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看護教育における社会学(1) (『社会学評論』論文)

看護系専門職養成課程の中の社会学―――ある社会学教員の経験から―――
勝又正直
(名古屋市立大学看護学部教授)

The Sociology in the Nursing Schools
---Some Lessons from the Experience of a Sociological Instructor---

Masanao KATSUMATA
(Professor of the Nagoya City University School of Nursing)

要約
看護系学部の社会学教員の体験から次のような経験知が得られる.
看護師は患者を人間として理解し,その理解に基づいて看護しようとする.この目的のために,看護学では他の学問のさまざまな概念を用いて,患者の問題を看護診断として分類している.さらに,看護理論家は他の学問のさまざまな理論を導入して看護を1つの人間学へと高めようとしている.医療社会学は,医療の世界,あるいは医療が社会においてはたす機能に焦点をあてている.それに対して,看護は,患者を理解し看護するために,患者が属している社会に関心を持つ.看護学生に必要なのは,患者を人間として理解するための,社会学的想像力である.その社会学的想像力は,特殊な応用社会学である医療社会学よりも,むしろ普通の元来の社会学によってより養われるのである.
キーワード:看護診断,患者理解,社会学的想像力

Abstract
The experience of a sociology instructor in a nursing school gives the following lessons: A nurse understands a patient as a human being and cares him/her based on the understanding. For the purpose, the nursing science adopts various concepts from other disciplines and classifies the problems of a patient as the Nursing Diagnosis. In addition, the nursing theorists introduce various theories of other sciences and try to promote the nursing to one of anthropologies. Medical sociology focuses on the medical society and the functions of medicine in societies. While Nursing has interest in the society to which a patient belongs in order to understand and care him/her. What nursing students need is the sociological imagination for understanding of a patient as a human being. The sociological imagination can be cultivated by the ordinary and authentic sociology more than the special applied sociology, medical sociology.
Keywords : Nursing Diagnosis, Understanding Patients, Sociological Imagination

1.はじめに
看護系学部に私が赴任しもう21年が経った.もともと私はヴェーバーの宗教社会学の研究から出発し(勝又 1987,1992),その展開として,田山花袋の『田舎教師』をアンダーソンの『想像の共同体』の手法を使って読み(勝又 1998b),さらに文学やメディアやコンピューター・アートついて論じてきた(勝又1998a,2003a,2004,2009).しかし教育では,たまたま看護学部に職を得て,看護職をめざす学生に社会学の教育をすることになり,その教育をいかにすべきか,長く暗中模索を重ねてきた.本稿では,乏しい経験からではあるが,私の看護系学部での社会学教育の体験から,「看護系専門養成課程の中の社会学」について考えてみたい.

2.看護系専門職養成課程の中の社会学をめぐる神話と真実
大げさな題をつけたが,看護系学部に赴任してみて,私が想像していたアテ(予想)がいくつもはずれた,その体験を書いてみようというだけのことである.

(1)神話1:看護師養成に必要な社会学は,医療社会学である.
   真実1:看護師養成に必要な社会学は,一般的な社会学である.

