カテゴリ:社会環境論( 28 )

田山花袋 年譜

田山 花袋(たやま かたい、1872年1月22日(明治4年12月13日) -1930年(昭和5年)5月13日)

本名、録弥(ろくや)。群馬県(当時は栃木県)生れ。

1890年(明治23年)柳田國男を知る。

1891年(明治24年)尾崎紅葉のところに入門

1899年(明治32年)大橋乙羽の紹介で博文館に勤務し、校正を業とする。

1902年(明治35年)『重右衛門の最後』を発表

1904年(明治37年)日露戦争第二軍の写真班で従軍記者

1906年(明治39年)博文館『文章世界』編集主任

1907年(明治40年)『蒲団』を発表。


重右衛門の最期(1902)
蒲団(1907)
少女病(1907)
田舎教師(1909)
時は過ぎ行く(1916)
一兵卒の銃殺(1917)
従軍記『第二軍従征日記』(1905)
評論『露骨なる描写』(1904)
回想集『東京の三十年』(1917)


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by takumi429 | 2014-05-26 03:28 | 社会環境論 | Comments(0)

天皇の肖像

イスラム教圏

メッカへの巡礼
 カーバ神殿を巡る巡礼者
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巡礼のメッカへの一点集中が「おなじイスラーム教徒」というイスラム教圏の一体感をもたらしている。

ペニンスラール
 本国と植民地を往復

クリオーリョ
 行政区の中だけを動き回る
 行政区が「国」の単位としてイメージされていく。

俗語ナショナリズム
 新大陸での動きは旧大陸に影響をもたらしました。
まず最初に、地理上の発見によって、さまざまな人や言語があることが意識され、結果、ラテン語(真理語)の相対化がうまれました。その結果、言語学が活躍し、辞書編纂されるようになりました。結果、俗語によって地域区分されます。たとえば、イタリア語やポルトガル語と大差ないスペイン語が言語学者の活躍によって独立の言語として確立し、結果スペインという地域が確定されました。
(またたとえば、沖縄出身の言語学者、伊波普猷(いは ふゆう)は、「日琉同祖論」をとなえ、琉球の日本編入を正当化しました。言語学者の活動は国民国家の形成に重大な役割を果たすしたのです)。
 封建制から絶対王政への移行は、官僚中間層の増大をもたらしました。そこで使用される言葉に俗語(ドイツ語やイタリア語などなど)が採用されることで、俗語を読み書きできる読書人の増大するとどうじに、俗語教育(ドイツ語教育やイタリア語教育などなど)が増大します。こうして俗語言語によるまとまりが「国民(民族)」として意識されるようになると、アメリカ独立やフランス革命を「国民による国家の樹立」という、「国民国家」の枠組みで解釈するようになりました。

公定ナショナリズム official nationalism

この人は誰?

(1)
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(2)
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(3)
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答え:明治天皇 睦仁(むつひと)
嘉永5年9月22日(1852年11月3日) - 明治45年(1912年)7月30日)

(1)束帯姿の明治天皇(明治5年(1872年)9月3 日、内田九一撮影)
明治天皇は20歳になるまで白粉で化粧していた。
(2)大元帥服を着た明治天皇(明治6年(1873年)10月8日、内田九一撮影)
(3)明治天皇 (明治20年(1888年)1月にイタリア人画家・キヨソネに描かせた肖像画の写真。「御真影」(天皇陛下の「お写真」)として各学校に下賜(かし)され、「奉安殿」に納められた。
明治天皇の「御真影」は、本人の写真ではなくて、肖像画の写真だった。
大元帥としての天皇をイメージさせるには現実の天皇の肖像は使えなくなっていった。
天皇の肖像は想像の姿へと変貌し配布され崇拝されることになった。

御真影:(明治・大正・昭和)天皇とその皇后の写真。
宮内省から各学校に貸与され、奉安殿に教育勅語と一緒に保管された。四大節(元旦・紀元節・天長節・明治節)には講堂の正面に飾り、児童(生徒)・職員一同が遙拝し、教育勅語が校長によって読み上げられた(奉読)(Wikipedia参照)。御真影を守る(奉護)のために日直・宿直制度が導入された。

