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5.貨幣支配の時代としての近代 漱石とジンメル

5.貨幣支配の時代としての近代 漱石とジンメル

 前回は、マルクスのいう下部構造である資本主義の生産様式が、上部構造である宗教の影響をむしろうけて発展したというヴェーバーWeberの学説をみました。

 今回は、マルクスがいう貨幣によってあらゆるものが商品化された社会のありようを、ある小説と社会学者ジンメルの著作で考えていきたいと思います。
 さて本日とりあげるのは、夏目漱石の『虞美人草』です。
(1)『虞美人草』:商品としての女
『虞美人草』の系図関係 (点線は許嫁関係 破線は藤尾の欲望と逸脱)
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 この小説は、一言でいえば、藤尾という名の女をめぐるお話です。
甲野藤尾(こうのふじお)は24歳、女学校出の美人です。彼女には腹違いの兄、甲野欽吾(きんご)がいます。欽吾の友人にはおなじく東京大学を出て、外交官試験のために浪人している、従兄弟の宗近一(むねちかはじめ)がいます。宗近一(はじめ)には妹の宗近糸子(いとこ)がおり、裁縫を好む家庭的な女です。(主人公のいとこの名前を「糸子」と名付け、糸をつかう裁縫が好きという人物に、宗近家の長男を「一(はじめ)」と名付けたりして、夏目先生、美文調の裏で、けっこういい加減な書きぶりです)。
藤尾は父親の金時計を気に入っており、いつも玩具にしていました。この接触により、「金時計」は「藤尾」の身代わり(隠喩)になります。この小説世界のなかで「金時計」は一貫して「藤尾」と一体のものとして語られます。
生前、藤尾の父はこの「金時計」をやると、宗近一に言っていました(『夏目漱石全集4』ちくま文庫69-70頁)。藤尾を意味する「金時計」を宗近一にやるということは、藤尾を一(はじめ)にやることでもあります(同138頁)。ですから藤尾は宗近家の嫁に行くものと思われていました。
 また宗近の父は娘の糸子(いとこ)をいとこの甲野欽五の嫁にやろうと考えており、糸子もそれを意識しています。つまり甲野家と宗近家は、相互に娘を嫁にやる予定だったのです。
 レヴィ=ストロースによれば、婚姻関係は「女」という物を贈与する関係と見ることができます。ここでは甲野家と宗近家が娘を相互に贈与しあっています。つま両家の関係は、レヴィ=ストロースの用語で言えば、「限定交換」がおこなわれる、そうした閉じた関係だったわけです。
 しかし欽五の父が外地で急死することで、事態は急変します。藤尾の母は、実の子ではない欽吾が、自分のめんどうを見てくれるか不安です。ですからできれば欽吾を追い出して、藤尾に婿を取らせて自分の立場を安定させたいと考えています。継母の押し殺した強欲さにへきへきとした欽吾「色の世界」(仏教用語での物質世界)を嫌悪し嘔吐する欽吾は哲学の世界に逃避しようとしてしています。
 ここで藤尾の花婿の候補として浮かび上がったのが、小野清三です。小野は東京大学を優秀な成績で卒業し、恩賜の銀時計をもらい、さらに博士論文を執筆中です。藤尾の母は小野に藤尾の英語をみてもらうようにし、両者を結びつけようと画策しています。つまり実の娘をできるだけ高く売ろうとしているわけです。
 小野は京都で井上孤堂という先生の世話をうけており、そのかわり井上先生の娘、小夜子の将来の夫となることを約束していました。しかし東京に出て、銀時計を獲得した今、小野はさらに博士となって金時計たる藤尾を獲得したいという欲望をもっています(同106,154頁)。
 藤尾をできるだけ高く売りつけたいという藤尾の母の欲望と、美しい才媛である自分にふさわしい趣味のある男と結ばれたいと思う藤尾の欲望は、安定した女の交換関係を突き崩してします。宗近一は藤尾をもらえず、また甲野家を出ると甲賀欽吾は宗近糸子を伊賀家の嫁にもらうわけにはいきません。また小野は藤尾を獲得するために井上小夜子を棄てるようとします。
 安定した婚姻の関係のなかでは、藤尾も、糸子とおなじく、家から家へと贈与されるものでした。しかし自分にふさわしい(等価な)相手を求めたり、できるだけ高く買われることを望むんだ結果、藤尾は一種の「商品」へと変わります。
 それだけではありません。かつては藤尾は宗近家へ贈られる品物でした。しかし藤尾の母は、藤尾(金時計)をつかって将来の博士(小野)を婿にもらう(買い取ろう)とします。ここにいたって、藤尾は贈与物から商品へ、さらに「金」(かね)という特殊な商品(貨幣)へと変身しました。
 作家夏目金之助(漱石)はこの藤尾という女(特殊な商品)のふるまいに、断固たる鉄槌を喰らわせようとします 。小説の終盤で、藤尾に見限られたため逆に自由になった宗近一(はじめ)の活躍により、小野と小夜子が、さらに甲野金吾と糸子が元のさやにおさまり。小野を奪われた藤尾は宗近一に金時計を渡しますが、宗近一は金時計を大理石にたたきつけ壊します。自分と一心同体の金時計が破壊されると、藤尾は倒れ、結果、死んでしまうのでした。

注 明治四十年(一九〇七)七月十九日漱石は小宮豊隆に宛てて、「『處美人草』は毎日かいている。藤尾という女にそんな同情をもってはいけない。あれは嫌な女だ。詩的であるが大人しくない。徳義心が欠乏した女である。あいつをしまいに殺すのがー篇の主意である。うまく殺せなければ助けてやる。しかし 助かればなおなお藤尾なるものは駄目な人間になる。最後に哲学をつける。この哲学は一つのセオリーである。僕はこのセオリーを説明するために全篇をいているのである。」と書ている。(小宮豊隆著『夏目漱石』(中)岩波文庫1987年299頁)

 ところで藤尾と同一視される「金時計」はいかなる意味をもつのでしょうか。小野にとってはそれは恩賜の銀時計のさらにさきにある出世の象徴です。さらに「金」は貨幣(金)を意味します。「時計」はどうでしょうか。「時計」は近代的な時間を意味します。それは労働を測定しその価値を計ります。ですから「時は金なり」です。またそれは一国の共通時間を意味します。日の出、日の入りを「明け六」、「暮れ六」と呼んでいる、地域により、季節によって異なる時間ではなく、社会全般をおおう「普遍的な」時間です。
 この「金=時計」の死によって、自然な時間、つつましく自然な欲求と交換の世界がよみがえり、秩序は回復されるのです。
 ところで、この小説では京都と東京は対照的な世界として設定されているように思われます。すなわち、京都は納まるべきものが納まるべき所に納まっている世界であり、東京は固定した関係が流動化し、絶えず新たな欲望が喚起される世界です。こうした「文明」の世界の典型としてこの小説にとりあげられているのが連載当時開催されていた、東京勧業博覧会(明治40 (1907)年)です。
「蟻は甘きに集まり、人は新しきに集まる。文明の民は激烈なる生存のうちに無聊をかこつ。・・・文明の民ほど自己の活動を誇るものなく、文明の民ほど自分の沈滞に苦しむものはない。文明は人の神経を髪剃に削って、人の神経を擂木と鈍くする。刺激に麻痺して、しかも刺激に渇くものは数を尽くして新しき博覧会に集まる。・・・蛾は灯にに集まり、人は電光に集まる。・・・昼を短しとする文明の民の夜会には、あらわなる肌に鏤たる宝石が独り幅を利かす。金剛石は人の心を奪うが故に人の心よりも高価である。泥海に落つる星の影は、影ながら瓦よりも鮮やかに、見るものの胸に閃く。閃く影に躍る善男子、善女子は家を空しゅうしてイルミネーションに集まる・・・」(190-1頁)
 東京勧業博覧会では、不忍池に建てられたパビリオンはその見事な電飾で多くの観客を集めていました。この小説ではそれを舞台にして描いています。
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「・・・イルミネーションは点いた。
『あら』と糸子が云う。
「夜の世界は昼の世界より美しい事」と藤尾が云う。」(同194頁)

「空より水の方が綺麗よ」と糸子が突然注意した。・・・イルミネーションは高い影を逆まにして、二丁余の岸を、尺も残さず真赤になってこの静かなる水の上に倒れ込む。黒い水は死につつもぱっと色を作す。」(同196頁)

 作家はよくこうした短いせりふに作品全体の重要なヒントを滑りこませるものです。ここで漱石が言いたいのは、人々があつまっているこの東京博覧会は倒錯した幻影である、ということです。さらにそれはこの東京の文明の倒錯性です。宝石(ガーネット)の飾りのついた金時計(藤尾)のもつ輝きは夜の博覧会のごとく、人(小野)の欲望をかきたてはするが、それは幻の、しかも本来の欲求からは倒錯した欲望にほかならない、ということを示唆しているのです。
 休息のため席についた甲野と糸子、左近と藤尾は、偶然そこで井上親子と小野を見つけます。小野と小夜子は夫婦のように見えます。(後で左近が小野に二人は夫婦のように見えた、と話しています)(261頁)。この夫婦のようにみえる小野と小夜子の関係に藤尾は烈しい嫉妬と怒りを感じ、この関係を壊そうとします(205頁)。
 元来、人は自分の欲求充足をそのための手段たる品物によって満たすします。そこには欲求とそれを満たす品物との直的対応関係があります。しかし貨幣経済が進展すると、ひとは現実の欲求のためでなく、いつか生まれてくる欲求のために貨幣をため込み、しいては貨幣を多く獲得すること自体がその人間の欲求となってきます。欲求充足と品物との対応関係は貨幣によって崩されていくのです。
 商品(小夜子)と固定客(小野)とが夫婦のように納まっているのを嫉妬する、特殊な商品、それが藤尾です。つまり彼女は商品と客との間を流動化させる存在としての特殊な商品、つまり貨幣であることがここの描写からもうかがわれるのです。
 そしてこの作品はまさに「貨幣の死」によって安定した伝統的関係が復活することを描いた作品なのです。
 それはこの作品がまさにそうした伝統的な安定した関係が崩されつつあった時代に書かれたことを意味しているのです。
 
(2)ジンメルの貨幣論
 ところで『虞美人草』の宗近家と甲賀家とは、自己消費できない娘を両家がもち、相手の娘を嫁に貰いたがっていました。つまり、消費と供給の欲望が、交換のする者どうして、ちょうど一致して成立していたわけです。つまり、Aがもつ商品aを、Bが求めており、また同時に、Bがもつ商品bを、Aが欲しているという状態です。しかし、そういう双方の欲望が一致する場面というのはまれなことです。こうした双方の欲望の一致という制限が、貨幣が登場することで、打ち破られることで、交換はAとBという範囲を超えて、自由でフレキシブルなものとなるわけです。
 ところで貨幣ついて哲学的・社会学的な考察をした学者に、ゲオルグ・ジンメル(Georg Simmel 1858-1918)という学者がいます。彼は、まず「貨幣の心理学のために」(1889 年)という論文で、まず、この限定的交換が貨幣によって乗り越えられることに注目しました。
貨幣がなければ、交換は互いのものを欲求していなくては成立しません。
A  B

a b
しかし、貨幣(Geld)があれば、所有者Aはひとまず自分の持ち物 a をお金G1と交換しておきa⇔Ga、後から、自分のほしいもの、たとえば商品fをお金Gfで買えばよくなります。同時に交換が成立する必要もないし、また交換がおなじ金額になる必要もなくなります。a を売って得たお金G1が f を買うお金G2とおなじ必要もなくなります。
所有者Bも同じことができますし b⇔Gb
CもDもFも・・・同様です。c⇔Gc d⇔Gd f⇔Gf ・・・
お金を得た所有者は、自分がほしい物がほしい値段で市場に現れるのを待つことができます。こうして交換は広がりかつ柔軟なものとなります。
aがほしい、bを使ったことしたい、cを食べたい、などなどの目的は、ひとまずその手段としてお金(貨幣)を手に入れておいて、そのあとで機会をみて実現すればよいこといなります。お金(貨幣)は目的実現のための手段としてとりわけ優れているのは、普通の手段なら、aという目的のための手段maは、bという目的のための手段mbに転用することがむずかしいのに、お金(貨幣)だとその転用ができてしまうということです。つまり、お金(貨幣)はどんな目的に対しても手段となりえるのです。
 ジンメルはこのお金があらゆる目的の手段となりえる性質を、ちょうど、動力をいったん電力の形に転用すことになぞらえています。
「このことは、落下する水の力、熱せられた気体の力、あるいは風車の翼の力といったいかなる任意も、これらが発電機に導かれれば、この発電機によって、あらゆる任意の望ましい力の形式へと転用されることができるという事態とほぼ同じことである」(大鐘武訳『ジンメル初期社会学論集』恒星者厚生閣1986年138頁)。
「わたしの行為ないし所有も、わたしのさらに生ずる願望に資するために貨幣価値の形式に入らなければならない」(同139頁)
 ふつう、ジンメルの言う「形式」とは関係のパターンのことです。彼がはじめた「形式社会学」とは、社会関係のパターンを、個々の人間の内容(中身)ではなく、関係性から考察する学問のことです。しかし、ここではさらにふみこんで、「交換可能で転用可能なもの」を指しています。
 さて、お金(貨幣)はあらゆる目的の手段となりえるのですから、いつしか、お金を得ることが自己目的となってしまうというのは容易に予想できることです。これをジンメルは「貨幣が自己目的となる心理的メタモルフォーゼ」と呼んでいます(同142頁)。
 こうして、貨幣があらゆる目的を実現できる手段として自己目的化していくと、貨幣は普遍的で透明なものとなって、あらゆるものの価値を表すものとなっていきます。この価値は、ものの固有の価値とはちがって、あくまでも商品交換という運動が、貨幣の形をとって現れているのです。ものの値打ちがお金(貨幣)で計られるというのは、「事実や理念を不変の形式から、つまり変わることなく固定的であるものや永久に存在するものの形式から、運動の形式へ、つまり事物の永遠なる流れや絶えざる発展の形式へと変える大文化過程の一側面である」(同156頁)と述べています。
 こうしてあらゆる物の価値を、公平で透明な形であらわす貨幣は、一種の神のような存在として現代において現れている、として論を閉じています。
 その後、ジンメルは「近代のおける貨幣」(1896年)という講演をしています。内容は、「貨幣の心理学のために」と重なります。新たな論点として、貨幣の登場で、所有者と所有物との密接で固定的な関係から解放されたこと、貨幣によってあらゆることが金勘定という計算によって支配されること。また目的となった貨幣をもとめて人々は狂奔することを指摘しています。
 この後、ジンメルは大著『貨幣の哲学』(1900)に取り組みます。この本については来週取り上げることにしましょう。この大著の後、そのエッセンスをまとめた論文「大都市と精神生活」でジンメルは次のように書いています。
「大都市的な個性の類型を生じさせる心理学的基礎は、神経生活の高揚であり、これは外的および内的な印象の迅速な間断なき交替から生じる。・・・
大都市は昔から貨幣経済の場であった。・・・
経済心理学的領域での本質的なことは、この場合こうである。すなわち、原始的状態では生産は商品を注文した依頼人のために行われ、その結果生産者と買い手とはたがいに知り合いになる。しかし現代の大都市は市場のための生産、言いかえれば、本来の生産者の視圏にはけっして入らないまったく未知の買い手のための生産によって、ほとんど完全に維持されている。これによって双方の側の関心は、冷酷な主観性を獲得する。・・・
おそらく倦怠ほど無条件に大都市に保留される心的現象は、けっしてないであろう。これはまず第一に、急速に変化し対立しながら密集するあの神経刺激の結果であり、大都市の知性の高揚もこのような神経刺激から生じるように思われる。そのため実は、もともと精神的に不活発な愚鈍な人間は、まさに飽きることのないのがつねである。無際限の享楽生活は、神経を長く刺激してきわめて強い反応をひきおこし、ついには神経がもはやいかなる反応もあたえなくなるため、倦怠を生み出すのである。…
このような心の気分は、完全に浸透した貨幣経済の正確に主観的反映なのである。貨幣は、事物のあらゆる多様性をひとしく尊重し、それらのあいだのあらゆる質的相違をいかほどかという量の相違によって表現し、そしてその無色彩性と無関心とによって、すべての価値の公分母にのしあがる。そうすることによって貨幣は、もっとも恐るべき平準器となり、事物の核心、その特性、その特殊な価値、その無比性を、望みなきまでに空洞化する。事物はすべて同じ比重で、たえず流動している貨幣の流れのなかに漂い、すべての同じ平面に横たわり、ただそのまとう断片の大きさによってのみ、たがいに区別されるにすぎない。…(ジンメル著作集第12巻270-5頁)
 大都会がもたらす絶えまない刺激と倦怠。ここに至って、私たちは、漱石の『虞美人草』の記述のきわめてよく似た考察を見ることになります。漱石とジンメルが見ていたものはおなじ近代の貨幣によるあらゆるものの商品化とそのぼうだいな商品の集積として社会の富が現れてくる資本主義という時代だったように思われるのです。
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by takumi429 | 2016-05-19 06:55 | 社会学史 | Comments(0)

4.逆説としての近代 ヴェーバー(1)

