カテゴリ:看護理論( 12 )

ベナー看護理論1

コンピューターに人間と同じ事をさせる研究が盛んです。人間と同じ事ができるコンピューターを人工知能といいます。スタンフォード大学のフェイゲンバウムという学者は血液感染症と骨髄炎の診断をするコンピューターを開発しました。その的中率はスタンフォード大学の人間の医者と同じくらいの精度になったそうです。そこで彼らはこのコンピューター(のソフト)を、人間の達人(エキスパート)に負けないレベルだということで、「エキスパート・システム」と呼びました。
これを猛然と批判したのが、反人工知能論者のヒューバート・デレイファスという学者です。彼は弟のスティアートと共に、人間が達人になっていく「技能生得の5段階モデル」というものを提唱し、コンピューターはその段階のせいぜい第2段階ぐらいしか到達しないのだとしました。この5段階とは①初心者(規則のあてはめるだけ)、②上達した初心者(状況をよみとるようになる)、③上級者(目標に合わせて臨機応変に対応)、④熟練者(過去の体験記憶によって状況をまとまりとしてとらえる、⑤エキスパート(技能は身体の一部となって意識されない)です。
ドレイファスらは主に飛行機の操縦とチェスをモデルにこの段階を考えました(残念ながらチェスでは人間が人工知能に負けてしまいました)。彼はより一般的で実践的な人間の活動でもこの段階があてはまるかどうか知りたく思い、この段階説が看護の世界でもあてはまるかどうか、看護研究者に依頼しました。その結果生まれたのが、『ベナー看護論』(邦訳)です。
ベナーは看護師もこの5段階をへてエキスパートになるといいます。すなわち、①状況と関係なくバイタルサインなどのデーターだけに単純に反応してしまう初心者、②繰り返し起こる意味のある状況にきづく、上達した初心者、③看護計画にもとづき看護できる上級者、④状況を全体的にとらえられる熟練者、⑤状況を直感的に把握できるエキスパート、です。こうして看護学は現代科学論争の最前線に貢献する業績をもつことになったのです。

参考文献:勝又正直 著『はじめての看護理論』医学書院
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by takumi429 | 2009-01-06 16:55 | 看護理論 | Comments(0)

ベナー看護理論2

患者の心を理解したい。看護を志す者なら誰もが思うことです。だから看護師は心理学にとても期待します。でもこれまでの心理学はその期待に応えてきたでしょうか。
心理学はこれまで3つの段階を経てきました。①心に浮かんだことを記述する内観心理学、②刺激(S)に対してどのような反応(R)があるかをまとめる行動主義心理学、③人間の頭の働き(認知)をコンピューターでシュミレートして調べようとする認知心理学です。心理学は、①人間、②動物、③機械、へと次第に人間の心から離れていきました。この傾向に抗して、現象学という学問はいまふたたび人間の心のありようを探ろうとします。すなわち、心の地図なかに物事がどのように現れるかをさぐろうとするのです。心理学に代えて、ベーナーたちが看護に積極的の導入しようとしているのが、この現象学です。
心の中にどのように物事が現れるかは、じつはその人間が何に関心をもっているかによってちがってきます。雨が降っている時には濡れたくないという思っているだけに手元の傘には気づいていますが、晴れてしまうと、あら不思議、傘のことなんか心の中から消えてしまって、つい置き忘れてしまいがちです。結婚ばかり気にしている女性には、職場にふさわしい相手がいるかどうかが大切でしょうが、仕事をしていこうという女性にとっては有能な同僚と仕事にふさわしい環境が整っているかが問題となるでしょう。何に関心をもっているのか、何を気づかっているのか、それがその人の心の地図に物事がどのように現れるかを決定するのです。つまり人間とはたえず、なにかを気づかっている存在なのです。
 でも気づかう対象は物であったり人であったりします。看護がたずさわるケアとは、人に対する気づかいこそにほかなりません。つまり看護とは人間の根本的あり方にねざした、そうした実践なのです。
深い哲学的思索に支えられたベナーの看護論は看護の臨床現場の実践に根ざした理論でもあります。看護理論はようやく、ヘンダーソンの、そしてナイチンゲールが考えた、臨床実践の理論になろうとしているのです。

