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ヴェルター・ベンヤミン「物語作家」

研究会で以前、勝又が配布したレジメを参考までにここのアップしておきます。

ヴェルター・ベンヤミン「物語作家」
ニコライ・レスコフ の作品についての考察
Ⅰ[物語 の衰退と経験の貧困]
「物語作家(Erzaeler)は、わたしたちにとってすでに遠くなってしまったもの、そしていまおさら遠ざかりつつあるものだ。」レスコフを物語作家として描くことは彼との距離を大きくすることである。距離を置いたとき物語作家の特徴が彼の中でみえてくる。なぜ距離が生まれたかという、今私たちは「物語る技術がいま終焉に向かいつつある」ということを経験しているからである。以前は誰にもあった経験を交換するという能力が私たちから失われつつある。
 それは経験の相場が下落してしまったからである。世界大戦において明白になったように、伝達可能な経験は豊かになるどころか乏しくなった。人々はそのちっぽけな身体を、[把握不能な]陣地戦やインフレーションや物量戦や権力ゲームのなかでただ翻弄されつづけたのだ。

Ⅱ[経験を口伝する語り手の二つのグループ]
「口から口へと伝えていく経験は、すべての物語作家が汲み続けた源泉であった。」「無名の語り手には・・・二つのグループがある。」「一方は定住する農民として、他方は交易を営む船乗りとして表されるだろう。事実、この両者の生活圏は、ある程度まで、それぞれ独自の物語作家の系列を発生させてきた。」「あれほど大きな歴史的な幅をもつ物語の国の実際の広がりは、これら二つの太古の型の親密な相互浸透なしには考えられない。このような相互浸透は、とりわけ中世の職人組織において実現された。・・・農民と船乗りが物語の老大家だったとすれば、職人階級は物語の上級学校だった。この階級において、多くの遍歴を重ねてきた者が家に持ち帰る遠い異郷についての知らせと、定住している者に最も好んで打ち明けられる知らせが結び合ったのだ。」

Ⅲ[物語作家レスコフ]
レスコフは、ギリシャ正教会に属しながらも聖と俗の両官僚制に敵対し、イギリスの商会に雇われてロシア各地を旅した。かれの聖人譚風の物語の中心となっているのは、聖教派の官僚制に戦う「義人」である。それは素朴な働き者で敬虔さのうちにも手堅い自然の天性をもっている。それに見あった姿勢をレスコフも世俗で示した。レスコフが書き始めたのは29歳からであり、きわめて実用的な関心による文章「なぜキエフでは本が高いのか?」であった。

Ⅳ[物語の助言]
「実用的関心への傾向が、天性の物語作家に共通するひとつの特徴である。」「物語作家は聞き手に対して助言を心得ている男である。・・・助言とは、問いに対する答えというよりも、(いままさに繰り広げられている)出来事のこれからの見通しに関する提案なのだ。助言を手に入れるためには、まず出来事を物語ることができなければならないだろう。(ひとは自分の状況をみずからに語らせることができる範囲内でしか助言に対して心を開くことができないのだ、という点はこの際措いておくとしても。)生きられた人生という布地に織り込まれた助言とは、知恵である。物語る技術がその終焉に向かいつつあるのは、心理の叙事的側面、すなわち知恵が、死滅しつつあるからである。しかしこれは、はるか遠くに起因しているひとつの成り行きなのである。」

Ⅴ[長篇小説の発生]
「物語の衰退という事態は、ある長い歴史的プロセスの帰結にあたるものであるが、このプロセスの最も早い時期の兆候は、近代の初めにおける長篇小説(ロマーン)の発生である。長編小説を物語(erzaehlung)から区別するのは、長篇小説が本質的に書物というありように依存しているという事情である。長篇小説の普及は書籍印刷の発明によってはじめて可能となる。口でつたえうるもの、これこそが叙事 文学の財産なのだが、これは、長篇小説を成り立たせているのとはまったく異なる性質のものである。・・・長篇小説が際立った対照をなすのは、なかでとりわけ〈物語ること(Erzaehlen)〉に対してである。物語作家は、物語ることを経験から取り出してくる。それは自分自身の経験の場合もあるし、報告された経験の場合もある。そして語ったものを、また、彼の話に耳を傾ける人びとの経験していくのだ。それに対して長篇小説作家は、他から隔絶してしまった。この、孤独のうちにある個人こそ、長篇小説が生まれる産屋なのである。・・・長篇小説を書くとは、人間の生の描写において、他と通約不可能なものを極限にまで押しし進めることにほかならない。まさに生の充溢のただなかで、この充溢の描写を通して、長篇小説は、生きる者が陥っている深く途方にくれた状態を明らかにする。

