人気ブログランキング |

2.テンニース ゲゼルシャフトとしての近代

テンニース:ゲゼルシャフトが支配的となる時代としての近代

0.今回は、テンニース(Ferdinand Tönnies 1855–1936)のとらえた近代社会をみていこう。テンニースはその著『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(1887)で有名である。まずゲゼルシャフトについてみてみよう。

1.ゲゼルシャフト
ゲゼルシャフト(Gesellschaft)とは、欲得ずくの、自分にとって一番有利なものとして選らばれた、計算づくの関係である。それは、物の売り買いだけでなく、仕事も会社も、さらには国家や政府も、個人が選びとった関係である(ただ必ずしも取り替え可能とはかぎらない)。1.2ホッブズ
1.21 テンニースがもともとホッブズ(Thomas Hobbes 1588-1679)というイギリスの政治哲学者を研究していた。
ホッブスによれば、人間はほっておくと(自然状態では)、互いに殺し奪いあう、お互いにとって狼のような存在である。この人と人が争い合う状態をなんとか打開するためには、個々人がもつ暴力行使を、国家にゆだね、国家に暴力を独占させる。そうすれば平和が実現する、というのである。
1.22ホッブスは、ユークリッド幾何学の体系をまねて彼の政治哲学を作り上げた。ユークリッドが、数少ない定義・公準・定理を組み合わせ積み上げる ことで壮大な数学体系を作り上げたように、ホッブスは、人間のなかにある原理的な運動を組み合わせることで国家論を構築していく。
1.23それによって、ホッブズは、国家を神や宗教から正当化するのではなく、個人間の闘争から組み上げ説明し正当化する。国家は神でも民族精神によるものでなく、個人間の闘争を抑え込む機関にすぎない
1.3.マルクスは商品が支配し、貨幣によって何もかもが計算される、市場(商品世界)を描いたが、テンニースはホッブスを学ぶことで、こうした計算づくの関係が、商品世界からさらに、仕事や会社、大都会、さらには国家まで貫いていることを、ゲゼルシャフトという概念で明らかにしたのである。つまりゲゼルシャフトが支配的となる社会、それが近代社会なのである。

2.ゲマインシャフト
2.1だがゲゼルシャフトが支配的になればなるほど、それではすくい取れない関係が、逆にあわらとなってくる。つまり、かけがえのない、取り代え不可能な関係というものが意識されてくる。テンニースはそれをゲマインシャフト(Gemeinschaft)と呼んだ。すなわち、家族、親族、民族、文化的な小都市などである。ゲゼルシャフトな欲得ずくの計算高い関係に傷つき膿んだ人々を癒やすのはこのゲマインシャフトな関係である。
2.2マルクスは、その人間にとってかけがえのない価値を、「使用価値」と呼んだ。テンニースは、かけがえのない関係を「ゲマインシャフト」 と呼んだ。そしてそれは人間の「本質意思」によるものだとした。他方、マルクスは商品世界の交換される際の価値を「交換価値」と呼んだ。テンニースは、欲得づくの交換価値 代替可能・選択可能な社会関係を「ゲゼルシャフト」とよび、それは人間の「 選択意思」によるものだとした。こうしてマルクスの、使用価値と交換価値は、テンニースによって、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトという社会関係へと二類型へと発展させられた。
2.3ここでわすれてはいけないのは、国家はあくまでもゲゼルシャフトであるということである。資本家の市場獲得や帝国主義的拡張主義が、しばしば、「民族」の名の下におおい隠され、国家が民族や精神論によって正当化される。テンニースの晩年には、ナチズムがゲルマン民族の名のもとにユダヤ人迫害と侵略戦争を正当化した。テンニースは国家の民族・文化による正当化に断固として反対した。世知辛い金勘定と金儲けの世界、さらに差別、侵略をごまかすために精神論として、文化や民族や家族のつながりが持ち出されるのを、彼は徹底的に批判しているのである。。

文献
テンニエス著『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(杉之原寿一訳、岩波文庫、1956年)
テンニースは社会学者というより、社会思想、とりわけホッブズの、研究者として令名が高い。この本は、テンニースがさまざまな社会思想の本からそのエッセンスを抽出して整理してみせた本といえる。だからすでに要約みたいな本なので、この本をさらに要約することは無味乾燥なものとなってしまう。だがこの整理の奥にあるテンニースの情熱を感じつつ、もっと再読されても良い本だろう。

# by takumi429 | 2019-04-17 17:51 | 近代とは何だろうか | Comments(0)

1.マルクス 資本主義としての近代

0.1社会学とは何か
「社会学」とは何かと問われると、さまざまな答えが返ってくる。定義は学者の数だけある、という無責任な答えが返ってくることもある。だが共通する部分がある。それは、今この時代と社会を、その中で生きている、という肌感覚から、社会を論じるというだ。それは、今自分が生きていかざるを得ないこの社会というものを、なんとかとらえかえしていこうということのほかならない。いま生きているこの社会と時代。それを社会学では「近代」あるいは「近代社会」と呼んできた。社会学とは、この近代社会とはいかなる社会なのかを問い直す学問なのだ。
0.2この講義の方針
本講義では、これまでさまざまな学者や思索者がどのように近代をとらえてきたかを振り返ることで、近代あるいは現代がいかなる社会であるのかをさぐることにしよう。

1.マルクス 資本主義としての近代
1.1マルクスによる近代の定義
近代をとらえるこれまでの試みでもっとも影響力を持ち、かつ基底的な定義は、カール・マルクス(Karl Marx 1818 - 1883)による定義だ。マルクスによれば、近代社会とは資本主義の社会である。
1.2資本主義とは 
1.21「セメント樽の中の手紙」
では資本主義とはどんな社会なのか。
ここである短編小説を読むことでその具体的なイメージをとらえることにしよう。

