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『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む(1)

マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む(1)
(本稿はICUでの講義のための草稿である。しかし講義は実際にはおこなわれなかった)。

はじめに
さてこれから、ドイツの社会科学者マックス・ヴェーバー(Max Weber1864―1920)の著作、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(Die protestantische Ethik
und der Geist des Kapitalismus)を読んでいきたいと思います。
 この著作は、ウェーバーが彼が編集していた『社会科学と社会政策のアルヒーフ』
(Archiv fuer Sozialwissenchaft und Sozialpolitik)(1904/05年号)に発表し、
のちに彼自身がまとめた『宗教社会学論集 第1巻』(Gesammmelte Aufsaetze zur
Religionssozilogie. Bd.1) に改訂され収録されています。この論文を書いた後、ヴェ
ーバーは『世界宗教の経済倫理』という、中国、インド、ユダヤをあつかった膨大な宗教
社会学の著作に乗り出しました。この論文はそうした宗教社会学研究の出発点となった論文であり、かつ彼の論文でもっとも有名な論文でもあります。私見によれば、これはヴェーバーという学者のアルファーでありオメガでもある著作です。

この著作の名前をみなさんは教科書などですでにしばしば目にしていることでしょう。
と同時に、すでにさまざまなイメージをそれらの紹介によってみなさんはすでに持ってい
ることでしょう。しかしここではそうしたイメージやレッテルに引きずらることなく、で
きるだけヴェーバーの叙述に忠実に読んでいくことにしたいと思います。

紹介者の私は、ヴェーバーに関するいくばくかの論文によって現在の職を得たとはいえ、
「ヴェーバー研究」という一種の「研究産業」に参画してはいません。私自身のヴェーバ
ーについての勉強は、基本的に社会人の学習会に参加することで得たものです。そこでは愚直なほど忠実にヴェーバーの記述を要約することがまず求められました。議論はその前提にたったうえでおこなうものとされました。私の修士論文は『宗教社会学論集』の要約とその解説に終始したものです。華々しい論争とはかけ離れた、いわば素人によるヴェーバーの読みが、私のヴェーバー研究です。私の講義は「大向こうの受け」をねらったものではないので、みなさんには物足りないかもしれません。でも「ヴェーバー研究で飯を食べていく気はない、でもヴェーバーの言っていることは理解したい」とみなさんが思っていらっしゃるなら、かえって近づきやすい有益な講義ができるのではと、身勝手なことを考えております。

しかしおそらくみなさんの心のなかにはいくつかの紋切り型の先入観、とりわけヴェー
バーは西洋の合理化を問題にした社会学者である、というようなイメージがすでに巣くっ
ているであろうと思われます。そうした固定的なイメージからいったん自由になるために、
この著作を解説していく前に、この『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の
なかのある箇所をまず引用したいと思います。

ヴェーバーはこの著作のなかで、「資本主義精神」にみたされた人々につぎのような
(架空の)問いかけをしています。(正確にいうなら自問自答させています)。
「休みなく奔走(ほんそう)することの『意味』を彼ら(「資本主義精神」にみたされた人々)に問いかけて、そうした奔走のために片時も自分の財産を享受しようとしない態度は、純粋に現世的な生活目標から見ればまったくの無意味ではないかと問うとき、彼らは、もし答えうるとすれば、『子や孫への配慮』だと言うこともあるだろう。しかし、より多くは、---『子や孫への配慮』という動機は、明らかに彼らだけのものでなく、『伝統主義的』な人々にも同様にあるのだから---より正確に、自分にとっては不断の労働を伴う事業が『生活に不可欠なもの』となってしまっているからなのだ、と端的に答えるだろう。これこそ彼らの動機を説明する唯一の的確な解答であるとともに、事業のために人間が存在し、その逆でない、というその生活態度が、[個人の幸福の立場からみると] まったく非合理的だということを明白に物語っている。」(Archiv 54/RS・30/訳79-80頁。()は引用者挿入、[ ] は改定時(1920年)の加筆)。

この引用を問答形式に書き直してみましょう。
「なぜ楽しむことを知らずにそんなに休みなく働いているのです?」
「子どもたちに財産を残すためですよ。」
「でもそれは昔の人たちでも考えたことですよ。でも彼らはずいぶんのんびりと生活を楽
しんでいきていました。決してあなたのようにあくせくと働いてはいませんでしたよ。」
「ええ、なるほどそうですね。」
「じゃ、なぜそんなに働くんですか。」
「まあ、働かずにはいられない、働いて事業を続けることが生活の不可欠なものになって
いるとでもいうですかね。」
「それじゃ、あなたという人間のために事業があるのではなく、事業のためにあなたは存
在する、というわけですね。」
「まあ、そういうことになりますかね。」

