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健康心理学 6.食事行動

6.食事行動
どのような食事をどのようにするかということはいうまでもなく健康に大きな影響を与えます。心理がこの食事行動に対して大きく影響しているのは言うまでもありません。
 ところでこの食事行動で近年とりわけ問題になってきたのが、神経性食欲不振症(拒食症)と過食症です。
 拒食症の患者はしばしば自分が太りすぎていると考えています。女性の体の絵を使うと、拒食症の患者は、実際の自分よりもずっと太った体のイメージを自分の体として選びます。つまり身体のイメージが実際よりもずっと太い方へとゆがんでいるのです。
 さらにアメリカの大学生に、理想的な体型、魅力的体型、現在の自分の体型の三つを絵で選ばせるたところ、現在の自分の体型よりもずっとやせた体型を理想的かつ魅力的な体型として選びます。これに対して男性の場合、理想的体型、魅力的体型、現在の自分の体型はほとんど差がありません。
 なぜ女性の多くが自分は理想的で魅力的な体型に比べて太っていると考え、ゆがんだ身体イメージを持ってしまうのでしょうか。
 これにはやはりメディアの影響が大きいと考えられます。やせたモデルや女優ばかりが雑誌やテレビ・映画に出てくるために多くの女性は自分が太っていると思いこんでしまうのです(私自身の経験にてらしても、1960年代にツイッギーというやせたモデルが出てくるまで「拒食症」という言葉も事態も聞いたことはありませんでした)。またこうした身体への不満は母から娘へと受け継がれる傾向もあるようです。
 こうしたゆがんだ身体イメージからダイエットにはげむ女性も多くいます。じつはダイエットはその反動とも言うべき過食の原因になりがちであることが明らかになっています。つまり拒食症も過食症も体重を増やしたくないという病的な欲求がもたらすものだといえるのです。
 なにげなく今あなたが読んでいる女性雑誌はあなたたちに間違った身体イメージを植え付けるという意味で、じつはきわめて「有害な」図書なのかもしれないのです。
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by takumi429 | 2009-07-22 16:54 | 健康心理学 | Comments(0)

健康心理学 5. 喫煙とアルコールの依存症

5章 喫煙とアルコールの依存症

タバコが体に悪いこと、アルコールも度をはずして飲むのは体に悪いことは、誰でも知っています。でもなかなかやめることができません。こうしたやめられなくなっていることを嗜癖(しへきaddiction)と言います。17世紀にはアルコール中毒は、道徳心の欠如の現れとみなされました。19世紀でも根絶しなくてはならない病気とみなされ、20世紀でも嗜癖は健康とははっきりと区別される病気とされてきました。近年、嗜癖は社会的に学習された行動であり、他の行動となんらことなるものではない、という見方が出ています。
嗜癖には、①開始、②持続、③中止、④再開、の4つの段階があります。
 喫煙の開始には社会的な要因が大きく、特に親が吸っていることは大きな要因となります。飲酒は緊張を緩和しようとして飲み始め、その効果が続かせようと、量が増えていきます。
 これまで多くの研究は、中止はあらかじめ計画されゆっくりと進んでいく、としてきましたが、最近の研究は、中止は突然計画なしになされることを強調しています。
嗜癖を止めさせようと、医療や自助グループや公的機関が働きかけします。
 医療の働きかけには、嗜癖は中毒物質への耐性と依存によるものとして、それを医学的に治療しようとするアプローチがあります。また嗜癖を止めることを社会的に学習させようとするアプローチもあります。これには、①喫煙と飲酒に罰を与える、②罰を与えるだけでなく、うまく止めているときには報酬を与える、③飲酒・喫煙のきっかけをあきらかにする、④自己管理する、⑤これらの方法をミックスする、などの方法があります。
 公的機関の介入は集団を対象としており近年増加しています。これには、①病院に来た喫煙者たちへの医師の助言、②職場への禁煙の働きかけ、③コミュニティへの働きかけ、④禁煙と健康な飲酒を促す政府の働きかけ(広告の制限・禁止、値上げ、公共施設での喫煙禁止など)があります。
(まわりの人が煙草を吸いだしたり、いらいらがつのったりするなど)、また喫煙・飲酒を再開しそうになる危険な状況のとき、この状況にうまく対処できないと再開に陥ってしまいがちなのです。
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by takumi429 | 2009-07-21 00:40 | 健康心理学 | Comments(0)

3.6 メタファーを聞く---

3.6 メタファーを聞く--- 物語生成の核(種)として---
私たちはすでに、家族療法において、「ナラティヴ・セラピー」という動きが盛んになったのをみました。ナラティヴというのは「物語り」のことです。心理の問題を抱えた人の多くが、自分を虐げるような物語の中に自分を置いていることが多い。そういう人が生き生きと自分を解放できるようなのびやかな物語を、話し合いながら一緒に編み出していこう、あるいはクライエントが生み出すのを手伝っていこうというのが、「ナラティヴ・セラピー」でした。 )。
 だがその新たな物語形成において、問題となってくるのは、そうした新しい物語はどんな風に生まれてくるのか、そのきっかけ、契機は、どういうものなのか、という問題であす。
 ここでは、この物語の生成の契機となるものは何かという問題を考えるべく、いくつかのケースを考えてみることにしましょう。

2.ケース9 下肢切断の患者の語り
ある手術看護婦の話。
 看護婦Tさんはもともとは、病院の窓口で働き、30歳になってから看護婦に転身した。そのため、看護の空気になじめないでいる。
 ある日、初老の女性患者を術前訪問。患者は糖尿病の悪化で片足を切断する手術を受けることになっていた。てきぱきと質問と説明をできないTさんに対して、患者は一時間の長きにわたって物語った。
 途中、師長から呼び出しがあった。師長いわく「遊んでいるかと思った」。 
「だって患者さんはやっぱり不安だからついつい長く話すでしょ」とTさん。
「なるほど、そうだろうね」と著者(勝又)。
「でもそのひとは『不安』なんていう言葉をその人は使っていたの?」。
「うん、たしかに『不安』ていう言葉は使ってなかった」。
Tさんはしばらく考えてから、
「そういえば、『足に悪いことをした』って言っていたわ」。
 Tさんの話を聞いていた私は唖然としました。しかし気を取り直して、
「それから患者はどんなことを言っていたの?」。
「ふん」(うん)と関西人のTさんは考えてから、
「『私は昔から病気と付き合ってきた、お父さんの看病や義理のお母さんの看病やら、ずっとしてきた』と言っていたわ」。
「それで?」。
「ふん」。私の質問にTさんはだまりこんでしまいました
「じゃ、思い出したらまた教えて」と私。 
後日、Tさんからメールがありました。
「あれからずっと思い出そうとしたのだけど何も思い出せません。私は一体一時間も何を聞いていたのでしょう」。

3.ケース9の分析
この患者の話に著者がこだわったのは「足に悪いことをした」という患者の言い方の意外さです。この発言にはいったいどんな意味があるのでしょうか。
まず問題を外堀から埋めていきましょう。
 Tを呼びつけて看護特有の嫌みを言った師長は術前訪問としてどんなことを考えていたのでしょうか。
 おそらく手術に関わるいくつかの質問項目をてきぱきと聞き出すということを考えていたと思われます。同時にこの術前訪問は、「これからあなたはこれこれの手術を受けることになる、覚悟せよ」という宣告にもなっているのでしょう。
 患者の状態は質問の項目だけ切り取られ、後は手術の予告があるのであって、じつは「患者(うだうだした)話を聞く場ではない」ようです。
 ここでは患者は、手術という、いわば、生物機械への「修理」の観点からだけとらえられ、そのための質問用紙に患者の答えが転写されている。
 それに対してTさんはどうだろうか。Tさんの頭の中には、「手術前の人間は不安のためにさまざまな訴えをするものだ」という考えがあったと思われます。ですから患者の訴えをみんな「不安」あるいは「不安のなせる業」という箱の中に放り込んでしまいました。
 よく外国語で話しかけられた時のことを思い出すと経験することなのですが、日本語ではなんと言ったかは言えるのだけど、その外国人が外国語で実際にはなんて言ったかは思い出せないということがよくあります。日本語に翻訳された瞬間に元の言葉は忘れてれてしまうのです。
 Tさんの話もそれに似ています。Tさんは患者の話した話を次から次へと「不安」という言葉に翻訳してしまったため、かんじんの患者の元の「語り」を忘れてしまったのです。
 でもTさんが新米でしかも悪い意味での「看護ずれ」していない手術看護婦だったの幸いしたのかもしれません。患者の話を真に受けてしまう、そのナイーブさが、患者の「語り」を引き出すことに成功したのかもしれないからです。
 さて、患者は「病気とずっとつきあってきた」という言い方をしてました。ここでは病気はつきあう相手、つまり人間のようなものにたとえられています。すなわち「擬人法」というレトリック(修辞法)が使われています。擬人法は、人でないものをひとのように見立てます。似ているということをつかって「見立てる」こと、つまり「~を・・・として見る」ということを「隠喩」(メタファー)と言います。つまり擬人法は隠喩の一種なのです )。
 ここでは、これまで病人の看病をしてきたという経験と、これから糖尿病がもたらした片足切断によって障害者として生きて行かなくてはならないという未来とが、「病気とつきあう」という擬人化によってくくられています。つまり「病人の看護」と「障害を持ちつつ生きていく」とがともに「病気とつきあう」という言葉でくくられているわけです。。
 患者はこのメタファーをつかうことで、これまでの過去を、「病気とつきあう人生」という形で整理して、これからの障害者として生きていく未来に、接続させているのです。
 レトリックとは言葉によって人を説得する術です。メタファーもそうしたレトリックのひとつにほかなりません。しかしレトリックは他人を説得するだけではありません。この患者の場合には、自分を、今後の障害者としての人生を、自分に納得させるために、このレトリック使われているのです。
 さて、問題の「足に悪いことをした」という表現をみてみましょう。
「悪いことをした」とか「すまないことをした」とか言われるのは、ふつうは人間に対してです。だから、ここでは足は人間のようにとらえられているといえるでしょう。つまりここでも擬人化がなされているわけです。
「悪いことをした」というのはどういう意味か。おそらく片足切断という状況になるまで糖尿病の治療を十分にしてこなかった。だから今回の切断は、ある意味、自業自得なのだと、患者は自分に納得させようとしているのでしょう。
 では、まるで人格があるかのように「足」について語るのにはどんな意味があるのだろうか。
患者が「足に悪いことをした」と言った瞬間、足は別の人格を持つものとして患者に相対しています。それは患者とは別のものです。患者はすでに、自分とは分離し別個のものとなった足のことを考えているのです。片足が切断された後の状態を、患者はこの喩え(擬人化)で知らず知らずのうちに、先取りしようとしていたのもしれないと考えられます。
 こうして、片足切断の手術を直前に控えた患者は、「足に悪いことをした」というレトリック(たとえをつかった説得の方法)によって、片足喪失の状況を生き抜いていく自分の物語りを紡ぎ出していこうとしているのです。切断される自分の足を別個の意思をもつ者にたとえることで、足をこれからなくすという話から、足を喪失して後その状況を生き抜いていく話へと、患者をつつむ物語りは転換していき、足の擬人化(たとえ)はその転換の接続点となっているといえるでしょう。
 こうしてみると、私たちが自分を立て直す新しい物語りを作るとき、メタファー(見立て)はその新しい物語生成の核(種)となっていくのではないか、とも考えられる。
 
4.概念図式としてのメタファー
ここでもうすこし一般的な考察をしてみましょう。
 人間が事態のとらえるとき、そのありようは実はあまり多様ではありません。むしろ自分の体で経験したわずかなパターンを使い回していることがしばしばです。人間は、慣れない事態を、見立て(メタファー)によって、慣れ親しんだパターンに還元していることがよくあります。
そのためメタファーとも気づかないほど当たり前になっている多くの言い回しがあります。たとえば、「目玉焼き」というのももともとはメタファーです。
さらに「男に捨てられた」というような言い回しがありますが、本来、「捨てる」ことができるのは品物です。つまりこの言い回しでは「私」は使い捨てされる「品物」に喩え(見立て)られているわけです。
さらに「捨てる」という言葉の連想から「さんざんいいように使っておいて、ボロぞうきんのようにポイと捨てた」という具合にどんどんメタファー(隠喩)の中で連想が展開していってお話を作っていくことがあります。こういうメタファーの展開のことをアレゴリーといいます )。「別れた」を「捨てられた」と見立てることで、男女の別れ話は、品物を使い捨てる話へと移しかえられています。つまり男女の別れの話が、ものを捨てる話(概念体系)へと写し取られていく。その写し取り(写像)の端緒となったのは、「別れる」という事態を「捨てられた」というたとえ(メタファー)で語ったことにあります。そうすることで男女の別れの話は、ものを捨てる話へと写し取られて、物を使い捨てる話(概念体系)のなかで理解されていくことになります。
 レイコフという言語学者は、メタファー(隠喩)を「ある領域(集合)を別の領域(集合)と関係づけることによって、一方を他方で理解する」するという頭の働かせかたである、と言っています。そしてAの領域(集合)の要素(たとえば「捨てる」)をBの領域(集合)の要素(「別れ」)に対応させる(写像)。そしてAの集合の世界のつながりをつかってBの集合の世界を理解する。つまりAの集合を、Bの集合を理解するための概念図式にすること、これを「概念メタファー」と呼んでいます )。
たとえば、「恋いは旅である」というメタファーは、「旅」に「恋」をたとえることで、旅をめぐる経験によって、恋愛というものを、理解していく。たとえば、「僕たちは道に迷った」、「途中事故にあった」、でも「ちゃんと目的地にたどり着いた」。こうして「旅」をめぐる経験をつかって、「恋」をめぐる経験が、腑分(ふわ)けされ、理解され、把握されていくわけです(もともと概念とは把握することを意味します)。
 人間が実感を込めて経験的に理解できることの範囲というのは実は限定されたものです。私たちはそのままでは理解しがたい事態を、すでに慣れ親しんだお話へと移しかえ、それを展開していくことで、そのままではなかなか理解できないような事態を、理解できるものへと変えていくのです。
 私たちが慣れ親しんでいる常套句(クリシェ)はこうした陳腐な喩えによるすり替えに満ちています。しかしこうした陳腐な言い回しによるありふれた物語りの圧政の下で虐げれている自分が存在します。そのとき、それまでとは違う喩え(見立て)をすることで、自分を別の物語りへと解放していくことが求められるのかもしれません。
 しばしば「夫婦の絆」という言い方がされたりします。「絆」とはもともとは「動物をつなぎとめる綱」のことであり、本来はメタファーである。だがもうメタファーであるのを意識しないほど当たり前になった言い方になっています。しかしその喩えで考えるかぎり、夫婦の関係は強固で、それを失った者は、まるで「糸の切れたたこ」みたいに思えてくるでしょう。でももしここで誰かが「夫婦なんてポスト・イットみたいなもんよ」と言い出したらどうだろうか。この喩えは夫婦に対するまるで違った見方をもたらすかもしれません。
 陳腐でそれだけに逃れがたい物語りのくびきから逃れるために、人はたとえ(メタファー)をつかい、それを種にして新たな物語りを生成していくのではないでしょうか。片足切断の手術を目前にした患者の一言から私はそうしたことを考えます。
 
