<   2011年 07月 ( 11 )   > この月の画像一覧

(11) 大友克洋の革新

大友克洋の革新
大友克洋(1944-)
リアルで、フラットで乾いた白い絵。
描き手が持ちがちなキャラクターへの溺愛がない、突き放した描き方。
マンガの歴史は、大友以前と大友以後に、二分された。

メビウス(ジャン・ジロー)の影響
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メビウス(1938-)はフランスのマンガ(BD)の作家。

『童夢』
ホワイトノーズのように崩れゆく白い団地
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『AKIRA』(1983-93)
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大友自身によるアニメ化(1988) 日本アニメへの海外の注目を集める。
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by takumi429 | 2011-07-31 23:33 | マンガ論 | Comments(0)

(10)ギャグマンガの限界なき自壊

10.ギャグマンガの限界なき自壊
吾妻ひでお
『ななこSOS』
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ACT.3 ACT.0 ななこSOS ネコの首風雲録

『不条理日記』
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『失踪日記』
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鴨川つばさ『マカロニほうれん荘』
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江口寿史『すすめパイレーツ!』
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『ストップ!!ひばりくん』
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『江口寿史の爆発ディナーショー』
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四コママンガの革新 
いちいひさいち『バイトくん』
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『がんばれ!!タブチくん!!』
吉田戦車『伝染んです』
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『いじめてくん』
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四コママンガからストーリー・マンガへ 
業田良家『自虐の詩』
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物語の自生的展開 すぐれたキャラクターは物語をうみだす。
「物語的自己」人間は自分のストーリーを作ってそのなかの主人公として自分を位置づけている。
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by takumi429 | 2011-07-31 23:22 | マンガ論 | Comments(0)

(9)ストーリー・ギャグマンガ

ギャグマンガ1 権力(権威)を笑い飛ばせ!

赤塚不二夫
『おそ松くん』
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『もーれつア太郎』 脇役の方がおもしろいのは不二夫先生のいつものパターン
ニャロメ
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ケムンパス
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『天才バカボン』 いまだ新鮮なギャグ。赤塚不二夫は不滅なのだ。
うなぎイヌ(まだまだこのキャラクターはいけてるぞ!)
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日本一の発砲数を誇る、本かんさん。
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実物大漫画
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山上たつひこ
政治SFマンガからギャグマンガへ
『光る風』
25年前の奇病発生の謎、新兵器爆発によって四肢を失い芋虫となった兄、収容所の地下に置かれた米軍コンピューター、カンボジアでの細菌兵器爆発、大震災、恋人のひからびた首を抱えながら地に伏し死ぬ行く主人公弦。壮大なスケールで描くSF政治マンガ。
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『喜劇新思想大系』
エロギャグマンガの金字塔
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『がきデカ』
こまわり君(主人公) おまわり(警察権力)などの政治権力への嘲笑
金貸し成金のイヌ、栃の嵐、に人気爆発。
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by takumi429 | 2011-07-31 23:21 | マンガ論 | Comments(0)

(8)少女マンガの巨匠 美内すずえ、一条ゆかり

少女マンガの巨匠(偉大なるストーリーテラーたち)
 
