<   2014年 08月 ( 7 )   > この月の画像一覧

もしも映画論をもういちど講義できるなら

もしもまた映画論が講義できるなら
次の設問を与えて映画を見てもらおう。
1)『パリ・ジュテーム』「モンマルトル」

登場する二人はこの後どうなるでしょうか。

2)『ラ・ジュテ』

静止画だけからできた映画ですが、1ヶ所だけ動画がありますが、それはどこでしょう。その意味は何でしょうか。(私の答えも自信があるわけではないけどよくみてもらうために)。映画にでてくる年輪は何を意味しているのでしょか。
3)『めまい』

『ラ・ジュテ』と似たシーンが登場するしますが、それはどこでしょう。その意味はなんでしょう。あと繰り返しでてくる形(モチーフ)はなんでしょうか。
4)『ラン・ローラ・ラン』

『めまい』から借りたシーンや形がでてきますがそれは何でしょうか。
5)『サイコ』

途中で主人公マリオンに何かが起こりますが、そうした展開はなぜこの映画に必要だったのでしょか。
6)『12モンキー』

これは『めまい』ではなく、むしろ『ラ・ジュテ』のリメイクですが、なぜそう言えるのでしょうか。『ラ・ジュテ』には無いものはなんでしょうか。
7)『アメリ』アメリがいつも水切りをし、そのための石を大切なことの前に見つけるのはなぜでしょうか。セルフ写真機の回り出す丸椅子は何を意味するのでしょうか。写真の連続によってものが動いているように思わせ、物語を構成するのが映画だとしたら、こうした映画の原理が現れているシーンがいくつもあります。それはどれとどれとどれでしょうか。アメリが体現している精神は何でしょうか。
8)『羅生門』この映画の後、黒澤明は、集団脚本作成、マルチカメラという方法を用いますが、それはどんな方法だとおもいますか。この映画の特徴からそれを想像して答えてください。
9)『雨月物語』宮川一夫カメラマンの長回しが際立つ場面はどこですか、それを探してください。
10)『明日は来らず』途中でお婆さんが電話で話します。その声が大きいのはなぜでしょうか。また、映画の後半思いもかけない展開がまっていますが、それはなんでしょうか。車の売り手、階段の上のダンスホール、ラジオの放送などは何を意味しているのでしょうか。また、映画の後、二人はまた会えると思っているのでしょうか。

11)『東京物語』くりかえしあらわれるモチーフはなんですか。映画の最後の紀子の告白に性的な意味はあるのでしょうか。この場面によく似た場面を探して、それにこたえなさい。また『明日は来らず』との比較して、この映画のオリジナリティはどこにあると思いますか。


私の答え(忘れないうちに大急ぎで)(一部忘れてしまった(;_;)

(1)二人は結婚して子どもができる。車の車窓に順番に見える人々が、乳母車をおす母親、妊婦、恋人2人、そして運命の出会いのヒロインである。サイドミラーに映ったこれらの人々が移ることで、この順番は逆転する。ミラーに映らないことで主人公が異変に気づくのがこの運命の出会いのきっかけであり、この女性を送っていくだけかと思ったら、「待ちますよ」と言って送っていくだけでなく、治療のあとも待ち合わせるという発言になっていることから、主人公がこの女性と付き合おうと思っていることがわかる。こうして運命の出会いから二人の人生がはじまり、恋人時代→妊娠→子ども、へと進んでいくことが想像される。なお、逆転する時間というのはフィルムによって時間を写しとることではっきりと意識されるようになった時間のあり方である。

(2)ベッドで主人公を見つめるヒロインが瞬きする。まばたきは写真のシャッターを想起させる。この映画が静止画の連続である、つまり、一枚一枚、シャッターを切っていることとつながっている。

映画に出てくる年輪はフィルムの巻を意味する。もちろん、年輪は同心円でフィルムの間は螺旋なので完全には同一ではないが、年輪の外側、内側で別の時間にいることを語るのは、時間がフィルムに撮られ巻かれて保存されていることをふまえている。