Ⅵ[新聞の登場]
「市民階級の支配が確立されるにつれて、新聞が、高度資本主義下の最も重要な支配の道具のひとつになっていき、それとともに新たに伝達の一形式が登場してきた」。「この伝達形式は、物語にとって・・・長篇小説よりもずっと驚異的な存在として立ち現れてきたのだ。・・・伝達の新しい形式とは、情報である。」
「今や人びとが、遠くからもたらされる知らせではなく、身近な事柄に判断の拠り所を与えてくれる情報のほうに喜んで耳を傾ける」。「遠くからもたらされる知らせには、かつては権威というものがあり、この権威のおかげで、その審議のチェックを経なくても一般には通帳していたのだ。しかし情報のほうは、即座に検証可能であることを要求する。そこにおいては『それ自体で理解できる』ものとして現れることが最も重要である。・・・かつての知らせが好んで奇跡から借りてきていたのに対して、情報にとっては、もっともらしく響くことが不可欠である。・・・物語る技術がまれなものとなっているのだとすれば、この事態には、情報の普及が決定的に関与している。
 毎朝私たちは世界中のニュースについて知らされる。しかし不可思議な出来事にはとぼしい。それはすでにさまざまな説明を施されることなく私たちのもとに届く事件など、もはやないからだ。言い換えれば、日々起こることはもはやほとんど何ひとつ物語の役に立たず、ほとんどすべてが情報の役にたつだけである。すなわち、出来事を再現することによって、その出来事をあれこれの説明から解き放ってやることは、それだけで半ば物語る技術なのだ。その点で、レスコフは名人である。異常なこと、不可思議なことが、これ以上ないというくらいの正確さで物語れている。だが、起こっていることの心理的連関が読者におしつけられることはない。事柄を自分が理解したとおり解釈することは読者の自由に任されており、そのことによって物語られたことは情報にないような振幅を得るのだ。」

Ⅶ[プサントニトスの話]
ヘロドトスの『歴史』第3巻第14章のエジプト王プサンメニトスの話。敗北して辱めとして、召使いとなった娘が水くみ行き、さらに息子が処刑に連行されるのを、路上で見させられても平然としていたが、年老いた召使いを捕虜の中にみた時、深い悲しみのあらゆる仕草を示した。
「情報はこの瞬間にのみ生きているのであり・・・瞬間にみずからを説明し尽くさねばならない。・・・物語は、みずから出し尽くしてしまうということがない。物語は自分の力を集め蓄えており、長い時間を経た後もなお展開していく能力があるのだ。」
さまざまな解釈はあるが、「ヘロドトスは何も説明しない。彼の報告はきわめてそっけない。だからこそ古代エジプトのこの話は、何千年も経た後にもなお、驚きと思索を呼び起こすことができるのだ。」

Ⅷ[語り継がれる話]
「心理分析など入り込む余地のないあの無垢の簡潔さほど、話をのちのちまで強く記憶に留めるさせるものはない。そして心理的ニュアンスの断念が語り手にとって自然に行こなわれれば行われるほど、話が聞き手の記憶のなかに場を占める見込みもいっそう大きくなり、よりいっそう完全に聞き手自身の経験に同化され、ついには、遅かれ早かれいつの日か語り継いでいきたいという聞き手の気持ちが、よりいっそう高まるのだ。深いところで進行するこのような同化のプロセスは、緊張が解けてリラックスした状態を必要としている。」精神的なその状態の頂点は退屈である。「退屈とは、経験という卵をかえす夢の鳥だ。」しかし新聞の興隆(森の葉ずれ)によってこの鳥は追い払われてつつある。「それとともに耳を傾ける能力も失われ、耳を傾けて熱心に聞き入る人びとの共同体も消えていく。話を物語るとはつねに、話をさらに語り伝える技術なのである。話がもはや記憶にとどめられなくなると、この技術は失われていく。」

Ⅸ[手仕事としての物語]
「手仕事の輪のなかで長く栄えている物語は、それ自体、伝達のいわば手仕事的な形式なのである。物語は、情報や業務報告がするように、事柄を純粋に「それ自体」だけ伝えることをねらっているのではない。それは事柄を、いったん報告者の生のなかに深く沈め、その後再びそこから取り出してくる。そういうわけで物語には、ちょうど陶器の皿に陶工の手の跡がついているように、語り手の痕跡がついている。・・・語り手レスコフの痕跡は、体験者としての痕跡でない場合には報告者のそれとして、語られたもののなかにさまざまなかたちではっきりと現れている。」
「この手仕事的な技術、つまり物語ることを、レスコフ自身、まさに手仕事と感じていた。」
ポール・ヴァレリーはこの手仕事を「薄くて透明な層をいくえにも重ねていく漆工芸日や絵画作品」などにたとえている。「今日の人間は、物語さえ短縮することに成功した。私たちはショート・ストーリーの生成を体験したが、それは口伝えの伝統から遠く離れてしまい、あの、薄い透明な層をいくえにも重ねていく作業など、もはや許すものではない。しかし、まさにこの作業こそ、完璧な物語がどのように成立するか、最も的確に表すイメージなのである。さまざまに語り継がれてきたものがいくえにも層をなしていき、そこから完璧な物語がその姿をあらわしてくるのだ。」

