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「重右衛門の死」

「重右衛門の死」(明治355月)

(1)集団的人格の発見 (閉じた共同幻想へ)

(2)可視化される異常性・犯罪性

(3)イタリアのヴェリズモ(自然主義)文学との共通性

あらすじ

自分(語り手)はかって東京の私塾で信州の山村出身の青年らと知り合った。五年後、旅の途中で、自分は偶然にもその村を訪れた。平和に見えた村では連続放火事件がおきていた。犯人は重右衛門という四十ニ歳の男とその情婦となった十七歳の野生児である。しかし放火の現場を押さえられず、警察も手が出せない。もとは重右衛門は村でも指折りの名望家の跡取りであった。しかし睾丸の肥大という先天的不具者であるため、性格は屈曲し、長じて、放蕩を繰り返すようになった。家は没落し人手に渡った。腹いせにその家に放火した重右衛門は監獄にいれられた。六年後帰ってきた重右衛門は完全に無頼の徒となった。重右衛門は村人に物をせびり、断られると放火をするようになった。自分が訪問した夜も放火による火事がおき、さらに翌日も放火騒ぎがあった。その消火の手伝い酒を平然と重右衛門はあおっていた。村人との口論の後、酔いっぶれた重右衛門を世話役の号令のもと四五人の若者が連れ出した。二十分後、重右衛門は「田池(ため池)」で溺死していた。事件は終息したかに見えた。しかしその夜、全村は火の海となる。翌日、焼け跡から重右衛門の情婦だった少女の死体が発見された。

リンチ殺人

信州の山村で放火が多発する。犯人は身を持ち崩した「重右衛門」という男。犯人はわ かっているのに、現行犯でないため簪察は手が出せない。そこで起きた、村人によるリンチ殺人事件。

「おい、確(しっか)りしろ」

と世話役は叫んで、倒れたままいよいよ起きまじとするする重右衛門を殆ど五人掛かりにて辛くも抱上げ、なおぐずぐずと理屈を云いかけるにも頓着せずに、Xの字にその大広間をよろめきながら、遂に戸外へと伴れ出した。

一室はにわかに水を打ったように静かになった。今しもその一座の人の頭脳には、云い合わねど、いずれも同じ念が往来しているので、あの重右衛門、あの乱暴な重右衛門され居なければ、村はとこしえに平和に、財産、家屋も安全であるのに、あの重右衛門がいるばかりで、この村始まって無いほどの今度の騒動。

 いっそ・・・

 とだれも皆思ったと覚しく、一堂の人々は皆意味有り気に眼を見合わせた。

 ああこの一瞬!

自分はこの沈黙の一座の中に明かに恐るべく忌むべく悲しむべき一種の暗潮の極めて急 速に走りっっあるのを感じたのである。

一座は再び眼を見合わせた。

「それ!」

と大黒柱を後ろに坐っていた世話役の一人が、急に顎で命令したかと思うと、大戸に近 く座を占めていた四五人の若者が、何事か非常なる事件でも起こったように、ばらばらと 戸外へと一散に飛び出した。

      *          *          *

 二十分後の光景。・・・

 諸君、その三尺四方の溝のような田池の中には、先刻火酔して人に扶(たす)けられて戸外へ出たかの藤田重右衛門が、殆ど池の広さ一杯に、髪を乱して、顔を打伏して、まるで、犬でも死んだようになって溺れているではないか。

「一体どうしたんです」

 自分は激して訊ねた。

「何アに、先生、えら酔殺たもんで、つい、はまり込んだだア」

 とその中の一人が答えた。

「何故揚げて遣らなかった! J と再び自分は問うた。

 誰も答えるものが無い。

(『蒲団・重右衛門の最後』(新潮文庫)155-7頁)

「いっそ……」(「殺してしまえj )

語り手の「自分」は村人の心の声を聞く。しかしそれは誰がいったのでもなく、また特定 の個人の心の声でもない。村人たちの共同の心の声である。そして「なぜ助けなかった」 という「自分」に質問にたいする、村人たちの「沈黙」。そのとき、村人たちは一体と なって私刑の秘密を沈黙の闇のなかに押し込める。

ここにおいて花袋は語り手という「暗箱」に映ったものを叙述する自然主義のスタイルからはみ出しているといえよう。聞こえない声、それも特定の個人の声でなく、村落共同体の語られない「殺してしまえJという声。それを花袋は小説のなかに取り込んだ。

もしこの方向がさらにすすめられるなら、それは村人たちの語られない声、個人ではな く、村の共同体がもつ、決して語ることのない深層に押し込められた、凶暴な声を拾い集 めることになってしまう。

しかしそれを追求しては花袋の「片恋Jに学んだ「写真」的手法は瓦解しかねない。

花袋はおそらく二葉亭四迷が訳したツルゲーネフの「猟人日記」を摸して、連作として書き始めたこの小説はこの一作をもっ て終わらざるをえなかったのである。

 ではこの共同体の声なき声、個人でなく集合的な人格の声、決してあからさまにされることのない、深層に埋もれている、しかし殺害を命じる声。これを取り上げ浮かび上がらせる作業は誰か引き継いだ者はいなかったのだろうか。

 私たちはそう考える時、柳田国男の民俗学に出会うのである。

やなぎた-くにお【柳田国男】

民俗学者。兵庫県の人。東大卒。貴族院書記官長をへて朝日新聞に入社。民間にあって民 俗学研究に専念。民間伝承の会o民俗学研究所を設立。「遠野物語」(明治4 3年(19 10) ) 「蝸牛考」など著作が多い。文化勲章。(1875-1962)

共同体の深層にある殺害の記憶と声

 柳田は「後狩詞記」42

 今の田舎の面白くないのは狩の楽しみを紳士に奪われたためのであろう。中世の京都人 は縻と犬とで雉子・鶉ばかりを捕らえておった。田舎侍ばかりが夫役の百姓を勢子にして 大規模の狩を企てた・・・大番役に京に上るたびに、むくつけき田舎侍と笑われても、 華奢・風流の香も嗅がず、年の代わるのを待ち兼ねて急いで故郷に帰るのは、まったく狩 という強い楽しみがあって、いわゆる山里に住む甲斐があったからである。殺生の快楽は 酒色の比ではなかった。罪も報いも何でもない。あれほど一世を風靡した仏道の教えも、 狩人に狩を廃めさせることのきわめて困難であったことは、「今昔物語」にも「著聞集」 にもその例証がずいぶん多いのである。