 看護系学部なら,そこで教えるべきなのは,「医療社会学」である.だれでもそう思うだろうし,私もそうだった.しかし,看護系の本をぽつりぽつりと読むうちに,しだいにほんとうにそうなのか,疑問に思い始めるようになった.とくに中木高夫著『POSをナース』(中木 1989)を読んで,「看護診断」というものを知ったのは大きなショックであった.
 「看護診断」とは,一般の人には聞き慣れない言葉かと思う
.すこし説明しよう.
普通,私たちが医療の世界で聞く「診断」というのは,疾患を特定する「医学診断」である.これに対して,1970年代から北米の看護師たちは,看護師は医師の診断に追随するだけでなく,看護独自の立場から患者を「診断」するのだとして,「看護診断」というものを提唱しはじめた.
いまここに大腸ガンの患者がいるとする.一人は元医師,もう一人は大工とする.疾患から見ると(つまり生物医学からみると),両者はともに「大腸ガン」と診断される.しかし,元医師はこの疾患について知識は豊富だろうが,大工の患者はこの疾患についてはふつう「知識不足」であろう.また別の,「肝炎」の患者が二人いるとする.一人は看護師,もう一人は専業主婦とする.看護師は「肝炎」についての知識は充分持っているだろうが,専業主婦はやはり「知識不足」であろう.疾患という観点からみるならば,(元医師, 大工)と(看護婦, 専業主婦)という区分がされる.しかし,その病人が抱える「問題」という観点からみてみるなら,知識の面では,(元医師, 看護師)は問題(不足)ないのに対して,(大工, 専業主婦)は,「知識不足」という問題をもっていることになる.
つまり,医学診断が,患者を疾患からくくっていくのに対して,「看護診断」とは,患者が(その病気からもたらされた)どんな問題をもっているか,その問題ごとに,患者をくくっていく,そうした診断なのである.
この看護診断には,医学だけでなく,さまざまな学問領域の考え方が積極的にとりこまれている. 
たとえば,最新の看護診断(Herdman ed. 2009)では,13の領域を,さらに類(クラス)に分けて,その類の中に,病人のかかえる問題(看護診断)をつぎのように分類している.
(領域1)ヘルスプロモーション,(領域2)栄養,(領域3)排泄と交換,(領域4)活動/休息,(領域5)知覚/認知,(領域6)自己知覚,(領域7)役割関係,(領域8)セクシュアリティ,(領域9)コーピング/ストレス耐性,(領域10)生活原理,(領域11)安全/防衛,(領域12)安楽,(領域13)成長/発達.
例にあげた,「知識不足」は,「(領域5)知覚/認知」の「類(クラス)知識」の中に分類される看護診断名で.定義は,「特定の主題に関する認知的情報の欠如または不足」である.
医学的診断でも新しい疾患が見つかれば診断名が増えるように,看護診断でも,病人かかえる新しい問題が見つかれば診断名は増え,それがふさわしい領域の中に入れられていく.日本でも1995年に「看護診断学会」 が発足し臨床現場への導入・普及が行われています.「看護診断」は,領域の題名を見ただけでもわかるように,病人の問題を把握するために,医学にとどまらない広範な学問領域からどん欲にその理論的成果を吸収しようとしている.
ここで重要なことは,この看護診断のなかに社会学の理論が多く導入されていること,しかもそれが特殊な応用社会学の「医療社会学」の内容ではなくて,より一般的な社会学の理論な内容が導入されていることである. 
社会学に関連している看護診断の分類や診断名を見てみよう(社会学に関連していると思われる分類・診断名は太字にした).
「領域5 知覚/認知類5コミュニケーション」,「領域6自己知覚 類1 自己概念, 類3 ボディイメージ」,「領域7 役割関係 類1 介護関係, 類2 家族関係, 類3 役割遂行」,「領域8 セクシュアリティ 類1 性同一性, 類3 生殖母親/胎児二者間系」,「領域9 類 コーピング/ストレス耐性 類1 身体的/心的外傷後反応 レイプ-心的外傷シンドローム, 類2 コーピング反抗 家族コーピング妥協化, 家族コーピング無力化, 家族コーピング促進準備状態, 非効果的地域社会コーピング, 地域社会コーピング促進準備状態, 死の不安」,「領域10 生活原理 類1 価値観, 類2 信念 霊的安寧,類3価値観/信念/行動の一致 信仰心, 霊的苦悩」,「領域11 安全/防御 類3 暴力 自殺」,「領域12 安楽 類3 社会的安楽 社会的孤立」.
これらの分類・診断名を見ると,「自己概念」論,「役割」理論,家族社会学,地域社会学,宗教社会学,自殺論,など社会学の理論を,看護診断は導入していることがわかる.すくなくとも看護診断をみるかぎり,求められているのは,「医療社会学」の内容ではなくて,より一般的な社会学の内容なのである.
もちろん,看護診断だけで看護全般を語るのは危険かもしれない.看護診断を導入していない病院も学校もある.だが,この看護診断が,看護が求めている社会学とは何かを知る,大きな手がかりとなることにはまちがいないだろう.
ここで大切なことは,看護が求め導入しているのは,たとえば,役割理論一般であって,けっして,「病人役割」論といった医療社会学の理論ではないことである.周知のように,「病人役割」はパーソンズが『社会学大系』(Persons 1951)の中で展開し,いわゆる「医療社会学」の大きな理論となっている.しかし看護が求めているのは,そうした医師と患者の関係における患者役割の理論ではなくて,患者が実社会で演じている役割一般についての理論なのだ.
どうしてこうしたズレが生じるのか.思うに,「医療社会学」は,医療というものが社会において果たしている役割やその内部の人間関係や思考などを問題にしている.しかし,看護は,いま目の前にいる患者に対してどう援助すればいいのか,を考えている.つまり,「医療社会学」の対象は医療だが,看護の対象は患者なのだ.看護は対象としての患者を理解するために,社会学をはじめとする他の学問領域に応援をもとめているのであって,そこで求められているのは「医療を対象とした社会学」ではなくて,(患者という人間が属している)社会について社会学,患者という人間をよりよく理解するための社会学なのである.