5.家族療法におけるメタファー
ではこうしたメタファーについてナラティヴ・セラピーではどのようにあつかわれているのでしょうか。家族療法の代表的な学会誌『Family Process』 に「メタファーを聞く」という興味深い論文が載っています。 )
 メタファーというのは、ホワイトが遺糞症をスニーキー・プーと名付けて外在化した有名な事例に見られるように、決して家族療法では注目されてこなかったわけではありません。しかし家族員たちがみずから語るメタファーについてはこれまであまり注目されてきませんでした。だが論文の著者たちは言います。「私たちの考えでは、メタファーは、思考の物語様式の最も小さい単位であり、家族の「世界制作」の行為を定め保持する意味の多義性の織物への理想的な入り口点である。」
 そして著者たちは、「家族が生み出すメタファーを使ってカウンセリングしていく7つのステップ」なるものを提唱しています。それはつぎのようなものです。
第1段階 メタファーを聞き取る。
家族の語りのなかにメタファーを見つけ出すことです。
第2段階 そのメタファーを有効なものにする。
子どもは言葉ではなくて絵などもメタファーとしては使う。そうしたさまざまな形で出てくるメタファーを、これはメタファーなんだ、というふうに確定していく必要があります。
第3段階 メタファーを押し広げる。
メタファーからクライエントの心理状態がどうであるかと探るのではなく、メタファーを展開していくことです。たとえば、子どもが「玄関マットみたいな気分だ」という発言をしたならば、それを「落ち込んでいるんだね」という風に読み取って(翻訳して)いくのではなく、「だれがそのマットを何のために使うの?」というふうに聞いて、家族全員にそのメタファーについてどんどん連想をひろげさせていくのです。
第4段階 可能性に遊ぶ。
これは第3段階に含めることもできます。メタファーをどんどん楽しみながら展開していくことです。たとえば、(私勝又が勝手に考えた例ではありますが)「そのマットは汚れているのかい?」「洗ってないんだろうな」とか、「いやペルシャ製だよ」「それがどうして玄関マットなんだろう」とか、楽しみながら話し合うこと、が例として浮かびます。
第5段階 他のものを巻き込む
メタフェーを言った人間とカウンセラーだけでなく、他の家族員を巻き込みながらメタファーを展開していくこと。
ここで、重要なのは、メタファーがどんな意味かを解釈しようとしては話はおわってしまうということです。「それは君の不安の象徴だね」とか「お母さんの罪の意識の現れだね」とかいうふうに解釈をしないことが大切なのです。むしろメタファーをどんどんひろげて話を家族の会話の中で展開していく。つまりメタファーからお話を展開していくこと、私たちがすでにみた言い方では「アレゴリー」を展開していくこと、が大切なのです。
第6段階 印づけと選択
あるメタファーに着目してそれを展開するのですが、それにはさまざまな可能性があります。その可能性のどれかに印をつけて、家族の会話の中から選択しなくてはいけません。      
メタファーの展開では、でたらめな展開とみえたものが、後からみると必然的な展開として現れることがあります。
たとえば、ある虐待をしている母親が「川に流されているような気分だ」と言いました。カウンセラーは、「おぼれそう?」「つかまるものはある?」「川に何か他のものはある?」と聞いてみました。しかし、その後6ヶ月も連絡が途絶え、カウンセリングはうまくいかなかったかと思っていたら、6ヶ月後やってきた母親はいきなり「川は湖に流れ込んでいて私は湖へと出た」とメタフェーからの話の続きを言い始めました。「今はカヌーのなかにいる。漕がなくてはいけないと思う。」と彼女は言いました。実は彼女は3週間ずっと禁酒してからカウンセラーの元へやってきたのです。メタフェーからのでたらめな展開と思えた連想はじつは必然性をもっていたのです。
第7段階 未来への接続
メタファーの意味を一義的に確定しようとして、メタファーの未来へと広がる可能性を切り刻んではいけません。メタファーがもつ発見的で前向きな力を大事にしていかなくてはいけないのです。
「メタフェーを聞く」カウンセリングでは、患者が何気なく行ったメタファーにカウンセラーが気づき、それを押し広げて、家族員全体を巻き込んだお話へと展開していくことが提案されています。これはまさにメタファーが概念体系から別の概念体系への写像であり、別の概念体系のなかでアレゴリーによって話を展開することを言っているにほかなりません。
レイコフと同じように、「メタフェーを聞く」の著者たちは言います。
「物語りが作られるのは、そして私たちの文脈でいうなら、私たちの環境に人間的な形と意味が与えられるのは、おもに、メタファーを通じてなのである。」
 ところで概念体系から概念体系への写像を考えてみると、それは必ずしも言語の概念体系から言語の概念体系への写像とは限りません。言語から絵画への写像もあるし、さらに言語体系から身振り体系への写像もありえるでしょう。
 そこで興味深いのは著者たちがあげている二番目の症例です。
家族は、母エレンと、娘7歳、11歳の息子、5歳の息子です。離婚した父は再婚しています。母親は自殺未遂で重傷し回復して退院している。ここでは、メタファーは5歳の息子の絵です。その絵では、噴火する火山のふもとで「助けて」と叫ぶ怪獣が描かれています。この絵が言葉にならない、家族と彼の状態の、メタファーとなっています。カウンセラーはこの絵をめぐっての家族員に会話を展開させていきます。そうするうちに、この5歳の男の子は絵を描き変えていき、それはしだいに穏やかな絵へと変わっていったというのです。つまり、メタファーは必ずしも言語的なものとはかぎらないのです。

6.ケース10:福祉の現場から
 ここでさらに福祉の現場におけるケースをみてみましょう。ある保健婦は訪問先の家庭で次のようなケースを見ました。
医療器具をつけている幼児のIちゃんは言葉で話すことはできないが、行動によって生命維持としての生活を表現する場面がみられた。アンパンマンのビデオを見ていた時のことである。急にIちゃんが倒れた。研究者はIちゃんの具合が急に悪くなったのかと驚き、「どうしたんですか?」と母親にたずねた。すると母親は『アンパンマンが倒れると、倒れて気管切開の所をはずすの。アンパンマンが助けられると(顔をつけかえてもらう場面)元気になるの。』と答えた。Iちゃんは気道が狭窄しており、吸引が必要なため、気管切開術を受けている。Iちゃんはアンパンマンが助けられると、母親に気管切開の所をつけてもらい、立ちあがり、ぱちぱちと拍手した。Iちゃんはアンパンマンが元気ない状態を、気管切開の所がはずれてしまい元気がないことにたとえて表現している。Iちゃんは、気管切開は生命を維持する大切な部分だと感じている。」 )
 
ここではどういうことが起きているのでしょうか。呼吸器をはずして苦しくなるIちゃんの事態が、アニメのなかのアンパンマンの困窮に移しかえられています。なぜそんなことをIちゃんはするのでしょうか
Iちゃんは呼吸器をはずしては生きていけない、かわいそうな子だ。おそらく、そういう物語りが、Iちゃんに与えられていると思われます。しかしアンパンマンは顔を取り替えることで元気になりバイキンマンをやっつける英雄となる。こちらの話では(呼吸の)苦しみは次の復活と活躍の前段階です。呼吸器なしでは生きられないというIちゃんのこれまでの否定的な物語りは、苦しみから復活して活躍するという肯定的な勇気あるアンパンマンの物語りへと移しかえられています。つまりIちゃんは、アンパンマンが苦しんでいる時に自分の呼吸器をはずして、自分の苦しみとアンパンマンの困窮を対応(写像)させているのです。つまり自分の苦しみのメタファーとしてアンパンマンの困窮を対応させるという、ちょっと大げさ言えば命がけのメタファーがここでは行われているのです。
 もちろん、このメタファーは身振りとアニメという、非言語的なものです。それはまだ物語にはなりきってはいないでしょう。新しい物語を作るには、その周りの人々が、「アンパンマンが元気になったように、Iちゃんも呼吸器をつけて活躍するんだね」、というようなことを言って、そのメタファーを物語として展開する必要はあるかもしれない。しかしともかくも新たな物語の種はIちゃん自身によってまかれたのです。
 
7.結語
 新しい物語はどのように立ち現れてくるのかというのが私たちの疑問でした。新しい物語りは、思いがけない隠喩(メタファー)の形をとって、それを種(核)として立ち現れてくるのではないのか。ケアの現場における二つの事例を考察することで、物語生成の核としてのメタファーという仮説を私たちは得ることができたのです。
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by takumi429 | 2009-07-13 23:15 | 臨床社会学 | Comments(0)

3.5 補論: キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』再読

3.5.2 キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』再読
スイスのチューリッヒ出身の精神科医キューブラー=ロスが、シカゴのビリングス病院で、終末期にある患者に自分の病いと死について語らせる「死とその過程」についてのセミナーを1965年から始め、その成果として『死ぬ瞬間』を1969年を出版したことはよく知られています。
(1)死に至る5段階説
『死ぬ瞬間』といえば、死に至る5段階説(①否認と孤立、②怒り、③取り引き、④抑鬱、⑤受容)があまりに有名です。と同時にこの段階説に対するさまざまな批判と意見がこれまで交わされてきました。
しかしこの本を何度か読んでいるうちに私には次のような疑問がわいてきました。はたして5段階説というのはほんとうにそれほど議論にあたいするものなのだろうか。あるいは言い換えるなら、この本の中心的な位置を占めるものなのだろうか、と。
学問的な叙述を読む時、私達はついついその本のなかに科学的な理論(仮説)をもとめてしまいます。しかしこの5段階説というのははたして学問的な理論(仮説)といえるのでしょうか。
 キューブラー=ロスの自伝『人生は廻る輪のように』 (上野圭一訳、角川文庫)によると、『死ぬ瞬間』は「死とその過程」のセミナーについての短い論文を読んだマクミラン出版社の依頼により2ヶ月で書かれたとあります(訳書285頁)。執筆契約を結び、「それから3週間、・・・私はデスクに向かい、構想をねった。考えているうちに、考えているうちに、死に瀕した患者たちが、いや、あらゆる種類の喪失に悩む人たちが、決まって似たような心理のプロセスをたどることに気がついた。・・・始めに起こるのはショックと否定、怒りと憤り、嘆きと苦痛である。つぎに神との取り引きがはじまる。意気消沈し、『なぜこのわたしが?』と問いはじめる。そしてついには他者から距離を置き、自己のなかにひきこもるようになる。その段階をへて、うまくいけば、やすらぎと受容の段階がおとずれる(悲嘆と怒りが表現できないときには、受容でなく断念になる)」(283頁)。
この記述を読むと、死の受容にいたる5段階の説は、セミナーに記録をまとめるために急きょ考え出されたものであることがわかります。決して仮説として検証されたものではないのです。
キューブラー=ロスは2年半に200人以上の患者にインタビューしたと言っています(『死ぬ瞬間』訳書68頁、以下同様)。この本には小さな事例も含めて、わたしの数え間違いがなければ、28の事例が挙がっています。しかし5段階を経て死の受容にいたった事例というのはひとつもあげられていません。むしろこの5段階というのは各事例を整理する整理箱のような働きをしています。しかもそれに収まらない事例も多く、それを著者は「第10章末期患者へのインタビュー」として集めています。
 もちろん、ここから「週末期の患者は最初はみずからの死を否定するがうまくサポートすれば受容にいたるだろう」というような「お話」を作ることはできますし、そうした「お話」はあまり抵抗なく受けいれられるでしょうし、反論はなかなかできないものです。しかし、科学的理論の必要要件を検証可能性でなく、ポッパーのいう「反証可能性」においたとしても、反論できないような「お話」というのは科学的理論(仮説)とは言い難いのです。しかし私たちはついついこうした本の中に他にも適用できるような理論をもとめてしまいがちです。その結果、『死ぬ瞬間』といえば、5段階説、という少々短絡的な読みが横行してしまったのです 。
 