Ⅹ[死の隠ぺい]
永遠という思想の消滅が長い時間を要する仕事への嫌悪が増していることと符号する、ヴァレリーはいう。「永遠という思想は、以前からその最も強力な源泉を死のなかにもっていた。この思想が消滅するとともに、死の相貌も別のものとなってしまっているにちがいない、と推論される。」
19世紀に市民社会は、「人々に、死にゆく者の姿を見なくてもすむ可能性を与える」ことを実現した。「死ぬことは、近代の経過のなかで、生きている者の知覚世界からますます追い払われていく。・・・今日では、市民たちは、死を除去された空間に住んでいる。」しかし人間の生きた人生そのもの(物語が生み出される素材)が伝承可能な形式を受け取るのは、まずもって死にゆく者においてである」。「人生の終わりとともに人間の内部にはひと繋がりのイメージが動き出す。それは、意識することなく自分自身に出会っていたときの、彼個人のさまざまな姿から成り立っている。そのとき、彼の表情やまなざしに突如として忘れ得ぬものが現れ出て、彼に関わったすべてに権威を分かち与える。」

ⅩⅠ[自然史への遡及]
「死は物語作家が報告しうるすべてを承認する。彼は死からその権威を借り受けたのだ。言い換えるなら、そうした物語作家の語る物語が指し示す遡及先は、自然史 なのである。
ヨーハン・ペーター・ヘーベルの『ラインの家の友の小さな宝箱』。婚礼を前にして婚約者を鉱山で失った花嫁は貞節を守り続け老女となるが、ある日坑道のなかから腐敗を免れた花婿の遺体が発見され対面し、そののち天に召される。再会までの時間を作者は年代記 の形式で記述する。「ヘーベルがこの年代記のなかで行ったほど深く、その報告を自然史の地層まで埋め込んだ物語作家はかってなかった。まるで正午になると大聖堂の時計のまわりを動き出す人形の行列のなかの大鎌をもった死神のように、死が、この年代記には規則正しく周期的に現れてくるのだ。」

ⅩⅡ[年代記]
「叙事文学のすべての形式のなかで年代記ほど、書かれた歴史の純粋無色透明の光のなかに明確に現れてくる形式はない。・・・年代記作家とは歴史を物語る者なのである。・・・歴史家には、彼が扱おうとする出来事をなんらかの方法で説明する義務がある。歴史家はどんなことがあっても、出来事を、世の運行の雛形として呈示して満足するわけにはいかない。しかしまさにこのことを年代記作家はするのだ。・・・彼らは、究めがたい神の救済計画を彼らの歴史物語の基礎におくことによって、証明可能な説明(Erklaerung)という重荷を最初からふり落としてしまった。そのかわりに登場するのが、解釈(Auslegung[取り出して並べておくこと])というやり方、すなわち、特定の出来事の正確な連鎖を求めていくのではなく、それらの出来事を、偉大な究めがたい世の運行のなかに埋め込む、というやりかたである。
 世の運行が救済史的に条件づけらたものであるか、それとも自然史的なものであるか、ということにたいした違いはない。年代記作家は、変容し、いわば世俗化した姿で、物語作家のなかに保持されている。」
「人間が自然と調和のうちにあると信じることができた時代は過ぎ去った。・・・物語作家はこのような時代に中世を保って」いる。

ⅩⅢ[記憶と想起]
「聞き手の語り手に対する素朴な関係は語られたことを覚えておこうという関心によって支配されている」。「無心な聞き手にとって重要な点は、話を再現する可能性を確保することだ。輝北こそ、何にもまして叙事的能力である。すべてを包括する記憶によってのみ、叙事文学は、一方では事物の成り行きをわがものとし、他方ではそれら事物の消滅、すなわち死の暴力と和解することができる。」
追想は叙事的なものの女神であった。叙事詩 は、一種の零点の力によって、物語と長篇小説の両方を包含している。・・・長篇小説が叙事詩の懐から歩み出てきはじめたとき、長篇小説においては、叙事的なもののミューズ的要素、すなわち追想が、物語におけるのとはまったくことなる姿で現れてくる」。
「・・・長篇小説の永遠化する記憶であり、それは物語作家の、ときを短く感じさせるような楽しませるような記憶とは反対のものである。前者の記憶はひとりの主人公に、ひとつのさすらいに、あらいはひとつの闘いにささげられる。それに対して後者の記憶は多くのバラバラの出来事に捧げられる。長篇小説のミューズ的なものとして、物語のミューズ的なもの―――つまり記憶―――の傍らに歩み出てきたのは、言い換えれば、想起なのである。両者の起源は、かつては追想のなかで統一を保っていたが、叙事詩の没落とともに分化したのだった。」

ⅩⅣ[長篇小説のなかの追想]
長篇小説は叙事的なものから追想を、深い憂鬱をもって、受け継いだ。ルカーチは長篇小説に「先験的な故郷喪失の形式」をみた。故郷喪失によって時間がもたらされ、それを長篇小説を取り込む。そうして喪失を埋めるべく「生の意味」をめぐって展開される。「しかし生の意味を問うとは、途方にくれた状態であることのわかりやすい表現にほかならない。長篇小説の読者は、このように途方にくれて、まさにそこに書かれた生においてみずからをながめる。」長篇小説には「生の意味」が、物語には「お話の教訓」がおかれている。 

ⅩⅤ[長篇小説の読者]
「物語に耳を傾けているものは、語り手との交流の場にいるわけだが、物語を読むものさえも、この交流に参加している。しかし長篇小説の読者は孤独だ。長篇小説のなかの人物の生の「意味」はその死からはじめて明らかにされる。長篇小説の読者は「生の意味」を求めている。つまり読者は小説の人物の死によって自らを暖めようとするのである。