参考文献:勝又正直 著『はじめての看護理論』医学書院
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by takumi429 | 2009-01-06 16:47 | 看護理論 | Comments(0)

トラベルビー看護理論

病気というものにはさまざまなイメージが付着しています。昔は小説の影響で結核には薄幸な美しいというイメージがありました。ガンは不気味で醜悪な死のイメージがあります。多くの病気のイメージは否定的なもので、それにかかった患者も避けられがちです。
医療関係者も、病気とは悪いものであり、すぐに取り除きやっつけなくてはいけないものと考えています。病気にかかった人間も自己管理を怠った人間で、はやく病気が治るよう努力すべきとされます。医療関係者のこうした姿勢のことをトラベルビーは「治癒志向的な構え」と呼んでいます。
病気はたしかにつらいものです。しかしその病気にかかったことが何の意味もない、あってもお前の日頃の態度が節制がなかったからだとされる(しかし多くの患者は身に覚えがない)としたら、それは病気同様に、ときには病気以上の苦しみを与えるものかもしれません。
突然、訳もわからず収容所に入れられ愛する人と別けられ意味のない労働をさせられる。ユダヤ人収容所体験者の精神科医フランクルはそうした状況下で、人は苦況ばかりか、その「意味の欠如」に苦しむことを知りました。
フランクルの影響をうけたトラベルビーは病気の意味の欠如、あるいは肯定的な意味の欠如というものが患者を苦しめている、と考えました。そして、この欠けた意味は患者自身が生み出さなくてはいけないと考えました。
 患者が自分に病気に積極的な意味を見つけるためには、医療者が持っている病気への否定的な意味づけをやめなくてはいけません。
看護師は、①患者と出会い、②そのかかえている問題を知り、③患者の気持ちになり、④ともに苦しみ(同情)、⑤打てば響くような関係を患者と持つべきであり、そうした看護師の支えを受けることではじめて、患者は自分の病いに積極的な意味を見つけていくことができるのです。

参考文献:勝又正直 著『はじめての看護理論』医学書院
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by takumi429 | 2009-01-06 16:41 | 看護理論 | Comments(0)

レーニンガー看護理論

京都の夏の風物詩に「五山の送り火」があります。京都以外の土地の人はこれを「大文字焼き」と呼びますが、京都の人はけっしてそう言いません。大の字の形に火を付けるわけですから、京都以外の人たちには「大文字焼き」でもいいように思えますが、京都の人たちにとっては、この火はあくまでもお盆に帰ってきた祖先の霊をあの世に送り返す「送り火」であって、それを5つの山に順番につけていくのです。外から見たら、「大文字焼き」に見えるものでも、京都文化の中から見たら、あくまでも「送り火」であって、「送り火」であることを理解してはじめて、死者の霊に対する京都人の持つ畏敬の念というものが見えてきます。
このように文化の外から見るのと、文化の内側から見るのとでは、立場によって、ものごとは異なって現れてきます。病気もそうしたものの典型です。西洋医学から見ると、ウイルス感染による「非特異的上気道炎」であるものが、日本の文化では冷たい風に当たったための「風邪」とされます。またストレスによる筋肉痛は「肩こり」とされます。
医療人類学では西洋医学からみた病気を「疾患」(disease) と呼び、その文化から見た病気を「病い」(illness)と呼びます。人間はその文化のなかで生きている存在ですから、病気の時も、その文化のなかで病んでいます。つまり私たちは「非特異的上気道炎」ではなくあくまでも「風邪」をひいているです。こうした病いについての文化を理解し、その文化の内側から病気というものがどのように現れているかを知らなくては、適切な治療・ケアはできません。例えば、「肩こり」の患者に「心療科へ行け」と言っても行かないでしょうし、「風邪」には注射や薬が一番と思っている患者に、ただ「安静にするように」と言っても納得はしないでしょう。
医療人類学の影響を受けたレイニンガーは、人間がその文化の中で病む、ということを理解したうえで、その文化を理解しそれに即したケア(文化ケア)をしようと提案しているのです。

参考文献:勝又正直 著『はじめての看護理論』医学書院
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by takumi429 | 2009-01-06 16:36 | 看護理論 | Comments(0)