「後狩詞記」42

「殺生の快楽は酒色の比ではなかった。」

柳田は「遠野物語」において「異人」殺しをする村人を描いた。

またそれは個人の声であってはならない。あくまでも共同体員の共同の思いでなくてはな らない。そうした共同の声を潜ませているものとして選ばれたのが伝承なのである。それ は誰か特定の者が言ったのでもない。村人全体によって語り継がれ、語り継がれることで 村人全体の潜在的な意識を現すものなのである。

柳田はそうした「集合表象Jを叙述するために、独特の文体をとっている。

そこには柳田によるきわめて厳格な統制が働いている。その統制がめざしているのは、村 人たちのなかに埋もれている、「異人」への恐怖、そして「異人」殺害の記憶の発掘なの である。

柳田の山人論は山奥深く探ると始源としての殺意がみいだされるという構造になってい る。-沖縄論:海の彼方へ始源としての日本をとどる旅

「山の人生」序文:山奥には人間の根源的な欲望(殺意)が眠っている

今では記憶している者が、私の外に一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不 景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞で 斫り殺したことがあった。

女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情で あったか、同じ歳くらいの小娘を貰ってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。その子 たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつ も一合の米も手に入らなかった。最後に日にも空手で戻ってきて、飢えきっている小さい 奢の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥に入って?寝をしてしまった。

眼がさめて見ると、小屋のローぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。 二人の子供がその日当たりのところにしやがんで、頻りに何かしているので、傍らに行っ て見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いでいた。阿爺、これでわしたちを殺してく れといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうで ある。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落としてしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕らえられて牢に入れられた。

「山の人生J 93-94

欲望の喚起をする赤い光

諸君、自分はその夜更に驚くべく忘るべからざる光景に接したののである。.oo

自分が眼覚めた時には、既に炎々たる火が全室に満ち渡って、黒煙が一寸先も見えぬほど 這っていた。自分は、寝衣のまま、・・・戸外へと押し出された。

押出されて、更に驚いた。

夢ではないかと思った。

どうです。諸君。全村がまるで火!!! 鎮守の森の陰に一つ。すぐ前の低いところの一隅に 一つ。後に一つ。右に一つ。殆ど五六力所から、凄まじい火の手が上がって、それが灰色の雨雲に映って、寝惚けた眼で見ると、天も地も悉(ことごと)く火に包まれて了ったように思われる。雨は歇(や)んだ代わりに、風が少し出て、その黒烟とその火が恐ろしい勢で、次第にその領域をひろめて行く。寺の鐘、反鐘、叫喚、大叫喚!!

 自分は後ろの低い山に登って、種々の思想に撲れながら一人その悲惨なる光景を眺めていた。

 実際自分はさまざまな経験を為たけれど、この夜の光景ほど悲壮に、この夜の光景ほど荘厳に自分の心を動かしたことは一度も無かった。火の風に伴れて家から移って行く勢、人のそれを防ぎ難(か)ねて折々発する絶望の叫喚。自分はあの刹那こそ確かに自然の姿に接したと思った。

(『蒲団・重右衛門の最後』新潮文庫164-165

閉じた共同体のもつ異人への恐怖にみちた幻想:異人幻想 集団の「声なき声」:民間伝承

柳田国男『遠野物語』

閉じた共同性:民族国家をささえる幻想 異人への残虐さ戦時における残虐さ

本来、異人は交易へと開かれた存在である。それを恐怖する共同性はいわあ「閉じた」倫 理の支配する「閉じた共同体」と呼ばれるべきである。この閉じた共同性の称揚がなぜ行 われるのか。その蒙昧さを啓くのでなく、その恐怖の共同性を歌い上げるのはなぜか。

石尾の指摘によればこうした閉じた共同性は家産制下のライ卜ルギー経済のおいて称揚されるものである。諸共同体を統括する政体が疑似共同体の長として、いわば国家を「想像の共同体」として統括するとき、この閉じた共同性が持ち上げられ、開かれた倫理を放棄されるのである。

花袋のまなざし 放火-性欲=睾丸肥大(創作)

柳田のまなざし

ムラにおける集団的殺意の潜在

根源的殺害-ムラの集団的恐怖:笑いのない異人恐怖

佐々木鏡石の語り(ムラ人たちの観点) お化け話;哄笑との同居 を『遠野物語』として、村人の深層にある共同幻想を抽出したかのようにみせる。

(2)可視化される異常性・犯罪性

田山花袋は放火の原因として睾丸の肥大にみられる異常性欲を創作している。

こうした性欲から放火するという説を紹介しているのが、

呉秀三「放火狂を一証侯トシテ論ジ其二三ノ症例を挙グ」

(『東京医学雑誌』71893,pp.450-460,509-516,585-589,687-694,749-714,890-893,988-989

呉秀三は日本の精神医学の開祖とでもいうべき存在。

この論文は連続放火犯、永吉力松の精神鑑定の報告書。

ここで「放火ノ處行ヲ以テ一種ノ性慾ヨリ出ヅルモノトノ、狂疾ナキモ其疾性慾ノ為二此犯罪ヲナスモノアリトノ説ハ、嘗テ一時ニ行ハレタリ」と紹介している。

そして最後に永吉力松の顔の精密な銅版画を掲載している。

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この銅版画の意味は何か。

この連続放火犯の外見にその犯罪を引き起こす異常性を見出そうとしていないか。

チェザーレ・ロンブローゾ(: CesareLombroso 1835116 - 19091019)は、イタリア精神科医で犯罪人類学の創始者)

 犯罪生得説(犯罪者は生まれつき犯罪者でそれは頭蓋骨などの異常からわかる、という説)の提唱者

1876に上梓された『犯罪人論(L'uomodelinquente)』である。全3巻、約1,900ページにも及ぶこの大著において、彼は犯罪に及ぼす遺伝的要素の影響を指摘した。

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イタリアにおいてなぜこのような差別論以外の何者でもない議論がうまれたのか。

ここでイタリアという国が統一された過程を見てみると、

それは南部と北部との内乱状態を経ていることがわかる。

(ちょうどアメリカの南北戦争期と重なる、両国がウエスタンを生み出した理由か)。

「盗賊の顔つきをしている」者を虐殺しつくした将軍の語りは、ロンブローゾのそれと大差がない。

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  (東京書籍『世界史B2013,288-9頁)