ⅩⅥ[物語におけるメルヒェン性]
すべての物語作家はまるで梯子を使うかのように経験の階梯を上がり下がりする。そこにみられる大胆さはメルヒェンにみられるものである。人類が自然の支配から逃れはじめたとき、神話的世界がふるう暴力に対して策略と大胆さで立ち向かうことを教えるのがメルヒェンであった。物語作家はこのメルヒェンの作家でもありつづけるのだ。

ⅩⅦ[義人]
レスコフの描く人物たちは魔法や伝説の呪縛からメルヒェン的に抜け出ている。それが「義人」である。このレスコフの「義人」には彼の母親のイメージが浸透している。
義人は被造物の代弁者であり、被造物の最高の現れでもある。それとは対照的な情欲にまみれた人物を描くことでレスコフは被造物のさまざまな階層の深みも描いている。

ⅩⅧ[自然の声]
被造物の階層は非生物の世界にまでひろがっており、レスコフにおいて「自然の声」にまでたどりつく。

ⅩⅨ[被造物の階梯]
物語作家において、被造物の階梯はついには神秘的な深みにまで達する。そうして物語作家は我々に教訓を与える存在、つまり教師や賢者の仲間になっていく。「物語作家とは義人が自分自身に出会うときの姿なのである。」
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by takumi429 | 2006-10-27 04:07 | 物語論 | Comments(0)

バイロングッド著『医療・合理性・経験』(誠信書房)

バイロングッド著『医療・合理性・経験』(誠信書房)

病気になるということは多くの人間のとって唐突で理由もわからない錯綜した事態としてもともとは現れることです。
それを人間はなんとか理解し意味づけたり理由づけをしようとします。
混沌とした事態を人間が整理してまとめ上げるには様々な形式があるとカッシーラは考えました。原因-結果の関係でまとめ上げていくのはいわゆる科学ですが、それ以外にも神話や宗教のように因果応報で整理することもできるでしょう。
グッドマンは、医学もそうした病気にまつわる混沌とした事態を整理し、対処するために形式であるとみなしたのです。病気の名状しがたい状態に、医学の用語を当てはめ(医学的なシンボルに置き換え)、同時にそれらを医学的な身体の体系と因果関係におさめ、そうしてどのように働きかけるかを考える、それが医学というシンボル形式だと言うわけです。
しかし医学以外にも病気という事態を整理しまとめていくやり方はあるはずです。病人とその周りの人間にとってはどうでしょうか。彼らが病気という事態に直面したとき、それはまるで意味のよくわからない文章(テクスト)のようなものとして現れます。病人とその周囲の人々は、そのわけのわからないテクストを何とか筋(プロット)の通ったお話にまとめ上げようとします。それはちょうどむずかしいテクストを読み解きながら、どうやらこの話は、こんな話らしいと言う風に自分なりに話をまとめている読者に似ています。読者は理解にむずかしい話を読みながら、同時にそこに自分なりに読み解いたお話を作り上げているのです。突然の発病とその後の苦難は、それなりにすじのとおったお話のまとめ上げられていきます。
筋がとおったお話のパターンは、実は案外、決まっています。それには人類共通なものがおおいですし、少なくとも、ある文化には、筋がとおった話のパターンというのは数が限られています。病気をめぐる事態をまとまったりお話にまとめるとき、人間はそれらのいくつかのパターン(プロット)を使ってまとめていくのです。

しかし、事態は今後どのように進展していくかはっきりしませんし、またたとえ病状が絶望的と思えても、わずかな望みを捨てたくはありません。ですから話はもう確定したものだという風にまとめることはできません。それは絶えず、別の新たな展開にも開かれたものになっていなくてはいけません。そのためには別の話の筋へと持って行くことが可能な形でお話がまとめられていなくてはいけません。そのために本筋とは別の筋が話にふくませてあるということも大事です。が、それ以上に大切なのは、話がきっちり確定したものではなくて、「今のところこういうことだとしたら、こういうことになるといえるだろうな」というような形に話をとどめておかなくてはいけません。そうした寸止めみたいな話の落とし方を、グッドはブルーナーから借りた「仮定法化」という言葉で表したというわけです。
 病気をめぐる事態はどんどん変化していき、それとともに本人も周りの人間もわいわいいいながらそれをそれなりに筋のとおった、しかし変化と展開に対応できるような、お話のまとめていきます。それは一人でつくる物語ではなくて、いろんな人間が口をはなさみながらつくる、いわば多声的な物語だというわけです。(それはちょうど、バフチンはドストエフスキーの小説についていったのと同じようなことになるというわけです)。
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by takumi429 | 2006-10-27 04:06 | 物語論 | Comments(0)

バフチンについて

バフチンについての報告をアップしておきます。
(なお、一部(http://www.coara.or.jp/~dost/5-1-1.htmからコピーさせていただきました。記して感謝します)。

平成15年5月13日
報告者:勝又正直
バフチン 1895‐1975
Mikhail Mikhailovich Bakhtin(ミハイル・ミハイロビッチ・バフチン)

