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映画論 まとめ

映画論講義 まとめ
映画前史
ルネッサンスの画家ボッティチェッリの絵画のゆがんだ顔や連続動作の天使像などに見られるように、静止画というものは運動を停止してしまうがゆえに、ぎゃくに運動を表現したいという願望をはらむものでした
おなじく、写真が発明されたときも、それは目にもとまらない運動を把握したいという願望が込められていました。たとえば、マイブリッジの写真は走る馬の足の形をとらえるために撮られました
映画の誕生
映画は、運動というものを写真の静止画に切り取り、その静止画を連続して映写することで、目の残像効果によって、運動を再現します。
 映画の創始者であるフランスのリュミエール兄弟は、見せ物を撮るのではなく、日常の生活を撮り、上映しました。
 同じく映画の創始者であるエジソンの下で映画を制作したエドウィン・ポーターはその作品『大列車強盗』(1903)にカメラに向けて発砲する強盗を撮ることで、観客を映画の世界に巻き込みました。
 映画の父グリフィス
映画は、残像効果という生理的錯覚だけで、一連の動きある情景を表現するだけではありません。コマ(映像)の連続(ショット)とべつのコマの連続(ショット)をつなぎ合わせることで、現実ではない映画の中のシーンを作り上げることができます。こうしてコマ→ショット→シーン→シークエンス→1本の映画、というふうにつなぎ合わせていくことで、映画どくじの世界がうまれます。
「映画の父」とよばれるG.W.グリフィスは、ショットとショットをつなぎ合わせることで、映画どくじの世界を生み出すさまざまな技法を作り上げました。
 たとえば、登場人物の二人を撮り、次に交互に人物を撮り、さらにキスする二人をアップで撮り、それらのショットをつなぎ合せることで、愛し合う恋人同士のシーンを作り出します。(その際、二人を結ぶ想像上の線(イマジナリー・ライン)の手前から撮影しなくてはいけません。その線を越えて撮影すると二人の人物の左右の関係が逆になってしまうからです。これを180度の原則といいます)。
 ちなみに、このショットと反対からのショット(リバース・ショット)を文字通り、ショットの応酬(撃ち合い)として描けば、それが「西部劇」になります。また「撃ち合い」の代わりに、「斬り合い」にすれば日本の「時代劇」になります。
 また、走り来るクー・クラックス・クランのカットと男に襲われそうになっている娘のカットを交互につなぎ合わせる(クロス・カッティング)で、娘の救出にむかうクー・クラックス・クランというシーンを作り上げました。
 さらに俳優をきわめて近くから撮る(クローズ・アップ)によって、観客が俳優の間近にいるような錯覚を与えました。その結果、映画俳優は舞台俳優とは比べものにならないような崇拝の対象(偶像アイドル)、すなわちスターになりました。
 コンティニュイ編集
実際の個々のショットはばらばらに撮影されることが普通です。それをたくみつなぎ合わせることでまるでそれが連続したまとまった情景を撮ったように思わせるのが、コンティニュイティ編集です。コンティニュイティ編集とは複数のショット(時間と空間の断片)を統合して時間と空間の統一性を作り出すことです。連続性(コンティニュイティ)を観客に感じさせるために、すでに述べた180度の原則やアイライン・マッチ(登場人物がスクリーンの外の何かを見ると、切り返しがあって登場人物の見ているものが示される)、視点に沿った切り替え(登場人物が何か見ているカットの後に登場人物の視点からみたそのものが示される)、アクションに沿った切り替え(アクションがなされるに合わせてショットから別のショットへの切り替えが起こる)、方向を合わせた連続性(ものの進む方向が一定していること)など技法が用いられます。
ロシアにおける展開
モンタージュとは「組み立てる」を意味するフランス語のmonterに由来し、一般に映画のショットとショットをつなぐ「編集」をさす技術的な用語で、もともとは「編集」の意味でした。しかしロシアではそれが映画の連続性(コンティニュイティ)ために使われるのでなく、ショットとショットを組み合わせて、それまでにはなかった意味や世界を作り上げるようになったものをさすようになりました。
 オデッサの階段で有名な『戦艦ポチョムキン』でエイゼンシュタインは、砲撃のショットと獅子の像のショットを交互につなぐことで、「立ち上がる民衆」という象徴的な意味を持たせました。
 またクレショフは、無表情な男の顔のショットに食べ物、子供、女性、などさまざまなショットをつなげることで、観客にありもしない感情を男の表情のなかに読み込ませることに成功しました(これを「クレショフ効果」といいます)。
世界言語としての映画
初期の映画には音声がありませんでした。しかし、それだけに世界中どこでも通用する「世界言語」なのだという自負を映画人はもっていました。特に動きだけで人を笑わせるドタバタ喜劇は世界中で観客を魅了しました。ですからトーキーの時代になっても長らくチャップリンはこの世界言語としてのドタバタ喜劇に固執しました。
オーソン・ウェルズの挑戦