「セメント樽の中の手紙」 葉山嘉樹(はやまよしき) (1926年)
 松戸与三はセメントあけをやっていた。外の部分は大して目立たなかったけれど、頭の毛と、鼻の下は、セメントで灰色に蔽(おお)われていた。彼は鼻の穴に指を突っ込んで、鉄筋コンクリートのように、鼻毛をしゃちこばらせている、コンクリートを除(と)りたかったのだが一分間に十才ずつ吐き出す、コンクリートミキサーに、間に合わせるためには、とても指を鼻の穴に持って行く間はなかった。
 彼は鼻の穴を気にしながら遂々(とうとう)十一時間、――その間に昼飯と三時休みと二度だけ休みがあったんだが、昼の時は腹の空(す)いてる為めに、も一つはミキサーを掃除していて暇がなかったため、遂々(とうとう)鼻にまで手が届かなかった――の間、鼻を掃除しなかった。彼の鼻は石膏(せっこう)細工の鼻のように硬化したようだった。
 彼が仕舞(しまい)時分に、ヘトヘトになった手で移した、セメントの樽(たる)から小さな木の箱が出た。
 (中略)
「チェッ! やり切れねえなあ、嬶(かかあ)は又腹を膨(ふく)らかしやがったし、……」彼はウヨウヨしている子供のことや、又此寒さを目がけて産(うま)れる子供のことや、滅茶苦茶に産む嬶の事を考えると、全くがっかりしてしまった。
「一円九十銭の日当の中から、日に、五十銭の米を二升食われて、九十銭で着たり、住んだり、箆棒奴(べらぼうめ)! どうして飲めるんだい!」
 が、フト彼は丼の中にある小箱の事を思い出した。
 (中略)
 彼が拾った小箱の中からは、ボロに包んだ紙切れが出た。それにはこう書いてあった。

 ――私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕器(クラッシャー)へ石を入れることを仕事にしていました。そして十月の七日の朝、大きな石を入れる時に、その石と一緒に、クラッシャーの中へ嵌(はま)りました。
 仲間の人たちは、助け出そうとしましたけれど、水の中へ溺(おぼ)れるように、石の下へ私の恋人は沈んで行きました。そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細い石になって、ベルトの上へ落ちました。ベルトは粉砕筒(ふんさいとう)へ入って行きました。そこで鋼鉄の弾丸と一緒になって、細(こまか)く細く、はげしい音に呪(のろい)の声を叫びながら、砕かれました。そうして焼かれて、立派にセメントとなりました。
 骨も、肉も、魂も、粉々になりました。私の恋人の一切はセメントになってしまいました。残ったものはこの仕事着のボロ許(ばか)りです。私は恋人を入れる袋を縫っています。
 私の恋人はセメントになりました。私はその次の日、この手紙を書いて此樽の中へ、そうと仕舞い込みました。
 あなたは労働者ですか、あなたが労働者だったら、私を可哀相(かわいそう)だと思って、お返事下さい。
 此樽の中のセメントは何に使われましたでしょうか、私はそれが知りとう御座います。
 私の恋人は幾樽のセメントになったでしょうか、そしてどんなに方々へ使われるのでしょうか。あなたは左官屋さんですか、それとも建築屋さんですか。
 私は私の恋人が、劇場の廊下になったり、大きな邸宅の塀(へい)になったりするのを見るに忍びません。ですけれどそれをどうして私に止めることができましょう! あなたが、若し労働者だったら、此セメントを、そんな処に使わないで下さい。
 いいえ、ようございます、どんな処にでも使って下さい。私の恋人は、どんな処に埋められても、その処々によってきっといい事をします。構いませんわ、あの人は気象(きしょう)の確(しっ)かりした人ですから、きっとそれ相当な働きをしますわ。
 あの人は優(やさ)しい、いい人でしたわ。そして確かりした男らしい人でしたわ。未(ま)だ若うございました。二十六になった許(ばか)りでした。あの人はどんなに私を可愛がって呉れたか知れませんでした。それだのに、私はあの人に経帷布(きょうかたびら)を着せる代りに、セメント袋を着せているのですわ! あの人は棺(かん)に入らないで回転窯(かいてんがま)の中へ入ってしまいましたわ。
 私はどうして、あの人を送って行きましょう。あの人は西へも東へも、遠くにも近くにも葬(ほうむ)られているのですもの。
 あなたが、若(も)し労働者だったら、私にお返事下さいね。その代り、私の恋人の着ていた仕事着の裂(きれ)を、あなたに上げます。この手紙を包んであるのがそうなのですよ。この裂には石の粉と、あの人の汗とが浸(し)み込んでいるのですよ。あの人が、この裂の仕事着で、どんなに固く私を抱いて呉れたことでしょう。
 お願いですからね。此セメントを使った月日と、それから委(くわ)しい所書と、どんな場所へ使ったかと、それにあなたのお名前も、御迷惑でなかったら、是非々々お知らせ下さいね。あなたも御用心なさいませ。さようなら。

 松戸与三は、湧(わ)きかえるような、子供たちの騒ぎを身の廻りに覚えた。
 彼は手紙の終りにある住所と名前を見ながら、茶碗に注いであった酒をぐっと一息に呻(あお)った。
「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打(ぶ)ち壊して見てえなあ」と怒鳴った。
「へべれけになって暴(あば)れられて堪(たま)るもんですか、子供たちをどうします」
 細君がそう云った。
 彼は、細君の大きな腹の中に七人目の子供を見た。
(大正十五年一月)
(https://www.aozora.gr.jp/cards/000031/files/228_21664.html 2019年4月9日閲覧)

