<   2013年 05月 ( 4 )   > この月の画像一覧

7.漢字の呪術的世界

7.漢字の呪術的世界

NHKスペシャル 中国文明の謎 第2集 (2012年11月11日放送)
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/1111/
http://v.youku.com/v_show/id_XNDc0ODI4NTQ0.html

漢字は殷の時代に占いのために発明された 甲骨文字 卜占 天と王とのコミュニケーションの手段
周の時代になって、行政のためのコミュニケーションの手段となった。
表意文字であるので、異なった言語体系の人々を束ねることが出来る。

白川静:漢字の持つ呪術的(まじないの)世界を解明

呪術的世界と宗教的世界

超感性的諸力(ふだんは目に見えないさまざまな力)
アニミズム:物の背後にあってその物を動かしている霊魂(アニマ)を信仰すること
プレアニミズム:見えない力(マナ)がさまざまな現象を引き起こしていると考えること

ヴェーバーの2類型(呪術と宗教のちがい)
神強制:目に見えない力に働きかけて自分の都合の良いように現実を変えようとすること=呪術
 例:丑の刻参り(丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を毎夜五寸釘で打ち込むことで恨む相手を殺したり危害を与えようとする呪い)
 直接、現実に力を行使するのでなく、超感性諸力に働きかけて、その感性的諸力の力で現実を変えようとする。
 例:雨乞いの祭り(天に犠牲を捧げて、雨を降らせようとする。犠牲は時には人間のこともある(人身御供))

神崇拝:人間によって神が動かせることをあきらめ、ひたすらその加護を祈ること=宗教

フレイザー(James Frazer1854-1941)の『金枝篇』(未開社会の神話・呪術・信仰に関する集成的研究書)
共感呪術(sympathetic magic)
未開人の思考を支配している呪術(まじない)の原理
(1)類似の法則:類似は類似を生む、結果はその原因に似る
(2)接触の法則/感染の法則:かつてお互いに接触していたものは、空間を隔てて相互作用を継続する
類似の法則による呪術:類感(homoeopathic magic)/模倣呪術(imitative magic)
接触の法則による呪術:感染呪術(contagious magic)
例(1)ある人物をのろい殺そうとする時、その人物に似せた像を突き刺したり燃やして呪いをかける
 (2)ある人物をのろい殺そうとする時、その人物がかつて接してた物(髪の毛など)を焼いたりして呪いをかける。
 人形にその人間の爪や髪の毛を入れて、人形を刺したり焼く、という合わせ技がよく用いられる。
ロマン・ヤコブソンの指摘した
フレーザーの「類似」と「接触」/「連続」という呪術の二つの構成原理は、失語症の2つのタイプの見られる「隠喩的」および「換喩的」という表象作用の二つの軸に対応する区別である
(「言語の二つの面と失語症の二つのタイプ」ロマーン・ヤコブソン『一般言語学』(みすず書房1973収録))

ヴェーバーの「類感的性的狂躁道」(die homoeopathische sexuelle Orgie)
作物世界と人間世界の類似:作物の豊作と人間の多産
豊作を祈願するために、人間の交合を祝う(多産をもたらすべく乱交する)
映画『十戒』より、金の雄牛をあがめる狂躁道
http://www.youtube.com/watch?v=NEeHS1trNcQ
ヴェーバーの考えていた狂躁道とは、このイメージではないかと思われる。

例:小牧の田県神社の豊年祭 この祭りのニュース動画をみてみよう。
「くらやみ祭り」:豊年を祈って放逸な性交をする

フレイザー 呪術師としての王 王は天候調整(雨降らし)の呪術師である
ヴェーバー 「雨司」(Regemacher,rainmaker)としての中国の君主 
 これは、卜占をして、羌族の捕虜を殺して犠牲としていた殷の君子によく当てはまる。