(2)キュウブラー=ロス自身による反証
キュウブラー=ロスの死の受容に至る5段階説を信じる者にとって、2004年12月25日(土)放送に放送された、NHK ETV特集『最後のレッスン~キューブラー・ロス 死のまぎわの真実』の内容は衝撃的なものでした。
晩年、キューブラー・ロスは脳卒中に倒れ、半身不随となり、長く苦しい晩年のうちに、自らの「終末」を迎えたとき、彼女は、怒り、毒づき、あるいは神を「ヒットラーだ」と悪態をついているのです。それはどうみても、かつて聖女のようだと評された彼女の姿から大きくかけはなれていまし、死を心静かに受容している姿とも思えないものでした。もちろん、適切なまわりの力添えがなければ、死の受容の段階にはいたらないのだ、ともいえるでしょう。しかしキュウブラー=ロスは、多くの死にゆく人々に寄り添ってきた「死の専門家」とされてきた人です。その当の本人が自分の死を受け入れることもできず怒り汚い言葉を吐きつける姿は、なによりも彼女自身が提唱した「死の受容にいたる5段階」説の信憑性をうたがわせるものでした。
私たちは、キュウブラー=ロスの「死の受容にいたる5段階」説というものを、一度、うたがってみるべきではないでしょうか。そして彼女の『死ぬ瞬間』という本を、この段階説を提唱したもの、という先入観をはずして読み直すべきなのではないでしょうか。

(3)『死の瞬間』再読
 そこで私たちはいまいちど自分に問いかけてみるべきでしょう。この『死ぬ瞬間』を読んだとき、私たちはこの本のどこに一番心動かされているのかと。するとそれは5段階説というような「理論もどき」のものではなくて、死のタブー化という当時の風潮をひっくり返す著者の記述とさらにそれを支える末期患者へのインタビューにあったということに気づくでしょう。

「扉をあけるインタビュー」
 この本には計10事例のインタビューが載せられています。このインタビューにはつぎのようなきわだった特徴があります。
1)無知の構え
キューブラー=ロスはこのインタビューでいつも患者に患者の病気のことを語らせています。たとえば、
「私たちはあなたに関してほとんど何も知りません。私たちが患者のみなさんから学ぼうとしているのは、前もってカルテやその他の資料を通さずに、どうすれば人間としての患者さんに接することができるかということです。ですから、まずあなたの年齢、職業、入院期間など手短に話していただけますか」(152頁)。
あるいは、
「Sさん、私たちはこの前あなたとお話した以外のあなたのことは何もしりません。・・・どういう病気だと思っていらっしゃいますか。ご自分の病気のことをどうきかされてのでしょうか」(299-300頁)。
または
「病気になってどのくらいか、病気がいつはじまったのか、教えてもらえますか」(327頁)。
 キューブラー=ロスは患者のついても患者の病気についてもいつも無知をよそおいます。そして患者自身に彼/彼女の病気について語らせ、さらに患者にたいするケアがどうあるべきかまで語らせようとします。ここでは患者の病気については専門家である医師が一番よくわかっているという立場は放棄されています。専門家は医師ではなくて、患者が(彼/彼女の病気についての)専門家なのです。なぜこうした無知の立場にキューブラー=ロスは立とうとするのでしょうか。
 もちろん、患者へのケアの向上のために患者の立場からの声を聞くという面もあるでしょう。しかし彼女のこの戦略とでもいうものは、もっと高いところをねらっています。おそらく、彼女の考えでは、医師や看護師など医療関係者が知っているのは疾患でしかない。それは患者が当事者として主体的に病んでいる「病い」ではないのです。医学からとらえられた疾患は生物学的な因果関係の中に位置づけられます。それに対して、患者の個々の病いはその生活史の中に位置づけられる、ひとつも物語りのなかの重要な出来事なのです。患者に自分に病いについて語らすことで、患者は自分の病いを自分でとらえ直すことをうながすことになるのです。
2)死の意味を問う
キューブラー=ロスは患者に直接、患者にとっての死の意味を問うています。
「あなたにとって死ぬということはどういうことでしょうか。死ぬことはどういう意味をもっていますか」(315頁)。
あるいは
「いまあなたが直視されているもの、つまり、死とはどんなものだとかんがえていますか。」(334頁)。
または
「死ぬことについて、考えることはありますか。」
「私が、ということですか。」
「そうです。」(363頁)
という具合にです。
この質問は、質問の形を借りた告知にもなっています。と同時に、患者みずからが死の意味づけをするようにうながす質問となっています。キューブラー=ロスは死と死に至る病いに対して否定的な意味づけをしていません。むしろそこに患者以外のものも学ぶべき肯定的な意味があることを前提にして患者に死の意味を問いかけます。この問いかけに対して患者たちは死の意味を語りのなかで位置づけていきます。この患者の答えにキューブラー=ロスは「感動的だ」とか「あなたはどうしてこんなに強くなったのかしら」(335頁)という反応をみせています。トラベルビーが「治癒志向的な構え」をすてて患者の肯定的な病いへの意味付与を援助すべきだと言った、その具体的なあり方をここに見ることができるでしょう。
3)新たな物語りの生成をうながす
死をタブー視する風潮に背後には、死を敗北、喪失とみなす支配的な物語りとでも言うべきものがあります。キューブラー=ロスは、医療者を支配している、死は敗北という物語りから自由になって、そして患者もその物語りから解き放とうとします。彼女の問いかけによって患者はみずからの死とそれに至る病いについての新たな語りを生み出していきます。
その意味でH氏の事例は興味ぶかいものです。H氏は活発で有能な妻にふさわしくない落伍者として自分を位置づけて抑鬱の状態におちいった。H氏の妻に会ったキューブラー=ロスは
「……私は、かっとなったからかもしれない、あるいは自分でもH氏の絶望を感じ取ったからかもしれない。彼女が話した内容を、もう一度自分の言葉で繰り返した。それから、短く言い足した。H氏はたしかに奥さんの期待にそえなかったし、何をやっても下手だった。亡くなっても惜しい人ではないかもしれない。彼の人生を振り返ったとき、そこにはあなたの思い出に残るようなことは何ひとつないかもしれないですね……。H夫人はふいに私を見ると、感情にあふれた声で、叫ぶように言った。『なんてことを……夫はだれよりも誠実で信頼における人でした……』それからしばらく2人で座ったまま、私は前日のインタビューで聞いたことを夫人に伝えた。言われたような観点から夫を評価したことはなかったと夫人はみとめ、そういう彼のすばらしいところを褒めてやりたいと言った。私たちは一緒にH氏の病室にもどり、そこで夫人は、診察室で私と槍とした内容を自分から夫に話した。……妻から次のように言われた瞬間、彼の目がぱっと輝いた。『…だからね、私、R先生に言ったのよ。あなたはだれよりも誠実で、信頼のおけるひとだって。いまどき、あんな人、なかなかいませんってね。……』(187-8頁)
敗残者として死を迎えるというH氏の人生の物語りは、妻という鏡に照らし出されたおのれの敗残者の姿によって生み出されたものでした。キューブラー=ロスがH夫人の言ったことを要約して返してやることでH夫人はべつのH氏の姿を写し出しそれがH氏に投げ返されることで、H氏は自分を生涯誠実なまま生き抜いた人間としてとらえ直すことができたのです。H氏を支配し苦しめていた敗残者としての人生という物語りは、誠実な人生という物語りに書きかえられたのです。
 こうしてキューブラー=ロスのインタビューは、死を迎える患者の死に至る物語りを書きかえ新たな物語りの生成をもたらすものだったのです。
 
私たちはすでにナラティヴ・セラピーについてみてみました。ナラティヴ・セラピーのあり方をみてみると、その多くがじつはキューブラー=ロスの末期患者へのインタビューのなかですでに先取りされていたことに驚かされます。とりわけ専門家としての優位を捨てて、「無知の構え」をとること、またH氏の事例にみられるように、相手に語りを送り返す、家族とも語り合う、ことでH氏の抑圧的な敗残者の物語りを、誠実な人の物語りへと書きかえていくのは、ナラティヴ・セラピーの見事な先例となり得ているのではないでしょうか。
 
 (4)5段解説の支配的物語化を越えて
 しかるに看護界においては「死ぬ瞬間」は死の受容にいたる5段階ばかりが注目され、まるでその段階をからならず経なければならない決まりであるかのごとくの扱いをうけてきました。末期の患者について看護師たちが「まだあの患者は『受容』の段階に至っていない、だめだ、もっと働きかけなくては」というような会話をしばしば交わし、受容へ受容へと患者を押し込もうとしてきたのではないでしょうか。そこではキューブラー=ロスの意図に反して、5段階説がひとつの「支配的な物語」となって、末期の患者を抑圧するものに転化してしまっているのです。
 私たちはキューブラー=ロスの「死ぬ瞬間」をいまいちど読み返す必要があるでしょう。そうすることで、それがトラベルビーの提起した、患者の病いと死の意味探求の支援ということを、をナラティヴ・セラピーに先駆ける形で実践したものであることが見えてくるでしょう。と同時に、ナラティヴ・セラピーをまるで決まり切った手法であるかのように公式的・手続き的・処理的に実行することを愚かさをそれは教えてくれるでしょう。ナラティヴ・セラピーの医療への適応は、すでに「扉をひらくインタビュー」としてキューブラー=ロスが実践していたことにみられるものであり、それは看護師がおちいりがちな専門家としての死の受容の押しつけとはまったく無縁のものなのです。
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by takumi429 | 2009-07-13 20:04 | 臨床社会学 | Comments(0)

3.5病いの物語

3.5病いの物語

病いという日常から逸脱した事態は、それを自分に納得させるために、大量の物語を生み出すことになります。ちょうど、ささったトゲをくるむように皮膚がもりあがるように、私たちは病いという事態を物語で包み込もうとします。ここでは、病いの物語についての研究を少し見てみることにしましょう。

 受容の物語
アーサー・フランクはその著『傷ついた物語の語り手――身体・病い・倫理』で、病いにおける物語の類型には次の3つがあると言います
①「回復の物語(the restitution narrative)」
これは、身体というものを修復可能だととらえており、医学のよる語りの多くがこの類型に当てはまります。
②「混沌の物語」
ここでは、あらすじのない混沌として病いが語られます。
③「探求の物語」
ここでは、病いはいわば、ひとつの旅として語られます。

 近年は、慢性病の増加し、またターミナル・ケア(終末期治療)の重要性が認識されてきたため、生な形で「回復の物語」が語られることはすくなくなっています。しかし、この「回復の物語」の変形として、じつは「受容(適応)の物語」、つまり患者が病気という危機的事態に適応するようになるとか、患者が病気やそれがもたらす死を「受容する」ようになるという物語が医療者の中で支配的になっているように思われます。
 たとえば、フィンクの「危機モデル」理論がそうです。「危機」とは「各人が平常働かせている対処機制では対応できない状況」、つまり「病気」を意味します。フィンクの「危機モデル」によれば、①衝撃(危機の衝撃があり)、②防御的退行(いったん患者は防衛のために退行するが)、③承認(病気であることを認め)、ついには④適応(病気という危機的状況に適応できるようになる)、というものです。フィンクの「危機モデル」は日本では一部の看護教員がたいへん評価しているようですが、じつは欧米ではほとんど問題にされていません 。
「回復の物語」の変形としての「受容の物語」としてはもうひとつ、キューブラー・ロスの「死の受容段階説」があげられるでしょう。終末期の患者のインタビューからロスは、終末期の患者は、①否認、②孤立、③怒り、④(神との)取り引き、⑤抑鬱と受容の5つの段階をへて、死の受容に至る、という説です。この説は事例を整理して発表するために、ロスが急きょ作り上げたもので、なんら仮説・検証の形をとったものではありません(つまり理論とはいえない)。しかし、終末期患者をめぐる、一種の「支配的物語」として、医療者、とりわけ看護師の思考をしばっており、なんとか「受容」に持っていかなくてはと思いこんで、患者にそれを強要する看護師があとをたちません(これについてはあとで詳しくみることにしましょう)。

説明モデル 
医療人類学者アーサー・クラインマンは、説明モデル(explanatory model)という考えを提唱しています。

説明モデル(explanatory model)というのは、患者や家族や治療者が、ある特定の病いのエピソードについていだく考えのことである。病いとはいったい何なのかということについてのこうした非公式な説明には、臨床上きわめて大きな意味があるため、それを無視することは致命的になることがある。説明モデルは以下のような疑問に答えてくれる。つまり、この障害の本質は何かとか、なぜ自分がその病いに冒されてしまったのか、なぜそれが今なのか、どんな経過をたどるのか、自分のからだにどんな影響を及ぼすか、どんな治療をしてほしいと思っているのか、自分がこの病いと治療についてもっとも恐れているものは何か、などである。

「説明モデル」をつかって、「患者は彼らの病いの経験を-つまり自分自身や重要な他者にとってそれがもつ意味を-‐‐個人的な語りとして整理する」のです(61頁)。こうして、生で荒々しい「疾患」(disease)の脅威を文化的な「病い」(illness)に変えていくことで人々は耐えていこうとしているのです。
 医学的にみた「病気」を「疾患」(disease)とよび、文化的にみた「病気」を「病い」(illness)と呼ぶのは、医療人類学の基本的考え方です(たとえば、「上気道感染」という疾患は、日本文化のなかでは、ふつう「風邪」という病いとして語られます)。
 しかし、「疾患」(disease)というのも、西洋医学というひとつの特定の文化のなかから見た病気のとらえ方にすぎないともいえます。クラインマンもそのことには気づいていますが、西洋医学を自然の現実を把握していると見なしている西洋医むけに「説明モデル」を提唱するときには、あえてそれにはふれないようにしているように見えます 。西洋医学もほかの病気の説明・見方と同格の、ひとつの病気の見方・説明法のひとつにすぎない、ということをはっきりと認めたうえで議論を組み立てているのは、同じ医療人類学者のバイロン・グッドです。