ずいぶん、意地悪な問いつめ方です。人が慣れ親しんで、すっかり同化していることを、ヴェーバーはことさら、あばきたてるように問いつめます。そうすることで私たちが、同化し慣れて「あたりまえ」に思っていることが、じつは倒錯した非合理なものにすぎないことが見えてきます。こうした技法をふつう「異化」と言います。「異化」(Verfremdung, differentiation)とは、「ロシア・フォルマリズムの芸術説で、日常見慣れた表現形式にある「よそよそしさ」を与えることによって異様なものに見せ、内容を一層よく感得させようとするもの」(『広辞苑』)です。

演劇の世界で、これを中心的な手法としたのが、ブレヒト(Bert(olt) Brecht1898―1956)です。彼は「異化」について、「『三文オペラ』のための註」のなかでこう述べています。
「『三文オペラ』は、その表現する内容ばかりかその表現方法の点でも、市民的な物の考え方と密接に結びついている。それは劇場の観客がこの人生について見たいとのぞんでいるもののについての一種の講演である。だが同時に観客は、自分の見たくないものをもいくらか見せられる。つまり、自分の希望が実現されるのを見るだけではなく、それが批判されるのをも見る。(自分を主体としてだけでなく、客体としても見るのだ。)したがって、原則的には、演劇にある新しい機能を与えるようになる。」(『三文オペラ』165頁)
 さらにその演劇論でこう述べています。
「もはや観客は、自分の世界から芸術の世界へと誘い込まれるのではなく、むしろ反対に目さめた感覚をもって自分の現実的な世界に連れていかれねばならない。・・・その原理は感情同化のかわり異化を導き入れることである。
 異化とはなにか?
 ある出来事ないし性格を異化するというのは、簡単にいって、まずその出来事ないしは性格から当然なもの、既知のもの、明白なものを取り去って、それに対する驚きや好奇心をつくりだすことである。・・・異化するというのは、だから、歴史化することであり、つまり諸々の出来事や人物を、歴史的なものとして、移り変わるものとして表現することである。・・・劇場はもはや観客を酔っぱらわせたり、さまざまな錯覚を授けたり、この世界を忘れさせたり、自分の運命と妥協させたりしようとしない。これからは劇場はこの世界を、観客がそれに手を加えることができるような形で、観客に提供するのだ。」
(『今日の世界は演劇によって再現できるか---ブレヒト演劇論集---』123-4頁)

すぐれた学者とはおうおうにして、驚くことの達人です。ヴェーバーはここで私たちが慣れきったことに、驚きかつあやしみ、そしてその懐疑へと私たちを誘おうとしているのです。

このときヴェーバーは、いわゆる「合理化の社会学者」なのでしょうか。むしろ現代社会の人間の生き方の非合理性と倒錯性をあばきたてる「異化する精神」として私たちの前に登場しているというべきではないでしょうか。

「ドワーズ」というロック・バンドの1967年の『まぼろしの世界』(Strange Days)というアルバムのなかに「まぼろしの世界」(People Are Strange)(作詞ジム・モリソンJim Morrison)という曲があります。その一節。
「きみが見知らぬひとであるとき、ひとびとは見慣れない奇妙なものになる」(People
are strange when you're stranger.)

ひとびとのまじめに働くそうしたあり方が「奇妙なもの」に見えるのは、それをみている
彼がじつはそれまでの日常から外れて、異邦人のような存在になっているからです。逆に
いえば、そうした異邦人の存在になったとき、はじめて日常世界のもつ倒錯性を見えてく
るのです。