美内すずえ『ガラスの仮面』(1976年~)
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あらすじ
かつての名女優、月影千草のみが演ずることを許された幻の戯曲「紅天女」。舞台での事故で引退を余儀なくされた月影は、この芝居を演じさせる女優をさがしていた。そしてラーメン屋に住み込み出前をしていた北島マヤを見出す。マヤは一度観た芝居はすべて正確に再現できるという才能を持っていた。月影は自ら創設した劇団つきかげにマヤを入団させ育てようとする。
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しかし、大都芸能の社長、早水真澄は「紅天女」の上演権をねらい、これを月影の弟子であった名女優、姫川歌子の娘で、劇団オンディーヌに所属する姫川亜弓させようとする。
演劇大会で、「たけくらべ」の美登里を見事に演じた亜弓にたいして、マヤはおなじ美登里をこれまた見事に演じる。
大都芸能の妨害のため、劇団つきかげは弱小の小演劇集団になってしまうが、マヤはその才能を開花させていく。そうしたマヤを影から応援し、紫のバラを送り続けるあしながおじさん(「紫のバラ人」)こそ、じつは早水真澄であったのを、マヤは知らない。
連続ドラマの主役などにも選ばれたマヤであった。しかし、付き人として近づいた、乙部のりえ、の策略のために芸能界から追放されてしまう。ライバルを陥れた乙部のりえを、亜弓は舞台の上で圧倒的な力の差を見せつけることで完膚無きまでにたたきのめした。
母を失い、芸能界からも追放されたマヤであったが、学園祭でのひとり芝居からはじめて復活していく。
そうしてついに、亜弓とマヤは「紅天女」をどちらが演ずるかをめぐって、梅の里で、月影のもと、風、火、水、土、のエチュード(即興劇、演劇において状況や場面、人物の性格だけを設定し、台本を使わずその場の受け答えを基に役者が動作や台詞を創造していく芝居)を行う。また能面をつけた月影千草は、付き人の小林源蔵の伴奏・共演のもと、「紅天女」の大部分を演じてみせた。こうして「紅天女」の全貌はほぼ明らかになった。
東京にもどった、二人は「紅天女」のオーディションを争うことになった。しかし、「紫の人」がだれあろう早水であることをマヤは知る。さらに早水が鷹通グループ会長の孫娘、鷹宮紫織と婚約して、二人の関係は切迫したものになっていく。また事故でほとんど目が見えなくなってしまった亜弓は、その事をかくしたままオーディションを受けようと、女優の母、歌子と、目の見えぬ状態での演技の特訓をするのであった。
さて、マヤと早水は結ばれるのか、「紅天女」を演ずるのは、亜弓かマヤなのか。物語は最後のクライマックスへと突入していくのである。

「紅天女」のモデルとなったのは、木下順二の「夕鶴」。木下は女優、山本安英のみにこの劇の上演を許していた。

作品の魅力の一つに劇中劇がある。
物語の中でさまざまな劇が登場し、それを、マヤや亜弓が演じていくことで幾重にもかさなり奥行きのある物語となっている。

劇中劇を、マヤと亜弓がどう演じているのか、二人の演じ方の違いは、当初の「たけくらべ」あたりでははっきりしていないが、連載が進むにつれてしだいにはっきりとした違いとなってきた。
亜弓の演じ方は、訓練を重ねた確かな技能と見事な身体の動きによって、演じきること。
マヤの演じ方は、登場人物になりきって演じること。

マヤの演じ方には、アメリカのメソッド演技をおもわせるものがある。「メソッド演技法とは、ロシアのコンスタンチン・スタニスラフスキーの影響を受けたリー・ストラスバーグらアメリカの演劇陣によって、1940年代にアメリカで確立・体系化された演技法・演劇理論である。役柄の内面に注目し、感情を追体験することなどによって、より自然でリアリステックな演技・表現を行うことに特徴がある」(wikipedeiaをすこし改変)。その総本山とされるのが、ニューヨークのアクターズ・スタジオである。ここで学んだ俳優は、メソッド演技の開祖とでもいえる、マーロン・ブランド、ダスティ・ホフマン、アル・パチーノ、マリリン・モンローなど。現在のこの演劇法は、、ロバート・デニーロなどハリウッド映画の演技派のほとんどが採用さいている演技法と言える。(ただしイギリスの俳優の演技法はこれとはことなる)。

「ガラスの仮面」の劇中劇としても取り入れられている「奇跡の人」はまさにこうしたメソッド演技の典型ともいえるもの。元、盲目であったサリバン先生を演ずるために、アン・バンクロフトは、何週間も目を覆って、盲人同様に闇の世界で暮らしてみたという。

ただこのメソッド演技は、自分のなかにある怒り・悲しみ・狂気というものを掘り起こし肥大化させる作業を伴い、結果、精神的に非常に不安定な状態に陥ることがある。その悲劇的結果ともいえるのが、『ダーク・ナイト』(2008年)で、悪役ジョーカーを演じ、作品の完成前に、睡眠薬などの過剰摂取で死んだヒース・レジャーである。(死後、アカデミー助演男優賞を受賞)。

