
 Ⅱ 革新        +       -     -は従わず
 Ⅲ 儀礼主義      -       +     ±は従わず別のものを提示
 Ⅳ 逃避主義      -       -
 Ⅴ 反抗        ±       ±
 
 マートンがいう「反抗」とはいかなるものなのか。それを具体化するような形でアメリカで現れたのが、「カウンター・カルチャー」と呼ばれる文化運動である。
 
5.1 カウンター・カルチャー
 60年代後半から70年代前半にかけてアメリカ西海岸では、「カウンター・カルチャー」(counter culture)と呼ばれる文化的運動が起こった。「対抗文化」とか「 反体制文化」とも訳されるこの運動は 、社会の既存価値観や慣習に反抗する若者の文化・生活様式であった。60年代末期のロック・ムーブメントは基本的にこの文化運動の影響下にあったと言ってよい。
 
5.2 映画『卒業』
 この時代のムードを先取りするように現れたのが、1967年ダスティン・ホフマンが演じた『卒業』という映画である。
 主人公の青年は東海岸の大学を優秀な成績で卒業し、家族のいる西海岸の家に帰ってくる。プールつきの立派な家に帰ってきた彼は、しかしどうもそこでの生活になじめなくなっている。やがて彼は幼なじみのエレインの母親と不倫関係になります。そして仲が良さそうにみえていたエレインの両親がじつは離婚寸前であることを知る。こうして彼は、日常生活の裏側を知り、そこに入っていく」。
 彼がかつてはなじんでいた家族との生活になじめず、まるで異邦人のような気分になっていることを表すシーンにこんなのがある。優秀な成績で卒業したことを祝って、彼の父親は息子に潜水服をプレゼントする。むりやりそれを着させられた彼の目に映る情景が潜水服の中からの視線で映される。8ミリをもってはしゃいでいる父と母。主人公は潜水服着せられ、ぎこちない動きで、水中マスクごしに両親たちを見る。結局かれはプールに潜らされ、水面を見あげ、ついにはプールの底に潜水服を着て沈む。
 同じ年、「ドアーズ」(doors)というロック・バンドがアルバム『まぼろしの世界』(Strange Days)のなかの「まぼろしの世界」(People Are Strange)という曲でつぎのように歌っている(作詞ジム・モリソン)。
「きみが異邦人(stranger)であるとき、ひとびとは見慣れない奇妙なもの(strange)になる。」
https://youtu.be/XZuj_xU-x0I
 この詩で歌われたのと同じように、『卒業』の主人公はまさに異邦人の目でまわりの人びとを見、そのため日常生活を営むひとびとがまるで奇妙な存在に感じられる。
 主人公はやがて幼なじみのエレインと恋仲になるが、彼の不倫相手の母親とそれを知った父親は、急いで娘を別の男と結婚させようとする。結婚式に駆けつけた主人公は教会のガラス越しに、いままさに進行しつつある結婚式を見る。もう手遅れだ、と思った主人公は思わずガラスを手で打ち「エレイン」と叫ぶ。すると突然、式は停止し、彼女は彼を見つめ。それに勇気を得た彼は、式場から花嫁エレインを奪い去り、ふたりしてバスに乗り込み、映画は終わる。
「もう決まったことだ」、「動かしようのないことだ」と思われた日常は、じつは意外にもろいものだった。異邦人の目で日常生活を眺め、それを突き崩していく青年。まさに「反抗」のタイプの人間が登場しつつあったのである。

5.3 エスノメソドロジー
 同じ1967年に ハロルド・ガーフィンケル(Harold Garfinkel 1917-という社会学者の『エスノメソドロジー研究』(Studies in Ethnomethodology) という論文集が出版され。
 この「エスノメソドロジー」という奇妙な名前の学問は、ひとびとがどのように日常生活を作り上げていくか、その方法を、まるで異邦人のような違和感をもちながら、調べていく。
 
5.3.1 エスノメソドロジーによる実験
 ガーフィンケルは、たとえば、学生に「家にかえったら、下宿人になったつもりで、親と会話しろ」と言う。当然、親子の会話は齟齬をきたす。
 たとえば、
親:「あれどうだった?」
子:(下宿人になったつもりで)「あれって、なんですか。」
親:「だから今朝言ってたやつだよ。」
子:「おっしゃることがわかりません。」
親:「お前、どうしたんだ。熱でもあるのか。」
 こうした齟齬をきたした会話からわかるのは、なにげない会話でもじつはその前提となる共通の理解されたもの(「背後理解」)があることである。
 またガーフィンケルは、学生に、「お店で値切ってみろ」と指導する。
 定価販売になれたアメリカの大学生は値切ることなど思いもつかない。品物の値段は「決まったもの」だと思いこんでいる。しかし実際に店の人に、「もう少し安くなりませんか」と聞いてみると、じつはけっこう値引きしてくれるものなのである。
 つまり、日常のふつうに進行していることがじつはかなり込み入ったことを前提にしていたり、「決まりきったこと」だと思っていたことが、じつは案外「やわ」であることがわかる。このように、ひとびとが「あたりまえ」と思っていることを浮き出させ切り出していくのがこの学派のやり方である。またその根底には、社会はあるものではなく作り上げていくものである、という考えがある。
 この学派はまさにマートンが予感した「反抗」の季節の産物といってよいだろう。

6.まとめ
こうしてアメリカの社会学の歴史は、フロンティアの喪失という宿命的な課題との格闘を通じて展開されてきた。フロンティアとは外部への侵出する際の前線を意味する。すなわち、外部へと侵出することが不可能になったときフロンティアは失われる。その後のアメリカの政策は絶えず外部を作り上げそこへと侵略しつづけることで自己を維持していきたように思われる。その意味でアメリカの社会は社会学者たちが立ち向かった問題の解決を回避つづけてきていると言えよう。
 侵略すべき外部の喪失という観点でみるなら、それはけっしてアメリカ一国の問題ではない。それはむしろ私たちが解決すべき問題でもあると思われる。


1.ロック『統治論・第二篇』宮川 透訳、中央公論社、世界の名著、1968
2.コント 霧生和夫.清水禮子 コント・スペンサー 世界の名著36, 中央公論社1970
3.タルコット・パーソンズ著/稲上毅・厚東洋輔/共訳 社会的行為の構造木鐸社1976
4.タルコット・パーソンズ著,佐藤勉訳:社会大系論、青木書店1774
5.マートン(著)、森東吾ほか(訳):社会理論と社会構造、みすず書房1961
6.Harold Garfinkel : Studies in Ethnomethodology, Blackwell Pub.,1984

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# by takumi429 | 2016-07-07 22:18 | 社会学史 | Comments(0)

9(悪)夢工場としての現代

 9.(悪)夢工場としての現代

 今回は、ヴァルター・ベンヤミン(Walter Bendix Schönflies Benjamin 1892-1940)がとらえた近代、というよりもむしろ現代、を考えていくことにしましょう。

 疎外論から物象化論
マルクスにおいて、「疎外」とは、作り手である人間から産み出された物が、作り手の手を離れて作り手の、作り手である人間の手の届かない物になってしまうこと、いいます。
マックス・ヴェーバーの弟子でもあったジョルジュ・ルカーチは、この疎外論を『資本論』にもとづき、さらに発展させて、「物象化論」を提起しました。
物象化とは、作り手である人間が生み出した関係が独立して、ぎゃくに人間を支配してしまう事態をいいます。例えば、経営のために生きている人間、官僚制に支配される人々などがその例です。
貨幣の出現によって、使用価値とは別の交換価値が生まれ、その交換価値によって物事の価値が計られようになります。物象化論は、交換価値は一般的労働によって定まるのではなくて、むしろ交換関係という形式が結晶化して、その関係が人間を支配するようになることを明らかにしたのです。それは明らかにヴェーバーの「形式合理性」論の延長線上にある議論でした。
貨幣の流通によって、物や人の固有の価値ではなく、交換できる、誰にとっても通用する価値が、計られるようになる、また、そういう目で人や物をみるようになる。貨幣経済がもっとも盛んな大都市において、それがどういう精神構造を生むのでしょうか。それを示しているのが、ボードレールの散文詩集『パリの憂鬱』の中の「群衆」という詩です。

ボードレールの散文詩「群衆」(1961年)
「群衆を沐浴するというのは、誰にでもできる業ではない。群衆を楽しむことは一つの術である。そして人類をうまく利用して生命力を大いに飲み食いできるの は、ただひとり、揺藍にあった時、仙女から、仮装や 仮面への好みや、己(おの)が棲処(すみか)への憎悪や、旅への情熱を 吹きこまれた者のみだ。
 群衆、孤独。活動的で多産な詩人にとって、たがいに等しく、置き換えることの可能な語。己の孤独を賑(にぎ)わせる術を知らぬ者は、忙しい群衆の中にあって独りでいる術をしらない。
 詩人は、思いのままに自分自身でもあり他者でもあることができるという、この比類ない特権を亨(う)けてい る。一個の身体を求めてさまようあれらの霊魂たちと同じように、詩人は、欲する時に、どんな人物の中へ でも入ってゆく。彼にとってだけは、すべてが空席なのだ。そして、ある種の場所が彼に閉ざされているよ うに見えるとすれば、とりもなおさず、彼の目から見 て訪れるに値しないものであるからだ。
 孤独にして思索を好む散歩者は、この普遍的な融合 から、一種独特の陶酔を引き出す。群衆とたやすく結婚する者は、金庫のように閉ざされたエゴイストや、軟体動物のように殼にとじこもった怠け者などには永久に与えられることのないような、熱烈な享楽を識る のである。彼は、めぐり合わせが提示してくれる職業のすベて、歓びのすべて、悲惨のすべてを、自らのものとして受け容れる。
 人間が愛となづけるものは、この筆舌につくしがたい饗宴、すなわち、詩となり隣人愛となった魂が、目の前に姿を現す思いがけないもの、通りかかる未知のものに、己をすべて与えつくす、この神聖な魂の売荏 に比べれは、まことに小さく、まことに限られており、
まことに弱い。
 この世の幸福な人々に、彼らの幸福に優る幸福、より広大でより洗練された幸福があると、時おり教えてやるのは良いことだ、たとえ彼らの愚かな誇りを一瞬 辱めることにしかならむにもせよ。植民地を築く人々 や、民族を牧する人々、世界の涯に流謫の身の宣教者 たちはきっと、こうした不可思議な陶酔について何ほどか知るところがあるだろう。そして、彼らの天才が 自らのために作り上げた巨大な家族のさなかにあって、これらの人々は、かくも波瀾多き彼らの運命やかくも純粋な彼らの生活のゆえに彼らを気の毒がる者た ちのことを、時おり笑っているに違いない。」(阿部良雄訳『ボードレール全集IV』筑摩書房1987年 26-27頁)

ボードレールは、通りすがりの群衆 の誰にでも感情移入できる、そうした詩人の想像力を、「神聖な魂の売淫」と呼んでいます。彼のいう「神聖な魂の売淫」とは、人々が 互いに名も知らぬままにすれちがうような、そうした 大都会の孤独と陶酔のなかから生まれてくるものなのです。

ベンヤミンの評
ヴァルタ一・ベンヤミンはその著作「ボ一ドレ一ル における第二帝政期のパリ」のなかで、この詩につい てこう言っている。
「ボードレールが『大都市の宗教的な陶酔状態』について語るとき、その陶酔の主体はなざされていないけ れども、それは商品ではなかろうか。そして、あの『神聖な魂の売淫』---これと較べれば『人間が愛と呼ぶ ものは、まったくけちな、限られた、弱々しいものだ』といわれているの---は、愛との対置に意味があると するなら、じっさい、商品のたましいの売淫以外のものではありえない。」川村ニ郎・野村修訳『ヴェルター・ベンヤミン著作集6ボードレール新編増補』晶文社1975年75頁)
交換価値が支配する大都会では、だれにでも売られる、その価値こそが問題となる。そうした価値を推し量る想像力は、物や人の重々しい泥臭い固執から自由になって、軽やかに舞いながら物狂おしく高まり拡がっていく。
ここでは交換価値がもたらす物象化(関係のひとり歩き)が否定的にとらえられるのではなく、むしろ、大都会において出現する新しい詩的な想像力を生み出すものとされているのです。

ポーの紹介文
ちなみに、この散文詩「群衆」は、エドガー・アラン・ポーの短編「群衆の人」に想を得ています。ポーのフランスへの積極的な紹介者でもあり、また翻訳者でもあったボードレールは、その1852年の「エドガー・アラ ン・ポー、その生涯と著作」という論文でポーの「群衆の人」という短編について次のような言及をしています。(その後、この「群衆の人」は1855年にボードレール自身によって翻訳されました)。

「群衆の人」は絶えず群衆の中へと潜りこんでいく。人間の大海原の中で快感をおぼえっっ泳ぐのだ。震えおののく影と光に満ちた黄昏(たそがれ)がおりてくると、彼は静まった街区を逃れて、人間物質の生き生きとうごめく街区を熱心に探しもとめる。光と生の圏が狭まってゆくにつれて、彼は不安になってその中心を探す。洪水の時の人間たちのように、公衆の蠢動(しゅんどう)の最後の頂点をなすものに必死にしがみつく。それだけの話なのだ。孤独を忌みきらう犯罪者なのか?自分自身に耐える ことのできぬ馬鹿者なのか?」(阿部良雄訳rボードレール全集II』筑摩書房1984年116頁)

「群衆の人」
この「群衆の人」はポーが1940年に書いた短編です。舞台はロンドンです。Dコーヒー店の窓から外を見ている語り手は、道行くさまざまな人々をどんな人でどんなことを考えているだろうかと、詩的な想像力を働かせています。ところがひとりの奇妙な老人を見つけます。語り手はその老人だけは、どうしてもどんな人物であるか想像できません。そこでその老人を尾行することにします。老人はうちに帰ることもなく人混みのなかをうろうろ動くばかりです。人混みが密集し活発な所では、老人も元気に歩きまわります。しかし、人が動きもまばらな所では老人の動きはのろくなります。老人は人混みをもとめてうろうろと動いていき、いつまでも動きを止めることがありません。2日目の宵になり、もとのD店に尾行して舞い戻った語り手は、疲れ果てて老人の尾行を放棄し、あれこそは「群集の人」なのだとつぶやくのです。(小川和夫・佐藤正明 他訳『筑摩世界文学体系37 ボオ・ボ一ドレール』筑摩哲房1973年37-42頁)

 ボートレールは、この短編の始めの部分である、ガラス窓越しに行き過ぎる群衆を眺めては、その人々の履歴を読みとる「私」の 精神状態に、散文詩「群衆」の想を得ています。しかし ボーの物語の中心はそこではなく、むしろ絶えず群衆のなかに身をおいて、そのなかでブラウン運動のごとき動きをみせる謎の男こそが、この物語の中心なのです。
「神聖な魂の売淫」を「商品のたましいの売淫」と呼んだ、ベンヤミンにならって、私たちはこの「群衆の人」を貨幣になぞらえることができるでしょう。それは絶えず人と人との間にあって活発に動く。しかも自らはけっして変わることも、何処かに納まることもなく、繰り返し元の場所に返ってくる。市場での活発な商品交換にあって、この運動は活気づく。しかしいかなる商品をも購入することなく、その間をはじかれて動き続けるのである。それは、語り手が老人を評したように、「あらゆる巨大な知力、替戒心、吝嗇、 貧欲、冷静、悪意、残忍、得意、歓喜、極度の恐怖、 強烈な--この上ない、絶望といった諸観念」を担っ ており、そして「すべての犯罪の核心」となり得るのです。
 
 こうしてみると、ブラウン運動を続ける貨幣の化身を描いたポーの「群集の人」の影響を受けて書かれたボードレールの散文詩「群衆」のおける詩人の想像力「魂の聖なる売淫」を商品のもつ「たましい」である交換価値に起源をもつものであると指摘したベンヤミンの指摘は的をえたものだと言えるでしょう。そして、さまざま人の気持ちに同化してしまう詩人の想像力と、さまざまな人々の間でふらふらと歩きまわる遊歩人は、ともに、商品の交換価値を受容し媒介する貨幣の精神的な化身にほかならいないのです。

 ともあれ、ここでは、物や人が、その固有の価値(使用価値)から切り離されて、交換価値によって計られ売り買いされるという関係が否定的なものでなく、大都会の生み出す詩的な想像力として評価されているのです。
 この貨幣経済がもたらした、本来の使用される文脈からの物が切り離され、そうしてまったく別の使用文脈にありながらそこから切り離された、物と物が、(交換)価値が同じであるとして、等号で結ばれる(交換される)ということ。この、切り離しと結びつけ、こそが、ベンヤミンが20世紀前半にみいだした新たな思考の可能性を生み出す源泉でした。それをみていくことにしましょう。

 技術的複製可能性の時代としての現代
 ベンヤミンは、その著「技術的複製可能性の時代の芸術作品」(旧邦訳題『複製技術時代の芸術』)(Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit 1935)で、20世紀とは、技術的複製可能性の時代である、と規定しています。この技術的複製可能性とは、具体的言えば、写真とその連続である映画を指しています(この規定は現代にも通用します)。
 オーラの喪失 
 元来、芸術作品には教会や宮殿など、それが設置される場所が決まっていたものです。そこに置かれることで、その作品には独特のオーラ(Auraアウラ) が付随していました。
 しかし、写真によって作品のコピーが簡単に作ることができるようになりました。コピーはそれを作品が置かれた文脈・背景から引き離して見ることができるます。その結果、その作品がもともと置かれた場所でもっていたオーラは消えます。しかし逆に、それまで描かれていたのに気づかなかったものに気がつくことがあります。
 異化効果
 ロシア・フォルマリズムという芸術運動において「異化」Verfremdungというものが提唱されていました。「異化」とは「同化」の反意語です。
 ロシアフォルマリズムは、私たちはそこに日常文脈に埋没してなれっこになっている(同化した)ものを、その文脈から引きはがし、異形なものとして提示する(異化する)ことで、その美しさを、鑑賞者・読者に感受させるという、20世紀の美学を生み出しました。
 たとえば、風景をそれがなじみとけ込んでいる周りから切り離すことで、その風景を正視させることができます。すると、そのとき、その風景のもつ美しさが際立ってくるということあります。
 こうした工夫は京都のお寺のそこかしこに見られます。窓で庭の風景を切り取ったり、ふすまなどで区切ったり、門で矩形に区切って風景を切り取ります。そのことで風景の美しさが際立ってくるのです。
源光庵
悟りの窓・迷いの窓
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圓光寺の庭
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切り取られていないとふつうの紅葉の庭にしか見えない。
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南禅寺の大門
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 ベンヤミンの友人の劇作家ブレヒトは、この異化をつかって、観客にあらたな社会認識をうながそうとしました。慣れっこになっていることを、ことさら大げさに言ったり演じたり、強調したり、字幕を垂れ下げたりして、観客にその事がらに違和感を覚えさせ、注意を向けさせます。
 たとえば、京都の人が出てくる芝居で、「け、なんぼのもんじゃ」、という悪態を、How much are you?とか「お前の値段はいくらだ?」と言い換えたり、「おいくらですか、あなたは?」という字幕を垂れ幕にしてみたり、「なんぼ」というところで指で札を数える真似をしてみたりします。そうすることで、この悪態が、人の価値を貨幣価値で計るほど世知辛い流通の巷である都会人の悪態である、ことに気づかせるのです。
 そうすることで、芝居をみてスッキリした、という感想をもってもらうのではなくて、なんか後味が悪いけど、それはこの芝居がが私たちの社会をまさに描いているからなのだ、たしかに人の価値を「なんぼ」とお金で計るなんて、ずいぶんなことをやっているのだなあ、とかいうふうに、自分たちの住んでいる社会について気づかせるわけです。
 視覚的無意識
 風景の美しさも悪態の世知辛さも、もともとの風景や言葉のなかにあるものです。でもそれに私たちは慣れっこになっていて気づきません。目に見えるものでも、見えているはずなのに気づいていないものというのがいくつもあるはずです。
 たとえば、走っている馬の足はどういうふうになっているでしょうか。馬が走っているのを実物や映像で見ている人は多いはずです。でもそれがそんなふうだったかというとわからない人は多いでしょう。
 たとえば、馬が走っている時、その足はすべて地面から離れている時があるか、ないのか、という議論がありました。写真が最初発明された時に、マイブリッジという人はさっそくその問題を解決すべく、写真を利用されました。彼は馬の走っている姿を連続した写真に撮りました。