ヴェーバーの場合、こうした「異化」を可能にしたものはなんだったのでしょうか。そ
れは彼自身の失墜の経験です。

ヴェーバーの生涯はその前半まではまさに順風満帆というしかないものでした。
ヴェーバーは1864年4月21日にエルフルトというワイマールの近くの町でうまれたした。
父は富裕な亜麻(アマ)布商人の家系を引く国民自由党代議士、母は敬虔なピューリタンです。
長じてハイデルベルク、ベルリン、ゲッティンゲンの各大学で法律、経済、哲学、歴史を
学びました。卒業後、一時司法官試補として裁判所に勤務したのち、学究生活に入りまし
た。92年ベルリン大学でローマ法、商法を講じ、1994年に30歳の若さでフライブルク大
学の国民経済学教授となり、1897年にはハイデルベルク大学の正教授となっています。
 今日の日本でも法学部などは25歳で助教授、35歳ぐらいで教授になったりします。で
すからこの経歴は異例とまでは言えないでしょう。(ニーチェは22歳でバーゼル大学古
典文学の正教授になっています。異例というならそういうのを指すべきでしょう)。しか
しやはりきわめて順調な、まさに「飛ぶ鳥を落とす勢い」の出世ぶりだったことは間違い
ありません。同時代の社会学者ジンメル(1858-1918)がずっとベルリン大学の私講師にとどめおかれ、ストラスブール教授のなったのはその晩年(1914)だったこと。さらに当時からすでに社会学の古典的著作とみなされていた『ゲマンンシャフトとゲゼルシャフト』(1887)を書いたテンニース(1855-1936)がキール大学に教授になったのが1913年だったこと。どちらも50歳をすぎてようやく教授になったことを考えると、ヴェーバーの経歴がいかに恵まれていたかわかるでしょう。
 しかし1976年に母の財産処理について父を厳しく追求し、その直後に父親が旅行中に死んでしまってから、彼の運命は急に暗転します。それ以後彼は神経疾患に悩まされるようになり、やがて研究も教育もできなくなりました。1903年ついにハイデルベルク大学を辞めて形ばかりの「名誉教授」となり、遺産と年金によって暮らすことになります。活動はもっぱら友人と自分が編集している『社会科学・社会政策アルヒーフ』に論文を書くことと『フランクフルト新聞』(ドイツの主要新聞『フランクフルト・アルゲマイネ』の前身)に論説を書くことなどに費やされました。私たちが知っている彼の業績の主要なものはほとんどこの時期に書かれたものです。
 教職にもどるのは、第一次世界大戦がおわった1918年のヴィーン大学からで、よく
1909年ミュンヒェン大学に就任します。しかし1920年6月スペイン風から肺炎を併発。14日に56歳で死去しています。

ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905)を書いたのは、彼が社会的な日の当たる場所から完全に身を引いた後です。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、コースアウトしてしまった人間が、それまでコースのなかで必死に働いてきた自分を振り返り、あれはいったい何だったのだろうかと自問自答する、そうした作品になっているのです。ですからさきほど引用した自問自答はじつはヴェーバー自身の自問自答だったのです。

私見によれば、社会学とは、近代という時代を、そのなかに投げ込まれた個人の側から疑問を提示しつつとらえ返していく学問です。そのためにはこの社会で「当たり前」とされていることを、ある種の違和感をもって見つめ直すことが必要です。つまり日常のあたりまえと思われていることを異邦人のまなざしで異化するという性格を社会学は必然的にもたざるを得ないのではないかと私は考えています。

じつはヴェーバーの社会学には、アメリカ流の社会学の内容は、まるでありません。ですからヴェーバーをいくら読んでもアメリカ的な社会学の教科書にのるような知識はほとんど増えません。またヴェーバーを読むのに必要な知識も、社会学の知識ではありません。むしろ歴史的な知識です。ですからヴェーバーが「社会学者」であるとされているのは、社会学が自分たちの権威づけのために偉い学者の名前を借りている、という面がかなりあるように思います。つまり社会学者は「虎の威を借りる狐」なのです。ヴェーバーの業績ははたしてアメリカ流の社会学のせまい枠に収まるものなのだろうか。私はしばしば疑問に思うことがあります。

しかしすくなくとも、この「異化する精神」を持っているという一点だけでも、ヴェーバーは社会学者いがいの何者でもないといえるのではないか。わたしはそう思うのです。
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by takumi429 | 2006-03-06 15:22 | ヴェーバー研究 | Comments(0)

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む(2)

マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む(2)


まえおきがたいへん長くなってしまいました。では『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の内容をみていくことにしましょう。

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のあらすじ
                            
第1章 問題の提示
第1節 信仰と社会階層
統計をみると、資本主義に参加することと、プロテスタント(新教徒)であることとの間
にプラスの相関関係がある。この関係に対して、一般的にはつぎのような説明が考えられ
る。(1)経済発展が改宗を引き起こした、(2)少数派は経済に専念する、(3)プロテス
タントは世俗的だから、(4)営利活動の反動で宗教に向かった。しかしこれらの説明に
対しては、(1)むしろ宗教性が経済志向を決定しがち、(2)ドイツではカトリックの方
が少数派、(3)プロテスタントはむしろ非世俗的だった、(4)プロテスタントでは事業
と信仰が仲良く同居していた、という反論が成立する。そこでむしろ、一見水と油のよう
にみえる、資本主義参加とプロテスタントであることが、じつは「親和的関係」(相性の
いい関係)にあり、プロテスタンティズム(新教)から資本主義への参加、がじつは説明
できるのではないか、と考えられる。それをこれから考察していくことにする。