仮定法的な語りと多声的な物語
バイロン・グッドはその著『医療・合理性・経験』で、病いの語りについてのトータルな理論を提示しています。その内容を要約してみましょう。
およそ、病気になるということは多くの人間のとって唐突で理由もわからない錯綜した事態としてもともとは現れることです。それを人間はなんとか理解し意味づけたり理由づけをしようとします。
哲学者カッシーラによれば、人間は生の自然に向き合いその中で生きているのではなくて、自然の事物を名付けたり、絵にしたり、記号にしたりして、そうしたシンボル(記号象徴)の中に住んで、そのシンボルを操作することで生きている「シンボル的動物」です。
 自然の混沌とした事態を人間がシンボル化して整理しまとめ上げるには、さまざまな形式があるとカッシーラは考えました。原因-結果の関係でまとめ上げていくのはいわゆる科学ですが、それ以外にも神話や宗教のように因果応報で整理することもできるでしょう。
 グッドは、医学もそうした病気にまつわる混沌とした事態を整理し、対処するために形式であるとみなしたのです。病気の名状しがたい状態に、医学の用語を当てはめ(医学的なシンボルに置き換え)、同時にそれらを医学的な身体の体系と因果関係におさめ、そうしてどのように働きかけるかを考える、それが医学というシンボル形式だと言うわけです 。
 しかし医学以外にも病気という事態を整理しまとめていくやり方はあるはずです。病人とその周りの人間にとってはどうでしょうか。彼らが病気という事態に直面したとき、それはまるで意味のよくわからない文章(テクスト)のようなものとして現れます。病人とその周囲の人々は、そのわけのわからないテクストを何とか筋(プロット)の通ったお話にまとめ上げようとします。それはちょうどむずかしいテクストを読み解きながら、どうやらこの話は、こんな話らしいと言う風に自分なりに話をまとめている読者に似ています。読者は理解にむずかしい話を読みながら、同時にそこに自分なりに読み解いたお話を作り上げているのです。病者とそのまわりの人たちは、突然の発病とその後の苦難を、それなりに筋の通ったお話にまとめ上げて「納得」しようとします。
 ところで筋の通ったお話のパターンというのは、実はあんがい、決まっています。それには人類共通なものが多いですし、少なくとも、ある文化には、筋がとおった話のパターンというものの数が限られています。病気をめぐる事態をまとまったお話にまとめるとき、人間は筋の通ったとされるお話のいくつかのパターン(あらすじplot)を使ってまとめていくのです。
 しかし、病状は今後どのように進展していくか予断を許しません。またたとえば病状が絶望的と思えても、わずかな望みを捨てたくはありません。ですから病気をめぐるお話はもう確定したものとしてまとめることはできません。それはたえず、別の新たな展開にも開かれたものになっていなくてはいけません。そのためには別の話の筋へと持って行くことが可能な形でお話がまとめられていなくてはいけません。そのために本筋とは別の筋が話にふくませてあるということも大事です。が、それ以上に大切なのは、話がきっちり確定したものではなくて、「今のところこういうことだとしたら、こういうことになるといえるだろうな」というような形に話をとどめておかなくてはいけません。そうした「寸止め」みたいな話の落とし方を、グッドは心理学者ブルーナーから借りた「仮定法化」という言葉で表しています。
 病気をめぐる事態はどんどん変化していき、それとともに本人も周りの人間もわいわいいいながらそれをそれなりに筋のとおった、しかし変化と展開に対応できるような、お話にまとめていきます。それは一人でつくる物語ではなくて、いろんな人間が口をはなさみながらつくる「お話」です。
ミハイル・バフチンという文学理論家は、『ドストエフスキーの詩学』という本の中で、ドストエフスキーの小説について論じています。バフチンによれば、ドストエフスキーの小説の文章は作者がひとりで語っているのではなく、作者をつうじてさまざまな人々の声が対話し響きあうように書かれているというのです。ちなみにドストエフスキーの初期の作品の中では登場人物は内的な対話を繰り広げ、その無限地獄のなかに落ちていきます。後期になってドストエフスキーは速記者である妻を前に作品を語って速記させ作品を作っていました。つまりいろんな登場人物が出てくると、それを妻の前で(おそらく声色も変えながら)演じて見せていたのです。その結果、後期の作品はさまざまな登場人物のさまざまな声が対話し響きあうものとなっています。音楽において1つの同じ旋律を全員が歌うのを「単声的」というのに対して、複数の旋律を同時に歌うのを「多声的」といいます。その「多声的」という言葉を借りてバフチンはドストエフスキーの作品を「多声的文学」だとしたのです。
グッドは、病いをめぐるお話も、ちょうど、ドストエフスキーの小説と同じような、多声的な物語として生まれているのだと主張するのです
 
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by takumi429 | 2009-07-13 19:24 | 臨床社会学 | Comments(0)

3.4 意味の文脈としての物語

3.4 意味の文脈としての物語

ケース8
(以下のケースは症例ではなくて研究例です)。
自分もシングル・マザーである元保健師が、何人かのシングル・マザーに「あなたにとって子育ての意味とは何か」と尋ねた。
3人以上の会話では、「新しい恋人(男性)の出現はまわりから非難される」、「けなげな母親を演ずることが要求されているのを感じる」、と言った発言がみられた。
質問者との2人だけの会話になると、母親たちは、うってかわって自分の個人的体験を話し始めた。ただ「自分にとって子育ての意味は~だ」というふうには答えず、かわりにきまって①子どもの父親との出会い、②子どもの父親との別れ、③子どもの出産、④自分の母親との関係、の4つについて語った。

 ここで興味深いのは、「子育ての意味」を聞かれた母親たちが、その質問をきっかけにして、子育てをめぐるお話を話していることです。これは質問に対するはぐらかしではないでしょう。私たちが文章を読んでいてある単語の意味をとらえようとする時、単語だけですぐに意味が理解されるわけではありません。単語の意味は、前後の文脈によってちがってきます。文脈があってはじめて意味が確定されます。しかしまた文脈は個々の単語の意味からできあがっています。文脈は個々の単語の意味が決まっていかないとつくられません。
外国語を読んでいる時のことを思い出してみるとわかりやすいのですが、私たちが外国分を読んでいるとわからない単語が出てくると、辞書を引いてその単語の意味を調べます。しかし単語によってはいくつもの意味が出てきます。どの意味なのかは、前後の文脈がわからないと決められません。しかし前後の文脈を理解するためには、こんどはそれをつくっている単語の意味がわからなくていけません。文脈が先か、単語の意味が先か。どうどうめぐりのようですが、私たちは辞書を何度もひきながら、「これはどうやら、こういうお話なのではないのかな」というふうに、文脈と単語の意味を探りながら、そこに書かれてある話を理解していきます。ちなみに、こうした文脈と単語の意味のどうどうめぐりのことを、「解釈学的循環」といいます。
 このケースでも、「子育て」の意味をたずねられた母親たちは、その意味を成り立たせる文脈といえる、「子育てをめぐるお話」を話さざるを得なくなっているのです。
 しかし、その「子育てをめぐるお話」も会話をする人数によってちがったものになってきます。
 まず3者以上の会話の場面。3者関係というのは一種、公的な場面の性格をもっているのかもしれません。ここでは話される「お話」は、シングル・マザーをめぐってよく聞かされる「お話」になっています。いわく、「結婚もしないで子どもを作った女がまた男とくっついているよ」というような「尻軽女」のイメージの語り、あるいは、「あの人は女手ひとつで一生懸命に子どもを育てているよ」と言った、「けなげな母」のイメージの語り、です。 つまり3人以上の会話の場面という少々、公的な場面では、シングル・マザーをめぐる、世の中から押しつけられる「話し」(物語)が現れてくるのです。
2者関係の会話では、母親たちはうってかわって、自分なりの、子どもをめぐるお話、を語り始めます。おそらく、質問者もシングル・マザーであったために、回答者は自分と同じ仲間とみなして、両者に親密な関係が生まれたのでしょう。そうした関係の中だからこそ、子育てをめぐる、よりパーソナルな物語を語ることができたのでしょう。
これは、ケース7の保健婦に食べることの意味を問われた糖尿病患者たちは質問者である保健婦にあわせた回答をしていた、のとは対照的です。ケース7が、おそらく「保健師」という専門家の立場からの質問(と質問される人たちと思われた)であったのに対して、このケース8の場合は、同じシングル・マザーどうしの会話、という雰囲気ができていたのでしょう。
しかし、その場面でも、「子育ての意味は~だ」というような、言葉の定義づけのような回答がなされたのではありません。現在の子育てにいたる人生の大きな出来事、つまり①子どもの父親との出会い、②子どもの父親との別れ、③子どもの出産、④自分の母親との関係、が語られる。つまり、自分の子育てをめぐる物語が語られたのです。つまり、「子育て」の意味というものが単体であるわけではないのです。意味はそれを含む文脈によってちがいます。子育ての場合、その文脈は人生の子育てをめぐる大きな4つの出来事の歴史(物語)からかたちづくられるのです。
 このケースから次のようなことが引き出せると思います。
意味は文脈としての物語のなかに組み込まれてはじめてその意味をもつ。
物語には、世間一般にひんぱんにくり返されている「ありきたりな語り」がある。しかしありきたりではあるが、それはその物語で語り説明される人間を大きくしばり、支配している。
質問者が専門家としての顔ではなく、質問される者と同格の者として現れ、そこで会話がなされるとき、質問される者からのびのびしたパーソナルな語り(物語り)がうまれてくる。
行為の意味を語るためには、それを語るために、語り手が不可欠だと思う人生の重大な出来事(イベント)があり、それをつなぐかたちで物語りがつくられ、その物語のなかで意味が与えられる。

物語論への転回
最近、人文系の学問では、さかんに「物語り」への注目が集まっています。

哲学の領域では、マッキンタイアという哲学者がその著『美徳なき時代』のなかで個々の行為の意味を理解するためにはその行為の文脈を理解しなくてはいけないと主張しています。
行為の意味をより「客観的な」行動へと還元していく学問傾向に抗して、マッキンタイアは次のように言います。

もし、私が、カント倫理学の講義の最中に、突然六個の卵を割ってボウルに入れて、小麦と砂糖を加えたとする。しかもその間ずっとカントについての講義を続けていたとする。このような場合に私の行為を行為の連続として理解しようとしても、私の行為は理解可能にはならない」 (255-6)。

マッキンタイアによれば、「行為の連続体が理解可能となるには、ある文脈が必要」(p.256)なのであり、「物語」とはまさにこのような文脈のことなのです。

私が論じたのは、ある人の行いを首尾よく同定し理解しているときには、私たちは常に、特定の挿話を一揃いの物語的な歴史という文脈に位置づけているという点であった。その歴史とは、当の個人のそれと、個人の行為と受苦の舞台のそれという両方の歴史である。さて、いま明らかになっている点とは、他者の行為がこの仕方で理解可能とされるのは、行為自体が基本的には歴史的な性格をもっているからだという点である。物語という形態が他者の行為を理解するのにふさわしいのは、私たちすべてが自分の人生で物語を生きているからであり、その生きている物語を基にして自分自身の人生を理解するからである。物語は、虚構の場合を除けば、語られる前に生きられているのだ。

 日本語では「歴史」と「物語」とはぜんぜん別の言葉です。しかし英語では、history とstory となってこの二つは似ています。さらにフランス語ではどちらにもhistoire、ドイツ語でもどちらもGeschiteという言葉を使います。またイタリア語でもどちらもstoriaです。ですからフランス語、ドイツ語、イタリア語など多くの言葉では、「歴史」と「物語」は、単語では区別できません。つまり、「歴史」とはほんとうにあった「お話(物語)」のことだととみなされているのです。
西暦1159年、平治の乱。源義朝、平清盛に敗れる。
西暦1185年、壇ノ浦の海戦。源義経、平家を滅ぼす。
西暦1992年、源頼朝、征夷大将軍となる。
という出来事のられつ(とその暗記)を「歴史」だと思っている学生はきまって「歴史嫌い」です。ほんとうの歴史とは「平家清盛らによって一度は壊滅させられかけた源氏は平家を壇ノ浦で討ち果たし鎌倉に幕府を開いた」というふうに出来事を一種の「因果関係」でつないだ、現実にあったお話(物語)です。「物語的な歴史」とはこうした、「現実に起こったお話(物語)」のことです。
 ちなみに、「物語」(story)は、もともとは、語り手(ナレーターnarrator)が語って、それが文章などにまとめられたものです。個々の語り手が語っているお話の方は、「(物)語り」(ナラティヴnarrative)という言葉をつかいます(ドイツ語ではErzählung、フランス語ではrécit)。また、物語のあらすじのことを「プロットplot」といいます。
 マッキンタイアは私たちが他人の行為を理解するときかならずその行為の文脈にあたる「物語的な歴史」の中でその行為を位置づけ理解すると言います。そして、そうした他者理解ができるのは、「私たちすべてが自分の人生で物語を生きているから」なのです。