マイブリッッジ 走る馬の連続写真Eadweard Muybridge, Galloping Horse1878
その結果、馬の足がすべて空中にある瞬間がある、しかしそれはそれ以前に想像されたのとはちがって足を広げている時ではなくて、足をすぼめているだったのです。
テオドール・ジェリコー『エプソンの競馬』1821年(パリ・ルーヴル美術館)
こうして、視覚的無意識(見えているはずなのに見えていないもの)は、
写真に撮りその場から切り離して見ると、見えてくる(無意識が意識化される)、あ
あるいはその写真を組み合わせると見えてくるものがあるのです。
https://www.youtube.com/watch?v=4gLBXikghE0
クレショフ効果
さらにこの写真と写真との組み合わせによって新しい意味がうまれてくることがあります。
ロシアの映画理論家・監督クレショフ
写真の連続(カット)と写真の連続(カット)を接合させることで新たな意味生まれることをあきらかにしました(こうしたフィルムの編集のことをモンタージュといいます)。
たとえば、スープの写真(カット)の後に、無表情の男の顔(カット)を置くと、男は腹をすかせている、と観客は思います。また死んだ子どもの写真(カット)の後に、無表情の男の顔の写真(カット)を置くと、観客は、男は悲しんでいる、と思います。また、裸の女の写真(カット)の後に、無表情の男の顔写真(カット)を置くと、男は欲情している、と観客は思います。実際には、無表情の男のカットはすべて同じものでしかありません。それでも別のカットとつなぐことで、それはそれぞれ別の感情をもったショットだと観客には見えるのです。

また、クロス・カッティングという手法もあります。
ここでは2つの系列のカットが交互に組み合わせられることで、その双方が同時進行しているように見えます。
たとえば、A悪漢に襲われるヒロインというカットと、B疾走する騎馬隊というカットを交互につなぐ(A1→B1→A2→B2→A3→B3)ことで、悪漢に襲われるヒロインを救助すべく急ぐ騎馬隊、という物語で出来上がります。
http://www.youtube.com/watch?v=FMTQ9sU3XXw
ベンヤミンは、こうした映画のカット(写真)とカット(写真)のつなぎ合わせによる意味創造を、新しい芸術のあり方とみなしました。

『パサージュ論』
さらに、この映像の断片と断片のつなぎあわせという技法は、本文から切り離された引用と引用の結合という手法にまで拡大されます。それがベンヤミンが残した膨大な草稿である『パサージュ論』でした。
 パサージュpassageとは、19世紀末にパリで流行した商店街の形式です。アーケードの下にガラス張りの商店が左右に軒を連ねて通路となっているものをいいます。遊歩者は、区切られたガラスごしに商品群をA→X→B→Y→C→Zというぐわいに、順番に、ときには右側の店から左側の店へと視線を移しながら、見て歩くのです。
 ベンヤミンの『パサージュ論』19世紀末期のパリ都市文化をめぐるさまざまな引用を、元の本文から切り離して、まとめたものでした。読み手は、パッサージュを歩く遊歩者のように、読書していくことになるのです。

 無意識の顕在化としての夢
 フロイドがはじめた精神分析において、無意識は夢となって現れます。遊歩者がパサージュを通り抜ける時、近代の無意識が夢となって立ち上ってきます。あるいは詩人が、行き交う人をガラス越しに見ていく時、人々の共通して持つ時代の無意識が、詩となって現れる。
ガラス窓の枠で区切られた商品のイメージが連続していくなかで、都会の人々の無意識の欲望と願望が、写真の連続(映画)として立ち上がってきます(ベルリン交響曲)
 夢を、映像と音と音楽で実現したのが、映画です。引用と引用の集積を読み進めながら、近代の無意識を1つの夢として顕在化させるのは詩人です。あるいは、それはベンヤミンの最晩年の「歴史の概念のために」という文章において、巨大化する瓦礫の山(切断された物の集積)のなかに破局をみいだす「新しい天使」でもあります。
 遊歩者=詩人=歴史の天使。
 現代とは、切断された(そのことで隠された意味(無意識)を意識することが可能となった)断片の集積から、時代の無意識(夢)を、あらわとする(映画的)思考が、指導的な思想となる時代です。

 ベンヤミンの思想の皮肉な実現
 ベンヤミンが映画的思考とでもいうべきものに期待していたのに対して、映画的思考は皮肉な帰結をもたらしました。
 
 ナチズム 映画国家  
 ドイツのナチズムは、映画を利用することで政権を獲得し、かつ維持しようとしました。
 政治には、古来、行政と祭り事(政)の2つの顔がありました。祭り事としての政治をおこなう国家を「劇場国家」と呼びます。
 それにたいして、ナチズムは敗戦の直前まで映画を製作し続けました。それは、政権自体が、一種、映画のような、映像的英雄ドラマによる大衆動員だったからです。
 宣伝省という省までもうけて、それはドイツ民族(アーリア人)の幻想をかきたて大衆を先導し動員しました。ユダヤ人やロマ人や障害者・同性愛者を収容所に閉じ込め大量死させ、奪った財産を大衆にばらまくことで支持を得ていきました。
 映画の製作所はしばしば「夢工場」と呼ばれます。ナチズムは夢工場としての政権でした。しかしそれは抑圧され殺された者にとって悪夢の工場でしかなかったのです。
 レニ・リーフェンシュタール 
ナチズムの映画製作に積極的に協力したのがレニ・リーフェンシュタールです。彼女は
『意志の勝利』でニュールンベルグのナチス党大会を、『民族の祭典』で、ベルリン・オリンピック記録映画を監督しました。映像の断片を編集(モンタージュ)することで、偉大なるヒットラーとその党とドイツ第三帝国の栄光を描いたのです。

 ボルタンスキーの作品
 収容所に強制連行され殺された少年・少女の写真や、死者たちの遺品としての衣服などを集め、それを配置し設置することで、彼らがたどった過酷な運命を立ち上がらせようとする作品を作り続けているのが、フランスのユダヤ人芸術家クリスチャン・ボルタンスキーです。もともとは学校の写真などから切り取られ、そのうえで集められた写真の集積や、もともとはそれを着ていた人たちから引き離された衣服や遺品の集積を見ることで、私たちは、集められ連行され殺されていった少年・少女たちや人々のその後の過酷な運命を、知ることに成るのです。
 ベンヤミンの手法は、皮肉にも彼をも死に追いやったナチズムの歴史を浮かび上がらせるのにもっとも効果的なものとなったのです。
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クリスチャン・ボルタンスキー「プリム祭」1990年
白黒写真、金属製引出し、白布、電気スタンド



 ゼーバルト『土星の輪』
 ベンヤミンの手法を小説の形で写真などを多用しながら推し進めていたのが、ゼーバルトという小説家でした。彼の『土星の輪』という旅行記は、イギリスの東海岸のさびれた海岸線をめぐるものです。
 今はさびれたイギリス南東部の海岸をたどり歩く<私>。
 この南東部の海岸は、いわばヨーロッパ大陸に貼り付けられはがされたガムテープのようなものです。大陸に起きた汚行・破壊のかけらが、この海岸に張り付いています。つまり、この地方は、世界の破壊と残虐の歴史を写し取ったネガのようなものです。この細分化されたかけらは、かけらの集積ではあるが、土星の環が土星の重力を示すように、ひとつの環をつくっています。かけらの形をとった痕跡をひとつづつたどることで、そこから、人間の犯してきた残虐と汚行の歴史が、土星の環のように形あるものとして、<私>(痕跡を読む者)のまえに立ち現れてくるのです。
「痛みの痕跡」は無数の細かい線となって歴史を貫いている(ゼーバルト)。写真というのも光の痕跡にほかなりません。写真という光の痕跡を多用しながら、痛みの痕跡をたどり、歴史の隠れた像を浮かび上がらせる。ベンヤミンの手法を使うゼーバルトの小説も、ベンヤミンとその民族(ユダヤ人)を追いやった過酷な歴史を浮かび上がらせるものとなったいるのです。

NHK 『映像の世紀』
 映像の断片から20世紀前半の歴史と社会の全体像を浮かび上がらせる
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# by takumi429 | 2016-06-30 20:59 | 社会環境論 | Comments(0)

8. 規律化と臣民化としての近代 --- フーコー・アルチュセール ---  

8. 規律化と臣民化としての近代 --- フーコー・アルチュセール ---
 
 今回の講義は、社会が、人びとが規律の下に管理・監督される、いわば一種の収容所のようなものとして現れる、ということをあつかいたいと思います。まずはその例として独表現主義の有名な映画『カリガリ博士』の改訂をめぐる話から始めましょう。

『カリガリ博士』:全社会の収容所化
 
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『カリガリ博士』(Das Kabinett des Doktor Caligari1920年)

 この映画のもともとのあらすじは以下のようなものでした。
 見せ物小屋で催眠術をつかって眠り男を操る怪しい老人。町にその見せ物小屋が現れるとおなじく、夜な夜な連続殺人が起きる。主人公フランシスはそれが見せ物小屋の老人の仕業であることをつきとめ、老人を追って彼が逃げ込んだ精神病院を訪れる。そこで彼は、殺人をかさねていた老人がまさにその精神病院の院長、カリガリ博士そのひとであることを知る。院長カリガリは催眠術をかけた眠り男ツェザーレをつかって次々に殺人を重ねていたのである。フランシスの活躍によりカリガリは捕まる。
 しかし映画化にあたって、この話はすべて狂人フランシスの夢物語であった、というふうに改められました。彼の話にでてきた町の人びとというのは、じつは、ヒロインをふくめて、すべてラストで精神病院の中庭に患者として登場してきます。そしてそこへ、何かを企てているような病院長カリガリ博士が登場して、映画は終わるのです。

 クラカウアー(Siegfried Kracauer1889-66年)はその著『カリガリからヒットラー』で、この改訂は、脚本が本来が持っていた権力批判を薄めた改悪であるとしました。以来、日本ではその解釈が一般となっています。
しかし、この改訂は、いわゆる「夢オチ」(…というのは夢でした、という結末の付け方。先鋭的な話、奇妙な話、不整合な話も、すべて「夢」だったということでけりがつけられる)をつかった批判を弱めたもの、というだけではないように私には思えます。とくに正常だったと思っていた登場人物たちが、精神病院の中庭に、気がふれたありさまで現れるシーンのインパクトは無視しがたいものです。
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 元の脚本は、扇動し裏から暴力を起こしながらそれを治めるふりをするという権力への批判とも読めるものでした。それがこの改訂で、私たちの社会全体がじつは、精神病院のような収容所であって、「正常」と思っている私たちはじつはそのなかに収容されている。そして異常と正常を分かつのはカリガリ博士によって体現された「知」であり、それは1つの権力として私たちを支配しているのだ、というふうにみえてくるのです。
 社会全体がひとつの精神病院となり、私たちはそこに収容された囚人となる。そこでは精神医学という専門家の知識が権力をもつことになる。
 今回とりあげる、ミッシェル・フーコー(Michel Foucault 1926-84)の描く近代とは、まさにこうした、知識によって管理された、一種の収容所のごとき世界です。フーコーがこうした近代世界のとらえかたを全面的に展開するのは『監獄の誕生 --- 監視と処罰 --- 』(1975)以降ですが、この本を読む前にまず補助線として、デュルケームの『社会分業論』を読んでみることにしましょう。

 デュルケーム『社会分業論』(1893)
あらすじ
 近代以前の社会は、同質性・類似性にもとづく連帯、すなわち「機械的連帯」を基本としていました。ですから、同質性からの逸脱に対して、体罰を与えたり成員としての資格を剥奪をしました。その結果、近代以前の社会では、行為者当人に課せられる苦痛、地位引き下げを本質とする「抑圧的制裁」を伴う法規が中心でした。
 ところが近代になると、社会は、社会的分業(労働が社会のさまざまな生産分野に専門化することによってつくりだされる社会経済的編成)による連帯、すなわち「有機的連帯」を基本とするようになります。逸脱はその社会分業関係の破綻をもたらします。だから逸脱にたいする対応は、分業関係、つまり人や物の関係、の修復をめざすようになります。その結果、諸事物を原状に回復し、阻害された関係の修復をめざす「復原的制裁」を伴う法規が主流となったのです。
 つまり前近代から近代への移行は、「機械的連帯」から「有機的連帯」への移行であり、
それは法体系のおける「抑圧的法律」から「復原的法律」への移行と対応しているのです。

 このデュルケームの考えを、(フーコーをふまえつつ)すこし読みかえてみましょう。
 近代以前の共同体社会では逸脱には共同体の怒りと排斥が向けられました。しかし逸脱者たちは共同体のはざまにあって、ある意味で共同体と共存していました。逸脱者は共同体へ影響をおよぼしうる、時には危険な、しかし時には有益な存在としてありました。
 近代となって逸脱者への対応はより巧妙になりました。逸脱した者は排除されるのでなく、おもてむき、社会へ回復することになります。社会は逸脱者を自己のうちに回収することで、逸脱者を無害なものとします。社会は逸脱者を「更生」・「治療」と称しつつ自分の管理下に集めるのです。社会はもはや逸脱者から脅かされることもなければ、そこから学ぶこともありません。こうして社会にとって危険な逸脱者(犯罪者と精神病患者など)は、排除されるのではなく、社会の内に、しかしその周辺に集められ、包み込まれて無害なものとされるのです。社会はその外部をみずからの内にとりこんだのです。

 では、フーコーの『監獄の誕生』を読んでいくことにしましょう。

 フーコー『監獄の誕生 --- 監視と処罰 ---』(1975)
「第1部 身体刑 第1章 受刑者の身体」
この本の冒頭で、フーコーは、2つの身体への刑罰のありさまを描き、それを対比させます。すなわち、(A)国王ルイ15世の殺害を企ててダミアンへの凄惨な八つ裂き刑(1757年執行)と、(B)4分の3世紀あとの「パリ少年感化院」での規律正しい日課規則、です。そのうえで、次のような問題提起をします。つまり、前者(A)から後者(B) への移行はいかにして生じたか、またそれはどんな意味があるのか、と。
「第2章 身体刑の華々しさ」
(A)にみられたように、かつて身体刑は華々しいものでした。なぜならそれはつぎのようなはたらきをもっていたからです。すなわち、(1) 尋問のための拷問(拷問された身体が真理を生み出す)、(2) 刑罰としての拷問(王の権力が身体の上に見える形で刻まれる)、(3) 祭典としての身体刑(犯罪によって傷つけられた王権を再興するための報復の儀式として身体への刑罰が執行される)、最後に(4) 観客としての公衆(処刑は公衆の前でおこなわれ、そのためそれはお祭り騒ぎとなり、しばしば罪人は英雄に転化しました)。

「第2部 処罰 第1章 一般化される処罰」
18世紀になって身体刑の廃止と処罰の人間化が叫ばれるようになりました。王権から資本主義への移行は、君主による報復としての処罰から社会擁護のための処罰への変化をもたらしたのです。
「第2章 処罰のおだやかさ」
処罰は(1)王権に依拠した処罰(受刑者の身体に報復の烙印を押す祭式)から(2)個人をふたたび法の主体として立ち直らせるための処罰、さらに(3)受刑者の身体の訓育としての処罰へと、変わっていったのです。
 つまり直接的な身体刑ではないが、身体には働きかける監獄というものを使った懲罰が優勢となったのです。その理由には背景としての社会全般の規律化という事態があるのです。
「第3部 規律・訓練」
ここで、フーコーは、直接的な身体刑から監獄への移行の背景として社会全般の規律化の歴史をたどります。
「第1章 従順な身体」
17世紀から19世紀(いわゆる「古典主義時代」)に、権力の対象としての身体が発見されました。従順な身体を養成する必要がうまれ、とりわけ学校・施寮院・軍隊において規律=訓練が発達しました。
 規律=訓練は、人を「独房」に入れ、「座席」させ、それを「序列」づけていくという、組織化をすることで、建築的・機能的・階層秩序的な空間を創りだし、そこに人間を配分します。そして、人間の活動を体系化し、段階的なものにして、それらを相互に組み合わせます。

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フレーヌ監獄での行動でのアルコール中毒の害悪に関する講演
『監獄の誕生』図版28


「第2章 良き訓育の手段」
こうして、規律=訓練が個々人を「作り出す」ようになります。訓育の手段には(1)プラミッド状の階層秩序なす監視、(2)規格化をおこなう制裁、と、この両者を結びつける(3)試験、とがあります。
「第3章 一望監視方式」
癩病患者の隔離(「大いなる閉じ込め」)とペスト流行の対する規律図式による取り締まりの結果、19世紀、排除された空間に対して、規律的な権力技術が適用されました。
排除された異常者にたいする規律=訓練の装置として、もっとも典型的なのは、ベンサム(Jeremy Bentham1748-1832 イギリスの哲学者・経済学者・法学者)の考案した「一望監視施設」(パノプティコン)でした。フーコーはこの「一望監視施設」という装置に近代の規律的権力技術の典型を見出します。
 一望監視施設というのは、中央に監視塔を置き、そこからすべての囚人の様子がみえるように円形に囚人たちの独房を配置する刑務所のつくりをいいます。囚人たちは中央の監視塔からたえず監視されています(正確に言うと、囚人からは監視塔の様子は見えないのに囚人の方は監視塔からは丸見えなので、囚人は絶えず監視を意識せざるを得ないのです)。

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J.ベンサム作、一望監視施設の設計図(『ジェレミー・ベンサム著作集』より)
『監獄の誕生』図版17
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      N・アルー=ロマン『懲治監獄の計画』『監獄の誕生』図版21
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アメリカ合衆国、ステイトヴィル懲治監獄の内部 『監獄の誕生』図版25
 ここでは権力は、見せる権力ではなく見る権力に変わっています。また受刑者はたえず監視されていることを意識することで監視(権力)の目を内面化します。この装置に入れられば、自動的に監視は意識され、権力は自動化されますし、また誰が監視しているかわかないけど誰が監視しようと同じことなので、権力が没個人化されることになります。
 この権力装置のあり方は、(受刑者などの)例外者から一般の者へ適用されるようになりました。すなわち、監獄だけでなく、さまざまな機構(工場、学校、兵舎、病院)に用いられるようになり、さらにそれらの機構は国家によって管理されるようになりました。(天安門広場に乱立する監視カメラはその典型例でしょう)。まさに現代は監視の社会となったのです。
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2.1666年、ルイ14世がおこなった第1回閲兵式の記念碑
3/4 P・ジファール『フランスの兵術』(1696)
図版3「銃を支えて安め」図版4「火縄をとれ」『監獄の誕生』図版2・3・4

 一望監視装置に代表される規律=訓練のあり方は、学校教育にも広がり、教師は教壇から生徒を見下ろし、また、生徒たちに「きちんとした」所作(しょさ)を叩き込みます。おかげで、資本主義は、最低のコストで、訓練され基準化された身体を手に入れることができるようになったのです。
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「第4部 監獄 第1章 『完全で厳格な制度』」
こうして社会全般の規律化を見た後、フーコーは、刑罰の世界に記述をもどします。
社会全般の規律化を背景して、監獄は、個人を監禁することで、孤立化させ、強制労働によって矯正し、その態度によって刑期と待遇を調節することで、更正をうながすものとなりました。

『監獄の誕生』図版10・11
「第2章 違法行為と非行生」
刑法は犯罪者をその違法行為においてとらえますが、監獄の技術は囚人をその生活態度においてとらえます。前者では違法性が問題とされますが、後者ではその非行生が問題とされます。刑法の建前では、監獄は犯罪者を更正させることになっています。しかし実際には監獄はその特殊な環境によってむしろ「非行者」を生み出し、あらゆる違法行為の可能性を持つ者として社会に循環させているのです。それゆえ、監獄制度の真の意義は、違法行為を減らし、抑制することではなく、社会の転覆や不安につながるような犯罪の可能性を「非行性」として管理し安全なものとして閉じ込めることにあるのです。
[それはちょうど、精神病院のありかたに似ています。精神病院はたてまえとしては精神病患者の治療をするためにあります。しかし患者を閉じ込めることでかえって患者の社会への不適合を生み出してしまいます。実際には精神病院は、社会不安を引き起こす者たちの閉じ込めと管理をしているというべきでしょう]。
「第3章 監禁的なるもの」
監禁的なるものの社会全般への浸透しています。すなわち、平準化、危険分子の囲い込み、規律=訓練的権力の普遍化、権力による規格化の推進、試験のかたちに適合した知のあり方、監獄的な権力にたいする抵抗の難しさ、が広がりつつあるのです。
 
 こうして私たちは最初にみた、(A)ダミアンへの凄惨な八つ裂き刑から、(B)「パリ少年感化院」での規律正しい日課規則、への移行の背後には、監禁的なるものの社会全般への浸透、すなわち、社会全般の規律=訓練化があること、を私たちは知ったのです。

 ではこうした社会全般の規律化が進むと、人びとは、型にはめられたために、いじけた弱々しいものになりはしないでしょうか。じつはそうではないのです。そのことに答えてくれるのが、その後に書かれたフーコーの『性の歴史第1巻 知への意志』です。

