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出エジプト 地図

http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1102003110
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by takumi429 | 2015-04-26 15:55 | 社会環境論 | Comments(0)

アブラハムの旅

http://www.moriel.org/Sermons/Japanese/Abraham%27s_Journey-Japanese.pdf

http://theologia.blog21.fc2.com/blog-entry-146.html

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by takumi429 | 2015-04-26 15:47 | 社会環境論 | Comments(0)

古代ユダヤ年表

年表 (Metzger1963訳書参照)

前19-17世紀 <族長時代>

前13世紀 <モーゼ時代>

前13世紀後半 イスラエル諸民族カナン侵入・定着(?) 「契約の書」

前12-11世紀 <士師時代>部族連合、戦時における大士師の指導 

前1000頃

前961 

前926 王国分裂

「デボラの歌」ペリシテ人(鉄器を持った海の民)の東進、

シロの神殿を破壊

<王国時代>

ダビデ即位

ソロモン即位

<南北分裂王国時代>

北王国 

前900頃 ヤラベアムⅠ世、ベテルとダンに金の牛の像を起き、聖所とする。オムリ王、サマリア845 エヒウ革命(預言者エリヤとに遷都。
カナン宗教蔓延 預言者エリア

エロヒスト」(H)

王母アタリアの独裁と死
預言者エリシャ

エリシャに指導された抵抗運動の指導下に,エヒウが〈ヤ
ハウェ主義革命〉を起こし,オムリ家を打倒)


南(ユダ)王国  
前850頃

845 エヒウ革命(預言者エリヤと

840 祭司による宗教粛正

前800 両王国の繁栄と社会的退廃

前733 シリア・エフライム戦争

前721 アッシリア軍によりサマリア

アッシリアに従属 反アッシリア同盟に属する

前721 アッシリア軍、エルサレム包囲 アッシリアへの従属 

前609  メギドの戦い ヨシア王の死         

前597 新バビロニア王ネブカドネザルの軍、エルサレム包囲 

前578 新バビロニア軍によりエルサレム陥落、神殿崩壊 

<単一王国時代>

ヒゼキア王 宗教粛正 アッシリアへの反乱

預言者イザヤ(後期)「エホウィスト」(J+H)

アッシリアの衰退 ユダ王国の一時的独立 

ヨシア王(前640-609) 申命記改革 ヤハウェ原理主義 

エルサレム礼拝独占、「申命記」文書(D) 成立
                     

預言者エレミア(前期)

エジプトの支配

新バビロニアの支配              

預言者エレミア(後期)

第一次捕囚 (上層民をバビロンに連行)

第二次捕囚 預言者エゼキエル

<捕囚時代>

捕囚地バビロンで「神聖法典」(レビ記17-26章)「祭司文

書」(P) 成立 預言者第二イザヤ

<ペルシャ時代>

前539  ペルシャ軍によりバビロン陥落

前538 ペルシャ皇帝キュロスⅡ世の勅令により第一次帰還

前538 ペルシャ皇帝キュロスⅡ世の勅令により第一次帰還

前515 サマリア人の援助を断り、その妨害に耐えて神殿を再建。

前458 ネヘミア、ユダヤ州の知事として着任。城壁再建、社会改革

前430 エズラの宗教改革進展。

エルサレム神聖共同体を確立。大祭司・長老組織による行政

「モーゼ五書」(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・

申命記)成立。

前331 アレクサンダー大王によりペルシャ滅亡

都市の王や貴族によって抑圧され奴隷にされることに抵抗し都市から逃げ出したカ
ナンの人びとは、同じようにエジプトの王の元から逃げてきたモーゼがもたらした
ヤハウェという神を受け入れ、このヤハウェの名の下に立ち上がり、イスラエル人
を名乗り、王侯貴族を打倒した。ところがみずからの国をつくるとふただび王がう
まれ人びとを搾取し隷属させようとする。王制を批判する人びとは、人びとを開放
した戦争神ヤハウェを持ち出すことで王制を批判する。イスラエルがその両側にあ
る大国によって滅ぼされると、民衆解放の神ヤハウェをないがしろにしたからであ
ると預言者は訴えた。預言はさらに、ヤハウェはエジプト、アッシリア、新バビロ
ニアの帝国をも操って、自らの神殿さえ壊して、イスラエル(のちにユダヤ)の人
びとを罰するのだと訴えた。その結果、ヤハウェ神は、世界を支配する神となり、
バビロン捕囚後には、唯一絶対の神となった。こうして、ただ1人の神を崇拝する
一神教がうまれた。