認知意味論のメタファー理論
メタファーとはある集合からある集合への写像(mapping)である。
あるいはある集合の内容を別の集合を使って理解する試みである。

メタファー:「恋は旅である」 恋の経験を旅を通じて理解説明する。
人生の道の途中で僕たちは出会ったよね。それからいろんなことがあったね。晴れの日もあれば、雨の日もあった。すいすいと楽しくいけることもあったけど、つらい道もあった。笑ったり泣いたり怒ったりしながら、一緒に旅をしてきた。でもいま分かれ道に来たんだよね。君は右、僕は左。それぞれが目指している方へ別々に行く日が来たんだ。君の旅は素敵なものになることを祈っているよ、ありがとう、そして、さようなら」。

メタファーとは、二つの集合を(似たものとして)写像する(対応させる)ことである。

この写像の考え方は、類感呪術や漢字を考えるのに使えるかもしれない。

穀物の発芽と成長と豊穣な実り、を、男女の交合と出産、の世界に対応させる。
対応した部分を操作することで対応部分の変化を期待する。

類似の原則とは二つの集合の類似対応を意味し、
接触/感染の原則は、写像(対応付け)を意味する。

漢字は現実の事物の中から特徴ある部分を抽出して線画としたもの、つまりmapping地図化(写像したもの)。
漢字が刻まれた甲骨(亀の甲羅や動物の骨)は世界の写し絵となる。
熱した火箸を押しつけることは世界と、文字が刻まれた甲骨、とを対応させる(感染呪術)ことにほかならない。
世界を写し取った甲骨を読み解くことで、世界(天)の意志を読み解こうとする。
またしたことを甲骨に書くことで、天の下でおこなわれたことが、甲骨に写し込まれるわけである。

漢字とは基本的に似せ絵(像map)である。
それに対して表音文字はどのように世界を写し取り構築するのか、
その結果、どのような宗教世界の違いが生まれてくるのか。
そのことはさきの「古代ユダヤ教」で明らかになって来るであろう。
[PR]
by takumi429 | 2013-05-26 23:41 | ヴェーバー宗教社会学講義 | Comments(0)

6 の補足

6.補足

カルヴァンの生涯 (http://yokochu.seesaa.net/article/128978377.html 2013.5.20)
1509:フランスのピカルディーで誕生(ルターの26年後)。ドゥメルグによれば、ピカルディー人は自由解放の精神に富んだ船乗りたちで、「勇敢にして短気なピカルディー人」という慣用句がある。カルヴァンは怒りっぽい性格だったと言われるが、自身の多くの書簡に「私は短気であることを告白します」という文章がある。
1523:聖職登録し、パリへ遊学。
1529:父の意志により法律の勉強に転向。
1531:父の死により、生来の希望である古典文学研究者(ユマニスト)になり、文学、古典文学の研究に没頭。
1532:『セネカ寛容論の注解』を刊行。世に知られるようになる。
1533:友人ニコラ・コップ、パリ大学総長就任演説に際して福音主義を説き、教会を追われ亡命。この演説草稿を書いた疑いによりカルヴァンも亡命。
1534:回心を体験、福音主義陣営に入る。故郷に戻り聖職禄を辞退。パリで「檄文事件」(教皇のミサの誤謬を攻撃したビラが、国王の寝室にまで貼られた)が起き、数十人が処刑される。カルヴァンはバーゼルに亡命。
1536:バーゼルで『キリスト教綱要』初版本(ラテン語、全6章)を刊行。
   ついでフランス語版が刊行される。フェラーラからバーゼルへの帰途、
   戦乱のため道が通行止めになりジュネーブを経由。この地でファレルに引き留められ、ジュネーブの宗教改革のために働く。
1538:教会改革についてジュネーブの当局者たちと意見が合わず、追放され、ストラスブールへ。亡命者のためのフランス教会を建てる。
1540:3人の子を持つ未亡人イドレットと結婚。
1541:改革に失敗し、無政府状態となっていたジュネーブへ、再び招聘される。
1547:過労のため悪性気管支カタルを疾病。生涯過度の徹夜により体力を酷使。不断の偏頭痛のため口を開けられない状態が続く。
1553:三位一体を否定するセルベトスを告発。(市議会は火刑を宣告。
   カルヴァンは火刑を免れさせようと努力するが火刑が執行される)
1556:肋膜炎、肺結核に襲われる。
1559:ジュネーブ大学を創立。
1564:7つか8つの病気と戦いつつ死去。

