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6.ジンメルとヴェーバー 形式合理性の支配する時代

6.ジンメルからヴェーバーへ 形式合理性の時代としての近代

「普遍的文化」?
マックス・ヴェーバーは1920年出版の『宗教社会学論集』第1巻で、「どのような諸事態いの連鎖が存在したために、西洋にのみ、その発展傾向において普遍的な意義と妥当性をもつ文化諸現象が出現したのか」という問題提起をしています。
 これを読むと、アジアのかたすみにすむ私たちは、思わずむっとしてしまいます。「ヨーロッパ文化だけが普遍的だと?!」と腕まくりしたくなります。でも、西洋の「普遍的文化」というのはどういうものなのでしょうか。ここで文化の例として、西洋の時計と和時計を比較してみましょう。

 和時計と西洋時計
 和時計は、日々変化する日の出(明け六つ)と日没(暮れ六つ)に合わせて時を刻む時計です。それは時計の設置された場所における日の出と日没時間をすべて組み込んだ時計です。でも和時計は設置場所でしか使えない。「普遍的」(どこでも使える)時計ではありませんし、そんな「普遍性」を求めてはいません。和時計の背後にある時間の体系は、その時々と場所に合わせて時間がずれたり伸びたり縮んだりする。そうした柔軟な体系です。
 それにたいして、西洋の時計は、使用されている場所に関係なく時を24等分して刻みます。その地域の基準地を決め(たとえば明石)、その場所における太陽の南中時を正午とします。この時計は、どの土地にも適合していない、自律的な時計(自分勝手に動く単純な機械)であって、それをあらゆる場所で使い、その土地の人間を強引にそれに合わせさせています。このでの時間の体系は、その時々と場所にはまったく合わせない、硬直した固定的な時間体系です。
 普遍的などこでも通用する西洋時計と西洋の時間システムとは、じつは勝手に動く(自律的な)閉じた時間機械と閉じた(自律的)時間システムにほかならないのです。
 してみると、ヴェーバーの言う、西洋的な「普遍的」な文化いうのは、ひょとしたら、その時々、その場所、その事がらに、合わせて作るのではなくて、自律的に完結した(閉じた)体系を、強引に当てはめる(妥当させる・通用させる)文化なのではないでしょうか。

 ここで、この「序言」が書かれるまでの経緯を、学説史的年代記として列記してみましょう。

1900年 ジンメル『貨幣の哲学』初版出版
1905年 ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」雑誌発表
     注で、『貨幣の哲学』の最終章について言及。
1907年 ジンメル『貨幣の哲学』第二版出版
  ?年  ヴェーバー、『貨幣の哲学』第二版に書き込み。
     (書き込み本はアーヘンの教会図書館が所蔵)。
1911-12年 ヴェーバー、「音楽の合理的・社会学的基礎」Die rationalen und soziologischen Grundlagen der Musik(のちに『音楽社会学』と呼ばれ)るを執筆か。 
1911-15年 『宗教社会学』(『経済と社会』の一部分)執筆か。

1916-7年 「世界宗教の経済倫理」を雑誌に発表(のちに『宗教社会学論集』に収められる)。
1920年 『宗教社会学論集』第1巻 出版
     「序言」にて、西洋文化の「普遍性」はどこから来たのか、という問題提起。
     西洋文明のさまざまな領域における合理化について言及。

 ヴェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で、すでに5年前に出版された『貨幣の哲学』初版について言及しています。そしてさらに、2007年に出版された『貨幣の哲学』第2版に、書き込みとアンダーライン・サイドラインをして読み込んでいます。
『貨幣の哲学』は「分析編」と「総合編」に分かれますが、「分析編」は、人間の営み、とくに交換から、どのように貨幣というものが生まれてくるかを描いています。反対に「総合編」は、この貨幣というものが人間の生活にどのような影響を与えるかを書いています。じつは、ヴェーバーの『宗教社会学』もそれに似た構成をしています。前半では、人間の行為から「超感性諸力」(目に見えない力)が生まれ、やがてそれが神概念となり、宗教の意味の体系(教説)を作り上げます。後半ではこうして生まれた宗教がその組織と人間を通して一般に人々の生活にどのような影響をもたらしたかを考察しています。
 ヴェーバーの『宗教社会学』は『貨幣の哲学』の影響を受けた可能性が大です。だとすると、ヴェーバーの『貨幣の哲学』への書き込みは、『貨幣の哲学』の出版(1907年)から『宗教社会学』執筆開始(1911年頃)のあいだになされた可能性が大です。

 ジンメル『貨幣の哲学』
 ではジンメルは『貨幣の哲学』でどんなことを言っているのでしょうか。ヴェーバーの書き込みに注目しながら、ヴェーバーと一緒に読んでみましょう。
 ジンメルはこの著作で、マルクスの労働価値説(貨幣によって示される交換価値はその商品にこめられた一般的な労働時間によってもらたされる)を否定しています。貨幣とは、(交換)関係が結晶化したもの(「形式」)(邦訳第2巻233-4頁)であり、貨幣によって現される価値は交換関係での価値です。 ですから、ある品物がある貨幣と同じ価値があり交換されるということの意味は、品物の実体的価値が貨幣(商品)の実体的価値と等しい、ということではなく、品物がそれを含む商品全体なかで占める割合(比例)で示される価値と貨幣がその全体の貨幣量のなかで占める割合(比例)で示される価値とが同じであることをしめす、言っています(邦訳第2巻172-4頁) 。
 商品と貨幣は、実質的な価値が対応し等しいとみなされるのではなく、その商品が商品体系の中でもつ(比例〕関係的な価値と、その貨幣が貨幣体系のなかで持つ(比例)関係的な価値、とが等しいみなされるのです。
 つまり、ここでは商品の交換の媒介となる貨幣が、閉じた体系を持っており、その閉じた体系の内部での関係(比例)値が、閉じた貨幣体系の外にある商品へと対応するのです。
 貨幣は広汎に普及することで、この交換関係の価値を普遍化するのです。

 ヴェーバー「音楽の合理的・社会学的基礎」
 さてヴェーバーは、同じ頃、西洋の、「平均律音階」の出現とその意味をさぐる論文、「音楽の合理的・社会学的基礎」を書いています。
この論文は後の題名(『音楽社会学』)から想像されるような、音楽と社会の一般的関係をあつかった論文ではぜんぜんありません。この論文は一貫して、音階の比例分割、つまり有理数(合理数)による分割という問題があつかっています。
 もともと音楽は数学や天文学と同列の学問だとされてきました。それは音階というものが有理数(分数)で作られるからです。(たとえば、一つの弦を1/2にすると1オクターブ音が高くなり、2/3にすると、ドの音がソの音の高さになるのです)。
 ところがどの音から分数によって音階を作っていくかによって、じつは音階は微妙にずれてきます。出発点の音によって音階は本当はその度ごとに作り直さなくてはいけなくなります。弦楽器や管楽器ならばそれは微調整で適応できます。しかしオルガンやピアノやギターなど音が固定された楽器ではそうはいかなくなります。転調のごとに別の楽器を使うわけにもいきません。(ピアノやギターがふつうオーケストラに入っていないのはおそらくそれが理由でしょう)。
 この問題を、西洋ではオクターブを12等分することで解決しました。だがその際、音階を分割するのは、もはや分数(有理数)ではなく、無理数なのです。人間の耳は周波数が2倍になると、同じ音に聞こえます。12回音を上げていくとちょうど上の周波数が2倍の音になるように音階を分解する。つまり2の12乗根づつ周波数があがるような音階(半音)を12回積み上げて、上の高い同音にいたるような音階をつくるのです。こうしてできた音階を「平均律音階」といいます。ピアノやオルガンなどはこの音律に調律されています。
 この音階によって自由な転調ができるようになりました。つまりハ長調のラの音はヘ長調のレの音と同じとされるようになったのです。だがその結果、平均律音階の音はどれも、本来の有理数による音階から少しずつずれているのです。
 「有理数」(分数 a rational number)というのは直訳すれば「合理的な数」のことです。それに対して「無理数」(an irrational number) 、つまり「非合理な数」です。つまり西洋の音階は、無理数(非合理数)で音階を分割するという、「非合理性」の導入によって成立したのです。
 この平均律音階の誕生の結果、それを内部に仕込んだ楽器(ピアノ)は、どの調の音階にも対応できるようになりました。しかし、それぞれの調の音階が、起点とする音からの比例分解によって音階をつくっているために、無理数で分節した音階は正確には対応しません。でもそれをいわば、無理矢理対応させる、というのが平均律音階の強みです。そうすればどの調の音も、いちいち調律をし直さなくても弾けるようになります。それはちょうど、1日を24等分するだけの時計でどこに行ってもそれですます、という西洋時計のシステムと同じです。本来は異なっているさまざまな調の音を、「異名同音」として同じ音だとしてくくってしまう。まだ日が高かろうとあるいは沈もうと「6時」だとし、太陽が南中していなかろうと「正午(12時)」だとしてしまうのと同じです。
 ヴェーバーが「普遍的文化」と言ったとき考えているのは、じつはこうした無理矢理あてはめていくような合理性をもった文化のことを考えていたとおもわれるのです。

 呪術からの解放から形式合理主義の世界へ
 ではヴェーバーは、その未完に終わった『宗教社会学論集』で、この「普遍的文化」の発生をどのように説明しようとしていたのでしょうか。残された文献から構成されるのはつぎのような展開です。

 呪術の園
 原生的共同体において、あらゆる生活諸領域は、その神話的呪術的な世界観(聖なる天蓋)の下にまとめられていました。芸術領域もその例外ではありません。芸術はこの世界観に文字通り呪縛されており、同時にその世界観に奉仕するものでした「正しい」とされた様式からの離脱は、呪術的な恐怖を伴うために忌避されました。
 たとえば、音楽を例にとるならば、ひとたび呪術的に効果ありとされた旋律は固定されがちであり、それからはずれた旋律は忌避されました。この固定された旋律から音階が形成されていのです。

 呪術的世界観の打破
 古代ユダヤの民が創出した一神教はこうした呪術的な神話的世界を打破するものとして働きました 。それまで各地の「高きところ」(聖地)でのおこなわれた祭礼はすべてエルサレムに集中され、各地の「八百万(やおよろず)」の神々は否定されました。ただユダヤ教はその民族的な紐帯を脱し切れてはいませんでした。しかし、その神を継承した、キリスト教、イスラム教ではその神観は普遍的なものとなりました。それによりそれまでの地縁・血縁による共同体の祭祀とその呪術的な信仰は打破されました。これをマックス・ヴェーバーは「呪術からの解放」と呼んでいます。 
 呪術的世界観の束縛から解放された文化諸領域はその独自な自律的な展開を見せ始めます。芸術もその例外ではありません。ここでふたたび音楽を例にしてみましょう 。
  
平均律の誕生
 脱呪術化した世界観の下で、音階はそれまでの固定的な旋律の呪縛から自由になりました。それまでの音階が旋律に拘束され、主音から音階形成がなされていたのに対して、音階内部の自律的で合理的な分節が目指されました。有理数(rational number直訳すれば合理数)によるさまざまな音階分節が試みられたが、二分の一、三分の二、四分の三、という有理数による音程の分節は相互に不整合をもたらします。結局、有理数による音程分節はあきらめられ、無理数(irrational number直訳すれば非合理数)による音程分節がなされることになり、それが「平均律」となったのです。この平均律は和声的には常にわずかながら不純であるが、自由な移調や転調を可能にし、その結果、西洋音楽は飛躍的発展を遂げることになったのです。
 平均律音階は、提示された主音から合理的の音階形成をしようとしない。すなわち音階の外から与え提示された音から出発して合理的な音階をその度ごと形成しようとはしません。すでにできあがった音階でそれに対応しようとします。ヴェーバーはその時々の現実に適合しようとする合理性を「実質合理性」と呼びました。しかし平均律音階では否定されています。平均律はあくまでも自分のなかの閉じた無理数による分節による音階をつくりあげ、それを適用します。外のものとの完全な対応を放棄することで、その内部の整合性・体系性を追求するこうした合理性を、ヴェーバーは「形式合理性」と呼びました 。
 