紀元節(きげんせつ)は、『日本書紀』が伝える神武天皇の即位日として定めた祭日。1873年(明治6年)に、2月11日と定められた。(→建国記念日)
天長節:天皇誕生日
明治節:明治天皇の誕生日11月3日(→文化の日)

教育勅語
教育ニ関スル勅語(きょういくにかんするちょくご)は、明治天皇が山縣有朋内閣総理大臣と芳川顕正文部大臣に対し、教育に関して与えた勅語。以後の大日本帝国において、政府の教育方針を示す文書となった。一般的に教育勅語(きょういくちょくご)という。1890年(明治23年)10月30日に発布され、1948年(昭和23年)6月19日に国会の各議院による決議により廃止された。(wikipedieaより)
 

奉安殿
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群馬県建築協会 編 『小学校に建つ御真影奉安殿』洪洋社1933年



公定ナショナリズム
ナショナリズムの盛り上がりにたいして、上からのナショナリズムがおこなわれた。本来ならナショナリズムに趨勢によって排除されたり周辺に追いやられる権力集団が先手を打つことで民衆からのナショナリズムの盛り上がり応戦した。ここでは、国民と王国という本来なら矛盾するものが、その矛盾を隠蔽されて結合される。
 たとえば、プロイセン王国によるドイツの統一は、辺境の地にあり、ロシアにまで食い込んでいたプロイセンという田舎の王がドイツの皇帝に化けた。またフランス語を話していたロマノフ王朝の「ロシア化け」してロシアの皇帝になった。日本では忘れられた存在だった天皇が日本帝国の皇帝となり、さらに、その帝国は朝鮮人、台湾人、満州人を取り込んだ。

NHK講座 日本史 大日本帝国憲法
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/tv/nihonshi/archive/chapter028.html

日露戦争における 曰本の勝利
曰露戦争はその戦況が電信によって世界中に即時に伝えられた。「東洋」の曰 本が「西洋」の□シアに対してつぎつぎと勝利をおさめていくことが報道されると,オスマン帝国やエジプ卜,イランなどで日本への関心 が急速に高まり,曰本を紹介する本が刊行され,曰本をたたえる詩が発表された。そして曰本の立憲制度が注目され大曰本帝国憲法が ペルシア語やアラビア語に翻訳された。(東京書籍『世界史B』平成25年発刊,312頁)
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by takumi429 | 2014-05-22 09:33 | 社会環境論 | Comments(0)

環大西洋革命

環大西洋革命
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クレオール革命としての合衆国独立
 植民地生まれのイギリス人(クレオール)による独立運動
 なぜ合衆国のみが独立したのか、
 他の地域(カナダ・カリブ海諸島)は本国の力を当てにしていた。
 砂糖議員は不在地主となってイギリス議会を席巻して砂糖の関税を高くして自分たちの利益を守っていた。のちの合衆国のタバコは保護されていなかった。
 カナダは植民地人はフランス人・原住民を抑えるために英国本国の軍隊をあてにしていた。

フランス革命
合衆国の独立はフランス革命に飛び火(人権宣言はバージニア州憲法などを参考にした)
ナポレオンの帝政 ナポレオンのスペイン支配

ハイチ独立(1804) 黒人奴隷による独立
『NHKの高校講座世界史24アメリカの独立とフランス革命』

スペイン植民地人の不安(奴隷反乱への)から独立運動へ
 『NHK高校講座世界史25ラテンアメリカ諸国の独立』
 ペニンスラール(スペイン本国の半島生まれのスペイン人)
 クリオーリョ(植民地生まれのスペイン人)
 メスティソ(白人と先住民の混血)
 ムラート(白人とアフリカ系の混血)
 先住民
 アフリカ系自由民・奴隷

なぜラテンアメリカの独立国がスペインの行政単位を引き継いだのか。
 ペニンスラールはスペイン⇔各行政区を動いていたが、
 クリオーリョの役人は行政単位の中を動いていた。
 行政単位ごとに新聞が発行された
 クリオーリョ役人の遍歴とその地方のクレオール印刷業者は、この行政区が、想像の共    同体となるにあたって決定的な役割を演じた。

 
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by takumi429 | 2014-05-22 09:25 | 社会環境論 | Comments(0)

第3回

第3回 
俗語ナショナリズム
ヨーロッパの国民国家
 NHK高校講座世界史第24回 アメリカの独立とフランス革命
           第26回 19世紀ヨーロッパと国民国家