南部とシチリア島の暴動

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ヒーローとしての山賊

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山賊ニコラナポリターノの死体の前でポーズをとるイタリア軍兵士1861 年から65年にかけて、全イタリア軍の3分の2ちかい兵士が南イタリアの治安維持のために配備された


 1860年以降の政府の最大の悩みの種は南部であった。晩年の力ヴール(彼は18616月に病に倒れ、急死した)も頻発する南部の暴動に悩まされたが、たいていの場合、軍によって鎮圧した。1860年代半ばまでには、政府が表向きは「山賊討伐」と呼んだ暴動鎮圧のため に、10万人ちかい兵士が動員された。南部の暴動や無法の横行は、たしかに犯罪であったが、改治的社会的な抗議でもあった。シチリア島民が新政府に猛反対したことの一つは、徴兵制だった。そのような制度は、それまでのシチリア島にはなかったからである。1862年の夏、ゴヴォーネ将軍はシチリア島で 徴兵忌避者を一斉検挙し、村全体を包囲して水の供給を断ち、「山賊らしい顔つきの者」は見かけしだい射段するという残虐な軍事行動を行った。この将軍は議会に喚問され、当時の作戦をたずねられたとき、殺しただけでは物足りないとでもいうように、シチリア.島民は未開人である、と暴言を吐いた。

(クスリトファー・ダガン著『イタリアの歴史』創土社2005年、197頁)


イタリア

欧米

日本

1647ナポリ、パレルモでスペイン支配に対する反乱

1674メッシナでスペインに対する反乱

1713ユトレヒトの和(スペイン領イタリアがすべてオーストリアに帰属)

1713スペイン、サルディーニャとシチリアを奪回

1720ハーグ和約(サヴォイア公、サルデーニャ王となる)

1737メディ家断絶

1764ナポリで大飢饉。ベカリーア「犯罪と刑罰」


1796ナポレオンのイタリア遠征(~97

1797チザルピーナ共和国成立。ヴェネチア共和国滅亡

1798ローマにローマ共和国成立。

1800ナポレオンのイタリア再遠征

1802ナポレオン、イタリア共和国大統領となる

1809ナポレオン、教皇領を併合

1814ナポレオン大尉、エルバ島に流刑。ウィーン会議(~15

1815ナポレオン百日天下。全イタリア、オーストリアの支配下に入る

1820ナポリ革命。シチリア革命

1821ピエモンテ革命

1831中部イタリア諸地域で革命。マッチーニ、「青年イタリア」を結成

1839イタリア初の鉄道(ナポリ―ポルティチ間)



1848パレルモの反乱。「ミラノの5日」の反乱。第1回イタリア独立戦争。

1849ローマ共和国政府樹立。フランス軍によりローマ共和国崩壊

1852カヴール、サルデーニャ王国宰相となる。

1855クリミア戦争に参戦

1857カヴール、パリ会議に参加

1857イタリア国民協会設立


18592回イタリア独立戦争

1860ガリバルディと千人隊のシチリア遠征。ガリバルディ、南イタリアをヴィッとーれ・エマヌエーレ2世に献上

1861イタリア王国成立


1860 政府軍、南部の「山賊」征伐(~65

1866シチリアで反乱










1911リビア戦争(~12)リビア併合宣言


19151次世界大戦にイタリア参戦

1919ミラノで「戦闘ファッシ」結成。ダンニツィオ、フィウメ占領

1922ファシスト、ローマ進軍。ムッソリーニ内閣成立

1925ムッソリーニ、ファシズム独裁宣言

1933産業復興機関(IRI) 設立

1935エチオピア侵略開始。国際連盟、イタリアに経済制裁決議

1938人種差別法成立

1939アルバニアを併合


1940日独伊3国同盟。イタリア参戦

1941伊独、ソ連、ついでアメリカに宣戦

1943連合軍、シチリア上陸。ムッソリーニ失脚

1944連合軍ローマ開放。北イタリアの主要都市の解放

1945ムッソリーニ処刑。パルチザン武装解除。第1次デ・ガスペリ内閣発足


1946国民投票により君主制廃止

1949北大西洋条約機構(NATO)創設に参加

1950南部開発公庫設置

1963第1次モーロ内閣(社会党入閣)

1970離婚法成立

1973共産党書記長ベルリングェル、歴史的妥協路線を提唱

1978「赤い旅団」によるモーロ元首相誘拐・殺害事件。妊娠中絶法成立

1991イタリア共産党解散


1651ホッブス「リヴァイアサン」


1701スペイン継承戦争(~14





1740オーストリア継承戦争(~48

1762ルソー「社会契約論」



1775アメリカ独立戦争

1789フランス革命













1830パリ7月革命


1838イギリス、人民憲章公表




1848フランス2月革命、ウィーン3月革命。ベルリン3月革命。マルクス、エンゲルス「共産党宣言」

1852ナポレオン3世即位

1854クリミア戦争(5456











1861アメリカ南北戦争(~65


1867オーストリア・ハンガリー帝国成立

1970普仏戦争(~71

1871ドイツ統一、パリコミューン

1873大不況始まる(~95

1877ヴィクトリア女王、インド女帝宣言

1887仏領インドシナ成立

1889パリ万国博覧会(エッフェル塔完成)




1914第1次世界大戦


1919パリ講和会議




1929世界大恐慌始まる

1933ヒットラー内閣成立

1936スペイン内乱




19392次世界大戦勃発

1940日独伊3国同盟








1947パリ講和条約


1949 NATO発足


1962キューバ危機

1965アメリカ、ベトナム北爆開始

1973パリ和平協定、ベトナム戦争停戦。

1986ソ連ゴルバチョフ書記長ゴルバチョフの「ペレストロイカ」路線

1989ベルリンの壁崩壊

1991湾岸戦争

1993欧州連合(EU)発足





1774前野良沢ら「解体新書」


1821伊能忠敬、日本地図を完成



















1853アメリカ使節ペリー浦賀に来航










1854日米和親条約










1867幕府・薩摩、パリ万国博覧会に参加


1868明治維新




1877西南戦争



1882松方財政(~85)によるデフレ不況により農民層の分解、農地の集中、中農層の没落、都市への流入

1894日清戦争(~95

1904日露戦争(~05

1910韓国併合


1918シベリア出兵


1925治安維持法、普通選挙法公布

1927金融大恐慌

1932 5.15事件

1933国際連盟脱退


1936 2.26事件

1937盧溝橋事件(日中全面戦争



1940日独伊3国同盟








1945敗戦



1951サンフランシスコ講和条約、日米安保条約調印

1960安保条約改定

1969学生運動激化

19702次安保条約改定


(3)ジョバンニ・ヴェルガGiovanni Verga18401922

 ゾラの自然主義文学の影響を受け、シチリアの現実を描いた(ヴェリズモ文学)