 形式合理性の支配
 ヴェーバーによれば、この形式合理性は、西洋音階のみならず、西洋の文化一般の性格でした。
 たとえば、西洋の線遠近法による絵画は、肉眼からみた像とはわずかであるが遊離した図学的体系による作図を基本にしています。ゴチック建築の登場する以前、たとえば、ロマネスクの教会は、建物の大きさごとに計算され調整されたそれまでの円形アーチとそれによる正方形の区画からの建築しようとしていました。ゴチック様式はその大きさとごとにつくりあげる試みを放棄して、尖頭アーチと長方形の区画の組合せで、教会の建築をしました。西洋の法体系は、事件ごとに人がらや事がらにそくした審議と判決をするのではなく、あらかじめ形式的につくられた法体系を事態に対応させることで審判を下します。さらに貨幣の体系は、個々人が品物にこめたさまざな思い(使用価値)を切り捨て、交換関係のなかでの価値だけで、品物の価値を決める、そうした自律的な体系となっています。

 貨幣と法体系
 マルクスによれば、商品交換が全般的になるにつれて、個々人にとってのものの価値、すなわち「使用価値」ではなく、そのものがどれくらいの金額で交換されるかという「交換価値」が品物の価値を決定するようになります。すなわち個々人の価値(使用価値)と
は別の価値(交換価値)の体系ができあがっており、その価値(交換価値)の体系があることで市場経済が成立しているのです。
 個人の観点からみたら、交換価値というのは、時には「理にあわない」(不合理)もののこともあります。例えば、先祖代々大事にしてきた掛け軸が、二束三文の値段しかつかないこともあります。農地改革 の時にただ同然で手に入れた土地が都市化で急に億の値段がつくこともあります。
 貨幣による交換はこうした交換価値によって、個々人の思い入れによる「使用価値」を押しつぶしていきます。
 このように個々人や個々の場合から見ると「理に合わない」、「ぴったりしない」けれどもそれがあることでさまざまな処理ができるような体系として、法律の体系があります。
Aさんが人を殺したのとBさんが人を殺したのとは、もちろん別の事柄です。それぞれ別の事情があるでしょう。個人の側からみると事情をよく吟味して罰するべきでしょう。いわば「大岡裁き」というのがそれです。でもそれは、Aさんの時は無罪放免、Bさんの時は磔獄門(はりつけごくもん)という結果を招きかねません。このようにいつもその事情ごとに罰し方が違っていたら、なんら規則や決まりというものが作れなくなってしまい、社会生活というものはずいぶん不安定なものになってしまうでしょう。将来のことを予測・計算することもできませんから、およそ計画的な経営というものは難しくなり、「越後屋」にでもなって「お代官様」に賄賂を贈ってお目こぼししてもらった方がよくなってしまいます。
 ともかく、「悪さ」や「非道」があったら、それに、犯罪名を適用し、さらい、その犯罪に対する処罰を適応する、たとえば、「人殺し」や「刃傷沙汰」があったなら、ひとまずどちらも「殺人」という名でくくり、その罰則の幅を決めておいて、そのうえで事情を考慮するというのが、近代の法体系のあり方です。
 同じようにAさんとBさんが別れるのと、CさんとDさんが別れのとは、もちろん別の事柄です。しかしひとまず「離婚」という言葉でくくってそれから対応するのが法律のやり方です。(かつて『クレーマー・クレーマー』という離婚をあつかった映画がありました。圧巻は法廷の論争シーンでした。夫婦の個人的な悩みや問題が法律の「言葉」で表現されるとき、まるで身を切られるような残酷さを持っているのをそれはみごとに表していました)。
 掛け軸を持っているのと、金の延べ棒を持っているのとは同じではありません。しかしどちらも「所有」という見方でくくることでその権利を保障しているからこそ、人びとは安心して売買(交換)ができるのです。持っているものによって急に取り上げられてしまうようになったら不安で売買なんかできません。
 法律の体系は、社会のさまざま事柄を、法律の言葉でくくり、それを処理する体系です。貨幣(交換価値)の体系も法律の体系も、個々の、本来ならば「同じ」とはみなすことのできない物事を、「同じ」とみなしくくることで、機能しているのです。
 このようにヴェーバーは、個々の事例にそれぞれふさわしい「合理性」を「実質合理性」とよびました。それに対して、個々の事例を共通なものとして形式的にくくるような合理性を「形式合理性」とよびました。

(2)形式合理性の世界
 その本来の問題解決からみたら「非合理」と思えるものを導入することで西洋の「合理性」は成立し、各領 域は自律的(合理的)体系をなしているのです。たとえば貨幣の体系は、個々の「使用価値」を無視しそれからみたら「理に合わない」、「交換価値」の自律的体系としてたち現れています。また法体系は、個々の実状をいったん捨象することでその実律的、形式的かつ普遍的な体系となっています。たとえAの殺人とBの殺人は個別的なことなのに、ひとまず「殺人」としてくくります。それぞれに実状にあわせて裁判することを「カーディー裁判」といいます。しかしそれでは場合によって判決が違ってきて、計算(予測)可能性がなくなり、資本主義的経営がなりたたなくなります。

マルクス 
使用価値 
交換価値(+労働価値説)

ジンメル 
内容 
交換価値形式(交換関係の結晶)としての貨幣

ヴェーバー
実質合理性
形式合理性(閉じた自律的システム)
 
 マルクスは『資本論』で、「使用価値」と「交換価値」の2分類を提唱しました。その際、マルクスは、「交換価値」は、「一般的な労働」の時間によって計られる、とかんがえていました(労働価値説)。ジンメルはこの労働価値説を切り捨て、貨幣が現しているのは、交換関係における価値であり、貨幣はこの交換関係が結晶化したもの、つまり関係が実体化したもの、つまり「形式」だとみなしました。
 ヴェーバーは、このジンメルの関係の結晶化としての「形式」という考えをつかって、「形式合理性」という概念を得たと思われます。この合理性は、交換や転用が可能な普遍的な合理性です。しかし、それがさまざまなものに交換・転用・適用できるのは、体系が柔軟性だからではなくて、むしろ反対に、他の領域からいったん離れて独立に自律的で、固定化した体系(システム)だからなのです。
 こうして、ヴェーバーは、ジンメルの形式社会学(関係の結晶化としての形式をあつかう社会学)、とりわけ『貨幣の哲学』を経由することで、マルクスの「使用価値」と「交換価値」に対応するものとして、「実質合理性」と「形式合理性」という概念をつくりあげたと思われます。
 この形式合理性の体系でもっとも重要なのは、貨幣体系と法体系です。しかしそのほかの領域もそれぞれに自律的に(つまり他の領域や人間本来の目的からの合理性を無視して)展開され完結しているとヴェーバーはみていたのです。
 非合理性を媒介にして形式合理のさまざまな体系が自律的に展開する、それがヴェーバーの近代観です。そうしたばらばらになったさまざまな領域の体系のなかにあって、その分裂を一手に引き受けまとめ上げるべきものとされるのが、個々人の「人格」なのです。
 禁欲的に自分の幸福からみると非合理に過ぎない労働に邁進する近代人は、同時に分裂した近代にあって統合をめざす唯一の拠点として緊張にさらされているのです。宗教的禁欲主義が世俗的な資本主義を生み出し、非合理を媒介にして自律的形式的に合理化した諸領域が発展していく。ヴェーバーの近代とはこうした逆説的な発展が生み出したものにほかならないのです。
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by takumi429 | 2016-05-26 21:53 | 社会学史 | Comments(0)

6bis  形式合理性とは

形式合理性とはなにか。
マルクスは、使用価値と交換価値という価値の2類型を資本論で提示した。しかし、交換価値に、マルクスはすかさず労働価値というしっぽをつけて、その内容を埋めようとした。
しかし生産現場(過程)と市場(交換過程)という2つのシステムがあり、そのシステムのおける交換比率の差異こそ、利潤を生み出すものであったはずである。交換過程(市場)における価格(交換価値)は、労働を製品の込める生産過程とは違うシステムのなかにある。市場においての価格は受容と供給の均衡によって決まる。商品交換を媒介する貨幣の登場によって交換は柔軟でより広がりのあるものとなった。
ジンメルは『貨幣の哲学』で、貨幣を労働価値説ではなく、人間の社会関係から説明しようとした。ジンメルによれば、貨幣を交換関係の結晶化した形式である。この書で、彼は、商品交換を媒介する貨幣の出現とその社会への影響を考察した。
初版を読んだヴェーバーは、この書の最終章にみられる、貨幣の近代社会への影響の考察を光輝あるものとみなした。大都市に典型的にみられる近代社会に対する貨幣という社会関係の形式の影響の大きさに注目した。
ヴェーバーは『貨幣の哲学』第2版が出版されると、この書を「をていねいに読み込むことで、(交換的)社会関係の「形式」(結晶体)である貨幣が、それぞれ商品の価値に対応しているのではなくて、むしろ、その商品がその商品体系のおいて占める比例(関係値)にたいして、貨幣の体系のおいておなじ比例(関係値)をもつ貨幣が対応する(ある品物Wがいくらの貨幣値段Gである、W=Gとされる)ことに着目する。商品を貨幣に代える、または貨幣を商品に代えるときにあらわれる等号は、個別の商品と貨幣についての等号ではなく、その商品と貨幣がそれぞれが属する商品システムと貨幣システムの中で占めている位置価の間に成立している等号なのである。つまり要素と要素の対応ではなく、システム内の位置価とシステム内の位置価との対応なのである。
貨幣が閉じたシステムを成していて、そのシステム内部での位置価でもって、貨幣システムの外(のシステム)のものに対応している、それが交換関係の結晶化として「形式」たる貨幣の、たどり着いた形であること、そしてそのシステム内での位置価は、もっぱら比例(ratio)によって表現されること。これがヴェーバーの考察の出発点となった。
 この出発点から、もっぱらある完結したシステム内部での比例によるシステム構造の構築されていく様のモデルケースとして選ばれたのが、音階であった。音階の分解を比例(有理数rational number)によって完成しようとする試みは結局成功せず、そこで導入されたのは無理数(irrational number非合理数)具体的には2の12乗根による音階分節であった。この非合理的な数(無理数)の導入によって平均律音階は完成し、さまざまな調の音を、異名同音として等号(=)で等しい音だとして扱うことができ、その結果、調から調への転調が可能となった。ここにヴェーバーは、貨幣形式の成立によって交換が用意に広汎に可能になった近代の現象と同様のものを見出した。ただし、ここの自律した平均律音階は、比例(合理数)ではなくによる構成は放棄され、無理数(非合理数)によって構成されている。個々のの基音(はじめてのドにあたる音)からの比例による音階構成は放棄され、無理数で構成された音が、多少のズレを含むにもかかわらず、同じ音として処理される。
 ジンメルが比例(合理)によってできているとおもった形式のシステムは、じつは非合理を使うことではじめて完結する。そしてそれは個々の対応を一旦断念して、システムとしての完結をしたうえで、ようやく外のものへと対応できるのである。
 この個々のものへの合理的(比例的)な対応を断念することではじめて問題を解決して完成できた体系として、ロマネスク様式の教会建築(正方形と円形アーチの組み合わせで作る)にたいするゴチック建築(長方形と尖ったアーチを使用する)や遠近法などの芸術形式をヴェーバーは考えていた。
 しかしもっと彼が重視したのは、法体系である。Aの人をあやめた事件と、Bのなぶり殺しの事件を、いったん法体系における「殺人」というもので等しいものとする(=をつける)、そのうえで差異を考慮する、という法体系のありかたは、まさに、Aという商品とBという商品を、「100円」とすることで等しいものとする貨幣体系と、パラレルなものとしてヴェーバーには映っていたのだ。もちろん、細かな差、ずれ、違和感はある。しかしそうした差やズレにいった目をつぶって、体系の内部での位置価を対応させることで、はじめて、広汎で平等な処理ができる。ちょうど平均律音階のもとに近代の西洋音楽が展開されていったように。
 このようにその内部にズレ(非合理性)をはらみながらも、完結した体系としてそびえ立ち、閉じた自律的体系として、個別的でなく、関係の内部での位置価でもって、外部に対応する、そうした合理性をヴェーバーは、(そのアイディアのもとになったジンメルの「形式」にちなんで)、「形式合理性」と呼んだのである。
 この形式合理性が支配する組織が、法文によって動く、官僚制にほかならない。それは、西洋時計や平均律音階で調律されたピアノと同じように、閉じているシステムだからこそ、さまざまなものに対応できる装置にほかならないのです。(この閉じたシステムによる外部対応、という考え方はルーマンの『法社会学』第二版序文を参照)。
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by takumi429 | 2016-05-26 21:51 | 社会学史 | Comments(0)