 『性の歴史』「第1巻 知への意志」(1976)
 抑圧説
 古典主義の時代から19世紀にかけて[性にたいする]抑圧の時代があったという仮説があります。しかし実際には16世紀のなかばと19世紀の初頭を画期として、性についての言説ディスクール(discours言語による表現)の絶え間ない「増殖」がみられます。前段階では、教会における告白(懺悔)でいっぱい性的なことが語られ、後段階では、性についての性科学などの医学的テクノロジーの出現によっていっぱい性について語られることになったのです。性は秘されたものという形をとりながら、じつはたえずそれについて語るように、懺悔や性科学によって、命じられていたのです。すなわち、性について知ろうとする「知への意志」が一貫して現在まで貫かれているです。「真実の性を語れ」(「懺悔せよ!」とか「ほんとうのことをおっしゃい!」)という命令が、「性の本質」「性の真理」なるもの(「じつはぼく…しちゃいました」「私、ほんとうは…したいと思っているんです」などなどの「真実」)を一種の「虚像」として成立させているのです。
 
 性的欲望の装置
 この「増殖」は19世紀のブルジョワジーが自分たちを対象とする形ではじえまり社会全般に普及しました。それは別の言い方をすれば、「性的欲望の装置(しかけ)」が「婚姻の装置(しかけ)」を凌駕し、「性的欲望のしかけ」が「婚姻というしかけ」を覆っていくことにほかなりません。「婚姻の装置」とは親族関係を固定し展開する、名と財産のシステムであり、「生殖=再生産」をその重要な要素としてもっています。それに対して、「性的欲望の装置」とは、快楽をつうじて流動的かつ多形的かつ状況な技術で身体を刷新し、併合し、発明し、貫いていくこと、そうして人びとをますます統括的なかたちで管理していくそうして社会的なしかけ(装置)なのです。
 性的欲望の装置が婚姻の装置を支配するようになったことで、女の体のヒステリー化、子供の性の教育化、生殖行為の社会的管理化、倒錯的快楽の精神医学への組み込みなど、新しい戦略はすべて「家族」を通じて成立するようになった。
 
 死にたいする権力と性にたいする権力
 「婚姻装置」と「性的欲望の装置」の対立は、それが結びついている権力のあり方の違いでもあります
 「婚姻装置」と結びついていたのは、法による禁止(「してはいけない」という否定)に基づく権力のあり方です。この権力は、王などの人格を中心とした、死刑を最終的な手段とするような権力であった。いわば「死にたいする権力」と言ってよいでしょう。
 それに対して、「性的欲望の装置」が結びついているのは、あくまでも「生」を管理・経営していこうとする権力のあり方です。この権力は、禁止ではなく、そそのかし、管理し介入していくような、匿名の権力なのです。
 この「生にたいする権力」には2つの主要な形態がある、とフーコーはいいます。
 まずひとつは、『監獄の誕生』ですでにみた、17世紀にはじまる、人間の身体を規律によって訓練していく「人間の身体の解剖―政治学」です。
 もうひとつは、18世紀なかばに形成された、生命への介入と管理、すなわち「人口の生-政治学」です。(たとえば、あらゆる生活を医療が支配し、医療の観点から生活が評価される「医療化」という事態があります。そこでは「健康のために運動し健康ためによい食事をし健康のために結婚する(?)」とかいう言い回しが流布し疑問にも思われなくなってきます)。
 権力が私たちの生(いのち)を組織化していくとき、この身体を規律し、人口を調節するというは、生にたいする権力の組織化が展開する2つの方向です。性というのは、まさにこの身体の生と種の生の、両方の手がかりであるために、この2つ「生にたいする権力」の組織化の対象となるのです。
 
 ここで、フーコーは、私たちの生(いのち)そのものを支配の対象とする「生-権力」(bio-power)という画期的な考えを提起しました。
 ではこの生に対する権力はどこからきたのでしょうか。

 「主体と権力」(1982)(『思想』№718)(権力の系譜学)
こうした生にたいする権力はどこから来たのか。フーコーはそれは、キリスト教会における告白(懺悔)に由来する、といいます。教会に来た信者が牧師や司祭にみずからの罪を告白すること、つまり懺悔、ここに生-権力の起源があるというのです。この権力をフーコーは「牧人=司祭型権力」と呼びます。
 「牧人=司祭型権力」とは、牧人(羊飼い)が羊の群の一頭一頭に心を配るように、各個人をその内面からとらえ、たえず監視しているような権力のあり方です。この権力のあり方は、キリスト教の教会での告白(懺悔)を原型として、「近代国家」へと継承されました。この権力は、上から個人を抑圧するのではなく、むしろ下から、すなわち個人に内面を語らせて、それを教え導くことで、個人を主体(subject臣民)として確立=服従さて、支配の関係のなかへ自発的に巻き込ませるのです。
 
 こうして、欲望を抑圧するのでなく、喚起しそれをまとめ上げることで成立する権力のあり方というものがみえてきました。
 こうした抑圧ではなく、そそのかし喚起し、そのうえでそれをまとめあげる、そうした権力のあり方については、フーコーは高等師範学校(大学教員養成校)での先生であった、アルチュセール(Louis Pierre Althusser,1918-90)に大きな影響をうけています。最後にこのアルチュセールのもっとも影響力のあった論文をみておきましょう。
 
 『イデオロギーーと国家イデオロギー装置』(1970)  
 この論文で、アルチュセールは生産関係の再生産はどのように達成されるのか、と問うています。
 労働者にはいつまでも労働者であり続けさせ、さらにその子どもの労働者となるようにさせる。同様に、農民には農民であり続けさせ、その子どもたちにも同じく農民とならせる。同様に、鉱夫には鉱夫であり続けさせ、その子どもも鉱夫となりつづけさせる・・・。搾取され割が合わない仕事でも、それでもその仕事を続ける、そういう気にどうやったらなるようにできるのか。割り当が合わないからやめる、という人間の頭を叩いて強制的にやらせるというのは、もっとも効率のわるい支配の仕方です。たえず銃剣で背中をつつくような権力、つまりむき出しの暴力による支配体制の維持は、維持するための暴力をさらに維持するため、ぼうだいな人材と費用とエネルギーを必要とし、結果体制を維持できなくなってしまうからです。
 持続可能な体制はつねに、人びとに、支配集団の利害を正当化するのに都合のよい、共有された理念ないし確信を、植え付けさせます。これを「イデオロギー」と呼びます。
 俺は親も先祖もずっと労働者だったから、俺も労働者だ。これも立派なしごとだ。おやじも爺さんも炭鉱夫だった、俺もこの仕事に誇りをもってやっている。先祖代々、この土地を耕してきたし、これからも息子たちがそれをしてくれるだろう、・・・。
 体制をささえる生産関係をすすんで形成すような主体(人間)をくりかえし生み出す(再生産する)、つまりイデオロギーを人びとにうえつけ、子どもたちにもそれを継承させるような、そういった場所があるのです。そういう場所のことを、アルチュセールは「国家イデオロギー装置」と呼びました。
 具体的には、それは、政治であり、宗教であり、法律であり、家庭であり、さらに学校やマスメディア、文化も、そうしたイデオロギー装置なのです。
 とりわけ、学校が、子どもたちに国家を枠組みとした現状の体制と生産関係を、「いいものだ」、「正しいものだ」と思い込ませて、すすんでそのなかの成員へとなっていくようにするという働きを持っている、しかも、学校教育のなかで、エリートと非エリート、資本家と労働者と職人・農民などの仕分けがなされ、人材の配分がなされていく、ということを指摘したのは、青ざめるほどのあざやかなものでした。
 こうしたイデオロギー装置を指摘した後で、アルチュセールは、イデオロギーそのもののありようの根幹を、西洋文明の起源である旧約聖書の思想にもとめていきます。
 旧約聖書の世界において、神は人を呼びかけて答えさせることで人を主体(subject「臣民」という意味もある)にするものでした(すなわち、これがヴェーバーが問題とした神からの召命(呼びかけBeruf)です)。この神からの呼びかけに答えることで、自らを確固たる主体となるという、西洋文明特有の自我のあり方は、神からの呼びかけでそれを自分ことだと思い込んでしまう(誤認してしまう)ということにほかならならないのだ、とアルチュセールは言うのです。そしてそれこそが、国家体制のもといままでと同じ働き手となって生産関係を再生産させる欺瞞(イデオロギー)の根幹にある欺瞞(錯誤)なのだという言うのです。

 規律化と臣民化としての近代 
 フーコーは近代という時代が、規律化の進展していく時代であることを明らかにしました。しかし、それはたんに人びとを規制しているのではなく、個人に呼びかけることで彼らを主体(臣民)とし、その欲望を喚起し巻き込みながら管理していく、そういう権力が作動している時代なのです。 
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# by takumi429 | 2016-06-24 12:00 | 社会学史 | Comments(0)

8.ナショナリズムとしての近代

8.ナショナリズムとしての近代社会

18世紀から21世紀の今日にいたるまで、ナショナリズムの時代であると言えます。
ナショナリズムとは「政治的な単位と民族的(文化的)単位とが一致すべきだとする政治的原理」です(ゲルナー)。
 たとえば、日本語を話す文化的なまとまりがそのまま「日本国」という政治的なまとまりをなしている日本という国家は、まさにナショナリズムを体現しているわけですし、朝鮮語を話す文化をもつ人びとが、朝鮮人民共和国(北朝鮮)と大韓民国(韓国)とに分裂しているのはまちがっている、なんとしても統一されるべきだ、というのは、朝鮮のナショナリズムなわけです。
 このように文化的なまとまりを「民族」nationとよび、そのまとまりが国民となって、ひとつの国家stateを形成しているとき、それを「国民国家」nation-stateとよびます。
「民族」と呼ぶと、古来からあったもののように思えるが、それは国民国家を形成する過程で、形成するのに都合の良いものを、綿々と続いたもののであるように、過去に投影したものにすぎない、ナショナリズムはあくまでも近代のものだ、とする考え方を、ナショナリズム論では「近代主義アプローチ」と呼びます。
 近代主義アプローチのナショナリズム論の2つの古典が、同じ1983年に発表されました。
 アーネスト・ゲルナーの『民族とナショナリズム』と、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』がそれです。

ゲルナー『民族とナショナリズム』
ゲルナーは、ナショナリズムをもたらしたのは、産業化だと考えています。
彼は人類の歴史を、前農耕社会、農耕社会、産業社会、3段階にわけます。
農耕社会において、はじめて、国家と文字が発明されます。社会は、支配層と農民とに分けられます。支配層は社会を横断的に支配しています。この支配層には、政治的な権力をもつ者と、読み書きの能力をもつ高文化の知識人、とがおり、両者は必ずしも一致はしません。この横断的な横断的な支配階層の下、農民は分断された農耕民共同体のなかにいます。彼らはその共同体のなかで暮らすために、読み書きの能力もそれを基礎とした高い文化も必要とはしていません。
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 ところが、産業社会に移行すると、社会的流動性が高まります。ひとびとはさまざまな場所と位置に移動することになり、そこでは知らない者同士がコミュニケーションをとれなくては仕事になりません。そのため、読み書き能力を中核とする高文化を社会の全メンバーが習得する必要が生まれます。それまでの教育は「実地教育方式」(見よう見まねで学ぶ)でした。それに対して産業社会では「集中方式(族外教育)」子どもを集めて集中的に教育する。こうした教育は国家しか担えないものです。結果、「国家がおおう政治的領域が、読み書き能力を基礎とした同質の高文化が流通している範囲とちょうど合致することをもとめる政治原理、ナショナリズムが、成立することになる」(大澤2006.p.267)
 ゲルナーはさらに、社会のありようを、権力者/非権力者、教育の機会がある/ない、文化的に同質/異質、軸をつかって、①権力者と非権力者の文化が同質か、あるいは異質か、②教育の機会があるか、あるいは、ないか、で分類します。
 ゲルナーによれば、ナショナリズムがうまれるのは次の3つ類型です。
Ⅰ古典的な西洋ナショナリズム。ここでは、権力者と非権力者の文化が異質で、しかも権力者だけでなく非権力者にも教育の機会があります。たとえば、統一前のドイツやイタリアは、各地を支配する支配者は、地元の人間ではなく、フランスやオースストリアなど別のところからの支配者でした。しかし政治的には分裂していても、ドイツ語やイタリア語という共通語によって高い文化があり、一般大衆はそれを学ぶことができました。その結果、外国支配を排除して「ドイツ人」・「イタリア人」という名の下に、国民を統一して国家を作ることが出来ました。
Ⅱ東欧型ナショナリズム。ここでは、権力者と非権力者の文化が異質で、しかも非権力者には教育の機会がありません。そのため、非権力者の文化を高文化へと練り上げ(捏造)していかなくてはいけない。東欧やバルカン半島などでみられたナショナリズムはこれだとゲルナーはいいます。
さらにこの分類から発見されるのが、
Ⅲディアスポラ(離散)・ナショナリズムです。ここでは、権力者と非権力者の文化が異質で、しかも権力者は教育の機会がとぼしく、非権力者がむしろ教育の機会をもっています。具体的には、世界のさまざまな帝国で、金融を独占的に担いながらも、卑しめられていたユダヤ人がこれにもっとも当てはまります。彼らは、所属していた国を出て、独自の国「イスラエル」を建国しようとしました。

ゲルナーはナショナリズムが産業化の結果であり、産業社会へ適合するために、読み書きできる高い文化とその習得が求められ、その単位として国家と文化とが一致させられるしました。しばしばナショナリズムが標榜する「伝統」や「民族」というのはこうした要請に答えるために過去からもちだされたあと付けのものでしかありません。
ゲルナーの近代主義的なアプローチをさらに展開しているのが、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』です。

アンダーソン『想像の共同体』
この本の冒頭でアンダーソンは次のように言います。
「わたしの理論的出発点は、ナショナリティ、あるいはこの言葉が多義的であることからすれば、国民を構成することと言ってもよいが、それがナショナリズム[国民主義]と共に、特殊な文化的人造物であるということである。・・・ナショナリティ、ナショナリズムといった人造物は、個々別々の歴史的諸力が複雑に『交叉』するなかで、十八世紀末にいたっておのずと蒸留されて創り出され、しかし、ひとたび創り出されると、『モジュール』[規格化され独自の機能をもつ交換可能な構成要素]となって、多かれ少なかれ自覚的に、きわめて多様な社会的土壌に移植できるようになり、こうして、これまたきわめて多様な、政治的、イデオロギー的パターンと合体し、またこれに合体されていったのだと。そしてまた、この文化的人造物が、これほど深い愛着を人々に引き起こしてきたのはなぜか、これが以下においてわたしの論じたいと思うことである。」(14-5頁)
 アンダーソンによれば、「国民」とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体です。たとえば、ナショナリズムの祭典であるオリンピックで活躍する選手を、メディアによって知った他の国民はまるで選手を自分の親戚か知り合いであるかのように語ります(「柔ちゃん」とか「真央ちゃん」とか)。
そして、ナショナリズムは宗教的想像力が衰退した今日において、唯一、死を説明するものになっており、偶然を宿命に転じる力をもっている、といいます。たとえば、たまたま日本国に生まれ育ったために戦争で死んだ人間は、「お国のために死んだ英霊」として靖国神社に祀られるわけです。
 ところで、過去において、そうした働きをもっていた文化システムは、宗教共同体と王国でした。そこでアンダーソンは、この宗教共同体と王国を分析します。
「宗教共同体」とは、キリスト教カトリック教会に属する人びと、イスラーム教を信じ、毎日メッカに向かって礼拝し、一生のうち一度はメッカに巡礼する人びと、さらに、漢字を使用し中華思想を信奉する人びとたちをさします。そこでは「真実語」とよばれる、「真理」を語る言葉がきまっています。すなわち、カトリックではラテン語、イスラーム教ではアラビア語、漢字文化圏のおいては、中国語(北京官話)です。おのおの共同体は、この真実語によって結ばれた求心的・階序的秩序をなしています。
「王国」というのは王がいる居城から周辺にいくほど主権はあせ、境界が不明瞭となります。歴史地図では私たちは境界線のはっきりした王国を見るため、そうした袋のような輪郭のはっきりした王国をイメージしがちですが、実際には辺境にいけばいくほど、王権の力はよわく、そこがどの王国に属しているのかはあいまいでかつ流動的なものでしかありません。
 この宗教的共同体において、人びとは宗教のお話を、壁画や絵画などの視覚芸術と、説教や物語の聴覚的芸術によって、見たり聞いたりしていました。宗教的な出来事は昔のことでも未来(終末)のことでも、いま、そこに目に見え耳に聞こえる形であらわれるのです。たとえば、救世主(メシア)の登場は、その誕生が紀元元年の過去の話でもあり、その救済はその未来(終末)におけるものでありながら、見聞きする者にとって、今まさにここで、現れてあることでした。こうした過去と未来が現在において同時に出現するという形の、「メシア的時間」(即時的現在のおける過去と未来の同時性)が支配したのです。
 ところが18世紀ヨーロッパにおいて、小説と新聞が生まれることで、これとは全く異なる、「均質で空虚な時間」が生まれます。小説と新聞のもつ時間性では、登場人物、著者と読者、すべてを包括して暦の時間に沿って進んで行く、そうした単一の共同体が想定されます。まず小説の構造というのは、「均質で空虚な時間」における同時性の提示です。たとえば、男Aと女Bが夫婦で、男Aには愛人Cいて、その愛人Cには別に情夫Dいるというありふれた小説の場合、
時間Ⅰ
事件 AとBが口論する。 (この間(同時に)) CとDが情事をする。
時間Ⅱ
事件 AがCに電話する。(この間に)、Bは買い物する。(この間に)Dは玉突をする。
時間Ⅲ
事件 Dがバーで酔っ払う。(この間に)AとBは家で食事する。(この間に)Cは不吉な夢をみる。
この時間連鎖のなかで、いちども男Aと情夫Dは出会わないにもかかわらず、同じ社会のなかで共存し関連しあっています。
 また新聞は、その日に起こったさまざまなことがら(選挙、交通事故、催し物などなど)を一挙に紙面として提示します。結果、その紙面にあることが、ひとつの社会で同時に起きている事がらとして読者は意識するようになります。
こうして「十八世紀ヨーロッパにはじめて開花した二つに想像の様式、小説と新聞・・・これらの様式こそ国民という想像の共同体の性質を「表示」する技術的手段を提示した・・・」[44頁] のです。
 古来、三つの基本的文化概念が支配していました。その三つの基本的文化概念とは、
1)特定の手写本(聖典)語だけが真理への特権的手段を提供する
2)社会が高き中央のもとに自然に組織されている[という空間概念]
3)宇宙論と歴史との区別不能による、世界と人との起源は本質的に同一であるとの時間概念
 出版(資本主義)の発達により、古来の三つの基本的文化概念の支配力の低下します。そして、水平・世俗的で時間・横断的なタイプの共同体が想像される可能性がうまれました。

 ではそうした共同体のなかで、なぜ「国民」だけがかくもポピュラーとなったのでしょうか。

 国民意識の起源
 かつてヨーロッパでは共通語の働きをしていたのは、ラテン語でした。しかしそれはわずかな僧侶たちの秘儀と化してしまい一般大衆の共通のものとはなりませんでした。
 そこへ宗教改革が起こり、ルッター訳聖書などのベストセラー出現します。ラテン語ではない、大衆の言葉(俗語)による書籍が出版され流通します。たとえば、ルターはドイツの大衆が話す言葉からひとつの言葉を編み出してそれでラテン語の聖書を翻訳しました。その翻訳語が流通して「ドイツ語」となったのです。またイタリアではダンテがトスカーナ地方、とくにフィレンチェで使われていた言葉で『神曲』を書き、それがイタリア全土で読まれることで、この一地方の方言は「イタリア語」となりました。
 またそれぞれの宮廷では行政のためにラテン語ではない俗語を使用しており、それが国家が発展すると行政語としての地位をえました。どの言葉が行政語となるのかはまったくの偶然でした、ひとたびある言葉が行政語となるとそれは確固たる地位を占めることになりました。
 出版資本主義によって流通することになった特定の俗語(出版語)の流通は、その言葉によって「国民」というものが想像される基盤となりました。たとえばルターの翻訳と著作の流通は、「ドイツ語」をはなす「ドイツ国民」というものを想像させることになりました。ではこの共同体を想像させる基盤のうえにどのようにナショナリズムは展開していったのでしょうか。意外なことにその端初は新大陸にあったのです。