美内みすずの『ガラスの仮面』は、24年組登場の後にもかからわらず、古い記号的な少女マンガ(意味のない花、大げさな髪型など)の表現法をとっている。それでも読者を引きつけて放さないストーリーのおもしろさに満ちている。

一条ゆかり
デザイナー』集英社『りぼん』(集英社)1974年2月-12月号

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「過去を捨てた孤高のファッションモデル・亜美は、トップデザイナー・鳳麗香にライバル心を燃やす。互いのプライドを賭けた闘いを描く。後にデザイナーとして鎬を削る亜美だが、それは悲劇への始まりに過ぎなかった…」(Wikipediaより)
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秘書の柾(まさき)の作画は、大矢ちき が担当。
亜美のライバルの鳳麗香はじつは母、彼女と結ばれる結城朱鷺は実は兄弟。朱鷺の仕掛けた「ゲーム」の成就をたすけるのが秘書の柾。しかし朱鷺を愛する柾は、この近親結婚を暴露して亜美を破滅させる。

砂の城
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「りぼん」連載。1977年7月号から1979年7月まで、および1980年9月号から1981年11月号まで掲載。
「裕福な家庭に生まれたナタリーと、彼女の誕生日に屋敷の前に捨てられたフランシスは、兄妹同然に育てられ、やがて二人は惹かれ合う。はじめは強く二人の交際に反対していたナタリーの父親も、交際を公認するが、三年に渡って家を離れて学業を修めたフランシスの帰省直後、両親二人が事故で帰らぬ人となる。後を任された伯母の強硬な反対に、二人は死を決意し絶壁から飛び降りてしまう。奇跡的に救助されたナタリーが、行方不明となったフランシスの面影を胸に学生生活を送っていたある日、彼を見かけたとの噂を聞く。ナタリーが訪ねてみると、記憶をなくしたフランシスは結婚し男の子が生まれていた。フランシスはナタリーを見て記憶を取り戻すが、その直後に交通事故で帰らぬ人となり、彼の妻も後を追う。残された子に「フランシス」という名前をつけて引き取るナタリー。やがて、青春時代を迎えたフランシスはナタリーを意識し始め、そしてナタリーもまた……。」(Wikipediaより)
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血縁関係がドラマの構造を決定する。源氏物語からめんめんと続く、女流文学の構造。女性が生む(血縁を生産する)存在であるため。
有閑倶楽部』 
男3人女3人の登場人物によるはちゃめちゃ学園アクション・コメディ
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『デザイナー』の柾にみられるように、性的に成熟し少女たちを性の世界へと誘惑する男性が、少女マンガに描かれるようになった。この転換にあたって決定的な影響をもったのが、大矢ちきであった。


大矢ちき 『雪割草』
白血病で余命幾ばくもないスケーター、プリシラ・ジルを、レックス・グイド見つめ(誘惑して)死に至るペアスケートをともにする。
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レックス・グレイドの大人びた性へと誘い込む表情。『砂の城』の秘書、柾のキャラクターとなる。
鼻の穴をきれいに描くのはむずかしい。美大(愛知県立芸術大学)出身の大矢ちきならではの画力。
この鼻の穴をうまく描けるのは最近では、アニメ『戦闘妖精・雪風』のキャラクターデザインを担当した多田由美くらいのもの。
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by takumi429 | 2011-07-27 07:52 | マンガ論 | Comments(2)

(7)萩尾望都 日本マンガの偉大な母

萩尾望都
『ポーの一族』
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永遠の少年エドガー(吸血鬼)が時を超えて紡ぎ上げる物語群
個性的なキャラクターを創造してそのキャラクターが作り上げるキャラクター・マンガ
「グレン・スミスの日記」
ポーの一族(バンパネラ吸血鬼)の秘密をしった父グレン・スミスの日記を受継いだ娘エリザベスの生涯。欧州の20世紀前半の歴史に翻弄されたエリザベスの生涯がコマ落としのように語られる。その時間を超えて存在する不老の美少年エドガー。邯鄲の夢にも似た凝縮された年代記。