4. 逆説としての近代 ヴェーバー(1)

1.マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
(マルクスのいうような)資本主義が成立するためには
①たえずもうけ(利潤)を資本として再投下するような(禁欲的な)資本家と
②その資本家のもとで文句もいわず働く勤勉な(禁欲的な)労働者とが
現れなくてはいけません。
 ではこうした禁欲的な資本家と労働者はどのように現れたのでしょうか。
 この問題に答えようとしたとき、私たちはマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という著作に出会うことになります。
 まずこの著作の内容をみていく前に、この作品がどのような問いかけに支えられていたかをみていくことにしましょう。

(1)異化する問い(あたりまえを疑う)
この著作のはじめの方で、ヴェーバーは、つぎのような金儲けに精を出す資本家への問いかけ(自問自答)を提示しています。
「休みなく奔走(ほんそう)することの『意味』を彼ら(「資本主義精神」にみたされた人々)に問いかけて、そうした奔走のために片時も自分の財産を享受しようとしない態度は、純粋に現世的な生活目標から見ればまったくの無意味ではないかと問うとき、彼らは、もし答えうるとすれば、『子や孫への配慮』だと言うこともあるだろう。しかし、より多くは、---『子や孫への配慮』という動機は、明らかに彼らだけのものでなく、『伝統主義的』な人々にも同様にあるのだから---より正確に、自分にとっては不断の労働を伴う事業が『生活に不可欠なもの』となってしまっているからなのだ、と端的に答えるだろう。これこそ彼らの動機を説明する唯一の的確な解答であるとともに、事業のために人間が存在し、その逆でない、というその生活態度が、[個人の幸福の立場からみると] まったく非合理的だということを明白に物語っている。」(Archiv 54/RS・30/訳79-80頁。()は引用者挿入、[ ] は改定時(1920年)の加筆)。
 この引用を問答形式に書き直してみよう。
「なぜ楽しむことを知らずにそんなに休みなく働いているのです?」
「子どもたちに財産を残すためですよ。」
「でもそれは昔の人たちでも考えたことですよ。でも彼らはずいぶんのんびりと生活を楽しんでいきていました。決してあなたのようにあくせくと働いてはいませんでしたよ。」
「ええ、なるほどそうですね。」
「じゃ、なぜそんなに働くのですか。」
「まあ、働かずにはいられない、働いて事業を続けることが生活の不可欠なものになっているとでもいうですかね。」
「それじゃ、あなたという人間のために事業があるのではなく、事業のためにあなたは存在する、というわけですね。」
「まあ、そういうことになりますかね。」

 私たちがすっかりなじんでいる(同化している)ものを奇妙でよそよそしいものものに変えることで、それをはっきりと見えるものにすること、こうした技法を、芸術論では「異化」と言います。ヴェーバーはいわばこの「異化」の手法を用いて、日常当たり前に仕事に精出す資本家のあり方が、「人間のために事業があるのでなく、事業のために人間がいる」というきわめて倒錯したものであることをあばきたてるのです。
 日常のきわめて当たり前で理にかなったと思われる生活に潜む倒錯(非合理)。それをかぎ当てるヴェーバーの視点は特異なものです。この視点をヴェーバーが得たのは、じつは彼自身が禁欲的な学者として勤勉に励んだあげくに精神的に疲れ果てはらゆる社会的地位を失うという経験をしたからです。
 ヴェーバー家の長男として生まれた彼は、家督継承者(あとづぎ)のとしての「証し」を示すべく、強迫的に職業に邁進しました。しかし父親を家族の前で弾劾しその結果父親が客死してしまい、彼は精神神経症を病んで、仕事ができなくなり、職業人から転落します。この転落の経験から、以前の、強迫的な職業人としての自分を振り返った時にうまれたのが、この『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という論文だったのです。 
 この論文はこうした資本主義の精神に慣れっこになりそれに浸りきっている人びと、すなわち現代の私たちの倒錯した生活のあり方がどのように生まれたかを説明しようとする論文なのです。

(2)「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」あらすじ                            
 第1章 問題の提示
 第1節 信仰と社会階層
統計をみると、資本主義に参加することと、プロテスタント(新教徒)であることとの間にプラスの相関関係があります。この関係に対して、一般的にはつぎのような説明が考えられます。(1)経済発展が改宗を引き起こした、(2)少数派は経済に専念する、(3)プロテスタントは世俗的だから、(4)営利活動の反動で宗教に向かった。しかしこれらの説明に対しては、(1)むしろ宗教性が経済志向を決定しがち、(2)ドイツではカトリックの方が少数派、(3)プロテスタントはむしろ非世俗的だった、(4)プロテスタントでは事業と信仰が仲良く同居していた、という反論が成立します。そこでむしろ、一見水と油のようにみえる、資本主義参加とプロテスタントであることが、じつは「親和的関係」(相性のいい関係)にあり、プロテスタンティズム(新教)から資本主義への参加、がじつは説明できるのではないか、と考えられます。それをこれから考察していくことにします。

 第2節 資本主義の「精神」
まず「資本主義の精神」を体現している思想として、フランクリンの思想を取り上げます。そこにみられる精神は、営利による資本の増大を自分の倫理的な義務とみなすような精神です。この精神はフッガーのような単なる金銭欲とはちがう、ある種の倫理性をもっています。
 この「資本主義精神」は、これまでどうり生きていければ良いする「伝統主義」とは対立します。ゾンバルトは経済の基調を、(1)「欲求充足」と(2)「営利」とに分けています。しかし営利活動が伝統主義によって営まれていることもあります。ですから「資本主義精神」は経営組織のあり方から自然に生まれるものではないのです。むしろこの精神が入り込むと、(私の叔父の例にみられるように)経営組織の形態が同じでも、劇的な変化がもたらされます。
 この精神はよく問うとみると、じつはきわめて倒錯的で非合理的です。けっして世俗的な目的を追求する合理性からうまれたのとは思えません。ではこの、営利活動を倫理的義務、すなわち「天職Beruf」とみなすような思想はどこにその源泉をもつのでしょうか。

 第3節 ルッターの天職概念
営利活動での資本増大を「天職」とみなすこの思想は、世俗の労働を「天職Beruf」と訳したルッターの宗教改革の精神に由来します。つまり彼は修道僧にしか通用しなかった「天職」の論理を世俗の仕事に適用したのです。しかし世俗労働を「天職」とみなすだけでは、「資本主義の精神」がもつ、資本の増大をたえず求める、あの駆り立てられるような心のありかたは生まれてきません。絶え間ない資本の増大へひとびとを駆り立てた起動力(Antireb)はどこにあったのかを知るために、プロテスタンティズムの禁欲思想にわけいることにしましょう。

 第2章 禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理
 第1節 世俗内的禁欲の宗教的基盤
禁欲的プロテスタンティズムの、主な担い手は、(1)カルヴィニズム、(2)敬虔派、(3)メソジスト派、(4)再洗礼派系の教派、に分けられます。
 とりわけ(1)カルヴィニズムの「予定説」、すなわち、人は救いと滅びのどちらかに予定されており、それは変更不可能であるという教えは、決定的な影響力をもちました。ピューリタン革命時のイギリスでまとめられた「ウェストミンスター信仰告白」にはこの教えが明記されていることからも、この教えが一般信者にとっても周知の教えだったことは明らかです。自信のない一般の信者が、救いに予定されていることの「証し」を求めるのは無理もないことでした。ルッターは世俗の労働も神から与えられた「天職」とみなしてよいとしていました。ですから修道院でおこなわれた合理的な禁欲的主義で世俗の労働を行うことが可能になっていました。カルヴァン派の人々はこの合理的・禁欲的な世俗の労働で「神の栄光」を増大させることに「救いの証し」を見いだそうとしました。
 こうした傾向は(2)敬虔派、(3)メソジスト派でも同様でした。ただ両派では感情的側面が強く、その分だけ合理的な禁欲が弱まっています。
 (4)再洗礼派系の教派の教義はこれとはちがいます。彼らは心正しき者だけから構成された「教会」を作り上げようとしました。心正しさは精霊がその者に宿ることで証明されます。ですから精霊が宿るのを妨げるような、人間の本能的で非合理的なものを克服しようとしました。その結果、合理的な禁欲主義をめざすことになったのです。
 こうしていずれの宗派の信徒も、神に召命された者であることの証しをもとめて、合理的で禁欲的な世俗労働へと駆り立てられたのです。

 第2節 禁欲と資本主義精神
プロテスタントでは牧師が信徒の相談にのり指導することを「司牧」(Seelsorge)といいます。ここでは、この司牧の活動からうまれた神学書、とくにバクスターの書いたものをとりあげます。この司牧(魂のみとり)は宗教的な教えが日常生活へ影響する際の仲立ちの役割をしているからです。
 プロテスタント、とくにカルヴェン派、の司牧では、「救いの証し」とされる「神の栄光」の増大は、有益な職業労働から生まれるとされました。そしてその職業の有益さは、結局、その職業がもたらす「収益性」(どれだけ儲かるか)で測かることができるとされるようになりました。しかも楽しみ事は徹底的に否定されました。その結果、儲けても、楽しみに使わず、さらに営利活動に投資してどんどん利潤を追求していくことが宗教的に奨励されたのです。しかもそうした経営者のもとには、仕事を「天職」とみなして必死になってはたらく勤勉な労働者さえも与えられたのです。
 しかし富が増大するにつれて宗教心はうすれていきます。その結果、フランクリンにみられた、倫理的ではあるが宗教色の消えた「資本主義の精神」、つまり営利による資本の増大を自分の倫理的な義務とみなす精神が生まれたのでした。
 こうしてつぎのことがあきらかにされました。すなわち、資本主義を構成する要素のひとつである、「天職」という考えのうえにたつ合理的な生活態度は、ルッターの「天職Beruf」という考えを前提にしてプロテスタント(新教徒)がみずからの「救いの証し」を合理的な禁欲で追求したことから、もたらされたのです。
 しかし現代においては資本主義はすでに自律的な自動運動をしており、もはやそれを生み出した精神の支えを必要とはしていません。私たちは、生命のない機械と生きている機械(官僚制)の運動のただ中に、巻き込まれていくばかりなのです。

(3)内容の再整理
 さてこうして「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のあらすじをのべたわけですが、ここでもう一度この作品の内容を整理しなおしてみましょう。
 この著作はしばしば西洋的合理化を述べた作品であるかのごとく語られます。しかし内容を要約すると、解明はおもに経済的な側面に向けられていることがわかります。
 社会の主流である経済体制が、「欲求充足」の経済体制から「営利」中心の資本主義体制に移行する。その移行、あるいは転換はどのように起きたのか、それにたいする宗教の働きが問題とされています。
 「欲求充足」の経済に適合的なのは「伝統主義」とよばれる、これまで通りの生活ができればいいとする精神です。それに対して、「営利」活動が中心となった資本主義は、もちろん伝統主義によって営まれることはあるにせよ、やはりそれに適合的なのは営利を自己目的とした「資本主義の精神」です。
 しかしこの「資本主義の精神」はそれ以前の「伝統主義」からは生まれたとは考えられません。伝統主義が「今生きてあること」(dasein)を大切にするのに、「資本主義の精神」は現在を犠牲にして果てしない彼方にあるものへ向かって駆けていく、そうした倒錯した精神だからです。
 そうした精神の由来を、ヴェーバーは修道院の禁欲主義に求めます。世俗を離れ、ただ神のみを想い、厳しい労働によって自分たちばかりか俗人たちの救済を作り上げていた修道士の活動の論理。この論理はどのように世俗へともたらされたのでしょうか。
 神からの呼びかけによって与えられた使命としての職業(Beruf) はそれまで、聖職のみに限定されていました。ですから修道僧の禁欲もあくまでも世俗の外の修道院に限定されたままでした。
 しかしルッターが、世俗の一般の仕事も、神からのお召しによる「職業」であるとみなしたことで、この修道院だけにあった禁欲主義は世俗へともたらされました。ちょうどレールを切り替えることで電車が引き込まれてくるように、禁欲主義は世俗の労働に適用可能になりました。
 その意味で、ルッターはレールを切り替える人、つなわち「転轍手」であるわけです。
 しかし世俗の仕事が「職業=使命」とみなされるだけでは、あの追いたれられるような、強迫的な労働は生まれません。
 それをもたらしたのは、カルヴァン派の宗教カウンセリング(「魂のみとり」)でした。彼らの「魂のみとり」(司牧)では、業績とか収益が「救いの証し」であるとみなされました。その結果、自分が救いに予定されているか不安な平信徒は、「救いの証し」をもとめて、いまや聖職と同格の「職業」と見なされるようになった世俗的労働にまい進することになったのです。
 図にまとめると次のようになるでしょう。
修道院の禁欲--------┐転轍
                ↓
伝統主義--→×  資本主義の精神   
    ∥        ∥ (適合)
欲求充足---------→営利

ルッターの転轍       :仕事を「職業=使命」とみなす
         「意味連関」:修道僧の禁欲的労働の論理が世俗労働をつかむ
 カルヴァン派の「魂のみとり」:収益を「救いの証し」とみなす 
         「感情連関」: 不安→証しの追求 心理的起動力が生まれる 

ルッターの転轍により、世俗労働=「職業」とルッターがみなしたことにより、修道院の禁欲の論理が世俗の労働をつかみます。人々は日常の仕事を、神から与えられた、神の意にそった「使命」としてはげみます。つまりあたらしい意味の連なり(意味連関)が世俗の労働をとらえたのです。
 カルヴァン派の魂のみとりは、収益・業績=「救いの証し」とみなしました。不安にあえぐ人たちは「証し」を求めて仕事(職業)にまい進しました。こうして禁欲的な労働の心理的な機動力がうまれたのです。収益をあげても救われるわけではありません。しかし一般の信徒は心理的に収益をあげて安心したいと思ったです。つまりここでは目的-手段の連関があるのではなくて、不安から労働するという、心理的な連なり(感情連関)があるわけです。
 くり返しになりますが、ここでは二つの「解釈がえ」があったわけです。
 ルッターは日常的な労働が「転職」として解釈しなおしました。その結果、聖職者の世界と俗人の世界の区分の廃絶され、聖職者(修道士)の論理が俗界への侵入してきました。しかしそれだけでは社会資本主義へ転換するには不十分でした。
 カルヴァン派では収益・業績が「救いの証し」と解釈されました。その結果世俗的労働にまい進する心理的機動力が生まれました。そうして、伝統主義が支配していた経済は、資本主義が支配する経済システムへと移行したのです
 つまり、伝統主義と結合していた伝統主義的経済(単純再生産)を、宗教的な合理的禁欲思想が捉える。その帰結として、伝統主義的経済システムから資本主義的経済システムへの移行がうまれたのです。
 ここでは新しい社会科学のアプローチが生まれています。つまり行為をする人間がその行為をどのような意味づけをしているのか、その意味づけをちゃんと解釈し理解することで、その行為はどのように社会を作り上げていく、あるいは社会を変革していくのかを説明しようとするアプローチです。これがヴェーバーの「理解社会学」というものなのです。(ヴェーバーはとりわけ後者の社会変革の方に関心があったように思われます)。
 
 さてヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』はプロテスタントの禁欲主義という、一見正反対のものから資本主義の精神が生まれたことを明らかにしました。それは彼の言い回しを使えばまさに「意図せざる結果」だったのです。ヴェーバーの発想は、資本主義を語る場合にも欲望や消費のだんだんに増大していくというような他の論者の発想とは異なります。いったんそれとは正反対の禁欲というものが張り込むことによって資本主義の発展は促進されたというのがヴェーバーの考えでした。ヴェーバーによれば近代とはこうした逆説的な逆転によってもたらされたのです。一見正反対なものがその発展をもたらす。惑星がいったん逆行してから順行していくようにヴェーバーのとらえる歴史発展は、ある傾向が順調に拡大発展していくのでなく、いわば逆説的な逆転が常にはらまれているのです。

