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まとめ

近代(現代)社会とはいかなる社会か まとめ

私たちを取り巻き、私たちがその中で生きていくこの近代社会(あるいは現代社会)とはいかなる社会なのか、それこそが、一見バラバラにみえる社会学者たちの共通の問題意識であった。

マルクスにとって近代社会とは、資本主義にほかならない。
ものを使う人にとっての価値(使用価値)ではなく、それはいくらで売れるかで計られる価値(交換価値)が優位となった社会のなかで、労働者は労働を売り、資本家はそれを買取り、労働者を働かせ、利潤を上げ、その利潤を再度、資本投下して、資本を拡大させていく。増殖していく資本の運動として資本主義はある。

テンニースにとって、過酷な資本主義の現実こそ、ホッブスが説いた自然状態(人が人に対して狼である状態)にほかならなかった。この人が品物を買うときのようにあれかこれかという欲得づきの選択でしかつながりあえない関係(ゲゼルシャフト)に対して、それとはちがう本質的な意思により結び合う関係(ゲマインシャフト)を対置して、この両者をホッブスのようにユークリッド幾何学的な体系として社会理論を作ろうテンニースは試みたのである。

資本家のたえざる資本増大の欲求と労働者の勤勉な奉仕というのは、幸せをもとめるあたりまえの生きかたから見ると、じつは倒錯した生きかたでしかない。ヴェーバーはこの倒錯した生きかたの原点を宗教改革の禁欲思想にもとめた。聖職者しか求められなかった禁欲的な労働は、いっぱんの仕事も神から命じられた使命である、とされることで、ふつうの労働にも適用されるようになった。しかも、自分が救いに予定されているのか不安に思った信者たちは、仕事による業績(収益)にその救いの確かさを求めるようになり、けっか、自己の幸福とはうらはらな絶え間ない仕事への没頭をして資本を増大させることになり、こうして現代の資本主義がうまれたのである。

ジンメルによれば、貨幣とは交換関係が「形式」として結晶化したものにほかならない。ヴェーバーは、人間の関係が形式として結晶化し硬直化して人間に対峙するのは、貨幣だけではなく、法体系、音階、建築様式、時間システム、官僚制、などなど、西洋の文化全般の性格であると考え、これを「形式合理性」と名づけた。西洋文化の「普遍性」とは自律的なシステムとなったこれらのシステムを、強引に外部にも適用しようとする、西洋の全体性へに志向にほかならない。

デュルケームにとって、近代社会とは、欲望が本能のもつ制限(リミッター)を失ってらせん状に増大していく時代にほかならない。本能の制限を失って、同一種である人間どうしが奪い合い殺し合うような状態を治めるために、彼は宗教がもっていた道徳の力を復活させようとした。
同時代の作家ゾラは、フランスの第二帝政期を題材として、欲望を異常なまでに増大させているさまざまな社会的装置(欲望の喚起装置)を描き出した。すなわち、市場、株式市場、炭鉱、鉄道、デパート、政治、戦争である。

ベンヤミンにとって、本来の使用から切り離されて市場を浮遊する貨幣のありかたは、さまざまなイメージをそのもともとあった場所から切り離し別のものとつなぎ合わせることで、時代の夢を生み出す映画のあり方につながるものであった。ベンヤミンにとって近代とは夢工場にほかならない。バラバラにされたイメージをつなぎあわせて希望の社会のビジョンをイメージしようしたベンヤミンは、皮肉なことに、映画を制作するように政権を作り上げた(悪)夢工場たるナチズムによって死においやられたのである。

ナチズムを予感させる映画『カリガリ博士』の最後において、世界はすべて精神病院のなかに飲み込まれる。そこでは、収容所を管理運営する科学者が支配者となる。だが権力の源泉は、個人ではなく、一望監視装置に代表される収容所という装置にある。フーコーにとって近代とは、精神病院、監獄、学校、軍隊などの、それ自体完結して人を閉じこめる「全制的施設」(total institution ゴフマンの用語)が支配的となる、すなわち収容所の時代にほかならない。

アンダードンによれば、近代とは国民国家が支配的となった時代である。共同体から剥離された人々をまとめあげる「想像の共同体」こそ、この国民国家にほかならない。この共同体は、言語文化によって一体感を形成され、国旗、地図、人々の移動、新聞・小説などによって、同じ共同体に属しているという幻想をもち、国家装置なかでみずからを位置づけそれに殉じていく。

ウォラースティンによれば、近代社会は、中核、半周辺、周辺という、「世界システム」を形成することで生まれてきた。西洋近代社会はアフリカの奴隷を新大陸で働かせることで資本主義を開花させたのである。近代社会はたえずその外に従属的な地域を必要としているのである。

ナオミ・クラインによれば、新自由主義とは、ショック療法により、人が人に対して狼であるような弱肉強食の状態をつくりあげることで、資本主義の強者がさらなる利益を貪ろうとするものでしかない。現代はこのショック・ドクトリンが蔓延している時代なのである。

アメリカ合衆国におけるフロンティアの喪失は、同じパイを奪い合うホッブス的状態をまねきかねなかった。パーソンズはその危険をお互いの役割を遂行していこうという共通価値の受容によって乗り切ろうとした。しかし、それは白人男性優位の体制を普遍的なものとみなす「おじさんのたわごと」でしかなかった。フロンティアの喪失はアメリカン・ドリームの崩壊をもたらす。まともなことでは成功できない移民やマイノリティたちは非合法な方法で成功を得ようとする。マートンはそこの社会問題の発生の原因をみた。しかし対抗文化のなか、これまで成功とみなされてきたもの(目的)、それにいたる道すぎ(手段)を否定する若者たちがうまれてきた。彼らのナイーブな(このナイーブには「バカ」という意味合いもある)感性を反映したのがエスノメソドロジーである。アメリカはその後、外部に敵をつくりあげることでフロンティアを作り続けていこうとしている。

第二次世界大戦以降、際立ってきたのは、排除すべき他者を集めて殺して消去するという、強制収容所における大量殺害である。バウマンはその典型であるユダヤ人の大量殺害(ホロコースト)は、たんにナチズムの狂気だけでは可能とならず、むしろ、近代の(道具的)合理性を駆使した官僚組織と科学技術によって可能になったのだとした。そこではおそろしく凡庸な陳腐な人間が、ぼう大な生命を消去する指示を下しているのである。