第1章第2節 資本主義の「精神」
まず「資本主義の精神」を体現している思想として、フランクリンの思想を取り上げる。
そこにみられる精神は、営利による資本の増大を自分の倫理的な義務とみなすような精神である。この精神はフッガーのような単なる金銭欲とはちがう、ある種の倫理性をもっている。
 この「資本主義精神」は、これまでどうり生きていければ良いする「伝統主義」とは対
立する。ゾンバルトは経済の基調を、(1)「欲求充足」と(2)「営利」とに分けている。
しかし営利活動が伝統主義によって営まれていることもある。だから「資本主義精神」は
経営組織のあり方から自然に生まれるものではない。むしろこの精神が入り込むと、(私
の叔父の例にみられるように)経営組織の形態が同じでも、劇的な変化がもたらされる。
 この精神はよく問うとみると、じつはきわめて倒錯的で非合理的である。けっして世俗
的な目的を追求する合理性からうまれたのとは思えない。ではこの、営利活動を倫理的義務、すなわち「天職Beruf」とみなすような思想はどこにその源泉をもつのだろうか。

第3節 ルッターの天職概念
営利活動での資本増大を「天職」とみなすこの思想は、世俗の労働を「天職Beruf」と訳
したルッターの宗教改革の精神に由来する。つまり彼は修道僧にしか通用しなかった「天
職」の論理を世俗の仕事に適用した。しかし世俗労働を「天職」とみなすだけでは、「資
本主義の精神」がもつ、資本の増大をたえず求める、あの駆り立てられるような心のあり
かたは生まれない。絶え間ない資本の増大へひとびとを駆り立てた起動力(Antireb)はどこにあったのかを知るために、プロテスタンティズムの禁欲思想にわけいることにする。

第2章 禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理
第1節 世俗内的禁欲の宗教的基盤
禁欲的プロテスタンティズムの、主な担い手は、(1)カルヴィニズム、(2)敬虔派、
(3)メソジスト派、(4)再洗礼派系の教派、に分けられる。
 とりわけ(1)カルヴィニズムの「予定説」、すなわち、人は救いと滅びのどちらかに予定されており、それは変更不可能であるという教えは、決定的な影響力をもった。ピューリタン革命時のイギリスでまとめられた「ウェストミンスター信仰告白」にはこの教えが明記されていることからも、この教えが一般信者にとっても周知の教えだったことは明らかである。自信のない一般の信者が、救いに予定されていることの「証し」を求めるのは無理もなかった。ルッターは世俗の労働も神から与えられた「天職」とみなしてよいとした。だから修道院でおこなわれた合理的な禁欲的主義で世俗の労働を行うことが可能になっていた。カルヴァン派の人々はこの合理的・禁欲的な世俗の労働で「神の栄光」を増大させることに「救いの証し」を見いだそうとした。
 こうした傾向は(2)敬虔派、(3)メソジスト派でも同様であった。ただ両派では感情
的側面が強く、その分だけ合理的な禁欲が弱まっている。
(4)再洗礼派系の教派の教義はこれとはちがう。彼らは心正しき者だけから構成された
「教会」を作り上げようとした。心正しさは精霊がその者に宿ることで証明される。だか
ら精霊が宿るのを妨げるような、人間の本能的で非合理的なものを克服しようとした。そ
の結果、合理的な禁欲主義をめざすことになったのである。
 こうしていずれの宗派の信徒も、神に召命された者であることの証しをもとめて、合理
的で禁欲的な世俗労働へと駆り立てられたのである。

第2節 禁欲と資本主義精神
プロテスタントでは牧師が信徒の相談にのり指導することを「司牧」(Seelsorge)という。
ここでは、この司牧の活動からうまれた神学書、とくにバクスターの書いたものをとりあげる。この司牧(魂のみとり)が宗教的な教えが日常生活へ影響する際の仲立ちの役割をしているからである。
 プロテスタント、とくにカルヴェン派、の司牧では、「救いの証し」とされる「神の栄光」の増大は、有益な職業労働から生まれるとされた。そしてその職業の有益さは、結局、その職業がもたらす「収益性」(どれだけ儲かるか)で測かることができるとされるようになった。しかも楽しみ事は徹底的に否定された。その結果、儲けても、楽しみに使わず、さらに営利活動に投資してどんどん利潤を追求していくことが宗教的に奨励されたのである。しかもそうした経営者のもとには、仕事を「天職」とみなして必死になってはたらく勤勉な労働者さえも与えられた。
 しかし富が増大するにつれて宗教心はうすれていきます。その結果、フランクリンにみられた、倫理的ではあるが宗教色の消えた「資本主義の精神」、つまり営利による資本の増大を自分の倫理的な義務とみなす精神が生まれたのである。
こうしてつぎのことがあきらかにされた。すなわち、資本主義を構成する要素のひとつである、「天職」という考えのうえにたつ合理的な生活態度は、ルッターの「天職Beruf」という考えを前提にしてプロテスタント(新教徒)がみずからの「救いの証し」を合理的な禁欲で追求したことから、もたらされた。
 しかし現代においては資本主義はすでに自律的な自動運動をしており、もはやそれを生み出した精神の支えを必要とはしていない。私たちは、生命のない機械と生きている機械(官僚制)の運動のただ中に、巻き込まれていくばかりである。