さてここで、人間の行為・同一性の本性へのこの探究の出発点となった問いに戻ることができる。「個々の人生の統一性は何に存するか」であった。答えは、「その統一性は単一の人生において具体化された物語がもつ統一性である」となる。・・・人間の生の統一性は、物語的な探求(narrative quest)の統一性である。

つまり、私たちの自我の統一性は物語によって支えられているのです。

心理学の領域ではJ.ブルーナーが中心となって、物語論を心理学に導入しようとしています。ブルーナーは、もともとは、1960年代後半からはじまった心理学の「認知革命」の担い手でした。それまでの心理学は「行動主義」といって、心をひとつのブラックボックス(暗箱)とみなし、刺激(S)を入力すると、どんな反応(R)を出力されるかを調べようとしてきました。これに対して、ブルーナーたちは、心(頭脳)のなかでどんなことが起きているか、つまり頭脳の働き(認知)を研究しようと提唱したのです。しかしこの「認知心理学」はその後、頭脳の働きをコンピューターでシミュレーションして研究しようとするコンピューター科学にいわば乗っ取られてしまいました。そこでブルーナーは、コンピューターを使った「計算主義」(人間の脳で行われているのは一種の情報処理計算であるという立場)を批判して、あらたに、心は文化なくしては在りえないという「文化主義」を提唱しました。そしてこの文化においてもっとも重要なのが物語(narrative)だというのです。

われわれは,物語的体制化に向かう一つの「生得的」で原初的傾性をもっており,それがわれわれの物語の理解や使用を早く容易にしている。しかし今一方,文化はやがてその道具一式を通して,また間もなく自分たちが参加するようになる伝統的な語りや解釈のしかたを通して,物語という新しい力をわれわれに備えさせてくれることとなるのである。

では、語り(narrative)によって編み上げられるストーリー(お話)はどんな働き(機能)をしているというのでしょうか。ブルーナーによれば、「ストーリーの機能は,正当とされる文化パターンからの逸脱を緩和し,あるいは少なくとも理解可能にするような意図的な状態を見いだすことである」。 つまり、病気などの普段の生活から逸脱した事態が生じた時、自己と自分の状況をまとめあげようと、よりいっそう物語りが生み出されていくことになるのです。病いなどの事態による意味の喪失という事態は、物語りによる意味の再生を求めることになるのです。

 ナラティヴ・セラピー
 1980年代になってから、家族療法(クライエントだけでなくクライエントを含むシステムとしての家族をカウンセリングの対象にすべきとする心理療法)において、ナラティヴ・セラピーという新しい潮流が生まれだしました 。
 ここでは次のようなことが前提とされています。
 人間は自分なりの「物語り」(narrative)をもっており、その物語りによって自分を形成しささえている、つまり「物語的自己」をもっている。たとえば、「男らしく戦地に赴き祖国のために戦う」という「物語り」を信じて多くの若者はベトナムへ、イラクへと赴いた。「いつか王子様が来る」と信じていた有能な女子大生はナイーブ(愚かな)な若者と出会い、キャリアをすてて家庭の「主婦」となる。
 この物語りは対話の中で形成される。たとえば、映画、テレビ、ポスターの「銃を取れ!」という呼びかけに呼応して、父や友人との語らいのなかで「愛国心」や「民主主義」をめぐる物語りは彼の中でふくらみ、彼を内面から支えるものになる。クリスマスをめぐる麻薬的なおとぎ話を子供の頃から繰り返し聞かされてきた彼女はツリーもない部屋で一人で過ごすことなど信じられない。
 こうした物語りはある文化において支配的な力をふるっている。たとえば招集を避けることは「臆病者」のすることであり、「愛国心の欠如」を意味するゆえに、徴兵拒否はできない。独りで過ごす女は「みじめな女」以外の何者でもないように思える。
 しかし、しばしば支配的物語(dominant story)は彼/彼女を抑圧するものとなる。それは彼/彼女を虐げるだけのものになる。たとえば、戦場で飛び散る子供たちの死体のなかで戦いゲリラ不意打ちにおびえるうちにこれまで自分を支えてきた物語りが信じがたくなっている、もし信じるとするなら自分は臆病者にすぎなくなってしまう。ビール片手にテレビのフットボールの試合に雄叫びをあげる夫にフライドポテトを差し出す自分ははたして「幸せな王女様」なのだろうか。
 ナラティヴ・セラピーはこうした抑圧的な支配的物語に押しつぶされそうになったり引き裂かれそうになったりしている自己を解放させようとします。これまでの支配的な物語ではなく、その人その人にふさわしい物語を自分で創り上げることを問いかけと対話によって手助けしようとします。その時のカウンセラーの構えには次のような独特のものです。
 クライエントの問題についてはクライエントが一番知っている。カウンセラーではなくクライエントがその専門家である。カウンセラーは「無知の構え」をもってクライエントに接し、質問する。たとえば、自分が特殊な性病にかかっているとずっと思い詰めてきたクライエントに対して、「いつからそう思いこむようになったのですか?」(それはお前の妄想だという専門家として見下した診断が含まれている質問)をするのでなく、「いつからその病気になったのですか?」(クライエントがその病気については専門家だという態度を含む質問)をする。そうすることではじめてクライエントは悩みを語ることができるようになる、つまり扉が開かれた状態になるのです
 外在化。問題をクライエントの内的問題でなく、外的な何かとして扱う。たとえば、失禁とか過食とかをその個人の責任として責めるのではなくて、なにかその個人とはべつの存在であるかのように話において扱うことで、押しつぶされそうになっている重圧からクライエントを解放する。
 それまでの物語ではおさまりきらなかったことがら(ユニークな結果)を核にして新たな物語を形成します。たとえば、解放軍として進攻した自分たちを迎える現地民のうつろな目、敵意に満ちた目、物乞いに差し出された手。雪明かりの中を独り歩く自分のほほを打つ心地よい冷気、ホームレスたちのたき火の明かりの暖かな色。これまでの物語りからは説明がつかなかったことがら、それが新しい物語りの形成の種になりうる。
 そうして新しい物語によって新しい自己を生成する。銃を捨てた自分は侵略と縁を切ったのであり、家を出た自分は自分らしい生き方を求めるためにそうしたのだ。
 そして新しい物語りは語りをうながしともに創り上げるカウンセラーとの対話の中からはぐくまれます。自分の言うことをまず真に受けてくれ、真摯に聞いてくれる相手に語る。語りはうなずかれ、あるときには反復され、あるときにはまとめられて送り返され、その反応と送り返しに励まされある時は驚かされながら、物語りはさらに紡がれていくのです。
 
ここでケース8をふりかえってみると、シングル・マザーの元保健婦とシングル・マザーとの会話はまさにこのナラティヴ・セラピーと軌を一にしていたことがわかります。
3人以上の会話では、まさに世間一般に流布しているありきたりでしかもそれだけに私たちにまつわりつき縛っているような「お話」(支配的物語)が語られました。しかし、2者関係になって、しかも質問者が被質問者と同格な立場であるとき会話ははずみ、シングル・マザーたちは、自分の子育てをめぐるお話をはじめました。しかもそれは子育てという観点からみて重要な人生の出来事をつないでいく形でできあがった子育てをめぐるお話(歴史)なのです。
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by takumi429 | 2009-07-10 14:38 | 臨床社会学 | Comments(0)

コラム 色づく街

コラム 色づく街
---病者の意味世界理解の試みとして---
                             
 看護学校教員、滝田恵子がその精神病院に行くようになったのは、5月のはじめのことだった。実習校であるその病院に恵子は学生を連れて行った。
実習の監督指導だけでは物足りないと感じた恵子は、生来の積極さもあって、入院患者に関わってみた。
たまたま学生の一人がついたのが、入院35年という65歳の初老の女性患者だった。
話をするうちにうち解けた恵子は、この30年間病院を出たことがないその患者にむかって、こう提案してみた。
「おいしいうどんを食べに、一度、街にでてみない?」
こうして藤田佳子は30年ぶりに街に出ることになった。
 
 30年ぶりに見る繁華街は何もかもが変わって見えた。
高いビルがいくつもそりかえったように建っている。車の往来の音が耳にこだまする。
 地下鉄の出口を出て立ちすくんでいる佳子を恵子の手を取った。
「藤田さん、こっち」
導かれるままに大きなビルの中に入った。デパートだった。
「このビルの7階のうどん屋さんがうまいのよ」
二人はエレベータに乗り込んだ。
 佳子はドアがしまり上昇し始めると自分がきゅーんと縮んでいくような気持ちになったが、恵子には言わずにいた。
 店に入り、メニューをみた。
「ここはね、このざるきしめんがうまいのよ」
と恵子に言われて、佳子は恵子と同じものを頼んだ。
 うどんが出てくるの待ちながら、なぜかわくわくしているのが自分でもおかしい。
 病院ではいつもできた食事が配膳される。
おなかがすいていようといまいと、関係なく、食事はきまった時間に、とくに夕食は5時前に配膳される。おなかがすいて注文してそれを待っているというがこんなにもわくわくすることだったのか。佳子は遠い昔のことを思い出したような気持ちになった。

 食事が終わって、恵子たちは一階にもどった。一階には化粧品売場があった。
恵子は佳子の手を引いて、
「ちょっと見てみましょうよ。」と言い、
店員に、
「あの、今日は買えないけど、ちょっと見ていいかしら」
「ええ、どうぞ」
ひまをもてあましていた店員は愛想良く答えた。
のぞき込む恵子と佳子に
「よろしかったら、すこしだけお試しになりませんか。」
躊躇する佳子を恵子はすわらせた。
店員がファンデーションを佳子の顔にぬりつけ、
筆にとって輪郭をつけてから口紅をゆっくりと引いた。
鏡の中の佳子の顔が急に若やいだ。
「藤田さん、20歳は若くなったわよ。」
「そうですか。」
佳子もまんざらではない。
何年ぶりだろうか、お化粧をするのは。
鏡のなかで別人にようになっている自分を見ながら、佳子は考えた。

 化粧をしてから佳子の足が速くなった。
デパートを出て、すこしだが恵子の先を歩くような形になった。
「あれは何かしら」
佳子が振り返るようにして恵子に聞いた。
見ると、「憲法改正反対」の署名運動だった。
恵子は佳子の説明した。すると、佳子は
「私も署名したい」
すこし恵子は驚いたが、そのそぶりは見せずにいっしょに署名のところに行った。
「どこに書けばいいんですか。」
「この欄に住所、この蘭にお名前を書いてください」
若い男は答えた。
指さされて、佳子は恵子の方をふりかえった。
「住所はどう書けばいいのかしら。」
「病院の住所を書けばいいわよ。」
「名古屋市天白区××-××南原病院西棟」
言われるままに佳子は書いた。そして氏名の蘭に
「藤田佳子」
と書いた。
病院の書類以外のものに自分の名前を書くのはひさしぶりだった。
自分の名前が病院から出て外の場所に立っているように佳子は感じた。

道と道の間は広い公園になっていた。
木々がのびあがるようにおおっていた。
公園のベンチに座り、佳子と恵子は木々を見上げた。
木々の緑は新緑から次第に濃い色に変わりつつあった。
日差しが木陰の合間からちらちらと差した。
どっしりと座りこんだような大きなビルとビルの間を
ラフなかっこうをした若者たちや、背広を着たひとや、ワンピースをきた女性や、
高下駄のようなサンダルを履いた子たちが歩いていく。
「夏になるわね」
恵子の言葉に佳子は季節を思った。
病院のなかでは時間はカレンダーをめくっていくことでしかなかった。
だがここでは季節が確かに移ろいで行く。

二十歳のころから入院と退院をくり返し、
佳子の世界は次第に色を失っていった。
それがいまこうして街にでて食事をし、化粧をし、自分の名前を署名に書き、
公園の緑を見上げているうちに、
町が、風景が、季節が、そして空気までもが、ふたたび色づき始めたように、
佳子は感じた。
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by takumi429 | 2009-07-08 00:40 | 臨床社会学 | Comments(0)

3.3病者の意味世界

3.3病者の意味世界
(1)「一杯のコーヒー」
ケース5
  多くの末期がんの患者様にとって,夜はこのうえもなく恐ろしい。「寝ている間に死んでしまうかもしれない」と感じておられるのかもしれない。
  Aさんはいつもドアに背を向けて布団をかぶって寝ておられたが、それが寝たふりであることはわかっていた。日中にケアや検査,治療,処置も多く、まとまった休息時間がとれないうえに嘔吐が続いていた。体力の消耗を心配して睡眠薬の使用を促したこともあったが,「眠りたくないの」と仰って、静かに布団をかぶって夜が明けるのを待っておられた。私は、そんなAさんと一緒に“息を潜めで夜が明けるのを待った。雀のさえずりをパックミュージックに昇る朝日はとても神々しく、朝日のさす部屋で眠るAさんの表情はとても穏やかだった。Aさんにとって、毎日昇る朝日はお正月の“初日の出”と同じなのかしれないと思った。
  Bさんは腫瘍と腹水の貯留のために臥床することができず、夜間も坐って過ごされていた。夜になると決まって2~3回。コーヒーが飲みたいと私たち看護婦をコールされた。「すぐにコーヒーを入れて差し上げられないことがある」「お待たせするのはどうか」という意見が多くの看護スタッフからあり、Bさんと相談して魔法瓶にあらかじめコーヒーを入れておくことになった。しかし,本当にBさんはそれでよかったのだろうか? もし、Aさんと同様に起さて朝が来るのを待ちたかったのだとしたら?Bさんは恐ろしい夜”をコーヒーと一緒に私たちとの心の触れ合いを味わう“ホットな夜”にリフレイミングすることで,夜をやり過ごしたかったとしたら? -残念だが、今となってはBさんに確かめることはできない。“患者様の願いや行動”は、私たちにわかりやすいものもあればそうでないものもある。逆に、私たちが勝手にわかったと思い込んでいることもある。その時々に、患者様の状況を正しくとらえているかを吟味することが大切なのだと考えながら、臨地実習での学生指導に取り組んでいる。      (名古屋市立大学看護学部 石黒千映子)
              「看護夜話」Quality Nursing vol.8 no.9 2002 p.36(762)