(2)神話2:看護系教員は看護師である
   真実2:看護系教員は元看護師でしかない.

 ふつう大学の医学部は附属病院を持っている.医学部の臨床系教員というのは,その附属病院の(現役の)臨床医でもある.それと同じように,看護教員も現役の臨床看護婦であるにちがいないと私たちは思い込んでしまいがちだ.しかしじつはそうではない.大学の附属病院はあくまでも医学部附の属病院であって,「看護学部附属病院」ではない.だから看護学部の看護系教員は,附属病院の現役の(臨床看護職にある)看護師ではなく,あくまでも看護学部の教員にすぎない.患者を看護するのは病院の(臨床看護職についている)看護師である.看護系大学や学部ができるのは,病棟に学生を送り込むことでしかない.大学附属の病院をもたない看護学部や看護短大の場合は,実習受け入れの病院をもっているが,この場合も同様であって,看護系教員は教員であっても現役の臨床看護職者ではない.もちろん看護学生の実習を見回り,監督・指導することはできる.しかし患者への実際の看護は,受け入れ病院の(臨床看護職にある)看護師がするのであって,看護教員がするのではない.看護学校や看護学部のなかで,臨床現場で実際に看護するのは,皮肉なことに,受け入れ病院で実習する学生であって,看護系教員ではない.看護系教員は,もと臨床の看護職にあった経験者であっても,現役の臨床看護職者ではない.これは看護教育の,きわめて重大な,そしておそらく致命的な問題点である.
 その結果,ベテラン看護教員になると,現役の臨床看護師だったのは何十年も前,ということもざらにある.看護も医学の進歩と同様に日進月歩の進歩を続けている.そのため,元看護師だった看護教員が教える看護が「時代遅れ」であることもしばしば見られる.現場の看護師からの看護教育にたいする不満として,「そんな時代遅れのことはもうやってない」という声が多いのはそのためである.だから自分の看護師としての技量が落ちていくことを心配している看護教員もいる .
看護教員が,患者を対象にして研究よりも,看護学生を対象とした研究をする傾向があるのも,こうした事情によるものだ.
 もちろん,現場の看護師と積極的に関わろうとしている看護教員も多くいる.しかし看護系教員は現役の臨床看護師ではない,という事実に変わりはない.
 では,看護系教員は,現役の看護師でなくとも,すくなくとも元看護師ではあるだろう.だから臨床看護の現場を知っているだろう,と思われるかもしれない.しかし必ずしもそうではない.
 というのは,最近,看護系教員でも学位が重視されるようになり,取りやすい医学博士を取得した者が,看護系教員に進出してくることが多いからである.その結果,教授はすべて医師で,元看護師はすべて準教授以下という看護系学部(実質上の「第二医学部」)もある.また元看護師も,看護学博士より取り易い医学博士を取って,看護系教員となることも多く,そうした場合の研究は,生物医学的な研究であって,看護的研究とはかなりずれがある.
 また看護師の経験がある者でも,その専門とは異なる専門の看護系教員となることもしばしば見られる.「地域看護」は本来,保健所などで保健師職を経験した者が教えるのが望ましいが,あえて保健師という安定した職を辞して大学院に進学して教員をめざす者は少なく,結果,保健師職の経験のない者が教員になることも多い.またなり手の少ない「精神看護学」では,精神病院の勤務勤経験がない者やきわめて短い者が教員になったりもする.さらに臨床には該当する部門がない「基礎看護学」の教員の中には学位はもっているがほとんど看護の臨床経験がない者も含まれている.
 こうしたことは,看護の臨床現場と看護教育とのずれをもたらし,とりわけ,「基礎看護」において,(ナイチンゲール崇拝 をふくむ)道徳論・精神論,空虚な科学論などの横行を招いている. 
 