1.22資本主義の定義
ではこの小説に沿った形で、資本主義の定義を試みよう。
労働の現場では労働者が生命(いのち)を削って物を作っている。そうして生産された物は、生産者から離れて市場を通じて売れれていき、さまざまな場所で使われる(消費される)。これを労働者を雇う資本家の立場から見直すと、生産する労働者。労働者の命が生産物となりそれが市場にでて商品となりさまざまなところで使えるものとなって消費される。資本家は労働者の労働からできた生産物を商品として売ることで利潤を得て、その利潤をまた資本として投下して原材料と労働力を買い取り生産させる。こうした資本家と労働者による生産と市場で商品となった生産物の配分を資本主義という。
そして、この資本主義が基調となっている社会が近代社会である。

1.31商品の世界
生産物は労働者の手から引き離されて、市場で売買され、それを求める場所で使われる。ここでは、あらゆるものが商品として現れ、貨幣を仲立ちにして、交換されている。

1.32使用価値と交換価値
マルクスは、個々のものがもつそれぞれの固有の価値を「使用価値」と呼んだ。たとえば、父の形見の万年筆はその子にとっては無限の価値をもつものだろう。
だがそれはひとたび売りに出されるとなると、その価値はまったくべつのものになる。
市場で売り買いされる価値をマルクスは「交換価値」と呼んだ。父の形見の万年筆は、市場ではただの古いボロ万年筆でしかない。その価値は、お金(貨幣)で計られる。たとえば100円と。100円されることで、父の形見は、缶コーヒーと同額とされる。ここに奇妙な等号が生まれる、父の形見の万年筆=100円=缶コーヒー。

1.33貨幣のもたらす商品交換の巨大な世界
お金に換算されることのせちがらさとひきかえに、お金(貨幣)の登場は巨大な商品交換の世界を生み出す。貨幣の出現によってその時々の物々交換は必要なくなり、品物と貨幣の交換ができ、また品物を等価交換するために細かく分けたり合わせたりする必要もなくなる。こうして、品物の交換の可能性が一気に広がる。だがその代わり全てのものが貨幣によってその価値を示されることになる。

文献
カール・マルクス『資本論第1巻』(河出書房 世界の大思想 ほか)
「この本だけは徹夜してでも一気に読まなければならない。そうすれば社会のありようがいっきに見えてくる」、と清水幾太郎が評した、マルクスの主著。

岩井克人『ベニスの商人の資本論』(筑摩書房1985年)
資本論の論理の内容の容赦ない整理、すなわち、
「剰余価値とは、貨幣の蓄積を目標とする産業資本家と、自らの労働力を商品として自由に処分でき、同時に自らの労働力を生産物の形で実現するための生産手段から切り離されているという『二重の意味で自由な』労働者が、市場で接触することによって生じる…。具体的には、それは、産業資本主義経済における資本家は、労働市場で商品として購入した労働力を生産過程で使用することによって、労働力の再生産に必要な生活手段の価値(すなわち労賃の形で支払われる労働力の価値)と生産過程で消費あるいは減耗したさまざまな原材料および生産手段の価値との和以上の総価値をもつ生産物を生産することができる…。そして産業資本家自身のものとなるこの価値の剰余部分が「剰余価値」と呼ばれるのである。さらに詳しく言えば、産業資本主義社会において剰余価値は二通りの仕方で生み出すことができる。一つは労働者の労働時間の延長あるいは労働の強化であり、それによって発生した剰余価値は「絶対的剰余価値」と呼ばれる。もう一つは、労働時間あるいは労働の強化が固定されている中で、労働の生産性を一般的に高めることによって労働力の再生産に必要な生活手段の価値を相対的に低下させることであり、それによって発生した剰余価値は「相対的剰余価値」と呼ばれる」(88頁)。
「いま、ある企業家が新たな技術の採用すなわち『技術革新』によって他の企業家に先がけて労働の生産性を高めることに成功したとしよう。この企業家が生産物を旧来の技術の下で成立していた市場価格で売るならば、彼は労働生産性の上昇分だけ他の企業家以上の利潤を獲得するはずである。マルクスの言う『特別剰余価値』とは、このようにして革新に成功した企業家の手元に残る超過利潤のことである」(94頁)。

平田清明『コメンタール「資本」1』(日本評論社1980)
貨幣を媒介にした商品世界のありようを生き生きと解説している。

マルクス『経済学批判』杉本俊朗訳 (大月書店国民文庫)
「序言」に、いわゆる「史的唯物論の公式」が書かれている。ここに全文を引用しておこう。

「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発生段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。
 社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期がはじまるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる。
 このような諸変革を考察するさいには、経済的な生産諸条件におこった物質的な、自然科学的な正確さで確認できる変革と、人間がこの衝突を意識し、それと決戦する場となる法律、政治、宗教、芸術、または哲学の諸形態、つづめていえばイデオロギーの諸形態とを常に区別しなければならない。ある個人を判断するのに、かれが自分自身をどう考えているのかということにはたよれないのと同様、このような変革の時期を、その時代の意識から判断することはできないのであって、むしろ、この意識を、物質的生活の諸矛盾、社会的生産諸力と社会的生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならないのである。
 一つの社会構成は、すべての生産諸力がその中ではもう発展の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することはけっしてなく、また新しいより高度な生産諸関係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しおわるまでは、古いものにとってかわることはけっしてない。だから人間が立ちむかうのはいつも自分が解決できる問題だけである、というのは、もしさらに、くわしく考察するならば、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに現存しているか、またはすくなくともそれができはじめているばあいにかぎって発生するものだ、ということがつねにわかるであろうから。
 大ざっぱにいって経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生活様式をあげることができる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、といっても個人的な敵対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味での敵対的な、形態の最後のものである。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対関係の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。だからこの社会構成をもって、人間社会の前史はおわりをつげるのである。」
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E7%89%A9%E5%8F%B2%E8%A6%B3 2019年4月11日閲覧)

# by takumi429 | 2019-04-11 18:12 | 近代とは何だろうか | Comments(0)

レポートの書き方

レポートの書き方 パラグラフからエッセイへ
担当 看護学部 勝又正直(JCMUで研修)