さてこうして「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のあらすじをのべたわけですが、ここでもう一度この作品の内容を整理しなおしてみましょう。

この著作はしばしば西洋的合理化を述べた作品であるかのごとく語られます。しかし内容を要約すると、解明はおもに経済的な側面に向けられていることがわかります。

社会の主流である経済体制が、「欲求充足」の経済体制から「営利」中心の資本主義体制に移行する。その移行、あるいは転換はどのように起きたのか、それにたいする宗教の働きが問題とされています。

「欲求充足」の経済に適合的なのは「伝統主義」とよばれる、これまで通りの生活ができればいいとする精神です。それに対して、「営利」活動が中心となった資本主義は、もちろん伝統主義によって営まれることはあるにせよ、やはりそれに適合的なのは営利を自己目的とした「資本主義の精神」です。

しかしこの「資本主義の精神」はそれ以前の「伝統主義」からは生まれたとは考えられません。伝統主義が「今生きてあること」(dasein)を大切にするのに、「資本主義の精神」は現在を犠牲にして果てしない彼方にあるものへ向かって駆けていく、そうした倒錯した精神だからです。

そうした精神の由来を、ヴェーバーは修道院の禁欲主義に求めます。世俗を離れ、ただ神のみを想い、厳しい労働によって自分たちばかりか俗人たちの救済を作り上げていた修道士の活動の論理。この論理はどのように世俗へともたらされたのでしょうか。

神からの呼びかけによって与えられた使命としての職業(Beruf) はそれまで、聖職のみに限定されていました。ですから修道僧の禁欲もあくまでも世俗の外の修道院に限定
されたままでした。

しかしルッターが、世俗の一般の仕事も、神からのお召しによる「職業」であるとみなしたことで、この修道院だけにあった禁欲主義は世俗へともたらされました。ちょうどレールを切り替えることで電車が引き込まれてくるように、禁欲主義は世俗の労働に適用可能になりました。

その意味で、ルッターはレールを切り替える人、つなわち「転轍手」であるわけです。

しかし世俗の仕事が「職業=使命」とみなされるだけでは、あの追いたれられるような、強迫的な労働は生まれません。

それをもたらしたのは、カルヴァン派の宗教カウンセリング(「魂のみとり」)でした。彼らの「魂のみとり」(司牧)では、業績とか収益が「救いの証し」であるとみなされました。その結果、自分が救いに予定されているか不安な平信徒は、「救いの証し」をもとめて、いまや聖職と同格の「職業」と見なされるようになった世俗的労働にまい進することになったのです。

31.図にまとめるといかのようになるでしょう。

修道院の禁欲--┐転轍
             ↓
伝統主義-→× 資本主義の精神   
   ∥         ∥ (適合)
欲求充足----→営利

 ルッターの転轍       :仕事を「職業=使命」とみなす
         「意味連関」:修道僧の禁欲的労働の論理が世俗労働をつかむ
 カルヴァン派の「魂のみとり」:収益を「救いの証し」とみなす 
         「感情連関」: 不安→証しの追求 心理的起動力が生まれる

ルッターの転轍により、世俗労働=「職業」とルッターがみなしたことにより、修道院の禁欲の論理が世俗の労働をつかみます。人々は日常の仕事を、神から与えられた、神の意にそった「使命」としてはげみます。つまりあたらしい意味の連なり(意味連関)が世俗の労働をとらえたのです。

カルヴァン派の魂のみとりは、収益・業績=「救いの証し」とみなしました。不安にあえぐ人たちは「証し」を求めて仕事(職業)にまい進しました。こうして禁欲的な労働の心理的な機動力がうまれたのです。収益をあげても救われるわけではありません。しかし一般の信徒は心理的に収益をあげて安心したいと思ったです。つまりここでは目的-手段の連関があるのではなくて、不安から労働するという、心理的な連なり(感情連関)があるわけです。

くり返しになりますが、ここでは二つの「解釈がえ」があったわけです。
 
ルッターは日常的な労働が「転職」として解釈しなおしました。その結果、聖職者の世界と俗人の世界の区分の廃絶され、聖職者(修道士)の論理が俗界への侵入してきました。しかしそれだけでは社会資本主義へ転換するには不十分でした。

カルヴァン派では収益・業績が「救いの証し」と解釈されました。その結果世俗的労働にまい進する心理的機動力が生まれました。そうして、伝統主義が支配していた経済は、資本主義が支配する経済システムへと移行したのです

つまり、伝統主義と結合していた伝統主義的経済(単純再生産)を、宗教的な合理的禁欲思想が捉える。その帰結として、伝統主義的経済システムから資本主義的経済システムへの移行がうまれたのです。