金色夜叉 あらすじ


金色夜叉(こんじきやしゃ)

尾崎紅葉が書いた明治時代の代表的な小説。

読売新聞に1897年(明治30年)1月1日 - 1902年5月11日まで連載。

作者が逝去したため未完。


前編

15歳で両親に死に別れた、間貫一(はざまかんいち)は、鴫沢(しぎさわ)家に引き取られ育ててもらい、高等中学生(ほぼ自動的に東大生になれる)となる。大学を卒業し学士となったら、鴫沢家の娘、宮、と結婚し、鴫沢家を継ぐとの約束である。

しかし、300円のダイヤモンドの指輪が自慢の大富豪の富山唯継は、かるた会で宮を見染め嫁に求め、鴫沢夫婦も宮もそれを了承する。

鴫沢隆三が宮をあきらめるよう貫一を説得するあいだ、宮と母親は熱海に来ている。そこへ富山がやって来て宮を散歩に誘う。ところがそこへ貫一もやって来たので、富山は東京に帰る(前編第7章)。夜となって熱海の海岸で、貫一は宮をなじり、翻意を乞うが、宮は富山と結婚する気であることを知り、宮を蹴飛ばす(第8章)。貫一はそのまま出奔する。
朗読https://www.youtube.com/watch?v=Nt2yBCJdRAQ

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中編

4年後、新橋のステーションから、貫一の親友で卒業のして法学士となった荒雄は愛知県参事官として赴任しようとしている。友人4人が見送りに来て話が盛り上がる。赤樫という60過ぎの高利貸しのところに借金のかたに奉公しているうちに手をつけられ妻にされ、いまはやり手となった「美人クリーム」とあだ名される美人高利貸し(満江)の話で盛り上がる(「高利貸し」(氷菓子)をもじったシャレ)。途中、荒雄は貫一を見かけたように思うのだが、すぐに姿はみえなくなる。

じつは、貫一は親友の旅立ちを見送りに来ていたのだが、気づかれまいと身を隠したである。貫一は鴫沢家を出てから、高利貸し鰐淵(わにぶち)の手代となって働いているのだった。赤樫満江はそんな貫一に独立を援助すると言う。わけは貫一にぞっこんだからというのである。宮に裏切られた貫一は女には興味がないと答える。

いまは、富山宮子となったお宮は、夫には愛情を持てず、産んだ子にすぐに死なれ虚しい生活を送っている。ある日、夫に連れられて田鶴見子爵邸を訪れる。子爵の双眼鏡というものをのぞかせてもらっている宮は、離れに貫一を見つける。じつは子爵は裏で高利貸しに資金援助をしており、そのため貫一が来ていたのである。すれ違いざまに二人は4年ぶりの再会をする。直後、写真撮影の途中で宮は気を失い倒れる。

他方、深夜、片側町の坂町の暗い道で、貫一は恨みをもつ2人組に襲われ、重症を負う。

後編

貫一の遭難は新聞に報道される。入院中の貫一を満江は頻繁に訪れている。そこへ貫一の育ての親ともいえる鴫沢隆三がやってくるが、貫一は顔を合わそうとはしない。

貫一の留守の間に、鰐淵の家に、鰐淵によって息子雅之が連帯保証人の公文書偽造の罪に落とし込められて刑務所にいれられた老女が、毎日のようにやって来て鰐淵の首を寄こせと言う。ある風の強い日、今日はあの気違いが来なかったと、安心して夫婦が寝込んだ夜に、老女の放火によって鰐淵の家は焼失し、夫婦は焼死する。


続金色夜叉

あいかわらず高利貸しをしている貫一は、義理ある人のために職を失い借金を背負った荒雄に会う。その後、荒雄が来たと言うので、迎えると、それは、久しぶりに会うお宮だった。お宮は自分の罪をわびるが貫一は許さない。お宮は貫一にすがりつく。そこに満江がやって来て、騒動となる。その夜、貫一は、お宮が自害して自分も死ぬ、夢をみて目が覚める。

続続金色夜叉

気分転換に那須に行った貫一はそこで借金のための心中しようとする男女を助ける。じつは、二人は、富山唯継に身請けされそうになった、お静と、それを救おうと大変な借金をせおってしまった狭山であった。貫一は二人の借財を代わりに払い、二人を引き取る。


新続金色夜叉

物語は、いきなり、お宮が貫一に宛てた候文の長い手紙の文章で始まる。お宮は後悔し許しを乞う。助けた男女を使用人にしている貫一は、お宮の手紙を読みながら思案に暮れる。さらにお宮の手紙が来て、お宮は自責の念から自分は死につつあるという(ここで作者の死により絶筆)。



金色夜叉 終篇 小栗風葉作 (1906年明治39年新潮社)
放火で死んだ鰐淵の息子直道と荒尾譲介の助言により、間貫一は高利貸しを辞める決意をする。一方、富山唯継は赤坂の10代の芸者を身請け新聞に報道される。富山との不仲と貫一への思いに、ついにお宮は発狂し、小石川脳病院に入院する。貫一の名だけをくり返し、自殺も試みるお宮を見た父隆三は、貫一にお宮に会ってもらうために、荒尾に間に立ってもらうよう頼み込む。唯継は宮のいなくなった本宅に見受けした芸者を入れ、ついに宮は離縁する。人妻に友を会わすわけにはいかないとしていた荒尾も、離縁したならばと、貫一にお宮に会うよう助言する。正気と狂気の間をさまようお宮は、一瞬正気にかえって貫一の名を呼び、貫一はお宮を許す。高利貸しで得た金で、貫一は荒尾の借金を返し、さらにフランスに洋行させる。さらに放火した老女の息子、飽浦雅之と、彼が公文書偽造罪で刑務所に入っていたために親がゆるさないために結婚できないお鈴、二人を、荒尾と同じ船で中国に駆け落ちせてやる。また残りの金は、直道が属する地学会の奨学金基金となった。高利貸しの夫の死により解放された赤樫満江も荒尾の待つパリへと旅立つ。貫一はまだ正気にもどらぬお宮と思い出の熱海の地で二人っきりで静かに暮
らす。


明治時代の1円はいまの2万円ぐらいか(http://manabow.com/zatsugaku/column06/ 2016年5月19日)
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by takumi429 | 2016-05-19 07:35 | 社会学史 | Comments(0)

5.貨幣支配の時代としての近代 漱石とジンメル

5.貨幣支配の時代としての近代 漱石とジンメル

 前回は、マルクスのいう下部構造である資本主義の生産様式が、上部構造である宗教の影響をむしろうけて発展したというヴェーバーWeberの学説をみました。

 今回は、マルクスがいう貨幣によってあらゆるものが商品化された社会のありようを、ある小説と社会学者ジンメルの著作で考えていきたいと思います。
 さて本日とりあげるのは、夏目漱石の『虞美人草』です。
(1)『虞美人草』:商品としての女
『虞美人草』の系図関係 (点線は許嫁関係 破線は藤尾の欲望と逸脱)
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 この小説は、一言でいえば、藤尾という名の女をめぐるお話です。
甲野藤尾(こうのふじお)は24歳、女学校出の美人です。彼女には腹違いの兄、甲野欽吾(きんご)がいます。欽吾の友人にはおなじく東京大学を出て、外交官試験のために浪人している、従兄弟の宗近一(むねちかはじめ)がいます。宗近一(はじめ)には妹の宗近糸子(いとこ)がおり、裁縫を好む家庭的な女です。(主人公のいとこの名前を「糸子」と名付け、糸をつかう裁縫が好きという人物に、宗近家の長男を「一(はじめ)」と名付けたりして、夏目先生、美文調の裏で、けっこういい加減な書きぶりです)。
藤尾は父親の金時計を気に入っており、いつも玩具にしていました。この接触により、「金時計」は「藤尾」の身代わり(隠喩)になります。この小説世界のなかで「金時計」は一貫して「藤尾」と一体のものとして語られます。
生前、藤尾の父はこの「金時計」をやると、宗近一に言っていました(『夏目漱石全集4』ちくま文庫69-70頁)。藤尾を意味する「金時計」を宗近一にやるということは、藤尾を一(はじめ)にやることでもあります(同138頁)。ですから藤尾は宗近家の嫁に行くものと思われていました。
 また宗近の父は娘の糸子(いとこ)をいとこの甲野欽五の嫁にやろうと考えており、糸子もそれを意識しています。つまり甲野家と宗近家は、相互に娘を嫁にやる予定だったのです。
 レヴィ=ストロースによれば、婚姻関係は「女」という物を贈与する関係と見ることができます。ここでは甲野家と宗近家が娘を相互に贈与しあっています。つま両家の関係は、レヴィ=ストロースの用語で言えば、「限定交換」がおこなわれる、そうした閉じた関係だったわけです。
 しかし欽五の父が外地で急死することで、事態は急変します。藤尾の母は、実の子ではない欽吾が、自分のめんどうを見てくれるか不安です。ですからできれば欽吾を追い出して、藤尾に婿を取らせて自分の立場を安定させたいと考えています。継母の押し殺した強欲さにへきへきとした欽吾「色の世界」(仏教用語での物質世界)を嫌悪し嘔吐する欽吾は哲学の世界に逃避しようとしてしています。
 ここで藤尾の花婿の候補として浮かび上がったのが、小野清三です。小野は東京大学を優秀な成績で卒業し、恩賜の銀時計をもらい、さらに博士論文を執筆中です。藤尾の母は小野に藤尾の英語をみてもらうようにし、両者を結びつけようと画策しています。つまり実の娘をできるだけ高く売ろうとしているわけです。
 小野は京都で井上孤堂という先生の世話をうけており、そのかわり井上先生の娘、小夜子の将来の夫となることを約束していました。しかし東京に出て、銀時計を獲得した今、小野はさらに博士となって金時計たる藤尾を獲得したいという欲望をもっています(同106,154頁)。
 藤尾をできるだけ高く売りつけたいという藤尾の母の欲望と、美しい才媛である自分にふさわしい趣味のある男と結ばれたいと思う藤尾の欲望は、安定した女の交換関係を突き崩してします。宗近一は藤尾をもらえず、また甲野家を出ると甲賀欽吾は宗近糸子を伊賀家の嫁にもらうわけにはいきません。また小野は藤尾を獲得するために井上小夜子を棄てるようとします。
 安定した婚姻の関係のなかでは、藤尾も、糸子とおなじく、家から家へと贈与されるものでした。しかし自分にふさわしい(等価な)相手を求めたり、できるだけ高く買われることを望むんだ結果、藤尾は一種の「商品」へと変わります。
 それだけではありません。かつては藤尾は宗近家へ贈られる品物でした。しかし藤尾の母は、藤尾(金時計)をつかって将来の博士(小野)を婿にもらう(買い取ろう)とします。ここにいたって、藤尾は贈与物から商品へ、さらに「金」(かね)という特殊な商品(貨幣)へと変身しました。
 作家夏目金之助(漱石)はこの藤尾という女(特殊な商品)のふるまいに、断固たる鉄槌を喰らわせようとします 。小説の終盤で、藤尾に見限られたため逆に自由になった宗近一(はじめ)の活躍により、小野と小夜子が、さらに甲野金吾と糸子が元のさやにおさまり。小野を奪われた藤尾は宗近一に金時計を渡しますが、宗近一は金時計を大理石にたたきつけ壊します。自分と一心同体の金時計が破壊されると、藤尾は倒れ、結果、死んでしまうのでした。