舞台の俳優・演出家から出発したオーソン・ウェルズ、その第1作『市民ケーン』から、これまでとは対照的な映画作りをしました。彼は長まわしとディープ・フォーカスが多用しました。長まわしとは、1つのショットが長時間にわたることです。またディープ・フォーカス中の前景・中景・背景のすべてに同時に焦点を合わせることで、そうすると複数のアクションが同時にひとつの画面の中に収められます。こうすることで、画面に登場するさまざまな人々の所作・感情を観客は一挙に見ることができるのです。
ドイツ映画の挑戦
ドイツ映画は幻想的な世界を作り上げることに優れていました。ドイツの映画独占企業ウーファはハリウッドに唯一対抗できる映画産業でした。「カリガリ博士」、「嘆きの天使」、「メトロポリス」などの作品は世界中に受け入れられました。
 編集によって作り上げられた世界として映画をつかって、ドイツ帝国というものを作り上げようとしたのがナチズムだったかもしれません。レニ・リーフェンシュタール監督による、ナチ党大会記録映画『意志の勝利』、ベルリンオリンピック記録映画『オリンピア』は、まさに映画によってナチズムとその支配するドイツ帝国を高らかに歌い上げるものでした。宣伝省の大臣にゲッペルスを据え、ウーファ帝国の末期になってもミュージカル映画、娯楽映画さえ作り続けたのは、まさにヒットラーの作り上げたドイツ帝国そのものが映画的現実だったからでしょう。まさに映画が現実を模写するのではなく、現実が映画を模倣しようとしたのです。
メソッド演技
クローズ・アップなどの映画手法は俳優に舞台とはちがう演技をもとめるようになりました。芝居がかった大げさな身振りではなく、むしろひかえめであるけれど真にせまった演技。そうした要求に応えるべくうまれてきたのがメソッド演技法でした。俳優が役に対応する自分のなか感情を増幅することで役に同調する。たとえば悲しみを演じるために自分の体験で味わった悲しみを増幅することで、役柄に同調するのです。こうした、なりきり演技は、まるで「地で演じている」ような感覚を観客に与えます。しかし役柄への過剰な同調は、俳優の生活破綻をもたらしかねないものでもあります。こうした演技法はニューヨークのアクターズ・スタディオなどで始められました。マーロン・ブランドはまさにこの演技法を最初に実践した俳優でした。
 映画の物語構造
映画の物語の構造には、(1)物語の中身、と(2)物語の語りとがあります。
(1)物語(narrative)(の中身)は、因果関係や動機づけによってかたちづくられています。多くの場合、冒頭部(発端となる均衡状態)中間部(均衡の崩壊・過渡期)、結末部(均衡の復元)、という構造を持ち、たいていは主人公の成長・衰弱・死などの変容をともないます。
(2)物語の語り(narration)には、(1)制限された語りと(2)全知の語り、があります。(1)制限された語りでは、一人の登場人物の視点から物語られます。観客は登場人と同じことしか知らず、その結果、ミステリー(なぞ)が生じます。(2)全知の語りでは、登場人物の視野に限定されず、観客は登場人物の誰よりも多くのことを知っており、その結果、サスペンス(はらはらどきどき)が生じます。
映画作家
映画作家とは、自分の映画作品を通じてスタイルとテーマの一貫性を示している監督で、撮影技法(どうカメラに収めるか)に独自性を持っている監督です。こうした監督を単なる演出家から区別する作家主義は、1950年代フランスの映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』から始まりました。
 ヒッチコック
 ヒッチコック映画におけるスタイルの統一性は、(1)編集とモンタージュの強調、(2)登場人物から見た視点ショット(主観ショット)の数の多さ(3)閉め切られた空間での撮影、です。
 またテーマは、(1)捜査(たいていは殺人事件)の捜査にまつわる物語。主人公は、捜査する者、あるいは、される者、(2)告白と罪、(3)サスペンス、(4)完全犯罪の殺人、(5)間違えたれた男、です。
 黒澤明の複眼性と多声性
 黒澤明は、音響と映像の対位法(コントラプンクト)を『酔いどれ天使』や『野良犬』で試み、さらに『野良犬』では犯人と刑事は分裂した双子のような登場人物となります。この登場人物の分裂による対位法は『影武者』にも引き継がれています。
 また『羅生門』では、登場人物の視点から同じ事件がさまざまに語られます。この後、脚本作成でも、複数の脚本家が同一シーンを書いていく合同脚本の方法が用いられています。
 この「複眼の映像」(橋本忍)の発想は、マルチ・カメラという撮影技法も生み出しました。これは、複数のカメラを同時に回して撮り、後から好きなカットを好きな時間だけ編集して、一本にまとめていく手法です。また黒澤はディープ・フォーカスと望遠レンズを多用して、さまざまな登場人物の行動・表情を同時、圧縮してとらえました。こうして複数の登場人物の観点・思惑が交差する画面をつくりあげています。
 このように、黒澤明は、対位法によって単一の人物(視点)を複数にし、さらにこの複数の視点から多声的に語っていこうとした映画作家なのです。
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by takumi429 | 2010-01-16 02:32 | フィルム・スタディーズ入門 | Comments(0)