(3)二人が年輪をみつめて、ここに自分がいる、そこにあなたがいる、という発言をするシーン。繰り返しでてるくモチーフは、うずまき。これはフィルムの巻、に類似している。

(4)三度繰り返しの冒頭のアニメのなかの螺旋階段。カジノでのブロンド女性の巻き髪の絵など。

5)主人公だと思われていたマリオンが突然殺されてしまうこと。映画の観客は主人公の眼を通して物語を観ていくので、ついつい主人公に感情移入をしがち。その結果、映画での「制限された語り」は主人公のレベルになりがち。主人公よりももっと観客のえる情報が制限されている、つまり主人公が観客のうかがい知れない面をもっており、観客はそれを最後に知らされる(『アクロイド殺人事件』の手法)には、この主人公への観客の同一化はジャマになる。それゆえ、最初、別の主人公に同一化させて、その主人王を殺すことで、観客の視線(同一化)を宙ぶらりんにすることにこの映画は成功している。

(6)時間が反復するだけでなく、主人公が過去の時間(過去の映像の集積=写真の連続のすきま)に入り込んでいるから。

(7)映画の編集とは必要な写真をピックアップすることだから。水切りのように。周り椅子はフィルムの巻をイメージしている。盲目の老人に周りの情景の部分を切り取り語ることで老人を素晴らしい世界の中にあると実感させる。管理人の元にある手紙の集積から都合の良い部分を抜き出して、配達されなかった虚構の手紙を編集した。などなど。アメリとは映画のモンタージュ(編集)の精神の化身なのである。

(9)一つの対象をマルチな視点からとらえ、それを適宜選択してつなぐ、という手法としては同じもの。

(9)京マチ子の舞から湖畔へとつながるシーンなどなど。

(10)歳を取って耳が遠くなっている、からではなくて、恋しい夫が(心理的に)とてつもなく遠くにいる、と感じているから。

急に不動産の男(長いコートが天使のつばさのよう)に連れられて、階段の上にある天国のようなホールでダンスする。声は天国からの声をイメージする。

(11)一番大事で、元ネタの『明日は来たらず』にないモチーフは、紀子に義理の母、つぎは義理の父(笠智衆)が話しかけるシーン。


紀子(原節子)の告白に性的意味はないのか。

死んだ息子のことは忘れて再婚して欲しい、という義父の言葉に「私、ずるいんです、夜寝ていると何かを待っているような気がするんです。そういうことはお母様には言えなかったんです」と言って泣く。私のつかった映画論教科書(Film:A Critical Introducton) によれば、映画の繰り返されるモチーフに注意せよ、とのこと。そこでこのシーンによく似たシーンはというと、紀子のセリフにあるように、義母とみ(東山千栄子)に再婚を進められるシーンがある。そこで、とみは紀子のアパートに泊まり礼を言う、「思いがけず、昌二(死んだ次男で紀子の夫)の布団まで使わしてもろうて」というとみの言葉に、紀子はうなじをかきあげる仕草、すこし身悶えしているようなとも思えるしぐさをする。亡き夫の残り香がある布団のことを言われてのこの仕草に、紀子が夫との性的営みを一瞬思い返していることをうかがわせる。また義父周吉との会話の前に、勤務校に出勤する京子を見送る紀子の姿のとなりに、盛りのまま立ち枯れそうな花が写っている。女盛りをあたら立ち枯せそうな紀子を象徴していると思われる。その直後に、「何か待っているような気がする」というセリフがあるのであるから、これはもう女盛りの自分を奪ってくれる存在を待っているのだという意味以外にとりようがない。
高橋治の『絢爛たる影絵』が直木賞候補になった時、選考委員が、「小津映画にやたら性的なものをみつけようとする解釈はどうも・・・」という批判があった。たしかに高橋本には、紀子の自慰までものべる小津の想像の会話が書かれており、読者はそこまでは考えすぎだ、と思ってしまう。しかし、この二つのシーンを比較すれば、このセリフに性的な爛熟を堪えきれなくなっている紀子の苦悩の告白を見るのは、むしろ正しい解釈なのだと言わざるを得ない。元ネタであるアメリカ映画『明日は来らず』と比較してみると、この紀子と周吉・とみの夫婦の血の繋がらない義理の親子の情愛とその描写こそが、この映画のオリジナリティだったと理解されるのだ。