産業資本主義はたえずその外部をもたなくてはならず、しかもその外部をたえず侵食していくことで、みずからの危機を招き、その危機を克服するために、技術革新によってみずからの内部に差異をつくりあげなくてはならなくなった。近代社会もその基本原理である「普遍」の名のもとでの膨張によって外部を失っていく。ウルリッヒ・ベックによれば、外部を失うことでそれまで外部に依存し廃棄してきたものは社会の内部に回帰して危険なものとなる。この状態の陥った社会が「リスク社会」である(外部とはたとえば、自然環境、家庭内での女性、政治から分離中立だとされてきた科学などである)こうして近代社会の外部への作用が自分自身への作用へとなるという「再帰的近代」の段階に私たちの社会はいたったのである。
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by takumi429 | 2016-07-21 20:24 | 社会学史 | Comments(0)

13.リスク社会としての現代

15.リスク社会としての現代
(1)リスク社会の出現
1986年4月26日に旧ソビエト連邦のチェルノブイリ原子力発電所の4
号炉が爆発する事故が発生し、周辺のみならず、ヨーロッパ全土に深刻な放射線被害をもたらしました。同じ年の1986年9月26日、ウルリヒ・ベックの 『危険社会』 が出版されました。同書は専門書としては異例の売上となり、そこで提唱された「リスク社会」の概念は広く知られることになりました。
 リスクとはなにか。私たちの生活は古来、さまざまな危険(英danger,独Gefahr)におびやかされてきました。思いもかけない天変地異が私たちの社会を飲み込んできました。しかし、リスク(英risk,独Risko)とは、こうした危険一般ではなく、むしろ私たちの社会じしんがもたらした危険を指します。
 例えば、2011年3月11日におきた東日本大震災は、地震と津波による災害でした。こうした地震と津波という危険は、地震国である日本が有史以前からかかえてきたものです。しかし、その地震と津波によっておきた福島第一原子力発電所事故は、地震国である日本が、(おそらくは被爆国でありながらも核爆弾の技術を確保したいという隠れた意志のもとに)、過去定期的に津波が襲ってきていた海岸線に原子力発電所を多数建設し、しかも津波に対する備えを充分にしてこなかったという、私たち社会のおこないがもたらし災害、いわば「人災」でした。
 こうした、みずからの行動や選択によって発生しうる危険、すなわち、自己責任により冒す危険、のことを「リクス」とよびます。
 ベックは、自分のしたことが自分に返ってくるという自己回帰的(再帰的reflexive)な構造をもつ社会を「リスク社会」と呼びました。そしてこのこのリスクのもつ自己回帰的(再帰的)構造に、近代の変容、つまり現代の決定的な特徴を求めたのです。

(2)産業資本主義の自己矛盾
 近代の産業資本主義は、つねに、非産業世界(外部)を前提にしていました。産業化はたえずその対象としての未開拓地を必要としていました。
 ローザ・ルクセンブルクはこのことを『資本蓄積論』なかでこう言っています。「資本主義は、その存在と進展のために、非資本主義てきな生産諸形態をその環境として必要とする」(太田哲夫訳書76頁)。
 産業資本主義は、拡大再生産、資本の拡大を不可欠としています。ヴェーバーがいう「伝統主義」が支配する「単純再生産」ではなく、たえざる利潤の獲得とその資本への再投下(拡大再生産)を基軸とするのです。
 しかし、飽和した限られた社会の中からは利潤はうまれません。賃金だけを生活費とするような労働者や正当な賃金払いをもとめる主婦や妥当な価格を要求する資源提供者しかいないような社会では利潤はうまれないのです。片足を自給自足の農業に残したままの労働者や農村を追い出されてぎりぎりの賃金でも満足する労働者が存在し、「愛」の名の下に無給で働く主婦が存在し、ガラス球のようなガラクタや安い対価で鉱物資源や人的資源(奴隷など)を提供してくれる「未開地」があればこそ、産業資本主義はその利潤の獲得と資本
の増大を可能とすることができるとのです。
 しかし、資本の拡大はこの資本主義がそうした未開地へと拡大侵食していくことを意味します。結果、未開地はどんどん失われていきます。労働者は正当な賃金を要求し、主婦は対等な人格と労働の対価をもとめ、「開発途上国」は資源にたいする対価をもとめ、それはどんどん先進国との差を縮めていきます。産業資本主義は外部世界を前提としつつも、その外部世界を侵食して消し去っていくことで、自分の前提条件を突き崩していくという自己矛盾を抱えているのです。
 たとえば、安価でぼうだいな労働者の存在が中国を世界の工場へと押し上げましたが、人口の停滞・現象と労働運動などによる賃金の上昇によって、中国に工場をもつメリットは資本にとってますますうしなわれいきます。中国が資本主義圏に飲み込まれれれば飲み込まれるほど、外部としての性格を失えば失うほど、産業資本主義にとって中国の魅力は薄れていくのです。
 岩井克人はその著『ベニスの商人に資本論』で、遠隔地貿易とは、交換比率のちがう地域間での貿易により利潤(もうけ)をえる経済であった、産業資本主義とは市場と工場内での労働と貨幣の交換比率の差を使った利潤をあげるものであった、といいます。これらの経済はともに、地域格差、空間における価格体系のちがいを利用して利潤をあげる経済でした。
 では地域による価格体系の差がどんどんうしなわれていったとき、どうやって利潤をあげていくのか。岩井はそれは、空間による差異ではなく、時間による差異を利用するのだといいます。つまり、技術革新型の資本主義です。この技術革新型の資本主義は、未来の技術による労働と生産の比率の違いによって利潤をあげる、つまり将来の技術水準を先取りした企業が、まわりの遅れた生産技術との差によって利潤をあげるのだというのです。
 産業資本主義は地域的な価格体系の格差(差異)を利用して利潤をあげてきました。しかし資本主義は空間的に拡大していくというその拡大運動のなかで利潤をあげていきました。技術革新型の資本主義は、こんどはみずからの中に未来を先取りすることで、その先取りに技術革新の広がりの運動の中で利潤を上げていくのです。地域的外部を失った資本主義は、時間的に進んだ部分と遅れた部分とを作り上げることで利潤をあげてきました。しかし、その差は技術の拡散によりつねに解消されていきます。それゆえ、こんどは、たえざる技
術革新あるいは技術モードの変更により格差(差異)を創出していくことが必要とされるのです。
 資本主義の外部への拡大は、外部を失うことで、内部での差異創出の運動へと変化したのです。つまりみずからをたえざる再編へともちこむことで自分を維持する、資本主義がみずからを技術革新によって未来の資本主義へたえず再編していく。そのことによって延命ざるを得ないというわけです。
 この外部から内部への資本主義の運動は、ちょうど外部を近代化していった近代の運動が、みずからの内部へとその運動を転換することにつながります。ここでベックの議論にもどりましょう。