公定ナショナリズム
 ロシア・ドイツ・日本の上からのナショナリズム
 NHK高校講座 日本史 第25回 開国
             第26回 明治維新
             第27回 大日本帝国憲法

植民地ナショナリズム
 東南アジア諸国の独立
 NHK高校講座世界史 アフリカ史(3) 植民地から独立へ

『地図がつくったタイ』 
  タイの歴史
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by takumi429 | 2014-05-22 09:22 | 社会環境論 | Comments(0)

第2回

第2回

宗教共同体
ユダヤ教が一神教をつくった
イスラーム世界
 NHK高校講座 第9回 西アジア・中東史の新展開 ~イスラーム教の成立~

王国 周辺にいくほどぼけていく

メシア的時間 受難と救済の物語と現在との同時性
 受難物語 https://www.youtube.com/watch?v=Swrvmf-dEGc
  http://www.jizai.org/wordpress/?p=405


小説と新聞の登場による 時空間の変容

宗教改革による真理語の失墜と俗語の台頭
 ルターのドイツ語聖書 ZDF Die Deutschen Luther und die Nation

クレオール・ナショナリズム
 NHK 高校講座 第19回 大航海時代
          第25回 ラテン・アメリカ諸国の独立
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by takumi429 | 2014-05-22 09:21 | 社会環境論 | Comments(0)

第1回

第1回
自己紹介
講義の目的:本講義は、ベネディクト・アンダーソンのナショナリズム論『想像の共同体』と、その日本への応用を試みた、拙論「地図の上の主体 田山花袋作『田舎教師』を読む」を解説をすることで、諸外国と日本における近代的国民国家の成立をみていく。
と同時に、世界史と日本近現代史の基本的な知識を学び直すことをめざす。

講義の手法
NHKの高校講座、東京書籍の世界史教科書、映画などのビデオ資料を積極的に活用して講義を進めていく。また講義の内容は、ブログ『社会学しよう!』にアップしていく。

ベネディクト・アンダーソン 『想像の共同体』
「国民」とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体
偶然を宿命に転じる力
 過去にその力をもっていたのは、宗教共同体と王国
宗教共同体真実語
カトリック世界 ラテン語
イスラーム世界 アラビア語
中華世界 北京官話・漢字
ラテン語(古代ローマ帝国の言語)がなぜカトリック世界の言語になったのか。
 NHK高校講座 世界史 第3回 ローマ帝国
             第11回 ビザンツ帝国
             第12回 西ヨーロッパ世界の成立
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by takumi429 | 2014-05-22 09:20 | 社会環境論 | Comments(0)