ケース5のBさんが求めていたのは「一杯のコーヒー」の意味とは何だったのでしょうか。
まず、看護スタッフは「一杯のコーヒー」は何だ、ということにしたのでしょうか。看護師スタッフは、「一杯のコーヒー」は、「患者が必要としている、水(湯)とカフェインとその他の微量な物質」であり、「ナース・コール」は、「必要物質摂取の要求」、である。そして、「看護」とは、「生理的必要(ニード)をみたす処置」である、としてふるまおうとしているとしかおもえません。ここでは、患者の欲求は生理的欲求へと切り縮められており、そして、看護も生理的処置へと切り縮められています。だから、あらかじめ魔法瓶にコーヒーを入れておけばいい、ということになります。こうした、看護の「処置主義」とでも言いたくなるような、人の心をやわらかな部分を切り捨てていく態度、あえて言えば収容所的の看守みたいな、とでも言うべき態度の横行には、ケースを読んでいる私たちにも心痛むものがあります。
いうまでもなく、Bさんにとって、「一杯のコーヒー」はそれを持ってくる看護師とのコミュニケーションのきっかけ、媒介(メディア)にほかなりません。言葉を介したコミュニケーションもあれば、足を洗う(足浴)を介したコミュニケーションもあれば、「一杯のコーヒー」を介したコミュニケーションもあるのです。入院してきた患者の足を洗うことで、「よくいらっしゃいました」、「私たちには気兼ねなく」といったさまざまなメッセージを伝えることもできるでしょう。「一杯のコーヒー」の受け渡しもおなじようにさまざまなメッセージを伝えることができたはずです。
しかし、残念ながら、この報告を書いた看護師の気づきもそこで止まってしまっています。報告者は、死を目前にした(ターミナルな)患者Aを患者Bと列記することで、「死の不安」という言葉(ラベル)で、患者AとBを同じ色に塗りつぶしたのです。「リフレイミング」 という心理学用語の借用も、「ホットな夜」というなかばダジャレめいた語りも、患者Bが「一杯のコーヒー」にこめた意味の具体的な内実を明らかにするものとはなっていません。AさんもBさんも、「死の不安」という同じものを抱えている人、というふうにくくったとしたなら、私たちはAさんを、Bさんを、理解したといえるでしょうか。理解(解釈)というものが良くできたかできなかったかは、その理解(解釈)によって、そのものが、くっきりとみえてくるか見えてこないかによって判定されます。その意味で、「理解」(解釈)というのは、決して、恣意的(ひとそれぞれなもの)ではありません。「正しい」(と断定できる)理解(解釈)はないかもしれません。しかし「より良い」理解(解釈)というものはあるのです。それは事態を照らし出す明るさ、それによって浮かび上がる事態のほかでもない個性・独自性によって知られるのです。ここでいうなら、ほかの患者のだれでもない、Bさんにとっての「一杯のコーヒーの意味」というものが浮かび上がってくるかどうか、にかかっているのです。
さて、ここでもう一つのケースをみてみましょう。ただし今度は「ポット一杯のコーヒー」です。

ケース6
ポット一杯のコーヒー
                   ドロシー・マーナー
  六十七歳の男性が老年精神医学検査病棟に自分のアパートから直接入院してきました。彼は離婚していて、一人暮らしでした。入院は急性の行動障害のためでしたが、その他に慢性閉塞性肺疾患、肺と脳に転移した末期癌がありました。でっぷり太った人で、その一因は体液貯留にありました。風呂に入るのをやめており、自分の体にいっさい気を配らなくなっていたので、皮膚がただれ、強烈な体臭を漂わせていました。彼は声が大きく、行動面でも言葉の面でも非常に人を不快にさせました。彼はこう言っているように見えました――おい、ここに俺さまがいるんだぞ、これまで誰もやろうとしなかったことを俺さまのためにやってくれる奴はいないのか。彼は人に頼らなければならなくなりつつあることへの怒り、能力を失うことへの怒りを示しているのでした。彼の入院はこの病棟にとってほとんど敵の襲来といったふうでした。
  この人に過去のことを聞いてみると、元新聞記者で、非常に社交的な人だったことがわかりました。彼は燃え立つような知性を示し、自分の自立性が脅かされることにとても激しやすいところがありました。入院してすぐ彼とスタッフの間にいざこざが起こりました。彼はのどが渇けば、病院関係者用のコーヒーポットから自分も同じように飲んでよいはずだと思っていました。周期的に襲う吐き気のせいで、用意された時に必ずしも食事をとれなかったのです。同僚たちはそのコーヒーポットに彼が近づくのを禁じました。彼はこの問題を病院からの脱走という形で解決しました。翌日戻ってきた時、彼は私たちのとまったく同じコーヒーポット、それにコーヒー豆を買ってきました。そのコーヒー装置は、彼が怒りと欲求不満をぶつける具体的な対象になり、また自分の自立性を維持しようとする試みの焦点にもなりました。そのポットからコーヒーを飲むこと、そして人々にコーヒーをふるまうことは、彼の生活スタイルの不可欠の一部になりました。
  この事件は看護婦たちの間にかなり議論を巻き起こしました。私は病院の医療用機器管理部局から彼のコーヒー装置に使用許可と特別安全証明をもらうことで何とか折り合いをつけました。同僚たちは、彼がやけどしたり、空のまま装置をつけっぱなしにしたりしないように自分たちで気をつけることにすればいい、ということで同意してくれましな。彼が同僚たちにコーヒーをふるまうのを見て、私はこれは看護に役立つと思いました。彼に力の感覚を取り戻させる手段、彼の社交的な面を引き出すための手段になるのではないかということです。自分用のコーヒー豆を買うために商店街に散歩に行くのなら、病院からまた失踪してしまうこともあるまい、それにこのコーヒーを通じて、私たち以外の先生などとも交流の途が開けるのではないか、そのように考えました。彼は信仰には懐疑的なユダヤ人でしたが、病院牧師にコーヒーをふるまいながら、自分が神を信じていない理由を話すことに大きな慰安を感じていました。また彼は精神医学も信じていませんでしたが、精神科の医師とコーヒーを飲みながら雑談し、その医師に「最近気分が上向きのようだ
ね」などと言われている時は、興奮がぐっとおさまったものです。
  彼は家族から疎まれていました。私たちは、コーヒーでも飲みにいらっしゃれば、という言い方で家族の人たちに訪問を勧めることができました。そしてついに家族の人たちが見舞いにきてくれました。「コーヒーでもと思って立ち寄っただけ」とか言いながらです。容態が悪化した時も、彼はまだ人々にコーヒーをふるまうのを楽しみにしていました。それは彼の慰めになったとともに、病室を訪ねる者の辛さも取り除いてくれました。病気の代わりにそのコーヒーポットのことを話題の中心にできたからです。
(Benner/Wrubel1989『現象学的人間論と看護』 邦訳445-6頁)

 このケ-スの患者の場合、コーヒーをふるまうことで他の人とふれあいつながっていっています。コ-ヒ-をふるまうとき、彼は「患者」ではなく、かつての新聞記者だった頃の溌剌とした自分を取り戻すのです。コーヒーをまわりの人にふるまい、ともに飲むという行為が、彼がかつてそうだった、そして今もそうでありたいと思っている人間とそれをつつむ、病院とはまるで別の世界を開かせたのです。こうして、一見、きわめて日常的、小さな行為と見えるものが、その人間の人生と社会への広がりをもつものとして現れてくることがあるのです。その世界では、その行為者はほかの誰でもないその人間としての顔をみせるのです。
だとすると、患者の具体的な個人としての顔が見えてこなければ、それは十分な理解とはいえないのではないかといえるのではないでしょうか。ケース1の場合、そこではAもBも「不安をかかえた人」として同じような者としてしかみえてきません。ケース2のように、コーヒーをふるまう患者の個別性・具体性がうきあがってくるとき、はじめて十分な患者理解が行われているというべきではないでしょうか。患者のしていることの意味を問いかけ理解しようとしていながら、じつは医療者が自分のもつ意味づけを押し付けレベル貼りをしてしまう、そういうことがあんがいあるのかもしれません。

(2)意味の浸食
ケース7
(次のものは症例というよりは研究の報告例ですが、興味深い例なのでとりあげます)。
保健師のHは、Ⅱ型糖尿病(後天的糖尿病)へのケアを通じて、「医療者の考える意味と医療を受ける側の考える意味の違いへの疑問」が生じた。そこで、医療を受ける側にとっての「食べることの意味」を探るために、Ⅱ型(後天的)糖尿病患者に「食べること」についての9時間のインタビューを行い、それを分析した。結果、患者にとっての「食べること」は、「嫌いなものを食べること」と「食べ過ぎないこと」の二つに集約されていくことがわかった。(肥後恵美子「Ⅱ型糖尿病患者の食べることの意味の記述~食べることの語りとその解釈~」)

この研究で、糖尿病患者の「食べること」についての発言から抽出されたものが、「嫌いなものを食べること」と「食べ過ぎないこと」という二つになったのは、「食べること」の意味づけとしては、いかにも異様な気がします。
私たちが、誰かに向かって、「おい、飯でも食おう」と言ったとすると。それは「一緒に栄養摂取をしよう」という意味ではないでしょう。むしろ「親睦を深め語り合おう」という意味だとみるべきでしょう。「食べること」はこうした一種のコミュニケーションであるともいえますし、「食べること」で人は親密な人間関係の空間を作り出すことができるのです。
この研究例では次のようなケ-スが報告されていました。

女性患者B(57歳)は5年前に夫を亡くし、一人息子も3年前に独立し、ひとり暮らしになった。1年まえに糖尿病と診断された。

この患者の場合、夫を亡くし、息子と離れて暮らすようになった後に発症していることはきわめて重要だと考えられます。家族関係を失った後に、この患者の食習慣がどのように変わったのかが注目されるべきである。食べることとは関係性を作ることであり、孤食・過食は作り得ない関係性を作ろうとするシジホスの神話にも似た、決して満たされかなうことのない、むなしい努力ともがき、とみることができるはずである。ひとり暮らしになって、この女性患者は、ともに食べる、という喜びをなくしたと言えるでしょう。それと同時に彼女の食生活そのものがくずれだし、糖尿病を招いたといえそうです。ここでは「食べること」がかつて持っていた、家族の空間を作り出すという意味が失われています。だからいくら食べても、心は満たされることはない。なのに、かつて「食べること」がもたらした満足感・幸福感をもとめて、過剰に食べている孤独な女性の姿が浮かんできます。その意味で、食事というものを家族関係から食を見る観点が必要なのかもしれません。
 ケ-ス7の研究報告を聞いたある看護師によると、糖尿病患者の多くは、食べ物を「エサ」だと言っているのだそうです。糖尿病患者が、発病する前から、「食事はエサ」なんていう見方をしていたとは思いづらいです。げんに糖尿病でない私たちは、ふつう、食事をエサだ、とは思っていません。だとすると、彼らは糖尿病患者になって、医療者の食事の指導を受けるうちに、そうした意味づけを「食べること」にするようになっていったと思われます。つまり医療者の指導にしたがっていくにうちに、食べることの喜びは奪われ、医療者が食事に対して与えているであろう意味を、患者が受容していく、そういう過程が想像されるのです
してみると、糖尿病患者たちの「嫌いなものを食べること」と「食べ過ぎないこと」という「食べること」の意味づけは、むしろ、医学的・栄養学的な発想で食事をとらえ、食事指導をする保健婦の、食事に対する意味づけに合わせる形で、発言されたのではないかと想像されます。つまりこの二つ意味づけは、患者たちが、食事指導をする保健師を前にして、「食べること」について語ったために、こうした発言が出てきたと見るべきなのではないでしょうか。
そもそも調査者である保健師は、「食べること」にどのような意味を与えているのでしょうか。著者(私)が何度聞いてもこの研究者(保健師)は、自分の「食べることの意味づけ」を答えてくれませんでした。医療者と患者の意味の違いについて研究したいなら、まず自分自身が「食べること」をどのような意味でとらえているのか明らかにすべきだったのではないでしょうか。思うに、おそらく、この研究者(保健師)の、食事の意味づけは、かなり栄養学的・医学的な意味へと偏っているのではないでしょうか。ひょっとしたら、「食事とは身体を維持・生成する栄養摂取の活動である」、なんていうとらえ方をしているのかもしれません。
おそらく、糖尿病患者たちは、保健師たちの、医学的・栄養学的な言葉(専門用語)を交えた、「むずかしい」教育・指示の内容を、「嫌いなものを食べること」と「食べ過ぎないこと」の2語に「翻訳」して理解しているのでしょう。だから、保健師である研究者を前にして、「食事の意味」を聞かれると、「嫌いなものを食べること」と「食べ過ぎないこと」と答えたのではないでしょうか。
ここでは、保健師にとっての「食べること」の意味体系と、患者の「食べること」の意味体系、この二つの意味体系がぶつかり合い、前者が後者を浸食しているともいえるでしょう。保健婦の意味体系が患者の意味体系に浸食しそこに突き刺さった意味づけは、「嫌いなものを食べること」と「食べ過ぎないこと」という言葉に翻訳された。患者はこの浸食してきたものを翻訳した2語を中心にして、自分の食事の意味体系を、さらには実際の食生活全般を編成しなおす。その過程で、食べることのコミュニケーションとしての意味や、暖かな社会空間の形成、といった意味は患者の中から失われていったと考えられないでしょうか。