(3)再帰的近代(外部性の喪失)
 ベックによれば、近代とは外部を前提にしていました。ベックのあげるのは次の3つです。
 ①自然環境
 近代産業社会は、自然から資源を取り入れ、外部たる自然に廃棄物を捨ててきました。
 ②「愛」による家庭
 男女の身分的な差別(家父長制)によって、家庭に労働者の再生産をさせてきました。ここでいう「労働の再生産」とは、職場で疲れた労働者が家庭にもどって元気になりまた働くことができるようになる、という現在の労働力の再生産と、子どもをそだててみらいの労働者とするという、新たな労働者の生産(再生産)の両方を意味します。この家庭内の労働は賃金による労働でなく、「愛」の名の下によるほぼ無給の労働でした。近代社会はこうした影に隠れた労働(シャドー・ワーク)を不可欠な前提としてきたのです。
 ③科学の専門化
 科学は政治とは分離させられ、中立公正で客観的なものであるとされてきました。
 しかし、再帰的近代、すなわちリスク社会になるとこうした外部生は失われました。その結果、各領域での再帰的近代化(reflexive modernization)が生じることになります。
 ①廃棄物を捨てることができる余地がもはやなく、廃棄物は環境汚染という形で社会へ跳ね返ってきます。外的環境からの危険とは異なる、人間社会がもたらしたリスクが、問題となってきます。ここでは、富の分配でなくリスクの分配(マネージメント)が問題となってくる。またこのリスクを認知するために科学にきわめて依存するようになります。たとえば、目に見えない放射汚染は科学的な測定によってしか認知できません。私たちは放射線の危機の認知のためにたえず科学をあてにするしかないのです。
 ②産業社会の個人化が家庭にまでおよび、家庭はもはや安定した役割分業の世界ではなくなってきます。失業という危険が人々を個人化する。失業から離婚し、公団やアパートなどで「孤独死」する中高年が増大している現状はまさにこれです。女性の教育水準の上昇し、労働市場への進出して、離婚の増大します。結果、じつは身分的性別役割分業であった核家族(未婚の子どもと両親からなる家族)は解体していきます。
 ③これまで、科学は外に研究対象を見出してきました。ところが、原子力発電事故のように、科学がみずから危険を生産するものになってくると、科学は外に対象を見いだすのではなく、自らが生み出した帰結に対処する(自分で自分のしりぬぐいをする)ようになってくるのです。ここにおいて、科学はおおきな政治的な力をもつものとさえなってきます。しかるにこれまでの議会制民主主義は政府をコントロールすることはできても、こうした政治的な力をもつようになった科学技術には対応しきれなません。これには、市民運動などのサブ政治で対応することが必要になるのです。
 こうして、資本主義のこうした自己回帰的(再帰的)な運動は、近代が外部を近代化する
のではなく、みずからを再度、近代化する、「近代の近代化」(再帰的近代)をもたらすとベックを主張したのでした。
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by takumi429 | 2016-07-21 20:22 | 社会学史 | Comments(0)

12.強制収容所の時代としての現代

12. 強制収容所の時代としての現代

(1)塹壕(ざんごう)の世代
二十世紀、それは大量殺戮の時代と呼んでもいいでしょう。
第一次世界大戦(1914年7月28日 - 1918年11月11日)は、兵士だけで900万人以上の死者をだす未曾有な戦争となりました。機関銃、戦車、飛行機、潜水艦、化学兵器など、現代の戦争兵器が出揃い、国家と国民が総力をあげて戦う総力戦の形もここに生まれました。
 この第一次大戦では圧倒的な火器、とくに機関銃から身を守るために、塹壕がはりめぐらされ、その塹壕の中で砲撃の恐怖に怯えながら身を伏せる、しかし総攻撃のときには、その塹壕を飛び出し機関銃などの一斉射撃の前に身を晒さなくてならない、という体験を兵士たちはすることになりました。
 こうした塹壕戦を体験した世代を「塹壕の世代」と呼ぶことがあります。
 映画『西部戦線異状なし』(1930)は、こうした塹壕戦の体験をみごとに描いています。戦闘の合間、つかのまの平安に主人公は蝶に触ろうと塹壕から手を伸ばします。しかし敵に狙撃されて主人公の少年は死ぬのです。
 塹壕からとびだしての総攻撃は死を覚悟しなくてはいけないものでした。その死を覚悟した時に、時計で計られるような、アメのようなのっぺらと伸びていくような日常の時間は途絶え、死を覚悟しなくてはいけない瞬間へむけてまばゆく飛び込んでいくような時間へと変容します。残されたつかの間の時間、その時間のなかであらゆるものがまばゆく輝いて存在して現れる。青い空、ゆれる木々、羽ばたく蝶。存在はまばゆい輝きをもって、死を覚悟した人間に前に現れれる。ドイツ語では「・・・がある(存在する)」というのを、Es gibt ・・・と表現します。直訳するなら、「それが与える」です。「それ」とは「存在」であり、存在が私たちに与えてくれたものが、「在るもの(存在するもの)」なのです。
 死を覚悟した人間に現れるまばゆい存在から、退屈になれきった日常を正していこう。志願して死んだ友人たちを多くもつ塹壕の世代だった哲学者ハイデガーの思索の方向はこれだったと思われます。