(3)神話3:看護系大学(学部)につとめていると医療の現場の事例が簡単に手に入る
   真実3:看護系大学(学部)にいても現場の事例は簡単には手に入らない.

看護学部の実習受け入れ病院は,たとえ大学の附属病院であっても,看護系学部の附属病院ではないことはすでにふれた.その結果,実習受け入れ病院の患者や医療について研究しようとする者は,外部からの研究者として,病院から許可をもらわなくてはならない.ようするに,看護系学部でも,他の一般学部とおなじハードルを越えなくてはいけない.
 その結果,看護学部に来ればたやすく臨床現場の事例が手にはいると思ったのにあてがはずれてしまうことになる.   
私も,臨床の現場は無理でも,院内の看護研究発表を聞くのはかまわないだろうと思って,参加しようと思う,と助教らに言ったところ,彼女たちは色めき立って,病院に連絡して許可をもらわなくてはいけないと騒ぎ始め,断念したという経験がある.
結局,私の場合,臨床の事例は,学生の実習報告と,私が主催した研究会(ターミナルケア研究会とナラティヴ・セラピー研究会)と知り合いの看護師から得てきた.
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by takumi429 | 2010-07-25 05:44 | 臨床社会学 | Comments(2)

看護教育における社会学(2)

3.看護師のための社会学をもとめて
こうした状況に置かれて,私なりに,看護のための社会学を模索し,3冊の本を書いてきた.以下,拙著を紹介することで私の模索(悪戦苦闘)をご報告したい.

(1)『はじめての看護理論』
看護学には「看護理論」というものがある.これは,さまざまな(おもに外来の)理論をつかって看護の仕事と対象(患者)を理論づけようとする試み,だと言えよう.1970年代以降,おもに北米で大量に生産されてきた .
 看護理論の開祖としては,ふつうナイチンゲールが挙げられている.彼女の『看護覚え書き』がその理論書とされる.ナイチンゲールは彼女の看護論を,公衆衛生学の影響と,自らの病人としての体験から書いたと思われる(ナイチンゲールの臨床看護師経験は短く,後半生をすべて病人としてすごした).ヘンダーソンはこのナイチンゲールの看護論をニード(欲求)論としてまとめ直して,みずからの看護論とした.
 意外なことに,病者の体験や看護師としての経験から理論をくみ上げていく看護理論は,このナイチンゲールとヘンダーソンまでであって,それ以降の看護理論はすべて外来の諸理論を導入することでその理論体系を作っていった.導入された理論は,システム理論,精神医学,精神分析,実存分析,文化人類学,反人工知能論,現象学,解釈学,などである.
 臨床看護の実践に根ざした看護理論の構築をしようと看護理論家が現場にもどってくるのは,現象学的解釈学(ドレイファスの解釈したハイデッガー哲学)の影響をうけた,パトリシア・ベナーになってからである.あえて肯定的に言えば,看護学はさまざまな学問領域から学ぶことで,いわば,ひとつの「人間学」として立ち現れようとしている,ともいえる.
 すでに現場の臨床看護職者(現役看護師)と看護教員との間にミゾがあることは述べた.看護教員は現場の看護師に対して,この外来理論で固めた「看護理論」を振りかざすことが多い.看護理論はわからないというのが現場看護師の不満と不安である.
看護理論に導入されている諸理論をみてみると,じつはそれが社会学が導入してきた理論とほぼまったく同じであることに気づかされる.だから,導入した学者の下手な解説を聞くより,その元になっている学問領域の原典翻訳や解説を読んだ方がずっとわかりやすいということも,社会学徒にはよくわかる.
ジョセフィン・ドノバンの『フェミニストの理論』という本がある(Donovan1985).この本は,フェミニストが導入している諸理論を説明し,それからそのフェミニズム理論を解説するという構成をとっていてたいへん明快である.看護理論も同じように,まず導入している理論を簡単明瞭に説明し,それからその看護理論を解説すれば,ずっとわかりやすくなるだろう.しかもさまざまな学問についての勉強もできる本になるだろう.
こうしてできあがったのが,『はじめての看護理論』(勝又 1995,2005)である.
ただこの本では,看護理論だけの解説ではなく,看護診断に導入されているけれど,医学をうすめたような教育からは一番理解しにくいと思われる社会学や社会心理学の理論や概念の解説もした.具体的には,自己概念,役割理論,ノンバーバル・コミュニケーション,コーピング理論である.前者の三つは,「間奏曲」として理論解説の間にはさみこんで解説した.コーピング理論とは,ストレスはその人間はそれをどのように評価するかでストレスのありようがちがってくるという理論である.提唱者のラザルスはこれを「ストレスの現象学」と呼んでいる.そこでこの理論は現象学(とその影響をうけたベナー理論)を解説する時に取り上げた.
 この本のイラスト原案(ネーム)はすべて私が描き,それを第1版(日総研出版)では少女漫画家にイラストにしてもらった(第2版(医学書院)では,素人がイラストを描いたため,残念ながら,出来がかなりおちてしまった).またイラストは単に本文の内容を絵にしたものではなく,できるだけ別の方向から説明するように工夫した
 この本は看護理論の理解に困難を覚えていた臨床現場の看護師からたいへん歓迎された. 現場の臨床看護師は,(彼らにとっては周知の)臨床活動を細かく分析した研究よりも,むしろ,臨床活動がより明晰にみえてくるような理論を求めているのだ.