「グラミーニヤの恋人」:ヒーローとしての山賊に恋い焦がれてその子ども生む娘

「カヴァレリア・ルスティカーナ」:徴兵の間に嫁いだ恋人のとの関係に気づいた夫と決闘して死ぬ元狙撃兵

「赤毛のマルペーロ」:硫黄鉱山で父をなくし、自らも坑道の中に消えた赤毛の少年炭鉱夫

「羊飼イエーリ」:幼なじみのマーラとようやく結ばれた羊飼イエーリ。しかしマーラはおなじく幼なじみだった地主の息子ドン・アルフォンソの情婦だった。事態をようやく理解したイエーリは一瞬にしてドン・アルフォンソの首をかき切り、裁判官のまえに引きたらられた時「どうして!」と言った。「殺してはいけなかったの?・・・あいつがぼくのマーラを盗んだのに!」

「マラリア」:マラリアがすべてを奪っていく沼地で酒場のおやじは鉄道によってさびれた店をたたみ、信号夫となる。

「ルーパ女狼」:いつも腹をすかせている狼のように、情欲に飽くことのない女ルーパは、懲役帰りの青年を我がものとするために、娘とめあわせ、シチリアの真昼の小麦畑で、義理の息子となった男と愛欲をむさぼる。

田山花袋にも「一兵卒の銃殺」という作品があり、それは脱走兵の放火を描いている。

人々が、一種、けだもののようになってあい争う。「獣人」となった人々。しかし、それは動物への回帰でも、古代ギリシャへの回帰(D.H.ロレンス)でもなく、南部を搾取するかたちでのイタリア統一のもとでの、むき出しの人間性の現れにほかならない。

 田山花袋の小説と似たモチーフが現れるのは、国民国家形成という形で現れた近代化(そのもとでの「獣人化」)を両作家が描いているからにほかならない。


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by takumi429 | 2014-07-21 23:03 | 社会環境論 | Comments(0)

映画による共存在の幻想

島崎藤村『家』
写真と映像をつなぐ形で構成された小説
 家→(不成功に終わった)「家族」→死んでいく子
 家の崩壊
 

時間と空間が、写真によって切り取られ、
その写真の連続・集積として時空間が再構成される。

新聞 おなじ世界(国民国家)の中での出来事

写真 おなじ空間に同時に存在したことの証

毎日発刊される新聞。新聞の集積がその社会の時間の集積とのイメージになる。
その集積のなかに存在するばらばらの人々が、ひとつの時間をもつ社会の成員、とのイメージをもたらす。

写真の集積は、それに写された者たちが同じ空間を共有して時間を経てきたというイメージをもたらす。

同じ写真には写っていないが、おなじ「時空間」のなかにいたように思い込ませることができる装置、それが映画である。

映画は、想像の同時空間性をねつ造できる。

 クレショフの「観念的(創造的)地理」
「1920年、クレショフによって実現された実験の例は、二人のロシアの映画作家の以上のような考え方がまだ初期的なものにとどまっていることをしめしている。プドウキンの先生であり協力者であるクレショフは次のような場面を集めた。
1 1人の青年、左から右に行く。
2 1人の乙女、右から左に行く。
3 2人が出会って、手を握り合う。青年は手で空間の一点を指示する。
4 広い階段を持った白亜の大きな建物が見える。
5 2人の人物が階段をのぼっていく。
これらの断片の各々は、異なった一組のフイルムから引き抜かれたものであった。即ち最初の三つのカットはそれぞれ異なったロシアの街上で撮られたものであり、四番目のカットはアメリカの大統領官邸であった。しかし観客は、その場面をひとつの全体として知覚した。これこそクレショフが、観念的または創造的地理と呼ぶものである。」(アンリ・アジェル著『映画の美学』(岡田真吉訳)白水社1958年、92-3頁)。

ショット・アンド・リバースショット
カメラの目によって物語世界の中に入り込んだ錯覚を生じさせる。
主人公は観客の乗り物(だから透明感のある演技が望まれる)

映画は国威高揚のもっとも重要な手段とみなされた。
とりわけナチスと共産主義によって重視された
 例:民族の意志

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by takumi429 | 2014-07-13 21:35 | Comments(0)

家族写真という装置

 明治文学のおける写真
 1.はじめに
 明治後半になって日本は近代的な国民国家としての形をととのえる。明治近代は、鉄道、写真、地図などの さまざまな文明の利器(装置)をもたらした。そう した装置は人々の集団表象(イメージ)にどのような作用をもたらしたのだろか。そしてその作用は、国民国家としての「日本」の出現とどう関わっているのだろうか。
 この明治後半の時代にもっとも密着じたかたちで作家活動をしていた、当時の「前衛」作家であった、田山花 袋のいくつかの作品(および彼の同時代人の作品)を読 むことで、この問題について考えたい。
 具体的には、『田舎教師』のなかの「地図」の意味、「少女病」という作品のなかでの「市電」のもつ意味、『重右衛門の最後』におけるパノラマ的視線の意味、などを取り上げる。
 地理学的な「地図」が、国家のまなざしの下で従軍する臣民(主体)と、作家のまなざしの下で(地図の上を) 移動する小説の主人公(主体)、をつなぐ装置(しかけ) であることは、勝又[1995]とKatsumata [1995]で、明らかにした。
 本稿では、田山花袋の『生』と、花袋とともに自然主 義文学グルーブの一員でもあった島崎藤村の『家』とい う、二つの小説を、その作品の中に現れる家族写真に着目しながら、読む。そうすることで、「写真」という装置が人々の表象のありかたにいかなる影響を与えたのかを考える手がかりを得たい。

 2.小説『生』のなかの写真
 明治41年(1908年)、田山花袋は、『読売新聞』に「生」という小説を連載した。この小説は、花袋の母親(てつ)の死(明治 32年8月19日)にいたるまでに田山家に起きたできごと をほぼそのまま淡々と描いた作品である。小説の叙述は時 間の経過どうりに進む。おそらくたいていの読者は この小説のだらだらした進行にうんざりしてしまうだろう。しかしこの小説には、最後に、きわめて魅力的な場面が現れる。