(2)強制収容所(死の工場)の世代
第二次世界大戦は基本的には第一次大戦の引いたラインの上にあります。しかし第二次世界大戦で顕著になったものもあります。それは強制収容所の体験でした。
 精神病院のような、人を隔離して管理する施設はそれまでもありました。しかし第二次世界大戦で出現した強制収容所とは、人を1ヶ所にあつめて殺害・抹殺する、そうした装置、「死の工場」としての強制収容所でした。
 最近、わたしは、ワイマールの近くのブーヘンヴァルト収容所跡の見学体験しました。入り口の向こうには収容所の各棟の跡という何もない空間が拡がっていました。なにもない。しかしこのあとかたもないことの重苦しさはなになにか。ここにいた膨大な数の人が消えてその跡地だけがあるという、その人間の不在(消失)と跡地の重苦しい存在。敷地には人間焼却炉は残っており、その隣に医務室があち、研究と称して収容者を切り刻んだ手術台があり、こびりつき変色したその跡がありました。消えた人間たちとそれを消した装置だけがふてぶてしく残って存在している。さらに、身長測定を装って背後から覗き銃殺した部屋があり、その足元の踏み台にはなんどもそこで犠牲者をまちうけて射殺した人間の足ですり減ったであろう凹みがありました。
 いま、あの風景をふりかえってみると、むかし教科書で読んだつぎのような詩がおもいかえされます。
    さんたんたる鮟鱇(あんこう)   村野四郎
    ――へんな運命が私を見つめている  リルケ

    顎(あご)を むざんに引っかけられ
    逆さに吊りさげられた
    うすい膜の中の
    くったりした死
    これは いかなるもののなれの果だ

    見なれない手が寄ってきて
    切りさいなみ 削りとり
    だんだん稀薄になっていく この実在
    しまいには うすい膜も切りさられ
    惨劇は終っている

    なんにも残らない廂(ひさし)から
    まだ ぶら下っているのは
    大きく曲った鉄の鉤(かぎ)だけだ
                          詩集『抽象の城』1954年

この作品に作者はつぎのような解説をしています。
「私は、この魚を魚屋の店頭でみたとき、はてな、このみじめな、こっけいな姿は何かに似ているな、といった妙な衝撃をうけましたが、それがこの詩のモチーフとなりました。
その次に、死さえ奪いさられてしまうこの悲劇は、現代に生きる人間の状況に何かよく似ているように思えたのです。たしかにそうでした。似ているから、この日常的な光景が、暗喩の対象として私の心をとらえたのでした。日々に私たち人間の人間性を削りとり、うばい去る現代の現実にひそむ悪は、ついにすべての人間を、のっぺらぼうの類型にしてしまうのですが、これを形而上(哲学)的にみれば、人間がなくなったことを意味します。これがすなわち、いわゆる「人間喪失」といわれる現象です。私はそのアンコウに、人間喪失の現場を見た気がしました。(中略)
その後から追いかけるようにして、軒からぶら下がっている空(から)の鉄の鉤が目にはいりました。そしてその鉤は、何か次に引っかけられるもの待ちかまえているように見えたのです。
この新しい犠牲を待ちかまえる貪婪なもの、それはさしずめ、この世の悪の実態、人間の原罪の正体ではないかと、考えられてきました。
こうした衝撃が、まとまって、ここにこのような一篇の詩ができ上がったのです。」(http://poemculturetalk.poemculture.main.jp/?eid=121 2014年1月17日)

 人の不在(消失)に対して、ものの存在が不気味に迫ってくる。ここでは、存在はかがやしいものではなく、ふてぶてしいほど不気味に「ある」のです。そこには根源的な悪の存在が感じられる。
 フランス語では「・・・がある」というのは、Il y a ・・・「それがそこに持つ」と表現します。ものがあることはもはや、es(存在)からの贈り物ではありません。存在はかがやしいものではなく、ものの存在することは、賜物でもなんでもなく不気味に押し付けがましく「ある」だけなのです。
 ハイデガーに学びならながらも、ユダヤ人として肉親・縁者・隣人のすべてを収容所で抹殺されたエマニュエル・レビナスの哲学は、この不気味で重苦しい存在を見すえることから出発しているように思われます。西洋の思想は結局、ユダヤ人という他者を抹殺するという帰結をもたらした。異質な他者との出会い、それを否定(抹殺)するのでなく、その面立ちを引き受けること、それを生きる道徳として、引き受けること、そこにこの強制収容所の曠野の向こうに希望の声を聞く可能性がある、そういっているように思えるのです。

(3)アイヒマン裁判
1960年、もとナチス親衛隊(SS)の隊員アドルフ・オットー・アイヒマン(Adolf Otto Eichmann1906-1962)は、イスラエル諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行され、1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられました。いわゆる「アイヒマン裁判」です。アイヒマンは、ドイツのナチス政権による「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担ったとされた人物です。(アイヒマンは同年12月に有罪・死刑判決が下され、翌年5月に絞首刑に処されたました)。
 ハイデガーの弟子だったハンナ・アーレントはこの裁判を傍聴し、その傍聴記を、『イェルサレムのアイヒマン』という本にまとめました。
 アイヒマンにたいするアーレントの下した判断は驚くべきものでした。いや、アーレント自身が、アイヒマンを見ておそらく驚いたのでしょう。何百万人ものユダヤ人を強制収容所に送り込み抹殺させたその恐るべき人物が、じつに平凡で貧弱なつまらない男でしかなかったことに。自分はヒットラー総統の命令に従ってユダヤ人を強制収容所に送っただけであり、職務を忠実に執行したにすぎない、そうこの貧相な男は主張するばかりでした。裁判でアイヒマンの語ることを実際に見聞きした上で、アーレントはこう結論づけます。あの恐るべきユダヤ人抹殺は、悪魔のような人物によってではなく、このアイヒマンのように貧弱な陳腐な人間によっておこなわれたのだ。それを彼女は「悪の陳腐さ」と名づけました。決して許されてはならない絶対な悪というものが、荒々しく悪魔的な、いわば「悪の英雄」によって執行実現されるのではなく、平々凡々とした小心な組織人(官吏)によってなされる。アーレントは西洋近代のもつこの恐るべき「根源悪」をのぞきこみ、それを私たちに開示してみせたのです。