 ナショナリズムの変遷
ナショナリズムはまず最初、「クレオール・ナショナリズム」、として生まれました。クレオール(クリオーリョ)とは、新大陸生まれのスペイン人のことです。彼らは「本国人(イベリア半島人)」(ペニンスラール)とは常に差別されており、その差別からの撤回を求める運動からやがて独立を志すようになりました。その結果、18世紀後半から19世紀初頭にかけて南アメリカ諸国に新生共和国がいくつも独立することになります。ところで、これらの国はじつはかっての行政上の単位のうえに作られました。それはなぜなのでしょうか。
 それは人びとの移動(巡礼)がその想像力に影響するからです。
 たとえば、ムスリム(イスラム教徒)のメッカへの一生うち一度は巡礼します。この移動がムスリムとしての同一性とまとまりを作っています。
(たとえば、関東では電車も人の流れもすべて東京と住まいとの間の一点集中型の往復になっています。ですから関東ではみんなが「東京人」であるかのように振る舞います。しかし、関西では三都間の交通はあまり便利ではなく人の動きも関東に比べると少ないですし、一点集中ではなくて、三股四股の往復運動です。結果、京都人、神戸人、大阪人などのまとまりとプライドが生まれますし、総称する時も「大阪人」ではなく「関西人」となります)。
 スペインの植民地支配において、行政と教会の地位はほとんど半島からきた「本国人(ペニンスラール)」が閉めており、現地で生まれた支配者クレオール(クリオーリョ)は、行政区の中を移動するだけで、もっとも出世しても行政区の首都にたどりつくだけで、本国スペインに行くことはありませんでした。しかし、このクレオールの動きこそが、彼らに行政区を想像の共同体として想像させる基礎となったのです。ぎゃくに、本国との行き帰りをしている人間は、けっして新大陸「アメリカ人」にはなれっこないのだ、我々クレオールこそが「アメリカ人」なのだという、裏返しの「誇り高き」アイデンティティをもたらしたのです。そしてその誇りが独立戦争を戦いぬき、そのために死をも厭わぬ行動の起動力となったのです。
 また新聞はその行政区である地方クレオール印刷業者 によって担われ、紙面は植民地行政の報道するため、この植民地の行政区が1つの単位として人びとに受け止められました。
 こうしたクレオール・ナショナリズムの現象は、スペインの植民地だけでなく、ポルトガルの植民地(ブラジル)でも、そしてイギリスの植民地(アメリカ)でもまったく同様でした。
 イギリスの植民地アメリカの一新聞業者だったフランクリンが独立運動の立役者でもあったのは偶然ではないのです。かれはクレオールとして劣位におかれた植民人であり、植民地アメリカを1つの単位として報道することでそれを想像の共同体として人びとに提示していた新聞人だったのですから。
 こうして、植民地行政区のなかを遍歴するクレオール役人と、その地方のクレオール印刷業者は、この行政区が、想像の共同体となるにあたって決定的な役割を演じたのです。

 俗語ナショナリズム
 新大陸での動きは旧大陸に影響をもたらしました。
まず最初に、地理上の発見によって、さまざまな人や言語があることが意識され、結果、ラテン語(真理語)の相対化がうまれました。その結果、言語学が活躍し、辞書編纂されるようになりました。結果、俗語によって地域区分されます。たとえば、イタリア語やポルトガル語と大差ないスペイン語が言語学者の活躍によって独立の言語として確立し、結果スペインという地域が確定されました。
(またたとえば、沖縄出身の言語学者、伊波普猷(いは ふゆう)は、「日琉同祖論」をとなえ、琉球の日本編入を正当化しました。言語学者の活動は国民国家の形成に重大な役割を果たすしたのです)。
 封建制から絶対王政への移行は、官僚中間層の増大をもたらしました。そこで使用される言葉に俗語(ドイツ語やイタリア語などなど)が採用されることで、俗語を読み書きできる読書人の増大するとどうじに、俗語教育(ドイツ語教育やイタリア語教育などなど)が増大します。こうして俗語言語によるまとまりが「国民(民族)」として意識されるようになると、アメリカ独立やフランス革命を「国民による国家の樹立」という、「国民国家」の枠組みで解釈するようになりました。

 公定ナショナリズム
 こうしたナショナリズムの盛り上がりにたいして、上からのナショナリズムがおこなわれました。本来ならナショナリズムに趨勢によって排除されたり周辺に 追いやられる権力集団が先手を打つことで民衆からのナショナリズムの盛り上がり応戦したのです。ここでは、国民と王国という本来なら矛盾するものが、その矛盾を隠蔽されて結合されます。
 たとえば、プロイセン王国によるドイツの統一は、辺境の地にあり、ロシアにまで食い込んでいたプロイセンという田舎の王がドイツの皇帝に化けました。またフランス語を話していたロマノフ王朝の「ロシア化け」してロシアの皇帝になりました。日本では忘れられた存在だった天皇が日本帝国の皇帝となり、さらに、その帝国は朝鮮人、台湾人、満州人を取り込みました。

 植民地ナショナリズム
 第1次世界大戦後の植民地において、「若き」現地エリートによるナショナリズムが生まれました。たとえば、ベトナム、インドネシア、アフリカの諸国。彼ら現地エリートは植民国をおこなった教育と官僚制度のなかで教育をうけエリート官僚となり、そうして独立の担い手となったのです。

 さらに、1991の増補版(『定本  想像の共同体』)では、アンダーソンは、地図や人口調査というものが、想像の共同体を生み出すことを指摘しています。


アンダーソンの手法を使ったナショナリズム研究の一例
 
「地図の上の主体――田山花袋作『田舎教師』を読む――」
(日本社会学会編『社会学評論』第49巻第1号、1997年、21-41頁)


日本自然主義文学の代表作、田山花袋の『田舎教師』には一枚の北関東の地図が添えられていた。この地図にはどんな意味があったのであろうか。
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当時、地図が担った意味を知るために、我々はいったん検定地理教科書から国定地理教科書への変遷をみてみる。検定時代の教科書は横からの視点による挿し絵が添えられ、記述も京都を出発点にしている。それに対して、国定教科書は、地形図を使って上から地域を把握し、記述も東京からはじめている。つまり教科書において、地理的な地図が、国家の上からのまなざしをもつものとして登場してきたことをうかがうことができる。
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博文館で『大日本地誌』の編集にもたずさわっていた花袋は、『田舎教師』でこのまなざしを採用したのである。彼は主人公を地図の上に置き移動させた。この操作がこの小説中の時間と空間とさらに描写を成立させている。
とくにモデルとなった青年の日記に欠落部分をうめるべく花袋が想像して書いた中田遊郭への往復の描写は、目的地までの距離、空間、風景、そこに映る主人公の影、主人公の内省、内面の欲望へと進む。花袋はこの描写を地図をみて、地図をたよりに書いている。読者が地図のうえでの主人公清三の足跡をたどることができるのは、まさに花袋自身が地図をなぞり、そこから風景を想像したからである。ここでの描写はじつは地図からの想像にうながされて生まれたものなのである。
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花袋はこの見方を日露戦争の従軍体験から得ていた。『第二軍従征日記』には陸軍司令本部もつかったであろう遼東半島に地図が添付され、その地図の上に書かれた線の上を、花袋は第二軍とともに進むのである。
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『田舎教師』では地図の上を移動するのは、花袋のかわりに主人公清三となり、地図を見下ろすのは、司令本部ではなく、作者の花袋である。国家が地理的平面の上で臣民を行軍させる、という『第二軍従征日記』の構図は、『田舎教師』では、作者が地図をつかって主人公を地理的平面の上で移動させる、という構図になっている。
 のちに戦争を描いた小説「一兵卒の死」では、主人公は「かれ」と書かれ、結末になって、ほかのだれでも同時代の日本人なら入り(代入)されうる形で、はじめて名前が明かされる。死んでいく兵士の名前に代入され得る人間が日本人であり、日本という想像の共同体をつくりあげているのである。
日本自然主義文学の代表作である田山花袋の『田舎教師』は日露戦争を遂行する国家の上からのまなざしを取り込むことでその作中の時空間を成立させている、と言える。またこの作品がもつ感動の源泉も、このまなざしがもたらす「日本国家」という(想像の)空間的なまとまりなくしてはじつは生まれなかったものなのである。この小説の巻頭に添えられた一枚の地図はこうしたまなざしの出現を示唆するものだったのである。
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# by takumi429 | 2016-06-17 23:30 | 社会学史 | Comments(0)

7.欲望の喚起装置としての近代---デュルケームとゾラ---

アノミー概念の誕生
デュルケーム
 『自殺論』(1897)
 自殺は、個人的な理由により、自殺しようという心理の結果、生じる、と私たちは思いがちです。
ところが、デュルケームは各国の統計を使って、自殺率(10万人あたりの自殺者数)は、国ごとに安定しているということを示しました。(デュルケームがあげている統計は、ヨーロッパの民族国家の統計です。民族国家は同一の民族と言語からなる国家なので特有の社会的文化をもつと考えられました)。しかし人は自殺率を安定させるために死のうとするわけではないでしょう。ですからこの安定した自殺率、という「社会的事実」は、自殺する人間の個人心理からのでは説明できません。
そこでデュルケームは、国)ごとの「自殺率の一定比率」という社会的事実を説明するには、社会的な原因を挙げなくてはいけないとしました。彼が自殺の社会的原因だとしたのは次の4つです。
(デュルケームは当初の構想を改変しているので、『自殺論』の記述からはこの4つが見えづらくなっています。ここはベルナールらによる修正に依拠して4つの社会的原因をあげます)。(『デュルケムと女性、あるいは未完の『自殺論』: アノミー概念の形成と転変 』 フィリップ・ベナール著 ; 杉山光信, 三浦耕吉郎訳.新曜社, 1988.)

Ⅰ自己本位的自殺:社会の統合や連帯が弱まり、個人が集団から切り離されて孤立する結果として生じる自殺
例証としては、プロテスタントとカトリックを比べると、プロテスタントが自殺率が高く、カトリックが低い。また、未婚・やもめ、と、結婚している者を比べると、前者が後者より自殺率が高い。また平時と戦時を比べると、平時の方が自殺率が高い。つまり統合・連帯が弱い者の方が自殺率が高いというわけです。(こういう説明の仕方を「共変法」といいます)。

Ⅱ集団本位的自殺:社会が強い統合度と権威をもっていて、個人に死を強要したり、奨励したりすることによって生じる自殺
例としては、宗教による自殺や軍隊における自殺率の高さがあげられます(日本軍の集団自決などもこの例に入るでしょう)。

Ⅲアノミー的自殺:社会の規範が弛緩したり、崩壊したりして、個人の欲望への適切なコントロールが働かなくなる結果、際限のない欲望に駆り立てられた個人が、その結果、幻滅しむなしくなっておこす自殺
ここでデュルケームは、「アノミー」という概念を提示しました。アノミーとは、欲望の無規制な状態、欲望が螺旋状にどんどんと拡大していくありさまをいいます。(ちなみに、後にマートンは、目的と手段の枠組みをつかって、このアノミー概念を、適切な手段をもたない目的として定義しましたが、これはデュルケームの本来のアノミー概念からははずれています)。
例としてデュルケームは、経済アノミーというものをあげています。いわばバブル崩壊による自殺です。

Ⅳ宿命的自殺:欲望に対する抑圧的規制が強すぎるため、閉塞感がつのって生じる自殺。
ベルナール(1988)が挙げている例は、未婚・やもめの男性は結婚している男性よりも自殺率が高いのに対して、未婚女性あるいは寡婦は結婚している女性はよりも自殺率が低い、という例です。つまり、結婚は、男性によっては適度な拘束ですが、女性にとっては過度な拘束だというのです。

Ⅰ自己本位的自殺とⅡ集団本位的自殺を規定する社会的変数は「統合」(まとまり)であり、Ⅲアノミー的自殺とⅣ宿命的自殺を規定する社会的変数は「拘束」(しばり)である、とデュルケームはしています。
つまり、統合が弱いとⅠ自己本位的自殺が増え、統合が強いとⅡ集団本位的自殺が増えます。
また、拘束が弱いとⅢアノミー的自殺が増え、拘束が強いとⅣ宿命的自殺が増えるのです。
つまり適度な統合と拘束の時に自殺は少ないというわけです。

デュルケームはなかなかクールな社会観察者で、一定程度の逸脱が社会にあるのは、「正常」なことだと見なしています。だから、自殺率も一定しているなら、それはそれなりに「正常」なことだと見なします。しかし自殺率が安定しないで以上に増加しているなら、それは「異常」なことだとします。
現代において自殺率が異常に増加しているのは、まさに異常なことであり、その解決策として、統合の中間項として職業集団が活発になる必要があるとしました。
さて、デュルケームのみるところ、彼の時代、19世紀後半のフランスは、統合(まとまり)と拘束(しばり)がゆるんだ社会でした。かれは、社会の統合と拘束をもたらすのは、道徳と宗教だとしました。
『道徳教育論』では道徳のもつ統合性と拘束性を強調し、それを子どもに注入するのが教育の欠くべからざる働きだとしました。
また『宗教生活の原初形態』では、過去において道徳を規定していた宗教の原初的形態を社会学的に探ろうとしました。ドイツの哲学者カントは人間が物事を認識する図式は人間の中にあるとしました。またその道徳原理も人間の内なる精神の中に神から与えられてあると考えました。それに対して、デュルケームはそうした認識図式も道徳原理も人間のうちにあるのではなくて、むしろ社会の方にあるとしました。いわば「逆立ちしたカント主義」をとっています。(ちなみに、カントが人間の精神〈脳?)の中にあるとした認識図式を、すべて人間の身体から生まれたものとして、カントのあげた認識図式をすべて身体から説明するという離れ業の挑戦しそれをやりきっているのがメルロ=ポンティの『身体の現象学』です)。
デュルケームは緩んだ社会のまとまりとしばりを宗教と道徳で締めなおそうとしたわけです。すなわち、「デュルケームは第三共和政の法王たらんとした」(折原浩)のです。
ではデュルケームがなんとかしなくてはと思った、まとまりとしばりが緩んだ社会とは何だったのでしょうか。それは第三共和政の前、ナポレオン三世が支配した第二帝政の時代にほかなりません。ナポレオンの甥によるクーデター成功の後うまれた第二帝政期は、オフェンバックのオペレッタに沸き立たつどんちゃん騒ぎの、まさに際限ない欲望の時代でした。
 デュルケームの欲望論
 際限なく増大していく欲望。この欲望についてデュルケームが述べているのは、『社会主義およびサン-シモン』(森博訳恒星社厚生閣)という講義でです。
サン-シモンというのは、「空想社会主義者」として(マルクスの僚友)エンゲルスが区分した思想家です。彼は、「産業者」の活動によって社会が豊かに改善されていくべきだとしました。彼の言う「産業者」とは、資本や土地を所有している「ブルジョワ」ではなくて、直接、物づくりに携わっている技術者・労働者であり、また物を人々のもとに届ける流通に携わっている人々です。封建的な社会が去って、今やこの産業者が権力をもって、技術革新によって社会をより豊かなものにしていくべきだ、というのが彼の考えでした(172頁)(生産だけでなく流通にも技術革新はあるのは、もちろんです。銀行や鉄道の整備や、最近なら、宅急便のシステムなどをみてもわかることです)。
 しかし、デュルケームは言います。社会が豊かになると人々は満ち足りておとなしくなりはしない。動物には本能があって、欲望の歯止めがかかっている。しかるに人間にはそうした歯止めがない。豊かになり、欲望が満たされると、人間は「もっと、もっと」と求めるようになるだろう。そうして、限りない欲望の増大によって、人々は苦しみ、また闘うようになるだとう。それを抑えるためには、「道徳心」が必要となるのだ、と(231-3頁)
 ホッブスは、こうした人間の争いを、「狼が狼に対するように」と言って、動物的な争いであるかのようにとらえていました。しかし、デュルケームは、こうした闘争が、本能の抑えを失った人間固有の欲望の形であることを、はっきりと見すえています(このあたり、デュルケームはちょっと頭の出来がちがいます)。
 デュルケームは、晩年、サン-シモンもこうした問題に気づき、それゆえ、「新キリスト教」というものを提唱して、歯止めのなくなった欲望に駆られた人々の混乱を納めようとしたのだ、といいます。しかし、サン-シモンはあくまでも、産業者の活動によって豊かになるまとまりのある社会を夢見ていて、それをそのまま、「新キリスト教」の原理としていたために、豊かさがもたらす欲望の無限地獄に対して有効な対策とはならなかったのだ、欲望を抑えこむには欲望の拡大をもたらした産業者の原理とは別の道徳原理を持ってこなくてはいけない、デュルケームはそう批判するのです(267頁)。
 サン-シモンの死後、その思想の賛同者たちは、一種の教団を作り上げます。しかし、この教団の原理は、いわば「産めよ増やせ」なので、それを実践すべく、一種の乱婚制が提唱・実践されたため、多くの信者が離れていき、教団は瓦解しました。しかし、サン-シモンの考えにしたがって、生産と流通の革新によって社会を豊かな(産業)社会へと変えていこうとする人々はその後も続いていきました。彼らは、具体的には、株式会社、銀行、鉄道によって、金を集め、流通させ、物を流通させることで豊かな社会をつくりあげようとしました。
 このサン-シモン主義者の政策を積極的に支援し推し進めたのが、自らもサン-シモンの思想に深く共感していたナポレオン三世であり、サン-シモンの思想によって産業社会へと劇的にフランスが変貌したのが、第二帝政期だったのです(参照 鹿島茂『絶景、パリ万国博覧会【サン-シモン鉄の夢】』(河出書房新社1992年)・『怪帝ナポレオン三世』(講談社2004年)・『渋沢栄一』(文藝春秋社2013年))。
アノミーの概念によって、際限のない欲望の拡大という事態をしてきしながら、その内実についてデュルケームがあれこれ言わず、すぐにそれを抑えこむ道徳と宗教について研究を向けたのは、そうした欲望の拡大が自明のものとして第三共和政の前にあったからです。
ゾラの「第二帝政期の人間喜劇」
しかし、こうした欲望の拡大がどのようにして生まれたのか、そのメカニズムは解明する価値のあることでした。その欲望のメカニズムを、いくつもの実地調査をして描いた人物がいました。それが作家エミール・ゾラでした。
彼は「第二帝政期の人間喜劇」を『ルーゴン・マッカール叢書』という全20巻の小説群で描きました。ゾラがそこで取り上げられたのは、地上げ、中央市場、アルコール中毒、百貨店、高級娼婦、鉄道、炭鉱、株式市場などなど、まさに人々の欲望の喚起する装置たちでした。これらまさに近代の欲望喚起装置(鹿島茂)を実地調査にもとづいてゾラは小説にえがいたのです。
ゾラはイタリア出身のナポレオン軍の工兵あがりの技術者を父に持ち、幼くして父をなくした彼は名門リセを卒後して、大学受験のときに急に理工系のグランド・ゼコールを受けて失敗してしまいます。しかし、技術者のむすこだったというプライドは絶えず持っていたようです。だから、バルザックがかならず小説を舞台装置から描いたように、小説の中心に社会的な装置(mecanisme)をおいてそのメカニズムを描いてみせました。
ゾラの『ルーゴン・マッカール叢書』の巻数と題名、あららまし、そしてそこで描かれた装置を以下列挙してみましょう。

1『ルーゴン家の運命』ルーゴンとマッカールの家系のはじまり。
ナポレオン三世のクーデターによるプッサンの動乱。
少年シュヴェールと少女ミエットの愛し方さえ知らない幼い二人の悲劇。少女は流れ弾で死に、少年は憲兵に墓場でこめかみを打たれて死ぬ。
装置:プッサンという街。墓場(死者を飲み込む場)。

2『獲物の分け前』オスマン男爵のパリ大改造の下、地上げによって巨万の富を稼ぐアリスティッド・サッカール。若き後妻ルネは夫の連れ子マキシムと温室で不倫にふける。アリスディッドはルネから金を巻き上げて破産を免れ、ルネは若くして死ぬ。
装置:温室(人工楽園)。パリ(人工都市)

3『パリの胃袋』流刑地から逃げ帰ったフロランはパリの中央市場で働くが、そこの人々の讒言によってふたたび島が流しとなる。
装置:パリのレ・アールの中央市場

4『プッサンの征服』フォージャ神父はマルト・ルーゴンの家に住みこみ、いつしかその家ばかりかプッサン市をも支配するにいたる。しかし狂人となったマルトの夫の放火によって家もろとも焼け落ちる。
装置:王党派と共和派の両方が見下ろせるマントの家。

6『ムーレ神父のあやまち』マント・ルーゴンの息子で司祭になったムーレはパラデゥ館の秘密の庭に住むアプビーヌと、アダムとイブのように愛し合う。しかし、彼が庭から去ったため、娘は死に、その葬儀を司祭である彼が司ることになる。
装置:秘密の花園。

