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パリ滞在記

映画『パリ、ジュテーム』を見てパリに関心を持った方は、よかったら私のパリ滞在記を見てください。滞在記は、「私の都市航海」 にあります。
また今回のパリ滞在記は「鴨川左岸日乗」に連載中です。こちらもご覧ください。
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by takumi429 | 2008-07-11 04:03 | 都市の社会学 パリ | Comments(0)

フィルム・スタディーズ入門 まとめ

1 イントロダクション
一連の写真の連続を切り分け(カット)、それをつなぎ合わせてシーンにすることで映画はできています。たとえば、登場人物の二人を撮り、次に交互に人物を撮り、さらに接吻する二人をアップで撮り、それらのカットをつなぎ合せることで、愛し合う恋人同士のシーンを作り出します。(その際、二人を結ぶ想像上の線(イマジナリーライン)の手前から撮影しなくてはいけません。その線を越えて撮影すると二人の人物の左右の関係が逆になってしまうからです。これを180度の原則といいます)。また、走り来るクー・クラックス・クランのカットと男に襲われそうになっている娘のカットを交互につなぎ合わせる(クロス・カッティング)で、娘の救出にむかうクー・クラックス・クランというシーンを作り上げることができます。映画とは、こうした編集によって、新たな、見たこともないような、すばらしい、恐ろしい、すてきな「現実」を作り上げる、そうした芸術といえるでしょう。

2 映画の技法
映画の技法には、演出技法(ミザンセーヌ)と撮影技法、があります。演出技法はセットデザイン・照明・登場人物の動きなどをどのようにカメラの前に現れさせるかということで、撮影技法とはそれをどのように撮影し、フィルムに収めるか、ということです。
演出技法に重心をおく映画では、長まわしとディープフォーカスがもちいられます。長まわしとは、1つのショットが長時間にわたることです。またディープフォーカスとは画面の中の前景・中景・背景のすべてに同時に焦点を合わせることで、そうすると複数のアクションが同時にひとつの画面の中に収められます。
 撮影技法に重点をおく映画では、コンティニュイティ編集が多用されます。コンティニュイティ編集とは複数のショット(時間と空間の断片)を統合して時間と空間の統一性を作り出すことです。連続性(コンティニュイティ)を観客に感じさせるために、すでに述べた180度の原則やアイライン・マッチ(登場人物がスクリーンの外の何かを見ると、切り返しがあって登場人物の見ているものが示される)、視点に沿った切り替え(登場人物が何か見ているカットの後に登場人物の視点からみたそのものが示される)、アクションに沿った切り替え(アクションがなされるに合わせてショットから別のショットへの切り替えが起こる)、方向を合わせた連続性(ものの進む方向が一定していること)など技法が用いられます。

 3映画の音響
 映画作品のストーリー世界(物語世界)のことを、ディエジェージンス(diegesis)といいます。映画の音響は、その音の発信源(音源)がどこに位置するかでつぎのように区分されます。
(1)非ーディエジェーシス上の音響。これは、物語世界の外からの音です。サウンドトラックなどがこれにあたります。(2)ディエジェーシス上の音響。これは、ストーリー世界の中にある発信源からの音響です。これはさらに、①登場人物の声などの外的なディエジェーシス上の音響と、②登場人物の心の声などの内的なディエジェーシス上の音響とに分けられます。

4映画美学
映画美学にはつぎの2つの立場があります。
(1)リアリスト
現実を模倣する映画の能力が映画を芸術として規定すると主張します。長回しとディープフォーカスこそが映画固有の特性を表現する映画のスタイルとします。
(2)フォーマリスト
映画は現実を完全には模倣できない、その映画のもつ制約こそ、芸術的な目的のために私たちの日々の現実経験を操作し変形するきっかけを映画制作者にあたえる、と主張します。フォーマリストはとりわけ、モンタージュ(カットとカットをぶつけ掛け合わせること)を重視します。

5映画の物語構造
映画の物語の構造には、(1)物語の中身、と(2)物語の語り口、とがあります。
(1)物語(narrative)(の中身)は、因果関係や動機づけによってかたちづくられています。多くの場合、冒頭部(発端となる均衡状態)中間部(均衡の崩壊・過渡期)、結末部(均衡の復元)、という構造を持ち、たいていは主人公の成長・衰弱・死などの変容をともないます。
(2)物語の語り口(narration)には、(1)制限された語り口と(2)全知の語り口、があります。(1)制限された語り口では、一人の登場人物の視点から物語られます。観客は登場人と同じことしか知らず、その結果、ミステリー(なぞ)が生じます。(2)全知の語り口では、登場人物の視野に限定されず、観客は登場人物の誰よりも多くのことを知っており、その結果、サスペンス(はらはらどきどき)が生じます。