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by takumi429 | 2015-04-26 04:17 | 社会環境論 | Comments(0)

カルヴァンの生涯

カルヴァンの生涯

1509:フランスのピカルディーで誕生(ルターの26年後)。ドゥメルグによれ

ば、ピカルディー人は自由解放の精神に富んだ船乗りたちで、「勇敢にして短

気なピカルディー人」という慣用句がある。カルヴァンは怒りっぽい性格だっ

たと言われるが、自身の多くの書簡に「私は短気であることを告白します」と

いう文章がある。

1523:聖職登録し、パリへ遊学。

1529:父の意志により法律の勉強に転向。

1531:父の死により、生来の希望である古典文学研究者(ユマニスト)になり、文

学、古典文学の研究に没頭。

1532:『セネカ寛容論の注解』を刊行。世に知られるようになる。

1533:友人ニコラ・コップ、パリ大学総長就任演説に際して福音主義を説き、

教会を追われ亡命。この演説草稿を書いた疑いによりカルヴァンも亡命。

1534:回心を体験、福音主義陣営に入る。故郷に戻り聖職禄を辞退。パリで「

檄文事件」(教皇のミサの誤謬を攻撃したビラが、国王の寝室にまで貼られた

)が起き、数十人が処刑される。カルヴァンはバーゼルに亡命。

1536:バーゼルで『キリスト教綱要』初版本(ラテン語、全6章)を刊行。

   ついでフランス語版が刊行される。フェラーラからバーゼルへの帰途、

   戦乱のため道が通行止めになりジュネーブを経由。この地でファレルに

引き留められ、ジュネーブの宗教改革のために働く。

1538:教会改革についてジュネーブの当局者たちと意見が合わず、追放され、

ストラスブールへ。亡命者のためのフランス教会を建てる。

1540:3人の子を持つ未亡人イドレットと結婚。

1541:改革に失敗し、無政府状態となっていたジュネーブへ、再び招聘される


1547:過労のため悪性気管支カタルを疾病。生涯過度の徹夜により体力を酷使

。不断の偏頭痛のため口を開けられない状態が続く。

1553:三位一体を否定するセルベトスを告発。(市議会は火刑を宣告。

   カルヴァンは火刑を免れさせようと努力するが火刑が執行される)

1556:肋膜炎、肺結核に襲われる。

1559:ジュネーブ大学を創立。

1564:7つか8つの病気と戦いつつ死去。

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by takumi429 | 2015-04-26 04:13 | 社会環境論 | Comments(0)

マルチン・ルターの生涯と思想

マルチン・ルター

ルッターの生涯

 ここでルタ-の略年譜をあげておきましょう(徳善1912参照)

1483年(0歳)アイスレーベンで誕生(11月10日)

1501年(18歳)エルフルト大学教養学部に入学

1505年(22歳)法学部に進む。落雷を受けたのを着にアウグスティヌス修道院入


1507年(24歳)司祭となる。神学研究を始め、講義も一部担当とする

1507年(28歳)ヴィッテンベルクへ移る

1512年(29歳)神学博士、ヴィッテンベルク大学生聖書教授となる

1513年(30歳)第1回詩篇講義。塔の体験(1514年?)

1515年(32歳)ローマ書講義。[教皇レオ10世、ドイツでの贖宥状(しょくゆう

じょう)販売を許可]

1517年(34歳)95箇条の提題(10月31日)

1518年(35歳)第2回詩篇講義、ハイデルベルク討論、アウグスブルクで異端審

問を受ける

1520年(37歳)『キリスト教界の改善について』『教界のバビロン捕囚につい

て』『きシルト者の自由について』など、宗教改革的著作を相次いで出版。教

皇庁、破門脅迫の大教勅を発する

1521年(38歳)正式に破門される。ウオルムス喚問、帝国追放を宣告され、ワル

トブルク城に保護

1522年(39歳)ヴィッテンベルク町教会で連続説教。新約聖書のドイツ語訳を出


1523年(40歳)改革運動を開始

1525年(41歳)農民戦争。カタリーナ・フォン・ボラと結婚。『奴隷的意志に

ついて』を出版

1530年(47歳)アウグスブルク信仰告白を提出

1531年(48歳)ガラテヤ書講義

1534年(51歳)旧約聖書のドイツ語訳完成。『旧新訳聖書』として出版

1536年(54歳)創世記講義(~1545年まで継続)