[PR]
by takumi429 | 2014-08-31 09:18 | メディア環境論 | Comments(0)

映画の技法


 映画制作の三技法
・演出技法(mise-en-scneミザンセーヌ)
 (もともとは「舞台に乗せること、演出すること」)
 カメラの前に現れるもの(セットデザイン・照明・登場人物の動き)
・撮影技法(撮影すること、フィルムに収めること)
 カメラの位置
 カメラ動き
 ショットスケール(ショットの枠が切り取る空間の大きさ)
 一つのショットの長さ
・編集技法 フイルムを切ってつなぐ

セットデザイン
美術監督とは映画作品のセットや舞台装置をデザインしたり選ぶ人
美術監督から監督になったリドリー・スコットの「ブレードランナー」(1982)
CG(コンピューター・グラフィック)なしでこの統一的近未来の世界を創出。

演出技法と撮影技法を細かくみていくより、それをまとめるのに、大きく分けて2つの方向がある。それが、長まわしとコンティニュイティ編集の2つの方向である。

ショット/シーン/シークエンス
ショット:ある被写体を切れ目なく映し出すもの
シーン:一定の場所・一定の時間のなかで展開する出来事を示すショット群をまとめたもの
シークエンス:関連する出来事にまつわる複数のシーンをまとめたもの

シーンの表現法
・長回しの使用
・ディープフォーカスの使用
・コンティニュイティ編集の使用

長まわしとは
1つのショットの長時間にわたること
1940年代のハリウッド映画の1ショットの平均は9秒 (これより長いと「長回し」と感じられた)


ディープフォーカスとは
(前景・中景・背景といった)ショットの複数の面に同時に焦点を合わせて、複数のアクションが同時にフィルムに収められるようにすること
長回しとディープフォーカスは組み合わされる。
その典型がオーソン・ウエルズの作品『偉大なるアンバーソン家の人々』(1942)
演出技法から撮影技法への翻訳は最小限
 例示:映画の夜会の長まわしのシーン

コンティニュイティ編集
複数のショット(時間と空間の断片)を統合して時間と空間の統一性を作り出すこと
ルネッサンス絵画や19世紀演劇空間を映画の中で模倣しようとする一連の技法
観客が目に見えない第4の壁の位置に身を置くようにする。→180度の原則
連続性を確保するための技法
・アイライン・マッチ
登場人物がスクリーンの外の何かを見ると、切り返しがあって登場人物の見ているものが示される。見上げる主人公→駅の時計(主人公が見ていると観客は思う):主観ショット
・視点に沿った切り替え
登場人物が何か見ている
登場人物の視点からそのものが示される。
・アクションに沿った切り替え
アクションがなされるに合わせてショットから別のショットへの切り替えが起こる。
階段を降りる主人公→階段を降りてくる主人公
店先につっこむ車→車がつっこんでくる店の内部
・方向を合わせた連続性
ものの進む方向が一定している。
右から左に進んでいく主人公→さらに右から左に進んでいく主人公
観客に同じ方向から見ている気にさせる。

コンティニュイティ編集の利点
ショットの変化によって暗示される視点の変化を通して、監督が観客をアクションの内部へと完全に巻き込める。
例:ヒッチコック『汚名』のラストシーン