6映画作家
映画作家とは、自分の映画作品を通じてスタイルとテーマの一貫性を示している監督で、撮影技法(どうカメラに収めるか)に独自性を持っている監督です。こうした監督を単なる演出家から区別する作家主義は、1950年代フランスの映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』から始まりました。
 ヒッチコック
 ヒッチコック映画におけるスタイルの統一性は、(1)編集とモンタージュの強調、(2)登場人物から見た視点ショット(主観ショット)の数の多さ(3)閉め切られた空間での撮影、です。またテーマは、(1)捜査(たいていは殺人事件)の捜査にまつわる物語。主人公は、捜査する者、あるいは、される者、(2)告白と罪、(3)サスペンス、(4)完全犯罪の殺人、(5)間違えたれた男、です。
黒澤明:複眼性と多声性
 黒澤明は、音響と映像の対位法(コントラプンクト)を『酔いどれ天使』や『野良犬』で試み、さらに『野良犬』では犯人と刑事は分裂した双子のような登場人物となります。この登場人物の分裂による対位法は『影武者』にも引き継がれています。
 また『羅生門』では、登場人物の視点から同じ事件がさまざまに語られます。この後、脚本作成でも、複数の脚本家が同一シーンを書いていく合同脚本の方法が用いられています。
 この「複眼の映像」(橋本忍)の発想は、マルチ・カメラという撮影技法も生み出しました。これは、複数のカメラを同時に回して撮り、後から好きなカットを好きな時間だけ編集して、一本にまとめていく手法です。また黒澤はディープフォーカスと望遠レンズを多用して、さまざまな登場人物の行動・表情を同時、圧縮してとらえました。こうして複数の登場人物の観点・思惑が交差する画面をつくりあげています。
 このように、黒澤明は、対位法によって単一の人物(視点)を複数にし、さらにこの複数の視点から多声的に語っていこうとした映画作家なのです。

7映画ジャンル
ジャンル映画とは、ハリウッドの映画産業による大量生産品のことです。ジャンルには、例えば、メロドラマ、フィルムノワール、SF、時代劇などあります。
繰り返されるパターンにより観客は先取り予測します。ジャンル映画は希望と約束を設定し、この希望と約束が成就されることで快がもたらされます。ジャンル映画が観客を満足させるのは、観客たちが解決したいと望んでいるこうした疑問や問題を解決してくれるからです。つまりジャンル映画は集団的な表現形式、社会に向けて掲げられた鏡であり、社会で共有された問題や価値観を具体化し、映し出しているのです。ですからジャンル映画を研究することは、このジャンル映画を生産し消費している文化を研究する方法の1つです。
メロドラマ 
メロドラマはしばしば1人の女性(被害者)の視点から語られます。それは家父長的社会(男尊女卑のおじさん優位の社会)での女性が被る道徳的葛藤をテーマとしています。全知の語り口の形式をとり、プロット(語りの展開)は、予想外の展開とどんでん返し、偶発事と出会い、さらに秘密、から成り立ってします。メロドラマには、(1) 堕落した女の映画、 (2)未知の女(unknown woman)のメロドラマ、 (3)被害妄想の女の映画、などがあります。
フィルムノワール
フィルムノワールとは、1941『マルタの鷹』(ジョン・シューストン)から1957『黒い罠』(オーソン・ウエルズ)にかけて見られた、特徴を備えた犯罪映画の一群とその影響をうけた後続の映画です。
 フィルムノワールの演出技法と撮影技法は、ドイツの表現主義の影響を受けており、明暗法による照明や斜めのフレーミングが、濃い影、シルエット、傾いた線、不安定な構図からなるコントラストの強い映像を生み出しています。
 物語では、正義と悪の区分があいまいとなり、主人公(私立探偵が多い)は手を汚します。そうなる原因として、しばしばファムファタール(危険な魅力を持つ女)が現れ、物語はしばしば、彼女と男性主人公との闘争の形をとります。
 このジャンルは、第二次世界大戦による女性の社会進出にたいする男性の不安がもたらしたものとみることができます。

SF映画
SF映画は、科学とテクノロジーの進歩がもたらすものについての省察と宇宙旅行とエイリアンとの接触と遠い未来という設定を持っています。
1950年代のSF映画は、冷戦体制のもと、共産主義の脅威を描いたとみることができます。しかし、「赤狩り」の脅威を描いたものとみることもできます。

8ノンフィクション映画
ドキュメンタリー映画に次の5に分類できます。
(1)解説するドキュメンタリー
(2)観察するドキュメンタリー
(3)相互作用するドキュメンタリー
(4)反省するドキュメンタリー
(5)演技するドキュメンタリー
ドキュメンタリー映画は、(ふつう)やらせでない現実を撮っているとはいえ、それを選別し、さらにショットに細分化し、それらを貼り合わせ編集して、ひとつの「現実」を提示するという点では、フィクション映画となんら変わるものではありません。
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by takumi429 | 2008-07-10 17:40 | フィルム・スタディーズ入門 | Comments(0)