1546年(63歳)アイスレーベンで死去(2月18日)

 ルタ-がドイツ語を作った

 ルタ-が聖書をドイツ語に翻訳した、というと、すでに共通のドイツ語があ

って、それへ翻訳したように思えます。しかし、じっさいには、大きくは低地

ドイツ語と高地ドイツ語に分かれる、さまざまな方言がしゃべられていたので

す(現在でもドイツのの方言はかなりの違いがあります)。文章語としては神

聖ローマ帝国の公用語はラテン語でした。だからルターが高地ドイツ語で聖書

を訳し、それが活字となって読まれることで、この高地ドイツ語がドイツの標

準語となったのです。

ヴェーバーの論文との関連でいえば、ルターの生涯で大きなポイントは、ルタ

ーがもともとアウグスティヌス修道会の修道士だったという点です。

西洋キリスト教の歴史において、それまでのゲルマン人をキリスト教化する大

きな推進力は、修道会と教会でした。

ローマの教会は当初はいつくかある大都市の有力な教会の一つにすぎませんで

したが、次第に力を強め、ローマ帝国の後継者としてゲルマンの王に皇帝の冠

を授けるという役割を演ずることで、(ビザンチン帝国のギリシャ正教をのぞ

く)いわゆるカトリックの世界において頂点に立ちます。

 このいわば、体制側とでも言うローマ教皇を頂点としたカトリック教会は、

領民から10分の1税を徴収する、教会が属するピラミッド型の組織でありま

した。

 かたや、修道会運動は初期キリスト教の理念の従った清貧と信仰の集団とし

て、民衆の尊敬を受けていました。(修道会はどうじに学問と技術革新の場で

もありました。ルターは修道会で学問をまなび聖書教授となりましたし、たと

えばシャンパン・ワインというのは修道士が発明したものです)。教会の腐敗

と堕落が蔓延するたびに、キリスト教内部からはいくつもの修道会運動がおこ

ります。修道会は、禁欲的に労働と祈りをもっぱらとする集団として現れまし

た。しかし、それは時にはあまりに極端となると、ローマ教皇を頂点とするカ

トリックの教会組織を脅かしかねない存在として現れます。カトリック教会は

極端でないものは、正統としてのお墨付きを与えて、自らの組織のなかに組み

込みますが、極端なものは異端として弾圧しました。

修道士たちの良き行いによる業績は「教会の宝」としてプールすることができ

るとしました。このプールされた「教会の宝」としてローマ教皇の裁量でほか

の人々に分け与えることができるとされました。教皇から宝を分け与えれられ

た人は、罪の償いを免じられる。こうして教皇が教会の宝を与える証明書が「

贖宥状」でした(徳善2012,p.64)