日本映画で長まわしを駆使した例として
溝口健二『雨月物語』の各シーン

日本映画で編集を駆使した例として
小津安二郎『東京物語』・『晩春』
冒頭の茶会のシーン:ゆったりとしてみえるシーンがじつは細かなカットを組み合わせて作られている。じつ小津映画は西部劇なみにカット数が多い(蓮見重彦の指摘)。
階段を上り降りするシーン:2つのカットが一息でつながって見える編集のたくみさ。
見事な編集能力を駆使して、時には方向を合わせた連続性などのコンティニュイティ編集の技法を時には踏み越えたりする。

映画の世界を構成する技法 
演劇 見えない壁から観客がみている。
映画 見えない壁と主観ショットのきりかえし
ショット・アンド・リバースショット
二人のショット→Aの話す顔→Bの話す顔→近づくAとB→Aのアップ→Bのアップ→接吻する二人
キスシーンと撃ち合いのシーンが多いのはこのショット・アンド・リバースショットの効果がもっとも現れるから。日本ではチャンバラがこれにあたる。
180度の原則 ショット・アンド・リバースショットは二人の登場人物のこちらから側だけから撮る。向こうからとると、AとBの位置が反対になってしまう。
 



[PR]
by takumi429 | 2014-08-24 21:38 | Comments(0)

『めまい』をめぐる映画群

ヒッチコック『めまい』をめぐる映画群

クリス・マルケル脚本監督の『ラ・ジュテ』(1962)
静止画の連続が映画なら、思い切って静止画(スチール写真)で映画を作ってみようという実験的試み
 この映画のリメイク:テリー・ギリアム監督「12モンキー」(1995)
主人公の時間移動とは、静止画の連続の中に別の静止画をすべりこませること。
時間はフィルムのロールの形となっている。
 年輪を見つめる二人 
 時間=年輪=フィルムのロール
 ヒッチコック「めまい」のシーンへの言及
 (映画は相互に参照しあう)
ヒッチコック『めまい』(Vertigo)(1958年)
高所恐怖症の元刑事は愛する人妻が鐘楼から身を投げて自殺するのをたすけられなかった。しかしその後、町でその人妻そっくりの女を見つける。そして、ふたたび鐘楼から落ちる女を男は見ることになる。
回帰し反復する時間ロールとなった時間

映画における編集
180度の原則 二人を撮り、次に交互に人物を撮る、さらに接吻する二人をアップで撮る。登場人物やその恋人になったような観客の感情移入を生む。
クロス・カッティング 走る来るKKKの映像と男に襲われそうになっている娘の映像を交互に撮る。娘の救出にむかうKKK

ジャン=ペエール・ジュネ監督『アメリ』(2001年)
(原題:Le FabuleuxDestin d‘Amélie Poulain 「アメリ・プーランの素晴らしい運命」の意)
編集は写真の断片を拾い集めて、ありもしない、でもあり得るかもしれない現実を作り上げる。
例:証明写真機に残された写真から恐ろしい人物を構築。手紙の断片を切り抜いてつなぎ合わせて妻への愛の手紙を作り上げる。
現実を編集し新たに組み立て新しい人生へと旅たつ主人公

映画とは(暫定的定義)
映画とは、編集によって、新たな、見たこともないような、すばらしい、恐ろしい、すてきな現実を作り上げる、そうした芸術である。


[PR]
by takumi429 | 2014-08-24 21:23 | メディア環境論 | Comments(0)

物語の構造

映画の物語の構造には、(1)物語の中身、と(2)物語の語りとがある。

(1)物語の内容(ストーリー、ファブラ)物語(narrative)は、因果関係や動機づけによってかたちづくられる。多くの場合、冒頭部(発端となる均衡状態)中間部(均衡の崩壊・過渡期)、結末部(均衡の復元)、という構造を持ち、たいていは主人公の成長・衰弱・死などの変容をともないます。

 この部分は、メディアへ移植可能な内容 時間順に起きる出来事 ABC
 物語の中身。映画だけでなくて、小説でも、マンガでも、アニメでも、RPGでも、移植して表現できる。