6『ウジェーヌ=ルーゴン閣下』ウジェーヌ・ルーゴンは第3帝政で失墜の危機の乗り切り副皇帝にまでなる。装置:政治

7『居酒屋』
『居酒屋』ジェルヴェーズ・マッカールはランチエに捨てられた後、トタン職人クーバーの結婚し、洗濯屋を開業するが、舞い戻ったランチエとクーボーの二人と関係し、アル中となって貧窮死する。
装置:蒸留酒製造装置・居酒屋洗濯屋。

8『愛の1ページ』エレーム・ムーレは娘ジャンヌを救ってくれた医師と不倫し、娘はそれに嫉妬して病死する。別の男と再婚した彼女は娘の墓を訪れ去る。
装置:バルザック邸のあったパッシーの高台から見えるパリ

9『ナナ』ジェルヴェーズの娘ナナは高級娼婦となって多くの男を破滅させるが、最後は天然痘となって死ぬ。
装置:ナナの肉体。

10『ごった煮』プッサンから出てきたオクターヴ・ムーレはアパートの女たちを意のままにあやつる。オスマン様式の表面はきれいなアパートは裏では汚物にまみれ、主人たちと女中との不倫と嬰児殺しが行われている。
装置:オスマン様式のアパート(欲望の館)

11『ボヌール・デ・ダム百貨店』 オクターヴの作った世界初のデパートは女たちの欲望をあおることで大繁盛するが、周りの商店は破産させていく。
装置:デパート(欲望の館)

12『生きる喜び』海辺の家にもらわれたポリーヌ・クニュは莫大な遺産を受け取るが、養い親子に財産をすり減らされる。しかも彼女の財産を散在した婚約者サザールを友人に譲ることになる。
装置:海によって浸食される岸辺の村。金をくすねられる遺産の入った引き出し。

13『ジャルミナール』炭坑に流れ着いたエチエンヌ・ランチエは最初の夜に会ったカトリーヌに強く惹かれる。彼女もランチエに惹かれているが、結局シャバルに暴力的に女にされてしまう。エチエンヌらが中心となって起こした炭坑ストライキは失敗する。炭坑事故で坑内に閉じこめられた二人はようやく愛し合うがカトリーヌは死に、エチエンヌは助かる。労働運動の芽生えを感じつつエチエンヌは炭坑を去る。
装置:炭坑

14『制作』:印象派絵画ジェルヴェーズの長男クロードは画家となって、嵐の夜に出会ったクリスティーヌに理想のモデルを見出し、結婚する。しかしパリを描いた大作は印象派風の絵から毒々しい象徴的なものへと変貌を遂げ、作品を完成できぬまま首をつって死ぬ。
装置:キャンバス

15『大地』兵隊くずれのジャン・マッカールは、農民となってまじめに働く。フーアン老夫妻の土地の生前分与が失敗し困窮する。土地の奪い合いの中でジャンは妻も土地もなくして、軍隊にもどる。
装置:土地(投資と生産の装置)

16『夢』シドニー・ルーゴンの私生児アンジェリックは刺繍細工人に拾われて見事な刺繍細工職人となる。いつか王子さまがと夢見る彼女の元にオートクール家の跡取りフェリシアンが現れ、身分を超えての結婚式で彼女は昇天する。
装置:夢を紡ぐ刺繍

17『獣人』駅助役のルボーは若妻セヴリーヌが養父の愛人であったことを知り、養父グランモランを列車内で殺害する。それをたまたま知ったジェルヴェーズの次男クロードはセヴリーヌと愛人関係になり、ルボー殺害を計画するが、狂った殺人衝動からセヴリーヌを殺してしまう。その後ペクーの妻とも不倫したジャックはペクーと走行中の機関車(ラ・リゾン)でもみ合いとなって二人とも転落死する。運転手のない機関車は兵士を乗せて闇夜を疾走していく。
装置:機関車・鉄道

18『金銭』 地上げの後、サッカールはユニバーサル銀行を設立して、株をつり上げ、空前のバブルを出現させる。しかし株価はついに暴落して、多くの破産者を生む。
装置:株式取引所

19『壊滅』兵士の戻ったジャンは、ブルジョワ階級のモーリスと戦友となる。フランス軍は大敗し捕虜となった二人は逃げ出して、モーリスの姉のアンリエットの元でジャンは療養する。その後、モーリスはパリコミューンに参加。また軍にもどったジャンは彼と知らず銃剣で刺し、モーリスは治療のかいもなく死ぬ。惹かれ合っていたアンリエットとジャンは別れる。ジャンはフランスの再生へと歩み出す。
装置:戦争

20『パスカル博士』パスカル・ルーゴン医師は年金生活をしながら、ルーゴンとマッカールの家系の遺伝を研究し、『ルーゴンマッカール叢書』の内容と同じ文書を残す。年の差をこえて結ばれ自分の子を宿した姪のクロチルドに文書を託して死ぬ。しかし一家の汚名をおそれた母フェリシテは文書をすべて焼いてしまう。唯一残った家系図を見ながら、クロチルドは生まれた息子シャルルに授乳するのだった。
装置:家系樹。遺伝要因が交錯・発現

ゾラがあげた装置のすべてが欲望の喚起装置とはかぎりません。しかし、鉄道、百貨店、炭坑、市場、レビュウー、投機市場、戦争、はまさに欲望の装置としての、人々の際限のない欲望を引き起こしていったのです。

第二帝政期という欲望の拡大の時代に対して、一方でデュルケームはそれを道徳と宗教で抑えようと道徳と宗教の研究をし、他方、ゾラはその欲望の装置のメカニズムを探ろうとした。つまり、デュルケームとゾラは第二帝政が生んだメダルの表と裏の関係になっているのです。
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# by takumi429 | 2016-06-01 17:17 | 社会学史 | Comments(0)

6.ジンメルとヴェーバー 形式合理性の支配する時代

6.ジンメルからヴェーバーへ 形式合理性の時代としての近代

「普遍的文化」?
マックス・ヴェーバーは1920年出版の『宗教社会学論集』第1巻で、「どのような諸事態いの連鎖が存在したために、西洋にのみ、その発展傾向において普遍的な意義と妥当性をもつ文化諸現象が出現したのか」という問題提起をしています。
 これを読むと、アジアのかたすみにすむ私たちは、思わずむっとしてしまいます。「ヨーロッパ文化だけが普遍的だと?!」と腕まくりしたくなります。でも、西洋の「普遍的文化」というのはどういうものなのでしょうか。ここで文化の例として、西洋の時計と和時計を比較してみましょう。

 和時計と西洋時計
 和時計は、日々変化する日の出(明け六つ)と日没(暮れ六つ)に合わせて時を刻む時計です。それは時計の設置された場所における日の出と日没時間をすべて組み込んだ時計です。でも和時計は設置場所でしか使えない。「普遍的」(どこでも使える)時計ではありませんし、そんな「普遍性」を求めてはいません。和時計の背後にある時間の体系は、その時々と場所に合わせて時間がずれたり伸びたり縮んだりする。そうした柔軟な体系です。
 それにたいして、西洋の時計は、使用されている場所に関係なく時を24等分して刻みます。その地域の基準地を決め(たとえば明石)、その場所における太陽の南中時を正午とします。この時計は、どの土地にも適合していない、自律的な時計(自分勝手に動く単純な機械)であって、それをあらゆる場所で使い、その土地の人間を強引にそれに合わせさせています。このでの時間の体系は、その時々と場所にはまったく合わせない、硬直した固定的な時間体系です。
 普遍的などこでも通用する西洋時計と西洋の時間システムとは、じつは勝手に動く(自律的な)閉じた時間機械と閉じた(自律的)時間システムにほかならないのです。
 してみると、ヴェーバーの言う、西洋的な「普遍的」な文化いうのは、ひょとしたら、その時々、その場所、その事がらに、合わせて作るのではなくて、自律的に完結した(閉じた)体系を、強引に当てはめる(妥当させる・通用させる)文化なのではないでしょうか。

 ここで、この「序言」が書かれるまでの経緯を、学説史的年代記として列記してみましょう。

1900年 ジンメル『貨幣の哲学』初版出版
1905年 ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」雑誌発表
     注で、『貨幣の哲学』の最終章について言及。
1907年 ジンメル『貨幣の哲学』第二版出版
  ?年  ヴェーバー、『貨幣の哲学』第二版に書き込み。
     (書き込み本はアーヘンの教会図書館が所蔵)。
1911-12年 ヴェーバー、「音楽の合理的・社会学的基礎」Die rationalen und soziologischen Grundlagen der Musik(のちに『音楽社会学』と呼ばれ)るを執筆か。 
1911-15年 『宗教社会学』(『経済と社会』の一部分)執筆か。

1916-7年 「世界宗教の経済倫理」を雑誌に発表(のちに『宗教社会学論集』に収められる)。
1920年 『宗教社会学論集』第1巻 出版
     「序言」にて、西洋文化の「普遍性」はどこから来たのか、という問題提起。
     西洋文明のさまざまな領域における合理化について言及。

 ヴェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で、すでに5年前に出版された『貨幣の哲学』初版について言及しています。そしてさらに、2007年に出版された『貨幣の哲学』第2版に、書き込みとアンダーライン・サイドラインをして読み込んでいます。
『貨幣の哲学』は「分析編」と「総合編」に分かれますが、「分析編」は、人間の営み、とくに交換から、どのように貨幣というものが生まれてくるかを描いています。反対に「総合編」は、この貨幣というものが人間の生活にどのような影響を与えるかを書いています。じつは、ヴェーバーの『宗教社会学』もそれに似た構成をしています。前半では、人間の行為から「超感性諸力」(目に見えない力)が生まれ、やがてそれが神概念となり、宗教の意味の体系(教説)を作り上げます。後半ではこうして生まれた宗教がその組織と人間を通して一般に人々の生活にどのような影響をもたらしたかを考察しています。
 ヴェーバーの『宗教社会学』は『貨幣の哲学』の影響を受けた可能性が大です。だとすると、ヴェーバーの『貨幣の哲学』への書き込みは、『貨幣の哲学』の出版(1907年)から『宗教社会学』執筆開始(1911年頃)のあいだになされた可能性が大です。

 ジンメル『貨幣の哲学』
 ではジンメルは『貨幣の哲学』でどんなことを言っているのでしょうか。ヴェーバーの書き込みに注目しながら、ヴェーバーと一緒に読んでみましょう。
 ジンメルはこの著作で、マルクスの労働価値説(貨幣によって示される交換価値はその商品にこめられた一般的な労働時間によってもらたされる)を否定しています。貨幣とは、(交換)関係が結晶化したもの(「形式」)(邦訳第2巻233-4頁)であり、貨幣によって現される価値は交換関係での価値です。 ですから、ある品物がある貨幣と同じ価値があり交換されるということの意味は、品物の実体的価値が貨幣(商品)の実体的価値と等しい、ということではなく、品物がそれを含む商品全体なかで占める割合(比例)で示される価値と貨幣がその全体の貨幣量のなかで占める割合(比例)で示される価値とが同じであることをしめす、言っています(邦訳第2巻172-4頁) 。
 商品と貨幣は、実質的な価値が対応し等しいとみなされるのではなく、その商品が商品体系の中でもつ(比例〕関係的な価値と、その貨幣が貨幣体系のなかで持つ(比例)関係的な価値、とが等しいみなされるのです。
 つまり、ここでは商品の交換の媒介となる貨幣が、閉じた体系を持っており、その閉じた体系の内部での関係(比例)値が、閉じた貨幣体系の外にある商品へと対応するのです。
 貨幣は広汎に普及することで、この交換関係の価値を普遍化するのです。

 ヴェーバー「音楽の合理的・社会学的基礎」
 さてヴェーバーは、同じ頃、西洋の、「平均律音階」の出現とその意味をさぐる論文、「音楽の合理的・社会学的基礎」を書いています。
この論文は後の題名(『音楽社会学』)から想像されるような、音楽と社会の一般的関係をあつかった論文ではぜんぜんありません。この論文は一貫して、音階の比例分割、つまり有理数(合理数)による分割という問題があつかっています。
 もともと音楽は数学や天文学と同列の学問だとされてきました。それは音階というものが有理数(分数)で作られるからです。(たとえば、一つの弦を1/2にすると1オクターブ音が高くなり、2/3にすると、ドの音がソの音の高さになるのです)。
 ところがどの音から分数によって音階を作っていくかによって、じつは音階は微妙にずれてきます。出発点の音によって音階は本当はその度ごとに作り直さなくてはいけなくなります。弦楽器や管楽器ならばそれは微調整で適応できます。しかしオルガンやピアノやギターなど音が固定された楽器ではそうはいかなくなります。転調のごとに別の楽器を使うわけにもいきません。(ピアノやギターがふつうオーケストラに入っていないのはおそらくそれが理由でしょう)。
 この問題を、西洋ではオクターブを12等分することで解決しました。だがその際、音階を分割するのは、もはや分数(有理数)ではなく、無理数なのです。人間の耳は周波数が2倍になると、同じ音に聞こえます。12回音を上げていくとちょうど上の周波数が2倍の音になるように音階を分解する。つまり2の12乗根づつ周波数があがるような音階(半音)を12回積み上げて、上の高い同音にいたるような音階をつくるのです。こうしてできた音階を「平均律音階」といいます。ピアノやオルガンなどはこの音律に調律されています。
 この音階によって自由な転調ができるようになりました。つまりハ長調のラの音はヘ長調のレの音と同じとされるようになったのです。だがその結果、平均律音階の音はどれも、本来の有理数による音階から少しずつずれているのです。
 「有理数」(分数 a rational number)というのは直訳すれば「合理的な数」のことです。それに対して「無理数」(an irrational number) 、つまり「非合理な数」です。つまり西洋の音階は、無理数(非合理数)で音階を分割するという、「非合理性」の導入によって成立したのです。
 この平均律音階の誕生の結果、それを内部に仕込んだ楽器(ピアノ)は、どの調の音階にも対応できるようになりました。しかし、それぞれの調の音階が、起点とする音からの比例分解によって音階をつくっているために、無理数で分節した音階は正確には対応しません。でもそれをいわば、無理矢理対応させる、というのが平均律音階の強みです。そうすればどの調の音も、いちいち調律をし直さなくても弾けるようになります。それはちょうど、1日を24等分するだけの時計でどこに行ってもそれですます、という西洋時計のシステムと同じです。本来は異なっているさまざまな調の音を、「異名同音」として同じ音だとしてくくってしまう。まだ日が高かろうとあるいは沈もうと「6時」だとし、太陽が南中していなかろうと「正午(12時)」だとしてしまうのと同じです。
 ヴェーバーが「普遍的文化」と言ったとき考えているのは、じつはこうした無理矢理あてはめていくような合理性をもった文化のことを考えていたとおもわれるのです。

 呪術からの解放から形式合理主義の世界へ
 ではヴェーバーは、その未完に終わった『宗教社会学論集』で、この「普遍的文化」の発生をどのように説明しようとしていたのでしょうか。残された文献から構成されるのはつぎのような展開です。

 呪術の園
 原生的共同体において、あらゆる生活諸領域は、その神話的呪術的な世界観(聖なる天蓋)の下にまとめられていました。芸術領域もその例外ではありません。芸術はこの世界観に文字通り呪縛されており、同時にその世界観に奉仕するものでした「正しい」とされた様式からの離脱は、呪術的な恐怖を伴うために忌避されました。
 たとえば、音楽を例にとるならば、ひとたび呪術的に効果ありとされた旋律は固定されがちであり、それからはずれた旋律は忌避されました。この固定された旋律から音階が形成されていのです。

 呪術的世界観の打破
 古代ユダヤの民が創出した一神教はこうした呪術的な神話的世界を打破するものとして働きました 。それまで各地の「高きところ」(聖地)でのおこなわれた祭礼はすべてエルサレムに集中され、各地の「八百万(やおよろず)」の神々は否定されました。ただユダヤ教はその民族的な紐帯を脱し切れてはいませんでした。しかし、その神を継承した、キリスト教、イスラム教ではその神観は普遍的なものとなりました。それによりそれまでの地縁・血縁による共同体の祭祀とその呪術的な信仰は打破されました。これをマックス・ヴェーバーは「呪術からの解放」と呼んでいます。 
 呪術的世界観の束縛から解放された文化諸領域はその独自な自律的な展開を見せ始めます。芸術もその例外ではありません。ここでふたたび音楽を例にしてみましょう 。
  
平均律の誕生
 脱呪術化した世界観の下で、音階はそれまでの固定的な旋律の呪縛から自由になりました。それまでの音階が旋律に拘束され、主音から音階形成がなされていたのに対して、音階内部の自律的で合理的な分節が目指されました。有理数(rational number直訳すれば合理数)によるさまざまな音階分節が試みられたが、二分の一、三分の二、四分の三、という有理数による音程の分節は相互に不整合をもたらします。結局、有理数による音程分節はあきらめられ、無理数(irrational number直訳すれば非合理数)による音程分節がなされることになり、それが「平均律」となったのです。この平均律は和声的には常にわずかながら不純であるが、自由な移調や転調を可能にし、その結果、西洋音楽は飛躍的発展を遂げることになったのです。
 平均律音階は、提示された主音から合理的の音階形成をしようとしない。すなわち音階の外から与え提示された音から出発して合理的な音階をその度ごと形成しようとはしません。すでにできあがった音階でそれに対応しようとします。ヴェーバーはその時々の現実に適合しようとする合理性を「実質合理性」と呼びました。しかし平均律音階では否定されています。平均律はあくまでも自分のなかの閉じた無理数による分節による音階をつくりあげ、それを適用します。外のものとの完全な対応を放棄することで、その内部の整合性・体系性を追求するこうした合理性を、ヴェーバーは「形式合理性」と呼びました 。
 
 形式合理性の支配
 ヴェーバーによれば、この形式合理性は、西洋音階のみならず、西洋の文化一般の性格でした。
 たとえば、西洋の線遠近法による絵画は、肉眼からみた像とはわずかであるが遊離した図学的体系による作図を基本にしています。ゴチック建築の登場する以前、たとえば、ロマネスクの教会は、建物の大きさごとに計算され調整されたそれまでの円形アーチとそれによる正方形の区画からの建築しようとしていました。ゴチック様式はその大きさとごとにつくりあげる試みを放棄して、尖頭アーチと長方形の区画の組合せで、教会の建築をしました。西洋の法体系は、事件ごとに人がらや事がらにそくした審議と判決をするのではなく、あらかじめ形式的につくられた法体系を事態に対応させることで審判を下します。さらに貨幣の体系は、個々人が品物にこめたさまざな思い(使用価値)を切り捨て、交換関係のなかでの価値だけで、品物の価値を決める、そうした自律的な体系となっています。

 貨幣と法体系
 マルクスによれば、商品交換が全般的になるにつれて、個々人にとってのものの価値、すなわち「使用価値」ではなく、そのものがどれくらいの金額で交換されるかという「交換価値」が品物の価値を決定するようになります。すなわち個々人の価値(使用価値)と
は別の価値(交換価値)の体系ができあがっており、その価値(交換価値)の体系があることで市場経済が成立しているのです。
 個人の観点からみたら、交換価値というのは、時には「理にあわない」(不合理)もののこともあります。例えば、先祖代々大事にしてきた掛け軸が、二束三文の値段しかつかないこともあります。農地改革 の時にただ同然で手に入れた土地が都市化で急に億の値段がつくこともあります。
 貨幣による交換はこうした交換価値によって、個々人の思い入れによる「使用価値」を押しつぶしていきます。
 このように個々人や個々の場合から見ると「理に合わない」、「ぴったりしない」けれどもそれがあることでさまざまな処理ができるような体系として、法律の体系があります。
Aさんが人を殺したのとBさんが人を殺したのとは、もちろん別の事柄です。それぞれ別の事情があるでしょう。個人の側からみると事情をよく吟味して罰するべきでしょう。いわば「大岡裁き」というのがそれです。でもそれは、Aさんの時は無罪放免、Bさんの時は磔獄門(はりつけごくもん)という結果を招きかねません。このようにいつもその事情ごとに罰し方が違っていたら、なんら規則や決まりというものが作れなくなってしまい、社会生活というものはずいぶん不安定なものになってしまうでしょう。将来のことを予測・計算することもできませんから、およそ計画的な経営というものは難しくなり、「越後屋」にでもなって「お代官様」に賄賂を贈ってお目こぼししてもらった方がよくなってしまいます。
 ともかく、「悪さ」や「非道」があったら、それに、犯罪名を適用し、さらい、その犯罪に対する処罰を適応する、たとえば、「人殺し」や「刃傷沙汰」があったなら、ひとまずどちらも「殺人」という名でくくり、その罰則の幅を決めておいて、そのうえで事情を考慮するというのが、近代の法体系のあり方です。
 同じようにAさんとBさんが別れるのと、CさんとDさんが別れのとは、もちろん別の事柄です。しかしひとまず「離婚」という言葉でくくってそれから対応するのが法律のやり方です。(かつて『クレーマー・クレーマー』という離婚をあつかった映画がありました。圧巻は法廷の論争シーンでした。夫婦の個人的な悩みや問題が法律の「言葉」で表現されるとき、まるで身を切られるような残酷さを持っているのをそれはみごとに表していました)。
 掛け軸を持っているのと、金の延べ棒を持っているのとは同じではありません。しかしどちらも「所有」という見方でくくることでその権利を保障しているからこそ、人びとは安心して売買(交換)ができるのです。持っているものによって急に取り上げられてしまうようになったら不安で売買なんかできません。
 法律の体系は、社会のさまざま事柄を、法律の言葉でくくり、それを処理する体系です。貨幣(交換価値)の体系も法律の体系も、個々の、本来ならば「同じ」とはみなすことのできない物事を、「同じ」とみなしくくることで、機能しているのです。
 このようにヴェーバーは、個々の事例にそれぞれふさわしい「合理性」を「実質合理性」とよびました。それに対して、個々の事例を共通なものとして形式的にくくるような合理性を「形式合理性」とよびました。