生涯と著作
1895年 オリョール生まれ
1913年ノヴォロスィヤ(現在のオデッサ)大学文学部入学、のちにペテルブルグ大学に移る。ドイツ哲学とロシア文学の研究に熱中。
1918年ペテルブルグ大学卒業
1919-20年ネヴェリで教職
1919年「芸術と責任」
1920年ヴィテブスクに移る。メドヴェージェフやらとバフチン・グループを形成。
      メドヴェージェフやヴォローシノフの名義でいくつかの著書を発表。
1927年 ヴォローシノフ『フロイド主義』
1928年 メドヴェージェフ『文学研究における形式的方法』
1924年骨髄炎のため教職を辞してレニングラードに戻る。
1929年ロシア正教の宗教活動に関わったために逮捕される。
1929年『ドストエフスキーの創作の諸問題』、ヴォローシノフ『マルクス主義と言語の哲学』
1930年シベリアへの流刑をまぬがれ、クスタナイに流刑になる。町の役場で働く。「小説の言葉」を完成。ラブレー研究を開始。
1936年サランスクのモルドドヴィア高等師範学校に招かれ、世界文学史を教える。
1937年モスクワ近郊のキルムィに移る。ドイツ教養小説についての著作を完成するも、戦争のため出版できず、戦火で原稿も失われる。
1938年多発性骨髄炎悪化のため右足切断。「小説における時間と時空間の諸形式」を完成。
1939年学位論文「リアリズム史上のラブレー」脱稿。
1945年 モルドヴァ高等師範学校に招かれる。世界文学の講座主任をつとめる。
1946年学位論文の審査がおこなわれたが、博士号ではく修士号を授与される。
1957年モルドヴァ高等師範学校は大学となり、バフチンはロシア・外国文学の講座主任をつとめ    る。
1963年『ドフトエーフスキイの詩学の諸問題』(『ドストエフスキーの創作の諸問題』の増補改訂版)。バフチン再評価のきっかけとなる。
1964年『フランソア・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』(学位論文を改訂したもの)
1969年健康上の理由によりサランスクからモスクワに移る。
1975年モスクワにて永眠。
1975年 論文集『文学と美学の諸問題』



バフチン・サークルの著作
ドフトエーフスキイ論とラブレー論を除くと、ほとんど友人名義あるいは友人との共著の形を取っている。
外在的理由:無名の自分の名前では出版にチャンスにとぼしい。(無名であることが幸いしてバフチンのみが天寿を全うできたのだが)。
内在的理由:著書というものは、著者だけがひとりで語る、モノローグを活字にしたものなのだろうか。バフチンのサークルではさまざまなメンバーによるさまざまな議論(対話)が沸騰していた。それを活字にしたらならば、それをバフチンひとりの著作とするのはおかしいのではないか、というバフチンの考え。

言葉による作品は、著者がひとりで語るものではなく、いろいろな人のさまざまな声から生まれたものであり、またさまざまな人々をへとむけられた、対話的なものではある。作品を読んでいくということは、それを生み出し、それにこめられ、またそれがのぞんでいた対話的で沸騰するような声の交響の世界を蘇らせることである。
思想の源基となるもの:ドフトエーフスキイの小説
○さまざまな登場人物がそれそれ対等の重みをもってそれぞれ説得的な独自な語り口で対話を繰り広げる。たとえば『カラマーゾフの兄弟』で、端役と思われた退役軍人が人生の哀歓と息子への切実な愛情を語り、その息子が実は神の子にして犠牲者イエスのたとえとなる。挿入した話し(退役軍人の息子の死)と思われたものが、受難物語を写し出したものであり、物語全体はさらにその断片的な写しとなる。
○異質な登場人物が一同に会してどんちゃん騒ぎをする。たとえば、『カラマーゾフの兄弟』第8編のモークロエ村でのどんちゃん騒ぎ。長男が恋人をつれての大盤振る舞いに村人が急に芸人と化して歌い踊り出しお祭り騒ぎになる。

ミハイル・バフチン著『ドストエフスキーの詩学』 (望月哲男・鈴木淳一訳。ちくま学芸文庫1995年)
「それぞれに独立して互いに融(と)け合うことのないあまたの(=多くの)声と意識、それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニー(注:多声楽)こそが、ドストエフスキーの小説の本質的な特徴なのである。彼の作品の中で起こっていることは、複数の個性や運命が単一の作者の意識の光に照らされた単一の客観的な世界の中で展開されてゆくといったことではない。そうではなくて、ここではまさに、それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、各自の独立性を保ったまま、何らかの事件というまとまりの中に織り込まれてゆくのである。実際ドストエフスキーの主要人物たちは、すでに創作の構想において、単なる作者の言葉の客体であるばかりではなく、直接の意味作用をもった自(みずか)らの言葉の主体でもあるのだ。したがって主人公の言葉の役割は、通常の意味の性格造型や筋の運びのためのプラグマチックな(=実用的な)機能に尽きるものではないし、また(例えばバイロン(イギリスの詩人・劇作家)の作品におけるように)作者自身のイデオロギー的な(=独善的な)立場を代弁しているわけでもない。主人公の意識は、もう一つの、他者の意識として提示されているのだが、同時にそれは物象(ぶっしょう=物的現象。)化され閉ざされた意識ではない。すなわち作者の意識の単なる客体ではないのである。この意味でドストエフスキーの主人公の形象(けいしょう)は、伝統的な小説における普通の客体的な主人公像とは異なっているのである。ドストエフスキーはポリフォニー小説の創造者である。彼は本質的に新しい小説ジャンルを作り出したのだ。それゆえ彼の作品はどんな枠にも収まらない。つまり我々が従来ヨーロッパ小説に適用してきた文学史上の図式はいずれにも当てはまらないのである。」 ( 第1章「ドストエフスキーのポリフォニー小説および従来の批評におけるその解釈」のp15~p16。)