例 レ・ミゼラブル(元小説)ミュージカル、映画、マンガ・アニメ

指輪物語(元書物)映画 変形・派生体としてのロール・プレーイング・ゲーム

物語の世界 背景と登場人物(キャラクター)背景・ABC・・・

 移植された物語は「別伝」「スピン・オフ」となる。


(2)物語り(ナレーション、シュジェート)
 どのように観客に提示するか。 CBA

 どの視点から語るか 

(1)全知の語り(俯瞰視点・ゼロ焦点化):語り手は作中人物の誰かが知っている、ないしちかくするよりも多くを知っている、ないし物語る)。神(全知全能)の視点から語る。全知の語りでは、登場人物の視野に限定されず、観客は登場人物の誰よりも多くのことを知っており、その結果、サスペンス(はらはらどきどき)が生じる。

(2)制限された語り:限られた視点からの限られた情報だけが観客につたえられる。

①一人の登場人物の視点から物語られる(共有視点・内的焦点化)。語り手は、作中人物が知っている以上のことをかたらない。観客は登場人と同じことしか知らず、その結果、他の人物や出来事にたいするミステリー(なぞ)が生じる。例:漱石『三四郎』「ストレイ・シープ」

②出来事や人物の表面しか語らない(外在視点・外的焦点化)。語り手は、作中人物が知っているよりもわずかしか語らない。その結果、主人公にたいしてもミステリー(なぞ)が生じる。例:ヒッチコック『サイコ』観客が視点を共有する女主人公を殺すことで、だれとも同一化・共有できない視点から見ることを観客に強い、その結果、主人公の青年がなぞをもつ存在となる。

 物語の中の時間がどのように流れるのか

 どのように観客に提示 CBA
 どんな順番に、どんなスピードで語るか。 さかのぼったり、ハショッたり、ゆっくりしたり。配列・持続・頻度。


[PR]
by takumi429 | 2014-08-24 21:04 | メディア環境論 | Comments(0)

Ⅱ.パラパラ写真として映画

映画とは、24コマ/秒の静止画の連続(サイレント時代は16コマ/秒)
 目の錯覚で動いて見えるだけ
マイブリッッジの走る馬の連続写真Eadweard Muybridge, Galloping Horse1878

GIFアニメーションで動かしてみると、

階段を降りる裸婦

これもGIFアニメーションにしてみると、











クリス・マルケル脚本監督の『ラ・ジュテ』(1962)
静止画の連続が映画なら、思い切って静止画(スチール写真)で映画を作ってみようという実験的試み
 この映画のリメイク:テリー・ギリアム監督「12モンキー」(1995)
主人公の時間移動とは、静止画の連続の中に別の静止画をすべりこませること。
時間はフィルムのロールの形となっている。
 →年輪を見つめる二人 
 時間=年輪=フィルムのロール
 →ヒッチコック「めまい」のシーンへの言及
 (映画は相互に参照しあう)
ヒッチコック『めまい』(Vertigo)(1958年)
高所恐怖症の元刑事は愛する人妻が鐘楼から身を投げて自殺するのをたすけられなかった。しかしその後、町でその人妻そっくりの女を見つける。そして、ふたたび鐘楼から落ちる女を男は見ることになる。
回帰し反復する時間←ロールとなった時間

映画における編集
180度の原則 二人を撮り、次に交互に人物を撮る、さらに接吻する二人をアップで撮る。→登場人物やその恋人になったような観客の感情移入を生む。
クロス・カッティング 走る来るKKKの映像と男に襲われそうになっている娘の映像を交互に撮る。→娘の救出にむかうKKK。

ジャン=ペエール・ジュネ監督『アメリ』(2001年)
(原題:Le Fabuleux Destin d‘Amélie Poulain 「アメリ・プーランの素晴らしい運命」の意)
編集は写真の断片を拾い集めて、ありもしない、でもあり得るかもしれない現実を作り上げる。
例:①証明写真機に残された写真から恐ろしい人物を構築。②手紙の断片を切り抜いてつなぎ合わせて妻への愛の手紙を作り上げる。
現実を編集し新たに組み立て新しい人生へと旅たつ主人公