授業にあたってのマインド・マップ(もどき)

(1)レポートとは
 ①定義 問題―解答
 ②領域への入り方
 ③問題の見つけ方
(2)パラグラフ・ライティング
 ①「段落」との違い ひとつの主張を持った結晶体
 ②トピックセンテンスと支持文と主張の繰り返し ハンバーグ構造
 ③パラグラフ・ライティングの練習(高校英語表現の教科書を用いて)
(3)パラグラフからエッセイへ
 ①パラグラフを展開したのがエッセイ
 ②エッセイの骨組み:アウトライン 論文は鉄骨建築物 鉄骨構造にあたるのがアウトライン 
(4)実際の書き方
 ①発想法 ブレインストーミング・マインドマップ 実習
 ②資料などでの補強
 ③執筆 実習

(1)レポートとは
 ①定義 レポート(essay)とは
授業で課される、学習をうながし批判的思考(critical thinking「ちゃんと考えよう」の英訳?)を養わせる、提出を義務づけられた一群の文章。小論文
(滋賀大学経済学部『学習ナビ』「《付録》クリティカル思考のすすめ」のコピー配布)
指示(instruction)に気をつけよう。(教師はどんなレポートを求めているのか)。
論文とは、問題を提示し、それに解答するもの。読者がその答えになっとくできるよう論理や証拠などで支える。
 ②領域への入り方
「ナイチンゲールの○○について論じよ」「遺伝子組み換えの○○の□□についてのべよ」「ル・コルビュジエと日本の団地の関連について論じよ」「同潤会アパートについて論じよ」などなど、知らんことはGoogle(あるいはyahoo)に聞いてみよう。
ちょっと待った。Googleでみつけたネット情報は正しい情報かどうかなんら保証がない。ユーザー(もともとは学者たち)の善意と良識を前提としている(良貨は悪貨を駆逐する、の善意の原則)。Wikipediaも便利だけど、内容が玉石混交でときには間違っている。
ここはおすすめなのは、百科事典 平凡社現代百科事典(学者っぽい)、小学館ジャポニカ(おすすめの1冊が書いてあり涙が出そうにありがたいことがある)、アメリカーナ(中学生以上が使えることを前提にした英語)、ブリタニカ(同じく中学生以上。ネット版があり、ネットの翻訳機能が使えて内容がだいたいつかめる)。
学問的な資料探しはGoogle検索よりも Google scholar 検索で。(“ ”でくくって検索。○○○*で検索 ○○ and □□、○○ or □□、○○ not □□で検索)。
百科事典の後は、新書で。クセジュ新書がおもしろい。新書には参考文献がのっているで「次の一冊」が見つけられる。(「次の一冊」を見つけるがのけっこう大変なのだ)。
文献は基本書・基本論文と二次文献に分けられる。どの本・論文を見ても、引用されているのが基本書・基本論文。それについて論じているのが、二次文献。二次文献は最後に論文の形にするときにアリバイ的に挙げればいいから、まずは基本書・基本論文を読もう。
医療系ならMedlineでキーワードを組み合わせて検索して要約(abstract)だけ読めば方向がみえてくる。Googleでもキーワードを工夫すればおもしろい着眼点を見つけることができる。(たとえば、私はネットで「ラ・ジェッタ」を検索して、映画「ラ・ジェッタ」の年輪のシーンがヒッチコックの「めまい」の年輪のシーンのオマージュであることをネット上の記事から知った)。ネット情報はコピペする際には、引用「」をつけ、出典として、アドレスと読んだ日時を書けばよい。
またアメリカの教科書(とその邦訳)には、すぐれた有用なサイトのアドレスが挙げてあるので、それを使うのもおすすめ。
③問題の見つけ方
基本書・基本論文を読んで、疑問に思ったところ、わからなかったところに印やコメント書き込む。重要だと思ったら、そのページを表紙の裏に鉛筆で書く。
最初につまづいたところが、あんがい問題点だったり、その本・論文の画期的なところだったりする。
(2)パラグラフ・ライティング
①パラグラフとは、「段落」とちがう、ひとつの主張を持った結晶体である。
アメリカではアカデミック・ライティングの授業で、くりかえし、このパラグラフを書くこと(パラグラフ・ライティング)の練習をさせる。
②パラグラフは、トピック・センテンスと支持文と主張の繰り返し、というハンバーグのような構造をしている。
実例:高校英語表現Ⅱ教科書Vision Quest Ⅱp.70 「ロボットの有用性」を読んでみよう。
③練習1 ではあなたもこの「ロボットの有用性」について200字前後でパラグラフを書いてみよう。(Mainstream English Expression Ⅱpp.72-3も参照)。
紙の真ん中に題名「ロボットの有用性」と書き、そこから枝をひろげて思いつくことをかいてみて、それをまとめて書いてみよう。
練習2 支持文の練習p.72「英語を学ぶ意義」を読み、あなたもこの題でパラグラフを200字前後でかいてみよう。
練習3 導入文(論文にしたときに書き出しになる)の練習 p.74「都市と田舎」を読んで、あなたもこの題で250字前後のパラグラフを書いてみよう。
練習4 因果関係 p.76「深刻な黄砂問題」を読もう。