4宗派について (ウィキペディアからの引用)

敬虔派
ルター派の刷新を目指した1宗派
宗教改革に端を発したルター主義も17世紀頃になると、教理の解釈や説教に耳を傾けるのみの受動的なものになっていた。正統主義に見られたこのような風潮に対抗したのがシュペーナーであり、一般の信者の積極的役割と、禁欲的な生活を説いた。1666年、フランクフルト・アム・マインのルター派教会の牧師になった彼は教会の改革に着手し、堅信礼の確立などともに、互いに信仰を深め合う目的で信者が定期的な集会を開くことを提唱した。1670年に「コレギア・ピエタティス」(「敬虔な者の集い」の意)の名のもとに集会を自宅で始め、週2回集って、祈ったり聖書を読み合ったりした。「敬虔主義」の名はこれに由来す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E8%99%94%E4%B8%BB%E7%BE%A9 2013年5月20日)

メソジスト(Methodist)とは、18世紀、英国でジョン・ウェスレーによって興されたキリスト教の信仰覚醒運動の中核をなす主張であるメソジズム(Methodism)に生きた人々、および、その運動から発展したプロテスタント教会・教派に属する人々を指す。
特徴としては、日課を区切った規則正しい生活方法(メソッド)を推奨した。
メソジスト運動は、本国英国ではさほどの勢力にはならなかったが、アイルランド、アメリカ、ドイツなどに早くから布教し、メソジスト教団は、現在アメリカでは信徒数が2番目に多いプロテスタント教団である。ちなみに、一番多いのはバプテスト教会である。信条としてはルター派に近く、悔い改めによる救済を強調する。カルヴァンの説いた予定説的な考え方はとらない。
これゆえ、ヨーロッパ大陸におけるプロテスタントの二大潮流であるルター派と改革派教会は、イングランドと米国ではメソジスト派と長老派にほぼ重なる。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%83%88 2013年5月20日)
2013年5月20日

アナバプテスト(英語: Anabaptist、再洗礼派、さいせんれいは)は、キリスト教において宗教改革時代にフルドリッヒ・ツヴィングリの弟子たちから分派した教派
幼児洗礼を否定し、成人の信仰告白に基づくバプテスマ(成人洗礼)を認めるのがその教理的特徴の一つである。幼児洗礼者にバプテスマを授けることがあるため再洗礼派とも呼ばれる。ただし、彼らにとって幼児洗礼そのものが無効であるので再度洗礼を授けているという認識はない。従って「再洗礼派」を自教会の名称として用いることはない。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%90%E3%83%97%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88 2013年5月20日)

バプテスト(英: Baptist、漢:浸礼教会、しんれいきょうかい)は、バプテスマ(浸礼での洗礼)を行う者の意味に由来しており、イギリスの分離派思想から発生したキリスト教プロテスタントの一教派。個人の良心の自由を大事にする。
バプテストは17世紀頃にイギリスで始まり、現在ではアメリカ合衆国に最も多く分布している。アメリカ合衆国の宗教人口はプロテスタントが最も多いが、その中で最も多いのがバプテストである。アメリカNo.1と言われるこの保守派に属するバプテスト派、殊に南部バプテスト連盟は、アメリカ合衆国の非カトリック教派団体として最大の規模を誇る。
バプテスト派は、アルミニウスの流れを汲む普遍救済主義を支持するジェネラル・バプテストと、ジャン カルヴァン(カルヴィン)の流れを汲む予定説を支持するパティキュラー・バプテストとに分かれる。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%97%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E4%BC%9A 2013年5月20日)

聖公会(せいこうかい、英語: Anglicanism, Anglican Church)は、イングランド国教会 (Church of England) の系統に属するキリスト教の教派。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%85%AC%E4%BC%9A 2013年5月20日)

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で言及されている
バニアンの『天路歴程』 The Pilgrim's Progressの
『天路歴程』は聖書についでプロテスタントに読まれたと言われる本。
これはまるで、「天路歴程すごろく」だ。
c0046749_91274.jpg