『トーマの心臓』
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ドイツの男子寄宿舎学校。上級生から(性的)暴力をうけて、神への信仰を捨てさせられ深い絶望をかかえたユーリーに、熱い心を取り戻させるべく、トーマは鉄橋から身を投げて死ぬ。トーマにうり二つの転校生ユーリクと、父捨てられ実の父である校長の学校に寄宿するオスカー(ユーリーの親友)たちの努力により、死んだトーマの真意を知ったユーリーは神への信仰を取り戻すべく神学校へと転校する。


『訪問者』
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『トーマの心臓』外伝。オスカーの父と母。美しいカップルであるが、なぜか仲がわるい。オスカーが自分の子でなく、友人の子であることを、妻からつげられた夫は、妻を射殺する。父親が犯人であることを知りつつそれをひた隠しにしようとするオスカー。刑事の追求からのがれるべく、二人は逃亡の旅に出る。こうして、血のつながらない親子の放浪が始まる。放浪の果てに絶望し衰弱した父はオスカーを実の父(寄宿舎学校校長)の元に送り届け、いずこともなく去っていく。
この放浪のシーンは橋本忍・山田洋次脚本『砂の器』からの影響とのこと(作者談)。
中編ストーリー・マンガの傑作。

『11人いる!』
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宇宙大学入学の最終試験。10人の受験生は宇宙船に乗り込み任務を果たすことに。しかし乗り込んだ人間を数えると、なんと、11人いる!誰が、何の目的で、潜り込んだのか?超能力をもつレーンや半陽体(雄雌がまだ未決定な)フロルなど個性的な11人の搭乗者。やがて宇宙船の危機からレーンの過去の記憶(彼以外の搭乗者全員の感染死)がよみがえる。さて11人の運命は?偽者はいったいだれ?
SFマンガの傑作。11人のキャラクターを描き上げること自体がマンガではきわめて困難。しかもストーリーが一分のゆるみもなく結末へとなだれ込む。

『残酷な神が支配する』
イアンは、交通事故死した父グレッグ・ローランとその後妻サンドラの葬式で、サンドラの連れ子ジェルミの不思議なつぶやきと不審な態度に疑問をもつ。やがてイアンは、父グレッグが妻の連れ子ジェルミに性的虐待をしており、それからのがれるべく、ジェルミはグレッグを交通事故死させてようとして、あやまって母親まで死なせてしまったことを知る。ジェルミとイアンは一緒に暮らすうちに性的関係までもつにいたるが、癒しは容易に訪れず、傷をかかえたまま二人は別れることになる。
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息をのむ冒頭の謎の提示シーン(葬式)と驚愕の真相と、果てしない苦悩と相姦と癒しへのもがき。マンガ表現の領域はついにここまで広がった。

『バルバラ異界』
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両親の心臓を食べてこんこんと眠り続ける少女、十条青羽。その夢の中に入った度会時夫の見たものは、未来のバルバラ島という島。しかしその島は、時夫の別れた妻の元に置き去りにした息子、北方キリアの描いた島だった。個体を超えて受け継がれる赤い星(火星)の生命体の記憶。少女と少年が夢見ることで、暗澹たる未来はバラ色の未来へと変えられるのか。息もつかせず展開されるSF会心作。
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by takumi429 | 2011-07-26 15:53 | マンガ論 | Comments(0)

(6)24年組の革新

24年組:昭和24年(1949年)頃の生まれで、1970年代に少女漫画の革新を担った女性漫画家達の一群

作家:青池保子、萩尾望都、竹宮惠子、大島弓子、木原敏江、山岸凉子、樹村みのり、ささやななえこ、山田ミネコ、増山法恵

それまでの記号的な少女マンガの描写からよりリアルで洗練された絵と、より文学的なストーリーを用いて、それまで少女マンガでは描かれなかった、同性愛、近親姦、SF、収容所もの、などを描いた。