 補足:逆転の構図 言及された小説から
 その際この倒錯に至る逆説的な発展とでも言うべきものが、この著作で言及されている2つの小説を比較することでよく見えてます。
 この論文のなかではヴェーバーは、プロテスタントの精神をうまく表した小説としてヴァニアンの『天路歴程』(1678) という小説を挙げています。この小説は滅びに予定されている都市に住んでいることを知った信徒が救いを求めて遍歴を続け、さまざまな誘惑と困難を乗り越えて天国へと行くという話だ。途中、信徒は「正直」と言う名の者と知り合い、仲間となってともに天国へと向かう。 
 さてこの小説に関して、ヴェーバーはゴットフリート・ケラーという作家の「三人の櫛細工人」という小説を思い出すと言っています。
 ケラー(Gottfried Keller1819‐90)という作家はスイスのゲーテと呼ばれた作家です。。
「三人の櫛細工人」という小説はスイス人の生活をユーモアをこめて批判的に扱った短編集《ゼルトウィーラの人々》(第1巻1856,第2巻1874)に納められています。
 この小説ではあるごうつくばりの櫛細工の親方のもとにいる三人の櫛細工人たちのことを描いています。職人たちは動きが取れない冬が終わると、このごうつくばりの親方のもとを去って遍歴していくのが常でした。しかしここにきまじめな三人の職人が登場する。彼らは親方にこき使われてろくなものも食べされられなくてもただもうまじめに働き小金をため込んでいる。職人をこき使って儲け、図に乗ったあげくの果てに散財してしまった親方は三人に親方株を売ることを持ちかける。三人は親方株を買うために小金をもっている高慢なハイミスをめぐって争奪戦を演じる。結局だれが彼女をものにするか決めるために、町はずれから町の親方の家まで競争することになる。スタートの時にハイミスは勝ってほしくない職人をわざと誘惑して出遅れさせた。出遅れた職人はゴールに向かうより彼女をものにしてしまった方が早いことに気づき、そうする。それに気づきもせず先にスタートした二人はお互いに相手を引っ張ったりこづいたりあげくのはてに殴り合いながらゴールを通過してついには町はずれまで駆けていく。二人がゴールに気づかず去った後に、ハイミスをものにした職人が親方の家に勝利者として入っていった。敗者となった職人のひとりは首をつり、もうひとりは失踪。親方になった職人は女房の尻に敷かれた人生を送ることになった、そういう話です。
 ヴェーバーは『天路歴程』の巡礼者が二人して話しながら天国へと向かっていく箇所が、この「三人の櫛細工人」を思い起こさせると書いています。
 『天路歴程』では二人の巡礼者が協力しあって天国というゴールにたどり着きます。『天路歴程』のある版にはつぎのような双六の絵のようなものが付いています。巡礼は渦巻きになって、最後は中心の天国で上がりとなります。
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「三人の櫛細工人」ではどうでしょうか。二人の職人は町の中心の親方の家を目指しています。しかしお互い妨害しながら進んでいったために、ゴールを通り過ぎてしまい、町はずれまで行ってしまうのです。
 こうしてみるとこの二つの話が、まるで写真のポジとネガのような関係になっていることが分かります。『天路歴程』では宗教心にみちた二人が語り合って中心に向かっていくのに対して、「三人の櫛細工人」では目的、それも本当の目的から離れ手段を目的と勘違いした目的をめざして、互いに足を引っ張り合いながら駆けていく。
 『天路歴程』から「三人の櫛細工人」への転換。それはどうして起こったのか。この逆転を説明することにこの作品はじつはなっているのです。
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by takumi429 | 2016-05-13 10:07 | 社会学史 | Comments(0)

3.テンニース『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』

3(改) テンニース 『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(1887)

まず前回の復習をかねて、NHK高校講座世界史『産業革命と社会問題』を見よう。

導入
ここに二人の孫、所くんと財全くんがいるとしよう。二人の祖父はともに東京大学を主席で卒業し、恩賜(おんし)の銀時計をもらった。
所くんは小さいころからおじいさんにこの懐中時計をみせてもらっていて触ったりしていた。いまはおじいさんからゆずられたこの時計は所くんの胸ポケットにいつもある。使っているうちにできた小さなへこみ、ねじを巻くときのぎりぎりという指先につたわる美振動、それらがすべてやさしいが凛とした祖父の姿を思い出せる。胸ポケットにコチコチを時を刻む音は祖父の鼓動のように感じされ、所くんの思い出のなかでおじいさんは今も生きている。
生前、ほとんど会うこともなく疎遠にしていた祖父がなくなり、その祖父の銀時計を形見分けとして相続することになった財全くん。さっそくネットでみたら1850000円の高値で販売されいた。ただすこし凹んだところがあり、箱もないので、これほどの高値にはならないだろうが、明日、さっそく骨董屋にもって行って鑑定してもらおうと思う。高値がついたらすぐに売って、新型のiPadを買うつもり。お金が余ったら、そうだなあ、フレンチでも家族で食べに行くかな。

所くんにとってこの銀時計は思い出の品であり、人にはゆずれない、そうした価値のある所有物(Besitz)である。
財全くんにとってはこの銀時計は、処分可能な財産(Vermoegen)であって、売って得たお金はいろんなことに使える。
前回、使用価値と交換価値というマルクスの二分類を見た。所くんにとってはこの銀時計は限りない使用価値をもっているが、財全くんにとっては、売ってなんぼの交換価値をもつものでしかない。
所くんとこの時計の関係は、思い出と代えがたさをもつだ。さらに所くんとおじいさんの関係は、思い出(記憶)と継承の代えがたい関係だ。この関係をおしひろげていくととどんな物と人、さらに人と人との世界がうまれていくだろうか。
また財全くんの時計の関係は、計算づくで、できるだけ高くうることで、お金に代え、できるだけ多く役立てて多くの満足をえることだ。また財全くんとおじいさんの関係は、なくなった人間とその相続人という法的な関係にすぎない。この関係を物と人、人と人に押し広げるとどんな世界がうまれてくるだろうか。

テンニースは、私たちの社会は、欲得づくの計算による選択的な関係であるゲゼルシャフトと、代えがたい記憶と愛着とからなる関係であるゲマインシャフト、の二つからなると考えた。

フェルディナンド・テンニース(Ferdinand Tönnies1855-1936)は、もともとホッブズ(Thomas Hobbes 1588-1679)の研究者として出発した。研究者としてはどの程度のレベルかというと、ホッブズの未発見の草稿をテンニースが発見し、いまでもホッブズ研究者がそれに依拠している。

ホッブズの描く人間社会は、人間と人間が争いあう世界である。
ホッブズが『リヴァイアサン』(1651)の述べた〈服従契約としての社会契約説〉はつぎのような三段論法からできています。
(1)人間には自分を守ろうとする、おのずからそなわった権利がある(自己保存への自然権)。しかしそうして自分を守ろうとする人間は自分を守るために他人を傷つけ殺すこともいとわない。その結果、放っておけば、人間が人間に対して、まるで「狼が狼に対するような」殺し合いの状態になってしまう(〈暴力的死の恐怖〉の中で向き合う自然状態)。
(2)これでは人間同士討ちになってしまいかねない。そこで人々は、自分を守るための手段(暴力・武器など)を、ある特定に人間に預けることにし、それを互いに約束(契約)して、そうしてこの同士討ちをさけようとする。
(3)その特定の人間は、暴力手段を預けられることで、人々を自由に支配する力(主権 sovereignty)を持つ。主権をもつ人間へ服従することで、ひとびとは互いに殺し合うことなく、自分たちを守ることができるようになる。ここに、特定の人間にひとびとが服従している状態、つまりひとつの国家ができあがる。
ホッブズの社会契約説とは、他の契約説と同じく、あらゆる社会関係をいったん解体し、
自己の保存を追求する個人から社会を構成しなおそうという、思考実験です。しかしこの思考実験は決して思考の内部にとどまるものではありませんでした。それは現実の社会関係の解体と再構築に対応していたのです。
ホッブスの社会理論はユークリッド的な公理体系をめざした。
このホッブズの社会哲学にたいしてテンニースはその処女作『ホッブズ哲学注解』(Anmerkung ueber Philosophie des Hobbes)のなかでテンニースはつぎのように述べています。
「定義と公理から推論され証明される幾何学とその確かさにおいて同等になること、それは学問に可能だろうか、あるいはどうしたら可能であろうか。これが認識理論の中心問題であった。トーマス・ホッブズは新しきヨーロッパでこの問題を解こうと努力した最初のひとりであった」(Vierteljahrsschrift fuer Wissenschaftliche Philosophie 3 (1879) S.461)。
 ユークリッド幾何学は23の定義と5つの公理からその全体系を論理的に構築しています(こういう理論体系を「公理系」といいます)。テンニースによればホッブズの哲学は、このユークリド幾何学的な構成をもつ社会哲学です。

テンニースはホッブズの描く社会は、まさに資本主義の社会にほかならないと考えた。
カナダの政治学者クロフォード・マファーソンはその著『所有的個人主義の政治理論』で、ずばり、「所有的市場社会」にほかならないと指摘します(邦訳77頁) 。自分を守る、ということがすぐに、他人を損なう、ということにはなるわけではありません。それがホッブスが描くように、自分を守ることが他人から奪うことになる、というのは、人間が互いに「取ったり取られたり」の関係にある、つまり、自分の取り分を増やすためには他人の取り分をへらすしかない、という関係にあるということです。マクファーソンはそういう関係があるのは、人間が、互いの持っている(所有している)ものを(市場で)売り買いし合っているような社会、自分が儲けることが他人の損になるような社会、つまり「所有的市場社会」 にほかならない、と指摘します。。ホッブズの『リヴァイアサン』は、所有的市場における「自然状態」を克服するものとしての国家(リヴァイアサン)つまり市場における闘争から国家が要請されていくことを、ユークリッド幾何学のように、公理と定義から積み上げるように記述しようとしたものだったのです。
それは市場社会の社会幾何学だったといえるでしょう。

テンニースは、私たちの社会には、資本主義とそれを補い支える社会体制とは別の社会があると考え、それをゲマインシャフトとよんだ。
テンニースによれば、ゲマインシャフトとは肉親・家族や古くからの町のことで、そこでは親身な関係が支配しています。それに対して、ゲゼルシャフトとは、会社や大都会のような、欲得ずくの関係が支配している人びとの集まりです。
 テンニースは、人間が作る結合体には2つの類型があるとします。ゲマンシャフトは、本質意志による 有機的な(organish) 結合体であり、ゲゼルシャフトとは、選択意志による 機械的な(mechanish) 結合体であるといいます。ここでいう、「本質意志」とは、思惟をふくむ意志、生の統一性原理であり、「選択意志」とは、目的にふさわしいかを考えてものを選んでいる意志です 。ようするに、ゲマインシャフトがほかではありえないような気持ちでつながっている集団や関係であるのに対して、ゲゼルシャフトとは、欲得づくの計算によってつながっている集団や関係といえるでしょう。

テンニースは、人間機械論から社会の論理まで組み上げたホッブズの手法をつかって、本質意思から論理的にゲマインシャフトを組み上げようとした。
テンニースは2類型の集団結合の基礎となる、人間の意志についての2類型をあげます。すなわち、「本質意志」(思惟をふくむ意志、生の統一性原理)と、「選択意志」(意志をふくむ意志そのものの産物)です。
この意志論にもとづいてあるべき社会の基本となる、人と物と法的な関係がうまれます。
ゲマインシャフトゲゼルシャフト
本質意志 選択意志
おのれ(Selbst)人格(Person)
占有(Besitz)財産(Vermoegen)
土地 貨幣
身分権債権

テンニースのゲマインシャフトには、国家を家族や民族よって粉飾・美化しようという意図はなく、国家はあくまでもゲゼルシャフトにすぎない。
重要なのはテンニースが国家を民族を体現したものとはみなしていないことです。
「国家(Staat)は二様の性格を有する。まず第一に、国家は普遍的ゲゼルシャフト的結合である。・・・第二に、国家はゲゼルシャフトそのもの、換言すれば、ここの理性的ゲゼルシャフト的主体という観念と共に与えられる社会的理性である」(179-80頁)。
「国民国家(nationaler Staat)の形成は無限に拡大するゲゼルシャフトの一時的に限定されたものにすぎない」(189頁)。 
 つまり、テンニスにはいわゆるナショナリズムにみられるような、民族と国家を同一視するような指向はないのです。ふつうナショナリズムにおいては、過去の幻影が民族の形をとって現在の国家体制を正当化するものとして要請されます。しかし、ホッブスの社会幾何学に習って、社会集団の2類型を幾何学的に積み上げ明晰に構成したテンニースにとって、国民国家を「民族」の名の下に正当化することは許されないのです。

ナチズムが、「民族共同体」(フォルクス・ゲマインシャフト)の名の下に、その独裁を正当化し美化しようとしたとき、テンニースは憤然とそれを批判して公的場面をさった。

テンニースは、社会のありようを、ホッブズとマルクスがとらえたゲゼルシャフトだけでなく、ゲマインシャフトという原理から、社会を、構築的にとらえかえそうとした。
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by takumi429 | 2016-05-05 21:44 | 社会学史 | Comments(0)

3.テンニース ゲゼルシャフト化としての近代

3.ゲゼルシャフト化としての近代 テンニース 


1.「個体発生は系統発生を繰り返す」(ヘッケル)
親身ではあるが、しかし暑苦しくもある、故郷の街から、この冷たい大都会へ来た。ここでは毎朝、カラスがわが物顔で路上に舞い降り、ゴミ袋から生ごみでついばんでいる。気づくと今日一日、定食屋で「ランチ」でひと言いったきりだ。夜のコンビニに行き、雑誌を立ち読みし、缶コーヒーを買い、店員の娘に「ありがとうございました」とマニュアルどおりの言葉をかけてもらうだけが救いの毎日が続いている。
 この個人的な経験は私だけのものだろうか。ひょっとしたら社会のみんなが経験していることではないのか。そう考えたとき、私たちはテンニースの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(1887年)という著作に出会うことになります。

2.ゲマインシャフトとゲゼルシャフト
テンニースによれば、ゲマインシャフトとは肉親・家族や古くからの町のことで、そこでは親身な関係が支配しています。それに対して、ゲゼルシャフトとは、会社や大都会のような、欲得ずくの関係が支配している人びとの集まりです。
 テンニースは、人間が作る結合体には2つの類型があるとします。ゲマンシャフトは、本質意志による 有機的な(organish) 結合体であり、ゲゼルシャフトとは、選択意志による 機械的な(mechanish) 結合体であるといいます。ここでいう、「本質意志」とは、思惟をふくむ意志、生の統一性原理であり、「選択意志」とは、目的にふさわしいかを考えてものを選んでいる意志です 。ようするに、ゲマインシャフトがほかではありえないような気持ちでつながっている集団や関係であるのに対して、ゲゼルシャフトとは、欲得づくの計算によってつながっている集団や関係といえるでしょう。

3.印象批評風社会理論
してみると、私たちはゲマインシャフトの人間関係からゲゼルシャフトの人間関係の社会へと出てきたわけです。私たちが身の回りの社会に感じる「温度差」のようなもの、そうした時代の感性を受け止めるものとして、テンニースの理論はひとまずあるといえるでしょう。
 しかし、「温度差」だけで、現在と過去を語るのは、「最近はさあ・・・」、「昔はさあ・・・」とか、「今のひとは・・・」、「昔のひとは・・・」という、印象で社会や時代と語りがちになります。テンニースの理論を「なんとなく、こういう傾向があるよね」という、「傾向論」にすぎないのではないか、という批判を、中根千枝が『タテ社会の人間関係』 でしたのは有名です。
 こうした傾向による印象批評は、「温度差」から、勝手に「過去」というものを作り上げがちです。たとえば、最近の離婚率の上昇から、昔の人は離婚なんてしなかったという話をしたがりますが、明治期の日本というのは、世界でも有数の離婚大国でした。少年犯罪が目につくから、昔は少年犯罪なんてなかったみたいな言い方がされたりしますが、戦争直後の少年犯罪の方がずっと多かったのです。
 こうした印象批評による社会論もどきは、かってに「過去」を作り上げるばかりか、「もともとは・・・」、「本来の日本は・・・」、「古来私たちの社会は・・・」などという、過去にたいする幻想をつくりあげ、それをつかって現在を断罪し、「美しき・・・に帰れ」と声高に語ったりしがちです。
 でははたしてテンニースの理論はそういう印象批評風な社会理論もどきのものなのでしょうか。ここで、テンニースとこの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』の成立と内容についてもうすこし見てみる必要があるでしょう。

4.テンニースのホッブズ 研究
『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』を書いたテンニースはどんな経歴の学者だったのでしょうか。
テンニースはもともとホッブズ(Thomas Hobbes 1588-1679)の研究者として出発しました。
ホッブズが『リヴァイアサン』(1651)の述べた〈服従契約としての社会契約説〉はつぎのような三段論法からできています。
(1)人間には自分を守ろうとする、おのずからそなわった権利がある(自己保存への自然権)。しかしそうして自分を守ろうとする人間は自分を守るために他人を傷つけ殺すこともいとわない。その結果、放っておけば、人間が人間に対して、まるで「狼が狼に対するような」殺し合いの状態になってしまう(〈暴力的死の恐怖〉の中で向き合う自然状態)。
(2)これでは人間同士討ちになってしまいかねない。そこで人々は、自分を守るための手段(暴力・武器など)を、ある特定に人間に預けることにし、それを互いに約束(契約)して、そうしてこの同士討ちをさけようとする。
(3)その特定の人間は、暴力手段を預けられることで、人々を自由に支配する力(主権 sovereignty)を持つ。主権をもつ人間へ服従することで、ひとびとは互いに殺し合うことなく、自分たちを守ることができるようになる。ここに、特定の人間にひとびとが服従している状態、つまりひとつの国家ができあがる。
ホッブズの社会契約説とは、他の契約説と同じく、あらゆる社会関係をいったん解体し、
自己の保存を追求する個人から社会を構成しなおそうという、思考実験です。しかしこの思考実験は決して思考の内部にとどまるものではありませんでした。それは現実の社会関係の解体と再構築に対応していたのです。
 このホッブズの社会哲学にたいしてテンニースはその処女作『ホッブズ哲学注解』(Anmerkung ueber Philosophie des Hobbes)のなかでテンニースはつぎのように述べています。
「定義と公理から推論され証明される幾何学とその確かさにおいて同等になること、それは学問に可能だろうか、あるいはどうしたら可能であろうか。これが認識理論の中心問題であった。トーマス・ホッブズは新しきヨーロッパでこの問題を解こうと努力した最初のひとりであった」(Vierteljahrsschrift fuer Wissenschaftliche Philosophie 3 (1879) S.461)。
 ユークリッド幾何学は23の定義と5つの公理からその全体系を論理的に構築しています(こういう理論体系を「公理系」といいます)。テンニースによればホッブズの哲学は、このユークリド幾何学的な構成をもつ社会哲学です。