「兄弟三人 三軒の家は一家のように睦しく往来した。…
今日は女達が三人お揃いで、九段の鈴木に行って記念の 写真をとらうといふのである。…
車なので、存外早く、午少し前には、三人は写真を撮っ てもう帰って来て居た。
写真屋の話が始まった。
一週間目に其写真が郵便で届いた。割合よく写って居 た。写真の話が一時三軒の家を娠やかにした。… 序に写真を蔵つて置く小箱が其処に届けられる。明治 の初年に大阪で撮ったといふ大小を差した父親の写真はもう黄く薄くなって居た。それに兄弟が三人揃って撮した少年時代の写真、誰れだか陥らぬ丸雷の女と一緒に撮った中年の頃の母親の写真、死んだ叔母の写真、嫂の 写真、総領の姉の写真は其頃はやった種板其まゝの硝子製で、木の框の壊れて取れたのを丁寧に母が白紙に包んで蔵つ置いた。其の他に昨年英男と一緒に寫した母親の写真が一枚あつた。兄弟は皆なそれを手に取って見た。「 (田山[1993:15-8])

 母親の死後、息子兄弟とその妻たちが一同に会する。 一週間前に「鈴木」という写真館でとった女達の写真が郵便で届き、それを見ながら、ふたたび「写真の話」が盛り上がる。それを機会に昔の家族写真が彼らの前に広げられる(相馬注[1972:379]参照)
 単調だった叙述に、映画のフラッシュ・バックのよう に、過去の家族写真が挿入される。そうして失われた 家族と失われた彼らとの時間が思い起こされる。

 3小説『家』の中の写真
 花袋の『生』とおなじように家の歴史を扱った作品 に、島崎藤村の『家』がある。明治43年(1910)から 連軟されはじめ、翌44年にまとめられた。この『家』という小説は、藤村自身の島崎家および彼の姉が 嫁いだ高瀬家という二つの旧家が崩壊していくことを描いた小説である。
 あらすじをみておこう。
 主人公三吉(藤村)は、旧家制度から自由な、恋愛結婚による新たな「家庭」homeを望んでいた。しかし彼と彼の妻は現実には見合い結婚であり、結婚後も三吉が望むように、恋愛結婚ではなかった。結婚前には、妻のお雪には勉、三吉には曽根という、それぞれ思いをかけた相手があった。盗み読みした手紙から偶然、お雪の勉へ 気持ちを知った三吉は、身を引いて、お雪と勉を「恋愛結婚」させようとするが果たせない。結局、勉はお雪の妹お種の夫になる。西欧流の「恋愛結婚」による家庭の形成という三吉の夢はもろくも崩れる。
 旧家から逃れ恋愛結婚による家庭をつくることに失敗した主人公三吉。彼の欲望は、三吉の家に手伝いに来ていた姪たちへと向かう。しかし姪たちは実家に帰り、近親相姦の危機を脱した主人公は安堵する。三吉が関係しそこなった姪のお俊は結婚する。橋本家の家長の達雄は出奔し、また跡継ぎの正太も死んで、この旧家は崩壊する。三吉の家は、旧家の重苦しさとは異なり、若人が集う家であったが、この三吉の家にしばしば来ていた正太も、死んでしまう。また三吉の3人の娘もすベて死に、さらに妻のお雪の死も暗示される。こうして旧家どうように、三吉の家庭も瓦解するのであった。
 この作品でも写真というものがきわめて重要な働きをしている。それを見ながらさらに写真というものの意 味について考えてみよう。
 島崎藤村の小説『家』ではすくなくとも十回、写真が登場する。それを以下一覧してみよう。カッコ( )は、モデルとなった実在の人物の名前。
(1)三吉(藤村)が橘本(高瀬)家を訪問したのを記念して、三吉と橋本家全員の記念写真が撮られる (上巻ニ)。
(2)橋本家から届いたその記念写真を小泉(島崎)家の人々が見ながら語り合う(上巻三)。
(3)三吉(藤村)とお雪(冬子)の新家庭のもとにお雪の妹お福が訪れる。三人でお雪の昔の写真と三吉の昔の写真を見る。その際、お雪の実家名倉家に奉 公人で、(じつはお雪が思いをかけていた)勉という青年の写真が出てくる(上巻五)。
(4)三吉の女友達の曽根について、三吉とお雪が語り合っている。三吉の話から彼が曽根の写真を見せてもらうような関係であることをお雪は知り、しおれる (上巻六)。
(5)三吉の姉お種(園子)が三吉の家を訪れ、お雪の実家の人々の写真を見る。その中には、かつてお雪 が思いをかけ、今は妹のお福の夫となって名倉家の養子となった勉の写真があった(上巻十)。
(6)妻の留守中の家事手伝いにきていた姪のお俊(いさ)に、叔父と姪の関係以上のものを求めそうになった三吉は、お俊が実家の兄の家から帰ってこないことに不安をおぼえつつ、死んだ娘のお房(緑) の写真をみる(下巻三)。
(7) 家事手伝いの姪二人が実家に帰り、三吉はほっとしながら死んだ娘のお房(緑)の写真をみる。写真のガラスに反射した彼自身の顔を見ながら三吉は内省する(下巻三)。
(8)三吉とお雪の家に姪や甥たちがあつまり、三吉は 記念に写真を撮ることを提案する。三吉は橋本家の跡継ぎの正太と写真におさまる(下巻七)。
(9)お雪がお俊の結婚写真を取り出す。三吉はお雪との夫婦生活を反省する(下巻八)。
(10)橋本家の跡継ぎの正太が死んだという電報が届く。お雪は、間近のお産に不安を覚えつつ、正太の 写真を取り出し、死んだ三人の娘の位碑の前において燈明をあげる(下巻十)。(お雪のモデルである藤 村の妻冬子は実際にこのあとのお産で死ぬ)。
 2つ旧家の崩壊は、記念写真をとる旧家全員(1)とそれを見る旧家の人々(2)から、跡継ぎの死(10)への移行によって語られる。
 こうして小説『家』のなかに出てくる写真の描写を取り上げてみると、じつはそれがそのままこの小説の概要 になっていることがわかる。
 ではなぜ写真の描写と取り上げると、それがそのまま 小説の概要になるのか。それはおそらく、藤村 がこれらの写真のいくつかを実際に時間順に並べ、そうしてこの小説を書いていったからだ、と思われる。だから小説の節目節目に藤村は写真の図像を織り込んでいる。 この小説の緊密な構成は、じつは写真という装置を活用したことから生まれている。