(2)『ナースのための社会学入門』
所属学部が看護短期大学部から看護学部に昇格すると同時に,担当科目が「社会学」から「保健医療社会学」へと変更になり,「医療社会学」を教えなくてはならなくなった.そこで「医療社会学」の教科書をぱらぱらと見てみると,どうもアメリカ系の医療社会学よりもイギリス系の医療社会学の方がおもしろく思えた.アメリカ系の医療社会学はパーソンズの影響がつよい.しかし彼の病人役割論とパターン変数による医師の行為の類型づけは,医学側からも「きわめて形式的かつ表面的な分析である」と批判されている(Runderman1981).それにたいして,文化人類学や医療人類学の影響,さらに大陸のフーコーの影響をうけたイギリスの医療社会学は,もっと西洋医学を相対化してとらえている(Hart 1985, Aggleton 1990).この西洋医学を相対化してとらえる視点からの医療社会学としては,国内でも,黒田浩一郎編の『現代医療の社会学』など(黒田編1995,2001, 佐藤・黒田編1998)が書かれ,ようやく日本の医療社会学もおもしろくなり始めていた.
しかし,こうした「医療社会学」を教えることに私はすこし抵抗があった.それは,あえていえば,その「広がりのなさ」である.どんなに学んでも医療以外の現象をみる目は養われないような「医療社会学」では,だめなのではないか.医療のことは看護職につけばいやでも詳しくなる.そうした日常の業務や仕事の,内実と問題が「見えてくる」ような,しかも,その見え方が,他の社会領域をも見通すような「見え方」となるような社会学,「医療社会学」とはいえ,かりにも「社会学」と名乗るならば,そうした「目から鱗がおちる」ような体験と見え方をもった社会学,そんな医療社会学を教えることはできないだろうか.
その試みとして,とうてい充分とはいえないが,講義では,まず社会学の一般的な理論を紹介し,その理論を医療の現場に適用すると,どのように医療の世界が見えてくるか,を解説をしてみた.この講義から生まれたのが『ナースのための社会学入門』(勝又1999)である.
内容は次のようなものである.
まず,社会学一般の定義をしてから,これまでの医療社会学の批判をし,それを超えるために,医療人類学に学ぶ必要を説く.さらに,役割・地位の体系としての社会大系論を説明して,その適用例として,「病人役割論」と説明し,かつその問題点(慢性病患者・老人患者にはあてはまらない)を指摘し,それを超えようとした理論としてサスとホーランダーの理論を説明した.シンボリック相互作用論について説明し,その適用例として,「死のアウェアネス理論」を解説した.エリアスの「文明化」論を説明し,その現れとしての,死の隠蔽化,それに抗した,キュウブラ=ロスの『死の瞬間』の解説をする.ゴフマンの「全制的施設」を説明し,その一例として病院をみる.経営学のコンティンジェンシー理論の解説とそれからみた経営体としての病院を考える.ラベリング理論の解説とその適応例としての,患者へのラベル貼りに言及する.社会のゲゼルシャフト化のなかでインフォームド・コンセントに必要が増してきたことを指摘する.社会における専門職支配の増大を説明して,その一例として医療化についてふれる.最後に,フェミニズム理論の「母性」主義批判と,ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』での,聖職概念が労働者の搾取を容易にしたという,分析を見た上で,その典型例として看護職の母性主義と聖職意識を批判した.