5.所有をめぐる闘争
ホッブスは、人と人の争いが、「狼が狼に対するような」殺し合いの争いであるとしました。しかし、動物は決して、同一種同士では殺し合いません。狼は狼を殺しませんし、ライオンはライオンを殺しません。殺すのは他の種類の動物であって、同じ種に属する動物は、縄張り争いはすることがあっても殺しあうということはありません。多くの場合、負けた相手は自分の急所を相手にさしだすことでその争いはストップします(ローレンツ『攻撃』)。同じ種でありながら殺しあうのは、人間だけです。殺し合いというのは、きわめて「人間的」な行為なのです。人間がもつ動物的な資質から、この殺し合いは説明できません。むしろ、人間が本来の動物であったものから逸脱してしまったからこそ、この殺し合いはうまれたのです。
 しかし、殺し合いをする人間とはいえ、同じ集団内部の人間を殺すよりも、外部の、別の集団や共同体の人間を殺すことの方が多かったはずです。ところがホッブスの説く人間の「殺し合い」の闘争は、そういった外部の人間だけでなくて、万人が万人にたいしておこなう闘争をさしています。こう考えてみると、この「万人の万人に対する戦争状態」とは、動物的なものでも、古来からのものでもなく、17世紀に社会に生まれてきた新しい事態だったと言わざるをえません。
この、「守るために殺し合う」新しい社会とは何だったのか。カナダの政治学者クロフォード・マファーソンはその著『所有的個人主義の政治理論』で、ずばり、「所有的市場社会」にほかならないと指摘します(邦訳77頁) 。
 自分を守る、ということがすぐに、他人を損なう、ということにはなるわけではありません。それがホッブスが描くように、自分を守ることが他人から奪うことになる、というのは、人間が互いに「取ったり取られたり」の関係にある、つまり、自分の取り分を増やすためには他人の取り分をへらすしかない、という関係にあるということです。マクファーソンはそういう関係があるのは、人間が、互いの持っている(所有している)ものを(市場で)売り買いし合っているような社会、自分が儲けることが他人の損になるような社会、つまり「所有的市場社会」 にほかならない、と指摘します。
 市場社会では、売り買いは身分や家柄とは関係なく自由にされます。それだけに過酷な、取ったり取られたり(自分の儲けは相手の損)の世界です。また、売り買いされるには、その物がその人間の一部であっては売りようがありません。そうではなくて、あくまでもその人間がいまたまたま持っている(所有している)だけで、だからこそ、売り買いできるわけです。お気に入りのペンや先祖代々の茶碗をまるで自分の分身のように、後生大事にかかえこんでいるのではなくて、それがいくらの値段で売れるか、高く売れるなら売ってしまおう、高く売れるからこそ大事にしよう、そう考えるようになる。つまり、売り買いのことを常に考えながら、品物を持っている(所有している)ような社会、それが所有的市場社会なわけです。つまりマルクスのいう「交換価値」が支配的になって社会のあらゆる時と場所に浸透しているような、そんな社会のことです。
つまり、ホッブズの描いた、万人の万人に対する戦争状態とは、じつは資本主義の前提となる所有的市場社会が支配的となった社会だったのです。ホッブズの『リヴァイアサン』は、所有的市場における「自然状態」を克服するものとしての国家(リヴァイアサン)つまり市場における闘争から国家が要請されていくことを、ユークリッド幾何学のように、公理と定義から積み上げるように記述しようとしたものだったのです。それは市場社会の社会幾何学だったといえるでしょう。

6.『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』再読
以上のことをふまえてテンニースの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』を読んでみましょう。
第1篇 主要概念の一般的規定
ここでは、2つの概念の一般規定がなされます。
主題:「人間の意志(Will)は、相互にさまざまな関係を結んでいる」(34頁)
結合体(Verbinding)とは、肯定的な関係によって構成される集団で、つぎの2つです。
 ゲマンシャフトは、現実的(real)で 有機的な(organish) 生(Leben)であり、
 ゲゼルシャフトは、観念的(ideal)で 機械的な(mechanish) 形成(Bildung)です。
第1章 ゲマインシャフトの理論
ここでは、出生、母子関係、夫婦関係、兄弟、父子関係、享楽と労働、場所のゲマインシャフト…とつみあげていきます。
 ここで注目すべきなのは、「都市」Stadt が、ゲマインシャフトにいれられていることです。ドイツは統一が遅れ、数百の領邦国家から成り立っていました。その国家がそれぞれの首都をもっていました。そうした小さくとも(たとえばワイマールのように)首都であった都市は文化の中心地でもありました。また多くの大学町(たとえばチュービンゲン・ハイデルベルクなど)も存在し、それも高い文化水準をもっていました。ドイツにはそうした文化的なまとまりと洗練度をほこる小都市が今もいくつもあるのです。
 第2章 ゲゼルシャフトの理論
ここでの記述は、基本的にマルクスが『資本論』で語っている内容と大差ありません 。交換、交換価値(ゲゼルシャフト的価値)、貨幣、所有と契約、市民社会(万人すべて商人)
労働者、資本家、商品市場と労働市場、階級へと記述がすすんでいきます。早い話が資本主義が支配する社会関係をのべたものといえます。

第2篇 本質意志と選択意志
ここではこの2類型の集団結合の基礎となる、人間の意志についての2類型が論じられます。すなわち、「本質意志」(思惟をふくむ意志、生の統一性原理)と、「選択意志」(意志をふくむ意志そのものの産物)です。
1-9章は、本質意志のさまざまな形式を述べています。すなわち、気に入り、習慣、記憶などなど、盛りだくさんです。
10章は、選択意志についてこう述べています。
「思惟された目的すなわち追求されるべき対象とか望まれた事象によって、つねにまず尺度が与えら得れ、この尺度にしたがって、企画されるべき活動が規定され、方向を与えられる。否それどころか---完全な場合には---目的に関する考えが、他の一切の考えや、思慮、したがって任意に選択される一切の行為を支配するのである。これら一切の思慮や行為は、目的に役立ち、目的に通ずるものでなければならない」(196頁)。早い話が「目的手段的な合理性」が支配するということです。さらにゲゼルシャフトは「計算可能な」関係世界だということです。
 そのあと、両者を比較し、39章で、「本質意志がゲマインシャフトの諸条件をみずからのうちに有していること、および選択意志がゲゼルシャフトを生じせしめる」(下68頁)とまとめています。
 第3篇 自然法 の社会学的基礎
 ここでは、意志論にまでさかのぼった上で、その意志論にもとづいてあるべき社会の基本となる法の体系を構築しようとしています。


ゲマインシャフト     ゲゼルシャフト
本質意志         選択意志
おのれ(Selbst)     人格(Person)
占有(Besitz)      財産(Vermoegen)
土地            貨幣
身分権          債権
   
第3章 結合された意志の諸形式
ここでは、本質意志と選択意志がそれぞれ結合されていかなる社会が形成されるかの考察しています。本質意志の結合の拡大は民族にいたる、のに対して、選択意志の結合の拡大は国家にいたる。ここで重要なのはテンニースが国家を民族を体現したものとはみなしていないことです。
「国家(Staat)は二様の性格を有する。まず第一に、国家は普遍的ゲゼルシャフト的結合である。・・・第二に、国家はゲゼルシャフトそのもの、換言すれば、ここの理性的ゲゼルシャフト的主体という観念と共に与えられる社会的理性である」(179-80頁)。
「国民国家(nationaler Staat)の形成は無限に拡大するゲゼルシャフトの一時的に限定されたものにすぎない」(189頁)。 
 つまり、テンニスにはいわゆるナショナリズムにみられるような、民族と国家を同一視するような指向はないのです。ふつうナショナリズムにおいては、過去の幻影が民族の形をとって現在の国家体制を正当化するものとして要請されます。しかし、ホッブスの社会幾何学に習って、社会集団の2類型を幾何学的に積み上げ明晰に構成したテンニースにとって、国民国家を「民族」の名の下に正当化することは許されないのです。
 最後にテンニースは、結論と概観をしてこの本を締めくくっています。

7.社会幾何学の意味
こうして再読してみると、テンニースはマルクスの資本主義論とホッブスの市場社会の社会幾何学を結合させて、ゲゼルシャフトの理論を構築したことがわかります。そのうえで、それと対置されるべきゲマインシャフトの理論を、人間の本質意志から構築したのでした。テンニースのオリジナリティは、ゲマインシャフト論の構築にあります。彼は、資本主義化による社会の混乱を、資本主義=市場社会の原理とはことなる社会の構成原理(本質意志によるゲマインシャフトの関係)を提示することで、解決しようとしたのです。
 それは中根千枝の批判するような「傾向」論とはまるでちがう、きわめて構築的なものでした。そして、「温度差」や「傾向」から社会を論じる印象批評的社会論が、過去の幻想を作り上げ、その幻想、とりわけ民族幻想を用いることで、(たとえばナチズムのように)現在の国家の矛盾と権力闘争を隠蔽し正当化することにたいして、きっぱりと手を切ることができたのです。 
8.差異の形成
テンニースの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』は、こうしたすぐれた明晰な理論形成によるものでした。しかし、それでも私たちはあえて異論を提起したいと思います。
 テンニースの理論において、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトは併存しており、また社会の全体的方向は、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへと向かっているとされています。
 しかし、ゲマインシャフトというのは、じつはゲゼルシャフトの関係が支配的になること(ゲゼルシャフト化)によって生まれてきたのではないでしょうか。
 たとえばゲマインシャフトの代表としてあげられる家族は、きわめて融和的な関係にとらえられています。しかし、実際の「家」にはもっと計算づくの関係ではなかったのか、愛情によって家族をとらえようとするのはきわめて近代的な発想ではないのか。社会がゲゼルシャフト化してくるにつれ、それを補完するものとして「家」は情緒的な「家族」へと変質していったのではないのか。
 社会のゲゼルシャフト化が、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの二分化をうみだしたのではないのか。テンニースが掲げる、ゲマインシャフト/ゲゼルシャフトという差異じたいが、じつはゲゼルシャフト化、すなわち資本主義化の運動によってもたらされたのではないか。そしてこのゲマインシャフト/ゲゼルシャフトという差異がもつ、いわば温度差が、資本主義のエネルギーとなっているのではないか。ちょうど親密性が支配する家族が市場的な資本主義関係を補完するものであるように。近代という時代は、計算づくの関係を生み出すと同時に、計算づくでないような欲得なしの親密な関係を生み出す。計算尽くの関係は計算尽くでない関係に補完されつつ存在しているのではないのか、そうかんがえられるのです。

9.差異の消失:近代から現代へ
故郷に帰った私たちを待っているのは、東京と変わりばえしない安っぽい駅前の風景です。故郷の人びとは車を飛ばし、カラオケに興ずる。美しかった田畑は休耕地となって雑草だらけ、魚が群れていた川は護岸工事のために排水路のようになり、裏山には産業廃棄物が山積みになっている。父の遺産のもとは二束三文だった山の土地はリゾート開発で高騰し、一家の者はそれを奪い合う。故郷の町はシャッター街となって、パチンコ屋だけがけたたましい。故郷の親戚は、パチンコ屋とカラオケ屋を車で行き来する生活のなかで、地方のなけなしの最後の富が吸い上げられていく。帰省に疲れ果てて、都会の我が家に帰ってみれば、そこではばらばらの食事、たまに一緒にいると、たがいの顔をみることもなく、スマートフォンの画面を見つめている。
 今日、顕著になっているのは、計算ずくの世界に疲れた我々が帰って行くべきとされ
た世界、ゲマンインシャフト的な世界が、次々と浸食され剥奪されていく風景なのではないでしょうか。
 もはやゲマインシャフトはゲゼルシャフトの外部(他者)として存在するのではない。
ゲマンインシャフト的世界はゲゼルシャフト化によって浸食され崩壊ししつある。
 二項対立の差異により維持された近代そのものが、じょじにみずからの足もとを堀崩していく、それが、現代というものの基調であるように思われるのです。
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by takumi429 | 2016-05-05 18:11 | 社会学史 | Comments(0)

2.マルクス 資本主義としての近代(1)

 2.マルクス 資本主義としての近代

 私たちが生きているこの社会環境(近代社会)とはどんな社会なのか。その診断としてもっとも有名でかついまだ影響力の強いのは、カール・マルクス(Karl Marx 1818 - 1883)のくだした診断です。マルクスによれば、近代社会とは資本主義に支配された社会です。
 この資本主義においてはどのようなことが起きているのか。まず、ある短い小説を読んでみることにしましょう。

 セメント樽の中の手紙
 葉山嘉樹(はやまよしき)(1926年)
 松戸与三はセメントあけをやっていた。外の部分は大して目立たなかったけれど、頭の毛と、鼻の下は、セメントで灰色に蔽(おお)われていた。彼は鼻の穴に指を突っ込んで、鉄筋コンクリートのように、鼻毛をしゃちこばらせている、コンクリートを除(と)りたかったのだが一分間に十才ずつ吐き出す、コンクリートミキサーに、間に合わせるためには、とても指を鼻の穴に持って行く間はなかった。
 彼は鼻の穴を気にしながら遂々(とうとう)十一時間、――その間に昼飯と三時休みと二度だけ休みがあったんだが、昼の時は腹の空(す)いてる為めに、も一つはミキサーを掃除していて暇がなかったため、遂々(とうとう)鼻にまで手が届かなかった――の間、鼻を掃除しなかった。彼の鼻は石膏(せっこう)細工の鼻のように硬化したようだった。
 彼が仕舞(しまい)時分に、ヘトヘトになった手で移した、セメントの樽(たる)から小さな木の箱が出た。
「何だろう?」と彼はちょっと不審に思ったが、そんなものに構って居られなかった。彼はシャヴルで、セメン桝(ます)にセメントを量(はか)り込んだ。そして桝(ます)から舟へセメントを空けると又すぐその樽を空けにかかった。
「だが待てよ。セメント樽から箱が出るって法はねえぞ」
 彼は小箱を拾って、腹かけの丼(どんぶり)の中へ投(ほう)り込んだ。箱は軽かった。
「軽い処を見ると、金も入っていねえようだな」
 彼は、考える間もなく次の樽を空け、次の桝を量らねばならなかった。
 ミキサーはやがて空廻(からまわ)りを始めた。コンクリがすんで終業時間になった。
 彼は、ミキサーに引いてあるゴムホースの水で、一(ひ)と先(ま)ず顔や手を洗った。そして弁当箱を首に巻きつけて、一杯飲んで食うことを専門に考えながら、彼の長屋へ帰って行った。発電所は八分通り出来上っていた。夕暗に聳(そび)える恵那山(えなさん)は真っ白に雪を被(かぶ)っていた。汗ばんだ体は、急に凍(こご)えるように冷たさを感じ始めた。彼の通る足下(あしもと)では木曾川の水が白く泡(あわ)を噛(か)んで、吠(ほ)えていた。
「チェッ! やり切れねえなあ、嬶(かかあ)は又腹を膨(ふく)らかしやがったし、……」彼はウヨウヨしている子供のことや、又此寒さを目がけて産(うま)れる子供のことや、滅茶苦茶に産む嬶の事を考えると、全くがっかりしてしまった。
「一円九十銭の日当の中から、日に、五十銭の米を二升食われて、九十銭で着たり、住んだり、箆棒奴(べらぼうめ)! どうして飲めるんだい!」
 が、フト彼は丼の中にある小箱の事を思い出した。彼は箱についてるセメントを、ズボンの尻でこすった。
 箱には何にも書いてなかった。そのくせ、頑丈(がんじょう)に釘づけしてあった。
「思わせ振りしやがらあ、釘づけなんぞにしやがって」
 彼は石の上へ箱を打(ぶ)っ付けた。が、壊われなかったので、此の世の中でも踏みつぶす気になって、自棄(やけ)に踏みつけた。
 彼が拾った小箱の中からは、ボロに包んだ紙切れが出た。それにはこう書いてあった。