[PR]
by takumi429 | 2013-05-20 10:21 | ヴェーバー宗教社会学講義 | Comments(0)

6.「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のあらすじ

 6.『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の要約

まえおきがたいへん長くなってしまいました。では『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の内容をみていくことにしましょう。

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のあらすじ
                            
 第1章 問題の提示
 第1節 信仰と社会階層
 統計をみると、資本主義に参加することと、プロテスタント(新教徒)であることとの間にプラスの(正の)相関関係がある。
 この関係に対して、一般的にはつぎのような説明が考えられる。(1)経済発展が改宗を引き起こした、(2)少数派は経済に専念する、(3)プロテスタントは世俗的だから、(4)営利活動の反動で宗教に向かった。
 しかしこれらの説明に対しては、(1)むしろ宗教性が経済志向を決定しがち、(2)ドイツではカトリックの方が少数派、(3)プロテスタントはむしろ非世俗的だった、(4)プロテスタントでは事業と信仰が仲良く同居していた、という反論が成立する。
 そこでむしろ、一見水と油のようにみえる、資本主義参加とプロテスタントであることが、じつは「親和的関係」(相性のいい関係)にあり、プロテスタンティズム(新教)から資本主義への参加、がじつは説明できるのではないか、と考えられる。それをこれから考察していくことにする。

 第1章第2節 資本主義の「精神」
 まず「資本主義の精神」を体現している思想として、(初期アメリカの文筆家・外交官)ベンジャミン・フランクリン(1706-90)の思想を彼の『自伝』を見てみよう。
 フランクリンは自伝でこう言っている。「時は金である。・・・信用は貨幣である。・・・貨幣は貨幣を生む・・・勤勉と質素を別にすれば、すべての仕事で時間の正確と公平を守ることほど、青年が世の中で成功するために必要なものはない。・・・正直な男であると人に見させよ」。
 彼の自伝にみられる精神は、営利による資本の増大を自分の倫理的な義務とみなすような精神である。これに対して、ドイツの高利貸資本家だったヤーコブ・フッガー(1459-1525)引退も他人に儲けさせることもしないで「可能な限り儲けようと思う」と答えたという。フランクリンの精神は、フッガー(このフッカー家への借金を支払うために贖宥状販売がおこなわれた)のような単なる金銭欲とはちがう、ある種の倫理性をもっている。
 フランクリンの自伝にみられた資本の増大を志向する、この「資本主義精神」は、これまでどうり生きていければ良いする「伝統主義」とは対立する。
 ところで、ゾンバルトは経済の基調を、(1)「欲求充足Bedarfsdeckung」と(2)「営利Erwerb」とに分けている。
 ふつう、欲求充足には伝統主義が、営利には資本主義の精神が対応するように思える。しかしことはそんなに単純ではない。営利活動が伝統主義によって営まれていることもある。
 たとえば、19世紀半ばまでのヨーロッパ大陸の繊維工業前貸し問屋をみるならば、①生産過程は農家の裁量に委ねられ、②販売は仲介商人まかせで、③同業種間の反目も少なく、④営業時間も短くて生活のテンポはゆとりがあり、たまに羽目をはずした消費がなされるが、身分相応の生計の維持が目指されていた。
 ところがそこに資本主義的精神をもつ青年実業家(ヴェーバーの叔父がモデル、『伝記』136頁)が登場して変革が起きた。経営組織の形態は同じだが、経営者は、①生産過程の掌握、②販売の掌握をする、③同業者間の競争が生まれる。結果④ゆとりは消え、真面目いっぽうの生活となり、消費をおさえて営利のための資本の再投下がなされるようになる。
 ところでこの精神は、よく問うとみると、人のために事業Geschaeftがあるのではなく、事業のために人がいる、という、じつはきわめて倒錯的で非合理的なことになっている。
 けっして営利を追求する活動にあわせてそれに都合のよい精神が生まれてきた、とは思われない(それだったら、伝統主義のままだったはずである)。ではこの、営利活動を倫理的義務、すなわち「天職Beruf」とみなすようなこの思想はどこから来たのだろうか。