『想像の共同体』概要

ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』

この本の冒頭でアンダーソンは次のように言います。
「わたしの理論的出発点は、ナショナリティ、あるいはこの言葉が多義的であることからすれば、国民を構成することと言ってもよいが、それがナショナリズム[国民主義]と共に、特殊な文化的人造物であるということである。・・・ナショナリティ、ナショナリズムといった人造物は、個々別々の歴史的諸力が複雑に『交叉』するなかで、十八世紀末にいたっておのずと蒸留されて創り出され、しかし、ひとたび創り出されると、『モジュール』[規格化され独自の機能をもつ交換可能な構成要素]となって、多かれ少なかれ自覚的に、きわめて多様な社会的土壌に移植できるようになり、こうして、これまたきわめて多様な、政治的、イデオロギー的パターンと合体し、またこれに合体されていったのだと。そしてまた、この文化的人造物が、これほど深い愛着を人々に引き起こしてきたのはなぜか、これが以下においてわたしの論じたいと思うことである。」(14-5頁)
 アンダーソンによれば、「国民」とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体です。たとえば、ナショナリズムの祭典であるオリンピックで活躍する選手を、メディアによって知った他の国民はまるで選手を自分の親戚か知り合いであるかのように語ります(「柔ちゃん」とか「真央ちゃん」とか)。
 そして、ナショナリズムは宗教的想像力が衰退した今日において、唯一、死を説明するものになっており、偶然を宿命に転じる力をもっている、といいます。たとえば、たまたま日本国に生まれ育ったために戦争で死んだ人間は、「お国のために死んだ英霊」として靖国神社に祀られるわけです。
 ところで、過去において、そうした働きをもっていた文化システムは、宗教共同体と王国でした。そこでアンダーソンは、この宗教共同体と王国を分析します。
「宗教共同体」とは、キリスト教カトリック教会に属する人びと、イスラーム教を信じ、毎日メッカに向かって礼拝し、一生のうち一度はメッカに巡礼する人びと、さらに、漢字を使用し中華思想を信奉する人びとたちをさします。そこでは「真実語」とよばれる、「真理」を語る言葉がきまっています。すなわち、カトリックではラテン語、イスラーム教ではアラビア語、漢字文化圏のおいては、中国語(北京官話)です。おのおの共同体は、この真実語によって結ばれた求心的・階序的秩序をなしています。
「王国」というのは王がいる居城から周辺にいくほど主権はあせ、境界が不明瞭となります。歴史地図では私たちは境界線のはっきりした王国を見るため、そうした袋のような輪郭のはっきりした王国をイメージしがちですが、実際には辺境にいけばいくほど、王権の力はよわく、そこがどの王国に属しているのかはあいまいでかつ流動的なものでしかありません。
 この宗教的共同体において、人びとは宗教のお話を、壁画や絵画などの視覚芸術と、説教や物語の聴覚的芸術によって、見たり聞いたりしていました。宗教的な出来事は昔のことでも未来(終末)のことでも、いま、そこに目に見え耳に聞こえる形であらわれるのです。たとえば、救世主(メシア)の登場は、その誕生が紀元元年の過去の話でもあり、その救済はその未来(終末)におけるものでありながら、見聞きする者にとって、今まさにここで、現れてあることでした。こうした過去と未来が現在において同時に出現するという形の、「メシア的時間」(即時的現在のおける過去と未来の同時性)が支配したのです。
 ところが18世紀ヨーロッパにおいて、小説と新聞が生まれることで、これとは全く異なる、「均質で空虚な時間」が生まれます。小説と新聞のもつ時間性では、登場人物、著者と読者、すべてを包括して暦の時間に沿って進んで行く、そうした単一の共同体が想定されます。まず小説の構造というのは、「均質で空虚な時間」における同時性の提示です。たとえば、男Aと女Bが夫婦で、男Aには愛人Cいて、その愛人Cには別に情夫Dいるというありふれた小説の場合、
時間Ⅰ
事件 AとBが口論する。 (この間(同時に)) CとDが情事をする。
時間Ⅱ
事件 AがCに電話する。(この間に)、Bは買い物する。(この間に)Dは玉突をする。
時間Ⅲ
事件 Dがバーで酔っ払う。(この間に)AとBは家で食事する。(この間に)Cは不吉な夢をみる。
この時間連鎖のなかで、いちども男Aと情夫Dは出会わないにもかかわらず、同じ社会のなかで共存し関連しあっています。
 また新聞は、その日に起こったさまざまなことがら(選挙、交通事故、催し物などなど)を一挙に紙面として提示します。結果、その紙面にあることが、ひとつの社会で同時に起きている事がらとして読者は意識するようになります。
こうして「十八世紀ヨーロッパにはじめて開花した二つに想像の様式、小説と新聞・・・これらの様式こそ国民という想像の共同体の性質を「表示」する技術的手段を提示した・・・」[44頁] のです。
 古来、三つの基本的文化概念が支配していました。その三つの基本的文化概念とは、
1)特定の手写本(聖典)語だけが真理への特権的手段を提供する
2)社会が高き中央のもとに自然に組織されている[という空間概念]
3)宇宙論と歴史との区別不能による、世界と人との起源は本質的に同一であるとの時間概念
 出版(資本主義)の発達により、古来の三つの基本的文化概念の支配力の低下します。そして、水平・世俗的で時間・横断的なタイプの共同体が想像される可能性がうまれました。