(2)形式合理性の世界
 その本来の問題解決からみたら「非合理」と思えるものを導入することで西洋の「合理性」は成立し、各領 域は自律的(合理的)体系をなしているのです。たとえば貨幣の体系は、個々の「使用価値」を無視しそれからみたら「理に合わない」、「交換価値」の自律的体系としてたち現れています。また法体系は、個々の実状をいったん捨象することでその実律的、形式的かつ普遍的な体系となっています。たとえAの殺人とBの殺人は個別的なことなのに、ひとまず「殺人」としてくくります。それぞれに実状にあわせて裁判することを「カーディー裁判」といいます。しかしそれでは場合によって判決が違ってきて、計算(予測)可能性がなくなり、資本主義的経営がなりたたなくなります。

マルクス 
使用価値 
交換価値(+労働価値説)

ジンメル 
内容 
交換価値形式(交換関係の結晶)としての貨幣

ヴェーバー
実質合理性
形式合理性(閉じた自律的システム)
 
 マルクスは『資本論』で、「使用価値」と「交換価値」の2分類を提唱しました。その際、マルクスは、「交換価値」は、「一般的な労働」の時間によって計られる、とかんがえていました(労働価値説)。ジンメルはこの労働価値説を切り捨て、貨幣が現しているのは、交換関係における価値であり、貨幣はこの交換関係が結晶化したもの、つまり関係が実体化したもの、つまり「形式」だとみなしました。
 ヴェーバーは、このジンメルの関係の結晶化としての「形式」という考えをつかって、「形式合理性」という概念を得たと思われます。この合理性は、交換や転用が可能な普遍的な合理性です。しかし、それがさまざまなものに交換・転用・適用できるのは、体系が柔軟性だからではなくて、むしろ反対に、他の領域からいったん離れて独立に自律的で、固定化した体系(システム)だからなのです。
 こうして、ヴェーバーは、ジンメルの形式社会学(関係の結晶化としての形式をあつかう社会学)、とりわけ『貨幣の哲学』を経由することで、マルクスの「使用価値」と「交換価値」に対応するものとして、「実質合理性」と「形式合理性」という概念をつくりあげたと思われます。
 この形式合理性の体系でもっとも重要なのは、貨幣体系と法体系です。しかしそのほかの領域もそれぞれに自律的に(つまり他の領域や人間本来の目的からの合理性を無視して)展開され完結しているとヴェーバーはみていたのです。
 非合理性を媒介にして形式合理のさまざまな体系が自律的に展開する、それがヴェーバーの近代観です。そうしたばらばらになったさまざまな領域の体系のなかにあって、その分裂を一手に引き受けまとめ上げるべきものとされるのが、個々人の「人格」なのです。
 禁欲的に自分の幸福からみると非合理に過ぎない労働に邁進する近代人は、同時に分裂した近代にあって統合をめざす唯一の拠点として緊張にさらされているのです。宗教的禁欲主義が世俗的な資本主義を生み出し、非合理を媒介にして自律的形式的に合理化した諸領域が発展していく。ヴェーバーの近代とはこうした逆説的な発展が生み出したものにほかならないのです。
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# by takumi429 | 2016-05-26 21:53 | 社会学史 | Comments(0)

6bis  形式合理性とは

形式合理性とはなにか。
マルクスは、使用価値と交換価値という価値の2類型を資本論で提示した。しかし、交換価値に、マルクスはすかさず労働価値というしっぽをつけて、その内容を埋めようとした。
しかし生産現場(過程)と市場(交換過程)という2つのシステムがあり、そのシステムのおける交換比率の差異こそ、利潤を生み出すものであったはずである。交換過程(市場)における価格(交換価値)は、労働を製品の込める生産過程とは違うシステムのなかにある。市場においての価格は受容と供給の均衡によって決まる。商品交換を媒介する貨幣の登場によって交換は柔軟でより広がりのあるものとなった。
ジンメルは『貨幣の哲学』で、貨幣を労働価値説ではなく、人間の社会関係から説明しようとした。ジンメルによれば、貨幣を交換関係の結晶化した形式である。この書で、彼は、商品交換を媒介する貨幣の出現とその社会への影響を考察した。
初版を読んだヴェーバーは、この書の最終章にみられる、貨幣の近代社会への影響の考察を光輝あるものとみなした。大都市に典型的にみられる近代社会に対する貨幣という社会関係の形式の影響の大きさに注目した。
ヴェーバーは『貨幣の哲学』第2版が出版されると、この書を「をていねいに読み込むことで、(交換的)社会関係の「形式」(結晶体)である貨幣が、それぞれ商品の価値に対応しているのではなくて、むしろ、その商品がその商品体系のおいて占める比例(関係値)にたいして、貨幣の体系のおいておなじ比例(関係値)をもつ貨幣が対応する(ある品物Wがいくらの貨幣値段Gである、W=Gとされる)ことに着目する。商品を貨幣に代える、または貨幣を商品に代えるときにあらわれる等号は、個別の商品と貨幣についての等号ではなく、その商品と貨幣がそれぞれが属する商品システムと貨幣システムの中で占めている位置価の間に成立している等号なのである。つまり要素と要素の対応ではなく、システム内の位置価とシステム内の位置価との対応なのである。
貨幣が閉じたシステムを成していて、そのシステム内部での位置価でもって、貨幣システムの外(のシステム)のものに対応している、それが交換関係の結晶化として「形式」たる貨幣の、たどり着いた形であること、そしてそのシステム内での位置価は、もっぱら比例(ratio)によって表現されること。これがヴェーバーの考察の出発点となった。
 この出発点から、もっぱらある完結したシステム内部での比例によるシステム構造の構築されていく様のモデルケースとして選ばれたのが、音階であった。音階の分解を比例(有理数rational number)によって完成しようとする試みは結局成功せず、そこで導入されたのは無理数(irrational number非合理数)具体的には2の12乗根による音階分節であった。この非合理的な数(無理数)の導入によって平均律音階は完成し、さまざまな調の音を、異名同音として等号(=)で等しい音だとして扱うことができ、その結果、調から調への転調が可能となった。ここにヴェーバーは、貨幣形式の成立によって交換が用意に広汎に可能になった近代の現象と同様のものを見出した。ただし、ここの自律した平均律音階は、比例(合理数)ではなくによる構成は放棄され、無理数(非合理数)によって構成されている。個々のの基音(はじめてのドにあたる音)からの比例による音階構成は放棄され、無理数で構成された音が、多少のズレを含むにもかかわらず、同じ音として処理される。
 ジンメルが比例(合理)によってできているとおもった形式のシステムは、じつは非合理を使うことではじめて完結する。そしてそれは個々の対応を一旦断念して、システムとしての完結をしたうえで、ようやく外のものへと対応できるのである。
 この個々のものへの合理的(比例的)な対応を断念することではじめて問題を解決して完成できた体系として、ロマネスク様式の教会建築(正方形と円形アーチの組み合わせで作る)にたいするゴチック建築(長方形と尖ったアーチを使用する)や遠近法などの芸術形式をヴェーバーは考えていた。
 しかしもっと彼が重視したのは、法体系である。Aの人をあやめた事件と、Bのなぶり殺しの事件を、いったん法体系における「殺人」というもので等しいものとする(=をつける)、そのうえで差異を考慮する、という法体系のありかたは、まさに、Aという商品とBという商品を、「100円」とすることで等しいものとする貨幣体系と、パラレルなものとしてヴェーバーには映っていたのだ。もちろん、細かな差、ずれ、違和感はある。しかしそうした差やズレにいった目をつぶって、体系の内部での位置価を対応させることで、はじめて、広汎で平等な処理ができる。ちょうど平均律音階のもとに近代の西洋音楽が展開されていったように。
 このようにその内部にズレ(非合理性)をはらみながらも、完結した体系としてそびえ立ち、閉じた自律的体系として、個別的でなく、関係の内部での位置価でもって、外部に対応する、そうした合理性をヴェーバーは、(そのアイディアのもとになったジンメルの「形式」にちなんで)、「形式合理性」と呼んだのである。
 この形式合理性が支配する組織が、法文によって動く、官僚制にほかならない。それは、西洋時計や平均律音階で調律されたピアノと同じように、閉じているシステムだからこそ、さまざまなものに対応できる装置にほかならないのです。(この閉じたシステムによる外部対応、という考え方はルーマンの『法社会学』第二版序文を参照)。
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# by takumi429 | 2016-05-26 21:51 | 社会学史 | Comments(0)

金色夜叉 あらすじ


金色夜叉(こんじきやしゃ)

尾崎紅葉が書いた明治時代の代表的な小説。

読売新聞に1897年(明治30年)1月1日 - 1902年5月11日まで連載。

作者が逝去したため未完。


前編

15歳で両親に死に別れた、間貫一(はざまかんいち)は、鴫沢(しぎさわ)家に引き取られ育ててもらい、高等中学生(ほぼ自動的に東大生になれる)となる。大学を卒業し学士となったら、鴫沢家の娘、宮、と結婚し、鴫沢家を継ぐとの約束である。

しかし、300円のダイヤモンドの指輪が自慢の大富豪の富山唯継は、かるた会で宮を見染め嫁に求め、鴫沢夫婦も宮もそれを了承する。

鴫沢隆三が宮をあきらめるよう貫一を説得するあいだ、宮と母親は熱海に来ている。そこへ富山がやって来て宮を散歩に誘う。ところがそこへ貫一もやって来たので、富山は東京に帰る(前編第7章)。夜となって熱海の海岸で、貫一は宮をなじり、翻意を乞うが、宮は富山と結婚する気であることを知り、宮を蹴飛ばす(第8章)。貫一はそのまま出奔する。
朗読https://www.youtube.com/watch?v=Nt2yBCJdRAQ

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中編

4年後、新橋のステーションから、貫一の親友で卒業のして法学士となった荒雄は愛知県参事官として赴任しようとしている。友人4人が見送りに来て話が盛り上がる。赤樫という60過ぎの高利貸しのところに借金のかたに奉公しているうちに手をつけられ妻にされ、いまはやり手となった「美人クリーム」とあだ名される美人高利貸し(満江)の話で盛り上がる(「高利貸し」(氷菓子)をもじったシャレ)。途中、荒雄は貫一を見かけたように思うのだが、すぐに姿はみえなくなる。

じつは、貫一は親友の旅立ちを見送りに来ていたのだが、気づかれまいと身を隠したである。貫一は鴫沢家を出てから、高利貸し鰐淵(わにぶち)の手代となって働いているのだった。赤樫満江はそんな貫一に独立を援助すると言う。わけは貫一にぞっこんだからというのである。宮に裏切られた貫一は女には興味がないと答える。

いまは、富山宮子となったお宮は、夫には愛情を持てず、産んだ子にすぐに死なれ虚しい生活を送っている。ある日、夫に連れられて田鶴見子爵邸を訪れる。子爵の双眼鏡というものをのぞかせてもらっている宮は、離れに貫一を見つける。じつは子爵は裏で高利貸しに資金援助をしており、そのため貫一が来ていたのである。すれ違いざまに二人は4年ぶりの再会をする。直後、写真撮影の途中で宮は気を失い倒れる。

他方、深夜、片側町の坂町の暗い道で、貫一は恨みをもつ2人組に襲われ、重症を負う。

後編

貫一の遭難は新聞に報道される。入院中の貫一を満江は頻繁に訪れている。そこへ貫一の育ての親ともいえる鴫沢隆三がやってくるが、貫一は顔を合わそうとはしない。

貫一の留守の間に、鰐淵の家に、鰐淵によって息子雅之が連帯保証人の公文書偽造の罪に落とし込められて刑務所にいれられた老女が、毎日のようにやって来て鰐淵の首を寄こせと言う。ある風の強い日、今日はあの気違いが来なかったと、安心して夫婦が寝込んだ夜に、老女の放火によって鰐淵の家は焼失し、夫婦は焼死する。


続金色夜叉

あいかわらず高利貸しをしている貫一は、義理ある人のために職を失い借金を背負った荒雄に会う。その後、荒雄が来たと言うので、迎えると、それは、久しぶりに会うお宮だった。お宮は自分の罪をわびるが貫一は許さない。お宮は貫一にすがりつく。そこに満江がやって来て、騒動となる。その夜、貫一は、お宮が自害して自分も死ぬ、夢をみて目が覚める。

続続金色夜叉

気分転換に那須に行った貫一はそこで借金のための心中しようとする男女を助ける。じつは、二人は、富山唯継に身請けされそうになった、お静と、それを救おうと大変な借金をせおってしまった狭山であった。貫一は二人の借財を代わりに払い、二人を引き取る。


新続金色夜叉

物語は、いきなり、お宮が貫一に宛てた候文の長い手紙の文章で始まる。お宮は後悔し許しを乞う。助けた男女を使用人にしている貫一は、お宮の手紙を読みながら思案に暮れる。さらにお宮の手紙が来て、お宮は自責の念から自分は死につつあるという(ここで作者の死により絶筆)。



金色夜叉 終篇 小栗風葉作 (1906年明治39年新潮社)
放火で死んだ鰐淵の息子直道と荒尾譲介の助言により、間貫一は高利貸しを辞める決意をする。一方、富山唯継は赤坂の10代の芸者を身請け新聞に報道される。富山との不仲と貫一への思いに、ついにお宮は発狂し、小石川脳病院に入院する。貫一の名だけをくり返し、自殺も試みるお宮を見た父隆三は、貫一にお宮に会ってもらうために、荒尾に間に立ってもらうよう頼み込む。唯継は宮のいなくなった本宅に見受けした芸者を入れ、ついに宮は離縁する。人妻に友を会わすわけにはいかないとしていた荒尾も、離縁したならばと、貫一にお宮に会うよう助言する。正気と狂気の間をさまようお宮は、一瞬正気にかえって貫一の名を呼び、貫一はお宮を許す。高利貸しで得た金で、貫一は荒尾の借金を返し、さらにフランスに洋行させる。さらに放火した老女の息子、飽浦雅之と、彼が公文書偽造罪で刑務所に入っていたために親がゆるさないために結婚できないお鈴、二人を、荒尾と同じ船で中国に駆け落ちせてやる。また残りの金は、直道が属する地学会の奨学金基金となった。高利貸しの夫の死により解放された赤樫満江も荒尾の待つパリへと旅立つ。貫一はまだ正気にもどらぬお宮と思い出の熱海の地で二人っきりで静かに暮
らす。


明治時代の1円はいまの2万円ぐらいか(http://manabow.com/zatsugaku/column06/ 2016年5月19日)
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# by takumi429 | 2016-05-19 07:35 | 社会学史 | Comments(0)

5.貨幣支配の時代としての近代 漱石とジンメル

5.貨幣支配の時代としての近代 漱石とジンメル

 前回は、マルクスのいう下部構造である資本主義の生産様式が、上部構造である宗教の影響をむしろうけて発展したというヴェーバーWeberの学説をみました。

 今回は、マルクスがいう貨幣によってあらゆるものが商品化された社会のありようを、ある小説と社会学者ジンメルの著作で考えていきたいと思います。
 さて本日とりあげるのは、夏目漱石の『虞美人草』です。
(1)『虞美人草』:商品としての女
『虞美人草』の系図関係 (点線は許嫁関係 破線は藤尾の欲望と逸脱)
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 この小説は、一言でいえば、藤尾という名の女をめぐるお話です。
甲野藤尾(こうのふじお)は24歳、女学校出の美人です。彼女には腹違いの兄、甲野欽吾(きんご)がいます。欽吾の友人にはおなじく東京大学を出て、外交官試験のために浪人している、従兄弟の宗近一(むねちかはじめ)がいます。宗近一(はじめ)には妹の宗近糸子(いとこ)がおり、裁縫を好む家庭的な女です。(主人公のいとこの名前を「糸子」と名付け、糸をつかう裁縫が好きという人物に、宗近家の長男を「一(はじめ)」と名付けたりして、夏目先生、美文調の裏で、けっこういい加減な書きぶりです)。
藤尾は父親の金時計を気に入っており、いつも玩具にしていました。この接触により、「金時計」は「藤尾」の身代わり(隠喩)になります。この小説世界のなかで「金時計」は一貫して「藤尾」と一体のものとして語られます。
生前、藤尾の父はこの「金時計」をやると、宗近一に言っていました(『夏目漱石全集4』ちくま文庫69-70頁)。藤尾を意味する「金時計」を宗近一にやるということは、藤尾を一(はじめ)にやることでもあります(同138頁)。ですから藤尾は宗近家の嫁に行くものと思われていました。
 また宗近の父は娘の糸子(いとこ)をいとこの甲野欽五の嫁にやろうと考えており、糸子もそれを意識しています。つまり甲野家と宗近家は、相互に娘を嫁にやる予定だったのです。
 レヴィ=ストロースによれば、婚姻関係は「女」という物を贈与する関係と見ることができます。ここでは甲野家と宗近家が娘を相互に贈与しあっています。つま両家の関係は、レヴィ=ストロースの用語で言えば、「限定交換」がおこなわれる、そうした閉じた関係だったわけです。
 しかし欽五の父が外地で急死することで、事態は急変します。藤尾の母は、実の子ではない欽吾が、自分のめんどうを見てくれるか不安です。ですからできれば欽吾を追い出して、藤尾に婿を取らせて自分の立場を安定させたいと考えています。継母の押し殺した強欲さにへきへきとした欽吾「色の世界」(仏教用語での物質世界)を嫌悪し嘔吐する欽吾は哲学の世界に逃避しようとしてしています。
 ここで藤尾の花婿の候補として浮かび上がったのが、小野清三です。小野は東京大学を優秀な成績で卒業し、恩賜の銀時計をもらい、さらに博士論文を執筆中です。藤尾の母は小野に藤尾の英語をみてもらうようにし、両者を結びつけようと画策しています。つまり実の娘をできるだけ高く売ろうとしているわけです。
 小野は京都で井上孤堂という先生の世話をうけており、そのかわり井上先生の娘、小夜子の将来の夫となることを約束していました。しかし東京に出て、銀時計を獲得した今、小野はさらに博士となって金時計たる藤尾を獲得したいという欲望をもっています(同106,154頁)。
 藤尾をできるだけ高く売りつけたいという藤尾の母の欲望と、美しい才媛である自分にふさわしい趣味のある男と結ばれたいと思う藤尾の欲望は、安定した女の交換関係を突き崩してします。宗近一は藤尾をもらえず、また甲野家を出ると甲賀欽吾は宗近糸子を伊賀家の嫁にもらうわけにはいきません。また小野は藤尾を獲得するために井上小夜子を棄てるようとします。
 安定した婚姻の関係のなかでは、藤尾も、糸子とおなじく、家から家へと贈与されるものでした。しかし自分にふさわしい(等価な)相手を求めたり、できるだけ高く買われることを望むんだ結果、藤尾は一種の「商品」へと変わります。
 それだけではありません。かつては藤尾は宗近家へ贈られる品物でした。しかし藤尾の母は、藤尾(金時計)をつかって将来の博士(小野)を婿にもらう(買い取ろう)とします。ここにいたって、藤尾は贈与物から商品へ、さらに「金」(かね)という特殊な商品(貨幣)へと変身しました。
 作家夏目金之助(漱石)はこの藤尾という女(特殊な商品)のふるまいに、断固たる鉄槌を喰らわせようとします 。小説の終盤で、藤尾に見限られたため逆に自由になった宗近一(はじめ)の活躍により、小野と小夜子が、さらに甲野金吾と糸子が元のさやにおさまり。小野を奪われた藤尾は宗近一に金時計を渡しますが、宗近一は金時計を大理石にたたきつけ壊します。自分と一心同体の金時計が破壊されると、藤尾は倒れ、結果、死んでしまうのでした。