ここでは新しい社会科学のアプローチが生まれています。つまり行為をする人間がその行為をどのような意味づけをしているのか、その意味づけをちゃんと解釈し理解することで、その行為はどのように社会を作り上げていく、あるいは社会を変革していくのかを説明しようとするアプローチです。ヴェーバーはとりわけ後者の社会変革の方に関心があったように思われます。

後年、ヴェーバーは『社会学の基礎概念』(1920)でつぎのように書いています。「社会学とは、社会的行為を解釈しつつ理解し、そうすることによって社会的行為の経過や結果を因果的に説明しようとするひとつの学問である。」(WuG85頁)

もちろんカルヴァン派の平信徒のふるまいように、理屈では説明できないけど、感情としては説明つく場合もあります。そうしたことをふまえてヴェーバーは次のように書いたのです。「行為の領域についてみると、とりわけ、その行為によっておもわれた意味連関があますところなくはっきりと知的に理解されるならば、それは合理的な明証性をもつことになる。行為において、その体験された感情連関が完全に追体験されるならば、それは感情移入による明証性をもつわけである。」(WuG86-7頁)

私のみるところ、ヴェーバーの理解社会学は、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を例にするともっともわかりやすい。というよりも、ヴェーバーはこの論文でおこなったことを学として成立させるために、「理解社会学」を構想したのではないかと思われます。

その意味でもこの論文は、社会学者ヴェーバーの誕生を告げる論文でもあったのです。
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by takumi429 | 2006-03-06 15:21 | ヴェーバー研究 | Comments(0)

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む(3)

マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む(3)

さてこれまでこの論文はおもにつぎのように解釈されてきたようにおもいます。
(1)この論文は資本主義の成立を問題にした論文である。(2)この論文は西洋的な合理化を問題にした論文である。

まず(1)の資本主義成立論という解釈からみてみましょう。
たしかに表面的にはそのとおりでしょう。しかしそこから「ヴェーバーの問題意識そのものが資本主義の成立にあったかというとじつは疑問なのです。じつはこの論文のあとヴェーバーは資本主義成立論の研究をしていないのです。このあとおこなわれたのはアジアの宗教の研究と古代ユダヤ教の研究でした。けっしてこの論文で端緒をつけた資本主義成立をめぐる研究ではなかったのです。

もちろんこれに対して、アジアでの資本主義の未成立を語ることで、資本主義にとってプロテスタンティズムが不可欠であったことを、裏側から比較論証しようとしたのだ、という意見もあります。とくに「儒教と道教」にはそう思わせる記述が多く加筆されています。

ところでこの論文を読んだ者なら一度はつぎのような疑問をいだくでしょう。「日本も資本主義化に成功した。では日本資本主義においてプロテステンティズムにあたるものは何だろう?」。
じつはヴェーバーは「ヒンドゥ教と仏教」の中で日本について論じているのです。しかしそこでの扱いはきわめてそっけないものです。ヴェーバーは明治維新について、それは外圧と内部の宗教的な抵抗のなさ、から成功したとしているのです。たしかに彼は日本の資本主義については直接に論じていません。しかしこの論調からみると日本の資本主義は、諸外国からの圧力に適合したもので、決して自発的な生成をうむ独自の宗教的な精神などは必要なかった。むしろカトリックのような障害物がなかったのが幸いした、というようなことを言いそうなのです。

.これはあくまでも憶測なので論拠としては弱いかもしれません。しかし「世界宗教の経済倫理」に収録された他の論文もけっして資本主義の未成立に焦点をあてているというにはあまりに政治への関心がつよいのです。とくに「古代ユダヤ教」という論文には資本主義の成立という問題意識はどうみてもありません。

この問題を解くためにすこしとおまわりしてみましょう。

ヴェーバーはこの論文の末尾でつぎのように書いていました。初版の記述をみてみましょう。「将来この鉄の檻の中に住むものは誰なのか、そして、この巨大な発展が終わるとき、まったく新しい預言者たちたちが現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活がおこるのか、それとも---そのどちらでもなくて---一種のいじょうな尊大さで装飾された中国的化石化がおこるのか、それはまだ誰にも分からない。」(Archive 109/RS・204/366)。「中国的化石化」という言葉は改訂版(1920)では「機械的化石化」に改めらています。つまり将来の危険な可能性として「中国的化石化」というものが挙げられているのです。

ちなみにこのあと書かれた宗教社会学の具体的な研究は、「儒教」(のちに増補改訂され「儒教と道教」となった)でした。この論文で徹底的に暴き出されたのは、家産官僚制(国家を自分の家の財産(家産)のようにあつかう皇帝のもとでの官僚制)による社会の硬直化でした。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の末尾から考えるとこの中国に関する論文はけっして過去の別の社会を問題にした論文ではなく、むしろ来るべき時代に危険を告発する論文であったのではないかと考えられます。