ロイ看護理論

人はできるなら自分のことは自分で世話して自分(の健康)を維持しています。この自己維持のメカニズムを単純な機械を例にして見てみましょう。
 好例はエアコンです。エアコンは設定温度よりも室内の温度が上がると冷房が作動してその温度の上昇を打ち消します。温度が下がると暖房が働いて温度の低下を打ち消します。設定温度からのずれを打ち消すよう(ネガティブ)に自分(が設置された部屋)にもどってくるように働きかけて(フィードバック)、一定温度をまもります。
 人間も血中の糖度が上がるとインシュリンが分泌されて糖度を下げ、血中糖度が下がるとアドレナリンを分泌して糖度を上げ、血中糖度を一定に保ちます。それ以外にもさまざまな生理的なネガティブ・フィードバックを用いて人間は生理的な自己を維持しています。この生理的維持の仕方を「生理的様式」と言います。
 しかし、人間は生理的な自己だけではなく、人間としてその関係の中で自己というものを持っています。①自分にとっての自己、②大切な人にとっての自己、③社会の中の自己。それらを守り維持するのが、①「自己概念様式」、②「相互作用様式」、③「役割様式」です。
「自己概念」とは自分が自分に対して持っているイメージのことで、それを守るために人はさまざまな努力をします。また大切な人にとっての自分を維持するために、その人と相互作用をしていきます。また社会的な役割を演ずることで社会での自分というものを維持しています。
しかし病気になると、そうした、生理的な自己、自分にとっての自己、大切な人との関係における自己、社会的な自己を維持することはむずかしくなります。そうした時に患者の自己を支えるべく手助けするのが看護なのです。

近況:空梅雨のせいか、ここ名古屋は連日30度をこえ、私もすでに夏ばて状態です。「はじめての看護理論」を書いた、海風が吹くと涼しかった湘南の夏の日々がいまはただただ恋しいです。

参考文献:勝又正直 著『はじめての看護理論』医学書院
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by takumi429 | 2009-01-06 15:53 | 看護理論 | Comments(0)

ロジャーズ看護理論

ナイチンゲールによれば、患者とはみずから回復していく過程にある者でした。その回復過程で患者がどのような欲求(ニード)をもっており、どのニードを充足を看護師が助けるべきかを見きわめようというのが、ヘンダーソンの理論でした。人間は基本的に自分で自分のことをしており、患者が今できなくてもいつかできるように看護が支えるべきだという考えをロイは「セルフ・ケア」の考えでまとめました。
生物の生理的な恒常性維持のしくみのことを「ホメオスタシス」といいます。さらに、一般に、ずれが生じるとそれを打ち消すように自ら働きかけて自分の恒常性を維持するシステムのことを「サイバネティクス」といいます。ロイは人間は動物としては(つまり生理学的には)ホメオスタシス、人間としては自己のイメージ、役割、相互の関係で自分を維持していくサイバネティクスな仕組みをもった存在だとしました。
こうして看護理論は一貫して、ナイチンゲールの自分でみずから回復していく患者というイメージを理論へとひろげていきました。しかし、ホメオスタシスやサイバネティクスでは自分の恒常性を維持できても、生まれ成長し老化しやがて死んでいく、そうした人間のありようはうまくつかむことができません。
ロジャーズがつかもうとしたのは、外からさまざまなものを取り込みながらも自分を維持しつつ、まさに成長・発展し老化し死ぬ人間のあり方でした。そうした発展成長していくありようを彼女は「ホメオダイナミクス」と名づけました。
自然界では秩序あるものはしだいに無秩序なものへとほどけていきます。この無秩序さを「エントロピー」と言い、この傾向を「エントロピー増大の法則」といいます。生物はこの法則の反して自己の秩序を維持していく、いわば「負のエントロピー」を特徴としています。しかも外からさまざまなものを取り込みそして内から外へとはき出している、外に向かって開かれたシステム(開放系)です。生物はこうした負のエントロピーの開放系であるばかりか、発展・成長・老化という変化を遂げていきます。ロジャーズはこうした負のエントロピーの成長する開放系としての生物としての人間を把握し、看護学の基礎のすえようとしたのでした。(ただそのあまりの先駆性ゆえの難解さをかかえこんでしまったことは確かです)。

参考文献:勝又正直 著『はじめての看護理論』医学書院
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by takumi429 | 2009-01-06 15:52 | 看護理論 | Comments(0)