注 明治四十年(一九〇七)七月十九日漱石は小宮豊隆に宛てて、「『處美人草』は毎日かいている。藤尾という女にそんな同情をもってはいけない。あれは嫌な女だ。詩的であるが大人しくない。徳義心が欠乏した女である。あいつをしまいに殺すのがー篇の主意である。うまく殺せなければ助けてやる。しかし 助かればなおなお藤尾なるものは駄目な人間になる。最後に哲学をつける。この哲学は一つのセオリーである。僕はこのセオリーを説明するために全篇をいているのである。」と書ている。(小宮豊隆著『夏目漱石』(中)岩波文庫1987年299頁)

 ところで藤尾と同一視される「金時計」はいかなる意味をもつのでしょうか。小野にとってはそれは恩賜の銀時計のさらにさきにある出世の象徴です。さらに「金」は貨幣(金)を意味します。「時計」はどうでしょうか。「時計」は近代的な時間を意味します。それは労働を測定しその価値を計ります。ですから「時は金なり」です。またそれは一国の共通時間を意味します。日の出、日の入りを「明け六」、「暮れ六」と呼んでいる、地域により、季節によって異なる時間ではなく、社会全般をおおう「普遍的な」時間です。
 この「金=時計」の死によって、自然な時間、つつましく自然な欲求と交換の世界がよみがえり、秩序は回復されるのです。
 ところで、この小説では京都と東京は対照的な世界として設定されているように思われます。すなわち、京都は納まるべきものが納まるべき所に納まっている世界であり、東京は固定した関係が流動化し、絶えず新たな欲望が喚起される世界です。こうした「文明」の世界の典型としてこの小説にとりあげられているのが連載当時開催されていた、東京勧業博覧会(明治40 (1907)年)です。
「蟻は甘きに集まり、人は新しきに集まる。文明の民は激烈なる生存のうちに無聊をかこつ。・・・文明の民ほど自己の活動を誇るものなく、文明の民ほど自分の沈滞に苦しむものはない。文明は人の神経を髪剃に削って、人の神経を擂木と鈍くする。刺激に麻痺して、しかも刺激に渇くものは数を尽くして新しき博覧会に集まる。・・・蛾は灯にに集まり、人は電光に集まる。・・・昼を短しとする文明の民の夜会には、あらわなる肌に鏤たる宝石が独り幅を利かす。金剛石は人の心を奪うが故に人の心よりも高価である。泥海に落つる星の影は、影ながら瓦よりも鮮やかに、見るものの胸に閃く。閃く影に躍る善男子、善女子は家を空しゅうしてイルミネーションに集まる・・・」(190-1頁)
 東京勧業博覧会では、不忍池に建てられたパビリオンはその見事な電飾で多くの観客を集めていました。この小説ではそれを舞台にして描いています。
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「・・・イルミネーションは点いた。
『あら』と糸子が云う。
「夜の世界は昼の世界より美しい事」と藤尾が云う。」(同194頁)

「空より水の方が綺麗よ」と糸子が突然注意した。・・・イルミネーションは高い影を逆まにして、二丁余の岸を、尺も残さず真赤になってこの静かなる水の上に倒れ込む。黒い水は死につつもぱっと色を作す。」(同196頁)

 作家はよくこうした短いせりふに作品全体の重要なヒントを滑りこませるものです。ここで漱石が言いたいのは、人々があつまっているこの東京博覧会は倒錯した幻影である、ということです。さらにそれはこの東京の文明の倒錯性です。宝石(ガーネット)の飾りのついた金時計(藤尾)のもつ輝きは夜の博覧会のごとく、人(小野)の欲望をかきたてはするが、それは幻の、しかも本来の欲求からは倒錯した欲望にほかならない、ということを示唆しているのです。
 休息のため席についた甲野と糸子、左近と藤尾は、偶然そこで井上親子と小野を見つけます。小野と小夜子は夫婦のように見えます。(後で左近が小野に二人は夫婦のように見えた、と話しています)(261頁)。この夫婦のようにみえる小野と小夜子の関係に藤尾は烈しい嫉妬と怒りを感じ、この関係を壊そうとします(205頁)。
 元来、人は自分の欲求充足をそのための手段たる品物によって満たすします。そこには欲求とそれを満たす品物との直的対応関係があります。しかし貨幣経済が進展すると、ひとは現実の欲求のためでなく、いつか生まれてくる欲求のために貨幣をため込み、しいては貨幣を多く獲得すること自体がその人間の欲求となってきます。欲求充足と品物との対応関係は貨幣によって崩されていくのです。
 商品(小夜子)と固定客(小野)とが夫婦のように納まっているのを嫉妬する、特殊な商品、それが藤尾です。つまり彼女は商品と客との間を流動化させる存在としての特殊な商品、つまり貨幣であることがここの描写からもうかがわれるのです。
 そしてこの作品はまさに「貨幣の死」によって安定した伝統的関係が復活することを描いた作品なのです。
 それはこの作品がまさにそうした伝統的な安定した関係が崩されつつあった時代に書かれたことを意味しているのです。
 
(2)ジンメルの貨幣論
 ところで『虞美人草』の宗近家と甲賀家とは、自己消費できない娘を両家がもち、相手の娘を嫁に貰いたがっていました。つまり、消費と供給の欲望が、交換のする者どうして、ちょうど一致して成立していたわけです。つまり、Aがもつ商品aを、Bが求めており、また同時に、Bがもつ商品bを、Aが欲しているという状態です。しかし、そういう双方の欲望が一致する場面というのはまれなことです。こうした双方の欲望の一致という制限が、貨幣が登場することで、打ち破られることで、交換はAとBという範囲を超えて、自由でフレキシブルなものとなるわけです。
 ところで貨幣ついて哲学的・社会学的な考察をした学者に、ゲオルグ・ジンメル(Georg Simmel 1858-1918)という学者がいます。彼は、まず「貨幣の心理学のために」(1889 年)という論文で、まず、この限定的交換が貨幣によって乗り越えられることに注目しました。
貨幣がなければ、交換は互いのものを欲求していなくては成立しません。
A  B

a b
しかし、貨幣(Geld)があれば、所有者Aはひとまず自分の持ち物 a をお金G1と交換しておきa⇔Ga、後から、自分のほしいもの、たとえば商品fをお金Gfで買えばよくなります。同時に交換が成立する必要もないし、また交換がおなじ金額になる必要もなくなります。a を売って得たお金G1が f を買うお金G2とおなじ必要もなくなります。
所有者Bも同じことができますし b⇔Gb
CもDもFも・・・同様です。c⇔Gc d⇔Gd f⇔Gf ・・・
お金を得た所有者は、自分がほしい物がほしい値段で市場に現れるのを待つことができます。こうして交換は広がりかつ柔軟なものとなります。
aがほしい、bを使ったことしたい、cを食べたい、などなどの目的は、ひとまずその手段としてお金(貨幣)を手に入れておいて、そのあとで機会をみて実現すればよいこといなります。お金(貨幣)は目的実現のための手段としてとりわけ優れているのは、普通の手段なら、aという目的のための手段maは、bという目的のための手段mbに転用することがむずかしいのに、お金(貨幣)だとその転用ができてしまうということです。つまり、お金(貨幣)はどんな目的に対しても手段となりえるのです。
 ジンメルはこのお金があらゆる目的の手段となりえる性質を、ちょうど、動力をいったん電力の形に転用すことになぞらえています。
「このことは、落下する水の力、熱せられた気体の力、あるいは風車の翼の力といったいかなる任意も、これらが発電機に導かれれば、この発電機によって、あらゆる任意の望ましい力の形式へと転用されることができるという事態とほぼ同じことである」(大鐘武訳『ジンメル初期社会学論集』恒星者厚生閣1986年138頁)。
「わたしの行為ないし所有も、わたしのさらに生ずる願望に資するために貨幣価値の形式に入らなければならない」(同139頁)
 ふつう、ジンメルの言う「形式」とは関係のパターンのことです。彼がはじめた「形式社会学」とは、社会関係のパターンを、個々の人間の内容(中身)ではなく、関係性から考察する学問のことです。しかし、ここではさらにふみこんで、「交換可能で転用可能なもの」を指しています。
 さて、お金(貨幣)はあらゆる目的の手段となりえるのですから、いつしか、お金を得ることが自己目的となってしまうというのは容易に予想できることです。これをジンメルは「貨幣が自己目的となる心理的メタモルフォーゼ」と呼んでいます(同142頁)。
 こうして、貨幣があらゆる目的を実現できる手段として自己目的化していくと、貨幣は普遍的で透明なものとなって、あらゆるものの価値を表すものとなっていきます。この価値は、ものの固有の価値とはちがって、あくまでも商品交換という運動が、貨幣の形をとって現れているのです。ものの値打ちがお金(貨幣)で計られるというのは、「事実や理念を不変の形式から、つまり変わることなく固定的であるものや永久に存在するものの形式から、運動の形式へ、つまり事物の永遠なる流れや絶えざる発展の形式へと変える大文化過程の一側面である」(同156頁)と述べています。
 こうしてあらゆる物の価値を、公平で透明な形であらわす貨幣は、一種の神のような存在として現代において現れている、として論を閉じています。
 その後、ジンメルは「近代のおける貨幣」(1896年)という講演をしています。内容は、「貨幣の心理学のために」と重なります。新たな論点として、貨幣の登場で、所有者と所有物との密接で固定的な関係から解放されたこと、貨幣によってあらゆることが金勘定という計算によって支配されること。また目的となった貨幣をもとめて人々は狂奔することを指摘しています。
 この後、ジンメルは大著『貨幣の哲学』(1900)に取り組みます。この本については来週取り上げることにしましょう。この大著の後、そのエッセンスをまとめた論文「大都市と精神生活」でジンメルは次のように書いています。
「大都市的な個性の類型を生じさせる心理学的基礎は、神経生活の高揚であり、これは外的および内的な印象の迅速な間断なき交替から生じる。・・・
大都市は昔から貨幣経済の場であった。・・・
経済心理学的領域での本質的なことは、この場合こうである。すなわち、原始的状態では生産は商品を注文した依頼人のために行われ、その結果生産者と買い手とはたがいに知り合いになる。しかし現代の大都市は市場のための生産、言いかえれば、本来の生産者の視圏にはけっして入らないまったく未知の買い手のための生産によって、ほとんど完全に維持されている。これによって双方の側の関心は、冷酷な主観性を獲得する。・・・
おそらく倦怠ほど無条件に大都市に保留される心的現象は、けっしてないであろう。これはまず第一に、急速に変化し対立しながら密集するあの神経刺激の結果であり、大都市の知性の高揚もこのような神経刺激から生じるように思われる。そのため実は、もともと精神的に不活発な愚鈍な人間は、まさに飽きることのないのがつねである。無際限の享楽生活は、神経を長く刺激してきわめて強い反応をひきおこし、ついには神経がもはやいかなる反応もあたえなくなるため、倦怠を生み出すのである。…
このような心の気分は、完全に浸透した貨幣経済の正確に主観的反映なのである。貨幣は、事物のあらゆる多様性をひとしく尊重し、それらのあいだのあらゆる質的相違をいかほどかという量の相違によって表現し、そしてその無色彩性と無関心とによって、すべての価値の公分母にのしあがる。そうすることによって貨幣は、もっとも恐るべき平準器となり、事物の核心、その特性、その特殊な価値、その無比性を、望みなきまでに空洞化する。事物はすべて同じ比重で、たえず流動している貨幣の流れのなかに漂い、すべての同じ平面に横たわり、ただそのまとう断片の大きさによってのみ、たがいに区別されるにすぎない。…(ジンメル著作集第12巻270-5頁)
 大都会がもたらす絶えまない刺激と倦怠。ここに至って、私たちは、漱石の『虞美人草』の記述のきわめてよく似た考察を見ることになります。漱石とジンメルが見ていたものはおなじ近代の貨幣によるあらゆるものの商品化とそのぼうだいな商品の集積として社会の富が現れてくる資本主義という時代だったように思われるのです。
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# by takumi429 | 2016-05-19 06:55 | 社会学史 | Comments(0)

4.逆説としての近代 ヴェーバー(1)

4. 逆説としての近代 ヴェーバー(1)

1.マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
(マルクスのいうような)資本主義が成立するためには
①たえずもうけ(利潤)を資本として再投下するような(禁欲的な)資本家と
②その資本家のもとで文句もいわず働く勤勉な(禁欲的な)労働者とが
現れなくてはいけません。
 ではこうした禁欲的な資本家と労働者はどのように現れたのでしょうか。
 この問題に答えようとしたとき、私たちはマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という著作に出会うことになります。
 まずこの著作の内容をみていく前に、この作品がどのような問いかけに支えられていたかをみていくことにしましょう。

(1)異化する問い(あたりまえを疑う)
この著作のはじめの方で、ヴェーバーは、つぎのような金儲けに精を出す資本家への問いかけ(自問自答)を提示しています。
「休みなく奔走(ほんそう)することの『意味』を彼ら(「資本主義精神」にみたされた人々)に問いかけて、そうした奔走のために片時も自分の財産を享受しようとしない態度は、純粋に現世的な生活目標から見ればまったくの無意味ではないかと問うとき、彼らは、もし答えうるとすれば、『子や孫への配慮』だと言うこともあるだろう。しかし、より多くは、---『子や孫への配慮』という動機は、明らかに彼らだけのものでなく、『伝統主義的』な人々にも同様にあるのだから---より正確に、自分にとっては不断の労働を伴う事業が『生活に不可欠なもの』となってしまっているからなのだ、と端的に答えるだろう。これこそ彼らの動機を説明する唯一の的確な解答であるとともに、事業のために人間が存在し、その逆でない、というその生活態度が、[個人の幸福の立場からみると] まったく非合理的だということを明白に物語っている。」(Archiv 54/RS・30/訳79-80頁。()は引用者挿入、[ ] は改定時(1920年)の加筆)。
 この引用を問答形式に書き直してみよう。
「なぜ楽しむことを知らずにそんなに休みなく働いているのです?」
「子どもたちに財産を残すためですよ。」
「でもそれは昔の人たちでも考えたことですよ。でも彼らはずいぶんのんびりと生活を楽しんでいきていました。決してあなたのようにあくせくと働いてはいませんでしたよ。」
「ええ、なるほどそうですね。」
「じゃ、なぜそんなに働くのですか。」
「まあ、働かずにはいられない、働いて事業を続けることが生活の不可欠なものになっているとでもいうですかね。」
「それじゃ、あなたという人間のために事業があるのではなく、事業のためにあなたは存在する、というわけですね。」
「まあ、そういうことになりますかね。」

 私たちがすっかりなじんでいる(同化している)ものを奇妙でよそよそしいものものに変えることで、それをはっきりと見えるものにすること、こうした技法を、芸術論では「異化」と言います。ヴェーバーはいわばこの「異化」の手法を用いて、日常当たり前に仕事に精出す資本家のあり方が、「人間のために事業があるのでなく、事業のために人間がいる」というきわめて倒錯したものであることをあばきたてるのです。
 日常のきわめて当たり前で理にかなったと思われる生活に潜む倒錯(非合理)。それをかぎ当てるヴェーバーの視点は特異なものです。この視点をヴェーバーが得たのは、じつは彼自身が禁欲的な学者として勤勉に励んだあげくに精神的に疲れ果てはらゆる社会的地位を失うという経験をしたからです。
 ヴェーバー家の長男として生まれた彼は、家督継承者(あとづぎ)のとしての「証し」を示すべく、強迫的に職業に邁進しました。しかし父親を家族の前で弾劾しその結果父親が客死してしまい、彼は精神神経症を病んで、仕事ができなくなり、職業人から転落します。この転落の経験から、以前の、強迫的な職業人としての自分を振り返った時にうまれたのが、この『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という論文だったのです。 
 この論文はこうした資本主義の精神に慣れっこになりそれに浸りきっている人びと、すなわち現代の私たちの倒錯した生活のあり方がどのように生まれたかを説明しようとする論文なのです。

(2)「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」あらすじ                            
 第1章 問題の提示
 第1節 信仰と社会階層
統計をみると、資本主義に参加することと、プロテスタント(新教徒)であることとの間にプラスの相関関係があります。この関係に対して、一般的にはつぎのような説明が考えられます。(1)経済発展が改宗を引き起こした、(2)少数派は経済に専念する、(3)プロテスタントは世俗的だから、(4)営利活動の反動で宗教に向かった。しかしこれらの説明に対しては、(1)むしろ宗教性が経済志向を決定しがち、(2)ドイツではカトリックの方が少数派、(3)プロテスタントはむしろ非世俗的だった、(4)プロテスタントでは事業と信仰が仲良く同居していた、という反論が成立します。そこでむしろ、一見水と油のようにみえる、資本主義参加とプロテスタントであることが、じつは「親和的関係」(相性のいい関係)にあり、プロテスタンティズム(新教)から資本主義への参加、がじつは説明できるのではないか、と考えられます。それをこれから考察していくことにします。

 第2節 資本主義の「精神」
まず「資本主義の精神」を体現している思想として、フランクリンの思想を取り上げます。そこにみられる精神は、営利による資本の増大を自分の倫理的な義務とみなすような精神です。この精神はフッガーのような単なる金銭欲とはちがう、ある種の倫理性をもっています。
 この「資本主義精神」は、これまでどうり生きていければ良いする「伝統主義」とは対立します。ゾンバルトは経済の基調を、(1)「欲求充足」と(2)「営利」とに分けています。しかし営利活動が伝統主義によって営まれていることもあります。ですから「資本主義精神」は経営組織のあり方から自然に生まれるものではないのです。むしろこの精神が入り込むと、(私の叔父の例にみられるように)経営組織の形態が同じでも、劇的な変化がもたらされます。
 この精神はよく問うとみると、じつはきわめて倒錯的で非合理的です。けっして世俗的な目的を追求する合理性からうまれたのとは思えません。ではこの、営利活動を倫理的義務、すなわち「天職Beruf」とみなすような思想はどこにその源泉をもつのでしょうか。

 第3節 ルッターの天職概念
営利活動での資本増大を「天職」とみなすこの思想は、世俗の労働を「天職Beruf」と訳したルッターの宗教改革の精神に由来します。つまり彼は修道僧にしか通用しなかった「天職」の論理を世俗の仕事に適用したのです。しかし世俗労働を「天職」とみなすだけでは、「資本主義の精神」がもつ、資本の増大をたえず求める、あの駆り立てられるような心のありかたは生まれてきません。絶え間ない資本の増大へひとびとを駆り立てた起動力(Antireb)はどこにあったのかを知るために、プロテスタンティズムの禁欲思想にわけいることにしましょう。

 第2章 禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理
 第1節 世俗内的禁欲の宗教的基盤
禁欲的プロテスタンティズムの、主な担い手は、(1)カルヴィニズム、(2)敬虔派、(3)メソジスト派、(4)再洗礼派系の教派、に分けられます。
 とりわけ(1)カルヴィニズムの「予定説」、すなわち、人は救いと滅びのどちらかに予定されており、それは変更不可能であるという教えは、決定的な影響力をもちました。ピューリタン革命時のイギリスでまとめられた「ウェストミンスター信仰告白」にはこの教えが明記されていることからも、この教えが一般信者にとっても周知の教えだったことは明らかです。自信のない一般の信者が、救いに予定されていることの「証し」を求めるのは無理もないことでした。ルッターは世俗の労働も神から与えられた「天職」とみなしてよいとしていました。ですから修道院でおこなわれた合理的な禁欲的主義で世俗の労働を行うことが可能になっていました。カルヴァン派の人々はこの合理的・禁欲的な世俗の労働で「神の栄光」を増大させることに「救いの証し」を見いだそうとしました。
 こうした傾向は(2)敬虔派、(3)メソジスト派でも同様でした。ただ両派では感情的側面が強く、その分だけ合理的な禁欲が弱まっています。
 (4)再洗礼派系の教派の教義はこれとはちがいます。彼らは心正しき者だけから構成された「教会」を作り上げようとしました。心正しさは精霊がその者に宿ることで証明されます。ですから精霊が宿るのを妨げるような、人間の本能的で非合理的なものを克服しようとしました。その結果、合理的な禁欲主義をめざすことになったのです。
 こうしていずれの宗派の信徒も、神に召命された者であることの証しをもとめて、合理的で禁欲的な世俗労働へと駆り立てられたのです。