とりわけ、ジェンダー(社会・文化的な性別)と母と娘の愛憎関係の問題をえぐった作品がみられる。
今回はそこにスポットあてて解説してみよう。

山岸凉子
天人唐草』 (天人唐草、別名、イヌフグリ)
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男性から女性におしつけられるダブルスタンダード(二つの相反した道徳規準)
貞淑な妻・娘であれ/淫靡な女であれ=天人天草/いぬふぐり(犬の睾丸)
二つの論理(男性論理の要求)に引き裂かれ発狂する主人公
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夜叉御前
近親姦と近親殺害をあつかった衝撃の展開の傑作
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ここでは母は娘を嫉妬し憎悪する。
これはグリム童話の初版の白雪姫をおもいおこさせる。
白雪姫に毒リンゴを食べさせるのは、実の母である(改訂版では継母に変更された)。
妃(魔女)がのぞいていた鏡とは王の態度のこと(ザイプス)。
王の好色なまなざしが自分ではなく娘に向けられた時に娘に対する殺意が生まれる。

大島弓子
綿の国星
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子猫と飼い主の家族。
「子猫は自分を人間だと思っているから少女として描く」というただし書きが最初にある。
もしこのただし書きを削除してしまったらどうだろうか。
するとそこには、娘を愛せない母親と愛してもらおうとして愛されない娘。
人間にはなれず、その動物性(男性社会にとって女性は人間ではなくメスでしかない)に従うしかないのだと、言われ続ける娘が登場することになる。
親は決して子供を自動的に愛するものでもないし、親らしい完璧な人間でもない。
愛そうと思ってもどうやっても愛せない、あるいは他の子のほうをひいきしてしまう、ということはある。
そうした母親が獣性をもった娘をようやく受け入れる、そして娘も自分のなかの獣性(メスであること)を受け入れようとする物語として読むことができる。

萩尾望都
半神
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シャム双生児の姉妹。姉は妹に栄養を供給し続けるが、みにくくやせこけているが聡明。妹は白痴美人、天使のような清らかさと美しさ。自分では何もできない。
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切り離し手術が終わり、妹はやせこけて死に、姉はかつての妹のような美しい年頃の娘になる。
短編マンガの極北にある作品。
だがこの、シャム双生児を描いた特殊な作品が、なぜ私たちの心を打つのだろう。
私たちのなかに、こうした分裂した自己があるからではないのか。すくなくとも女性のなかにこうした分裂した自己があるのではないのか。
女性はもちろん、飯もくらえば便もする、そうした生物的な存在である。
しかし、美しき女性として愛されるのは、そうした動物性を切り離した、天使のような女性である。
しかし愛された女性は、その愛が自分の(獣性をもふくめた)全体ではなくて、自分なかの一部でしかないことを知る。愛される美しい自分の下には、飯も食らえばくそもする、月に一度は血を流す、そうした獣としての、もうひとつの自分が存在する。しかしそうした動物としての自分をかかえつつ、それをたくみに隠しつつ、娘は、愛される女へと変身(成長)する。
この短編で提示された問題を後年、『イグアナの娘』という作品で萩尾望都はたいへん明晰に腑分けしてみせる。
イグアナの娘
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生まれてきた長女がイグアナにしか見えない母親。母のそうした態度から自分はイグアナの娘だとおもう(実は聡明で美しい)娘(ゆがんだ自己概念の典型例)。

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母の死後、葬式で見たのは、自分とそっくりのイグアナだった母の顔だった。人間(男)と結婚するために、自分の獣性(イグアナであること)を捨てた女が、自分の子供の中に自分の捨てたはずの獣性(イグアナであること)を見出してしまい、いつまでも愛せない。母の評価を引き受けることで低い自己評価したもてなかった娘が、実は母親似であるからこそ、母が自分を愛せなかったことを知り、母の苦しみと悲しみを理解し許す。
人間(男)が求める女性像とは、実際の動物性をも持っている女とは異なっている。それは女がもつ、まがまがしいばかりの獣性(飯を食らいくそをして、血を流し、孕み生む)を切り捨てて、身勝手な理想化をした「女性」である。汚れなき乙女を愛する男は、その乙女の汚れを無視し抑圧する。しかし人間(男)を愛し、彼に受け入れられようとする女は、自分のなかの獣性を封印しようとする。しかしそれはその獣性をもった娘の出現によって報復を受けるのである。