(3)『ケアに学ぶ臨床社会学』
「患者の気持ちを理解したい」.看護師ならば誰もがそう思う.「それには,臨床心理学だ」,というわけで,臨床心理学を学ぶ看護師や看護学生は多い.しかし,「どうもちがう」,と思う者も多いようだ.臨床心理学は,「病気の心」(病んだ心)を扱うに対して,看護師が関心を持っているのは,「病人の心」なのだ.それは必ずしも「病んだ心」ではない.病人の心理を扱う学問としては,「健康心理学」(health psychology)がある(この場合の“health”とは健康状態の良い方も悪い方も指す.だから,「病いと健康の心理学」と訳すべきかもしれない).しかしそれは統計学へのいじるしい依存から,患者心理の理解からはかえって遠ざかっているかにみえる(Ogden 2007).
「患者理解」のために,ヴェーバーの理解社会学を使うことはできないだろうか.もしそのまま使うのはむずかしいなら,それがもともと影響をうけた解釈学にまで立ち返り,テキスト解釈の手法にさらには物語論を取り入れて,それを再活性化できないだろうか.人文科学における「物語論的転回」の一環でもあるナラティヴセラピー(物語療法)の成果を取り込み,さらに,認知意味論のメタファー論を導入して,患者の具体的な語りやふるまいを分析できないだろうか.
こうして生まれたのが,『ケアに学ぶ臨床社会学』(勝又2010)である.
この本では,看護や福祉などのケアの現場から10の事例・研究例を挙げて,それを解読する形で記述を進めた.
まず,人工肛門設置の後に落ち込んだ ケースと自殺したケースを挙げて,「自己概念(姿形・能力・性格など自己イメージ)の変調」であることを明らかにして,さらに「自己概念」はクリーの「鏡に映った自己」などの考えを使って活性化しなくてはいけないことを述べた.
さらになぜ家族看護学に家族社会学が導入されないで家族療法が導入されているのかを説明した.そのついでに「近代家族」論と,(家族療法の源泉である)ベイトソンの理論を概観した.
看護にあまり助言できていない社会学であるが,じつはヴェーバーの理解社会学は彼の病気から生まれた.ヴェーバー社会学のもつ「異化する精神」はこの病いによる失墜の体験から生まれており,この体験を通してうまれた論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を解説した.さらにそこでの意味理解をさらに展開するために,むしろ看護理論やケアの現場から学ばなければならないと説いた.
夜中にナーシング・コールをしてコーヒーを求める患者やコーヒーをまわりの者にふるまうことで本来の闊達な自分を取り戻した患者のケースを分析することで,物質的なもの以上の,コミュニケーションの媒介としての意味が「いっぱいのコーヒー」にはあったことを分析した.
さらに「育児の意味」を問われたシングルマザーたちが,子供の父親との出会い,と別れ,出産の様子,母親との関係,という人生の4つの出来事と関わらせて育児を「語る」というケースから,意味が物語的な文脈の中にあることを明らかにした.ついでナラティヴ・セラピーの概観をした.
最後に,下肢切断手術の前の患者が語ったメタファーのケースと,アンパンマンに自分をたとえるためにあえて呼吸器具をはずす幼児の「命がけのメタファー」のケースから,患者は自分を支配する物語を,メタファーをつかって別のたとえ話へと書きかえていくのではないかと指摘した.