「ドストエフスキーの世界には、弁証法も二律背反も確かに存在する。実際彼の主人公たちの思考は、時として弁証法的であり、あるいは二律背反的である。しかしあらゆる論理上の因果律は、個々人の意識の枠内にとどまるものであって、彼らの間の出来事レベルの相関関係を支配するものではない。ドストエフスキーの世界は本質的に個の世界である。彼はあらゆる思想を個人の立場として把握し、描いている。だから個々の意識の枠内においてでさえ、弁証法や二律背反の系列は、単に抽象的な要因としてあるに過ぎず、それは全一的で具体的な意識の別の様々な要因と分かちがたく絡(から)み合っているのである。この受肉した具体的な意識を通して響く全一的な(=独立した統一ある全体を保っているさま。)人間の生き生きとした声の中でこそ、論理系列は描かれる事件の総体に参加するのである。思想は事件に引き込まれることによってそれ自体が事件をはらむものとなり、特別な《イデエ=感情》、《イデエ=力》としての性格を獲得する。そこからドストエフスキーの世界における《イデエ》の比類ない独自性が生み出されるのである。もしこのイデエが、事件としての意識の相互作用から切り離され、モノローグ(=相手を想定しない独白。ダイアローグ(=対話)の対語。)的に体系づけられた文脈に押し込められてしまうなら(かりにそれがもっとも弁証法的な文脈であったとしても)、イデエは不可避的にその独自性を喪失し、出来の悪い哲学的な主張と化してしまうであろう。」 ( 第1章「ドストエフスキーのポリフォニー小説および従来の批評におけるその解釈」のp21。)

「ドストエフスキー創作においてもまた、当然のことながら、カーニバルの伝統は面目を一新して生まれ変わっている。そこでは、伝統は独自の意味づけを施され、他の芸術的要因と結びつき、これまでの章で明らかにしようとしたような、彼特有の芸術的目的に奉仕しているのである。カーニバル化はそこでは、ポリフォニー小説のあらゆる特性と有機的に結びついているのだ。」 ( 第4章「ドストエフスキーの作品のジャンルおよびプロット構成の諸特徴」のp320~p321。)

「『罪と罰』を始めとするドストエフスキーの長編のどれを取っても、そこでは例外なく対話の徹底的なカーニバル化が行なわれている。」 ( 第4章「ドストエフスキーの作品のジャンルおよびプロット構成の諸特徴」のp335。)
(http://www.coara.or.jp/~dost/5-1-1.htmより重引)

ミハイール・バフチーン『フランソア・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』(川端香男里訳せりか書房1973年)
ラブレーの作品の背後に中世の哄笑とカーニバルの世界をよみがえらせた。

バフチンの批判的かつ生産的な対話者
ロシア・フォルマリズム
Russian Formalism
1910年代半ばから20年代末にかけてロシアの若手研究者や言語学者を中心に展開された文学運動。ロシアでは単に〈フォルマリズム formalizm〉と呼ぶ。〈文学ではなくて,文学性,つまりある作品をして文学作品たらしめているもの〉こそ文学研究の対象とすべきであると主張した。おもなメンバーとしては,1915年に設立されたモスクワ言語学サークルのヤコブソン,ボガトゥイリョフ P. G.Bogatyryov(1893‐1971),1916年に設立されたオポヤーズ(詩的言語研究会)のシクロフスキー,エイヘンバウム,トマシェフスキー,トゥイニャーノフらがあげられる。彼らは,それまでの文学研究が文化史や社会史,あるいは心理学や哲学に依拠していることを批判するとともに,文学作品を自立した言語世界としてとらえ,言語表現の方法と構造の面から文学作品を解明しようとした。すなわち,〈何が〉書かれているかではなく,〈いかに〉書かれているかがまず問題とされた。シクロフスキーの言を借りれば,芸術の目的は事物を異化・非日常化することにあり,知覚を困難にし長びかせるのが芸術の手法である。すなわち〈手法こそが唯一の主人公〉であった。フォルマリストたちのこのような見解は,当時の未来派のザーウミzaum’(超意味言語)による詩やキュビスムの絵画と密に関連している。具体的な成果としては,詩の分野に関するものが中心をなしているが,散文に関してもプロット構成の手法,語り,パロディなどの分析に注目すべきものが少なくない。また,文学史に関しても独特な所説を残している。
 フォルマリズムは,20年代半ばより反マルクス主義として厳しい非難をあびるようになり,その見解も一時のような極端さを解消していくが,結局は政治的に弾圧された。30年代には,文学のみならず映画,演劇,音楽に携わる者までも〈フォルマリズム〉を口実に非難されるようになる。しかし,〈詩的言語〉論に代表されるロシア・フォルマリズムの遺産はプラハ言語学派に受け継がれ,のちに構造主義の先駆として再評価されるようになる。一方,バフチンの著作活動や現在のロシアにおける〈モスクワ・タルトゥ学派〉の記号学への影響が看取される。⇒記号∥詩学∥文学理論   桑野 隆
(c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.
ロシア・フォルマリズムの思想
詩的世界の言語は、人々が慣れ親しんで同化し、自動的な考えもせず自動的に反応している事物を、異質のものとすること(異化)でその美しさ・異様さ・すばらしさなどの輝きをとりもどさせる。
詩的言語こそ、芸術的言語である。
また芸術は社会文化に還元されるのでなく、自律的な領域としてその内部の仕組みを分析できるし、またしなくてはいけない。(→構造主義)。