 患者のさまざまな行為の意味を問うと、言葉の意味のような形のものが現れるのではなくて、むしろ患者の心の世界が意味の世界として立ち現れてきます。もし、それをさらに、言葉の意味のようなものに近づけようとすると、その意味を成り立たせている「文脈」が必要となってきます。患者の心の世界で、行為の意味を与える「文脈」とは、どのようなものとして現れるのでしょうか。それを次に見てみましょう。
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by takumi429 | 2009-07-06 12:04 | 臨床社会学 | Comments(0)

3.2「臨床の知」の探求

3.2「臨床の知」の探求
 形式的理論から人工知能論へ
私たちは、知識や理論というものを、現場からはなれた、現場から抽出したものとして理解することになれています(理論を、現場の状況に拘束されない、命題の形で述べることができるととらえるプラトン以来の考え方のことを、ベナーたち[1999]は「形式的理論」と呼んでいます)。知識や理論にたいするこの考えを推し進めると、人間は自分のまわりの世界のあらゆるものに言葉という記号を割り当てて、頭のなかでその記号(記号)を論理的に処理している、一種の装置だ、という考え方が生まれてきます。すなわち、人間は一個の「情報処理装置」とみなされるわけです。
 「ブール代数」という数学理論の登場によって、命題も一種の(記号)計算としてあつかうことができるようになりました。これによりもともとは計算機であったコンピューターは、論理計算もできることになりました。その結果、コンピューター(電脳)にも人間と同様の情報処理ができるのではないかと期待されるようになり、こうして生まれたのが、人間のように思考できる機械、すなわち、「人工知能」の考えです。
 
 エキスパート・システム
 医学の診断は患者のさまざまな症状から想定される疾患を絞り込んでいくことだといます。症状とその症状をもたらす疾患とのつながりをいくつも重ねていけば、疾患が絞り込まれる。これは一種の知的な情報処理に他ならない。だから医師たちがしている疾患と症状の連関をコンピューターに覚え込ませて、情報処理させれば、医師とおなじような診断ができるようになるだろう。こうしてうまれたのが、「エキスパート・システム」という人工知能でした。
 では機械(電脳)は人間のエキスパート(達人)と同じレベルに達することができるのでしょうか。人間が情報処理の装置にすぎないならば、そのはずです。
 人工知能論は、電脳がエキスパートになることができる、いいかえれば、人間は情報処理の装置であると考えてきました。この人工知能論の考えに公然と反対している論者に、ヒューバート・ドレイファスという哲学者がいます。
 
 反人工知能論
 ドレイファスは言います。人工知能論では、人間は世界の事実を個々ばらばらのデーターにして、そのデーターを頭のなかで規則にしたがって計算している、そうした装置とみなしている。しかし人間の思考はそれとは別物である。人間はまず身体をもつことで周りの対象についての経験をまとめあげている、しかもその対象もそれが置かれた状況から引き離されては意味をなさない。さらにそうした対象が、あるつながりをもつようになるのは、人間が目標や欲望を持っているからだ。すなわち、世界の事実をばらばらのデーターとして処理計算する人工知能は、目的と欲望をもって身体を通じて状況のなかで生きていく人間の思考はまねすることはできない、というのです。
 
 本当のエキスパートとは何か(技能修得の5段階モデル)
 ドレイファスは人工知能のよる「エキスパート・システム」などというものは、本当の人間のエキスパート(達人)のレベルには決して達しないと主張します。
 彼は、弟のスチュウアート・ドレイファスとともに、「技能修得の5段階モデル」というものを提唱しました。それによれば、人間は、①初心者(状況に関係なく規則どおりにふるまう)、②上達した初心者(状況依存の要素にも目配りするようになる)、③上級者(目標によって臨機応変にふるまう)、④熟練者(過去の体験・記憶を生かしてふるまう)、⑤達人(技能が体の一部になって意識されない)へと上達する。人工知能論の考えとはうらはらに、コンピューターはせいぜい②上達した初級者のレベルにしか達しない、と彼らは主張するのです。
 
 看護のエキスパート(達人)とは
 ドレイファスたちはこの理論を提唱するのと同時に、この段階説を看護の現場で検証してもらいました。その成果として生まれたのが、ベナーの『初心者から達人へ』です。
 ベナーによれば、看護婦も、①初心者(体温や血圧などのデーターだけに反応する)、②上達した初心者(繰り返し起こる意味ある状況に気づく)、③上級者(看護の計画をたてて看護できる)、④熟練者(状況を全体的にとらえ看護のコツ(Maxim)を理解し看護できるようになる)、⑤達人(状況を直観的に把握して問題を正確につかむ)、という段階を経て卓越した看護婦へと成長します。
 すなわち看護の現場にみられる人間の実践の知は、コンピューターの知のあり方とは異なり、目的と意欲をもつことで状況を直感的に全体的にとらえることができる知だというのです。この「臨床の知」のあり方でとりわけ特徴的だとされたのは次の点です。
 
 ①格言(Maxim)
 よくスポーツが下手な人が、うまい人に、どうやったらそんなにうまくやれるのか、聞くことがあります。しかしうまい人の答えは、たいがい、期待はずれの答えが多い。いわく「肩の力をぬくことだよ」とか「球をよく見て打てば良いのだよ」とか。下手な人にとっては何の助言にもならないことを言ったりします。こうした格言(コツ)というものは、ある程度やっている人にはわかるけど、初心者には何のことかわからない。
 マイケル・ポラニーという科学哲学者は、言語的な分析的な知に対して、非言語的・包括的な、人間の実践において現れる知のあり方を、「暗黙知」と呼びました(ポラニー[1980])。ポランニーによれば、この暗黙知において、こうした格言(金言)がしばしば現れます。「格言」とは「規則であるが、その正しい適用もまたそれに支配される技芸の一部」であり、「技芸の優れた実際的知識をすでに保有していない者は理解できず、ましてや、適用できないものなの」です(ポラニー[1985],29頁)。
 
 ②傾倒(コミットメント)
 これまで、熟達した看護をするためには、患者からある程度距離をとらなくてはならない、と思われてきました。そして患者のことを「看護の対象」と呼んで、患者を客観的にとらえるべきだとされてきました。しかしベナーは言います。
 「熟練した仕事には、あるレベルの傾倒と巻き込まれが必要である。これを研究して証明することは、看護婦は患者から距離を保たねばならないという、看護のイデオロギーへの挑戦である」(ベナー[1992],117頁)。
 患者への巻き込まれることで、患者が抱える問題を理解できるようになり、対応できるようになる。対象から冷たく距離をおいた知のあり方は、臨床現場の知のあり方ではないのです。
 
 ③物語的把握
 患者の状況に巻き込まれながら理解し把握するために、ベナーとその共同研究者たちは、患者の物語る話を重視する。単独でとりだされたデーターや兆候ではなく、患者の語る物語を理解することで、看護婦は直感的に患者の置かれた状況、患者の抱えた問題を理解し、それへの対応を把握するようになる、と言います。

優秀な・・・看護婦たちは、公式の看護記録や個人的な看護ノートをとる中で患者の物語を知ろうとする。看護婦たちは、どの病気にもひとつの物語かあり(計画か危機に瀕する、あるいは頓挫する、人間関係かかき乱されるといった物語)、患者の生活に起こっているそうした出来事によって症状そのものか特定の意味を帯ひてくることを知っているのである。病気の持つ意味を理解することによって看護婦は治療を容易にし、患者の回復を早めることかできる。治療の手立てがなく、治るのは無理という場合でさえ、患者とその生活にとって病気かいかなる意味を持っているかを理解することは癒しの一形態である。そうした理解に支えられることによって、患者は病気に伴う疎外感・自己理解の喪失感・社会的一体感の喪失を克服できるからである。
(Benner/Wurbel,1999 邦訳11)
・・・人間存在の体系的研究に必要なのは、人間の生の物語的な統一性に注意を向け、
人の生き抜く意味と関心を内在的視点から理解(解釈)するような方法論である。
(Benner/Wurbel,1999 邦訳440)

この人間の人生のもつ物語的統一についてはあとでまた取り上げることにしましょう。
 
 ④参加しながらの学習
 こうした臨床の知はどのように修得されるのでしょうか。ベナーたちは、教室で教育され学習された知識を現場で適用する、といったいままでの学習の仕方でこの臨床の知が修得されるとはみていません。むしろ看護婦は行為しつつ考えることで熟練の看護婦となっていく、というのです。
 こうした、参加しつつ学ぶ、という学習は、最近の教育学で、「状況に埋め込まれた学習」(situated learning) あるいは、「正統的周辺参加」(legitimate peripheral participation)と呼ばれ、最近注目をあびつつあります。これについて少し見てみましょう。

状況に埋め込まれた学習
私たちが普通、何かを学ぶ時は、まず教室でそのことがらの原理を学び、それから現場に出てその原理を実践するという手順をふむことが多くなっています(看護でもそうなっています)。しかし考えてみると、産婆、肉屋、操舵手、仕立屋など、いわゆる徒弟修行と呼ばれるものは、こういう学び方は決してしていませんでしたし、現在でも多くがそうした学び方をしません。徒弟修行などでは、まず教え、それからやらせる、わけではありません。すぐに現場に投げ込み、やっている脇に立たせたり、あるいは少しやらせ(参加させ)たりして、しだいに本人の体に覚え込ませていきます。この現場で実践しながら学ぶという学習のありかたは、教育によって学習し、それから現場にでていく、という学習の仕方とは、対照的な学習のあり方です。そこでは学習者は、もっぱら、現場で手伝いながら見よう見まねで覚えていくのです。現場の状況に放り込まれ、そこで学んでいく。つまり、状況のなかで(そこに埋め込まれたかたちで)学んでいくのです(こうした学習理論は最近「状況学習理論」と呼ばれ、大変注目されている)。もちろん、そうした現場への参加は、アルバイト気分の腰掛けでは勤まりません。最初から、「これは自分の仕事だ」と思って参加しなくてはいけないし、「半人前」とはいえ、その仕事をしている「正統な」人間として参加させられます。「修行中の若造」とはいえ、板場にいるかぎりは、「料理人の端くれ」であり、料理を作って食べさせているのです。とはいえ、まだ「半人前」の時には、全面的に任されるわけではありません(つまりフルに参加はしていません)。先輩や師匠の手伝いを脇からするという「周辺的な」関わり(参加)のなかで学んでいき、しだいに中心的な存在になっていく(つまりフルに参加する)。それが「一人前」になっていくという徒弟制度における学習なのです。この学習理論では「正統的周辺参加」というのはそういう意味です。

状況にうめこまれた行為
この「状況に埋め込まれた学習」の考え方のなかには、あらかじめ原理原則を学び、それにもとづいて計画を立てていっても、現場(状況)に入ってしまうと、じつはそれはあまり役に立たないという含みがあります。じつはこれは、行為一般をとらえ直すことにつながっています。ふつう、行為というものは、計画(プラン)を立てそれを実行するという風にとらえられがちです。しかし、実際の行為というものは、そういう風にすすむわけではありません。実際は、その現場の状況のなかで、使っている物や一緒に作業している人との関わりのなかで行為は進められていくのです。完成図をイメージして作業するのではなくて、目先の道具と人との関わりのなかで実践はおこなわれていくのです。
完成図としてのプランと作業の違いということで例を挙げるなら、もっとも簡単な例として「三つ編み」を考えてみましょう。三つ編みを編んでいるときに、三つ編みができあがったイメージを心にいだいて作業はしていません。ただ三つに分かれた房の外側の房を他の二つの房のあいだに左右交互に織り込んでいく、ということをしているだけです。おそらくもっと複雑なレース模様の場合でも、作業中、完成図を頭に浮かべて作業しているわけではないでしょう。織り込んでいく作業を順次積み重ねていくことで、結果として模様ができるのでしょう。またそうなるよう作業を選びはするが、作業中は完成図を思い浮かべてはいないでしょう。
またたとえば、職場に車で行くとします。職場までのルートを選び、そのルートを走るために、エンジンをかけて、ギアをいれ、アクセルを踏み、ハンドルをきる・・・というふうには実際は考えていません。運転作業はぎゃくに細かな作業をほとんど無意識にしていくことで組み立てられていきます。「えーと、まずはシートベルトをして、それからエンジンをかけて、直進してからハンドルを切って、目的地へのルートの最初の道にでて・・・」などという風には考えたりはしません。もしそんなふうに考えて運転していたとしたら、そんな人間は本当の初心者です。
これに関しておもしろい研究を上野(1999)が紹介しています。