 ――私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕器(クラッシャー)へ石を入れることを仕事にしていました。そして十月の七日の朝、大きな石を入れる時に、その石と一緒に、クラッシャーの中へ嵌(はま)りました。
 仲間の人たちは、助け出そうとしましたけれど、水の中へ溺(おぼ)れるように、石の下へ私の恋人は沈んで行きました。そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細い石になって、ベルトの上へ落ちました。ベルトは粉砕筒(ふんさいとう)へ入って行きました。そこで鋼鉄の弾丸と一緒になって、細(こまか)く細く、はげしい音に呪(のろい)の声を叫びながら、砕かれました。そうして焼かれて、立派にセメントとなりました。
 骨も、肉も、魂も、粉々になりました。私の恋人の一切はセメントになってしまいました。残ったものはこの仕事着のボロ許(ばか)りです。私は恋人を入れる袋を縫っています。
 私の恋人はセメントになりました。私はその次の日、この手紙を書いて此樽の中へ、そうと仕舞い込みました。
 あなたは労働者ですか、あなたが労働者だったら、私を可哀相(かわいそう)だと思って、お返事下さい。
 此樽の中のセメントは何に使われましたでしょうか、私はそれが知りとう御座います。
 私の恋人は幾樽のセメントになったでしょうか、そしてどんなに方々へ使われるのでしょうか。あなたは左官屋さんですか、それとも建築屋さんですか。
 私は私の恋人が、劇場の廊下になったり、大きな邸宅の塀(へい)になったりするのを見るに忍びません。ですけれどそれをどうして私に止めることができましょう! あなたが、若し労働者だったら、此セメントを、そんな処に使わないで下さい。
 いいえ、ようございます、どんな処にでも使って下さい。私の恋人は、どんな処に埋められても、その処々によってきっといい事をします。構いませんわ、あの人は気象(きしょう)の確(しっ)かりした人ですから、きっとそれ相当な働きをしますわ。
 あの人は優(やさ)しい、いい人でしたわ。そして確かりした男らしい人でしたわ。未(ま)だ若うございました。二十六になった許(ばか)りでした。あの人はどんなに私を可愛がって呉れたか知れませんでした。それだのに、私はあの人に経帷布(きょうかたびら)を着せる代りに、セメント袋を着せているのですわ! あの人は棺(かん)に入らないで回転窯(かいてんがま)の中へ入ってしまいましたわ。
 私はどうして、あの人を送って行きましょう。あの人は西へも東へも、遠くにも近くにも葬(ほうむ)られているのですもの。
 あなたが、若(も)し労働者だったら、私にお返事下さいね。その代り、私の恋人の着ていた仕事着の裂(きれ)を、あなたに上げます。この手紙を包んであるのがそうなのですよ。この裂には石の粉と、あの人の汗とが浸(し)み込んでいるのですよ。あの人が、この裂の仕事着で、どんなに固く私を抱いて呉れたことでしょう。
 お願いですからね。此セメントを使った月日と、それから委(くわ)しい所書と、どんな場所へ使ったかと、それにあなたのお名前も、御迷惑でなかったら、是非々々お知らせ下さいね。あなたも御用心なさいませ。さようなら。

 松戸与三は、湧(わ)きかえるような、子供たちの騒ぎを身の廻りに覚えた。
 彼は手紙の終りにある住所と名前を見ながら、茶碗に注いであった酒をぐっと一息に呻(あお)った。
「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打(ぶ)ち壊して見てえなあ」と怒鳴った。
「へべれけになって暴(あば)れられて堪(たま)るもんですか、子供たちをどうします」
 細君がそう云った。
 彼は、細君の大きな腹の中に七人目の子供を見た。
(大正十五年一月)

 すぐれた作品なので、あえて全文を引用しました。この小説は教科書にも採用されているので、お読みになったかたも多いでしょう。プロレタリア文学の傑作と言っていい短編です。
 実際に、粉砕機のなかに人が飲み込まれてしまったら、コンクリートの質が落ちますから、機械を止めるにちがいありません。ですから、この話はあくまでもフィクション(作り話)です。にもかかわらず、読み手にずっしりとしたリアリティを感じさせるのは、作者の葉山嘉樹が実際にセメント工場で働き、その体験のなかで、資本主義における労働というものを、理屈だけでなく体で理解しているからです。
 労働者の命がセメントになるというのは、粉砕機に飲み込まれた青年だけではありません。鼻にコンクリートの粉がつまって徐々に鼻がコンクリートになっていく主人公もまたコンクリートへとその生命を変質させているのです。そして彼らの命はコンクリートにかえられ、それを生み出した労働者のあずかり知らぬところへと、商品として、売られていくのです。
 主人公が休むどころか鼻をかくひまもなく働いても、支払われるのは、自分と家族を維持するぎりぎりの賃金でしかありません。労働者は酒を飲んで余暇を楽しみむこともできません。わずかな賃金で、自らの労働力を再生産し、かつ子どもをつくることで、次世代の労働力を再生産するのです。

 こうした労働のあり方というのはもう過去のものなのでしょうか。いえ、そうとはいえないように思えます。森岡孝二の『過労死は何を告発しているのか 現代日本の企業と労働』(岩波書店2013年)を読んでみると、欧米先進国が週40時間ちょっとの労働時間に対して、日本の労働者は正社員で53時間も働いており、その中で、過労死や過労自殺に追いやられていることがわかります。この小説の現実は、こと日本に限ってみれば今だに続いていると言えるのです。
 ここで、「資本主義」というものを、すこしこの小説の読書感に近づけて定義してみましょう。
 資本主義とは、
 生産の現場で、労働者は命をけずって物を作っている。彼らの生命は生産物となる。だがその生産物は、すべて資本家のものとなり、市場で商品として切り売りされる。労働者がその品物にどんな思い入れを込めようと、それは商品となり、いくらで売れるか、お金(貨幣)で、その価値は計られる。こうして労働者の働きは、金(貨幣)で売り買いされる商品にされる。また資本家も、お金(資本)を増やすように命じられており、それに失敗すれば倒産するほかはない。つまり、資本家は、「人格化された資本」das personilizierte Kapital であって、拡大を続けようとする資本(お金)に操られた人形である。こうした、命をけずり切り売りするしかない労働者と、その労働者を雇い資本を増大することを絶対命令として経営する資本家との関係が、社会の支配的基調となっている社会、それを「資本主義」と呼ぶ。

 商品の世界 
 資本主義では、マルクスが『資本論』(第1巻1967年)の冒頭でいったように、社会の富は「とほうもない商品のあつまり」 として、現れます。みなさんも、巨大なショッピング・モールやデパートに行った時のことを思ってください。膨大な数の商品がきらびやかに輝きながら私たちを迎え、わたしたちに「豊かさ」の世界へと誘ってくれます。
 あらゆるものが、「商品」として現れる。その気になればそれを「買うことができる」。品物だけでなく、若さも美さえも、成長ホルモンなどのアンチエイジングの薬を買い、スポーツジムの会員になって加圧トレーニングを受ける、それでもだめなら整形手術を受ければ、手に入る。幸福さえ、金があれば手に入る。貧乏は体だけでなく心まで蝕みます。「良い性格」は豊かな恵まれた生活のなかで育まれます(それを理解できない人は苦労をしたことがない人です)。若さも美しさも幸せも健やかな生活も心も、すべて金さえあれば「手に入れることができる」。それがあらゆる「豊かさ」が「商品」として現れている資本主義の世界です。
 市場社会の奇妙な等号
 さてこの商品世界ではひとつの奇妙な等号があります。
 いま、あなたが、お父さんの形見の万年筆を、質屋かどこかで、売ろうとしたとします。あなたがお父さんの形見の万年筆を使っているといくつも思い出がよみがえってくることでしょう。少々引っかかりのあるその筆感さえ、味わい深いものであるかもしれません。しかし、それを売ろうとすると、とたんに、たとえば、「150円」というような値段が付けられます。思い出深い万年筆も、売りに出そうとすると、自販機のペットボトルのお茶と同じ値段のものでしかない。
 マルクスはここで、品物が2つの価値を持っていると言います。
つまり、使う者にとっての品物の価値、これを「使用価値」といいます。父の形見の万年筆は、思い出の詰まった品物です。しかしこれを売りに出した時には、たんなる「古いボロの万年筆」にすぎません。こうして売りに出そうとしたときの価値を「交換価値」、あるいは単純に「価値」といいます。つまりいわゆる「商品価値」です。
 ここではちょっと奇妙な等号(イコール)がみられます。つまり、使用価値はまったく異なっている物が、交換価値は同じだとされるのです。父の形見の万年筆は、もちろん自販機のペットボトルのお茶とは、別物です。でもその(交換)価値、商品価値においては、同じものだとみなされるのです。そしてこの(交換)価値を体現するものとして、お金(貨幣)が出現します。
 お金によるものの商品化
 お金はその商品価値を示すだけではありません。もしお金がない物々交換の世界では、万年筆とお茶の交換が成立機会というのはほとんどないでしょう。たまたま、いらなくなった古万年筆をもっていてお茶が飲みたくなった人と、たまたま、万年筆がほしくてしかもペットボトルのお茶をもっているけどいらない人、そんな二人が遭遇する、なんてことは万ひとつもあるものではありません。でも、お金を媒介にしすれば、べつにそんな特殊な欲望をもった人が遭遇する必要はありません。万年筆を売りたい人はそれを売ってわずかな金にかえる。ペットボトルのお茶を売る人は150円出してくれる人に売ればいいだけのことです。物々交換の同時性はなくなり、商品の交換はきわめてフレキシブルなものになり、より自由にたくさんのものがお金と交換されることで商品となることができるのです。つまり、貨幣(お金)の媒介によって、物々交換という限定された交換から、商品交換(市場)の世界が出現するわけです。
 お金(貨幣)は、品物と品物のたんになかだち(媒介)するものから、その品物の商品としての価値を示すものとなります。さらに、お金(貨幣)をなかだちすることで、交換物々交換のもっていた、互いに相手のものを欲しているひとが遭遇するという、制限から自由になり、交換は格段に拡大します。結果、それまで売りに出されそうもなかったようなものまでが商品へとなっていきます。そして、貨幣はあらゆるものを購買できることから、貨幣の所有はあらゆるものを購買し使用できる可能性を溜め込んだ(ストックした)ものとして現れるのです。そう、「金さえあれば何でもできる」のです。

 貨幣のブランウン運動
 商品交換(売買)によって、お金(貨幣)は人の手から人の手へと渡り歩いていきます。
市場における商品交換(売買)は、お金(貨幣)の動きとして現れます。それはちょうどブラウン運動に似ています。ブラウン運動とは、浮遊する微粒子がそれに衝突するいくつも分子のために、ふらふらと自分で動いているように見える現象をいいます。商品交換によってお金(貨幣)はまるで自律的に市場のなかを動き回ってみえるわけです。
 売り手も買い手もその品物にはさまざまな思い入れや来歴があるはずです。でも商品市場ではそういったことはいったん捨象して、品物と品物の交換、お金のやり取りだけが問題とされ、売り手と買い手は、金のやりとりしている「担い手」として現れてきます。
 マルクスはこう言っています。
「物の使用価値は人間にとって交換なしに、つまり物と人との直接的関係において実現されるが、物の価値は逆にただ交換においてのみ、すなわち1つの社会的過程においてのみ実現される・・・。ここ〔市場〕では、人々はただお互いに商品の代表者としてのみ、存在する。・・・人々の経済的扮装はただ経済的諸関係の人化Personifikationenでしかないのであり、人々はこの経済的諸関係の担い手として互いにに相対するのだ・・・。」
「貨幣運動はただ商品流通の表現でしかないのに逆に、商品流通がただ貨幣運動の結果としてのみあらわれるのである。」
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by takumi429 | 2016-04-22 00:06 | 社会学史 | Comments(0)

2.マルクス 資本主義としての近代(2)

 金をやりとりする手
 そうした売り手・買い手の個々人の顔を見ないで、金のやり手としてだけ見る、というか、そのようにやり取りが現れてくるというのは、ちょうど、ステファン・ツヴァイク(1881-1941)の小説「女の二十四時間」のつぎのような箇所に似ているかもしれません。
「わたしは賭博場にはいり、自分では賭けずに机のあいだをぶらぶら歩きまわって いました。ごちゃまぜになった組の者たちを、特別な方法でながめていたのです。特別な方法で、と申しましたが、これは死んだ夫があるとき教えてくれたものなのです。・・・つまり、けっして人の顔を見ずに、四角四面な机の面(おもて)だけを見、さらにそこにのっている人間の手と、そのおのおの独自なしぐさだけを見るという方法なのです。・・・あの緑色の長方形の盤だけをです。そのまんなかで、珠がよいどれのように数字から数字へとよろめうごけば、まるで畠にたねでもまくかのように、うずまく紙幣やら、まるい金貨や銀貨やらが、四角にくぎられたかこいのなかに落ち、と、さっとばかり大がまで刈るように、それを管理人〔ディーラー〕の熊手がひっさらってゆき、あるいは、まるで穀物のたばのように、それを勝つた者のところにしゃくってやる、といったぐあいです。速近法的に焦点をあわせれば、この場合変化しうる唯一のものは、手なのです――緑色のテーブルのまわりにぐるりとならび、白くぬきでてものまち顔の、そわそわとおちつかないたくさんの手なのです。・・・実際この突発的な手の動作こそは、常に各種各様の気性を背おったものであり、それぞれがみんなことなったものである上に、また常に思いがけない意外なものでもあるのです。・・・実に幾千という各種各様の手があるものなのです。毛のはえたまがった指があり、卿蛛のように金をわしづかみ にする野獣のような手、靑ざめた爪がついて、金をつかむこともできなさそうな、ふるえる神経質な手、高貴な手、下賎な手、残忍な手、内気な手、狡猾な手、それからいわばロごもるような舌たらずの手――しかしそのどれもがことなった印象をあたえるのです。これらの一対の手が、どれを取りあげてみてもそれぞれの特殊な生活を表現しているからです。」
 ある日、この婦人はカジノで異様な手を見つけ、その手の持ち主をつい見てしまいます。。手の持ち主は、たまたま初めて立ち寄ったカジノで大当たりを取ってしまったために、賭け続けて破産しつつあった青年でした。異常な興奮状態の彼に巻き込まれて情事を重ねてしまった婦人は、帰るための旅費を彼に渡します。ところがまたカジノに行くと、その金をつぎ込んでいる青年をみつけます。婦人が叱責すると、青年は激昂して婦人を床に叩き伏せます。カジノを去った婦人は、風の便りに、数日後破産し破滅した青年が自殺したと知るのでした。

 ここでは、手は口ほどに物を言い、というふうに、手にその人間の本質が現れてくると婦人は語っています。でもたまたまビギナーズ・ラックで大当たりを取ってしまって、カジノにのめり込み破滅することになった青年の手は、彼の性格を現すというより、カジノのもつ魔力、金の魔力に魅入られた手だと言うべきでしょう。人びとは金をやりとりする担い手となり、その金によって底なしの欲望をいだき破滅していくのです。

 労働者の「搾取」とは
 さてこの資本主義では労働者は搾取されているとマルクスは言います。つまり、労働者が生産現場で生み出した「剰余価値」が、資本家によって奪われているというのです。剰余価値についての岩井克人の明快な説明を引きましょう。

「剰余価値とは、貨幣の蓄積を目標とする産業資本家と、自らの労働力を商品として自由に処分でき、同時に自らの労働力を生産物の形で実現するための生産手段から切り離されているという『二重の意味で自由な』労働者が、市場で接触することによって生じる…。具体的には、それは、産業資本主義経済における資本家は、労働市場で商品として購入した労働力を生産過程で使用することによって、労働力の再生産に必要な生活手段の価値(すなわち労賃の形で支払われる労働力の価値)と生産過程で消費あるいは減耗したさまざまな原材料および生産手段の価値との和以上の総価値をもつ生産物を生産することができる…。そして産業資本家自身のものとなるこの価値の剰余部分が「剰余価値」と呼ばれるのである。さらに詳しく言えば、産業資本主義社会において剰余価値は二通りの仕方で生み出すことができる。一つは労働者の労働時間の延長あるいは労働の強化であり、それによって発生した剰余価値は「絶対的剰余価値」と呼ばれる。もう一つは、労働時間あるいは労働の強化が固定されている中で、労働の生産性を一般的に高めることによって労働力の再生産に必要な生活手段の価値を相対的に低下させることであり、それによって発生した剰余価値は「相対的剰余価値」と呼ばれる」。
「いま、ある企業家が新たな技術の採用すなわち『技術革新』によって他の企業家に先がけて労働の生産性を高めることに成功したとしよう。この企業家が生産物を旧来の技術の下で成立していた市場価格で売るならば、彼は労働生産性の上昇分だけ他の企業家以上の利潤を獲得するはずである。マルクスの言う『特別剰余価値』とは、このようにして革新に成功した企業家の手元に残る超過利潤のことである」。

 つまり、剰余価値とは、生産物に込められた、労賃分の労働力と原材料生産手段の価値より以上の、労働力です。また絶対的剰余価値とは、労働者の労働時間の延長あるいは労働の強化で得られる剰余価値のことであり、相対的剰余価値とは、労働の生産性を一般的に高めることによって労働力の再生産に必要な生活手段の価値を相対的に低下させることによって発生した剰余価値です。また特別剰余価値とは、技術革新によって労働の生産性をあげることで獲得された剰余価値のことです。資本主義とは資本家がこの労働者のうみだした剰余価値を奪い、市場で金にかえて、それを自分の資本とし、それをさらに投入して生産していくしくみにほかなりません。

 システムとシステムの差異
 岩井克人は、さらにすすんで、あらゆる資本主義とは、価格システムと価格システム(等号の体系)との間の差異(ギャップ)を利用して儲けるものにほかならない、といいます。