よしながふみ『愛すべき娘たち』
24年組がえぐり出した母娘関係の深淵を、その継承者たる、よしながふみは、『愛すべき娘たち』でさらに描く。
器量が悪く、美人の友達にバカにされてきた母親が、自分の娘がいい気にならないようにと、けっしてほめないようにして育ててきた。その結果、本当は美しい娘は、自分のことをずっと醜いと思ってきた。
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その娘のさらに娘(孫)が以上の経緯を知ってはき出す一言。
「母というものは要するに一人の不完全な女の事なんだ」
母親というのが公明正大で愛情深く完璧であることを子供は望むが、それはかなえられない。
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母親というものは他の誰かと同様に、ひずみやゆがみをもった一人の人間にすぎないのだ。苦しい親子の歴史の果てにたどりつく、このにがい認識。よしながふみ、はそれを描ききって余りない。
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by takumi429 | 2011-07-26 00:51 | マンガ論 | Comments(0)

(5)ストーリー少女マンガの誕生と展開

手塚治虫『リボンの騎士』(1953年)『少女クラブ』
初のストーリー少女マンガ 少女漫画はそれ以前からあった。
宝塚少女歌劇の影響
 女の子として生まれながら男として育てられる主人公サファイア姫
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 宝塚育ちの手塚治虫 1巻19頁「すみれの花咲く頃」

水野英子『星のたてごと
 大人のロマンとしての少女マンガ。
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高橋真琴(1934-)
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 少女漫画の描写の典型を確立
1)星がきらきらする大きな瞳
2)三段ぶち抜きのスタイル画≒コマからはみ出し、いくつかのコマを統合する役割をもった人物画。
パリ~東京』(1956年)
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  主人公の母は少女小説家:吉屋花子、さし絵画家:中原真理となっている。これは、中原淳一のさし絵による吉屋信子の少女小説 (昭和10年前後)をモデルにしている。

さくら並木』(1957年) S(sisterの頭文字):女学生間の姉妹を模した愛情関係
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  バレイシーン。
高橋真琴はその後、一枚絵(デラックス・マーガレット表紙や巻頭カラー口絵、ふろく)へ移行。少女漫画の少女画に圧倒的影響を与える。

池田理代子『ベルサイユのばら
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 少女漫画の絵を使って歴史ロマンを書ききる(フランス革命)
 原作のツヴァイク『マリーアントワネット』にオスカル(女でありながら跡継ぎの男として成長)を付け加える。
 手塚・水野流ストーリー漫画 + 高橋流 少女漫画

上田としこ『フイチンさん
高橋真琴の影響をうけない別の方向の少女マンガの可能性もあった。細い目、細くたなびく三つ編み、流麗な線。
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by takumi429 | 2011-07-25 01:17 | マンガ論 | Comments(0)

(4) 原作マンガの興隆

原作漫画:原作(ストーリー・セリフなどを担当)と作画(絵を担当)に分業した漫画 

梶原一騎 巨人の星 1966-71年 作画:川崎のぼる 『少年マガジン』
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あしたのジョー 1968-73年 作画 ちばてつや 『少年マガジン』
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原作と完成したマンガとの比較
ちばてつやは、高森朝雄(梶原一輝)の原作をかなりアレンジしたりふくらませたりしている。
遠景から登場人物へとカメラを下ろしていくのは、ちばてつやの良く用いる演出だが、これは原作にはない。
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小池一夫 『子連れ狼』 1970-76年 作画 小島剛夕(ごうせき) 『漫画アクション』
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『御用牙』(画:神田たけ志)、『高校生無頼控』(画:芳谷圭児)、『修羅雪姫』(画:上村一夫)、『クライング フリーマン』(画:池上遼一)、『オークション・ハウス』(画:叶精作)
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by takumi429 | 2011-07-24 15:19 | マンガ論 | Comments(0)