 ではそうした共同体のなかで、なぜ「国民」だけがかくもポピュラーとなったのでしょうか。

 国民意識の起源
 かつてヨーロッパでは共通語の働きをしていたのは、ラテン語でした。しかしそれはわずかな僧侶たちの秘儀と化してしまい一般大衆の共通のものとはなりませんでした。
 そこへ宗教改革が起こり、ルッター訳聖書などのベストセラー出現します。ラテン語ではない、大衆の言葉(俗語)による書籍が出版され流通します。たとえば、ルターはドイツの大衆が話す言葉からひとつの言葉を編み出してそれでラテン語の聖書を翻訳しました。その翻訳語が流通して「ドイツ語」となったのです。またイタリアではダンテがトスカーナ地方、とくにフィレンチェで使われていた言葉で『神曲』を書き、それがイタリア全土で読まれることで、この一地方の方言は「イタリア語」となりました。
 またそれぞれの宮廷では行政のためにラテン語ではない俗語を使用しており、それが国家が発展すると行政語としての地位をえました。どの言葉が行政語となるのかはまったくの偶然でした、ひとたびある言葉が行政語となるとそれは確固たる地位を占めることになりました。
 出版資本主義によって流通することになった特定の俗語(出版語)の流通は、その言葉によって「国民」というものが想像される基盤となりました。たとえばルターの翻訳と著作の流通は、「ドイツ語」をはなす「ドイツ国民」というものを想像させることになりました。ではこの共同体を想像させる基盤のうえにどのようにナショナリズムは展開していったのでしょうか。意外なことにその端初は新大陸にあったのです。

 ナショナリズムの変遷
ナショナリズムはまず最初、「クレオール・ナショナリズム」、として生まれました。クレオール(クリオーリョ)とは、新大陸生まれのスペイン人のことです。彼らは「本国人(イベリア半島人)」(ペニンスラール)とは常に差別されており、その差別からの撤回を求める運動からやがて独立を志すようになりました。その結果、18世紀後半から19世紀初頭にかけて南アメリカ諸国に新生共和国がいくつも独立することになります。ところで、これらの国はじつはかっての行政上の単位のうえに作られました。それはなぜなのでしょうか。
 それは人びとの移動(巡礼)がその想像力に影響するからです。
 たとえば、ムスリム(イスラム教徒)のメッカへの一生うち一度は巡礼します。この移動がムスリムとしての同一性とまとまりを作っています。
(たとえば、関東では電車も人の流れもすべて東京と住まいとの間の一点集中型の往復になっています。ですから関東ではみんなが「東京人」であるかのように振る舞います。しかし、関西では三都間の交通はあまり便利ではなく人の動きも関東に比べると少ないですし、一点集中ではなくて、三股四股の往復運動です。結果、京都人、神戸人、大阪人などのまとまりとプライドが生まれますし、総称する時も「大阪人」ではなく「関西人」となります)。
 スペインの植民地支配において、行政と教会の地位はほとんど半島からきた「本国人(ペニンスラール)」が閉めており、現地で生まれた支配者クレオール(クリオーリョ)は、行政区の中を移動するだけで、もっとも出世しても行政区の首都にたどりつくだけで、本国スペインに行くことはありませんでした。しかし、このクレオールの動きこそが、彼らに行政区を想像の共同体として想像させる基礎となったのです。ぎゃくに、本国との行き帰りをしている人間は、けっして新大陸「アメリカ人」にはなれっこないのだ、我々クレオールこそが「アメリカ人」なのだという、裏返しの「誇り高き」アイデンティティをもたらしたのです。そしてその誇りが独立戦争を戦いぬき、そのために死をも厭わぬ行動の起動力となったのです。
 また新聞はその行政区である地方クレオール印刷業者 によって担われ、紙面は植民地行政の報道するため、この植民地の行政区が1つの単位として人びとに受け止められました。
 こうしたクレオール・ナショナリズムの現象は、スペインの植民地だけでなく、ポルトガルの植民地(ブラジル)でも、そしてイギリスの植民地(アメリカ)でもまったく同様でした。
 イギリスの植民地アメリカの一新聞業者だったフランクリンが独立運動の立役者でもあったのは偶然ではないのです。かれはクレオールとして劣位におかれた植民人であり、植民地アメリカを1つの単位として報道することでそれを想像の共同体として人びとに提示していた新聞人だったのですから。
 こうして、植民地行政区のなかを遍歴するクレオール役人と、その地方のクレオール印刷業者は、この行政区が、想像の共同体となるにあたって決定的な役割を演じたのです。