「それでは、利潤とは、詐欺、ベテン、泥棒、掠奪といったまさに不等価交換がおこなわれている場 所でしかみ出されえないものなのであろうか?利潤とは、等価交換からはけっして生み出されないものなのであろうか?この問いにたいする答は、しかし、否である。実は、あくまでも等価交換の原則にもとつきながらも利潤を生み出すことのできる場所が、いわば場所ならぬ場所において存在するのである。
 ふたつの異なった価値体系の狭間—それが、そのょうな場所、いや非場所である。すなわち、おたがいに異なったふたつの価値体系のあいだを媒介して、ー方で相対的に安いものを買い、他方で相対的に高いものを売る—それが、等価交換のもとで利潤を生み出す唯一の方法である。利潤とは、価値休系と価値体系とのあいだにある差興から生み出される。利潤とは、すなわち、差異から生まれる。
 たとえば、遠隔地交拐に代表される『ノアの洪水以前から』の商業資本主義とは、地域的に離れたふたつの共同体のあいだの価値体系の差興を媒介して利潤を生み出す方法であり、いわゆる産業革命以降に確立した産業資本主とは、生産手段を独占している資本家が、労働力の価値と労働の生産物の価値とのあいだの差異を媒介して利潤を生み出す経済機構であり、いわゆるポスト産業資本主義的な形態の資本主義においては、新技術や新製品のたえざる開発によって未来の価格体系を先取りすることのできた革新的企業が、それと現在の市場で成立している価格体系との差異を媒介して利潤を生み出し続けている。突際、貨幣の無限の自己増殖をその目的とし、利潤の獲得をその動機としている資本主義にとって、差異さえあれば、それはどのような差異であってもかまわない。」

 商業資本主義は、遠隔地での価格システムの違いをつかって儲けます。たとえば、二束三文のガラス玉が、遠く離れたアフリカやアジアでは高値で売れる。遠隔地ではありふれたもの(例えば象牙や陶器)がヨーロッパでは高価なものとなる。二束三文の物(たとえばガラス球)を遠隔地に持っていてそこで高く売り、そこでは高くない物(たとえば象牙や陶器)に換えて、ヨーロッパに戻り、それを売って大儲けする。これが商業資本の利潤の獲得のしかたです。
 これに対して、産業資本主義は、生産過程における労働力商品の価格と商品交換(市場)のおける労働力商品の価格のギャップ(差異)を利用して資本家が儲けます。生産現場では労働者を一日こき使って商品を作ります。でもほんとうはその労働者の一日を養うのに必要なのは、市場ではその生産物の(たとえば)半分と交換される品物でしかない。生産現過程と流通過程での労働力の価値システムの差異を利用して資本家は利潤をあげる(もうけている)わけです。あるいは、技術革新によって他の生産現場にたいする優位(差異)を利用して利潤をあげるのです。これは現在と未来の生産力の違い(それによる労働力の価値の違い)という差異を利用して利潤をあげているわけです。
 つまり岩井によれば、資本主義とは、システムとその外にあるシステムとの差異によって動く熱機関のようなものなのです。だが、もし、システムがその外に別の差異のあるシステムをもたなくなったら、つまりシステムが拡大してその外部を持たなくなったら、どうなるのでしょうか。ものを生産する場とものを売買し消費する場が完全に一体化してしまったら、それは、石炭・石油や原子力で加熱しようにも外部が高温となって温度がなくなってしまった状態(熱死)の熱機関のようなもので、何の利潤も生み出すことができず、動きを止めてしまうでしょう。資本主義は、システムの外に差異ある外部をつねに必要としているわけです。

 史的唯物論
 こうした資本主義の社会は人類の歴史おいてどのような位置にあるのでしょうか。マルクスは『資本論』の前に書いた『経済学批判序言』(1859年)で次のような定式化をしています。いわゆる、史的唯物論の定式とよばれるもので、ちょっと長いですが、重要なので、全部引用しておきましょう。

「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発生段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。
 社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期がはじまるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる。
 このような諸変革を考察するさいには、経済的な生産諸条件におこった物質的な、自然科学的な正確さで確認できる変革と、人間がこの衝突を意識し、それと決戦する場となる法律、政治、宗教、芸術、または哲学の諸形態、つづめていえばイデオロギーの諸形態とを常に区別しなければならない。ある個人を判断するのに、かれが自分自身をどう考えているのかということにはたよれないのと同様、このような変革の時期を、その時代の意識から判断することはできないのであって、むしろ、この意識を、物質的生活の諸矛盾、社会的生産諸力と社会的生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならないのである。
 一つの社会構成は、すべての生産諸力がその中ではもう発展の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することはけっしてなく、また新しいより高度な生産諸関係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しおわるまでは、古いものにとってかわることはけっしてない。だから人間が立ちむかうのはいつも自分が解決できる問題だけである、というのは、もしさらに、くわしく考察するならば、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに現存しているか、またはすくなくともそれができはじめているばあいにかぎって発生するものだ、ということがつねにわかるであろうから。
 大ざっぱにいって経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生活様式をあげることができる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、といっても個人的な敵対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味での敵対的な、形態の最後のものである。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対関係の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。だからこの社会構成をもって、人間社会の前史はおわりをつげるのである。」

「史的唯物論」とはなにかという議論には入り込まないでおきましょう。ただここで確認しておきたいのは、マルクスは、生産力の発展が、生産関係の変革をもたらし、ひいては社会体制の変革をもたらす、と考えていたということです。
 たとえば、狩猟生活の段階では、人類はたまにしかとれない獣で生きていくことができませんから、木の実などを採取して生活していたと想像されます。栗などの木の実を女たちが採取して食事にしていました。木の実の量は限られていましたから、そのそばにはわずかな人々しか暮らせなかったでしょう。また採取し過ぎると餓死することいなるので採取の量と時期についての慣習や指導もあったでしょう。また狩猟においては男たちの共同作業の役割と序列があったことでしょうし、たまたまとれた獣をどのように料理し分配するかのきまりもあったことでしょう。
 農業生産ができるようになると、一粒の穀物からたくさんの穀物がとれるようになりました。たとえばメソポタミアでは1粒の麦から80粒の麦が育ったといいます。この飛躍的な食料生産力の増大は、大量の人口を可能にしました。集落は大きくなり余剰生産物をあつかう市場やそれを管理し他所から略奪から守る権力も必要になったでしょう。こうして農民とそれを支配する王権がうまれてきたでしょう。また天候と季節に左右される農業生産では、天文学が天候を操る神への信仰も生まれたでしょう。
 一年ごとの太陽エネルギーが蓄積されたのが穀物(農産物)だとするなら、有史以前からの太陽エネルギーが蓄積されたのが、石油や石炭などの化石燃料です。この化石燃料を燃やすことで、昼夜、天候や季節に左右されない生産(24時間の生産)が可能になりました。(化石燃料の利用には、蒸気機関と内燃機関の2つの発展方向がありましたが、人類は途中から内燃機関(いわゆるエンジン)を発展させる方向に進みました)。この生産力をつかって大量の製品が生まれました。その生産のための労働者と資本家の関係が社会の中心的な生産関係となりました。商品の売り買いを保護するために個人の所有権というものが基本的な権利となりそれをまもるために法律や政府が生まれました。労働と個人の所有というものを絶対視する考えが広がります。
 原子力という原爆転用の技術を内包した生産力の発見によって、原子力発電が生まれ、それを維持し配電しる電力会社、原子力発電所を受け入れる原発村などの関係がうまれました。原爆転用の技術を内包した発電技術は軍事力との密接な関係を裏にもっています。処理方法が不十分で兵器転用の可能な原子力をたえず安全だと言い続ける必要から、多くの助成金で学者が飼われ、メディアへの巨大な資金の投入から「安全神話」が歌われつづきてきました。
 こうして、生産力はそれに見合った生産関係をもち、そのうえにそれにみあった、政治や文化の形をもつことになります。
 支配というものは、そのたびごとにむち打ちするような非効率な支配よりも、支配されることが「あたりまえ」だと思うように人間を飼いならしていくことをめざします。
「働かない人間はダメな人間だ」、「残業して一人前」、「有給をとるなんてとんでもない」とかいう「空気を読めない」(KY)奴はダメだ、というような言い回しは、支配者や資本家にとって好都合な理屈を、「一般常識」のように思い込ませているだけです。あるいは「女は男と比べると劣っている」という「女ってさ・・・」という言い方は、女性を非正規雇用のパートの低賃金に押し込め正当化するための言い草でしかありません。
 マルクス主義では、こういう、支配者にとって支配されるもの信じこませると便利な、支配を正当化するような、ものの考えのことを「イデオロギー」といいます。また、人々におしつけられ、人々の真実の存在を隠すような意識のことを「虚偽意識」といいます。

 まとめ
 ではマルクスの近代のとらえ方をまとめておきましょう。
 マルクスによれば、近代社会とは資本主義が支配する時代です。
(1)そこでは使用価値が違う物が、等しい(交換価値)を持つものとして交換されます。交換の媒介(なかだち)をするにすぎなかったはずの貨幣(お金)が動きまわり、逆に人々の欲望をかきたて、あらゆるものが商品となっていきます。
(2)商品を生産し販売し資本を増大させる資本家は、資本主義の原則に則った形とはいえ、資本の人格化(金の亡者)として絶えざる資本増大を目指し、労働者を搾取し、他の資本家と弱肉強食の争いを繰り広げます。
(3)このマルクスの歴史観では、生産力が生産関係を規定しさらにその生産関係が、法・学問・文化・イデオロギーなどの上部構造を規定します
(4)資本主義はシステムとシステムとの差異から利潤(動力)を得ています。差異がなくなった時、利潤はえられず動力はなくなるとかんがえられます。資本主義はそのシステムの外部(システム)をたえず必要とするのです。
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by takumi429 | 2016-04-22 00:03 | 社会学史 | Comments(0)

1.近代とはなんだろうか

 近代(現代)とは何だろうか
1.社会学とはなんだろうか。
(1)社会学の非体系性
社会学とはなんだろうか?
「社会学」という名前を聞いて、私たちはすぐにそういう疑問に駆られます。
これが法学や経済学などであったなら、これほどの疑問はわいてこないでしょう。それはそれぞれ、法と経済を扱う学問に決まっているからです(もちろんそこから先は案外むずかしい関門が待ちかまえているのでしょうが)。
ところが「社会学」と聞いても私たちには何の具体的なイメージも湧いてきません。社会を扱う学問というなら、「社会科学」という、法学も経済学もその中にふくまれるような大きな学問の総称があります。あえて「社会学」というからには何か意味がありそうです。
しかたなく私たちは社会学の教科書を手に取ります。そこでは人間が文化を学びながら家族の中で成長して世の中にでてさまざまな活動の従事したり、そこから外れたりすることが、さまざまな社会領域について書かれています。そこから受ける印象はきわめて散文的のものです。
我慢強い人は社会学の古典とされる作品を勧められて手に取ることでしょう。そこで受ける印象は教科書とはまるで異なったものでしょう。確かにおもしろい、しかしこれが教科書でならった社会学とどう関係しているのかわからない。というよりそれぞれの作品がばらばらに存在していて、いっこうに関連しあっていないのにきづくことでしょう。
実は社会学の主要な業績は相互に密接な関連を持っていないことが多いのです。教科書をよく読むと、実はいろいろな学者のさまざまな業績がつなぎあわされているだけのことがわかります。
(2)社会学は落ちこぼれが作ってきた
なぜこんなことになってしまったのでしょうか。
それはじつは社会学の重要な業績をつくった学者たちが、じつは社会学なんてものを学んだこともない部外者だったからなのです。
こころみに、社会学の巨人と呼ばれる人とその出身学問を列挙してみましょう。
テンニースは古典言語学、ヴェーバーは法律学、ジンメルは哲学、デュルケームも哲学、
パーソンズは経済学、ハバーマスは哲学、の出身です。これら文句なく社会学の著名な学者とみなされている学者が、じつは学生時代に社会学なんて勉強していなかったのです。ところが自分の研究をしていくうちに、もともとの学問の枠を飛び出して、悪く言えば、落ちこぼれて社会学者になってしまったのです。つまり社会学は既存の学問からの落ちこぼれが作ってきたという歴史があるのです。
(ちなみに、社会学出身の著名な学者としては、マートン、(それから最近ではベック)という人がいますが、巨人と呼ばれるにはすこし粒が小さいように思います)。
社会学の主要な業績はこうしたよそ者の業績をのけると、ほとんど残りません。つまり社会学というのは、じつは、一個の学問として内在的に発展してきたのではないのです。他の学問領域をしている学者がその領域に収まらなくなって飛び出し、その業績が「社会学」と名付けられているだけといっても過言でないのです。
 ですから「社会学」というのは名の下にこれらの学者の業績がくくることができるとしたら、それは内容のつながりや共通性によるのではありません。では何が、これらの学者に共通なのでしょうか。
(3)「社会学」という名の問題意識
社会学の巨人が既存の学問枠組みを飛び越えざるをえなかったのはなぜか。その理由は彼らがかかえた問題意識にあります。彼らは、既存の学問枠組みで収まりつかない問題意識を抱えてしまったのです。それは、今自分が生きているこの時代、あるいは社会と言ってもいいですが、それはいかなる時代(社会)かという問いです。彼らはこの問いに答えるにあたって、自分がその社会(時代)の中に生きているときにわき上がってくる、違和感や肌触りを捨て去ることができませんでした。そうした時代と社会についての自分の心情を切り捨てずに、むしろ生かした形で時代と社会をとらえようとし、その結果、既存の安定した学問の枠を踏み越えざるをえなかった、そういう人たちなのです。
 つまり彼らには共通した問題意識がありました。すなわち、自分を取り巻く社会はどのように変わってきたのか、またこれから変わっていくのだろうか、という問いです。いいかえれば、自分を取り巻き支配しているこの時代(近代あるいは現代)とはいかなる時代なのかという問いです。これをひとまず、「近代とは何か」という問いとしてまとめることにしましょう。
 極言すれば、社会学には共通した体系だった内容などないのです。あるのは共通の問い、つまり、今自分が生きているこの社会とはどんな社会であり、それはどう移ろい行くのか、という問いなのです。
 ですから社会学の諸業績を振り返るためには、内容の共通性や体系的な連関からみるのでなく、この「近代とは何か」という問いに、これまで社会学者はどのように答えてきたのか、という観点からこそ振り返る必要があります。というより、そこにしか社会学者たちの共通性はないからです。
(4)講義の方針
ですから、この講義では、「近代とは何か」という問いにどのように答えているか、それによって社会学の古典的作品を見ていくことにします。また「近代とは何か」という問いに答えている業績ならば、一般には社会学者とみなされていない者の作品も見ていくことにします。具体的には、マルクス(哲学者・経済学者・革命思想家)、ポー(詩人・小説家)ボードレール(詩人・評論家)、ベンヤミン(文学者)、ゾラ(作家)、アンダーソン(東南アジア研究者)、の作品も見ていくことにします。


講義予定

1.社会学とは何だろうか。
 社会学とは自分が今生きているこの時代をとらえようとする試みである。
 社会学者たちは自分たちの生きている時代(近代)をどのような時代ととらえたのか。

2.資本主義としての近代---マルクス---
 プロレタリアート(労働者)とブルジョワ(資本家) 使用価値と交換価値 

3.ゲゼルシャフト化としての近代---テンニス---
  社会幾何学(ホッブス)の継承としてのゲマインシャフト論
  伝統社会の瓦解と社会の再構築
  ゲマインシャフト/ゲゼルシャフトという差異の形成運動としての近代

4.逆説としての近代---ヴェーバー---
 プロテスタンティズムの倫理の逆説的帰結としての資本主義の精神
  倒錯した形式合理性の支配拡大としての近代
形式合理性 法と貨幣による普遍性・交換可能性 映画『クレーマー・クレーマー』
 
5.遊歩者の近代---ジンメル、ボードレール、ベンヤミン---
 交換価値の世界
 貨幣の担い手として商品の世界を遊歩する人々

6.欲望の喚起装置としての近代---ゾラ、デュルケーム---
 ゾラ『ルーゴンマッカール叢書』
  欲望の装置としての鉄道、百貨店、炭坑、市場、レビュウー、投機市場・・・
 デュルケーム 
  アノミー論:欲望の逸脱的増大
 自由間接法による集団表象の想定
  田山花袋『重右衛門の最後』 「いっそ、殺してしまえ」民衆の声なき声(集団心理)
  柳田國男『遠野物語』民衆の深層心理  

7.臣民化と規律化としての近代---アルチュセール、フーコー---
 近代とは個人を呼びかけ、主体(臣民)とし、その欲望を喚起しながら巻き込む管理していく権力が作動する時代

8.フロンティアの喪失としての近代---アメリカ社会学--
パーソンズ :フロンティアの喪失による競争の激化を相互の役割を受け入れることで克服する社会
マートン アノミー論:アメリカン・ドリームの功罪をアノミー論として展開
エスノメソドロジー:既存の文化目標もそれへの手段も否定する(反抗する)若者たちの出現

9.公共性の変容としての近代---アーレントとハーバーマス---
  アーレント;近代とは、活動(語り演じる)世界=明るい公的空間が浸食された、暗い時代である。
  ハバーマス;システム的世界の生活世界への浸食

10.コミュニケーションの変容としての近代---オングとフルッサー---
 オング 近代:話言葉から書き言葉への移行
 フルッサー 画像→文字テキスト→テクノ画像
 マクルーファン:インターネットによる第二次メディア革命