(3)『ガロ』の革新と『COM』の応戦

1959年 「劇画工房」の結成

白土三平 『忍者武芸帳 影丸伝』 1959―62年
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戦国時代の農民の一向一揆を指導する革命戦士としての忍者影丸とその仲間の活躍と敗北

『カムイ伝』1964-71年 雑誌『ガロ』掲載
江戸時代、非人(部落民)出身の忍者カムイを物語を縫い合わす糸とした、非人、農民、武士の階級闘争の絡み合いを壮大に描いた歴史長編

『ガロ』1964-2002年
長井勝一が「カムイ伝」を掲載するために作った雑誌

つげ義春 1937年― 貸本漫画出身
「沼」(1966)
「チーコ」(1966)
「李さん一家」(1967)
「海辺の情景」(1967)
「紅い花」(1967)
「ねじ式」(1968)
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「ゲンセンカン主人」(1968)
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「COM」1967-71年 「ガロ」に対抗して手塚治虫が創刊した漫画雑誌
『火の鳥』掲載
周りの人間が化け物に見え、ロボットが人間に見える青年
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by takumi429 | 2011-07-24 14:54 | マンガ論 | Comments(0)

(2) 手塚ストーリーマンガから劇画の登場へ

手塚治虫
いわゆる「映画的手法」の導入
『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』より

ひとつのシーンをいくつもカットに分ける。
ひとつのカットをいくつものコマに分ける。

晩年に全集版を作るとき、映画的手法をさらに意図的に適応している。

初版『新宝島』
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全集版『新宝島』
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ヒゲオヤジ
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アセチレンランプ
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「落盤」 落盤事件をめぐるさまざまな証言の食い違い。
父を殺された息子は事件の真相へ迫り、犯人のアセチレンランプに復讐しようとする。
黒澤明『羅生門』にもみられる「羅生門的現実」を取り扱った作品
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芥川龍之介「藪の中」原作
橋本忍脚本・黒澤明監督『羅生門』
「羅生門的現実」(話者によって構成させる現実が異なる、そうした現実のこと)


『アドルフに告ぐ』(ストリーテラー手塚が放ったストーリー・マンガの会心作のひとつ)
神戸で育ったユダヤ人のアドルフとその幼なじみでのちにナチスとなるドイツ人アドルフ、
そして、アドルフ・ヒットラー。そのヒットラーが実はユダヤ人だったという秘密をめぐっての、3人のアドルフのたどる運命。
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無表情の顔のコマをはさみこむことで、ぎゃくに劇的な効果を生んでいる。
クレショフ効果を逆手につかった巧みな演出。
クレショフ効果とは、
「クレショフと私は、興味ある実験を行った。私達は、いろんな映画から有名なロシアの俳優モジューヒンの大写しをとりだした。私達は、静止的で、いかなる種類の感情も示していない大写しを選んだ。--動きのない大写しである。私は、三つの異なった結びつけ方に従って、映画の他の断片と、すべての点で同じ大写しとを結びつけた。第一のモンタージュでは、モジューヒンの大写しのすぐ後に机の上のスープ皿のカットを続けた、モジューヒンがその皿を見つめているという印象が、明瞭で、疑いのないものとなった。第二のモンタージュでは、モジューヒンの表情が、死んだ女が横たわっているクッションづきの長椅子を示す映像と結びつけられた。第三のモンタージュでは、その大写しに小さな熊の姿をしたおかしな玩具を弄ぶ小娘のカットを続けた。私達がその三つの結びつけたカットを、何にも知らされていない観衆に示した時、その結果は驚くべきことになった。観衆は、俳優の演技の前に熱狂して有頂天になった。観衆は、わすれられたスープを前にしたそのまなざしの重苦しい苦々しさを強調し、死んだ女を前にして示された深い悲しみに心動かされ、遊んでいる小娘を見詰める明るく嬉しそうな微笑に感嘆した。しかし、私達は、その三つの場合において、俳優の表情は全く同じものであることを知っていた。」(アンリ・アジェル著『映画の美学』(岡田真吉訳)白水社1958年、144-5頁)