映画とは(暫定的定義)
映画とは、編集によって、新たな、見たこともないような、すばらしい、恐ろしい、すてきな現実を作り上げる、そうした芸術である。



[PR]
by takumi429 | 2014-08-24 19:11 | メディア環境論 | Comments(0)

Ⅰ導入 映画の物語世界

映画の物語世界がどのように構築されているか、まず具体的に

『パリ、ジュテーム』(Paris, je t'aime)(2006年)というオムニバス映画の、
モンマルトル(18区) Montmartre
監督:ブリュノ・ポダリデス/出演:ブリュノ・ポタリデス、フロランス・ミュレール
を見てみることにしましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=EwOy9kfHZro



まんぜんと見ていてもなかなか見えてこないものですから、問いをたててみることにしましょう。

まず次の問いに答えるよう、1回見てください。
問い1 主人公とヒロイン、この男女はこの後、どのようになるでしょうか。つぎのなか選びなさい。
①男は女性を医者に送っていって、それきりになる。
②男と女は恋人同士になる。
③男と女は結婚して子供をつくる。
④この映画だけからは何も言えない。

では次の問いに答えるよう、もう一度見てください。この問いに答えると、問い1の答えがわかってきます。

問い2
この映画ではちょっとおもしろい仕掛けがでてきます。それはなんですか。その仕掛けに映るものはなんですか。その仕掛けに映るものの前に見えたのは何ですか。それらはなぜその順番になっているのですか。

さらにもう一度見て、次の問いに答えてください。(これはむずかしい。私なりの解答を後で提示します。答えが不確定なのは、解釈がさまざまにあり得るからではなくて、私の読み(解釈)がまだ不十分だからにすぎません。みなさんのお力をお貸しください。じつは問い1も、以前見せた受講生の皆さんからの回答で気づいたものです)。問いはすべて、ある解釈へと導くようになっています。

問い3 自動車のなかに運ばれた女性は、なぜ「音楽を止めて」というのでしょうか。(あるいは監督はなぜ、そう言わせたのでしょうか。
問い4 主人公にとってこの車とは何なのでしょうか。(車は車だよ、という答えではだめです。あなたにとって、携帯とは何か、というのと同じ種類の問いだと思ってください)。
問い5 二人が話しだした後に、「チンチン」という音が鳴ります。これは何の音ですか。
問い6 車が走り出すと、以前、車内で流れていた音が、物語世界の外から流れてきて、映像全体をつつみます。これは何を意味するのでしょうか?
問い7 この映画の音に着目すると、この物語についてどんな事が言えますか。

私の回答は6行下を見てください。

なお、断片的なカットと写真を組み合わせて、音楽とナレーションをつけて、宝塚メディア図書館の習作CMを、仲間と作ったことがあります。参考までにアップしておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=ZYyPI6v6Rus&feature=youtu.be

さて、私の回答
問い1 ③。①は「待つのはかまいません」という発言からありえない。あとの理由は問い2を見よ。
問い2 サイドミラーに女性が映らないので驚き車から出た。
車内から見えた通行人:①乳母車を押す母親、②妊婦、③恋人同士、④出会うことになる女性。
ミラーからは反対に映るわけだから、④→③→②→①の順になる。つまりこの出会いは二人が結婚して子供を作るというふうに進むことを暗示している。
問い3 ひとりぼっちの車をお気に入りの音楽で満たしている主人公に対して、その孤独に浸っていないで、私と話し合ってほしいという気持ちの表れ。
問い4 主人公の孤独な世界=車空間
問い5 モンマルトルの汽車の形をした観光バスの鳴らすベルの音。映画の最初にも、「道を空けてくれ」、という意味で鳴らしている。だが、そのときは主人公は駐車するのに必死でまったく聞こうともしなかった。
問い6 外の世界の音が、それまで閉じていた主人公の車の中に入り込んでくる。女性とであったことで、孤独な青年の外界との和解を感じさせる。