注 明治四十年(一九〇七)七月十九日漱石は小宮豊隆に宛てて、「『處美人草』は毎日かいている。藤尾という女にそんな同情をもってはいけない。あれは嫌な女だ。詩的であるが大人しくない。徳義心が欠乏した女である。あいつをしまいに殺すのがー篇の主意である。うまく殺せなければ助けてやる。しかし 助かればなおなお藤尾なるものは駄目な人間になる。最後に哲学をつける。この哲学は一つのセオリーである。僕はこのセオリーを説明するために全篇をいているのである。」と書ている。(小宮豊隆著『夏目漱石』(中)岩波文庫1987年299頁)

 ところで藤尾と同一視される「金時計」はいかなる意味をもつのでしょうか。小野にとってはそれは恩賜の銀時計のさらにさきにある出世の象徴です。さらに「金」は貨幣(金)を意味します。「時計」はどうでしょうか。「時計」は近代的な時間を意味します。それは労働を測定しその価値を計ります。ですから「時は金なり」です。またそれは一国の共通時間を意味します。日の出、日の入りを「明け六」、「暮れ六」と呼んでいる、地域により、季節によって異なる時間ではなく、社会全般をおおう「普遍的な」時間です。
 この「金=時計」の死によって、自然な時間、つつましく自然な欲求と交換の世界がよみがえり、秩序は回復されるのです。
 ところで、この小説では京都と東京は対照的な世界として設定されているように思われます。すなわち、京都は納まるべきものが納まるべき所に納まっている世界であり、東京は固定した関係が流動化し、絶えず新たな欲望が喚起される世界です。こうした「文明」の世界の典型としてこの小説にとりあげられているのが連載当時開催されていた、東京勧業博覧会(明治40 (1907)年)です。
「蟻は甘きに集まり、人は新しきに集まる。文明の民は激烈なる生存のうちに無聊をかこつ。・・・文明の民ほど自己の活動を誇るものなく、文明の民ほど自分の沈滞に苦しむものはない。文明は人の神経を髪剃に削って、人の神経を擂木と鈍くする。刺激に麻痺して、しかも刺激に渇くものは数を尽くして新しき博覧会に集まる。・・・蛾は灯にに集まり、人は電光に集まる。・・・昼を短しとする文明の民の夜会には、あらわなる肌に鏤たる宝石が独り幅を利かす。金剛石は人の心を奪うが故に人の心よりも高価である。泥海に落つる星の影は、影ながら瓦よりも鮮やかに、見るものの胸に閃く。閃く影に躍る善男子、善女子は家を空しゅうしてイルミネーションに集まる・・・」(190-1頁)
 東京勧業博覧会では、不忍池に建てられたパビリオンはその見事な電飾で多くの観客を集めていました。この小説ではそれを舞台にして描いています。
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「・・・イルミネーションは点いた。
『あら』と糸子が云う。
「夜の世界は昼の世界より美しい事」と藤尾が云う。」(同194頁)

「空より水の方が綺麗よ」と糸子が突然注意した。・・・イルミネーションは高い影を逆まにして、二丁余の岸を、尺も残さず真赤になってこの静かなる水の上に倒れ込む。黒い水は死につつもぱっと色を作す。」(同196頁)

 作家はよくこうした短いせりふに作品全体の重要なヒントを滑りこませるものです。ここで漱石が言いたいのは、人々があつまっているこの東京博覧会は倒錯した幻影である、ということです。さらにそれはこの東京の文明の倒錯性です。宝石(ガーネット)の飾りのついた金時計(藤尾)のもつ輝きは夜の博覧会のごとく、人(小野)の欲望をかきたてはするが、それは幻の、しかも本来の欲求からは倒錯した欲望にほかならない、ということを示唆しているのです。
 休息のため席についた甲野と糸子、左近と藤尾は、偶然そこで井上親子と小野を見つけます。小野と小夜子は夫婦のように見えます。(後で左近が小野に二人は夫婦のように見えた、と話しています)(261頁)。この夫婦のようにみえる小野と小夜子の関係に藤尾は烈しい嫉妬と怒りを感じ、この関係を壊そうとします(205頁)。
 元来、人は自分の欲求充足をそのための手段たる品物によって満たすします。そこには欲求とそれを満たす品物との直的対応関係があります。しかし貨幣経済が進展すると、ひとは現実の欲求のためでなく、いつか生まれてくる欲求のために貨幣をため込み、しいては貨幣を多く獲得すること自体がその人間の欲求となってきます。欲求充足と品物との対応関係は貨幣によって崩されていくのです。
 商品(小夜子)と固定客(小野)とが夫婦のように納まっているのを嫉妬する、特殊な商品、それが藤尾です。つまり彼女は商品と客との間を流動化させる存在としての特殊な商品、つまり貨幣であることがここの描写からもうかがわれるのです。
 そしてこの作品はまさに「貨幣の死」によって安定した伝統的関係が復活することを描いた作品なのです。
 それはこの作品がまさにそうした伝統的な安定した関係が崩されつつあった時代に書かれたことを意味しているのです。
 
(2)ジンメルの貨幣論
 ところで『虞美人草』の宗近家と甲賀家とは、自己消費できない娘を両家がもち、相手の娘を嫁に貰いたがっていました。つまり、消費と供給の欲望が、交換のする者どうして、ちょうど一致して成立していたわけです。つまり、Aがもつ商品aを、Bが求めており、また同時に、Bがもつ商品bを、Aが欲しているという状態です。しかし、そういう双方の欲望が一致する場面というのはまれなことです。こうした双方の欲望の一致という制限が、貨幣が登場することで、打ち破られることで、交換はAとBという範囲を超えて、自由でフレキシブルなものとなるわけです。
 ところで貨幣ついて哲学的・社会学的な考察をした学者に、ゲオルグ・ジンメル(Georg Simmel 1858-1918)という学者がいます。彼は、まず「貨幣の心理学のために」(1889 年)という論文で、まず、この限定的交換が貨幣によって乗り越えられることに注目しました。
貨幣がなければ、交換は互いのものを欲求していなくては成立しません。
A  B

a b
しかし、貨幣(Geld)があれば、所有者Aはひとまず自分の持ち物 a をお金G1と交換しておきa⇔Ga、後から、自分のほしいもの、たとえば商品fをお金Gfで買えばよくなります。同時に交換が成立する必要もないし、また交換がおなじ金額になる必要もなくなります。a を売って得たお金G1が f を買うお金G2とおなじ必要もなくなります。
所有者Bも同じことができますし b⇔Gb
CもDもFも・・・同様です。c⇔Gc d⇔Gd f⇔Gf ・・・
お金を得た所有者は、自分がほしい物がほしい値段で市場に現れるのを待つことができます。こうして交換は広がりかつ柔軟なものとなります。
aがほしい、bを使ったことしたい、cを食べたい、などなどの目的は、ひとまずその手段としてお金(貨幣)を手に入れておいて、そのあとで機会をみて実現すればよいこといなります。お金(貨幣)は目的実現のための手段としてとりわけ優れているのは、普通の手段なら、aという目的のための手段maは、bという目的のための手段mbに転用することがむずかしいのに、お金(貨幣)だとその転用ができてしまうということです。つまり、お金(貨幣)はどんな目的に対しても手段となりえるのです。
 ジンメルはこのお金があらゆる目的の手段となりえる性質を、ちょうど、動力をいったん電力の形に転用すことになぞらえています。
「このことは、落下する水の力、熱せられた気体の力、あるいは風車の翼の力といったいかなる任意も、これらが発電機に導かれれば、この発電機によって、あらゆる任意の望ましい力の形式へと転用されることができるという事態とほぼ同じことである」(大鐘武訳『ジンメル初期社会学論集』恒星者厚生閣1986年138頁)。
「わたしの行為ないし所有も、わたしのさらに生ずる願望に資するために貨幣価値の形式に入らなければならない」(同139頁)
 ふつう、ジンメルの言う「形式」とは関係のパターンのことです。彼がはじめた「形式社会学」とは、社会関係のパターンを、個々の人間の内容(中身)ではなく、関係性から考察する学問のことです。しかし、ここではさらにふみこんで、「交換可能で転用可能なもの」を指しています。
 さて、お金(貨幣)はあらゆる目的の手段となりえるのですから、いつしか、お金を得ることが自己目的となってしまうというのは容易に予想できることです。これをジンメルは「貨幣が自己目的となる心理的メタモルフォーゼ」と呼んでいます(同142頁)。
 こうして、貨幣があらゆる目的を実現できる手段として自己目的化していくと、貨幣は普遍的で透明なものとなって、あらゆるものの価値を表すものとなっていきます。この価値は、ものの固有の価値とはちがって、あくまでも商品交換という運動が、貨幣の形をとって現れているのです。ものの値打ちがお金(貨幣)で計られるというのは、「事実や理念を不変の形式から、つまり変わることなく固定的であるものや永久に存在するものの形式から、運動の形式へ、つまり事物の永遠なる流れや絶えざる発展の形式へと変える大文化過程の一側面である」(同156頁)と述べています。
 こうしてあらゆる物の価値を、公平で透明な形であらわす貨幣は、一種の神のような存在として現代において現れている、として論を閉じています。
 その後、ジンメルは「近代のおける貨幣」(1896年)という講演をしています。内容は、「貨幣の心理学のために」と重なります。新たな論点として、貨幣の登場で、所有者と所有物との密接で固定的な関係から解放されたこと、貨幣によってあらゆることが金勘定という計算によって支配されること。また目的となった貨幣をもとめて人々は狂奔することを指摘しています。
 この後、ジンメルは大著『貨幣の哲学』(1900)に取り組みます。この本については来週取り上げることにしましょう。この大著の後、そのエッセンスをまとめた論文「大都市と精神生活」でジンメルは次のように書いています。
「大都市的な個性の類型を生じさせる心理学的基礎は、神経生活の高揚であり、これは外的および内的な印象の迅速な間断なき交替から生じる。・・・
大都市は昔から貨幣経済の場であった。・・・
経済心理学的領域での本質的なことは、この場合こうである。すなわち、原始的状態では生産は商品を注文した依頼人のために行われ、その結果生産者と買い手とはたがいに知り合いになる。しかし現代の大都市は市場のための生産、言いかえれば、本来の生産者の視圏にはけっして入らないまったく未知の買い手のための生産によって、ほとんど完全に維持されている。これによって双方の側の関心は、冷酷な主観性を獲得する。・・・
おそらく倦怠ほど無条件に大都市に保留される心的現象は、けっしてないであろう。これはまず第一に、急速に変化し対立しながら密集するあの神経刺激の結果であり、大都市の知性の高揚もこのような神経刺激から生じるように思われる。そのため実は、もともと精神的に不活発な愚鈍な人間は、まさに飽きることのないのがつねである。無際限の享楽生活は、神経を長く刺激してきわめて強い反応をひきおこし、ついには神経がもはやいかなる反応もあたえなくなるため、倦怠を生み出すのである。…
このような心の気分は、完全に浸透した貨幣経済の正確に主観的反映なのである。貨幣は、事物のあらゆる多様性をひとしく尊重し、それらのあいだのあらゆる質的相違をいかほどかという量の相違によって表現し、そしてその無色彩性と無関心とによって、すべての価値の公分母にのしあがる。そうすることによって貨幣は、もっとも恐るべき平準器となり、事物の核心、その特性、その特殊な価値、その無比性を、望みなきまでに空洞化する。事物はすべて同じ比重で、たえず流動している貨幣の流れのなかに漂い、すべての同じ平面に横たわり、ただそのまとう断片の大きさによってのみ、たがいに区別されるにすぎない。…(ジンメル著作集第12巻270-5頁)
 大都会がもたらす絶えまない刺激と倦怠。ここに至って、私たちは、漱石の『虞美人草』の記述のきわめてよく似た考察を見ることになります。漱石とジンメルが見ていたものはおなじ近代の貨幣によるあらゆるものの商品化とそのぼうだいな商品の集積として社会の富が現れてくる資本主義という時代だったように思われるのです。
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by takumi429 | 2016-05-19 06:55 | 社会学史 | Comments(0)