(3)パラグラフからエッセイへ
 ①パラグラフを展開したのがエッセイ
パラグラフの導入文とトピック・センテンスが序論になり、支持 文が本論になり、結びの文が、結論、となる。
例:Vision Quest Ⅱpp.102-3「学校への警察配置」を読んでみよう。
②アウトライン
論文は鉄骨建築物のようなもの。鉄骨構造にあたるのがアウトライン。主題を中心(出発点)として枝状にひろがる樹形(ツリー)構造をしている。箇条書きにしたのがアウト・ライン。上からみたのが、ブレインストーミングによるマインド・マップ。
マインド・マップからどのように論述となるか、具体例でみてみよう。Vision Quest Ⅱpp.82-5 この例はプレゼンテーションだが、出だしを少し変え、最初の呼びかけと最後のあいさつを削れば、論文と変わりはない。
(4)実際に書いてみよう。
①発想法にはブレインストーミング・マインドマップなどがある。紙の真ん中にテーマを書き、それにつらなることを放射線状に書いていく(上からみたツリー構造)。
練習「ロボットの有用性」「英語を学ぶ意義」「都市と田舎」のどれかひとつを取り上げ、マインドマップを書いて、短いエッセイを書いてみよう。
②「少年犯罪」についてマインド・マップを書いてみよう。そのうえで資料をネットでしらべ、あなたの主張が支持できるか調べてみよう。統計などの支持がある主張からマインドマップをかきなおしてみよう。そのうえで、「少年犯罪」についてのエッセイをかいてみよう。

次の一冊:
戸田山和久『新版 論文の教室 レポートから卒論まで』NHKブックス1194 NHK出版2112年


# by takumi429 | 2018-11-06 14:49 | 論文の書き方 | Comments(0)

3.ヴェーバー

3.  近代とは倒錯した精神が支配する社会である ヴェーバー


(1)異化する問い

 マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1905)のなかには次のような問答があります。


「なぜ楽しむことを知らずにそんなに休みなく働いているのです?」

「子どもたちに財産を残すためですよ。」

「でもそれは昔の人たちでも考えたことですよ。でも彼らはずいぶんのんびりと生活を楽しんでいきていました。決してあなたのようにあくせくと働いてはいませんでしたよ。」

「ええ、なるほどそうですね。」

「じゃ、なぜそんなに働くのですか。」

「まあ、働かずにはいられない、働いて事業を続けることが生活の不可欠なものになっているとでもいうですかね。」

「それじゃ、あなたという人間のために事業があるのではなく、事業のためにあなたは存在する、というわけですね。」

「まあ、そういうことになりますかね。」

 

 元の文章は、つぎのようなものです。

「休みなく奔走(ほんそう)することの『意味』を彼ら(「資本主義精神」にみたされた人々)に問いかけて、そうした奔走のために片時も自分の財産を享受しようとしない態度は、純粋に現世的な生活目標から見ればまったくの無意味ではないかと問うとき、彼らは、もし答えうるとすれば、『子や孫への配慮』だと言うこともあるだろう。しかし、より多くは、---『子や孫への配慮』という動機は、明らかに彼らだけのものでなく、『伝統主義的』な人々にも同様にあるのだから---より正確に、自分にとっては不断の労働を伴う事業が『生活に不可欠なもの』となってしまっているからなのだ、と端的に答えるだろう。これこそ彼らの動機を説明する唯一の的確な解答であるとともに、事業のために人間が存在し、その逆でない、というその生活態度が、[個人の幸福の立場からみると] まったく非合理的だということを明白に物語っている。」(Archiv 54/RS30/79-80頁。()は引用者挿入、[ ] は改定時(1920年)の加筆)。


 私たちがすっかりなじんでいる(同化している)ものを奇妙でよそよそしいものものに変えることで、それをはっきりと見えるものにすること、こうした技法を、芸術論では「異化」と言います。ヴェーバーはいわばこの「異化」の手法を用いて、日常当たり前に仕事に精出す資本家のあり方が、「人間のために事業があるのでなく、事業のために人間がいる」というきわめて倒錯した、「非合理」なものであることをあばきたてるのです。彼はその有名な著作を、この日常のきわめて当たり前で理にかなったと思われる生活に潜む倒錯(非合理性)をあばき立てる問いから始めるのです。

 この倒錯した非合理性は資本家だけでなく、一所懸命働いてあげくの果てに、資本家からの「搾取」をゆるしてしまう労働者にもあてはまります。

 ヴェーバーによれば、近代資本主義社会とは倒錯した非合理的な精神が支配する社会なのです。 


(2)「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」

 ではこの今生きることを楽しむのでなく、仕事や事業を至上の目的とするような倒錯した精神はどこから来たのでしょうか。ヴェーバーはそれをキリスト教の禁欲思想に求めます。修道士は神の栄光のために、ひたすら労働と祈りの日々をすごしていました。彼らの仕事は、神から呼びかけによって与えられた「使命」(ドイツ語ではBeruf、英語ではcalling)なのです。

 1517年に宗教改革をはじめたマルチン・ルター(Martin Luther 1483 - 1546)とその後継者たちは、 修道士や司教たちの聖職だけでなく、一般の仕事もこうした「使命」であるとみなしました。さらに宗教改革のもうひとりの大立者であるカルヴァンは(Jean Calvin1509 - 1564)は「絶対の神は人間をあらかじめ、救いに予定されている者と滅びに予定されている者とにわけている」という「予定説」を主張しました。信者はたいへんな不安にさいなまれました。しかしカルヴァンの後継者たちはその宗教的なカウンセリング(魂のみとり)で、「神があなたに与えた使命=仕事に励みなさい、そしてそこに大きな成果がうまれるなら、あたなは神に選ばれ救いに予定されている者であるにちがいありません」と助言しました。自分の救いの証拠を仕事の成果や収益に見出した信者たちは、ひたすらまじめに働き、収益をあげ、もうけを使って楽しむこともなく、さらに働き収益をあげようとしたのです。その結果生まれたのが、「搾取される」労働者と、「搾取」によって得た利益をさらに資本投下して資本の自己目的化した増大にはげむ資本家、とがつくる資本主義、が支配する近代社会なのです。

 