それと関連して「新秩序のドイツの議会と政府」(1918)でつぎのようにヴェーバーは書いています。
「生命のない機械は、精神が対象化されたものである。機械がそうしたものであるというこの事実こと、機械に力を与えて人間を仕事へとかりたてる。そして、人間の日常の労働生活を、工場で毎日くりかえされているようなぐあいに規定して動きのとれないものにする。精神が対象化されたものと言えば、生命ある機械もまたそうである。生命ある機械の役を演ずるのは、訓練を受けた専門的労働の特殊化・権限の区画・勤務規則および階層的に段階づけられた服従関係をともなう官僚制組織である。生命ある機械は生命なき機械と手を結んで、未来の隷従の折りを作り出すよう働く。もしも純技術的にすぐれた、すなわち合理的な、官僚による行政と事務処理とが、人間にとって、懸案諸問題の解決方法を決定するさいの、唯一究極の価値であるとするならば、人間はたぶんいつの日にか、古代エジプト国家の土民のように、力なくあの隷従に順応せざるをえなくなろう。(363頁).

今度は「古代エジプト国家」が挙げられています。「中国」と「古代エジプト国家」はともに皇帝が官吏をつかって支配する国家を意味するのでしょう。その支配のもとでは人々はまったく隷属しているのです。これはもちろんプロイセン王をドイツ皇帝としていだいき、そのもとでの官僚支配をしいたドイツ帝国を考えていたことはまちがいありません。.この官僚制に対置されるものは何でしょうか。それをヴェーバーは「指導的精神」であると言っています。「官僚制が果たし得ないもの・・・指導的精神なるもの---公的な国政運営の領域では『政治家』、私経済内部では『企業家』---は、「官僚」とは何か別物である。」(364頁)

硬直した家産官僚制の支配と人民の隷属。これがヴェーバーのみたドイツの問題でした。これを打破するのは「指導的精神」であり、それは「政治家」と「企業家」に体現されているのです。.してみると「プロテステタンィズムの倫理と資本主義の精神」ではヴェーバーはこの「指導的精神」の現れとしての「企業家」を問題にしていたことになります。つまりプロテステタンィズムがそれまでの伝統社会を刷新していくような指導的な企業家をうみだしたことを論証しているとみることができます。

では「指導的精神」の現れとしての「政治家」の問題はどうなっているのでしょうか。

じつはヴェーバーは「プロテステタンィズムの倫理と資本主義の精神」初版論文の注でつぎのように書いています。「私が、新たにプロテスタンティズムに興味を抱くようになったのは、もっぱらイエリネックのこの人権宣言の研究によるものである。」(Archiv20Bd.S.43/ 安藤1979/97頁)

ここで言及されているイエリネク(Georg Jelinek)の『人権宣言論』(1895)とは、つぎのようなことを条文の精密な比較対照によって証明した研究です。

1)フランスの《人および市民の権利宣言》の直接の模範となったのは、1776年以降のアメリカの諸州の《権利章典》である。2)ルソーの『社会契約論』はフランスの《人および市民の権利宣言》の模範ではなかったと考えられる。3)自然法理論はそれだけでは決して、人および市民の権利を法律的に宣明するという結果を導き出さなかったであろう。4)歴史的にみれば《人および市民の権利宣言》は信教の自由のための闘争にその源がある。 つまりプロテスタンティズムの政治への影響をあつかった論文なのです。

このイエリネックの「人権宣言論」とヴェーバーの「プロテステタンィズムの倫理と資本主義の精神」をセットにすると、プロテステタンィズムが、政治と経済の両面に影響し、自由主義的革命的な、かつ資本家である市民を生み、それが市民社会の形成をもたらしたことが見えてきます。
そしてこの、それまでの社会を刷新するような指導的精神をもった(政治的かつ資本主義的)市民は、まさに官僚の硬直した支配にあえぐドイツを救うものとしてヴェーバーは想定しているのです。

つまり「プロテステタンィズムの倫理と資本主義の精神」を書いたヴェーバーの真の問題意識は、資本主義の成立うんぬんではなくて、じつは硬直した現状を刷新するような指導的精神の持ち主はいかに生まれるかというものだったのです。.そう解釈することではじめてその後ヴェーバーが書き続けた宗教社会学の諸論文がみえてきます。それらの論文は、家産官僚批判(「儒教」)、遁世的知識人批判(「ヒンドゥ教と仏教」)、指導知識人による世論形成(「古代ユダヤ教」)というドイツの現状批判の論文として書かれ、すくなくともそれをエネルギーにして取り組まれたものなのです。