パプロウ看護理論

 患者は看護師にどんな人間を求めているのでしょうか。患者が重症でまるで幼児のような状態である時、患者は母親のような人間を求めていてそれを看護師に求めるでしょう。すこし回復してきたけど、まだ自分のことが充分できなくてまるで子供のような状態の時は、母親とか姉・兄のような人間を求めるでしょう。また自分のことができはじめると、それを正しく導いてくれる指導者をもとめるでしょう。自分のことができるようになると、大人としての助言をしてくれる人を求めるでしょう。
 患者はその病状によってさまざまな人間を看護師に求めるわけですが、それをお門違いだと拒否するのでなく、そうした役割をあえて受け入れて演じようではないか、というのがペプローの考えです。
 ところで患者と看護師の関係は患者の病状だけで決まるわけではありません。患者と看護婦が出会い、協力して、患者の回復へとむかっていくという側面があります。最初、両者は、知らない人(未知の人)同士ですが、オリエンテーション(導入)をへて、ともに病いに立ち向かい(同一化)、患者が周りの人を自分の回復のために活用し(開拓利用)、そうして、自立的の問題を解決できるようになる(問題解決)という過程をたどっていくわけです。
 この2つの過程を重ねるとペプローの看護理論になります。つまり、患者と看護師は、①導入の時に、未知の人どうしとして出会い、②幼児とそれを世話する母親代わりとなり、③心を1つにして(同一化して)回復をめざす、子供と母・姉・兄、④さらには若者と指導者の関係になり、⑤かなり回復して病気という問題が解決するころには、大人と大人の関係になるわけです。

参考文献:勝又正直 著 『はじめての看護理論』 医学書院
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by takumi429 | 2009-01-06 15:51 | 看護理論 | Comments(0)

オレムの看護理論

フランスには、「代名動詞」という、変わった動詞の使い方があります。ドイツ語では「起きる」という代わりに、「自分を起こす」と言わなければなりません。同様に、「服を着る」は「自分に服を着せる」、「休む」は「自分を休ませる」、「寝る」は「自分を寝かせる」となります。日本人にはめんどうな言い回しなのですが、なぜか身の回りのことをいうときには、この代名動詞を使うことがとても多いのです。でもよく考えてみると、私たちは自分の身の回りのことは、自分で自分の面倒をみている(世話をしている)わけですから、それも当然といえるかもしれません。
オレムの看護理論の中心となる考え方「セルフケア」というのも、この「自分で自分の世話をする」ということにほかなりません。しかし、病気やけがで自分の世話を自分ではできなくなったときにはどうするのでしょうか、そのとき世話をしたり手助けしたりするのが看護だ、というわけです。
ですが、病気やけがの程度によっては、その世話のありかた(看護のシステム)もちがってきます。オレムはこれを3つにわけました。
①患者がほとんど何も自分の琴ができないときに、全面的にそのセルフケアを代わってあげること(全代償システム)
②患者が部分的に自分のことができるとき、部分的に手伝ってあげること(部分代償システム)
③患者がほとんど自分のことができるとき、そのセルフケアをより良く正しいものになるように指導・教育すること(支持教育システム)
自分で自分の世話をしなくてはいけないこと(セルフケア要件)というのは、要するに「ニード」にほかなりません。オレムは、セルフケアという考え方をつかって、ヘンダーソンのニード論をとりこんで自分の看護論を展開したのです。
オレムによれば、看護は患者のセルフケア能力の回復を妨げず、うながすべきもの、ということになります。つまり、寝たきりを促進するような「看護」はほんらいの看護ではない、ということになります。

参考文献:勝又正直 著 『はじめての看護理論』 医学書院
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by takumi429 | 2009-01-05 18:08 | 看護理論 | Comments(0)