4.逆説としての近代 ヴェーバー(1)

4. 逆説としての近代 ヴェーバー(1)

1.マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
(マルクスのいうような)資本主義が成立するためには
①たえずもうけ(利潤)を資本として再投下するような(禁欲的な)資本家と
②その資本家のもとで文句もいわず働く勤勉な(禁欲的な)労働者とが
現れなくてはいけません。
 ではこうした禁欲的な資本家と労働者はどのように現れたのでしょうか。
 この問題に答えようとしたとき、私たちはマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という著作に出会うことになります。
 まずこの著作の内容をみていく前に、この作品がどのような問いかけに支えられていたかをみていくことにしましょう。

(1)異化する問い(あたりまえを疑う)
この著作のはじめの方で、ヴェーバーは、つぎのような金儲けに精を出す資本家への問いかけ(自問自答)を提示しています。
「休みなく奔走(ほんそう)することの『意味』を彼ら(「資本主義精神」にみたされた人々)に問いかけて、そうした奔走のために片時も自分の財産を享受しようとしない態度は、純粋に現世的な生活目標から見ればまったくの無意味ではないかと問うとき、彼らは、もし答えうるとすれば、『子や孫への配慮』だと言うこともあるだろう。しかし、より多くは、---『子や孫への配慮』という動機は、明らかに彼らだけのものでなく、『伝統主義的』な人々にも同様にあるのだから---より正確に、自分にとっては不断の労働を伴う事業が『生活に不可欠なもの』となってしまっているからなのだ、と端的に答えるだろう。これこそ彼らの動機を説明する唯一の的確な解答であるとともに、事業のために人間が存在し、その逆でない、というその生活態度が、[個人の幸福の立場からみると] まったく非合理的だということを明白に物語っている。」(Archiv 54/RS・30/訳79-80頁。()は引用者挿入、[ ] は改定時(1920年)の加筆)。
 この引用を問答形式に書き直してみよう。
「なぜ楽しむことを知らずにそんなに休みなく働いているのです?」
「子どもたちに財産を残すためですよ。」
「でもそれは昔の人たちでも考えたことですよ。でも彼らはずいぶんのんびりと生活を楽しんでいきていました。決してあなたのようにあくせくと働いてはいませんでしたよ。」
「ええ、なるほどそうですね。」
「じゃ、なぜそんなに働くのですか。」
「まあ、働かずにはいられない、働いて事業を続けることが生活の不可欠なものになっているとでもいうですかね。」
「それじゃ、あなたという人間のために事業があるのではなく、事業のためにあなたは存在する、というわけですね。」
「まあ、そういうことになりますかね。」

 私たちがすっかりなじんでいる(同化している)ものを奇妙でよそよそしいものものに変えることで、それをはっきりと見えるものにすること、こうした技法を、芸術論では「異化」と言います。ヴェーバーはいわばこの「異化」の手法を用いて、日常当たり前に仕事に精出す資本家のあり方が、「人間のために事業があるのでなく、事業のために人間がいる」というきわめて倒錯したものであることをあばきたてるのです。
 日常のきわめて当たり前で理にかなったと思われる生活に潜む倒錯(非合理)。それをかぎ当てるヴェーバーの視点は特異なものです。この視点をヴェーバーが得たのは、じつは彼自身が禁欲的な学者として勤勉に励んだあげくに精神的に疲れ果てはらゆる社会的地位を失うという経験をしたからです。
 ヴェーバー家の長男として生まれた彼は、家督継承者(あとづぎ)のとしての「証し」を示すべく、強迫的に職業に邁進しました。しかし父親を家族の前で弾劾しその結果父親が客死してしまい、彼は精神神経症を病んで、仕事ができなくなり、職業人から転落します。この転落の経験から、以前の、強迫的な職業人としての自分を振り返った時にうまれたのが、この『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という論文だったのです。 
 この論文はこうした資本主義の精神に慣れっこになりそれに浸りきっている人びと、すなわち現代の私たちの倒錯した生活のあり方がどのように生まれたかを説明しようとする論文なのです。

(2)「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」あらすじ                            
 第1章 問題の提示
 第1節 信仰と社会階層
統計をみると、資本主義に参加することと、プロテスタント(新教徒)であることとの間にプラスの相関関係があります。この関係に対して、一般的にはつぎのような説明が考えられます。(1)経済発展が改宗を引き起こした、(2)少数派は経済に専念する、(3)プロテスタントは世俗的だから、(4)営利活動の反動で宗教に向かった。しかしこれらの説明に対しては、(1)むしろ宗教性が経済志向を決定しがち、(2)ドイツではカトリックの方が少数派、(3)プロテスタントはむしろ非世俗的だった、(4)プロテスタントでは事業と信仰が仲良く同居していた、という反論が成立します。そこでむしろ、一見水と油のようにみえる、資本主義参加とプロテスタントであることが、じつは「親和的関係」(相性のいい関係)にあり、プロテスタンティズム(新教)から資本主義への参加、がじつは説明できるのではないか、と考えられます。それをこれから考察していくことにします。

 第2節 資本主義の「精神」
まず「資本主義の精神」を体現している思想として、フランクリンの思想を取り上げます。そこにみられる精神は、営利による資本の増大を自分の倫理的な義務とみなすような精神です。この精神はフッガーのような単なる金銭欲とはちがう、ある種の倫理性をもっています。
 この「資本主義精神」は、これまでどうり生きていければ良いする「伝統主義」とは対立します。ゾンバルトは経済の基調を、(1)「欲求充足」と(2)「営利」とに分けています。しかし営利活動が伝統主義によって営まれていることもあります。ですから「資本主義精神」は経営組織のあり方から自然に生まれるものではないのです。むしろこの精神が入り込むと、(私の叔父の例にみられるように)経営組織の形態が同じでも、劇的な変化がもたらされます。
 この精神はよく問うとみると、じつはきわめて倒錯的で非合理的です。けっして世俗的な目的を追求する合理性からうまれたのとは思えません。ではこの、営利活動を倫理的義務、すなわち「天職Beruf」とみなすような思想はどこにその源泉をもつのでしょうか。

 第3節 ルッターの天職概念
営利活動での資本増大を「天職」とみなすこの思想は、世俗の労働を「天職Beruf」と訳したルッターの宗教改革の精神に由来します。つまり彼は修道僧にしか通用しなかった「天職」の論理を世俗の仕事に適用したのです。しかし世俗労働を「天職」とみなすだけでは、「資本主義の精神」がもつ、資本の増大をたえず求める、あの駆り立てられるような心のありかたは生まれてきません。絶え間ない資本の増大へひとびとを駆り立てた起動力(Antireb)はどこにあったのかを知るために、プロテスタンティズムの禁欲思想にわけいることにしましょう。

 第2章 禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理
 第1節 世俗内的禁欲の宗教的基盤
禁欲的プロテスタンティズムの、主な担い手は、(1)カルヴィニズム、(2)敬虔派、(3)メソジスト派、(4)再洗礼派系の教派、に分けられます。
 とりわけ(1)カルヴィニズムの「予定説」、すなわち、人は救いと滅びのどちらかに予定されており、それは変更不可能であるという教えは、決定的な影響力をもちました。ピューリタン革命時のイギリスでまとめられた「ウェストミンスター信仰告白」にはこの教えが明記されていることからも、この教えが一般信者にとっても周知の教えだったことは明らかです。自信のない一般の信者が、救いに予定されていることの「証し」を求めるのは無理もないことでした。ルッターは世俗の労働も神から与えられた「天職」とみなしてよいとしていました。ですから修道院でおこなわれた合理的な禁欲的主義で世俗の労働を行うことが可能になっていました。カルヴァン派の人々はこの合理的・禁欲的な世俗の労働で「神の栄光」を増大させることに「救いの証し」を見いだそうとしました。
 こうした傾向は(2)敬虔派、(3)メソジスト派でも同様でした。ただ両派では感情的側面が強く、その分だけ合理的な禁欲が弱まっています。
 (4)再洗礼派系の教派の教義はこれとはちがいます。彼らは心正しき者だけから構成された「教会」を作り上げようとしました。心正しさは精霊がその者に宿ることで証明されます。ですから精霊が宿るのを妨げるような、人間の本能的で非合理的なものを克服しようとしました。その結果、合理的な禁欲主義をめざすことになったのです。
 こうしていずれの宗派の信徒も、神に召命された者であることの証しをもとめて、合理的で禁欲的な世俗労働へと駆り立てられたのです。

 第2節 禁欲と資本主義精神
プロテスタントでは牧師が信徒の相談にのり指導することを「司牧」(Seelsorge)といいます。ここでは、この司牧の活動からうまれた神学書、とくにバクスターの書いたものをとりあげます。この司牧(魂のみとり)は宗教的な教えが日常生活へ影響する際の仲立ちの役割をしているからです。
 プロテスタント、とくにカルヴェン派、の司牧では、「救いの証し」とされる「神の栄光」の増大は、有益な職業労働から生まれるとされました。そしてその職業の有益さは、結局、その職業がもたらす「収益性」(どれだけ儲かるか)で測かることができるとされるようになりました。しかも楽しみ事は徹底的に否定されました。その結果、儲けても、楽しみに使わず、さらに営利活動に投資してどんどん利潤を追求していくことが宗教的に奨励されたのです。しかもそうした経営者のもとには、仕事を「天職」とみなして必死になってはたらく勤勉な労働者さえも与えられたのです。
 しかし富が増大するにつれて宗教心はうすれていきます。その結果、フランクリンにみられた、倫理的ではあるが宗教色の消えた「資本主義の精神」、つまり営利による資本の増大を自分の倫理的な義務とみなす精神が生まれたのでした。
 こうしてつぎのことがあきらかにされました。すなわち、資本主義を構成する要素のひとつである、「天職」という考えのうえにたつ合理的な生活態度は、ルッターの「天職Beruf」という考えを前提にしてプロテスタント(新教徒)がみずからの「救いの証し」を合理的な禁欲で追求したことから、もたらされたのです。
 しかし現代においては資本主義はすでに自律的な自動運動をしており、もはやそれを生み出した精神の支えを必要とはしていません。私たちは、生命のない機械と生きている機械(官僚制)の運動のただ中に、巻き込まれていくばかりなのです。