4.終わりに
こうして見るとずいぶん遠回りをしてきた.しかし,この遠回りは決してむだではなかっただろう.収穫はどっさりあった.この遠回りがなくては,ヴェーバー研究者の私が,システム理論や,現象学・ハイデガー理論についてまとめることもなかったろうし,認知科学,ベイトソン理論,物語論,さらに認知意味論,を学ぶということもなかっただろう.
ナイチンゲールは,『看護覚え書き』で,「自分の患者は病気の人間であって動物ではない」(Nightingale 1969 =1975 p.220)と言っている.患者を人間として把握するために,看護は,いわば「人間学的想像力」とでも呼ぶべきものを必要としている.そのために,看護学は広範な学問からの理論導入を図っている.そしてその「人間学的想像力」を助けるものとして,社会学のもつ「社会学的想像力」が要請されるのだ.そしてその「社会学的想像力」は,せまい領域をあつかった応用社会学の1つである「医療社会学」によって豊かになるのではなくて,社会学一般の理論と知識によってもたらされるのである.
そうしたことをふまえて,今後,看護専門職養成課程で教えるといいと思われる,一般的な社会学の内容を思いつくままに列挙してみよう.
まず,看護診断に取り入れられている,役割理論,自己概念の解説は必要だろう.また看護や福祉ではグラウンデッド・セオリー(Glaser and Strauss 1965)が興隆している.しかし私見によればその研究方法はきわめて煩雑なものとなってしまっている.シンボリック相互作用論をふまえてもっと柔軟な研究方法であることを教えるべきだろう.
看護学は家族については学びたいと思っているが,それは「家族はかくあるべし」,という「家族ベキ論」でもないし,「近代家族」を相対化するジェンダー論の議論でもない.看護が家族について知りたいのは,病人がでたときにそれを援助するケアの集合としての家族である.このケアする/される濃密なコミュニケーションの関係を,看護学は,むしろ家族療法から学ぶことが多い.家族療法に学びながら,家族員の人間関係を分析した家族社会学が求められている.
またケア・システムの単位としての地域についても地域看護は社会学的知見を求めている.そこで有望だと思えるのは,社会関係資本(social capital)についての議論だろう .
疾患は完治しても自殺する患者や,ナース・ステーションの前でリストカットをくりかえす患者など,自殺は看護にとっては身近で切実な問題である.自殺のようなきわめて個人的な問題と思えるものが,実は国全体で見てみると安定した自殺率という形で現れるのだというデュルケームの議論は今でも刺激的で,講義で話すると看護学生は目を輝かせる.個人の(心理的な)問題と思えるものがじつは社会全般につながる問題なのだ,という指摘は,つねに問題を「心理学化」しがちな学生たちを,まったく反対の方向へと目を開かせる「社会学的想像力」を持ってもらうための大きな題材となるだろう.
看護職というものについては,「感情労働」の議論が今,盛んとなっている(Smith 1991).しかし,日本の看護側からの反応(武井2001)は,感情労働論がもつ鋭利な批判性(Hochshild1983=2000)を充分には生かしていないように思われる.社会学との協力によるさらなる研究が求められるだろう.

主流の社会学ではこれがメジャーなのだ,これが古典なのだ,と言っても,看護教育では通用しない.その学説・理論を聞いて,学生が目から鱗が落ちるような思い,すなわち,患者としてしか見えなかったものが,社会とつながり構成している人間として,厚みをもった存在として見えてくるという,体験を与えるものでなくてはならない.看護のもとめる人間的想像力を高めために,社会学的想像力を得させるものでなくてはならない.しかし,これはまさに,社会学の本来のあるべき姿だったのではないだろうか,と,道草ばかりしてきたマイナーな社会学教員はひそかに思うのである.


[文献]
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by takumi429 | 2010-07-25 05:27 | 臨床社会学 | Comments(0)