(3)ヴェーバーのとらえた近代社会

 資本主義がそれとはまった反対に見える禁欲思想によって生まれた。ヴェーバーはこの逆説的な発展を西洋社会の発展のなかに見出したのです。

 ヴェーバーの時代診断はすなわち、つぎのようになります。

 近代社会は逆説的にうまれた「非合理的」なものをはらむ倒錯した社会である。


# by takumi429 | 2017-10-20 19:33 | 近代とは何だろうか | Comments(0)

2.テンニース

 2.テンニース 近代社会とはゲゼルシャフトが支配する社会である

 恩賜の銀時計
 お祖父さんがなくなった。遺品の一つは、お祖父さんが東京大学首席卒業の記念に頂いた「恩賜の銀時計」。二人の孫がいる。占部(うらべ)くんと、財全(ざいせん)くん。
 占部くんは小さいころからおじいさんにこの懐中時計をみせてもらっていて触ったりしていた。小さなへこみ、ねじを巻くときの微振動、すべてやさしいが凛とした祖父の姿を思い出せる。コチコチを時を刻む音は、祖父の心臓の鼓動のように感じされ、占部くんの思い出のなかでは今も、おじいさんは生きている。
 財全くんは、おじいさんとは、生前、ほとんど会うこともなかった。この恩賜の時計をネットで調べたら、15万円で販売されていた。ただすこし凹んだところがあり、箱もないので、それほどの高値にはならないだろうが、なんとか形見分けしてもらい自分のものにしたい。占部が自分のものだというなら争ってでも手に入れるつもり。そしてネットオークションですぐに売って、新型のiPadを買う。お金が余ったらフレンチでも食べに行こう。
 占部くんと銀時計の関係は、「何にも代えがたい」関係である。それに対して、財全くんの銀時計との関係は、代替可能な、売ることができる関係である。だが売るためには、まずは所有しなくてはいけない。所有のためには他人がそれを所有することを排除しなくてはいけない。そこには所有をめぐる争いがある。

 1.テンニースの時代診断
 本質的な「何にも代えがたい」関係は、人とものだけでなく、人と人との関係でもある。こうした「本質的な意志」(思い)によって結ばれている人間関係が形となったものを、テンニース(Ferdinand Tönnies1855-1936)は、「ゲマインシャフト」とよんだ。ゲマインシャフトとは、たとえば、肉親・家族や古くからの町のことで、そこには親身な関係が支配している。
 他方、取りかえ可能でその中のどれかを選んでいるような人と物との関係、さらにその欲得づくで選ばれている(「選択意志」による)関係が形となったものを、テンニースは「ゲゼルシャフト」とよんだ。ゲゼルシャフトとは、会社や大都会のような、欲得ずくの関係が支配している人びとの集まりである。
 テンニースによれば、近代社会とはゲゼルシャフトが支配的となった社会である。しかし、いやそれだからこそ、ゲゼルシャフトとは異なるゲマインシャフトが重要となる社会でもある。

 2.ホッブズ研究者テンニース
 テンニースはもともとホッブズ(Thomas Hobbes 1588-1679)の研究者として出発しました。
ホッブズは『リヴァイアサン』(1651)の述べた〈服従契約としての社会契約説〉はつぎのような三段論法からできています。
(1)人間には自分を守ろうとする、おのずからそなわった権利がある(自己保存への自然権)。しかしそうして自分を守ろうとする人間は自分を守るために他人を傷つけ殺すこともいとわない。その結果、放っておけば、人間が人間に対して、まるで「狼が狼に対するような」殺し合いの状態になってしまう(〈暴力的死の恐怖〉の中で向き合う自然状態)。
(2)これでは人間同士討ちになってしまいかねない。そこで人々は、自分を守るための手段(暴力・武器など)を、ある特定に人間に預けることにし、それを互いに約束(契約)して、そうしてこの同士討ちをさけようとする。
(3)その特定の人間は、暴力手段を預けられることで、人々を自由に支配する力(主権 sovereignty)を持つ。主権をもつ人間へ服従することで、ひとびとは互いに殺し合うことなく、自分たちを守ることができるようになる。ここに、特定の人間にひとびとが服従している状態、つまりひとつの国家ができあがる。
 
 3.所有をめぐる争い
 ホッブスは、17世紀、近代が立ち現れようとする時、人と人の争いを暴力の独占で調停する国家を、一種の「思考実験」によって正当化しようとします。ではこの時、「人と人の争い」とは具体的には何をイメージしているのでしょうか。
 それは品物を排他的に所有しようとする人間同士の争いにほかなりません。自分の所有物であるとした上で、はじめてそれを売って別の物を得ることができる。労働者を働かせてできた品物を我が物とした資本家は、それを売ってもうけ、資本を増大する。
 経済活動における資本主義は、物を所有する権利を国家が認め守ること、を前提にしている。所有権こそが、近代のもっとも基本となる法的権利である。資本主義と所有権を軸とした法体系の結合。そこに近代社会ができあがるのです。

 4.近代社会の幾何学
 ホッブズの社会哲学にたいしてテンニースはその処女作『ホッブズ哲学注解』(Anmerkung ueber Philosophie des Hobbes)のなかでテンニースはつぎのように述べています。
「定義と公理から推論され証明される幾何学とその確かさにおいて同等になること、それは学問に可能だろうか、あるいはどうしたら可能であろうか。これが認識理論の中心問題であった。トーマス・ホッブズは新しきヨーロッパでこの問題を解こうと努力した最初のひとりであった」(Vierteljahrsschrift fuer Wissenschaftliche Philosophie 3 (1879) S.461)。
 ユークリッド幾何学は23の定義と5つの公理からその全体系を論理的に構築する。こういう理論体系を「公理系」といいます。テンニースによればホッブズの哲学は、このユークリド幾何学的な構成をもつ社会哲学です。 
 