(3)内容の再整理
 さてこうして「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のあらすじをのべたわけですが、ここでもう一度この作品の内容を整理しなおしてみましょう。
 この著作はしばしば西洋的合理化を述べた作品であるかのごとく語られます。しかし内容を要約すると、解明はおもに経済的な側面に向けられていることがわかります。
 社会の主流である経済体制が、「欲求充足」の経済体制から「営利」中心の資本主義体制に移行する。その移行、あるいは転換はどのように起きたのか、それにたいする宗教の働きが問題とされています。
 「欲求充足」の経済に適合的なのは「伝統主義」とよばれる、これまで通りの生活ができればいいとする精神です。それに対して、「営利」活動が中心となった資本主義は、もちろん伝統主義によって営まれることはあるにせよ、やはりそれに適合的なのは営利を自己目的とした「資本主義の精神」です。
 しかしこの「資本主義の精神」はそれ以前の「伝統主義」からは生まれたとは考えられません。伝統主義が「今生きてあること」(dasein)を大切にするのに、「資本主義の精神」は現在を犠牲にして果てしない彼方にあるものへ向かって駆けていく、そうした倒錯した精神だからです。
 そうした精神の由来を、ヴェーバーは修道院の禁欲主義に求めます。世俗を離れ、ただ神のみを想い、厳しい労働によって自分たちばかりか俗人たちの救済を作り上げていた修道士の活動の論理。この論理はどのように世俗へともたらされたのでしょうか。
 神からの呼びかけによって与えられた使命としての職業(Beruf) はそれまで、聖職のみに限定されていました。ですから修道僧の禁欲もあくまでも世俗の外の修道院に限定されたままでした。
 しかしルッターが、世俗の一般の仕事も、神からのお召しによる「職業」であるとみなしたことで、この修道院だけにあった禁欲主義は世俗へともたらされました。ちょうどレールを切り替えることで電車が引き込まれてくるように、禁欲主義は世俗の労働に適用可能になりました。
 その意味で、ルッターはレールを切り替える人、つなわち「転轍手」であるわけです。
 しかし世俗の仕事が「職業=使命」とみなされるだけでは、あの追いたれられるような、強迫的な労働は生まれません。
 それをもたらしたのは、カルヴァン派の宗教カウンセリング(「魂のみとり」)でした。彼らの「魂のみとり」(司牧)では、業績とか収益が「救いの証し」であるとみなされました。その結果、自分が救いに予定されているか不安な平信徒は、「救いの証し」をもとめて、いまや聖職と同格の「職業」と見なされるようになった世俗的労働にまい進することになったのです。
 図にまとめると次のようになるでしょう。
修道院の禁欲--------┐転轍
                ↓
伝統主義--→×  資本主義の精神   
    ∥        ∥ (適合)
欲求充足---------→営利

ルッターの転轍       :仕事を「職業=使命」とみなす
         「意味連関」:修道僧の禁欲的労働の論理が世俗労働をつかむ
 カルヴァン派の「魂のみとり」:収益を「救いの証し」とみなす 
         「感情連関」: 不安→証しの追求 心理的起動力が生まれる 

ルッターの転轍により、世俗労働=「職業」とルッターがみなしたことにより、修道院の禁欲の論理が世俗の労働をつかみます。人々は日常の仕事を、神から与えられた、神の意にそった「使命」としてはげみます。つまりあたらしい意味の連なり(意味連関)が世俗の労働をとらえたのです。
 カルヴァン派の魂のみとりは、収益・業績=「救いの証し」とみなしました。不安にあえぐ人たちは「証し」を求めて仕事(職業)にまい進しました。こうして禁欲的な労働の心理的な機動力がうまれたのです。収益をあげても救われるわけではありません。しかし一般の信徒は心理的に収益をあげて安心したいと思ったです。つまりここでは目的-手段の連関があるのではなくて、不安から労働するという、心理的な連なり(感情連関)があるわけです。
 くり返しになりますが、ここでは二つの「解釈がえ」があったわけです。
 ルッターは日常的な労働が「転職」として解釈しなおしました。その結果、聖職者の世界と俗人の世界の区分の廃絶され、聖職者(修道士)の論理が俗界への侵入してきました。しかしそれだけでは社会資本主義へ転換するには不十分でした。
 カルヴァン派では収益・業績が「救いの証し」と解釈されました。その結果世俗的労働にまい進する心理的機動力が生まれました。そうして、伝統主義が支配していた経済は、資本主義が支配する経済システムへと移行したのです
 つまり、伝統主義と結合していた伝統主義的経済(単純再生産)を、宗教的な合理的禁欲思想が捉える。その帰結として、伝統主義的経済システムから資本主義的経済システムへの移行がうまれたのです。
 ここでは新しい社会科学のアプローチが生まれています。つまり行為をする人間がその行為をどのような意味づけをしているのか、その意味づけをちゃんと解釈し理解することで、その行為はどのように社会を作り上げていく、あるいは社会を変革していくのかを説明しようとするアプローチです。これがヴェーバーの「理解社会学」というものなのです。(ヴェーバーはとりわけ後者の社会変革の方に関心があったように思われます)。
 
 さてヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』はプロテスタントの禁欲主義という、一見正反対のものから資本主義の精神が生まれたことを明らかにしました。それは彼の言い回しを使えばまさに「意図せざる結果」だったのです。ヴェーバーの発想は、資本主義を語る場合にも欲望や消費のだんだんに増大していくというような他の論者の発想とは異なります。いったんそれとは正反対の禁欲というものが張り込むことによって資本主義の発展は促進されたというのがヴェーバーの考えでした。ヴェーバーによれば近代とはこうした逆説的な逆転によってもたらされたのです。一見正反対なものがその発展をもたらす。惑星がいったん逆行してから順行していくようにヴェーバーのとらえる歴史発展は、ある傾向が順調に拡大発展していくのでなく、いわば逆説的な逆転が常にはらまれているのです。

 補足:逆転の構図 言及された小説から
 その際この倒錯に至る逆説的な発展とでも言うべきものが、この著作で言及されている2つの小説を比較することでよく見えてます。
 この論文のなかではヴェーバーは、プロテスタントの精神をうまく表した小説としてヴァニアンの『天路歴程』(1678) という小説を挙げています。この小説は滅びに予定されている都市に住んでいることを知った信徒が救いを求めて遍歴を続け、さまざまな誘惑と困難を乗り越えて天国へと行くという話だ。途中、信徒は「正直」と言う名の者と知り合い、仲間となってともに天国へと向かう。 
 さてこの小説に関して、ヴェーバーはゴットフリート・ケラーという作家の「三人の櫛細工人」という小説を思い出すと言っています。
 ケラー(Gottfried Keller1819‐90)という作家はスイスのゲーテと呼ばれた作家です。。
「三人の櫛細工人」という小説はスイス人の生活をユーモアをこめて批判的に扱った短編集《ゼルトウィーラの人々》(第1巻1856,第2巻1874)に納められています。
 この小説ではあるごうつくばりの櫛細工の親方のもとにいる三人の櫛細工人たちのことを描いています。職人たちは動きが取れない冬が終わると、このごうつくばりの親方のもとを去って遍歴していくのが常でした。しかしここにきまじめな三人の職人が登場する。彼らは親方にこき使われてろくなものも食べされられなくてもただもうまじめに働き小金をため込んでいる。職人をこき使って儲け、図に乗ったあげくの果てに散財してしまった親方は三人に親方株を売ることを持ちかける。三人は親方株を買うために小金をもっている高慢なハイミスをめぐって争奪戦を演じる。結局だれが彼女をものにするか決めるために、町はずれから町の親方の家まで競争することになる。スタートの時にハイミスは勝ってほしくない職人をわざと誘惑して出遅れさせた。出遅れた職人はゴールに向かうより彼女をものにしてしまった方が早いことに気づき、そうする。それに気づきもせず先にスタートした二人はお互いに相手を引っ張ったりこづいたりあげくのはてに殴り合いながらゴールを通過してついには町はずれまで駆けていく。二人がゴールに気づかず去った後に、ハイミスをものにした職人が親方の家に勝利者として入っていった。敗者となった職人のひとりは首をつり、もうひとりは失踪。親方になった職人は女房の尻に敷かれた人生を送ることになった、そういう話です。
 ヴェーバーは『天路歴程』の巡礼者が二人して話しながら天国へと向かっていく箇所が、この「三人の櫛細工人」を思い起こさせると書いています。
 『天路歴程』では二人の巡礼者が協力しあって天国というゴールにたどり着きます。『天路歴程』のある版にはつぎのような双六の絵のようなものが付いています。巡礼は渦巻きになって、最後は中心の天国で上がりとなります。
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「三人の櫛細工人」ではどうでしょうか。二人の職人は町の中心の親方の家を目指しています。しかしお互い妨害しながら進んでいったために、ゴールを通り過ぎてしまい、町はずれまで行ってしまうのです。
 こうしてみるとこの二つの話が、まるで写真のポジとネガのような関係になっていることが分かります。『天路歴程』では宗教心にみちた二人が語り合って中心に向かっていくのに対して、「三人の櫛細工人」では目的、それも本当の目的から離れ手段を目的と勘違いした目的をめざして、互いに足を引っ張り合いながら駆けていく。
 『天路歴程』から「三人の櫛細工人」への転換。それはどうして起こったのか。この逆転を説明することにこの作品はじつはなっているのです。
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by takumi429 | 2016-05-13 10:07 | 社会学史 | Comments(0)

3.テンニース『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』

3(改) テンニース 『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(1887)

まず前回の復習をかねて、NHK高校講座世界史『産業革命と社会問題』を見よう。

導入
ここに二人の孫、所くんと財全くんがいるとしよう。二人の祖父はともに東京大学を主席で卒業し、恩賜(おんし)の銀時計をもらった。
所くんは小さいころからおじいさんにこの懐中時計をみせてもらっていて触ったりしていた。いまはおじいさんからゆずられたこの時計は所くんの胸ポケットにいつもある。使っているうちにできた小さなへこみ、ねじを巻くときのぎりぎりという指先につたわる美振動、それらがすべてやさしいが凛とした祖父の姿を思い出せる。胸ポケットにコチコチを時を刻む音は祖父の鼓動のように感じされ、所くんの思い出のなかでおじいさんは今も生きている。
生前、ほとんど会うこともなく疎遠にしていた祖父がなくなり、その祖父の銀時計を形見分けとして相続することになった財全くん。さっそくネットでみたら1850000円の高値で販売されいた。ただすこし凹んだところがあり、箱もないので、これほどの高値にはならないだろうが、明日、さっそく骨董屋にもって行って鑑定してもらおうと思う。高値がついたらすぐに売って、新型のiPadを買うつもり。お金が余ったら、そうだなあ、フレンチでも家族で食べに行くかな。

所くんにとってこの銀時計は思い出の品であり、人にはゆずれない、そうした価値のある所有物(Besitz)である。
財全くんにとってはこの銀時計は、処分可能な財産(Vermoegen)であって、売って得たお金はいろんなことに使える。
前回、使用価値と交換価値というマルクスの二分類を見た。所くんにとってはこの銀時計は限りない使用価値をもっているが、財全くんにとっては、売ってなんぼの交換価値をもつものでしかない。
所くんとこの時計の関係は、思い出と代えがたさをもつだ。さらに所くんとおじいさんの関係は、思い出(記憶)と継承の代えがたい関係だ。この関係をおしひろげていくととどんな物と人、さらに人と人との世界がうまれていくだろうか。
また財全くんの時計の関係は、計算づくで、できるだけ高くうることで、お金に代え、できるだけ多く役立てて多くの満足をえることだ。また財全くんとおじいさんの関係は、なくなった人間とその相続人という法的な関係にすぎない。この関係を物と人、人と人に押し広げるとどんな世界がうまれてくるだろうか。

テンニースは、私たちの社会は、欲得づくの計算による選択的な関係であるゲゼルシャフトと、代えがたい記憶と愛着とからなる関係であるゲマインシャフト、の二つからなると考えた。

フェルディナンド・テンニース(Ferdinand Tönnies1855-1936)は、もともとホッブズ(Thomas Hobbes 1588-1679)の研究者として出発した。研究者としてはどの程度のレベルかというと、ホッブズの未発見の草稿をテンニースが発見し、いまでもホッブズ研究者がそれに依拠している。