 しばしば「免罪符」と呼ばれますが、ただしくは「贖宥状(しょくゆうじょ

う)」が正しいのです。「贖宥」とは、カトリック教会で、「信徒が果たすべ

き罪の償いを、教会が免除すること」です。つまり、「罪を免じる」のではな

くて、罪を犯した人がその贖(あがな)い(つぐない)をしなくてもいい、と

いう証明書なのです。なぜなら、そのつぐないは、修道士たちがしてくれてい

てそのつぐないが教会にたくさん蓄えられていて、つぐないができない信者は

お金を教会に払うことで、そのつぐないを代行してもらえるからです。

 もちろん、罪も盗みや殺人とか背信とかの大罪を犯した者は地獄に落ちるし

かありませんが、償い可能な罪ならば、それは死後、「煉獄」という場所で神

から与えられた苦しみに耐えるならば、最後に審判では天国にいくことができ

るとされました。

 「煉獄」というのは、それまでの、天国と地獄の2つの死後の世界に、あた

らにつけ加えられた死後の世界です。「浄罪界」と呼ばれたこともあります。

カトリックの世界観では、死後の世界は、地獄、煉獄、天国の3つです。この

世界観をもっとも完成された形で表現したのが、ダンテの『神曲』という詩で

す。煉獄では人間は7つの大罪(傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰・強欲・暴食・色欲

)を業火を受けながら浄化するのです。

 ルターは罪のつぐないをお金で他の人に代理になってもらうなどというのは

とんでもないことだとしたのです。ではルターの思考はどのように生まれ展開

されていったのでしょうか。

 徳善(2012)によれば、ルターの宗教思想の始まりは、聖書講義をしている

時の躓(つまづ)きに始まります。

 ルターは大学で学生に講義をしている時に、聖書の『詩篇』第31編2節の「

あなたの義によって私を開放してください」という一節にはたと行き詰まって

しまいます。

 この詩句はダビデが神に訴えた歌とされています。普通に考えれば、「神が

与えた律法を私たちはまもっているのだから、神さま、神さまに正義というも

のがあるなら、その正義にもとづいて私たちをこの困難から開放してください

」という意味になるでしょう。別に「わからない」というほどのこともないよ

うに思えます。

 しかしルターは神の「義(正義)」というものをもっと厳格に考えていまし

た。それは神の「怒り」「裁き」であって、「救い」と結びつくものではない

。「わからない」。では、学生に教えられはしない。ルターはもがきます。

 ここでなぜルターは「わからない」と思ったのでしょうか。ふつうなら、「

神が与えた律法(きまり)をちゃんと守っているよ、だから助けて下さいよ

」、と読める部分が、ルターが「理解できない」と思ったのはなぜなのか。

 それは、神の与えた律法を自分がきちんと守っているという自信が持てない

からです。なぜ自信がもてないのか。自堕落だからか、いやそうではなくて、

自分にとても厳しいからこそ、自分のいたらなさをつねに感じているからこそ

、真剣に信仰しているからこそ、自分は律法をちゃんと守っているぞ、という

ようなおごりと満足を得られない、自分は徹底的に罪深い存在なのだと自覚せ

ざるをえないのです。「自分はそこそこいい人間だ、ちゃんとしている」とい

う薄っぺらなおごり(驕慢)は、絶対の神のまえに打ち砕かれるのです。

 ではどう解釈すべきなのか。ルターは言語学的にこの部分を調べます。

 「神の義」というのは文法的には「所有者の属格」という用法が使われてい

る。たとえば「お父さんの贈り物」という表現の場合、「贈る」という行為を

する主体は「お父さん」である。「お父さん」が「贈る」という行為をすると

、それは「お父さん」の手をはなれ、贈られた人のものとなる。「所有の属格

」というのはそういう用法である。だから、「神の義」というのも、神から人

間へと「贈り物」として与えられる、「義」はそれを贈られた人間の所有する

ものとなって人間は救われるのだる。ではその「贈り物」とは何か、それが神

の子、イエス・キリストにほかならない(徳善2012,pp.37-40)。こうして、旧約

聖書の「詩篇」のなかに、その後の「新約聖書」にかかれる救世主イエス・キ

リストの予告を、ルターは読み込んだのです。

 これによって、旧約聖書と新約聖書の関係もつきます。つまり旧約聖書は私

たちに律法をあたえ、新約聖書はそれを守れない罪深き私たちを救う救世主イ

エスを与えるのです。

 ルターはこの着想を塔の中で得たといいます(塔の体験)。ルターはこの着

想をさらに押し拡げ、「十字架の神学」というものを作り上げます。それは以

下のような内容です(徳善2012,p.60)

1.律法とそれにもとづく人間の行いによっては、人間は救われないこと。

2.罪に堕ちた後の人間の自由意志とは名ばかりであって、これによるかぎり

、人間は罪をおかすほかないこと。

3.神の恵みを得るには、人間は自己自身に徹底的に絶望するしかないこと。

4.神の救いの啓示(宗教的真理の人間への知らせ)は、キリストの十字架に

よってのみ与えられること。

「キリストの十字架」とは、神の子イエスが私たち人間の罪を背負って犠牲と

なって十字架にかけられたこと、そのことによって罪深き私たちは救われると

いうこと、でキリスト教の根本的な教えです。この教えは、イエスが捕らえら

れ十字架にかけられるという「受難」(passion)の話として、キリスト教徒には

繰り返し語られ、また絵画・彫刻・ステンドグラスなどで、字の読めない民衆

にも分かるように教えこまれてきました。

(イエスの受難物語についてはhttp://www.jizai.org/wordpress/?p=405)