(4)『近代とホロコースト』
アーレントの問題提起をうけて、おなじくユダヤ人で戦後ですがポーランドからイギリスに亡命したへジークムント・バウマンという社会学者は『近代とホロコースト』という本をかきました。
 彼の結論は単純に言えば次のようになります。600万人のユダヤ人殺害は、ナチスの狂気や悪魔的な意志だけではとうてい遂行できるものではなかった。この天文学的な民族抹殺は、(ユダヤ人組織の協力と)ドイツが作り上げた合理的組織と科学知識をつかった装置を使わなくては不可能だった。ショワー(ユダヤ人せん滅)を可能にしたのはじつは西洋近代の道具的合理性なのだ。
「道具的合理性」とはフランクフルト学派の用語です。フランクフルト学派とはフランクフルトの社会研究所に集った哲学・社会学者たちをさします。主要なメンバーは、ホルクハイマー、ベンヤミン、アドルノです。フランクフルト学派は、マルクス主義とフロイドの精神分析を結合して社会を批判しようとしました。ユダヤ人だった彼らは主にアメリカに亡命し、戦後、フランクフルト大学に戻ってきました。「道具的合理性」とは、目的遂行のために研ぎ澄まされた合理性だり、目的の意味と倫理性は問わない合理性です。いかなる目的であれ、目的設定されればその目的へ到達するべく作動する理性です。
 ヴェーバーはすでにその政治論『新秩序ドイツの議会と政府』において、「生きた機械と死んだ機械が我々を支配している」と言いました。「死んだ機械」とは普通の機械装置のことですが、「生きた機械」とは官僚組織のことです。ヴェーバーは生きた機械である官僚制と機械を生む科学技術によって逆に人間が支配されるという疎外をすでに問題にしていました。フランクフルト学派はこうしたヴェーバーの疎外論をさらに展開したのです。

(5)アイヒマン実験
 ではなぜアイヒマンのような貧弱な人間があのような恐ろしいユダヤ人絶滅の輸送を指示することができたのでしょうか。
 バウマンがその説明として、スタンレー・ミルグラムがおこなった、いわゆる「アイヒマン実験」をとりあげています。この実験の報告は『服従の心理』という本にまとめられました。
 ミリグラムは、市民に学習と罰の関係についての実験に協力を求める呼びかけを新聞でおこない、応募してきた人に「教師役」を、もう一人のサクラに「学習者」を割り当て、学習者が間違えるたびに電気ショックを与えさせるよう、「実験者」が指示するという実験をおこないました。対になった言葉を学習するというのがその課題で、「学習者」役のサクラはわざとまちがえ、そのたびに与える電気ショックの電圧をあげていくよう、「教師役」の被検者は、「実験者」に支持されます。「学習者」役のサクラは電気ショックをうけたように演技をし、電圧を上がるたびにどんどん止めてくれるよう声をあげます。

実験の略図。被験者である「教師」Tは、解答を間違える度に別室の「生徒」Lに与える電気ショックを次第に強くしていくよう、実験者Eから指示される。だが「生徒」Lは実験者Eとグルであり、電気ショックで苦しむさまを演じているにすぎない。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93 2014年1月19日)



 


「学習者」役の人間の、エスカレートする苦悶・懇願・罵倒にもかかわらず、「実験のためだから」、「身体的には問題ないことがわかっている」、「電圧をあげて実験をしてください」など、実験のためだ「実験者」と説明・指示されると、ほとんどの「教師役」の被検者が、罰の電圧をどんどん最高値まであげてしまった、というのが実験結果でした。
 つまり、直接的な責任をもたなくてよく、それが手続きや処理の過程として仕方ないとされていると、人間はどんな残酷なことも平気でするのだ、というのがこの実験からわかったのです。それはちょうど、命令だからしかたなかったのだ、といって平気で死の工場たつ強制収容所にユダヤ人を輸送しづけたアイヒマンのようなことを、残忍でもなんでもないごく普通の一般市民もしてしまうのだというのです。
 ここから、バウマンは、合理的な組織と装置のなかで処理をする者は、それがどんな恐ろしいことであっても、良心の呵責を感じなくなっていくのだとしました。また、苦しむ「学習者」が遠隔であればあるほど、平気で電圧をあげるようになることにも着目しました。それはちょうど、無人飛行機を使ってミサイルを打ち込んで誤爆などしている兵士がなんら罪の意識をもたないのと同じ現象なわけです。

(6)他者の排除から他者のせん滅へ
 もともと、アイヒマンはドイツ国内からのユダヤ人消去を命令されていました。ですから当初はユダヤ人の国外への送り出しをしていました。しかしドイツの勝利によりヨーロッパ大陸全体がドイツの制圧下になると、ユダヤ人を送り出せる場所がみつけられなくなりました。結果、ユダヤ人の「再定住化」先は、ドイツ支配下地域の強制収容所へと変わっていきました。そして、その強制収容所は「死の工場」として、ユダヤ人を消滅させていったのです。
 当初は、他者(ユダヤ人)は外部への排除されました。しかし、ドイツの拡大により、排除先の外部の消失すると、他者は、内部に取り込まれ(収容され)、「再定住」の場(収容所)で消去(殺害)させれたのです。
 ユダヤ人、さらにはロマ人、同性愛者、精神障害者、身体障害者などは、激情に駆られた憎悪や悪魔的な狂気によるのではなく、ある種きわめて冷静に淡々に、合理的な組織と科学的な処理装置をつかって、業務として、消滅させられていったのです。
 もし、ナチスのホロコーストが、狂気や憎悪だけから起きたのなら、そうした狂気に陥っているとはおもえない私たちは安心できるでしょう。しかし、あのホロコーストがあれほど膨大な人間を消去できたのは、むしろ私たちが慣れ親しみそれに依存して暮らしている官僚組織と科学技術によるものだとしたら、ホロコーストの恐怖からけっして私たちは無縁ではない。むしろそれはこの現代社会で何度でも再発しうるものであるし、現に再発してきた現象なのです。

(7)主体の液状化
 こうした道具的合理性の貫徹する組織のなかでは、人間は確固たる意志をもった英雄的(あるいは悪魔的)な存在ではもはやないでしょう。それは、殺された人びと同様に、腐敗して崩れどろどろになって液化したような存在でしかない。外部を失い、他者をその内部で消去していく装置のなかで生きている私たちが直面する危機とはいかなるものなのでしょうか。
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by takumi429 | 2016-07-21 20:20 | 社会学史 | Comments(0)

11.ショック・ドクトリンの時代としての現代

11.ショック・ドクトリンの時代としての現代

(1)カリガリ博士の家
映画『カリガリ博士』では、カリガリ博士は患者チェザーレを治療と称して、自分の操り人形に作り変え、彼をつかった夜な夜な殺人を犯していてしました。そして映画の最後では、カリガリ博士の病院が、実は登場人物全員を収容していることが明かされました。そう、私たちもカリガリ博士の病院のなかに収容されているのです。