11.ナショナリズムとしての近代---アンダーソン---
 メディアなどにより作られた人造物(ナショナリズム)によって人々は想像の共同体(国民国家)を形成する。

12. 社会関係の希薄化として現代---トクヴィルからパットナム 
 フランス人による民主主義の発見
 イタリアの地方自治をささるもの:ソーシャル・キャピタル(社交資産)
 「一人でボーリングにいく」:アメリカ合衆国のおけるソーシャル・キャピタルの減退
 ご近所の底力

13.リスク社会としての現代---ベック---
 外部の喪失としての現代:外部から取り入れ捨てていた近代の産業社会から、自己の内部へと危機を増幅させる再帰的な近代(危険社会)へと移行した。

14. 液状化する社会としての現代 バウマン
ナチス収容所による大量殺戮(ホロコースト)は近代合理性の極地である。
近代合理性の進展のなかで液状化する個人

15.まとめとテスト
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by takumi429 | 2016-04-18 10:33 | 社会学史 | Comments(0)

補.世界システムの形成としての近代

11.世界システムの形成としての近代

http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2012/tv/sekaishi/archive/resume030.html
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2012/tv/sekaishi/archive/chapter030.html
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2012/tv/sekaishi/archive/resume001.html
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2012/tv/sekaishi/archive/chapter001.html
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2012/tv/sekaishi/archive/resume027.html
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2012/tv/sekaishi/archive/chapter027.html

 一杯の紅茶から
 イギリスと言えば、食事が美味しくないので有名です。あえて反語的に『イギリスはおいしい』(林望)という題をつけた本がありますが、あれはわざとそういう題をつけたのであって、そうい題をつけるのが意味があるほど、イギリスはまずい、というのが常識なわけで。
 でもなぜか、紅茶とそれと一緒にでてくる食べ物はおいしくて、さらに茶器なども立派です。ハイティーとかアフタヌーン・ティーと呼ばれる、ポットの紅茶と一緒に三段重ねで出てくる、スコーンやサンドイッチやケーキのセットは、見ているだけで心躍るものがあります。きれいな陶磁器のカップに、紅茶を注ぎ、お砂糖をいれ、食べ物をつまみながら、飲むのは、ほんとうに至福の時間と言ってもいいかもしれません。
  紅茶は最初は中国から、のちにはインドから、はるばる海を渡ってイギリスに来たものですし、砂糖は現在のアメリカ合衆国の南のカリブ海に浮かぶ島から来たものですし、陶磁器は英語でチャイナというぐらいですから、元来は中国から渡来したものです。こうして、一杯の紅茶に、西と東の物産が、イギリスで出会っているわけです。
 イギリスで紅茶を飲むのが一般になったのは19世紀からだそうです。では19世紀のイギリスでなぜ、こんな東西の産物の出会いである、砂糖入り紅茶が飲めたのでしょうか。
 川北稔さんの名著『砂糖の世界史』が解き明かしてくれるのはこのことです。答えは、簡単にいえば、19世紀、西と東の世界はイギリスを中心とした1つの経済世界を形成していたから、です。
 15世紀末ヨーロッパ人が「発見」した新大陸では、原住民は虐殺と伝染病で壊滅させられました。そこへアフリカから連れてこられた黒人奴隷がプランテーションで働かされて、砂糖・タバコ・綿花などの、の産物がヨーロッパにもたらされました。どこでも求められる「世界商品」として砂糖やカカオやタバコなどをうることで、新大陸のプランテーションの経営者たちは巨万の富を本国にもたらしました。そして流行により「世界商品」となった綿製品を作るために、新大陸から来る綿花を綿製品にする綿工業がイギリスで発展し、こうして産業革命が起きたのです。
 こうして新大陸の「発見」の後、16世紀から、世界が1つの経済的世界を形成していったのだ、と提唱するのが、「近代世界システム論」(theory of the modern world-system)です。川北稔さんの本はこの理論に基いているのです。
 この理論はアメリカの社会学者ウォラーステイン Immanuel Wallerstein らが1970年代半から提唱しています。この説では、近代世界が経済的には単一の,グローバルな分業体制に覆われており,諸国の経済は,この世界システムの構成要素としてしか機能しえない、とされます。
 この説は画期的な目の覚めるような理論だったのですが、どこが画期的だたのか、これまた川北稔さんの、ウォーラーステインの『近代世界システムⅣ』の訳者解説に基いて、みてみることにしましょう。

 経済発展はゴールにむかう駆けっこレース?
 経済発展についての理論では、それまで「一国発展段階論」が支配的でした。これは、単一の発展段階論を前提とする一国史観でした。つまり経済を一つ一つの国を単位にして見ていたのです。すべての国の経済は、大きなタイム・ラグを含みつつ,いずれは封建社会から近代資本主義社会へ移行していくというものです。たとえて言うなら、国々はそれぞれ距離走のランナーで、早いランナーはすでに近代資本主義のゴールに到達している、遅いランナーの頑張って走れば、いずれはこのゴールにたどり着く、というわけです。
 「プロテスタンティズムのテーゼ」
 ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』もこの理論で解釈されがちでした。ですから、西洋で資本主義が成立した。日本も資本主義化した。だから、日本にもプロテスタンティズムとおんなじような倫理があったにちがいない、あるいは、また遅れたアジアの諸国も西洋のようなプロテスタンティズムの倫理に似た倫理を持てば資本主義化できるのだ、というのです。まるでプロテスタンティズムを資本主義になるための薬みたいにとらえる考えです。
 ヴェーバー自身は、こうした資本主義化のドリンク剤みたいなプロテスタンティズムのとらえ方をしていたわけではありません。『ヒンズー教と仏教』で資本主義化に成功した日本について言及している箇所があるのですが、そこでは、諸外国が資本主義化していてそれに適応せざるをえなかっただけだと、みょうに冷たいのです。「適合」ではなく、これまでの世界を否定して自分の理念で支配していく(世界支配)というのがヴェーバーがもっとも重視した宗教理念のあり方で、彼がプロテスタンティズムにみたのはそうした精神のありようでした。後からみんなに合わせて資本主義化するのに、そうした誇り高い精神など必要ではない、そうヴェーバーは考えていたのです。資本主義化にはプロテスタンティズムが必要、というのは「プロテスタンティズムのテーゼ」といって公式のようにいわれることがありますが、じつはそれはヴェーバーの本意とはまったく別物です。

 「従属理論」
 さて、「一国発展段階論」は駆けっこレースのような経済発展のとらえ方でしたが、はたしてこれは真相をついているでしょうか。むしろ、経済というのは激しい格闘技のようなもので、相手の首根っこをおさえつけてのし上がった者が勝者となって、おいしいとこ取りしている、というイメージの方が、より的をえているのではないでしょうか。
 第三世界の歴史の研究で、 A. G. フランクや S. アミンらは「従属」派という人びとが言い出したのはこうしたイメージによる経済発展論です。つまり、資本主義というはもともと、独占的なものであり、まわりの地域から経済的な余剰を奪い取ることで、中枢の国の経済が発展し、その結果、まわりの周辺国が、「低開発」の状態にさせられたのだ、というのです。
 たとえば、イギリスの資本主義化は、新大陸での奴隷労働による生産物を安く輸入することができたからであって、その結果として、新大陸はプランテーションの農業国になってしまいました。
 資本主義の国々が、低開発の国々に、「がんばってここまでおいでよ」と言うが、「俺たちの国や地域が『低開発』になったのはおまえのせいだろう!」と言い返したわけです。
 さて、この理論では、資本主義と「低開発」とセットになって、相互に作用しあっています。たとえば、産業革命の時のイギリスの資本主義は、新大陸のプランテーションの綿花栽培、打倒目標であったインドの綿工業、近隣諸国からの農産物の輸入、などなどいう世界的な経済の絡み合いのなかで生まれてきたものです。
 こうしたさまざまな要素が相互に働きあって、一種の化学反応(ケミストリー)を起こし、ただあつめた以上のなにものかになる(これを「創発特性」をもつといいます)時、それは「システム」とよばれます。新大陸「発見」以降、ヨーロッパを中心としてアフリカ・アメリカを巻き込んだ経済のシステムがうまれ、それはその後、アジアも巻き込んでいったのです。
 こうした世界規模の経済のまとまりをフランスの歴史家 F.ブローデルは「経済世界」とよびました。ウォーラーステインはこの見方を踏襲して、16世紀以降生まれた世界規模の経済を「近代世界システム」と呼んだのです。

 近代世界システム
 ウォーラーステインによれば、大航海時代(15-17世紀、西欧人が新航路・新大陸を発見した時代)以後の世界は、ひとつの世界システムを形成しました。それは銀などの貨幣素材、砂糖、茶、ゴム、石油などの換金できる作物や製品などの大規模な分業システムとして成立しました。
 機能分化
 このシステムの内部の機能分化(はたらきのちがい)がうまれました。
〈中核〉地域は、自由な賃金労働を主体とする、地域です。それに対して、〈周辺〉は、これまでの歴史で何らかの〈強制〉労働が中心となってきました。さらに、中核のまわりには、〈半周辺〉その中間的な地域があります。
 近代世界システムは、新大陸の発見された後の16世紀に成立しました。この時の「中核」は、西欧です。「周辺」には、東欧やラテンアメリカがあたります。東欧ではいったん消えていた農奴制(農民を土地にしばりつけてはたらかせる制度)が復活します。これを「再版農奴制」といいます。ラテン・アメリカでは、人と土地を一括して委託するエンコミエンダ制度や黒人などの連れてきて家畜のようにはたらかせる奴隷制がうまれました。「半周辺」にあたる南欧では、地主と小作農民とが収穫物を半々に分け合う「折半小作制度」がうまれました。
 中核―周辺関係
〈中核〉は不等価交換などを通じてたえず〈周辺〉の経済的余剰を搾取します。これが、近代資本主義世界の根幹をなす構造で、つねに再生産され,解消されることはないんです。また個々の地域や国家がこのシステムの中での位置を変えることはあっても,すべての国が〈中核〉(つまり〈先進国〉)になることはありえないのです。
 世界システムは,つねに従属地域,つまり〈周辺〉を必要とするのです。

 ヘゲモニー国家
 中核諸国の中でも,時として際立って経済力を強めた結果,システム全体のヘゲモニー(主導権)を握る国を「ヘゲモニー国家」と呼びます。17世紀のオランダ、19世紀のイギリス、20世紀のアメリカ合衆国、がそれにあたります。

 強制的労働の正当化の論理としての「人種」・「民族」
〈周辺〉では、生産に従事する低廉な労働力の確保のための経済外的な強制
 が行使されます。それを正当化するための〈人種〉や〈民族〉の人為的に捏造されました。
 たとえば、アフリカ人の奴隷制や、中国人などのクーリー(苦役人)制度、アパルトヘイト(南アフリカの有色人種差別政策)などにこうした、「人種」による差別の正当化がみられました。
 同時に、世界システムの〈中核〉である西欧では、民族による〈国民国家〉の理念が標榜されました。
 
 対抗の論理としての「人種」・「民族」
 本来は擬制的につくられた〈周辺〉の〈民族〉や〈国民〉が,〈周辺〉の〈中核〉に対する対抗手段として積極的な意味をもちはじめた。「黒人人種」の名の下による連帯や独立や「アメリカ人」の名の下による新大陸ので独立などがその例です。
 
 世界システムの転換期としての現代
 ウォーラーステインによれば、現代世界はアメリカのヘゲモニーの衰退過程にあります。つぎのヘゲモニーはどこが担うのか、まだ見えていない状況です。


http://democracynow.jp/video/tag-ショックドクトリン
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by takumi429 | 2013-12-08 08:11 | 社会学史 | Comments(1)

7.欲望の喚起装置としての近代---デュルケームとゾラ---

7.欲望の喚起装置としての近代---デュルケームとゾラ---

今回は、まず、19世紀末から20世紀初頭に活躍したフランスの社会学者エミール・デュルケーム(Émile Durkheim 1858 -1917)を取り上げます。社会学者の著作を理解するには、その社会学者が生まれ活躍した時代がどんな時代であったかを知ることはとても重要です。とりわけデュルケームを理解するには、彼が生まれた、フランスの「第二帝政」のという時代と、彼が大学人として活躍した「第三共和政」という時代について知ることがとても大切だと思われます。そこですこしめんどうですが、フランスの政治体制の変遷を表にして見ておくことにしましょう。

絶対王政1589-1789
ブルボン王朝による絶対王政 ルイ14世 絶頂期
フランス革命1789-921789年7月14日バスティーユ牢獄襲撃
1792年ルイ16世処刑。

第一共和政1792-98ロ
ベスピエールの恐怖政治
1794年テルミドールのクーデター、ロベスピエールが失脚
1799年、ブリュメールのクーデター、ナポレオン・ボナパルト、執政政府樹立。

第一帝政1804-15
1804年、ナポレオン1世が皇帝に即位。
ナポレオンはライプツィヒの戦いに敗れ1814年退位。
1814-5年ウィーン会議1814。ルイ18世王位につく。
1815年、ナポレオン、エルバ島から脱出、パリに戻り復位。ワーテルローの戦いで完敗し、退位(百日天下)。

王政復古
七月王政1816-481815年ルイ18世、復位。
1830年オルレアン家ルイ・フィリップ王位につく。

第二共和政1848-52
1848年二月革命。
1848年12月ルイ=ナポレオン大統領に選挙で選ばれる。
1851年ルイ=ナポレオン、クーデター

第二帝政1852-701852
ルイ=ナポレオン、皇帝に即位、ナポレオン3世となる。
1854-70年オスマンによるパリ大改造。
1870年普仏戦争。ナポレオン3世捕虜となる。

第三共和政1871-1940
1871年パリ・コミューン
1894年ドレイファス事件
1898年、ゾラ「私は弾劾する」発表。
1940年ドイツ、フランス侵攻。フランスは占領地域とヴィシー政権地域に二分される。

第四共和政1946-59
1954-62年アルジェリア戦争

第五共和政1959-現在
1959年ド・ゴール大統領となる。
 
 くりかえしになりますが、デュルケームが学者として活躍したのは、第三共和政の時代です。その前の、ナポレオン三世の支配した第二帝政期、この時代はフランスの産業は大いに発展し、社会が爛熟した時代です。今回の講義のポイントとなるのは、このナポレオン三世の支配した第二帝政期です。
 
 さて、まず、今日の社会学のスタイルを確立したと思われるデュルケームの名著『自殺論』(宮島喬 訳 中公文庫)を見てみることにしましょう。

アノミー概念の誕生
 自殺は、個人的な理由(彼女にふられた、リストラされた、病気になったなどなど)により、「死にたい」という個人心理の結果、生じる、と私たちは思いがちです。ところが、デュルケームは、その著『自殺論』(1897)において、各国の統計を使って、衝撃的な事実を私たちに突きつけます。
  デュルケームがあげている人口100万人あたりのヨーロッパ諸国の自殺率は以下のようです(『自殺論』邦訳31頁)。(ドイツは1870年まで統一していなかったので、バイエルン、プロイセン、ザクセンの各国があげられています)。

 ヨーロッパ諸国の自殺率(人口100万あたり)
   1866-701871-751874-78     順 位
    の期問    の期問の期問第一の 期問第二の 期間第三の 期問
イタリア   30     35     38       1       1    1
ベルギー  66     69     78       2       3        4
イギリス    67   66      69      3 2 2
ノルウェ—    76   73   71      4 4 3
オーストリァ   78   94   130         5 7 7
スウェ一デン  85  81 91       6 5 5
バイエルン   90   91   100        7 6 6
フランス     135   150   160     8 9 9
プロイセン    142   134   152     9 8 8
デンマーク    277   258   255     10 10 10
ザクセン     293     267 334        11 11 11
 

 ちなみに、最近の主要国の自殺率の推移は次のようです。
(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2774.html 2013年11月10日)


 この統計から、デュルケームは、自殺率(ふつうは人口10万人あたりの自殺者数で示す)は、国ごとにほぼ一定であり安定している、といいます。たしかに、デュルケームのあげた表によれば、自殺率はほとんど変わらないし、国ごとにその順位もほぼ同じです。また最近の統計をみても、大きく変化している国もあるものの、自殺率の推移自体は連続的ですし、イタリア、英国、米国はほとんど変わっていません。また、ドイツ、スウェーデン、カナダも安定してきています(しかも国によって自殺率はものすごく違っています)。
 しかし自殺率を安定させるために、個々人が「死のう」とする、とは考えられません。ですからこの安定した自殺率、という「社会的事実」は、自殺する人間の個人心理からは説明できません。
そこでデュルケームは、国ごとの「自殺率の一定比率」という社会的事実を説明するには、社会的な原因からでなくては説明できないとしました。
 彼が自殺の社会的原因だとしたのは次の4つです。
(デュルケームは当初の構想を改変しているので、『自殺論』の記述からはこの4つが見えづらくなっています。ここはベルナールらによる修正に依拠して4つの社会的原因をあげます)。(『デュルケムと女性、あるいは未完の『自殺論』: アノミー概念の形成と転変 』 フィリップ・ベナール著 杉山光信・三浦耕吉郎訳 新曜社1988.)