 5.ゲマインシャフトの幾何学
 資本主義と所有権の法体系による社会はゲゼルシャフトです。しかしそうした社会が優勢になればなるほど、それとは異なる、「本質的な意志」による人間の結びつき、すなわち、ゲマインシャフトが決定的に重要になってきます。
 テンニースは、このゲマンイシャフトの理論を、ホッブスのように、幾何学的に構築しようします。すなわち、本質意志を原理として、出生、母子関係、夫婦関係、兄弟、父子関係、享楽と労働。場所のゲマインシャフト、精神のゲマンイシャフトへと積み上るのです。
 その際、決定的に重要なのは、ナショナリズムのように、国家を、家族・民族の展開、つまり、ゲマインシャフトとするのではなく、あくまでもゲゼルシャフトとみなしていることです。国家のうちにある矛盾・葛藤を、「民族=国民」の名の下に「国民=国家」として覆い隠すのがナショナリズムであるなら、テンニースの、ゲマインシャフトの幾何学は、それとは決然と袂を分かつものだったのです。


# by takumi429 | 2017-10-18 21:03 | 近代とは何だろうか | Comments(0)

1.資本主義としての近代 マルクス

1.マルクス 資本主義としての近代


 ――私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕器(クラッシャー)へ石を入れることを仕事にしていました。そして十月の七日の朝、大きな石を入れる時に、その石と一緒に、クラッシャーの中へ嵌はまりました。

 仲間の人たちは、助け出そうとしましたけれど、水の中へ溺おぼれるように、石の下へ私の恋人は沈んで行きました。そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細い石になって、ベルトの上へ落ちました。ベルトは粉砕筒(ふんさいとう)へ入って行きました。そこで鋼鉄の弾丸と一緒になって、細こまかく細く、はげしい音に呪のろいの声を叫びながら、砕かれました。そうして焼かれて、立派にセメントとなりました。

 骨も、肉も、魂も、粉々になりました。私の恋人の一切はセメントになってしまいました。残ったものはこの仕事着のボロ許ばかりです。私は恋人を入れる袋を縫っています。

 私の恋人はセメントになりました。私はその次の日、この手紙を書いて此樽の中へ、そうと仕舞い込みました。

 あなたは労働者ですか、あなたが労働者だったら、私を可哀相かわいそうだと思って、お返事下さい。

 此樽の中のセメントは何に使われましたでしょうか、私はそれが知りとう御座います。

 私の恋人は幾樽のセメントになったでしょうか、そしてどんなに方々へ使われるのでしょうか。あなたは左官屋さんですか、それとも建築屋さんですか。

 私は私の恋人が、劇場の廊下になったり、大きな邸宅の塀(へい)になったりするのを見るに忍びません。ですけれどそれをどうして私に止めることができましょう! あなたが、若し労働者だったら、此セメントを、そんな処に使わないで下さい。


 葉山嘉樹の小説「セメント樽の中の手紙」(1926年)の主人公の松戸与三は、セメントあけの作業中、樽の中から小箱に入った手紙を見つける。手紙は続く。


 

 いいえ、ようございます、どんな処にでも使って下さい。私の恋人は、どんな処に埋められても、その処々によってきっといい事をします。構いませんわ、あの人は気象(きしょう)の確

(しっ)かりした人ですから、きっとそれ相当な働きをしますわ。

 あの人は優(やさ)しい、いい人でしたわ。そして確かりした男らしい人でしたわ。未まだ若うございました。二十六になった許(ばかり)でした。あの人はどんなに私を可愛がって呉れたか知れませんでした。それだのに、私はあの人に経帷布(きょうかたびら)を着せる代りに、セメント袋を着せているのですわ! あの人は棺(かん)に入らないで回転窯(かいてんがま)の中へ入ってしまいましたわ。

 私はどうして、あの人を送って行きましょう。あの人は西へも東へも、遠くにも近くにも葬

(ほうむ)られているのですもの。

 あなたが、若(も)し労働者だったら、私にお返事下さいね。その代り、私の恋人の着ていた仕事着の裂(きれ)を、あなたに上げます。この手紙を包んであるのがそうなのですよ。この裂には石の粉と、あの人の汗とが浸しみ込んでいるのですよ。あの人が、この裂の仕事着で、どんなに固く私を抱いて呉れたことでしょう。

 お願いですからね。此セメントを使った月日と、それから委(くわ)しい所書と、どんな場所へ使ったかと、それにあなたのお名前も、御迷惑でなかったら、是非々々お知らせ下さいね。あなたも御用心なさいませ。さようなら。


(葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」青空文庫http://www.aozora.gr.jp/cards/000031/files/228_21664.html2017年10月9日)


(1)資本主義社会

カール・マルクス(Karl Marx 1818 - 1883)は、私たちが生きているこの近代社会を、資本主義が支配する社会である、としました。      

 資本主義とは何か。冒頭に見た、葉山嘉樹の小説にひきつけて、まとめてみましょう。


 生産の現場で、労働者は命をけずって物を作っている。彼らの生命は生産物となる。だがその生産物は、すべて資本家のものとなり、市場で商品として切り売りされる。労働者がその品物にどんな思い入れを込めようと、それは商品となり、いくらで売れるか、お金(貨幣)で、その価値は計られる。こうして労働者の働きは、金(貨幣)で売り買いされる商品にされる。命をけずり切り売りするしかない労働者と、その労働者を雇いその労働が物となった商品を売ることで資本を増大させる資本家との関係を「資本主義」とよぶ。そしてそれが支配的基調となっている社会、を「資本主義社会」とよぶ。


(2)商品世界における奇妙な等号

 私には祖父からもらった万年筆がある。この万年筆には祖父の思い出がつまっている。その価値は何にも代えがたい。だが、金に困った私は万年筆を質屋に持って行く。「300円」。値踏みをした質屋の主人が言う。思い出の品が自販機のペットボトルのお茶2本分の価値しかないという。金に替え、さらにその金で別の物を買う。その時の価値が、300円。思い出にひたっている時の価値は何にも代えがたい。だが何かに代えよう、交換しようとするなら、それは300円の価値しかない。その交換の価値において、万年筆=300円=ペットボトルのお茶×2という等号がなりたつ。似ても似つかない、万年筆とペットボトル茶2本が等号で結ばれる。