(2)『ショック・ドクトリン』
2007年にカナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインが発表した『ショック・ドクトリン』もまた、ふたりの博士の登場から始まります。
 ひとりはカナダのユーイン・キャメロン博士。彼はCIAの援助をうけてモントリオールの病院で、精神患者に電気ショックを与え、その過去の記憶からなる心を消し去り、作りかえる実験を繰り返していました。CIAはかれのショック療法を拷問に技術として導入しました。
 もうひとりは、アメリカのシカゴ大学経済学教授でノーベル賞受賞者、ミルトン・フリードマン博士。かれはケインズ流の国家介入の経済政策を喘鳴否定し、過激な自由主義を標榜しました。その自由主義政策を実施するためには、それ以前の体制がクーデターや大惨事などによって一掃されること、つまり、ショックによって社会が白紙状態になることこそ望ましいとしました。
 この二人の博士のショックによる人間と社会改造という教え(ドクトリン)は、チリの軍事政権のおいて結合しました。社会民主党政権が誕生し、国有化されそうになった多くの企業が国有化されることになり、その所有を奪われそうになったアメリカの企業家は政府に働きかけ、CIAはその手先のピノチェト将軍を使って国家転覆に成功します。この軍事政権の下、シカゴ大学でフリードマンの教えを受けた学生たち(シカゴ・ボーイズ)が経済政策を担当して、政府の機関の多くを民営化して、過激な自由至上主義の政策がとられました。反対者は収容所に拉致されて、キャメロン博士のショック療法からCIAが開発した手法をつかって拷問を繰り返したのです。
 国家転覆や大災害というショックを利用して、弱肉強食の自由主義を導入して、一握りの富裕層と大多数の貧困層を生み出し、反対者は収容所でショック療法によって抵抗力を奪う。ショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義=大惨事につけこんで実施される過激な市場原理主義改革)が誕生したのです。
 この惨事便乗型資本主義は、フォークランド紛争を利用したイギリスのサッチャー政権、「連帯」による民主化革命後のポーランド、ソ連解体後のロシア、壁の崩壊後のドイツ、イラク戦争、津波の襲ったスリランカ、アパルトヘイトの後の南アメリカ、ロシアからの移民を受け入れIT軍事産業国家に変貌したイスラエル、と次々の登場していっているのです。
 この惨事便乗型資本主義では、政府の機関が(軍事や警察までもが)民営化されました。しばしば、政府の担当者が民間企業の経営者を兼ねています。こうした官と民が一体化した「コーポラティズム国家」では復興は一向に進まず、一握りの富裕層が利得を得て、大多数の貧困層はもといた場所から追い出されているのです。

(3)ショック=獣人化
 キャメロン博士が生んだショック療法とフリードマン博士が提唱したショックのあとのドサクサに乗じた過激な市場原理導入。この2つは偶然、同時に生まれたものなのでしょうか。
 そうではないでしょう。「狼が狼にたいするように」人が人に襲いかかる自由主義市場原理。これは文化や歴史をもった人間のいるところでは貫徹できないのです。本能のリミッターを失った人間は代わりに、歴史的にけいせいされた文化の中に生まれます。本能をもたないために限界をしらない行動にでてしいかねない人間は、この文化によって、限度を超えない自由をまなんでいるのです。しかしそうした秩序だった自由は、弱肉強食によって社会の富を独り占めしようとしている強者たちにとってはじゃまです。ショックによって人間が歴史と文化の枠をはずれ、本能のリミッターさえもたない「ケダモノ以下のケダモノ「となって互いに奪い合うこと。これこそが、強者たちの望む状態なのです。つまり、ホッブスの描いた自然状態こそ、彼らが望むものなのです。
 こうして人間がショックによって、ケダモノ以下の存在へと転落させられ相争うことを、ゾラの小説『獣人』にちなんで、「獣人化」と呼ぶことにしましょう。
 なぜなら、ゾラの『獣人』では、鉄道という危険な乗り物による恐怖と列車事故による大災害というショックによって、ケダモノ化した主人公たちが、列車殺人や愛人刺殺や機関車内での格闘と転落死、さらにブレーキを失った軍隊をのせた列車の疾走、というものが描かれているからです。

(4)塹壕から収容所
シュベルブッシュの『鉄道旅行の歴史』で明らかにされているように、もともと「ショック」なる言葉は、軍隊の一斉射撃や一斉攻撃によって前面にでてきた言葉です。
 第一次世界大戦において、このショックは、まずは塹壕のなかでの恐怖として現れました。この経験をした世代は「塹壕の世代」と呼ばれます。第二次世界大戦は基本的に第一次世界大戦でうまれた戦争技術と体験の拡大でした。しかし、ショックの新たな現れ方として顕著だったのは、収容所の体験でした。国と国との間の攻撃ではなく、国内における残忍な収容と処刑。このショック体験が第二次世界大戦以降のわれわれの思想の踏み絵となっています。いわゆる「アウシュビッツ以降」と呼ばれる時代、それが現代なのです。
 次回はこの収容所体験がもたらした時代診断を考察することにしましょう。
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by takumi429 | 2016-07-21 20:18 | 社会環境論 | Comments(0)

10.フロンティアの喪失 アメリカ社会学史への一視角

10.フロンティアの喪失―――アメリカ社会学史への一視角
 
アメリカ社会学の歴史をどのようにとらえたらいいだろうか。本稿は、それをフロンティアの喪失という観点からとらえてみることにしよう。
                            
1.ロック:新大陸開拓の承認
 イギリスの社会契約思想家ジョン・ロックはその主著『統治二論』のなかで、「土地の持つ潜在的能力を開花させるものがその土地を占有する資格を持つ」と説いた 。
 ロックのこの主張は、新大陸開拓の植民地の指導者たちを狂喜させた。なぜならインディアンを追いやって、土地を開拓していく彼らの行為がこの説によって正当化されたからである。
 
2.スペンサーの社会進化論:弱肉強食の承認
 弱者たるインディアンを攻め滅ぼし、アフリカから奴隷を連れてきて働かせる。こうした新大陸の論理をさらに正当化するものとして現れたのが、スペンサーの社会進化論である。彼の主張によれば、社会は動物の世界と同様に、弱肉強食であり、より進化しより適応力をもったものが、不適合な者を追い越して、繁栄していくのである(適者生存suvibal of the fitest) 。

3.スペンサーの死
 パーソンズ (Talcott Parsons 1902~79)はそのはじめての著作『社会的行為の構造』(1937)の冒頭で、「スペンサーは死んだ」と述べた 。それはすなわちすでにアメリカは社会ダーウィニズムの当てはまるような、外へ向かって膨張していく、またその膨張によって社会内部の対立矛盾が解消されるような社会ではなくなったことを意味していた。
すなわちフロンティアはもはや消えたのである。