ビーチ(Beach,K.D.)は、バーテンダーによるカクテルの作り方に関する記憶の研究において、個人を越えた記憶系の働きを分析している。ビーチによれば、バーテンダーが、注文された飲物をつくるとき、主に二つの記憶方略が用いられているという。一つは、言語的な記憶方略であり、まず、注文されたいくつかのカクテルの作り方を言語的にリハーサルし、それから、このリハーサルにもとづいてカクテルを作るのである。もう一つは、実物にもとづいた記憶方略であり、たとえば、まず注文に応じて必要なグラスをバーのコーナーの上に並べ、さらに、すでに注がれた材料を手がかりにしてつぎの材料を注ぐのである。バーでは、異なったドリンクには、異なった形と色のグラスが用いられ、したがって、このとき、グラスの形や色が、どのようなドリンクをつくるべきかの手がかりになるというわけである。このような実物にもとづいた方略では、バーのコーナーにおかれたグラスの形や色が、注文されたドリンクの種類と数を表示している。また、あらかじめ注がれている材料が、つぎに何を注ぐべきかを示しているということになる。
 ビーチの観察によれば、熟練したバーテンダーは、実物にもとづいた記憶方略を用い、一方、非熟練であるほど言語的な記憶方略を用いるという。このことは、観察だけではなく、実験によっても確認されている。たとえば、言語的なリハーサルは非熟練グループに多く、また、通常のグラスで注文された飲物をつくるとき、つくるべき飲物の種類や混合の仕方のエラーは、非熟練グループのほうが、熟練グループよりもかなり多かった。一方、グラスの形や色をすべて同じにして飲物をつくるという条件では、妨害効果は、熟練したバーテンダーのグループのほうに著しく見られたが、非熟練グループにはほとんど見られなかったのである。さらに、このグラスの形や色を同じにするという条 件下では、注文された飲物の種類を間違えてしまうというエラーは、熟練グループのほうが、非熟練グループよりも多かったという。
(上野直樹『仕事の中での学習 状況論的アプローチ』1999年東京大学出版会5-6頁)
 
 人間はその仕事(実践)に習熟すればするほど、プランから行動するのではなくて、目の前のものとの関わりのなかから実践を組み立てていくのです 。
 
 (3)行為のとらえ直し
 状況的行為論によれば、人間の行為というものは、プランによって決定されているものではなくて、状況における道具(やその配置)や他の人間との関わりのなかで、編み出されていくものです。
 他方、ベナーたちは、「臨床の知」の探求から、さらに行為をする人間のもつ身体性を着眼している。
 ベナーたちによれば、人間はこの世界に身体を持つ存在として生まれ、その限られた状況のなかで生きていく。人間はこの世界で生きるうちに「身体に具わる志向性」を持った「熟練技能を具えた習慣的な身体」を持つようになる。
「身体に具わる志向性(bodily intentionality)」とは「意味を帯びた状況にたいして、意識的反省抜きに身体がおのずと反応し行為を起こせるという具合に、人間が自分の身体になじんでいること」を指します(ベナー/ルーベル[1999],451頁)。また「熟練技能を具えた習慣的な身体」(habitual, skilled body)とは、文化的・社会的に修得された姿勢・身振り・習慣すべてをふくみ身体のありかたであり、それは習熟した技能をもつことができます(ベナー/ルーベル[1999],450-1頁) 。
 状況行為論と状況学習理論と、このベナーたちの行為論を結びつけるなら、人間は、具体的な現場(状況)のなかで、最初は脇の方から、見よう見まねで技能を体(身体)で覚え込んでいく。そしてその技能を用いて、現場のものと人と関わり合いながら、実践していき、そうして仕事を、さらに共同の社会を、編み上げていく、そうした存在と言えそうです。
 この観点からひるがえってみると、ヴェーバーとその影響を受けた学者たちは、行為というものを、あまりにそのプラン(計画)から眺めていたというべきでしょう。つまり行為を左右するのが、その計画であり、計画を作るのは彼らが信じる宗教教説であると考えられています。しかし現実の行為はもっと状況的であり、かつ身体的なのです。石門心学をまったく知らなくても、また儒教的教えをまるで知らなくても、禁欲的な労働にふさわしい身体訓練をほどこされた肉体が、資本主義的生産にふさわしい機械と労働者の配置の中に投げ入れられれば、資本主義的な生産は行われるのです。禁欲的な宗教教説の系譜がたとえ途絶え、たどることができなくても、身体訓練と道具(機械)との関わりにそれが体現化されているならば、禁欲的な労働というものは生まれうるのです。こうして「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の研究の展開は、単に宗教的教説の系譜を追うのではなくて、むしろ、身体訓練と人間-機械系の系譜と連関に目を向けるべきだということになるでしょう。また理解社会学一般の問題としても、行為の意味の理解は、行為が組み込まれている状況と行為をする身体に目を向けなくてはいけないということになるでしょう。およそ、行為の意味というものが行為者にとって意識されるのは、むしろその行為がうまくいかなくなった場合であって、うまくいっているときは、目先の状況(道具と人との関わり)に寄りかかった形ですすめられていくと考えられるからです
 もちろん、日常行為に齟齬をきたし、生活に頓挫したとき、それをまとめ上げなくて行けないとき、行為の意味というものは強く意識されることはまちがいありません。しかしそれは行為のばらばらの意味ではないでしょう。むしろ個々の行為の意味はひとつのものへとまとめ上げられなくてはいけないでしょう。そのときそのまとまりとして現れるのはなんなのでしょう。つぎに、具体的なケースにそくしながら、意味とそれをまとめ上げるものについて考えていくことにしましょう。
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by takumi429 | 2009-07-02 08:54 | 臨床社会学 | Comments(0)

3.1 病者の意味世界 (看護理論の探求に学ぶ)

 3.看護に学ぶ臨床社会学
1病者の意味世界 (看護理論の探求に学ぶ)
(1)トラベルビーの看護理論  
病いに陥った人が抱える意味の喪失に着目して看護理論を作り上げたのが、ジョイス・トラベルビー(Joyce Trabelbee 1926-1973)という看護理論家です。  病気になった人間にとってその病気はまるで理不尽なものでしかありません。医療にたずさわる者もじつは「健康が一番」と考えている者が大多数です。だからその病気というものは否定されるべきものであっても、意味や意義のあるものとはみなされないのです。  トレベルビーは、医療側の人間、とくに看護婦には「治癒志向的な構え」が蔓延しているといいます。看護婦は病者の病いを否定的にとらえるのではなく、むしろ病者がその病いに対して、納得できるような意味づけができるように支援する必要があると彼女は主張します。  そのために看護者は、はじめの①患者との最初の出会い、という段階から、②お互いに共通なものを見いだして行き(同一性の出現)、③感情移入をしていき、④ともに苦しみ(同情し)、そうして、⑤打てば響くような関係を患者と自らの間に築くという、段階へ移行していかなければいけない、というのです。
 トラベルビーの看護理論は、『夜と霧』で有名なフランクルの「実存分析」の影響をうけています。ユダヤ人強制収容所に入れられたフランクルはそこで人々がその過酷な事態そのものに苦しむばかりでなく、その事態な理不尽で不条理な「意味のなさ」にも苦しむということを知りました。人間はいかなる事態においてもその意味というものを求めずにはいられない存在なのです。「意味を求める存在」としての人間という人間観を主軸に、人々に生きていることの意味探求を迫る学問として彼は「実存分析」を作り上げたのです。  この問題は社会学にとっては決して疎遠な問題ではありません。ヴェーバーが「神義論」という問題としてあつかったのはまさにこの問題なのです。  旧約聖書の『ヨブ記』のなかには、ヨブと呼ばれる敬虔な信者が登場します。敬虔な信者として幸せだった彼は突然、息子をすべて失い、みずからも原因不明の皮膚病の悩まされます。友人たちはこの不幸はヨブの不信心のせいにちがいない、悔い改めろと助言する。しかしみずからにやましいところがないヨブはその悔い改めの助言をすべて退け、最後には神さえも召喚して(呼び寄せて)、なぜ敬虔な信者だった自分がこのような目に遭わなくてはいけないか、と問いただします。神はそれに答えず、自分が天地を創造した時におまえはいたか、と叱咤する。それを聞いてヨブは神が自分のような人間のちっぽけな思慮を超えた存在であることを思い知り、神の前に深くひれ伏すのです。  病いなどの苦難にあった人々はまず「どうして自分がこんな目にあわなくてはならないのだろう」という義憤にも近い思いに駆られます。そうした苦難を宗教的に説明するものが「神義論」と呼ばれるものなのです。ヴェーバーは宗教社会学においてこの神義論の問題(苦難の意味づけ)を重視し、これが宗教論理の内在的な発展をもたらす契機(きっかけ)であるとみています 。
 (2)ベナー理論  解釈学的現象学  トラベルビーはフランクルの実存分析によって病者のもつ意味喪失と意味探求を明らかにしました。それに対して、パトリシア・ベナー(Patrcia Benner)は、ハイデッガーが『存在と時間』という本のなかで提唱した「解釈学的現象学」を使って、病者の意味の世界を読み解こうとします。  「現象学」とは、あえて単純化していうなら、「心の地図のなかに物事がどのように現れるか」を調べる学問だと言えます。「解釈学的」という意味は、そうした「心の地図」に現れる物事がそれをふくむ「文脈」のなかでどのように現れているのかを、(ちょうど文脈を大切にしながらテキストを解釈するように)、考察するのです。
 ハイデッガーによれば、物事が現れる「文脈」を作り上げているのは最大のものは、その人間の「気づかい」、すなわち何をもっとも気にしているか、関心をもっているかです。人間というものはこの世界にあって、常に、何かを気づかっている、何かに関心をもっている存在である。「気づかい」、「関心」のありようによってその人間にとってものごとは異なって現れる。  例えば、雨が降って濡れることを気づかっている人は自分の傘(かさ)を置いた場所を忘れません。しかし雨があがって晴れると、その気づかいはなくなり、目の前の傘のことも忘れて電車をおりてしまったりします。雨にぬれたくないという気づかいがあるかないかで、傘はその人の心の中に現れたり消えたりするのです。  卒業して結婚することに関心がある女子大生はいかに楽に講義の単位をとり、どんな車で彼氏が迎えにくるかと思って窓の外を見ているかもしれません。しかし卒業してキャリア・ウーマンになろうと思う女子大生は卒業後に役にたつ講義をよい成績でとり、講義の後は、セカンド・スクールに行ってパソコンの勉強をしようと考えているかもしれません。  つまり気づかいと関心のありようはその人間の心の世界のありようを規定しているのです。  病気になると、しばしばそうした心に現れる世界のありようを大きく崩れてしまいます。  乳ガンのため乳房を失った女性は、夫に愛されていた女としての世界が崩れてしまったと感じるかもしれない。猛烈社員は病気によって描いていた将来図が崩れ無気力におちいるかもしれない。手が十分にうごかなくなったピアニストは世界と自分とを結びつける決定的なものを失ったと感じることでしょう 。  ベナーたちはこうした意味的な世界の崩壊や撹乱を、「ストレス」と定義します。すなわち、「ストレス」とは「人に円滑な生活の営みを可能にしていた意味ないし理解(世界理解と自己理解)に撹乱が生じた結果、危害や喪失、試練が体験され、そこから悲嘆の情が誘発されたり、状況の再解釈や新しい技能の修得が要請されたりすること」です(ベナー/ルーベン[1999],451頁) 。  
こうした「意味のほころび」とでもいうべき、ストレスに対処するには、小手先の解決やごまかしではどうにもなりません。あくまでも意味の再建がめざされなければならない。そこでベナーは「対処(コーピング)」 を次のように定義します。 「ある個人の携えている意味が撹乱を受けて、生活の円滑な営みが阻害された時にその人の行うこと。対処の目的は意味の再建にあるから、何かに対処するとは、無限の選択肢から最適な戦力を選ぶということではない。」(ベナー/ルーベン[1999],452)  
乳房を失った女性は夫との愛情生活というものを(夫のとの協力と理解のもとに)単なる性愛のレベルとは異なるものとしてとらえ返さなくてはいけないでしょう。元猛烈社員は自分の人生の目的というものを考えなおさなくてはならないでしょう。手が動かなくなったピアニストは音楽との、さらに世界との別の接点を見いださなくてはならないでしょう。  ベナーによれば、看護とはそうした患者の意味の再建を患者の意味世界を理解したうえで支援していく活動にほかならないのです。 
すでにみたように、ヴェーバーの実人生においては、病いによる意味喪失を解決したのは、神の声を聞き預言するという預言者の主体的なありようを自ら再現することでした。ユダヤ王国の亡国の危機にあって預言者は神の声を聞きそれを人々に訴えました。ヴェーバーも、第一次世界大戦のさなか、亡国の危機にあるドイツのために新聞をつうじて、政治的意見を訴えました。つまり、亡国の危機にあったユダヤに向かって預言者たちは神の言葉を投げかけた、という物語をつかって、第一次世界大戦で敗戦と亡国の危機にあるドイツでジャーナリステックな自分の活動を、理解し自覚していったのです。
ハイデッガーの『存在と時間』においては、だれでもないありきたりな平均的な人間(「世人」)に成り下がった人間が、みずからを取り戻すには、良心の声をきき、死をみつめて、生き直そうと決意することが必要とされます。こうした一見、勇ましい、しかしじつはかなり、はた迷惑な実存主義は、ある時にはお説教臭い、あるときにはファシズムへの親和性さえもつものでした。  ベナー(と彼女が依拠するドレイファスの)ハイデッガー受容(Dreyfus[1994])は、こうした実存主義的な決断主義、『存在と時間』ではその後半にみられる、実存主義的な傾向を切り捨てます。そうして、人間が身体をもちながら世界の中に住んでいることを重視します。  知のありようは身体のありようと切り離せない。ベナーたちはこうした身体性とむすびついた知のありようを、看護現場の「臨床の知」のあり方を探ることで明らかにしていこうとしている。つぎにそれを見てみよう。
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by takumi429 | 2009-07-02 08:53 | 臨床社会学 | Comments(0)