バフチンの異議(内在的批判)→『小説の言葉』(伊藤一郎訳、平凡社ライブラリー)
(ドフトエーフスキイの小説に代表される)小説の言語こそ、すくなくとも近代以降の芸術的言語の中枢にすわるものである。
芸術の世界を単純に社会に還元するのはたしかに誤りである。しかし作家の頭のなかで渦巻いている言葉は彼をとりまく世界で渦巻いている言葉と連関しているのであって、決して作家がひとりきりで語ったものでない。
むしろ小説の言葉がたえずさまざまな声をひびかせているからこそ、それは日常の事物をとらえかえさせること(あえていえば異化)ができるのである。
詩的言語は独白的なモノローグの言葉であるが、小説の言葉は、ポリフォニックな多声的な言葉である。
(バフチンのフォルマリズム批判は『文芸学の形式的方法』(桑野隆・佐々木寛訳 ミハイル・バフチン著作集3 新時代社)で全面的に展開されることになる)。

ミハイル・バフチン『マルクス主義と言語哲学 言語学における社会学的方法の基本的音大』(改訳版)(桑野隆訳、未来社1989年)
抜き書き
第1部言語哲学の問題がマルクス主義にもつ意義
「このようにして、自然現象、技術用具、消費財とならんで、特殊な世界―――記号の世界というもの―――が存在しているのである。」(16頁)
「意識は記号として具体化されてはじめて実現され現実のものとなりうる。」(18)
記号とは、個々人の意識のあいだの相互作用の過程のなかでのみ発生するものなのである。」(19)
「言葉は内面生活―――意識―――の記号的素材となっている(内言)」(24)
「言葉の特質のすべて―――純粋な記号であること、イデオロギー的に中立であうこと、日常生活の交通に関与していること、内言となりうること、さらに意識的行為に必ず存在していること」(26)
「記号の形態は、まず第一に、人々の社会的組織や、人々が相互に作用しあう際の身近な条件によって規定されている。」(34)
「内的心理の現実とは、記号の現実である。記号という素材の外部では心理は存在しない。」(42)
「体験は記号によって表現されうるだけではない。こういった外へ向けての表現のほかに、体験は体験している当人にとっても記号という素材のなかにのみ存在するのである。この素材の外では、体験そのものはまったく存在しない。この意味で、あらゆる体験は表現可能である。つまり潜在的表現である。」(46)
「いかにささいなものであれ言葉、つまりそれぞれの発話のなかでは、心理的なるものとイデオロギー的なるもの、内的なものと外的なもののこういった生きた弁証法的総合がつぎからつぎへと実現している。どんなことば行為においても、主観的体験は、発せられ言葉=発話という客観的事実へと消滅し、一方、発せられた言葉は、応答の了解という行為のなかで主観化され、おそかれはやかれ応答のことばを生みだす。それぞれの言葉は、すでに見たように、さまざまな方向の社会的アクセントの交差と闘いの小舞台である。一個人の発する言葉は、社会的諸力の生き生きした相互作用の所産である。このように心理とイデオロギーは、社会的交通という単一の客観的過程のなかでたがいに弁証法的に浸透しあっているのである。」(66)
第2部マルクス主義的言語哲学の道
言語学における第一の潮流(個人主義的主観論)
「第一の潮流の基本的言語観はつぎのような四つの基本命題にまとめられる。
1 言語とは活動であり、個人のことば行為によって実現される絶えまなき創造過程(エネルゲイア)である。
2 言語創造の法則とは、個人心理の法則である。
3 言語創造は、芸術創造に似て、意味づけされた創造である。
4 規制の所産(エネルゴン)、安定した体系(語彙、文法、音組織)としての言語は、いわば生気を失った地層、言語創造の凝固した溶岩であり、言語学が既存の存在の道具としての言語を実用的に教えるために抽象的につくりだすものにほかならない。」(72-73)