 第3節 ルッターの天職概念
 営利活動での資本増大を「天職」とみなすこの思想は、(聖書外典「ベンシラの知恵」で)世俗の労働を「天職Beruf」と訳したルッターの宗教改革の精神に由来する。つまり彼は修道僧にしか通用しなかった「天職」の論理を世俗の仕事に適用した。
 しかし世俗労働を「天職」とみなすだけでは、「資本主義の精神」がもつ、資本の増大をたえず求める、あの駆り立てられるような心のありかたは生まれない。絶え間ない資本の増大へひとびとを駆り立てた起動力(Antireb)はどこにあったのかを知るために、我々はプロテスタンティズムの禁欲思想にわけいることにする。

 第2章 禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理
 第1節 世俗内的禁欲の宗教的基盤
 禁欲的プロテスタンティズムの、主な担い手は、(1)カルヴィニズム、(2)敬虔派、
(3)メソジスト派、(4)再洗礼派系の教派、に分けられる。
 とりわけ(1)カルヴィニズムの「予定説」、すなわち、人は救いと滅びのどちらかに予定されており、それは変更不可能であるという教えは、決定的な影響力をもった。
 ピューリタン革命時のイギリスでまとめられた「ウェストミンスター信仰告白」にはこの教えが明記されていることからも、この教えが一般信者にとっても周知の教えだったことは明らかである。
 自信のない一般の信者が、救いに予定されていることの「証し」を求めるのは無理もなかった。ルッターは世俗の労働も神から与えられた「天職」とみなしてよいとした。だから修道院でおこなわれた合理的な禁欲的主義で世俗の労働を行うことが可能になっていた。カルヴァン派の人々はこの合理的・禁欲的な世俗の労働で「神の栄光」を増大させることに「救いの証し」を見いだそうとした。
 こうした傾向は(2)敬虔派、(3)メソジスト派でも同様であった。ただ両派では感情
的側面が強く、その分だけ合理的な禁欲が弱まっている。
(4)再洗礼派系の教派の教義はこれとはちがう。彼らは心正しき者だけから構成された
「教会」を作り上げようとした。心正しさは精霊がその者に宿ることで証明される。だか
ら精霊が宿るのを妨げるような、人間の本能的で非合理的なものを克服しようとした。そ
の結果、合理的な禁欲主義をめざすことになったのである。
 こうしていずれの宗派の信徒も、神に召命された者であることの証しをもとめて、合理
的で禁欲的な世俗労働へと駆り立てられたのである。

 第2節 禁欲と資本主義精神
 プロテスタントでは牧師が信徒の相談にのり指導することを「司牧」(Seelsorge)という。
 ここでは、この司牧の活動からうまれた神学書、とくにイギリスのピューリタンの指導者だったリャード・バクスターRichard Baxter (1615-91)の書いたものをとりあげる。この司牧(魂のみとり)が宗教的な教えが日常生活へ影響する際の仲立ちの役割をしているからである。
 プロテスタント、とくにカルヴェン派、の司牧では、「救いの証し」とされる「神の栄光」の増大は、有益な職業労働から生まれるとされた。そしてその職業の有益さは、結局、その職業がもたらす「収益性」(どれだけ儲かるか)で測かることができるとされるようになった。しかも楽しみ事は徹底的に否定された。その結果、儲けても、楽しみに使わず、さらに営利活動に投資してどんどん利潤を追求していくことが宗教的に奨励されたのである。しかもそうした経営者のもとには、仕事を「天職」とみなして必死になってはたらく勤勉な労働者さえも与えられた。
 しかし富が増大するにつれて宗教心はうすれていく。その結果、フランクリンにみられた、倫理的ではあるが宗教色の消えた「資本主義の精神」、つまり営利による資本の増大を自分の倫理的な義務とみなす精神が生まれたのである。
 こうしてつぎのことがあきらかにされた。すなわち、資本主義を構成する要素のひとつである、「天職」という考えのうえにたつ合理的な生活態度は、ルッターの「天職Beruf」という考えを前提にしてプロテスタント(新教徒)がみずからの「救いの証し」を合理的な禁欲で追求したことから、もたらされた。
 しかし現代においては資本主義はすでに自律的な自動運動をしており、もはやそれを生み出した精神の支えを必要とはしていない。私たちは、生命のない機械と生きている機械(官僚制)の運動のただ中に、巻き込まれていくばかりである。