(十字架にいたる7日間についhttp://ebible.web.fc2.com/jujika01.htm)

 さてこうした神学を確立したルターにとって、聖書に書いてない煉獄という

世界や金銭によって罪のあがないを免除されるとする贖宥状(しょくゆうじょ

う)というのは、許しがたい逸脱でした。そこで彼は学者としてこの問題を公

開討論にしようと、質問状の形で、つまり95箇条の提題として提起したので

す。

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by takumi429 | 2015-04-26 04:11 | 社会環境論 | Comments(0)

2つの世界創造物語

2つの天地創造物語

P(祭司)資料

第1章

、やみが原始の大洋(テホーム。バビロニアの創造神話(エヌマ・エリ

シュ)で創造神マルドックが撃破し、その肢体から世界を創造する女

神ティアマト(海)に通じる。ただし、神々の抗争は唯一信仰のもとに換

骨奪胎されている)のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおってい

た。3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。

て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。

名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日

である。 6神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水と

を分けよ」。 7そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下

の水とおおぞらの上の水とを分けられた。 8神はそのおおぞらを天と

名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。 9神はまた

言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。

そのようになった。 10神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まっ

た所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。 11神はまた言わ

れた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結

ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。 12地は青草と、

種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ

木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。 13夕となり、また朝となっ

た。第三日である。 14神はまた言われた、「天のおおぞらに光があっ

て昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のために

なり、 15天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになっ

た。 16神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小

さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。 17神はこれらを天の

おおぞらに置いて地を照らさせ、18昼と夜とをつかさどらせ、光とやみ

とを分けさせられた。神は見て、良しとされた。 19夕となり、また朝と

なった。第四日である。 20神はまた言われた、「水は生き物の群れで

満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」。 21神は海の大いなる獣と

、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また

翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良

しとされた。 22神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海

の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。 23夕となり、また朝となった。

第五日である。 24神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっ

ていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。

そのようになった。 25神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にし

たがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は

見て、良しとされた。 26神はまた言われた、「われわれのかたちに、

われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、

地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 27神

は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、

男と女とに創造された。 28神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、

ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動

くすべての生き物とを治めよ」。 29神はまた言われた、「わたしは全地

のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木

とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう

。 30また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、

すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのよ

うになった。 31神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はな

はだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。

第2章

1こうして天と地と、その万象とが完成した。 2神は第七日にその作業

を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれ

た。 3神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、

そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。 4これが天地

創造の由来である。

ヤハウィスト資料

第2章  4主なる神(YHWH)が地と天とを造られた時、 5地にはまだ野の木も

なく、また野の草もはえていなかった。主なる神が地に雨を降らせず、また土

を耕す人もなかったからである。 6しかし地から泉がわきあがって土の全面を

潤していた。 7主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれら

れた。そこで人は生きた者となった。 8主なる神は東のかた、エデンに一つの

園を設けて、その造った人をそこに置かれた。 9また主なる神は、見て美しく、

食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪

を知る木とをはえさせられた。 10また一つの川がエデンから流れ出て園を潤

し、そこから分れて四つの川となった。 11その第一の名はピソンといい、金の

あるハビラの全地をめぐるもので、 12その地の金は良く、またそこはブドラクと

、しまめのうとを産した。

るもの。

四の川はユフラテである。 15主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き

、これを耕させ、これを守らせられた。

、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。

善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと

死ぬであろう」。18また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない

。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。

の獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれに

どんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名とな

るのであった。 20それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣と

に名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった。

なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所

を肉でふさがれた。

人のところへ連れてこられた。 23そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわ

たしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけ

よう」。24それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである


第3章1さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であっ

た。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに

神が言われたのですか」。

食べることは許されていますが、3ただ園の中央にある木の実については、こ

れを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われ

ました」。 4へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう


とを、神は知っておられるのです」。

く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ

、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。

自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰

に巻いた。

音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身

を隠した。

」。

ので、恐れて身を隠したのです」。 11神は言われた、「あなたが裸であるのを

、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食

べたのか」。 12人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から

取ってくれたので、わたしは食べたのです」。

た、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだ

ましたのです。それでわたしは食べました」。

、「おまえは、この事を、したので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最

ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、一生、ちりを食べるであろう。

たしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に

。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。16つぎに

女に言われた、「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦し

んで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろ

う」。

が命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは

一生、苦しんで地から食物を取る。

を生じ、あなたは野の草を食べるであろう。

、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、

ちりに帰る」。

た者の母だからである。

て、彼らに着せられた。

りのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って

食べ、永久に生きるかも知れない」。

追い出して、人が造られたその土を耕させられた。

ンの園の東に、ケルビム(智天使)と、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道

を守らせられた。

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by takumi429 | 2015-04-26 04:08 | Comments(0)