4.ホッブズ問題
 フロンティアがなくなれば、いまやきまった土地のなかでお互いが取り分を求めて競い合うことになる。ひとつのパイを取り合うように、人は互いに敵対しあう。こうした問題をパーソンズは「ホッブズ的問題」と呼んだ。
 もしひとびとが自分の利益だけにはしって行為するなら、それはホッブズが『リヴァイヤサン』で描いた「人が人にとって狼であるような状態」になってしまう。そうして状態はどうしたら避けることができるのか、つまり「諸個人が功利的に行為する場合、どうすれば社会秩序は可能となるのか?」という問題、すなわち、彼が名付けるところの「ホッブズ問題」が生じることになる。
 この問題をパーソンズはどう解決しようとしたのであろうか。
 
4.1共通価値の受容
 パーソンズはこの問題を、「共通の価値の受容」ということで解決しようとした。「人が人にとって狼であるような状態」では、ひとはおたがいの出方(行為)を探り合い、結局、「両すくみ」の状態になって、身動きできなくなってしまう。この状態をパーソンズは「ダブル・コンティンジェンシー」と呼ぶ。ひとびとがたがいに、共通の価値と、それを実現するための様式(規範)受け入れることで、この「両すくみ」の状態は克服される、そうして社会の秩序は可能となる、そうパーソンズは考えた。 
 この共通の価値と規範の受容は二つの側面をもっている。ひとつは 共通の価値・規範を各人が自らのものとすること(内面化)、もうひとつは、共通の価値・規範が具体的な社会制度のかたちをとること(制度化)、である。
 
4.2 相補的役割関係
 共通の価値の受容は、パーソンズによれば役割というものが互いに支えあっていること、むずかしく言えば、一定の役割期待の相補性が成立していることを意味する。
 『社会体系論』(1951)の冒頭の献辞で、彼は妻に、病みがたい理論病患者にとって得難い均衡をもたらした、と感謝の言葉を述べている 。
 要するに、仕事をする「ぼく」、それを支える「君」というわけである。「君作る人、ぼく食べる人」というコピーがかつてあったが、それと大差はない。ともに「家庭は大切だ」という価値観を受け入れて、そのなかで補いあう(?)ような役割分担をしているというわけである(まあ男のかってな言いぐさといわれてもしかたないようなものである)。
 パーソンズはこうしたお互いに補いあうような役割関係が社会の大系を作り上げているとみる。たとえば、医師と患者もそうした相補的な役割関係である。
 
4.3 構造-機能主義
 パーソンズの描く社会は、地位-役割の体系としての社会である。地位の構造に埋め込まれた個人がその地位にふさわしい役割を演ずることで、社会の安定は維持されるのである。社会の構造に入れられた個人が、社会の安定に寄与する機能を果たすことで、社会の構造が維持されることを考察するのが、彼の「構造-機能主義」だったのある。
 
4.4幸福な社会=アメリカ
 こうした理論の背後には、50年代、世界でもっとも成功した社会としてのアメリカがある。つまりそれは「幸福な社会の完成体」としてのアメリカがある。しかしそれがたえず、自己を肯定しその価値観を宣伝し教え込まなくてはいけない社会でもある。じつはそれはそれを裏切る造反への不安がたえず抱えている、そうした社会でもあった。
 
5.1アメリカン・ドリームの功罪
 「アメリカ・ドリーム」と呼ばれるものがある。すなわち、アメリカではあらゆる人に成功の可能性がある、というものである。だがフロンティアの喪失の後、ある者の成功は他者の失敗を意味する。成功した者は他者に追いやられないために、その手段を独占しようとする。それでも成功しようとするものはその独占をうち破るか、あるいはまともではない手段を使ってでも成功しようとする。
 パーソンズの弟子のマートンが、デュルケームのアノミー概念を改変しつつ解き明かそうとしてのは、この問題である。
 
5.2 マートンのアノミー概念
 デュルケームのアノミー概念というのは、欲望の無制限な増大による無規範な状態を意味していた。彼のとらえた近代の病根はこの無制限な欲望の増殖という現象であった。
 マートンのアノミーのとらえかたはすこしちがう。マートンによれば、ある種の社会では「成功せよ」という文化的目標がつよく強調される。しかしそれを実現するための手段は問われない。その結果、人びとはまともな方法、すなわち、社会において制度的にきちんとみとめられ、できあがった手段をとらず、手っ取り早い手段をとるようになる。こうして生まれる無規制状態をマートンは「アノミー」と呼ぶのである
 アメリカは金銭的に成功するように人びとに圧力をかけている社会である。しかしそのための手段はあまり問われないため、人びとは非合法な手段を使ってでも成功しようとする。それがアメリカン・ドリームがもたらしている、アメリカの無規制状態なのである、とうのがマートンの考えていたことである。
 
5.3アメリカン・ドリームへの対応
 マートンは、文化的な目標とそれを実現するための(まともとされ、制度的にできあがっている)手段にたいして、どのような態度をとるかによって、人びとのあり方は5つの分類できるという 。
 Ⅰの「同調」は、社会が設定する目標をまともなやり方、つまり社会が認めた手段で達成しようとする人たちのありかたである。
 Ⅱの「革新」は、同じく社会が設定する目標を求めているが、まともではないやり方でそれを手に入れようとする人びとである。たとえば、ギャングのカポネのような人間を考えればいいだろう。
 Ⅲの「儀礼主義」の人びとは、もはや社会がいう目標を達成する気などなくなっている。しかし、社会的な決まりは守っていこうという人びとである。
 Ⅳの「逃避主義」の人びとは、社会的な目標も求めてはいないし、そのための努力も放棄してしまっている人びとである。
 Ⅴの「反抗」は、社会が標榜する目標もそのための手段にも疑問をもち、あらたな価値観によるあらたな目標とそのための手段を提示する。
 
     個人の適応様式の諸類型
  適応様式     文化的目標   制度的手段
 Ⅰ 同調        +       +     +は従う
 Ⅱ 革新        +       -     -は従わず
 Ⅲ 儀礼主義      -       +     ±は従わず別のものを提示
 Ⅳ 逃避主義      -       -
 Ⅴ 反抗        ±       ±
 