 さてこうして「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のあらすじをのべたわけですが、ここでもう一度この作品の内容を整理しなおしてみましょう。

 この著作はしばしば西洋的合理化を述べた作品であるかのごとく語られます。しかし内容を要約すると、解明はおもに経済的な側面に向けられていることがわかります。
 社会の主流である経済体制が、「欲求充足」の経済体制から「営利」中心の資本主義体制に移行する。その移行、あるいは転換はどのように起きたのか、それにたいする宗教の働きが問題とされています。

「欲求充足」の経済に適合的なのは「伝統主義」とよばれる、これまで通りの生活ができればいいとする精神です。それに対して、「営利」活動が中心となった資本主義は、もちろん伝統主義によって営まれることはあるにせよ、やはりそれに適合的なのは営利を自己目的とした「資本主義の精神」です。

 なお、ここでの資本主義とは、商人が地域による商品交換率の違いを利用してもうける商業資本主義や、金融市場を利用して(相場の時間による差をりようして)利益をあげる金融資本主義でもなく、いわゆる(労働者には精算して物の価値よりも少なく払うという、生産現場と市場との価格差を利用して利益をあげる)「産業資本主義」を指しています。(参照:岩井克人著『ベニスの商人の資本論』)
 産業資本主義の定義としてはつぎのものをあげておきましょう。
「資本主義 封建制度の次いで現れ、産業革命によって確立された経済体制。生産手段(生産過程において労働と結合して生産物を算出するために消費・使用される物的要素。労働対象(原材料・土地・樹木・功績など)と労働手段(道具・機会・建物・道路など)とからなる)を資本として私有する資本家が、自己の労働力以外に売るものをもたない労働者から労働力を商品として買い、それを上回る価値を持つ商品を生産して利潤を得る経済構造。生産活動は利潤追求を原動力とする市場メカニズムによって運営される」(『大辞泉』)。これは基本的にマルクスの定義する「資本主義」と同じです。

 しかしこの「資本主義の精神」はそれ以前の「伝統主義」からは生まれたとは考えられません。伝統主義が「今生きてあること」(dasein)を大切にするのに、「資本主義の精神」は現在を犠牲にして果てしない彼方にあるものへ向かって駆けていく、そうした倒錯した精神だからです。
 そうした精神の由来を、ヴェーバーは修道院の禁欲主義に求めます。世俗を離れ、ただ神のみを想い、厳しい労働によって自分たちばかりか俗人たちの救済を作り上げていた修道士の活動の論理。この論理はどのように世俗へともたらされたのでしょうか。
 神からの呼びかけによって与えられた使命としての職業(Beruf) はそれまで、聖職のみに限定されていました。ですから修道僧の禁欲もあくまでも世俗の外の修道院に限定されたままでした。
 しかしルッターが、世俗の一般の仕事も、神からのお召しによる「職業」であるとみなしたことで、この修道院だけにあった禁欲主義は世俗へともたらされました。ちょうどレールを切り替えることで電車が引き込まれてくるように、禁欲主義は世俗の労働に適用可能になりました。
 その意味で、ルッターはレールを切り替える人、つなわち「転轍手」(『宗教社会学論集』58頁)であるわけです。
 しかし世俗の仕事が「職業=使命」とみなされるだけでは、あの追いたれられるような、強迫的な労働は生まれません。
 それをもたらしたのは、カルヴァン派の宗教カウンセリング(「魂のみとり」)でした。彼らの「魂のみとり」(司牧)では、業績とか収益が「救いの証し」であるとみなされました。その結果、自分が救いに予定されているか不安な平信徒は、「救いの証し」をもとめて、いまや聖職と同格の「職業」と見なされるようになった世俗的労働にまい進することになったのです。

31.図にまとめるといかのようになるでしょう。

 修道院の禁欲--┐転轍
             ↓
伝統主義-→×  資本主義の精神   
   ∥         ∥ (適合)
欲求充足---→営利(資本主義的経営)