イスラエル史

年表 (Metzger1963訳書参照)

前19-17世紀 <族長時代>

前13世紀 <モーゼ時代>

前13世紀後半 イスラエル諸民族カナン侵入・定着(?) 「契約の書」

前12-11世紀 <士師時代>部族連合、戦時における大士師の指導 

前1000頃

前961 

前926 王国分裂

「デボラの歌」ペリシテ人(鉄器を持った海の民)の東進、

シロの神殿を破壊 契約の箱

<王国時代> サウル、王権樹立

ダビデ即位 エルサレムへ遷都

ソロモン即位 王宮・神殿の建設 「ヤハウィスト」(J)

<南北分裂王国時代>

南(ユダ)王国   北王国 

前900頃 ヤラベアムⅠ世、ベテルとダ

前850頃

845 エヒウ革命(預言者エリヤと

840 祭司による宗教粛正

前800 両王国の繁栄と社会的退廃

前733 シリア・エフライム戦争

前721 アッシリア軍によりサマリア

アッシリアに従属 反アッシリア同盟に属する

前721 アッシリア軍、エルサレム包囲 アッシリアへの従属 

前609  メギドの戦い ヨシア王の死         

前597 新バビロニア王ネブカドネザルの軍、エルサレム包囲 

前578 新バビロニア軍によりエルサレム陥落、神殿崩壊 

<単一王国時代>

ヒゼキア王 宗教粛正 アッシリアへの反乱

預言者イザヤ(後期)「エホウィスト」(J+H)

アッシリアの衰退 ユダ王国の一時的独立 

ヨシア王(前640-609) 申命記改革 ヤハウェ原理主義 

エルサレム礼拝独占、「申命記」文書(D) 成立

                      

預言者エレミア(前期)

エジプトの支配

新バビロニアの支配              

預言者エレミア(後期)

第一次捕囚 (上層民をバビロンに連行)

第二次捕囚 預言者エゼキエル

<捕囚時代>

捕囚地バビロンで「神聖法典」(レビ記17-26章)「祭司文

書」(P) 成立 預言者第二イザヤ

<ペルシャ時代>

前539  ペルシャ軍によりバビロン陥落

前538 ペルシャ皇帝キュロスⅡ世の勅令により第一次帰還

前538 ペルシャ皇帝キュロスⅡ世の勅令により第一次帰還

前515 サマリア人の援助を断り、その妨害に耐えて神殿を再建。

前458 ネヘミア、ユダヤ州の知事として着任。城壁再建、社会改革

前430 エズラの宗教改革進展。


エルサレム神聖共同体を確立。大祭司・長老組織による行政

「モーゼ五書」(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・

申命記)成立。

前331 アレクサンダー大王によりペルシャ滅亡

 4資料仮説(ユリウス・ヴェルハウゼン提唱)

 旧約聖書の律法(トーラー)、すなわち「モーゼ五書」(創世記・出エジプ

ト記・レビ記・民数記・申命記)は、おもに4つの文書から成り立っている。

文書名(略号) 成立期・成立場所 特徴など(JEはJとEの結合)

ヤハウィスト(J) 前10世紀統一王朝時代のユダ 神名「ハヤウェ」を使用

エロヒスト (E) 前9世紀分裂時代の北王国神名

申命記 (D) 前7世紀北王国崩壊後のユダ 捕囚期に増補改訂

祭司文書 (P) 前6世紀バビロニア 祭司が作成

エホゥスト (JE) 北王国崩壊後のユダ   JとEを結合

 生の座(Sitz im Leben) (ヘルマン・グンケル提唱)

 編集された文書には、以前からのさまざまな伝承(法律集をふくむ)が含ま

れている。文章の様式から、そうした伝承がおこなわれた場(生の座)を探ら

なくてはいけない。

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by takumi429 | 2015-04-26 04:05 | 社会環境論 | Comments(0)