 俗語ナショナリズム
 新大陸での動きは旧大陸に影響をもたらしました。
まず最初に、地理上の発見によって、さまざまな人や言語があることが意識され、結果、ラテン語(真理語)の相対化がうまれました。その結果、言語学が活躍し、辞書編纂されるようになりました。結果、俗語によって地域区分されます。たとえば、イタリア語やポルトガル語と大差ないスペイン語が言語学者の活躍によって独立の言語として確立し、結果スペインという地域が確定されました。
(またたとえば、沖縄出身の言語学者、伊波普猷(いは ふゆう)は、「日琉同祖論」をとなえ、琉球の日本編入を正当化しました。言語学者の活動は国民国家の形成に重大な役割を果たすしたのです)。
 封建制から絶対王政への移行は、官僚中間層の増大をもたらしました。そこで使用される言葉に俗語(ドイツ語やイタリア語などなど)が採用されることで、俗語を読み書きできる読書人の増大するとどうじに、俗語教育(ドイツ語教育やイタリア語教育などなど)が増大します。こうして俗語言語によるまとまりが「国民(民族)」として意識されるようになると、アメリカ独立やフランス革命を「国民による国家の樹立」という、「国民国家」の枠組みで解釈するようになりました。

 公定ナショナリズム
 こうしたナショナリズムの盛り上がりにたいして、上からのナショナリズムがおこなわれました。本来ならナショナリズムに趨勢によって排除されたり周辺に 追いやられる権力集団が先手を打つことで民衆からのナショナリズムの盛り上がり応戦したのです。ここでは、国民と王国という本来なら矛盾するものが、その矛盾を隠蔽されて結合されます。
 たとえば、プロイセン王国によるドイツの統一は、辺境の地にあり、ロシアにまで食い込んでいたプロイセンという田舎の王がドイツの皇帝に化けました。またフランス語を話していたロマノフ王朝の「ロシア化け」してロシアの皇帝になりました。日本では忘れられた存在だった天皇が日本帝国の皇帝となり、さらに、その帝国は朝鮮人、台湾人、満州人を取り込みました。

 植民地ナショナリズム
 第1次世界大戦後の植民地において、「若き」現地エリートによるナショナリズムが生まれました。たとえば、ベトナム、インドネシア、アフリカの諸国。彼ら現地エリートは植民国をおこなった教育と官僚制度のなかで教育をうけエリート官僚となり、そうして独立の担い手となったのです。
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by takumi429 | 2014-05-22 09:19 | 社会環境論 | Comments(0)

第二外国語学習について

第二外国語を前向きに勉強するために
逃げ腰で単位さえ取れたらいいと考えていると、
なかなか単位さえおぼつかないものです。
ここはむしろ攻めの気持ちで習うことにしましょう!

具体的に、たとえば、
フランスに旅行して美味しいものを食べたい、とか
(自転車でめぐるパリの旅とか)
ドイツで美術館や建築物を見たい、とか、
(病院と団地めぐりが穴場でねらいめでは)、
日僑、華僑に会いに行く、東南アジアめぐり、とか
目標をもってはいかがでしょうか。

NHKでは英語だけでなく諸外国語の講座があり、
しかもネットで前週の放送がストリーミングで聞けます。
https://cgi2.nhk.or.jp/gogaku/index.cgi
またcapture streamというソフト(無料)を使えば、
1週間分の放送が一気にダウンロードできます。
http://sourceforge.jp/projects/capturestream/
試してみてはいかがでしょうか。

第二外国語をがんばると
英語で受けた傷(?)が癒えることがあります。
(私だけかな)。
積極的に勉強してみてください。

それからドイツやフランスなどでは
夏休みに空いた教室と寮をつかって夏期講座が開催されています。
たとえばドイツの夏期講座はネットですべて申し込めます。
https://www.daad.de/deutschland/studienangebote/sommerkurse/de/?skid=369&skenter=81&skterm=&skchapter=0&sktown=Kassel&skstart%25255b%25255d=2012-08&skstart%25255b%25255d=2012-09&sksubject=0&skduration=0&stipendiate=&sk_akademie=&seite=1&ipp=15
十万円前後(学費・寮費)で好きな街に4週間滞在できます。
食事は学食で4ユーロぐらいで定食がたべられます。

(なんて言っているけど、
私が大学時代は第二外国語のドイツ語
惨憺たるものでした。
身につけたのは大学卒業後、
ドイツ語でドイツ語で教える学校でした。
反省をこめての助言でした。)
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by takumi429 | 2014-04-29 01:07 | 社会環境論 | Comments(0)