言語学における第二の潮流(抽象的客観論) おもにソシュール言語学
「第二の潮流の基本的言語観はつぎのよう基本命題にまとめられる。
1 言語とは、規範的に同一な言語諸形態の体系であり、個人意識はそれを既成のものとして見いだし、それに疑問をはさむことができない。
2 言語の法則とは、所与の閉じられた言語体系内で言語記号どうしがいかに結びついているのかを示す特殊な言語学的法則である。これらの法則はあらゆる意識にたいして客観的なものである。
3 特殊な言語的結びつきは、(芸術的・認識的・その他の)イデオロギー的価値となんらの共通点をもっていない。いかなるイデオロギー的動機も、言語現象を動機づけていていない。言葉とその意味のあいだには、意識で理解しうるような自然な関係や、芸術的関係は、ひとつとして存在しない。
4 個人のことば行為は、言語の見地からすれば、規範的に同一な形態の偶発的な屈折や変化あるいは歪曲にすぎない。しかし個人の発話のこれらの行為こそが、言語形態の歴史的変化、それ自身は言語体系の見地からは非合理的で無意味なものである変化を説明する。言語の体系とその歴史のあいだには、関連性も動機の共通性も存在しない。それらはたがいに無縁である。」(85-86)

第二の潮流への批判
「共時的体系とは、客観的観点からすれば、歴史上の生成過程のいかなる瞬間にも合致しない。」(96)
「話し手にとって言語形態が重要なのは、安定し、つねに自己同一的な信号としてではなく、つねに変化しやすく弾力性のある記号としてなのである。」(100)
「言語学は、文献学的な必要性に導かれてきたために、完結したモノローグ的発話―――古文献―――を究極の現実としてきた。」(106)
「言語学者が研究している死せる言語は、むろん、他者の言語である。」(108)
「すなわち、死せる・書かれた・他者の言語―――これが言語学的思考が関わってきた言語の真の定義である。みずからの言語的コンテクストや現実のコンテクストから切り離され、可能な能動的応答ではなく文献学者の受動的了解にたいしてむけられた孤立し・完結した・モノローグ的な発話―――これが、言語学的思考の究極の与件であり出発点である。」(109)
「抽象的客観論の誤謬」
「1 言語形態の安定し自己同一的な契機が、言語形態の可変性に優越している。
2 抽象性が具体性に優越している。
3 抽象的体系性が歴史性に優越している。
4 諸要素の諸形態が全体の諸形態に優越している。
5 言葉の動的状態の代わりに、孤立した言語要素を実体化している。
6 言葉の生きた多義性と複数アクセント性を無視し、言葉を一義的で単一アクセントのものとしてあつかっている。
7 言語を世代から世代へと伝えられる既成の事物とみなしている。
8 言語の生成を内部から理解することができない。」(114)

「言語哲学思想の第一の基礎をなす表現理論は、根本的にあやまっている。
体験―――表現されるもの―――とその外的客観化は、すでに見たように、同じ素材からつくりだされている。記号的具体化を欠くような体験は存在しないのである。したがって最初から、内的要素と芸的要素の根本的な質のちがいなどは問題となりえない。そればかりか、組織し、かたちを与える中心は内部(つまり内的記号なる素材)ではなく、外部にある。表現を組織するのは体験ではない。その逆に表現が体験を組織し、それに形式と方向性をあたえるのである。」(128)
「言葉が話し相手に向けられているということの意味は、きわめて大きい。実際、言葉とは二面的な行為なのである。それは誰のものであるかということ、誰のためのものであるかということのふたつに同等に規定されている。それは、言葉として、まさしく話し手と聞き手の相互作用の所産なのである。あらゆる言葉は、「他の者」にたいする関係における「ある者」を表現する。」(130)
「特殊な性格をおびているのは、個人主義的自我体験である。これは、さきに定義したような意味での〈わたし・体験〉ではない。・・・個人主義は、ブルジョワ階級の〈われわれ・体験〉の特殊イデオロギー的形態である。」(135)
「言語=ことばの現実となっているのは、言語形態の抽象的体系でも、孤立した発話でも、その実現の精神生理的行為でもなく、発話によって実現される言語学的相互作用という社会的出来事である。」(145)
「社会的交通が(土台を基礎として)生成し、そのなかで言語的交通や相互作用が生成し、この後者のなかで言葉の運用の諸形態が生成する。そしてこの生成が、結局、言語形態の変化に反映するのである。」(147)
「結びとして、われわれの見解をいくつかの命題に公式化しておこう。
1 規範的に同一な諸形態の安定した体系としての言語とは、一定の実践的・理論的目的においてのみ生産的な学問的抽象化にすぎない。この抽象化は言語の具体的な現実に相応していない。
2 言語とは、話し手たちの社会的な言語相互作用によって実現される絶えまなき生成過程である。
3 言語生成の法則は個人心理学的法則ではけっしてない。しかしそれらは話す個人の活動からは切り離すこともできあに。言語生成の法則とは社会学的法則である。
4 言語の創造は、芸術的創造あるいは他のなんらかの社会的イデオロギー的創造とは一致しない。しかし同時に、言語の創造は、それを充たしているイデオロギー的意味や価値から離れて理解されない。言語の生成は、あらゆる歴史的生成とおなじように、盲目の機械的必然性のように感じられるかもしれない。しかし、自覚された必然性となって、「自由な必然性」となることもある。
5 発話の構造は純粋に社会的な構造である。発話そのものは話し手たちのあいだに存在する。(「個人的」という言葉の正確な意味における)個人的ことば行為とは、形容矛盾である。」(152)

第三部構文からみた発話の形態の歴史
もっぱら他者の言葉を文章になかにどのようにとりこむか、間接話法、直接話法などの考察。
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by takumi429 | 2006-10-27 04:05 | 物語論 | Comments(0)