さてもうひとつの(2)この論文は西洋的な合理化を問題にした論文である、という解釈を問題にしてみましょう。

ヴェーバーはよく「合理化の社会学」というレッテルが張られます。しかし肝心の合理化がもたらすところの「合理性」の内容についてじつはヴェーバーははっきりと書いていないのです。おかげでヴェーバーの考えていた「合理性」を推測し整理した論文がたくさんあります。(一番すぐれているのはKalbergの論文です)。

でもなまけものの私はつぎのように考えます。本当にヴェーバーは合理性論はそんなに研究しなくてはいけないほどすぐれたものなのか、と。

さきほど引用した「新秩序のドイツの議会と政府」を思い出してください。ここでは「生命ある機械」(官僚制組織)が「生命のない機械」と類比されています。「官僚制組織」はけっして役人だけではなく、あらゆる「経営組織」にみられるものとヴェーバーはみなしています。つまりいわゆる「組織」を「機械」との類比でヴェーバーは語っているのです。

「機械」は道具が複雑に発達したものです。あくまでも目的を遂行するための道具です。つまり道具的な合理性を体現したものです。しかし機械が一人歩きしてしますとつかっている人間がぎゃくにそれに左右されてしまいます。いわゆる「疎外」です。.「官僚組織」も、目的を遂行するための道具です。目的は外から与えられます。それを実行するために道具に徹すること、つまり職務に忠実である必要があります。しかしそれがゆるみ、ひとりひとりが私利私欲に走るとそれは腐敗します。また組織はそれが自己目的化すると、本来の目的を忘れがちになります。ヴェーバーのみている官僚制の問題とはおそらくこうした点にあるのでしょう。

しかしこうした道具としての組織という見方は、組織論としてはじつは時代遅れなのではないでしょうか。それは目的を設定することもできませんし、人と人が集まって創造的な活動をするということもありません。ヴェーバーにとっては創造性は組織の外の(経済的あるいは政治的)闘争の場にゆだねられているのです。.分野外の人間で私にはよくわかりませんが、現代の経営学の主流はむしろこうした組織のもつ創造性を解明することにむけられているのではないでしょうか。

その意味でヴェーバーの悲壮な時代診断はじつはかれの遅れた組織論がもたらしたものであると言えないでしょうか。そしてそれは組織というものを目的-手段の道具的合理性を規範にしてみているからだと思われます。

もちろん「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」や「新秩序のドイツの議会と政府」にみられないような「合理性」論についての展開がヴェーバーにはじつはあります。それは「音楽社会学」という論文であつかわれています。

この論文では音階の比例分割、つまり有理数(合理数)による分割という問題があつかわれています。この解決不可能な問題を、西洋は、無理数(非合理数)で音階を分割するという、「非合理性」の導入によって解決しました(「平均律」の誕生)。

おそらくその本来の問題解決からみたら「非合理」と思えるものを導入することで西洋の「合理性」は成立し、各領域は自律的(合理的)体系をなしているのです。たとえば貨幣の体系は、個々の「使用価値」を無視しそれからみたら「理に合わない」、「交換価値」の自律的体系としてたち現れています。また法体系は、個々の実状をいったん捨象することでその実律的、形式的かつ普遍的な体系となっています。たとえAの殺人とBの殺人は個別的なことなのに、ひとまず「殺人」としてくくります。それぞれに実状にあわせて裁判することを「カーディー裁判」といいます。つまり「大岡裁き」のことです。それでは場合によって判決が違ってきて、計算(予測)可能性がなくなり、資本主義的経営がなりたたなくなります。

おそらくマルクスの「使用価値」と「交換価値」に対応するものとして、ヴェーバーは「実質合理性」と「形式合理性」という言葉をつくりあげたと思われます。この合理性の体系でもっとも重要なのは、貨幣体系と法体系です。しかしそのほかの領域もそれぞれに自律的に(つまり他の領域や人間本来の目的からの合理性を無視して)展開され完結しているとヴェーバーはみていたようです。

話をもとにもどしましょう。

ヴェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」では合理化の内実をじつは説明していません。論旨においては「合理化」うんぬんは添え物でしかありません。
むしろ問題は合理化そのものというよりも、資本主義やそれにふさわしい生活の合理化が、意図した結果ではなく、むしろ「意図せざる結果」として生まれたという点でしょう。

ヴェーバーの合理化論のポイントはつねに逆説的な発展です。宗教的熱狂という非合理的な宗教改革が結果として資本主義を生み、またそれにふさわしい生活の合理化を生んだ、こうした逆説的な発展を見つけたというのが、彼の自慢なのです。

この逆説的発展への着眼は、さらに宗教が科学や資本主義を生み出したがそのことで逆に自分が否定されてしまうという逆説の着眼へ拡大していきます。たんなる「合理化」ということばからイメージされるのとはことなるものをヴェーバーは考えていたのです。
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by takumi429 | 2006-03-06 15:19 | ヴェーバー研究 | Comments(0)