 第2節 禁欲と資本主義精神
プロテスタントでは牧師が信徒の相談にのり指導することを「司牧」(Seelsorge)といいます。ここでは、この司牧の活動からうまれた神学書、とくにバクスターの書いたものをとりあげます。この司牧(魂のみとり)は宗教的な教えが日常生活へ影響する際の仲立ちの役割をしているからです。
 プロテスタント、とくにカルヴェン派、の司牧では、「救いの証し」とされる「神の栄光」の増大は、有益な職業労働から生まれるとされました。そしてその職業の有益さは、結局、その職業がもたらす「収益性」(どれだけ儲かるか)で測かることができるとされるようになりました。しかも楽しみ事は徹底的に否定されました。その結果、儲けても、楽しみに使わず、さらに営利活動に投資してどんどん利潤を追求していくことが宗教的に奨励されたのです。しかもそうした経営者のもとには、仕事を「天職」とみなして必死になってはたらく勤勉な労働者さえも与えられたのです。
 しかし富が増大するにつれて宗教心はうすれていきます。その結果、フランクリンにみられた、倫理的ではあるが宗教色の消えた「資本主義の精神」、つまり営利による資本の増大を自分の倫理的な義務とみなす精神が生まれたのでした。
 こうしてつぎのことがあきらかにされました。すなわち、資本主義を構成する要素のひとつである、「天職」という考えのうえにたつ合理的な生活態度は、ルッターの「天職Beruf」という考えを前提にしてプロテスタント(新教徒)がみずからの「救いの証し」を合理的な禁欲で追求したことから、もたらされたのです。
 しかし現代においては資本主義はすでに自律的な自動運動をしており、もはやそれを生み出した精神の支えを必要とはしていません。私たちは、生命のない機械と生きている機械(官僚制)の運動のただ中に、巻き込まれていくばかりなのです。

(3)内容の再整理
 さてこうして「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のあらすじをのべたわけですが、ここでもう一度この作品の内容を整理しなおしてみましょう。
 この著作はしばしば西洋的合理化を述べた作品であるかのごとく語られます。しかし内容を要約すると、解明はおもに経済的な側面に向けられていることがわかります。
 社会の主流である経済体制が、「欲求充足」の経済体制から「営利」中心の資本主義体制に移行する。その移行、あるいは転換はどのように起きたのか、それにたいする宗教の働きが問題とされています。
 「欲求充足」の経済に適合的なのは「伝統主義」とよばれる、これまで通りの生活ができればいいとする精神です。それに対して、「営利」活動が中心となった資本主義は、もちろん伝統主義によって営まれることはあるにせよ、やはりそれに適合的なのは営利を自己目的とした「資本主義の精神」です。
 しかしこの「資本主義の精神」はそれ以前の「伝統主義」からは生まれたとは考えられません。伝統主義が「今生きてあること」(dasein)を大切にするのに、「資本主義の精神」は現在を犠牲にして果てしない彼方にあるものへ向かって駆けていく、そうした倒錯した精神だからです。
 そうした精神の由来を、ヴェーバーは修道院の禁欲主義に求めます。世俗を離れ、ただ神のみを想い、厳しい労働によって自分たちばかりか俗人たちの救済を作り上げていた修道士の活動の論理。この論理はどのように世俗へともたらされたのでしょうか。
 神からの呼びかけによって与えられた使命としての職業(Beruf) はそれまで、聖職のみに限定されていました。ですから修道僧の禁欲もあくまでも世俗の外の修道院に限定されたままでした。
 しかしルッターが、世俗の一般の仕事も、神からのお召しによる「職業」であるとみなしたことで、この修道院だけにあった禁欲主義は世俗へともたらされました。ちょうどレールを切り替えることで電車が引き込まれてくるように、禁欲主義は世俗の労働に適用可能になりました。
 その意味で、ルッターはレールを切り替える人、つなわち「転轍手」であるわけです。
 しかし世俗の仕事が「職業=使命」とみなされるだけでは、あの追いたれられるような、強迫的な労働は生まれません。
 それをもたらしたのは、カルヴァン派の宗教カウンセリング(「魂のみとり」)でした。彼らの「魂のみとり」(司牧)では、業績とか収益が「救いの証し」であるとみなされました。その結果、自分が救いに予定されているか不安な平信徒は、「救いの証し」をもとめて、いまや聖職と同格の「職業」と見なされるようになった世俗的労働にまい進することになったのです。
 図にまとめると次のようになるでしょう。
修道院の禁欲--------┐転轍
                ↓
伝統主義--→×  資本主義の精神   
    ∥        ∥ (適合)
欲求充足---------→営利

ルッターの転轍       :仕事を「職業=使命」とみなす
         「意味連関」:修道僧の禁欲的労働の論理が世俗労働をつかむ
 カルヴァン派の「魂のみとり」:収益を「救いの証し」とみなす 
         「感情連関」: 不安→証しの追求 心理的起動力が生まれる 

ルッターの転轍により、世俗労働=「職業」とルッターがみなしたことにより、修道院の禁欲の論理が世俗の労働をつかみます。人々は日常の仕事を、神から与えられた、神の意にそった「使命」としてはげみます。つまりあたらしい意味の連なり(意味連関)が世俗の労働をとらえたのです。
 カルヴァン派の魂のみとりは、収益・業績=「救いの証し」とみなしました。不安にあえぐ人たちは「証し」を求めて仕事(職業)にまい進しました。こうして禁欲的な労働の心理的な機動力がうまれたのです。収益をあげても救われるわけではありません。しかし一般の信徒は心理的に収益をあげて安心したいと思ったです。つまりここでは目的-手段の連関があるのではなくて、不安から労働するという、心理的な連なり(感情連関)があるわけです。
 くり返しになりますが、ここでは二つの「解釈がえ」があったわけです。
 ルッターは日常的な労働が「転職」として解釈しなおしました。その結果、聖職者の世界と俗人の世界の区分の廃絶され、聖職者(修道士)の論理が俗界への侵入してきました。しかしそれだけでは社会資本主義へ転換するには不十分でした。
 カルヴァン派では収益・業績が「救いの証し」と解釈されました。その結果世俗的労働にまい進する心理的機動力が生まれました。そうして、伝統主義が支配していた経済は、資本主義が支配する経済システムへと移行したのです
 つまり、伝統主義と結合していた伝統主義的経済(単純再生産)を、宗教的な合理的禁欲思想が捉える。その帰結として、伝統主義的経済システムから資本主義的経済システムへの移行がうまれたのです。
 ここでは新しい社会科学のアプローチが生まれています。つまり行為をする人間がその行為をどのような意味づけをしているのか、その意味づけをちゃんと解釈し理解することで、その行為はどのように社会を作り上げていく、あるいは社会を変革していくのかを説明しようとするアプローチです。これがヴェーバーの「理解社会学」というものなのです。(ヴェーバーはとりわけ後者の社会変革の方に関心があったように思われます)。
 
 さてヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』はプロテスタントの禁欲主義という、一見正反対のものから資本主義の精神が生まれたことを明らかにしました。それは彼の言い回しを使えばまさに「意図せざる結果」だったのです。ヴェーバーの発想は、資本主義を語る場合にも欲望や消費のだんだんに増大していくというような他の論者の発想とは異なります。いったんそれとは正反対の禁欲というものが張り込むことによって資本主義の発展は促進されたというのがヴェーバーの考えでした。ヴェーバーによれば近代とはこうした逆説的な逆転によってもたらされたのです。一見正反対なものがその発展をもたらす。惑星がいったん逆行してから順行していくようにヴェーバーのとらえる歴史発展は、ある傾向が順調に拡大発展していくのでなく、いわば逆説的な逆転が常にはらまれているのです。

 補足:逆転の構図 言及された小説から
 その際この倒錯に至る逆説的な発展とでも言うべきものが、この著作で言及されている2つの小説を比較することでよく見えてます。
 この論文のなかではヴェーバーは、プロテスタントの精神をうまく表した小説としてヴァニアンの『天路歴程』(1678) という小説を挙げています。この小説は滅びに予定されている都市に住んでいることを知った信徒が救いを求めて遍歴を続け、さまざまな誘惑と困難を乗り越えて天国へと行くという話だ。途中、信徒は「正直」と言う名の者と知り合い、仲間となってともに天国へと向かう。 
 さてこの小説に関して、ヴェーバーはゴットフリート・ケラーという作家の「三人の櫛細工人」という小説を思い出すと言っています。
 ケラー(Gottfried Keller1819‐90)という作家はスイスのゲーテと呼ばれた作家です。。
「三人の櫛細工人」という小説はスイス人の生活をユーモアをこめて批判的に扱った短編集《ゼルトウィーラの人々》(第1巻1856,第2巻1874)に納められています。
 この小説ではあるごうつくばりの櫛細工の親方のもとにいる三人の櫛細工人たちのことを描いています。職人たちは動きが取れない冬が終わると、このごうつくばりの親方のもとを去って遍歴していくのが常でした。しかしここにきまじめな三人の職人が登場する。彼らは親方にこき使われてろくなものも食べされられなくてもただもうまじめに働き小金をため込んでいる。職人をこき使って儲け、図に乗ったあげくの果てに散財してしまった親方は三人に親方株を売ることを持ちかける。三人は親方株を買うために小金をもっている高慢なハイミスをめぐって争奪戦を演じる。結局だれが彼女をものにするか決めるために、町はずれから町の親方の家まで競争することになる。スタートの時にハイミスは勝ってほしくない職人をわざと誘惑して出遅れさせた。出遅れた職人はゴールに向かうより彼女をものにしてしまった方が早いことに気づき、そうする。それに気づきもせず先にスタートした二人はお互いに相手を引っ張ったりこづいたりあげくのはてに殴り合いながらゴールを通過してついには町はずれまで駆けていく。二人がゴールに気づかず去った後に、ハイミスをものにした職人が親方の家に勝利者として入っていった。敗者となった職人のひとりは首をつり、もうひとりは失踪。親方になった職人は女房の尻に敷かれた人生を送ることになった、そういう話です。
 ヴェーバーは『天路歴程』の巡礼者が二人して話しながら天国へと向かっていく箇所が、この「三人の櫛細工人」を思い起こさせると書いています。
 『天路歴程』では二人の巡礼者が協力しあって天国というゴールにたどり着きます。『天路歴程』のある版にはつぎのような双六の絵のようなものが付いています。巡礼は渦巻きになって、最後は中心の天国で上がりとなります。
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「三人の櫛細工人」ではどうでしょうか。二人の職人は町の中心の親方の家を目指しています。しかしお互い妨害しながら進んでいったために、ゴールを通り過ぎてしまい、町はずれまで行ってしまうのです。
 こうしてみるとこの二つの話が、まるで写真のポジとネガのような関係になっていることが分かります。『天路歴程』では宗教心にみちた二人が語り合って中心に向かっていくのに対して、「三人の櫛細工人」では目的、それも本当の目的から離れ手段を目的と勘違いした目的をめざして、互いに足を引っ張り合いながら駆けていく。
 『天路歴程』から「三人の櫛細工人」への転換。それはどうして起こったのか。この逆転を説明することにこの作品はじつはなっているのです。
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# by takumi429 | 2016-05-13 10:07 | 社会学史 | Comments(0)

3.テンニース『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』

3(改) テンニース 『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(1887)

まず前回の復習をかねて、NHK高校講座世界史『産業革命と社会問題』を見よう。

導入
ここに二人の孫、所くんと財全くんがいるとしよう。二人の祖父はともに東京大学を主席で卒業し、恩賜(おんし)の銀時計をもらった。
所くんは小さいころからおじいさんにこの懐中時計をみせてもらっていて触ったりしていた。いまはおじいさんからゆずられたこの時計は所くんの胸ポケットにいつもある。使っているうちにできた小さなへこみ、ねじを巻くときのぎりぎりという指先につたわる美振動、それらがすべてやさしいが凛とした祖父の姿を思い出せる。胸ポケットにコチコチを時を刻む音は祖父の鼓動のように感じされ、所くんの思い出のなかでおじいさんは今も生きている。
生前、ほとんど会うこともなく疎遠にしていた祖父がなくなり、その祖父の銀時計を形見分けとして相続することになった財全くん。さっそくネットでみたら1850000円の高値で販売されいた。ただすこし凹んだところがあり、箱もないので、これほどの高値にはならないだろうが、明日、さっそく骨董屋にもって行って鑑定してもらおうと思う。高値がついたらすぐに売って、新型のiPadを買うつもり。お金が余ったら、そうだなあ、フレンチでも家族で食べに行くかな。

所くんにとってこの銀時計は思い出の品であり、人にはゆずれない、そうした価値のある所有物(Besitz)である。
財全くんにとってはこの銀時計は、処分可能な財産(Vermoegen)であって、売って得たお金はいろんなことに使える。
前回、使用価値と交換価値というマルクスの二分類を見た。所くんにとってはこの銀時計は限りない使用価値をもっているが、財全くんにとっては、売ってなんぼの交換価値をもつものでしかない。
所くんとこの時計の関係は、思い出と代えがたさをもつだ。さらに所くんとおじいさんの関係は、思い出(記憶)と継承の代えがたい関係だ。この関係をおしひろげていくととどんな物と人、さらに人と人との世界がうまれていくだろうか。
また財全くんの時計の関係は、計算づくで、できるだけ高くうることで、お金に代え、できるだけ多く役立てて多くの満足をえることだ。また財全くんとおじいさんの関係は、なくなった人間とその相続人という法的な関係にすぎない。この関係を物と人、人と人に押し広げるとどんな世界がうまれてくるだろうか。

テンニースは、私たちの社会は、欲得づくの計算による選択的な関係であるゲゼルシャフトと、代えがたい記憶と愛着とからなる関係であるゲマインシャフト、の二つからなると考えた。

フェルディナンド・テンニース(Ferdinand Tönnies1855-1936)は、もともとホッブズ(Thomas Hobbes 1588-1679)の研究者として出発した。研究者としてはどの程度のレベルかというと、ホッブズの未発見の草稿をテンニースが発見し、いまでもホッブズ研究者がそれに依拠している。

ホッブズの描く人間社会は、人間と人間が争いあう世界である。
ホッブズが『リヴァイアサン』(1651)の述べた〈服従契約としての社会契約説〉はつぎのような三段論法からできています。
(1)人間には自分を守ろうとする、おのずからそなわった権利がある(自己保存への自然権)。しかしそうして自分を守ろうとする人間は自分を守るために他人を傷つけ殺すこともいとわない。その結果、放っておけば、人間が人間に対して、まるで「狼が狼に対するような」殺し合いの状態になってしまう(〈暴力的死の恐怖〉の中で向き合う自然状態)。
(2)これでは人間同士討ちになってしまいかねない。そこで人々は、自分を守るための手段(暴力・武器など)を、ある特定に人間に預けることにし、それを互いに約束(契約)して、そうしてこの同士討ちをさけようとする。
(3)その特定の人間は、暴力手段を預けられることで、人々を自由に支配する力(主権 sovereignty)を持つ。主権をもつ人間へ服従することで、ひとびとは互いに殺し合うことなく、自分たちを守ることができるようになる。ここに、特定の人間にひとびとが服従している状態、つまりひとつの国家ができあがる。
ホッブズの社会契約説とは、他の契約説と同じく、あらゆる社会関係をいったん解体し、
自己の保存を追求する個人から社会を構成しなおそうという、思考実験です。しかしこの思考実験は決して思考の内部にとどまるものではありませんでした。それは現実の社会関係の解体と再構築に対応していたのです。
ホッブスの社会理論はユークリッド的な公理体系をめざした。
このホッブズの社会哲学にたいしてテンニースはその処女作『ホッブズ哲学注解』(Anmerkung ueber Philosophie des Hobbes)のなかでテンニースはつぎのように述べています。
「定義と公理から推論され証明される幾何学とその確かさにおいて同等になること、それは学問に可能だろうか、あるいはどうしたら可能であろうか。これが認識理論の中心問題であった。トーマス・ホッブズは新しきヨーロッパでこの問題を解こうと努力した最初のひとりであった」(Vierteljahrsschrift fuer Wissenschaftliche Philosophie 3 (1879) S.461)。
 ユークリッド幾何学は23の定義と5つの公理からその全体系を論理的に構築しています(こういう理論体系を「公理系」といいます)。テンニースによればホッブズの哲学は、このユークリド幾何学的な構成をもつ社会哲学です。

テンニースはホッブズの描く社会は、まさに資本主義の社会にほかならないと考えた。
カナダの政治学者クロフォード・マファーソンはその著『所有的個人主義の政治理論』で、ずばり、「所有的市場社会」にほかならないと指摘します(邦訳77頁) 。自分を守る、ということがすぐに、他人を損なう、ということにはなるわけではありません。それがホッブスが描くように、自分を守ることが他人から奪うことになる、というのは、人間が互いに「取ったり取られたり」の関係にある、つまり、自分の取り分を増やすためには他人の取り分をへらすしかない、という関係にあるということです。マクファーソンはそういう関係があるのは、人間が、互いの持っている(所有している)ものを(市場で)売り買いし合っているような社会、自分が儲けることが他人の損になるような社会、つまり「所有的市場社会」 にほかならない、と指摘します。。ホッブズの『リヴァイアサン』は、所有的市場における「自然状態」を克服するものとしての国家(リヴァイアサン)つまり市場における闘争から国家が要請されていくことを、ユークリッド幾何学のように、公理と定義から積み上げるように記述しようとしたものだったのです。
それは市場社会の社会幾何学だったといえるでしょう。

テンニースは、私たちの社会には、資本主義とそれを補い支える社会体制とは別の社会があると考え、それをゲマインシャフトとよんだ。
テンニースによれば、ゲマインシャフトとは肉親・家族や古くからの町のことで、そこでは親身な関係が支配しています。それに対して、ゲゼルシャフトとは、会社や大都会のような、欲得ずくの関係が支配している人びとの集まりです。
 テンニースは、人間が作る結合体には2つの類型があるとします。ゲマンシャフトは、本質意志による 有機的な(organish) 結合体であり、ゲゼルシャフトとは、選択意志による 機械的な(mechanish) 結合体であるといいます。ここでいう、「本質意志」とは、思惟をふくむ意志、生の統一性原理であり、「選択意志」とは、目的にふさわしいかを考えてものを選んでいる意志です 。ようするに、ゲマインシャフトがほかではありえないような気持ちでつながっている集団や関係であるのに対して、ゲゼルシャフトとは、欲得づくの計算によってつながっている集団や関係といえるでしょう。

テンニースは、人間機械論から社会の論理まで組み上げたホッブズの手法をつかって、本質意思から論理的にゲマインシャフトを組み上げようとした。
テンニースは2類型の集団結合の基礎となる、人間の意志についての2類型をあげます。すなわち、「本質意志」(思惟をふくむ意志、生の統一性原理)と、「選択意志」(意志をふくむ意志そのものの産物)です。
この意志論にもとづいてあるべき社会の基本となる、人と物と法的な関係がうまれます。
ゲマインシャフトゲゼルシャフト
本質意志 選択意志
おのれ(Selbst)人格(Person)
占有(Besitz)財産(Vermoegen)
土地 貨幣
身分権債権

テンニースのゲマインシャフトには、国家を家族や民族よって粉飾・美化しようという意図はなく、国家はあくまでもゲゼルシャフトにすぎない。
重要なのはテンニースが国家を民族を体現したものとはみなしていないことです。
「国家(Staat)は二様の性格を有する。まず第一に、国家は普遍的ゲゼルシャフト的結合である。・・・第二に、国家はゲゼルシャフトそのもの、換言すれば、ここの理性的ゲゼルシャフト的主体という観念と共に与えられる社会的理性である」(179-80頁)。
「国民国家(nationaler Staat)の形成は無限に拡大するゲゼルシャフトの一時的に限定されたものにすぎない」(189頁)。 
 つまり、テンニスにはいわゆるナショナリズムにみられるような、民族と国家を同一視するような指向はないのです。ふつうナショナリズムにおいては、過去の幻影が民族の形をとって現在の国家体制を正当化するものとして要請されます。しかし、ホッブスの社会幾何学に習って、社会集団の2類型を幾何学的に積み上げ明晰に構成したテンニースにとって、国民国家を「民族」の名の下に正当化することは許されないのです。

ナチズムが、「民族共同体」(フォルクス・ゲマインシャフト)の名の下に、その独裁を正当化し美化しようとしたとき、テンニースは憤然とそれを批判して公的場面をさった。

テンニースは、社会のありようを、ホッブズとマルクスがとらえたゲゼルシャフトだけでなく、ゲマインシャフトという原理から、社会を、構築的にとらえかえそうとした。
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# by takumi429 | 2016-05-05 21:44 | 社会学史 | Comments(0)