4.反復・回帰する時間から、行きて帰らぬ時間へ
写真の出てくる場面ををもうすこし詳しくみてみよう。
三吉(藤村)と橋本(高瀬)家全員の記念写真の場面(上巻ニ)。

「母親さん、写真屋が来ましたから、着物を着替えて下 さい。」
こう正太がそこへ来て呼んだ。
「写真屋が来た?それは大夕忙だ。お仙--峰の子は こうしておいて、ちゃっと着更えまいかや。お春、お前 も支度するがいい。」とお種は言った。
「嘉助 みんな写すで来いよ。」達雄は店の方を見て呼んだ。
記念のため、奥座敷に面した庭で、一同写真を撮ることになった。大番頭から小僧に至るまで、思い思いの場 処に集まった。達雄は、先祖の竹翁が植えたという満天星の樹を後ろにして立った。
「女衆は前へ出るがいい。」
と達雄に言われて、お種、お仙、お春の三人は腰掛け た。
「叔父さん、あなたはお客様ですから、もうすこし中央 へ出て下さい。」
こう正太が三吉の方を見て言った。三吉は野菊の花の 咲いた大きな石の側へ勤いた。
白い、熱を帯びた山雲のちぎれが、みんなの頭の上を 通り過ぎた。どうかすると日光が烈しく落ちて来て、撮影を妨げる。急に嘉助は空を仰いで、何か思いついたように自分の場処を離れた。
「嘉助、どこへ行くなし。」とお種は腰掛けたままで問いた。
「そこを動かない方がいいよ--今、大きな雲がやつて 来た。あの影になったところで、早速撮って貰おう。」と 正太も注意する。
「いえ---ナニ---私はすこし注文があるで。」
と言って、嘉助はみんなの見ている前を通って、一番日影になりそうな場所を択んだ。ちょうど旦那と大番頭 とは並んだ。待ち設けた雲が来た。若い手代の幸作、同 じく嘉助の枠の市太郎、みんな撮った。
(島崎[1967:254])

 大きな旧家というものは一種の経営体のようなものである。血縁者ばかりではなく、重要な使用人もその構成員である。だからのちに家長の達雄は出奔してしまった後、橋本家を支えるのこのは大番頭の嘉助である。こうした番頭までふくめた旧家の輪郭が写真によってくく られています。この場面にみられる華やいだ晴れがましさからわかるように、いわば写真撮影は一種の「祝祭」であり、それによって集団の結合の確認される。
 しかし家の「祝祭」には盆や正月などの儀礼もあった。かつての儀式はつねに反復され、反復 をされることで永遠へとつながっていました。家が永劫 に続くものとしてその同一性を確保するものであった。家族の統合を確認する機能は家族写真が果たすものになった。しかし写真に写された「今」という瞬間はたちまちのう ちに過ぎ去っていき、喪失惑をもたらす。儀式に よって反復される時間ではなく、つねに失われいく 「今』という瞬間の、その連なりとして、絶え間なく変化していく時間というものが、写真によって意識されるようになる。

 橋本から写真の着いた日は、実は用達に出て家にいな かったが、その他のものは宗蔵の部屋に集まって眺めた。
「達雄さんもフヶましたね。」とまたお倉が言った。… 故郷にあった小泉の家---その焼けない前のことは、いつまでもお倉にとって忘れられなかった。橋本の写真を 見るにつけても、彼女(お倉)はそれを言い出さずにいられなかった。
(島崎[1967:263])

「達雄さんもフケましたね」という言葉に現れたよう に、写真は見る者に時間の推移を鋭く突きつける。ここでは時間は反復されるものではなく、絶え間なく過ぎ 去っていく。さらに突きつけられた時間の推移 は失ってしまったものへの郷愁を呼び起こします。橋家の写真を見ながらお倉は失った「小泉の家」を思い出す。
 盆や正月の家族団らんや家と家との間にとりおこなわ れる結婚式などの「祝祭」儀礼はこうした喪失惑とは無縁である。それは年輪のように家の記憶を太くする。しかるに「家族写真」という「祝祭」は撮られた瞬間の「今」から絶えず遠ざかっていくことを意識させる。写真とは、「失われた時」を意識させる、そうした「装置」なのである。

 5.写真による小説の時間の形成
 この小説では、家族が経ていく「飴のようにのびた」時空間の流れを、瞬間において切断したその切断面が、写真となって最後に読者に提示されている。写真という装置によって、「失われていく今」の連続として家族の記憶はつくられていく。
 田山花袋の『生』での、「父親の寫真」、兄弟の「少年時代の寫真」、「中年の頃 の母親の寫真」、「死んだ叔母の寫真」、「嫂の寫真」、「総領の姉の写真」、「昨年英男と一緒に寫した母親の寫真」、これらはすべては失われた人々と失われた時間の記憶である。
 ほんらい、人間の記憶は、決して時間順の行儀よく。それも等間隔に整理されているわけではない。私たちは自分にとって重要なことなら、それがどんなにむかしのことでも昨日のように思い出す。そのかわり、さして重要でもないことはすぐに忘れる。
 だからこの花袋の『生』と藤村の『家』という小説のなかを流れている時間は、本来私たちが物事を思い出したり覚えている時間とは、異な形式の時間なのだ。そしてそうした時間を成立させているのが、この家族写真という装置なのである。
 この『生』の末尾で出てきた写真群全体をつなぐよう な、田山家の年代記とでもいうべき小説をのち(大正5 年)に花袋は書く。その小説の題名が『時は過ぎゆく』であるのは決して偶然ではないだろう。おそらく、この『生』でもちいた写真による過去の想起と写真による時間の配列・設定、その結果としての「ゆきてかえらぬ時の流れ」という小説のなかの時間性、の展開として小説『時は過ぎゆく』は位置づけられるだろう。


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by takumi429 | 2014-07-13 21:26 | 社会環境論 | Comments(0)