ホッブズの描く人間社会は、人間と人間が争いあう世界である。
ホッブズが『リヴァイアサン』(1651)の述べた〈服従契約としての社会契約説〉はつぎのような三段論法からできています。
(1)人間には自分を守ろうとする、おのずからそなわった権利がある(自己保存への自然権)。しかしそうして自分を守ろうとする人間は自分を守るために他人を傷つけ殺すこともいとわない。その結果、放っておけば、人間が人間に対して、まるで「狼が狼に対するような」殺し合いの状態になってしまう(〈暴力的死の恐怖〉の中で向き合う自然状態)。
(2)これでは人間同士討ちになってしまいかねない。そこで人々は、自分を守るための手段(暴力・武器など)を、ある特定に人間に預けることにし、それを互いに約束(契約)して、そうしてこの同士討ちをさけようとする。
(3)その特定の人間は、暴力手段を預けられることで、人々を自由に支配する力(主権 sovereignty)を持つ。主権をもつ人間へ服従することで、ひとびとは互いに殺し合うことなく、自分たちを守ることができるようになる。ここに、特定の人間にひとびとが服従している状態、つまりひとつの国家ができあがる。
ホッブズの社会契約説とは、他の契約説と同じく、あらゆる社会関係をいったん解体し、
自己の保存を追求する個人から社会を構成しなおそうという、思考実験です。しかしこの思考実験は決して思考の内部にとどまるものではありませんでした。それは現実の社会関係の解体と再構築に対応していたのです。
ホッブスの社会理論はユークリッド的な公理体系をめざした。
このホッブズの社会哲学にたいしてテンニースはその処女作『ホッブズ哲学注解』(Anmerkung ueber Philosophie des Hobbes)のなかでテンニースはつぎのように述べています。
「定義と公理から推論され証明される幾何学とその確かさにおいて同等になること、それは学問に可能だろうか、あるいはどうしたら可能であろうか。これが認識理論の中心問題であった。トーマス・ホッブズは新しきヨーロッパでこの問題を解こうと努力した最初のひとりであった」(Vierteljahrsschrift fuer Wissenschaftliche Philosophie 3 (1879) S.461)。
 ユークリッド幾何学は23の定義と5つの公理からその全体系を論理的に構築しています(こういう理論体系を「公理系」といいます)。テンニースによればホッブズの哲学は、このユークリド幾何学的な構成をもつ社会哲学です。

テンニースはホッブズの描く社会は、まさに資本主義の社会にほかならないと考えた。
カナダの政治学者クロフォード・マファーソンはその著『所有的個人主義の政治理論』で、ずばり、「所有的市場社会」にほかならないと指摘します(邦訳77頁) 。自分を守る、ということがすぐに、他人を損なう、ということにはなるわけではありません。それがホッブスが描くように、自分を守ることが他人から奪うことになる、というのは、人間が互いに「取ったり取られたり」の関係にある、つまり、自分の取り分を増やすためには他人の取り分をへらすしかない、という関係にあるということです。マクファーソンはそういう関係があるのは、人間が、互いの持っている(所有している)ものを(市場で)売り買いし合っているような社会、自分が儲けることが他人の損になるような社会、つまり「所有的市場社会」 にほかならない、と指摘します。。ホッブズの『リヴァイアサン』は、所有的市場における「自然状態」を克服するものとしての国家(リヴァイアサン)つまり市場における闘争から国家が要請されていくことを、ユークリッド幾何学のように、公理と定義から積み上げるように記述しようとしたものだったのです。
それは市場社会の社会幾何学だったといえるでしょう。

テンニースは、私たちの社会には、資本主義とそれを補い支える社会体制とは別の社会があると考え、それをゲマインシャフトとよんだ。
テンニースによれば、ゲマインシャフトとは肉親・家族や古くからの町のことで、そこでは親身な関係が支配しています。それに対して、ゲゼルシャフトとは、会社や大都会のような、欲得ずくの関係が支配している人びとの集まりです。
 テンニースは、人間が作る結合体には2つの類型があるとします。ゲマンシャフトは、本質意志による 有機的な(organish) 結合体であり、ゲゼルシャフトとは、選択意志による 機械的な(mechanish) 結合体であるといいます。ここでいう、「本質意志」とは、思惟をふくむ意志、生の統一性原理であり、「選択意志」とは、目的にふさわしいかを考えてものを選んでいる意志です 。ようするに、ゲマインシャフトがほかではありえないような気持ちでつながっている集団や関係であるのに対して、ゲゼルシャフトとは、欲得づくの計算によってつながっている集団や関係といえるでしょう。

テンニースは、人間機械論から社会の論理まで組み上げたホッブズの手法をつかって、本質意思から論理的にゲマインシャフトを組み上げようとした。
テンニースは2類型の集団結合の基礎となる、人間の意志についての2類型をあげます。すなわち、「本質意志」(思惟をふくむ意志、生の統一性原理)と、「選択意志」(意志をふくむ意志そのものの産物)です。
この意志論にもとづいてあるべき社会の基本となる、人と物と法的な関係がうまれます。
ゲマインシャフトゲゼルシャフト
本質意志 選択意志
おのれ(Selbst)人格(Person)
占有(Besitz)財産(Vermoegen)
土地 貨幣
身分権債権

テンニースのゲマインシャフトには、国家を家族や民族よって粉飾・美化しようという意図はなく、国家はあくまでもゲゼルシャフトにすぎない。
重要なのはテンニースが国家を民族を体現したものとはみなしていないことです。
「国家(Staat)は二様の性格を有する。まず第一に、国家は普遍的ゲゼルシャフト的結合である。・・・第二に、国家はゲゼルシャフトそのもの、換言すれば、ここの理性的ゲゼルシャフト的主体という観念と共に与えられる社会的理性である」(179-80頁)。
「国民国家(nationaler Staat)の形成は無限に拡大するゲゼルシャフトの一時的に限定されたものにすぎない」(189頁)。 
 つまり、テンニスにはいわゆるナショナリズムにみられるような、民族と国家を同一視するような指向はないのです。ふつうナショナリズムにおいては、過去の幻影が民族の形をとって現在の国家体制を正当化するものとして要請されます。しかし、ホッブスの社会幾何学に習って、社会集団の2類型を幾何学的に積み上げ明晰に構成したテンニースにとって、国民国家を「民族」の名の下に正当化することは許されないのです。

ナチズムが、「民族共同体」(フォルクス・ゲマインシャフト)の名の下に、その独裁を正当化し美化しようとしたとき、テンニースは憤然とそれを批判して公的場面をさった。

テンニースは、社会のありようを、ホッブズとマルクスがとらえたゲゼルシャフトだけでなく、ゲマインシャフトという原理から、社会を、構築的にとらえかえそうとした。
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by takumi429 | 2016-05-05 21:44 | 社会学史 | Comments(0)

3.テンニース ゲゼルシャフト化としての近代

3.ゲゼルシャフト化としての近代 テンニース 


1.「個体発生は系統発生を繰り返す」(ヘッケル)
親身ではあるが、しかし暑苦しくもある、故郷の街から、この冷たい大都会へ来た。ここでは毎朝、カラスがわが物顔で路上に舞い降り、ゴミ袋から生ごみでついばんでいる。気づくと今日一日、定食屋で「ランチ」でひと言いったきりだ。夜のコンビニに行き、雑誌を立ち読みし、缶コーヒーを買い、店員の娘に「ありがとうございました」とマニュアルどおりの言葉をかけてもらうだけが救いの毎日が続いている。
 この個人的な経験は私だけのものだろうか。ひょっとしたら社会のみんなが経験していることではないのか。そう考えたとき、私たちはテンニースの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(1887年)という著作に出会うことになります。

2.ゲマインシャフトとゲゼルシャフト
テンニースによれば、ゲマインシャフトとは肉親・家族や古くからの町のことで、そこでは親身な関係が支配しています。それに対して、ゲゼルシャフトとは、会社や大都会のような、欲得ずくの関係が支配している人びとの集まりです。
 テンニースは、人間が作る結合体には2つの類型があるとします。ゲマンシャフトは、本質意志による 有機的な(organish) 結合体であり、ゲゼルシャフトとは、選択意志による 機械的な(mechanish) 結合体であるといいます。ここでいう、「本質意志」とは、思惟をふくむ意志、生の統一性原理であり、「選択意志」とは、目的にふさわしいかを考えてものを選んでいる意志です 。ようするに、ゲマインシャフトがほかではありえないような気持ちでつながっている集団や関係であるのに対して、ゲゼルシャフトとは、欲得づくの計算によってつながっている集団や関係といえるでしょう。

3.印象批評風社会理論
してみると、私たちはゲマインシャフトの人間関係からゲゼルシャフトの人間関係の社会へと出てきたわけです。私たちが身の回りの社会に感じる「温度差」のようなもの、そうした時代の感性を受け止めるものとして、テンニースの理論はひとまずあるといえるでしょう。
 しかし、「温度差」だけで、現在と過去を語るのは、「最近はさあ・・・」、「昔はさあ・・・」とか、「今のひとは・・・」、「昔のひとは・・・」という、印象で社会や時代と語りがちになります。テンニースの理論を「なんとなく、こういう傾向があるよね」という、「傾向論」にすぎないのではないか、という批判を、中根千枝が『タテ社会の人間関係』 でしたのは有名です。
 こうした傾向による印象批評は、「温度差」から、勝手に「過去」というものを作り上げがちです。たとえば、最近の離婚率の上昇から、昔の人は離婚なんてしなかったという話をしたがりますが、明治期の日本というのは、世界でも有数の離婚大国でした。少年犯罪が目につくから、昔は少年犯罪なんてなかったみたいな言い方がされたりしますが、戦争直後の少年犯罪の方がずっと多かったのです。
 こうした印象批評による社会論もどきは、かってに「過去」を作り上げるばかりか、「もともとは・・・」、「本来の日本は・・・」、「古来私たちの社会は・・・」などという、過去にたいする幻想をつくりあげ、それをつかって現在を断罪し、「美しき・・・に帰れ」と声高に語ったりしがちです。
 でははたしてテンニースの理論はそういう印象批評風な社会理論もどきのものなのでしょうか。ここで、テンニースとこの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』の成立と内容についてもうすこし見てみる必要があるでしょう。

4.テンニースのホッブズ 研究
『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』を書いたテンニースはどんな経歴の学者だったのでしょうか。
テンニースはもともとホッブズ(Thomas Hobbes 1588-1679)の研究者として出発しました。
ホッブズが『リヴァイアサン』(1651)の述べた〈服従契約としての社会契約説〉はつぎのような三段論法からできています。
(1)人間には自分を守ろうとする、おのずからそなわった権利がある(自己保存への自然権)。しかしそうして自分を守ろうとする人間は自分を守るために他人を傷つけ殺すこともいとわない。その結果、放っておけば、人間が人間に対して、まるで「狼が狼に対するような」殺し合いの状態になってしまう(〈暴力的死の恐怖〉の中で向き合う自然状態)。
(2)これでは人間同士討ちになってしまいかねない。そこで人々は、自分を守るための手段(暴力・武器など)を、ある特定に人間に預けることにし、それを互いに約束(契約)して、そうしてこの同士討ちをさけようとする。
(3)その特定の人間は、暴力手段を預けられることで、人々を自由に支配する力(主権 sovereignty)を持つ。主権をもつ人間へ服従することで、ひとびとは互いに殺し合うことなく、自分たちを守ることができるようになる。ここに、特定の人間にひとびとが服従している状態、つまりひとつの国家ができあがる。
ホッブズの社会契約説とは、他の契約説と同じく、あらゆる社会関係をいったん解体し、
自己の保存を追求する個人から社会を構成しなおそうという、思考実験です。しかしこの思考実験は決して思考の内部にとどまるものではありませんでした。それは現実の社会関係の解体と再構築に対応していたのです。
 このホッブズの社会哲学にたいしてテンニースはその処女作『ホッブズ哲学注解』(Anmerkung ueber Philosophie des Hobbes)のなかでテンニースはつぎのように述べています。
「定義と公理から推論され証明される幾何学とその確かさにおいて同等になること、それは学問に可能だろうか、あるいはどうしたら可能であろうか。これが認識理論の中心問題であった。トーマス・ホッブズは新しきヨーロッパでこの問題を解こうと努力した最初のひとりであった」(Vierteljahrsschrift fuer Wissenschaftliche Philosophie 3 (1879) S.461)。
 ユークリッド幾何学は23の定義と5つの公理からその全体系を論理的に構築しています(こういう理論体系を「公理系」といいます)。テンニースによればホッブズの哲学は、このユークリド幾何学的な構成をもつ社会哲学です。