 ルッターの転轍       :仕事を「職業=使命」とみなす
         「意味連関」:修道僧の禁欲的労働の論理が世俗労働をつかむ
 カルヴァン派の「魂のみとり」:収益を「救いの証し」とみなす 
         「感情連関」: 不安→証しの追求 心理的起動力が生まれる

 ルッターの転轍により、世俗労働=「職業」とみなされたことにより、修道院の禁欲の論理が世俗の労働をつかみます。人々は日常の仕事を、神から与えられた、神の意にそった「使命」としてはげみます。つまりあたらしい意味の連なり(意味連関)が世俗の労働をとらえたのです。 
 カルヴァン派の魂のみとりは、収益・業績=「救いの証し」とみなしました。不安にあえぐ人たちは「証し」を求めて仕事(職業)にまい進しました。こうして禁欲的な労働の心理的な機動力がうまれたのです。収益をあげても救われるわけではありません。しかし一般の信徒は心理的に収益をあげて安心したいと思ったです。つまりここでは目的-手段の連関があるのではなくて、不安から労働するという、心理的な連なり(感情連関)があるわけです。

くり返しになりますが、ここでは二つの「解釈がえ」があったわけです。
 ルッターは日常的な労働が「転職」として解釈しなおしました。その結果、聖職者の世界と俗人の世界の区分の廃絶され、聖職者(修道士)の論理が俗界への侵入してきました。しかしそれだけでは社会資本主義へ転換するには不十分でした。
 カルヴァン派では収益・業績が「救いの証し」と解釈されました。その結果世俗的労働にまい進する心理的機動力が生まれました。そうして、伝統主義が支配していた経済は、資本主義が支配する経済システムへと移行したのです
 つまり、伝統主義と結合していた伝統主義的経済(単純再生産)を、宗教的な合理的禁欲思想が捉える。その帰結として、伝統主義的経済システムから資本主義的経済システムへの移行がうまれたのです。
 ここでは新しい社会科学のアプローチが生まれています。つまり行為をする人間がその行為をどのような意味づけをしているのか、その意味づけをちゃんと解釈し理解することで、その行為はどのように社会を作り上げていく、あるいは社会を変革していくのかを説明しようとするアプローチです。ヴェーバーはとりわけ後者の社会変革の方に関心があったように思われます。

後年、ヴェーバーは『社会学の基礎概念』(1920)でつぎのように書いています。「社会学とは、社会的行為を解釈しつつ理解し、そうすることによって社会的行為の経過や結果を因果的に説明しようとするひとつの学問である。」(WuG85頁)

もちろんカルヴァン派の平信徒のふるまいように、理屈では説明できないけど、感情としては説明つく場合もあります。そうしたことをふまえてヴェーバーは次のように書いたのです。「行為の領域についてみると、とりわけ、その行為によっておもわれた意味連関があますところなくはっきりと知的に理解されるならば、それは合理的な明証性をもつことになる。行為において、その体験された感情連関が完全に追体験されるならば、それは感情移入による明証性をもつわけである。」(WuG86-7頁) 
 私のみるところ、ヴェーバーの理解社会学は、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を例にするともっともわかりやすい。というよりも、ヴェーバーはこの論文でおこなったことを学として成立させるために、「理解社会学」を構想したのではないかと思われます。
 その意味でもこの論文は、社会学者ヴェーバーの誕生を告げる論文でもあったのです。
[PR]
by takumi429 | 2013-05-18 18:04 | ヴェーバー宗教社会学講義 | Comments(0)