少女病

「少女病」:電車という名の欲望

「少女病」明治4051日の『太陽』発表

あらすじ

小説は郊外の貸家から代々木の停車場に向かう主人公の描写から始まる。主人公、杉田古城(「過ぎた固執」?)37歳、小説家。もっぱら少女小説を書いている。かつ ては一世を風靡したこともある。しかし清純な少女へのあこがれに終始するその作風は飽きられ、いまでは雑誌の編集でなんとか生活をしている。盛りを「すぎた』彼の の唯一の楽しみは通勤電車で美しい女学生を見、妄想にふけることである。彼は停車場ですでに女学校出の娘や女学生の姿を物色する。知人たちのうわさ話から、どうやら彼は、妻子持ちであるにも関わらず、オナニス卜であるらしいことが知れる。甲武電車に乗り、さらに市電へと乗り換える。主人公は車中で女学生たちを見、接触しながらうっとりとする。出社すると少女趣味を編集長にあざけられる。夢のない仕事と 生活に死にたいように気持ちになりながら、杉田は帰宅の電車に乗る。東京博覧会帰リ の客のために市電はたいへんな混雑。しかたなく彼は電車のデッキの真鍮棒につかまって乗っている。そのときもう一度会いたいと思っていた美しい女学生をガラスご しに見つけ、心を奪われる。しかし電車の加速に手をすべらした彼は、線路上に転がリ、反対方向から来た電車にひかれ死んでしまう。

女一覧

この小説の中では8人の女が登場する。それをまず出てくる順に列挙しよう。

1 「二十二三」歳ぐらいの「庇髪の女」。

「鴬色のリボン、繻珍(しゅちん)の鼻緒、おろし立ての白足袋」代々木停車場から「すくなくとも五六度は其女と同じ電車に乗ったことがある」。主人公はこの女の家まで突き留めている。

2  いつも代々木から牛込まで同乗する娘。

留針(ピン)を拾ってやったことがある。「白いリポン」はでな縞物に、海老茶の袴を穿いて、右手に女持の細い蝙蝠傘、左の手に紫の風呂敷包。

3  妻

「二十五六」歳ぐらい。「旧派の束髪」木綿の縞物の着物。

4 5

代々木からの車中での二人の娘。

年上の方は、「縮緬(ちりめん)のすらリとした膝あた から、華奢な藤色の裾(そで)、白足袋をつまだてた三枚襲の雪駄(せった)、ことに色の白い襟首」。もう「一人の肥った方の娘は懐からノウ卜ブックを出して頻りにそれを読み始めた。」

6

千駄ヶ谷駅から乗った「不器量な、二目とはみられぬような若い女」

「反歯(そっぱ)、 ちぢれ毛、色黒」

7

「見慣れたリボンの色」「四谷からお茶の水高等女学校に通ふ十八歳位の少女

8

かつて信濃町から一度だけ同乗し、もう一度逢いたいと思っていた令嬢。

朝の電車では見あたらず。帰宅のお茶の水からの甲武線(現在の中央線)で車中に発見。

「白い襟首、黒い髪、鴛茶のリボン、白魚のような綺麗な指、宝石入りの金の指 輪」。この少女にみとれて主人公は轢死。

 疑問(1) なぜ妻(3)とたいして歳も変わらない女1がでてくるのか。女1はすでの223歳で、「少女」と呼ぶにはあまりにとうが立ちすぎている。しかも主人公の妻(女3)は256歳。たいして歳も違わない。それなのに女1 に主人公は欲情し、妻には関心を失っている。「ちょっと変ではないか」。読者がそう思うのも無理はないだろう。

じつはそこが作者のねらい目だったと思われる。

 この小説を書いた田山花袋は当時、少女小説家であり、年齢も主人公と同じ37歳。 代々木の郊外に住み、博文館の編集者として甲武線(現在の中央線)と市電を使って通勤していた。それゆえ主人公は花袋自身をモデルにしているといって良いだろう。

 しかし花袋の妻の里さはこの明治40年に28歳。それに対してこの小説の主人公の妻は256歳で、花袋の妻より23歳若く設定されている。

 なぜ主人公の年齢が花袋と同じなのに、妻の年齢は若く設定されているのか。それは 主人公が欲情している女1とあまり年齢差がないことを読者に気づかせるためにほかならあない。そもそも、女1じたいが妻の年齢に近い女としてあえて登場させられていると思われる。

 なぜそんなことをしたのか。

 それは主人公の欲情が、単に「若い女」に対する欲望ではなく、あくまでも「電車で 出会う女学生」に向けられたものであることを示したいからにほかならない。

答え:女の若さではなく電車という空間で出会うことが主人公の欲望を喚起していることをしめしている。

郊外の家 妻   日常  生殖(子作り)

電車空間 女学生 非日常 オナニー

疑問(2) 「女学生」にどうして欲望を喚起するのか。

女学生(女子大生o女子高生):記号をまとった存在 束髪(庇髪)、ノウトブック、本、袴・・・

「女学生」=「女」+「学生』=欲望の対象+禁欲的勉学

「女学生」は「女」+「学 生という記号は二つの相反する記号からなっている。「女」は男にとってつねに「性的対象」を意味する。反対に「学生」は禁欲のイメージをもっている。つまり「女学生」とは「誘いつつ拒む」あるいは 「拒みつつ誘う」存在という記号である。つまり「イエス』と「ノー」との間を振り子のように動くもの、すなわちジンメルの言う「媚態」(コケットリー)をあらわす記号である。

ガラス越しの女学生とは、欲望の対象の提示と遮断なのである。この欲望の喚起は、ショ一、ウンドウの中の商品にも似ている。

対照表への追加

郊外の家 妻  生殖(子作り) 自発的欲望(need 日常品 家庭

電車空間 女学生 オナニー    喚起された欲望(want) 商品 ターミナルデパー卜

疑問(3)主人公はなぜ廣突にも小説の最後に死んでしまうのか。

一般の評

「少女病Jについては、「主人公の生活が十分現れず、その性格が不分明なところから、単に一個の病理的現象を書いたものという感がある。主人公の年齢が三十七八で子供の二人ある人とは受け取りがたい。結末主人公が電車から落ち死ぬるのも作為にすぎる」(片上伸「田山花袋氏の自然主義J明治414月『早稲田文学』)との批評 がある。たしかにこの作品は書き込みが足らず、筆致があらく、とりわけ主人公の描写にはひとりのみこみのところがある。特に最後の死は突飛で「作為に過ぎる」といえるだろう。(『明治文学全集67田山花袋集』「解題」吉田精一388頁)