ヘンダーソンの看護理論

ヘンダーソンの看護理論は、マズロー心理学の影響を受けているとよく言われます。マズローは、人間を欲求(ニード)の階層でできたピラミッドとみなしました。
それは、下から、Ⅰ生理的欲求、Ⅱ安全の欲求、Ⅲ所属と愛情の欲求、Ⅳ自尊の欲求、Ⅴ自己実現の欲求というぐわいに、積み上げられています。
建物の土台がくずれるとその上の部分もくずれてしまうように、人間も下のある土台の欲求が満たされないとその上の欲求は後回しにされます。下の欲求がある程度満たされて、はじめてその上の欲求を充足することができるようになります。
ここで、ヘンダーソンの14の基本ニードと、マズローの基本的ニードを比べてみましょう。
①正常な呼吸、②飲食、③排泄、④移動と体位の保持、⑤睡眠と休息、⑥脱衣と着衣、⑦体温の保持、⑧清潔な皮膚、は、Ⅰ生理的欲求にあたるでしょう。⑩コミュニケーション、⑪宗教は、まあⅢ所属と愛の欲求に、⑫仕事は、ちょっと苦しいけど、Ⅴ自己実現の欲求に、なんとか対応させることができるでしょう。
こうしてみると、ヘンダーソンの基本的ニードがかなり生理的な欲求にかたよっており、しかも具体的で細かいことがわかります。この生理的欲求の内容をヘンダーソンはどこで見つけたのでしょうか。
ヘンダーソンはすぐれた実践家でしたから、実際の看護経験から、見つけ出した、と答えることもできるでしょう。しかし、ここでナイチンゲールの『看護覚え書き』の目次を見てみましょう。「1換気と保温、2住居の健康、3章管理、4物音、5変化、6食事、7食べ物、8ベットと寝具類、9陽光、10部屋と壁の清潔、11からだの清潔、12おせっかいな励ましと忠告、13病人の観察」
ヘンダーソンが挙げたニードの多くが、ここですでに挙げられています。じつは、ヘンダーソンの看護理論は、ニード論をつかって、ナイチンゲールの看護論を継承したもの、といえるのです。

参考文献:勝又正直 著 『はじめての看護理論』 医学書院
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by takumi429 | 2009-01-04 18:08 | 看護理論 | Comments(0)

ナイチンゲール2

ナイチンゲール2
ナイチンゲールは言います。「看護婦が学ぶべきAは、病気の人間とはどういう存在であるかを知ることである。Bは、病気の人間に対してどのように行動すべきかを知ることである。Cは、自分の患者は病気の人間であった動物ではないということをわきまえるべきである」(『看護覚え書き』「補章」)。言いかえれば、看護婦は、人間とはどんな存在であり(C)、それがどうなると病人となるのか(A)、そして、その病気の人間に対してどう看護すべきか(B)を学ぶべきだ、ということになります。
ナイチンゲール以降の看護理論は、この(A)人間、(B)病人、(C)看護を軸に整理することができます。

理論家  ヘンダーソン
人間   ニード(欲求)をもつ存在
病人   ニード充足が充分にできなくなった人間
看護   ニードの充足を助ける

理論家 オレム
人間   セルフケアする存在
病人   セルフケアできなくなった人間
看護   セルフケアの不足を補う

理論家 ロイ
人間  環境に適応して自己を維持する存在
病人  環境への適応が不充分になって自己維持が危うくなっている人間
看護  環境への適応を援助する

理論家 ロジャーズ
人間  環境と相互作用しつつ発展する統一体
病人  (環境との相互作用が充分できなくなっている統一体)
看護  (環境との相互作用を援助して本来の発展をとりもださせる)

理論家 ペプロウ
人間  (生理的・心理的な)ニードをもつ存在
病人  ニード充足が不充分な人間
看護  病人が求めている(病人の状態によって異なる)役割を演じて世話(ケア)する

理論家 トラベルビー
人間  意味付与する存在
病人  (病い)の意味の欠如に苦しむ人間
看護  病人の病いへの意味付与を援助する

理論家 レイニンガー
人間  固有の文化の中で生きている存在
病人  文化のなかで病む人間(疾患の人間でなく病気の人間)
看護  病人の固有文化を理解して世話(ケア)する

理論家 ベナー
人間  気づかいつつ、意味の世界に住む存在
病人  病いのために壊れた意味の世界に住む人間
看護  病人の意味世界の再建を、気づかい(ケア)によって援助する臨床実践

( )内は私の推測・補足

ではこれらの理論家をこれからみていくことにしましょう。

参考文献:勝又正直 著『はじめての看護理論』医学書院

(『プチナース』2007年6月号掲載)
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by takumi429 | 2008-01-27 17:16 | 看護理論 | Comments(2)