スター・システム
ハリウッドのスタジオが専属のスターを使い回しながらさまざまな映画に出演させて映画作品を作っていくシステム
手塚治虫のスターシステムの構成員:ヒゲオヤジ・アセチレンランプ・ロックホームなどなど
常連のスターを使い回してストリーを描く。
映画のスターと同じやり方。
ストーリーごとに新たな登場人物を描くのは大変。
人物の表現は類型的になりがち、それを逆手にとって、いくつかの類型的な人物表現をつかってストーリーを語る、という手法。
スター・システム(いくつもの物語を演じる固定的な人物表現)
手塚はあくまでも、物語(ストーリー)を語るために、スター・システムをつかっている。
読者は、スターが演じる物語を読む。

ストーリー(物語)vs(物語の)背景世界(舞台)
キャラクター(一つの物語世界の中の個性的な登場人物)
「キャラ立ち」:登場人物が作者から離れて自立的に動き物語を作り上げていく。
「キャラが濃い」:登場人物の個性が強い。
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
濃いキャラがどんどん勝手に動いていって物語を作っていく
読者は、物語世界とキャラクターの情報を読む。

キャラクターの自立は、ストーリー(物語)の背景となる世界が確固たるものとして立ち現れることの、ひとつの現れに他ならない。

キャラクター・マンガ
戦後マンガは手塚流のストーリー・マンガの展開であるかのごとく語られるが、じつは、ヒットしたマンガは、ストーリー・マンガとは言い難い。終わりまであらすじを見通した上で描かれるストーリー・マンガに対して、ヒットしたマンガは(多くは週1回の)連載マンガであり、またヒットしたことで連載がどんどん延長されるため、完結したストーリーを持ちづらい。結果、登場人物(キャラクター)と背景世界だけが決まっていて、キャラクターが自己展開するエピソードの連続という形を取りがちである。こうしたマンガを、「ストーリー・マンガ」と対比して「キャラクター・マンガ」と呼びたい。

「劇画」の登場
「映画的手法」の導入
石ノ森章太郎『まんが家入門』「龍神池」
この映画的手法の導入をさらにおししすすめたのが、劇画、であった。

劇画」:写実的な作画で青年向けのシリアスなストーリーを描くもの
辰巳ヨシヒロの命名
1959年 「劇画工房」結成
「劇画工房ご案内
 常に世の中は移りつつあります。鳥羽僧正に端を発したというわれる漫画界も日進月歩、昭和になって大人漫画と子供漫画とジャンルが二分され、それぞれ方向をいとするものにわかれました。
 子供漫画の世界でも同じく、その読者対象によってその分野が広がりました。戦後、手塚治虫氏を主幹とするストーリイ漫画が急速に発達し、子供漫画の地位が向上、進歩の一途をたどりました。
 最近になって映画、テレビ、ラジオにおける超音速的な進歩発展をうけ、ストーリイ漫画の世界にも新しい息吹がもたらされ、新しい芽が吹き出したのです。
 それが“劇画”です。
 劇画と漫画の相違は技法面でもあるでしょうが、大きくいって読者対象にあると考えられます。子供から大人になる過渡期においての娯楽読物が要求されながらもでなかったのは、発表機関がなかったことに原因していたのでしょう。劇画の読者対象はここにあるのです。劇画の発展の一助は貸本店にあるといってもいいと思います。
 未開拓地“劇画”
 劇画の前途は洋々たるものがあります。それだけに多苦多難なこともありましょう。ここに望まれるのは劇画ライターの一致協力です。
 この主旨にもとずいて、このたびTS工房、関西漫画家同人、劇画工房が合併、同志の劇画ライターが協力、新しいシステムによって劇画工房なる機関が発足しました。
 劇画工房のあり方というものを理解下さって諸兄のご声援をお願いします。
  劇画工房 さいとうたかを 佐藤まさあき 石川フミヤス 桜井昌一
  勝美ヒロシ 山崎ススム K・元美津」 (辰巳ヨシヒロ『劇画漂流』(下)304頁)

辰巳ヨシヒロ『黒い吹雪』
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by takumi429 | 2011-07-23 22:16 | マンガ論 | Comments(0)