Ⅰ 自己本位的自殺:社会の統合や連帯が弱まり、個人が集団から切り離されて孤立する結果として生じる自殺
例証としては、プロテスタントとカトリックを比べると、(統合の度合いが低いと思われる)プロテスタントが自殺率が高く、(統合の度合いが高いと思われる)カトリックが低い。また、未婚者と寡婦・寡夫(やもめ)、と、結婚している者を比べると、孤立している未婚者と寡婦・寡夫の方が、結婚している者より自殺率が高い。また平時と戦時を比べると、(社会的な連帯が弱まっていると思われる)平時の方が自殺率が高い。つまり統合・連帯が弱い者の方が自殺率が高いというわけです。(こういう説明の仕方を「共変法」といいます)。

Ⅱ 集団本位的自殺:社会が強い統合度と権威をもっていて、個人に死を強要したり、奨励したりすることによって生じる自殺
例としては、宗教による自殺や軍隊における自殺率の高さがあげられます(日本軍の集団自決などもこの例に入るでしょう)。

Ⅲ アノミー的自殺:社会の規範が弛緩したり、崩壊したりして、個人の欲望への適切なコントロールが働かなくなる結果、際限のない欲望に駆り立てられた個人が、その結果、幻滅しむなしくなっておこす自殺。
 ここでデュルケームは、「アノミー」という概念を提示しました。アノミーとは、欲望の無規制な状態、欲望が螺旋状にどんどんと拡大していくありさまをいいます。(ちなみに、後にアメリカの社会学者マートン(Robert King Merton,1910-2003)は、目的と手段の枠組みをつかって、このアノミー概念を、適切な手段をもたない目的、と定義しました。いうまでもなく、これはデュルケームの本来のアノミー概念からははずれています)。デュルケームは、例として経済アノミーというものをあげています。いわばバブル崩壊による自殺です。

Ⅳ 宿命的自殺:欲望に対する抑圧的規制が強すぎるため、閉塞感がつのって生じる自殺。
ベルナール(1988)が挙げている例は、未婚・やもめの男性は結婚している男性よりも自殺率が高いのに対して、未婚女性あるいは寡婦は結婚している女性はよりも自殺率が低い、という例です。つまり、結婚は、男性によっては適度な拘束ですが、女性にとっては過度な拘束だというのです。
Ⅰ自己本位的自殺とⅡ集団本位的自殺を規定する社会的変数は「統合」(まとまり)であり、Ⅲアノミー的自殺とⅣ宿命的自殺を規定する社会的変数は「拘束」(しばり)である、とデュルケームはみなしています。
つまり、統合が弱いとⅠ自己本位的自殺が増え、統合が強いとⅡ集団本位的自殺が増えます。結果、統合が弱すぎても強すぎても自殺率は高くなります。
 また、拘束が弱いとⅢアノミー的自殺が増え、拘束が強いとⅣ宿命的自殺が増えるのです。結果、拘束が弱すぎても強すぎても自殺率は高くなります。
 つまり適度な統合と拘束の時には、自殺は少ないというわけです(グラフ参照)。
 

 
 デュルケームはなかなかクールな社会観察者で、一定程度の逸脱が社会にあるのは、「正常」なことだと見なしています。だから、自殺率も一定しているなら、それはそれなりに「正常」なことだと見なします。しかし自殺率が安定しないで以上に増加しているなら、それは「異常」なことなのです。
 デュルケームは、現代において自殺率が増加しているのは、まさに異常なことであり、その解決策として、統合の中間項として職業集団が活発になる必要があるとしました。
 さて、デュルケームのみるところ、19世紀後半のフランスは、統合(まとまり)と拘束(しばり)がゆるんだ社会でした。かれは、社会の統合と拘束をもたらすのは、道徳と宗教だとしました。また『道徳教育論』では道徳のもつ統合性と拘束性を強調し、それを子どもに注入するのが、教育の欠くべからざる働きだとしました。
 さらにデュルケームは『宗教生活の原初形態』で、過去において道徳を規定していた宗教の原初的形態を社会学的に探ろうとしました。ドイツの哲学者カントは人間が物事を認識する図式は人間の中にあるとしました。またその道徳原理も人間の内なる精神の中に神から与えられてあると考えました。それに対して、デュルケームはそうした認識図式も道徳原理も人間のうちにあるのではなくて、むしろ社会の方にあるとしました。いわば「逆立ちしたカント主義」をとっています。
  デュルケームは緩んだ社会のまとまりとしばりを宗教と道徳で締めなおそうとしたわけです。すなわち、「デュルケームは第三共和政の法王たらんとした」(折原浩)のです。

 ではデュルケームがなんとかしなくてはと思った、まとまりとしばりが緩んだ社会とは何だったのでしょうか。それは第三共和政の前、ナポレオン三世が支配した第二帝政(1852-70)の時代にほかなりません。ナポレオンの甥によるクーデター成功の後うまれた第二帝政期は、オフェンバックのオペレッタに沸き立たつどんちゃん騒ぎの、まさに際限ない欲望の時代でした。
 アノミーの概念によって、際限のない欲望の拡大という事態をしてきしながら、その内実についてデュルケームがあれこれ言わず、すぐにそれを抑えこむ道徳と宗教について研究を向けたのは、そうした欲望の無限増大が、自明のものとして第三共和政の前の時代、第二帝政期にあったからです。

 デュルケームの欲望論
 際限なく増大していく欲望。この欲望についてデュルケームが述べているのは、『社会主義およびサン-シモン』(森博訳恒星社厚生閣)という講義でです。
サン-シモンというのは、「空想社会主義者」として(マルクスの僚友)エンゲルスが区分した思想家です。彼は、「産業者」の活動によって社会が豊かに改善されていくべきだとしました。彼の言う「産業者」とは、資本や土地を所有している「ブルジョワ」ではなくて、直接、物づくりに携わっている技術者・労働者であり、また物を人々のもとに届ける流通に携わっている人々です。封建的な社会が去って、今やこの産業者が権力をもって、技術革新によって社会をより豊かなものにしていくべきだ、というのが彼の考えでした(172頁)(生産だけでなく流通にも技術革新はあるのは、もちろんです。銀行や鉄道の整備や、最近なら、宅急便のシステムなどをみてもわかることです)。
 しかし、デュルケームは言います。社会が豊かになると人々は満ち足りておとなしくなりはしない。動物には本能があって、欲望の歯止めがかかっている。しかるに人間にはそうした歯止めがない。豊かになり、欲望が満たされると、人間は「もっと、もっと」と求めるようになるだろう。そうして、限りない欲望の増大によって、人々は苦しみ、また闘うようになるだとう。それを抑えるためには、「道徳心」が必要となるのだ、と(231-3頁)
 ホッブスは、こうした人間の争いを、「狼が狼に対するように」と言って、動物的な争いであるかのようにとらえていました。しかし、デュルケームは、こうした闘争が、本能の抑えを失った人間固有の欲望の形であることを、はっきりと見すえています(このあたり、デュルケームはちょっと頭の出来がちがいます)。
 デュルケームは、晩年、サン-シモンもこうした問題に気づき、それゆえ、「新キリスト教」というものを提唱して、歯止めのなくなった欲望に駆られた人々の混乱を納めようとしたのだ、といいます。しかし、サン-シモンはあくまでも、産業者の活動によって豊かになるまとまりのある社会を夢見ていて、それをそのまま、「新キリスト教」の原理としていたために、豊かさがもたらす欲望の無限地獄に対して有効な対策とはならなかったのだ、欲望を抑えこむには欲望の拡大をもたらした産業者の原理とは別の道徳原理を持ってこなくてはいけない、デュルケームはそう批判するのです(267頁)。
 サン-シモンの死後、その思想の賛同者たちは、一種の教団を作り上げます。しかし、この教団の原理は「産めよ増やせ」なので、それを実践すべく、一種の乱婚制が提唱・実践されたため、多くの信者が離れていき、教団は瓦解しました。しかし、サン-シモンの考えにしたがって、生産と流通の革新によって社会を豊かな(産業)社会へと変えていこうとする人々はその後も続いていきました。彼らは、具体的には、株式会社、銀行、鉄道によって、金を集め、流通させ、物を流通させることで豊かな社会をつくりあげようとしました。
 このサン-シモン主義者の政策を積極的に支援し推し進めたのが、自らもサン-シモンの思想に深く共感していたナポレオン三世であり、サン-シモンの思想によって産業社会へと劇的にフランスが変貌したのが、第二帝政期だったのです(参照 鹿島茂『絶景、パリ万国博覧会【サン-シモン鉄の夢】』(河出書房新社1992年)・『怪帝ナポレオン三世』(講談社2004年)・『渋沢栄一』(文藝春秋社2013年))。

 ゾラによる「第二帝政期の人間喜劇」
 このフランス第二帝政期に、新しい小説の可能性を感じ、この時代と社会をまるごと小説によって描こうとした作家がいました。エミール・ゾラ(Émile François Zola,1840-1902)が、そのひとです。
 ゾラは「第二帝政期の人間喜劇」を『ルーゴン・マッカール叢書』という全20巻の小説群で描きました。ゾラがそこで取り上げられたのは、地上げ、中央市場、アルコール中毒、百貨店、高級娼婦、鉄道、炭鉱、株式市場などなど、まさに人々の欲望の喚起する装置たちでした。これらまさに近代の「欲望喚起装置」(鹿島茂)を、実地調査にもとづいてゾラは小説にえがいたのです。
 ゾラはイタリア出身のナポレオン軍の工兵あがりの技術者を父に持ち、幼くして父をなくした彼は名門リセを卒後して、大学受験のときに急に理工系のグランド・ゼコールを受けて失敗してしまいます。しかし、技術者のむすこだったというプライドは絶えず持っていたようです。だから、バルザックがかならず小説を舞台装置から描いたように、小説の中心に社会的な装置(mecanisme)をおいてそのメカニズムを描いてみせました。
 ゾラの『ルーゴン・マッカール叢書』の巻数と題名、あららまし、そしてそこで描かれた装置を以下列挙してみましょう。

1『ルーゴン家の運命』ルーゴンとマッカールの家系のはじまり。
ナポレオン三世のクーデターによるプッサンの動乱。
少年シュヴェールと少女ミエットの愛し方さえ知らない幼い二人の悲劇。少女は流れ弾で死に、少年は憲兵に墓場でこめかみを打たれて死ぬ。
装置:プッサンという街。墓場(死者を飲み込む場)。

2『獲物の分け前』オスマン男爵のパリ大改造の下、地上げによって巨万の富を稼ぐアリスティッド・サッカール。若き後妻ルネは夫の連れ子マキシムと温室で不倫にふける。アリスディッドはルネから金を巻き上げて破産を免れ、ルネは若くして死ぬ。
装置:温室(人工楽園)。パリ(人工都市)

3『パリの胃袋』流刑地から逃げ帰ったフロランはパリの中央市場で働くが、そこの人々の讒言によってふたたび島が流しとなる。
装置:パリのレ・アールの中央市場

4『プッサンの征服』フォージャ神父はマルト・ルーゴンの家に住みこみ、いつしかその家ばかりかプッサン市をも支配するにいたる。しかし狂人となったマルトの夫の放火によって家もろとも焼け落ちる。
装置:王党派と共和派の両方がみおろせるマントの家。

6『ムーレ神父のあやまち』マント・ルーゴンの息子で司祭になったムーレはパラデゥ館の秘密の庭に住むアプビーヌと、アダムとイブのように愛し合う。しかし、彼が庭から去ったため、娘は死に、その葬儀を司祭である彼が司ることになる。
装置:秘密の花園。

6『ウジェーヌ=ルーゴン閣下』ウジェーヌ・ルーゴンは第3帝政で失墜の危機の乗り切り副皇帝にまでなる。装置:政治

7『居酒屋』
『居酒屋』ジェルヴェーズ・マッカールはランチエに捨てられた後、トタン職人クーバーの結婚し、洗濯屋を開業するが、舞い戻ったランチエとクーボーの二人と関係し、アル中となって貧窮死する。
装置:蒸留酒製造装置・居酒屋洗濯屋。

8『愛の1ページ』エレーム・ムーレは娘ジャンヌを救ってくれた医師と不倫し、娘はそれに嫉妬して病死する。別の男と再婚した彼女は娘の墓を訪れ去る。
装置:バルザック邸のあったパッシーの高台から見えるパリ

9『ナナ』ジェルヴェーズの娘ナナは高級娼婦となって多くの男を破滅させるが、最後は天然痘となって死ぬ。
装置:ナナの肉体。

10『ごった煮』プッサンから出てきたオクターヴ・ムーレはアパートの女たちを意のままにあやつる。オスマン様式の表面はきれいなアパートは裏では汚物にまみれ、主人たちと女中との不倫と嬰児殺しが行われている。
装置:オスマン様式のアパート(欲望の館)

11『ボヌール・デ・ダム百貨店』 オクターヴの作った世界初のデパートは女たちの欲望をあおることで大繁盛するが、周りの商店は破産させていく。
装置:デパート(欲望の館)

12『生きる喜び』海辺の家にもらわれたポリーヌ・クニュは莫大な遺産を受け取るが、養い親子に財産をすり減らされる。しかも彼女の財産を散在した婚約者サザールを友人に譲ることになる。
装置:海によって浸食される岸辺の村。金をくすねられる遺産の入った引き出し。

13『ジャルミナール』炭坑に流れ着いたエチエンヌ・ランチエは最初の夜に会ったカトリーヌに強く惹かれる。彼女もランチエに惹かれているが、結局シャバルに暴力的に女にされてしまう。エチエンヌらが中心となって起こした炭坑ストライキは失敗する。炭坑事故で坑内に閉じこめられた二人はようやく愛し合うがカトリーヌは死に、エチエンヌは助かる。労働運動の芽生えを感じつつエチエンヌは炭坑を去る。
装置:炭坑

14『制作』:印象派絵画ジェルヴェーズの長男クロードは画家となって、嵐の夜に出会ったクリスティーヌに理想のモデルを見出し、結婚する。しかしパリを描いた大作は印象派風の絵から毒々しい象徴的なものへと変貌を遂げ、作品を完成できぬまま首をつって死ぬ。
装置:キャンバス

15『大地』兵隊くずれのジャン・マッカールは、農民となってまじめに働く。フーアン老夫妻の土地の生前分与が失敗し困窮する。土地の奪い合いの中でジャンは妻も土地もなくして、軍隊にもどる。
装置:土地(投資と生産の装置)

16『夢』シドニー・ルーゴンの私生児アンジェリックは刺繍細工人に拾われて見事な刺繍細工職人となる。いつか王子さまがと夢見る彼女の元にオートクール家の跡取りフェリシアンが現れ、身分を超えての結婚式で彼女は昇天する。
装置:夢を紡ぐ刺繍

17『獣人』駅助役のルボーは若妻セヴリーヌが養父の愛人であったことを知り、養父グランモランを列車内で殺害する。それをたまたま知ったジェルヴェーズの次男クロードはセヴリーヌと愛人関係になり、ルボー殺害を計画するが、狂った殺人衝動からセヴリーヌを殺してしまう。その後ペクーの妻とも不倫したジャックはペクーと走行中の機関車(ラ・リゾン)でもみ合いとなって二人とも転落死する。運転手のない機関車は兵士を乗せて闇夜を疾走していく。
装置:機関車・鉄道

18『金銭』 地上げの後、サッカールはユニバーサル銀行を設立して、株をつり上げ、空前のバブルを出現させる。しかし株価はついに暴落して、多くの破産者を生む。
装置:株式取引所

19『壊滅』兵士の戻ったジャンは、ブルジョワ階級のモーリスと戦友となる。フランス軍は大敗し捕虜となった二人は逃げ出して、モーリスの姉のアンリエットの元でジャンは療養する。その後、モーリスはパリコミューンに参加。また軍にもどったジャンは彼と知らず銃剣で刺し、モーリスは治療のかいもなく死ぬ。惹かれ合っていたアンリエットとジャンは別れる。ジャンはフランスの再生へと歩み出す。
装置:戦争

20『パスカル博士』パスカル・ルーゴン医師は年金生活をしながら、ルーゴンとマッカールの家系の遺伝を研究し、『ルーゴンマッカール叢書』の内容と同じ文書を残す。年の差をこえて結ばれ自分の子を宿した姪のクロチルドに文書を託して死ぬ。しかし一家の汚名をおそれた母フェリシテは文書をすべて焼いてしまう。唯一残った家系図を見ながら、クロチルドは生まれた息子シャルルに授乳するのだった。
装置:家系樹。遺伝要因が交錯・発現

 ゾラが描いた装置のうち、鉄道、百貨店、炭坑、市場、レビュウー、投機市場、戦争、はまさに「欲望の喚起装置」としての、人々の際限ない欲望を引き起こしていったのです。

 第二帝政期という欲望の際限のない増大の時代に対して、一方でデュルケームはそれを道徳と宗教で抑えようと道徳と 宗教の研究をし、他方、ゾラはその欲望の装置のメカニズムを探ろうとしました。つまり、デュルケームとゾラは第二帝政期が生んだメダルの表と裏、といってもいい関係になっているのです。
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by takumi429 | 2013-11-10 23:59 | 社会学史 | Comments(0)