 マートンがいう「反抗」とはいかなるものなのか。それを具体化するような形でアメリカで現れたのが、「カウンター・カルチャー」と呼ばれる文化運動である。
 
5.1 カウンター・カルチャー
 60年代後半から70年代前半にかけてアメリカ西海岸では、「カウンター・カルチャー」(counter culture)と呼ばれる文化的運動が起こった。「対抗文化」とか「 反体制文化」とも訳されるこの運動は 、社会の既存価値観や慣習に反抗する若者の文化・生活様式であった。60年代末期のロック・ムーブメントは基本的にこの文化運動の影響下にあったと言ってよい。
 
5.2 映画『卒業』
 この時代のムードを先取りするように現れたのが、1967年ダスティン・ホフマンが演じた『卒業』という映画である。
 主人公の青年は東海岸の大学を優秀な成績で卒業し、家族のいる西海岸の家に帰ってくる。プールつきの立派な家に帰ってきた彼は、しかしどうもそこでの生活になじめなくなっている。やがて彼は幼なじみのエレインの母親と不倫関係になります。そして仲が良さそうにみえていたエレインの両親がじつは離婚寸前であることを知る。こうして彼は、日常生活の裏側を知り、そこに入っていく」。
 彼がかつてはなじんでいた家族との生活になじめず、まるで異邦人のような気分になっていることを表すシーンにこんなのがある。優秀な成績で卒業したことを祝って、彼の父親は息子に潜水服をプレゼントする。むりやりそれを着させられた彼の目に映る情景が潜水服の中からの視線で映される。8ミリをもってはしゃいでいる父と母。主人公は潜水服着せられ、ぎこちない動きで、水中マスクごしに両親たちを見る。結局かれはプールに潜らされ、水面を見あげ、ついにはプールの底に潜水服を着て沈む。
 同じ年、「ドアーズ」(doors)というロック・バンドがアルバム『まぼろしの世界』(Strange Days)のなかの「まぼろしの世界」(People Are Strange)という曲でつぎのように歌っている(作詞ジム・モリソン)。
「きみが異邦人(stranger)であるとき、ひとびとは見慣れない奇妙なもの(strange)になる。」
https://youtu.be/XZuj_xU-x0I
 この詩で歌われたのと同じように、『卒業』の主人公はまさに異邦人の目でまわりの人びとを見、そのため日常生活を営むひとびとがまるで奇妙な存在に感じられる。
 主人公はやがて幼なじみのエレインと恋仲になるが、彼の不倫相手の母親とそれを知った父親は、急いで娘を別の男と結婚させようとする。結婚式に駆けつけた主人公は教会のガラス越しに、いままさに進行しつつある結婚式を見る。もう手遅れだ、と思った主人公は思わずガラスを手で打ち「エレイン」と叫ぶ。すると突然、式は停止し、彼女は彼を見つめ。それに勇気を得た彼は、式場から花嫁エレインを奪い去り、ふたりしてバスに乗り込み、映画は終わる。
「もう決まったことだ」、「動かしようのないことだ」と思われた日常は、じつは意外にもろいものだった。異邦人の目で日常生活を眺め、それを突き崩していく青年。まさに「反抗」のタイプの人間が登場しつつあったのである。

5.3 エスノメソドロジー
 同じ1967年に ハロルド・ガーフィンケル(Harold Garfinkel 1917-という社会学者の『エスノメソドロジー研究』(Studies in Ethnomethodology) という論文集が出版され。
 この「エスノメソドロジー」という奇妙な名前の学問は、ひとびとがどのように日常生活を作り上げていくか、その方法を、まるで異邦人のような違和感をもちながら、調べていく。
 
5.3.1 エスノメソドロジーによる実験
 ガーフィンケルは、たとえば、学生に「家にかえったら、下宿人になったつもりで、親と会話しろ」と言う。当然、親子の会話は齟齬をきたす。
 たとえば、
親:「あれどうだった?」
子:(下宿人になったつもりで)「あれって、なんですか。」
親:「だから今朝言ってたやつだよ。」
子:「おっしゃることがわかりません。」
親:「お前、どうしたんだ。熱でもあるのか。」
 こうした齟齬をきたした会話からわかるのは、なにげない会話でもじつはその前提となる共通の理解されたもの(「背後理解」)があることである。
 またガーフィンケルは、学生に、「お店で値切ってみろ」と指導する。
 定価販売になれたアメリカの大学生は値切ることなど思いもつかない。品物の値段は「決まったもの」だと思いこんでいる。しかし実際に店の人に、「もう少し安くなりませんか」と聞いてみると、じつはけっこう値引きしてくれるものなのである。
 つまり、日常のふつうに進行していることがじつはかなり込み入ったことを前提にしていたり、「決まりきったこと」だと思っていたことが、じつは案外「やわ」であることがわかる。このように、ひとびとが「あたりまえ」と思っていることを浮き出させ切り出していくのがこの学派のやり方である。またその根底には、社会はあるものではなく作り上げていくものである、という考えがある。
 この学派はまさにマートンが予感した「反抗」の季節の産物といってよいだろう。

6.まとめ
こうしてアメリカの社会学の歴史は、フロンティアの喪失という宿命的な課題との格闘を通じて展開されてきた。フロンティアとは外部への侵出する際の前線を意味する。すなわち、外部へと侵出することが不可能になったときフロンティアは失われる。その後のアメリカの政策は絶えず外部を作り上げそこへと侵略しつづけることで自己を維持していきたように思われる。その意味でアメリカの社会は社会学者たちが立ち向かった問題の解決を回避つづけてきていると言えよう。
 侵略すべき外部の喪失という観点でみるなら、それはけっしてアメリカ一国の問題ではない。それはむしろ私たちが解決すべき問題でもあると思われる。


1.ロック『統治論・第二篇』宮川 透訳、中央公論社、世界の名著、1968
2.コント 霧生和夫.清水禮子 コント・スペンサー 世界の名著36, 中央公論社1970
3.タルコット・パーソンズ著/稲上毅・厚東洋輔/共訳 社会的行為の構造木鐸社1976
4.タルコット・パーソンズ著,佐藤勉訳:社会大系論、青木書店1774
5.マートン(著)、森東吾ほか(訳):社会理論と社会構造、みすず書房1961
6.Harold Garfinkel : Studies in Ethnomethodology, Blackwell Pub.,1984

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by takumi429 | 2016-07-07 22:18 | 社会学史 | Comments(0)