5.所有をめぐる闘争
ホッブスは、人と人の争いが、「狼が狼に対するような」殺し合いの争いであるとしました。しかし、動物は決して、同一種同士では殺し合いません。狼は狼を殺しませんし、ライオンはライオンを殺しません。殺すのは他の種類の動物であって、同じ種に属する動物は、縄張り争いはすることがあっても殺しあうということはありません。多くの場合、負けた相手は自分の急所を相手にさしだすことでその争いはストップします(ローレンツ『攻撃』)。同じ種でありながら殺しあうのは、人間だけです。殺し合いというのは、きわめて「人間的」な行為なのです。人間がもつ動物的な資質から、この殺し合いは説明できません。むしろ、人間が本来の動物であったものから逸脱してしまったからこそ、この殺し合いはうまれたのです。
 しかし、殺し合いをする人間とはいえ、同じ集団内部の人間を殺すよりも、外部の、別の集団や共同体の人間を殺すことの方が多かったはずです。ところがホッブスの説く人間の「殺し合い」の闘争は、そういった外部の人間だけでなくて、万人が万人にたいしておこなう闘争をさしています。こう考えてみると、この「万人の万人に対する戦争状態」とは、動物的なものでも、古来からのものでもなく、17世紀に社会に生まれてきた新しい事態だったと言わざるをえません。
この、「守るために殺し合う」新しい社会とは何だったのか。カナダの政治学者クロフォード・マファーソンはその著『所有的個人主義の政治理論』で、ずばり、「所有的市場社会」にほかならないと指摘します(邦訳77頁) 。
 自分を守る、ということがすぐに、他人を損なう、ということにはなるわけではありません。それがホッブスが描くように、自分を守ることが他人から奪うことになる、というのは、人間が互いに「取ったり取られたり」の関係にある、つまり、自分の取り分を増やすためには他人の取り分をへらすしかない、という関係にあるということです。マクファーソンはそういう関係があるのは、人間が、互いの持っている(所有している)ものを(市場で)売り買いし合っているような社会、自分が儲けることが他人の損になるような社会、つまり「所有的市場社会」 にほかならない、と指摘します。
 市場社会では、売り買いは身分や家柄とは関係なく自由にされます。それだけに過酷な、取ったり取られたり(自分の儲けは相手の損)の世界です。また、売り買いされるには、その物がその人間の一部であっては売りようがありません。そうではなくて、あくまでもその人間がいまたまたま持っている(所有している)だけで、だからこそ、売り買いできるわけです。お気に入りのペンや先祖代々の茶碗をまるで自分の分身のように、後生大事にかかえこんでいるのではなくて、それがいくらの値段で売れるか、高く売れるなら売ってしまおう、高く売れるからこそ大事にしよう、そう考えるようになる。つまり、売り買いのことを常に考えながら、品物を持っている(所有している)ような社会、それが所有的市場社会なわけです。つまりマルクスのいう「交換価値」が支配的になって社会のあらゆる時と場所に浸透しているような、そんな社会のことです。
つまり、ホッブズの描いた、万人の万人に対する戦争状態とは、じつは資本主義の前提となる所有的市場社会が支配的となった社会だったのです。ホッブズの『リヴァイアサン』は、所有的市場における「自然状態」を克服するものとしての国家(リヴァイアサン)つまり市場における闘争から国家が要請されていくことを、ユークリッド幾何学のように、公理と定義から積み上げるように記述しようとしたものだったのです。それは市場社会の社会幾何学だったといえるでしょう。

6.『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』再読
以上のことをふまえてテンニースの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』を読んでみましょう。
第1篇 主要概念の一般的規定
ここでは、2つの概念の一般規定がなされます。
主題:「人間の意志(Will)は、相互にさまざまな関係を結んでいる」(34頁)
結合体(Verbinding)とは、肯定的な関係によって構成される集団で、つぎの2つです。
 ゲマンシャフトは、現実的(real)で 有機的な(organish) 生(Leben)であり、
 ゲゼルシャフトは、観念的(ideal)で 機械的な(mechanish) 形成(Bildung)です。
第1章 ゲマインシャフトの理論
ここでは、出生、母子関係、夫婦関係、兄弟、父子関係、享楽と労働、場所のゲマインシャフト…とつみあげていきます。
 ここで注目すべきなのは、「都市」Stadt が、ゲマインシャフトにいれられていることです。ドイツは統一が遅れ、数百の領邦国家から成り立っていました。その国家がそれぞれの首都をもっていました。そうした小さくとも(たとえばワイマールのように)首都であった都市は文化の中心地でもありました。また多くの大学町(たとえばチュービンゲン・ハイデルベルクなど)も存在し、それも高い文化水準をもっていました。ドイツにはそうした文化的なまとまりと洗練度をほこる小都市が今もいくつもあるのです。
 第2章 ゲゼルシャフトの理論
ここでの記述は、基本的にマルクスが『資本論』で語っている内容と大差ありません 。交換、交換価値(ゲゼルシャフト的価値)、貨幣、所有と契約、市民社会(万人すべて商人)
労働者、資本家、商品市場と労働市場、階級へと記述がすすんでいきます。早い話が資本主義が支配する社会関係をのべたものといえます。

第2篇 本質意志と選択意志
ここではこの2類型の集団結合の基礎となる、人間の意志についての2類型が論じられます。すなわち、「本質意志」(思惟をふくむ意志、生の統一性原理)と、「選択意志」(意志をふくむ意志そのものの産物)です。
1-9章は、本質意志のさまざまな形式を述べています。すなわち、気に入り、習慣、記憶などなど、盛りだくさんです。
10章は、選択意志についてこう述べています。
「思惟された目的すなわち追求されるべき対象とか望まれた事象によって、つねにまず尺度が与えら得れ、この尺度にしたがって、企画されるべき活動が規定され、方向を与えられる。否それどころか---完全な場合には---目的に関する考えが、他の一切の考えや、思慮、したがって任意に選択される一切の行為を支配するのである。これら一切の思慮や行為は、目的に役立ち、目的に通ずるものでなければならない」(196頁)。早い話が「目的手段的な合理性」が支配するということです。さらにゲゼルシャフトは「計算可能な」関係世界だということです。
 そのあと、両者を比較し、39章で、「本質意志がゲマインシャフトの諸条件をみずからのうちに有していること、および選択意志がゲゼルシャフトを生じせしめる」(下68頁)とまとめています。
 第3篇 自然法 の社会学的基礎
 ここでは、意志論にまでさかのぼった上で、その意志論にもとづいてあるべき社会の基本となる法の体系を構築しようとしています。


ゲマインシャフト     ゲゼルシャフト
本質意志         選択意志
おのれ(Selbst)     人格(Person)
占有(Besitz)      財産(Vermoegen)
土地            貨幣
身分権          債権
   
第3章 結合された意志の諸形式
ここでは、本質意志と選択意志がそれぞれ結合されていかなる社会が形成されるかの考察しています。本質意志の結合の拡大は民族にいたる、のに対して、選択意志の結合の拡大は国家にいたる。ここで重要なのはテンニースが国家を民族を体現したものとはみなしていないことです。
「国家(Staat)は二様の性格を有する。まず第一に、国家は普遍的ゲゼルシャフト的結合である。・・・第二に、国家はゲゼルシャフトそのもの、換言すれば、ここの理性的ゲゼルシャフト的主体という観念と共に与えられる社会的理性である」(179-80頁)。
「国民国家(nationaler Staat)の形成は無限に拡大するゲゼルシャフトの一時的に限定されたものにすぎない」(189頁)。 
 つまり、テンニスにはいわゆるナショナリズムにみられるような、民族と国家を同一視するような指向はないのです。ふつうナショナリズムにおいては、過去の幻影が民族の形をとって現在の国家体制を正当化するものとして要請されます。しかし、ホッブスの社会幾何学に習って、社会集団の2類型を幾何学的に積み上げ明晰に構成したテンニースにとって、国民国家を「民族」の名の下に正当化することは許されないのです。
 最後にテンニースは、結論と概観をしてこの本を締めくくっています。

7.社会幾何学の意味
こうして再読してみると、テンニースはマルクスの資本主義論とホッブスの市場社会の社会幾何学を結合させて、ゲゼルシャフトの理論を構築したことがわかります。そのうえで、それと対置されるべきゲマインシャフトの理論を、人間の本質意志から構築したのでした。テンニースのオリジナリティは、ゲマインシャフト論の構築にあります。彼は、資本主義化による社会の混乱を、資本主義=市場社会の原理とはことなる社会の構成原理(本質意志によるゲマインシャフトの関係)を提示することで、解決しようとしたのです。
 それは中根千枝の批判するような「傾向」論とはまるでちがう、きわめて構築的なものでした。そして、「温度差」や「傾向」から社会を論じる印象批評的社会論が、過去の幻想を作り上げ、その幻想、とりわけ民族幻想を用いることで、(たとえばナチズムのように)現在の国家の矛盾と権力闘争を隠蔽し正当化することにたいして、きっぱりと手を切ることができたのです。 
8.差異の形成
テンニースの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』は、こうしたすぐれた明晰な理論形成によるものでした。しかし、それでも私たちはあえて異論を提起したいと思います。
 テンニースの理論において、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトは併存しており、また社会の全体的方向は、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへと向かっているとされています。
 しかし、ゲマインシャフトというのは、じつはゲゼルシャフトの関係が支配的になること(ゲゼルシャフト化)によって生まれてきたのではないでしょうか。
 たとえばゲマインシャフトの代表としてあげられる家族は、きわめて融和的な関係にとらえられています。しかし、実際の「家」にはもっと計算づくの関係ではなかったのか、愛情によって家族をとらえようとするのはきわめて近代的な発想ではないのか。社会がゲゼルシャフト化してくるにつれ、それを補完するものとして「家」は情緒的な「家族」へと変質していったのではないのか。
 社会のゲゼルシャフト化が、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの二分化をうみだしたのではないのか。テンニースが掲げる、ゲマインシャフト/ゲゼルシャフトという差異じたいが、じつはゲゼルシャフト化、すなわち資本主義化の運動によってもたらされたのではないか。そしてこのゲマインシャフト/ゲゼルシャフトという差異がもつ、いわば温度差が、資本主義のエネルギーとなっているのではないか。ちょうど親密性が支配する家族が市場的な資本主義関係を補完するものであるように。近代という時代は、計算づくの関係を生み出すと同時に、計算づくでないような欲得なしの親密な関係を生み出す。計算尽くの関係は計算尽くでない関係に補完されつつ存在しているのではないのか、そうかんがえられるのです。

9.差異の消失:近代から現代へ
故郷に帰った私たちを待っているのは、東京と変わりばえしない安っぽい駅前の風景です。故郷の人びとは車を飛ばし、カラオケに興ずる。美しかった田畑は休耕地となって雑草だらけ、魚が群れていた川は護岸工事のために排水路のようになり、裏山には産業廃棄物が山積みになっている。父の遺産のもとは二束三文だった山の土地はリゾート開発で高騰し、一家の者はそれを奪い合う。故郷の町はシャッター街となって、パチンコ屋だけがけたたましい。故郷の親戚は、パチンコ屋とカラオケ屋を車で行き来する生活のなかで、地方のなけなしの最後の富が吸い上げられていく。帰省に疲れ果てて、都会の我が家に帰ってみれば、そこではばらばらの食事、たまに一緒にいると、たがいの顔をみることもなく、スマートフォンの画面を見つめている。
 今日、顕著になっているのは、計算ずくの世界に疲れた我々が帰って行くべきとされ
た世界、ゲマンインシャフト的な世界が、次々と浸食され剥奪されていく風景なのではないでしょうか。
 もはやゲマインシャフトはゲゼルシャフトの外部(他者)として存在するのではない。
ゲマンインシャフト的世界はゲゼルシャフト化によって浸食され崩壊ししつある。
 二項対立の差異により維持された近代そのものが、じょじにみずからの足もとを堀崩していく、それが、現代というものの基調であるように思われるのです。
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by takumi429 | 2016-05-05 18:11 | 社会学史 | Comments(0)