5.「ルターとドイツ国民」と『イエスの生涯』にいて

5.「ルターとドイツ国民」と『イエスの生涯』にいての補足説明
さて前回はドイツ第二放送ZDF制作の『ドイツ人』(Die Deutsche)の中から、「ルターとドイツ国民」(Luther und die nation)の前半を私がつけた日本語字幕付きで見て頂きました。
この番組ではドイツ人の自覚にとってルターの宗教改革、とりわけ、ドイツ語聖書翻訳がいかに重要であったかが語られていました。
以前も言及しましたが、ナショナリズムについての画期的研究書に、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』という本があります。http://shakaigaku.exblog.jp/6178962/(国際関係学科進学の予定のみなさん、必読書です)。
この本は、「想像の共同体」である国民意識がどのようにうまれていくかを述べています。
ラテン語という神聖な共通語(「真実語」)の世界は、ルッター訳聖書などのベストセラー出現により、出版資本主義による特定の俗語(出版語)の流通することで、それぞれの地域に分解します。そして、その俗語が行政語になっていくことで、その行政を政府とする国民国家が生まれていきます。
ドイツにはさまざまな方言があり、現在もあるのですが、そのなかで「高地ドイツ語」に基づいて、ルターの聖書訳が書かれることで、それが「共通語」の地位を獲得して、ドイツ地域の人々の意思疎通、さらには行政の場合の通達・報告・法律などの行政用語となって、政治行政が可能となり、ドイツが民族国家を形成する準備がなされたのです。ドイツの統一以前から、「ドイツ語」による文化的な統一は準備されました。ただドイツ統一は、同じドイツ語圏であるオーストリアをのぞく部分をプロイセンという東の1国家がまとめるという形でなされることになります(ドイツ帝国)。

さらに前回後半では、ルカ福音書にもとづいてイエスの生涯を描いたThe Jesus Film (Japanese Version with Subtitles) (http://www.youtube.com/watch?v=Swrvmf-dEGc)を見て頂きました。
「福音書」というのは、イエス=キリストの生涯を描いた新約聖書の文書を指します。この福音書には、マルコ福音書、マタイ福音書、ルカ福音書、という共通部分の多い、「共観福音書」とも呼ばれる3つの福音書と、神学的なヨハネ福音書、の4つがあります。
共観福音書(マルコ・マタイ・ルカ)では、マルコ福音書が最も古く、マタイ福音書とルカ福音書は、マルコ福音書ともうひとつべつの資料(Q資料)を使って書かれたのだろうとされています。
福音書は、イエスの生涯の散発的な出来事の羅列の部分と、捕らえられ裁かれ十字架にかけられ(復活する)といういわゆる「受難物語」と呼ばれる部分に分かれます。
受難物語(英語でpassion)はそのまとまり具合から、初期キリスト教徒たちによる典礼(儀式)からうまれたのだろうとされています(トロクメ『受難物語の起源』)。つまり、たとえば最後の晩餐のシーンの、「これは私の血であり、肉である」といってワインとパンを分け与える箇所は、実際に信徒たちがワインとパンを分け与える儀式をしながら、その箇所をとなえながら再現していただろうことです。十字架にかけられたイエスが神の子救世主キリストであった、ということを、この受難物語を儀式のなかでくりかえしとなえ再現したために、この受難物語はまとまりよく残されたわけです。
聖書学は、こうした聖書のなかの文言が、実際の現実のどういう場所で生まれ立ち現れてきたのかを探ろうとします。ちょうど、源氏物語がその文体的な特徴から、宮中の女性たちのおしゃべりの中からうまれてきたのではないか、というような推測したりするのと同じです。文言が生まれ立ち現れる生活の場面のことを、聖書学では「生活の座」(Sitz im Leben)といいます。あとで読むヴェーバーの『古代ユダヤ教』でも、旧約聖書の文言がどんなユダヤの現実生活の場面で生まれてきたのかを探りますが、これは20世紀前半に生まれたこの「生活の座」の探求という研究の方法をヴェーバーなりに取り入れようとしたものと言えます。

補足
受難物語を音楽にしたものでおそらくもっとも有名なのは、バッハの『マタイ受難曲』でしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=pf4UNJqv_-A&list=PL609BD7879558AAA0
パウロが三回イエスを知らないと言った直後に鶏が鳴くという場面のあとに歌われる「哀れみたまえ、わが神よ」http://www.youtube.com/watch?v=97iJonCTe2g&list=PL609BD7879558AAA0
[PR]
by takumi429 | 2013-05-10 21:41 | ヴェーバー宗教社会学講義 | Comments(0)