轢死の遠因は、東京勧業博覧会からの帰リ客がどっと乗り込んだこと

「お茶の水から甲武に乗換へると、をりからの博覧会で電車は殆ど満員、それをむりに車掌のいる所に割り込んで、兎に角に右の扉の外に立つて、確りと真鍮の丸棒をつかんだ。」

直接原因は、反対路線を走る電車。

真の原因は、電車(鉄とガラスの箱)のなかの女への欲望

「美しい眼、美しい手、美しい…白い襟首、黒い髮、鴬茶のリボン、白魚のような綺麗な指、宝石入りの金の指輪---乗客が混合つて居るのと硝子越になつて居るのとを都合の好いことにして、かれは心ゆくまで其の美しい姿に魂を打ち込んで了つた。」

答え:女たちを乗せる交通(Verkehr)によって喚起された欲望に翻弄された主人公 はまさにその交通によって殺される。

Verkehr -s /-e

1. 交際、っきあい、交流、交渉

2. 交通、運輸

3. (貨幣・切手などの)流通

4.《婉曲に》(Geschlechtsverkehr) 性交 [mit jm.] verehelichen Verkehr haben [ …と]婚前交渉を持つ。

例えば、小説『ソフィーの結婚』で、収容所長が、子どもを救うために誘惑するソフィーにたいして「君とVerkehrを持ちたい!」とうめくシーンがある。

疑問(4)なぜ人物の持ち物が列挙されるのか---ガラス箱の中の女たち---

主人公「かれ」の目に映る「少女』たち。それはさまざまな部分へと細分された存在である。

「少女Jたちの描写をみてみよう。「栗梅の縮緬(りちめん)の羽織をぞろりと着た格好の好い庇髪の女の後姿」。また「鴬色のリボン、繻珍(しゅちん)鼻緒、おろし立ての白足袋」。あるいは、「はでな縞物に、海老茶の袴を穿いて、右手に女持の細い蝙蝠傘、左の手に紫の風呂敷包」。

女たちはさまざまな衣服や持ち物へと分解され、人格でばなく、むしろそした衣服と小物を展示するための白いマネキンのようでさえある。

主人公を死にいたらしめる女の描写をみてみよう。

「お茶の水から甲武[電車]に乗換へると、をりからの博覧会で電車は殆ど満員、そを無理に車掌の居る所に割込んで、兎に角に右の扉の外に立って、確りと真鍮の丸棒 をっかんだ。ふと車中を見たかれははツとして驚いた。其硝子窓を隔ててすぐ其処に、信濃町で同乗して、今一度是非逢ひたい、見たいと願って居た美しい令嬢が、中折帽子や角帽やインバネスに殆ど圧しつけられるようになって、丁度烏の群に取巻かれた鳩といったような風。」

「美しい眼、美しい手、美しい髮…白い襟首、黒い髮、鴬茶のリボン、白魚のよ うな綺麗な指、宝石入りの金の指輪--乗客が混合つて居るのと硝子越になつて 居るのとを都合の好いことにして、かれは心ゆくまで其の美しい姿に魂を打ち込んで了った。」

 電車は鉄とガラスの箱である。その箱の中に「中折帽子や角帽やインバネス」とならんで「令嬢」がいる。しかしいまや主人公の眼には、彼女は一個の人間というよリも、「美しい眼、美しい手、美しい髮…白い襟首、黒い髮、鴬茶のリポン、白魚のよ うな綺麗な指、宝石入りの金の指輪」という欲望を喚起する物の集積として現れている。

 電車という交通の機関によリ次々と登場する女たち。しかもそれは一個の人間であるよりも、むしろ欲望を喚起するさまざまな部分部分へと細分化され、主人公のまなざしがその細分化した部分の集列をなめるように移動していく。

 オナニス卜直接的交渉よリも想像のなかで実物の代償となるものイメージによって

欲望を喚起している存在==記号による欲望の喚起

例:糸井重里の『コピー塾』の投稿作品:「ぼくのお兄さんは『女子大生』という字を見 ながらオナニーしています。」

品物がそれが意味するものでなく、それ自身が輝く世界

商品のコマーシャルのためを見せるためにドラマなどの番組を放送する-商品自体が. 番組となる。

記号としての物がそれ自体輝き人を魅了する世界

使用価値ではなく、商品がそれ自体で輝く世界=記号の乱舞による欲望の喚起 記号の集積=商品の集積

人物がすべて衣服や髪型や持ち物によって表現される。人を表す記号としての品物がガラス箱のなかに溢れんばかりになっている。ショーウンドウのなかの商品

補足 痴漢はむかしからいた

明治45128日東京朝日の記事

●婦人専用電車

▽不良少年の誘惑予防

乃木大将もかつて、学習院女学部の生徒が電車に乗ると、男子が兎角生徒の体に触れたがって困ると、電気局員に語られたと記憶するが、

▲花電車を狙う   近来不良学生が、山手線沿道より市内各女学校に通う女学生のいずれも同一時刻に乗車するを機とし、混雑に紛れて或いは附け文、或いは巧妙なる手段を以って誘惑し、しからずとも女生徒の体に触れ、その美しき姿を見るを楽しみとする風がある。彼等はこの女学生の満載せる電車を称して、「花電車」と呼んで居るが、今回中野、昌平橋間に各駅から婦人専用電車を、朝の八時半前後と午後の三時半前後に数回運転せしむることに決定し、この電車を女学生が利用するようにと、お茶の水付属女学校、女子学院、千代田女子学校、双棄女学校、三輪田女学校、精華女学校等に対し通知し、来る三十一日より実施することになった。

▲女学生客の減少   右に就き中部管理局員は語って曰く、「外国の例は知らぬが、日本ではこれが最初である。兎に角名案たるに足るだろうと思う。これを運転せしむるに至った動機は、従来男女学生間の風儀を乱すような事が少なからず、牛込や四谷駅長からの申し出もあり、調べて見ると、女学生の客は次第に減って居る。そして遠いのを我慢して、車や徒歩で通学して居るものがだいぶあると云うことが判つたからである。婦人専用電車と去うのは、二台連絡する後のに婦人専用と札を掛け、前車には男子を乗せることにするつもりだ云々」と語った。


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by takumi429 | 2014-07-06 18:27 | 社会環境論 | Comments(0)