まだまだ、意味不明な所もあるけど、それはどのようにも解釈できるのではなくて、まだ私の解釈がゆきとどいていないだけのことです。より全体が明らかになり見えてくるような解釈(よりよい解釈)があったら教えてください。文化研究はよりよい解釈、より妥当する解釈を、厳密に(恣意的でなく)求めていく、まじめな厳格な学問です。文系学問を「好き勝手言っているだけ」と思っている人間は、単にものを知らない、それこそバカが好き勝手言っているだけのことです。
映画は、けっして「感じ」で作ったりはできません。全部、きちんと設計し計算して人や物やカメラを動かしカットを撮り、それをつなぎ合わせ、音をかぶせていきます。

物語世界とその語り方
(1)物語の内容(ストーリー、ファブラ) 物語の他のメディアへ移植可能な内容
①時間順に起きる出来事 A→B→C
 物語の中身。映画だけでなくて、小説でも、マンガでも、アニメでも、RPGでも、移植して表現できる。
例 レ・ミゼラブル(元小説)→ミュージカル、映画、マンガ・アニメ
指輪物語(元書物)→映画 変形・派生体としてのロール・プレーイング・ゲーム

②物語の世界 背景と登場人物(キャラクター)背景・A・B・C・・・
 移植された物語は「別伝」「スピン・オフ」となる。

(2)もの語り(ナレーション、シュジェート)
  どのように観客に提示するか。 C←B←A
   どの視点から語るか 主人公の視点から・神(全知)の視点から・表面だけしかわからない視点から
   例 『アクロイド殺人事件』物語は実は犯人だった男の手記として語られる
   どんな順番に、どんなスピードで語るか。 さかのぼったり、ハショッたり、ゆっくりしたり。


[PR]
by takumi429 | 2014-08-23 19:09 | メディア環境論 | Comments(0)

映画論(2014年)概要

映画論 講義

午前(1040~)

午後(1300~)

パリ・ジュテーム(6分×3回)ラ・ジュテ(28分)

めまい(130分)

ラン・ローラ・ラン(81分)

12モンキー(130分)

サイコ(109分)

アメリ(121分)

羅生門(88分)

真昼の決闘(85分)

雨月物語(97分)

明日は来たらず(92分)

東京物語(136分)

感想とエッセイ:「私が好きな映画」

毎講義の後、学籍番号・氏名と質問/感想を書いたレスポンス・カードを提出。

評価:レスポンス・カードと感想・エッセイによる

映画論 

Ⅰ導入 「モンマルトル」『パリ・ジュテーム』

 映画はさまざまなカットを意識的に組み合わせた構築物である。

Ⅱ映画は「パラパラ写真」

 『ラ・ジェテ』スチール写真だけでできた映画 視覚運動的錯覚・物語的錯覚

Ⅲフイルムを回せ! 『めまい』をめぐる映画群

1)『めまい』反復するフィイルム的時間

2)『ラン・ローラ・ラン』反復可能な時間 オマージュとしての映画

3)『12モンキー』可逆的・挿入変更可能な時間の流れ

間奏曲:『サイコ』 観客の乗り物としての主人公 宙吊りにされる観客の主観

Ⅳ『アメリ』映画による映画論 写真を選び配列し直すことでの新たな物語の形成

Ⅴカメラを回せ!

1)『羅生門』さまざまな登場人物からみた事件→集団脚本制作・マルチ・カメラ

2)『真昼の決闘』三一致の法則 ショット・リバースショットの独壇場としての西部劇

3)『雨月物語』舞う歌うカメラワーク

4)『東京物語』のオリジナリティ

  ①『明日は来たらず』(『東京物語』の元ネタ) 家族の崩壊を描くホームドラマ

  ②『東京物語』西部劇並みのカットとそれを意識させないコンティニュイティ編集

    平凡な人生を緩むことなく描き切る


[PR]
by takumi429 | 2014-08-14 02:28 | 映画論 | Comments(0)