 その品物それぞれがもつ固有の価値をマルクスは「実質価値」とよびました。だが実質価値に固執するかぎりそれは交換できません。交換するためには、それがお金で「なんぼのものか」を計らなくてはならない。その時、お金(貨幣)で表わされている価値をマルクスは「交換価値」とよびました。すなわち、交換価値の成立は貨幣による交換経済の成立でもあります。

 もし物々交換のレベルにとどまっているなら、お互いの持っているものをお互いに欲していいなくては交換できません。たとえば、Aが古万年筆をもち、Bがペットボトル茶2本をもち、しかもAはペットボトル茶2本を、Bはフル万年筆を欲していなくては交換できなくなります。もちろん、こんなことはめったにあることではないです。そこでいつでも人が欲している、しかも小分けすることができるような品物、たとえばタバコとか塩とかにいったん交換しておき、こんどはその品物で、別の物と交換するということがおきます。このいつでも交換され小分けできる特殊な商品としてお金(貨幣)が選定されます。このお金のおかげで、物々交換の等価性・同時性がのりこえられ、広範で活発は商品交換(売買)が生まれるわけです。そしてこの商品世界においてはあらゆるものが商品としてお金で価値が計られることになるわけです。

 この商品世界ではお金(貨幣)によって商品が交換され流通します。その結果、「貨幣運動はただ商品流通の表現でしかないのに逆に、商品流通がただ貨幣運動の結果としてのみあらわれる」のです(『資本論1』大月書店文庫版151-2,206頁)。


(3)マルクスの歴史観

 マルクスの世界観(史的唯物論)では、物を作り売り流通させる関係が社会の基盤となって、その上にそびえる法律、政治、文化(これを「上部構造」といいます)のありようを決めます。

 たとえば、資本主義では誰のものか(誰がその品物を所有するのか)ということはきわめて大切です。所有が決まらなくては交換もできません。ですから、資本主義社会において、所有権をめぐる法律がもっとも重要なものとなります。またその所有権を守るように政治体制がつくられます。 

 また、資本主義では労働というものが社会の基盤となりますから、労働というものを尊ぶ文化が生まれます。「仕事ができない奴はだめだ」といった言い回しがさかんに言われ信じられることになります。こうした体制のありようを肯定する思想のことを「イデオロギー」といいます。

 資本主義も、またそれ以前の、狩猟社会、農耕社会、封建社会も、それぞれそれにふさわしい法律・政治・文化をもっていた、とマルクスは考えました。


 まとめましょう。

 マルクスによれば、近代社会とは資本主義が支配する時代です。

(1)そこでは使用価値が違う物が、等しい(交換価値)を持つものとして交換されます。交換の媒介(なかだち)をするにすぎなかったはずの貨幣(お金)が動きまわり、逆に人々の欲望をかきたて、あらゆるものが商品となっていきます。

(2)商品を生産し販売し資本を増大させる資本家は、資本主義の原則に則った形とはいえ、資本の人格化(金の亡者)として絶えざる資本増大を目指し、労働者を搾取し、他の資本家と弱肉強食の争いを繰り広げます。

(3)このマルクスの歴史観では、物を生み出し交換する関係が社会の基盤となり、その上にそびえる、法・学問・文化・イデオロギーなどの上部構造を規定します。



# by takumi429 | 2017-10-11 18:10 | 近代とは何だろうか | Comments(0)

はじめに

社会学講義(近代とは何だろうか)


はじめに

本講義は、「近代とは何か」という問題意識のもと、社会学のさまざまな古典的作品をとらえなおすことをめざします。


1)社会学のとらえどころのなさ

 社会学を学びはじめて、私たちがまず当惑するのは、その体系性のなさです。

 古典的とされる作品は、自殺、プロテスタンティズム、貨幣、監獄など、あつかっている対象もばらばらなだけではなく、その手法にもおよそ共通性が見当たりません。

 教科書の多くは、家族・成長・役割・地域・国家・国際社会、などといった、一見、体系性があるかのような配列になっています。しかしこの見せかけの体系性は文化人類学などからの借用でしかありません。細かくみるとかっちりしたまとまりがあるわけでなく、しまりのない内容の羅列です。その内容は社会学の古典の内容とは連続していません。

 また最近よく見られるのが、いわゆる「科研費社会学」とでもいうべき、わい小な「社会学」の席巻です。「科学研究費補助金」などの助成金を獲得するために、いかにも「お役に立ちますよ」、「社会の実情を調べていますよ」といった感じの、役人からの下請け仕事、賞味期間の短い、じつは役にも立たない、しかも致命的なことにまるで面白くない、「社会学」研究が量産されています。しかし実はこれらの研究手法は社会学とは別のところから来ており、その「社会学」なるものは、社会学の古典とは関係がありません。


(2)古典社会学のネガティヴな共通性

 社会学の古典の内容がばらばらなのは、実はそれを書いた社会学者が実は社会学の出身ではなく、学生のとき社会学を学んでいなかったからです。あるいは学ぼうにも社会学がまだ学問として確立していなかったからです。

 社会学の古典を書いた、いわゆる社会学の「巨人」としては、テンニース、ヴェーバー、デュルケム、ジンメル、少し下って、(やたら大作主義だけどつまらない)パーソンズ、(「大山鳴動して鼠一匹」の)ハバーマスなどが挙げられるでしょう。また、最近、社会学者が勝手に社会学の巨人ということにしているフーコーも入れることにしましょう。

彼らの出身学問をあげると、テンニースは古典学、ヴェーバーは法学、デュケムは哲学、ジンメルも哲学です。またパーソンズは経済学、フーコーは哲学です。

 社会学の巨人はいずれも出身学問から外れた学者なのです。社会学は、既存学問から外れた「落ちこぼれ」が作った「学問」なのです。


(3)古典的社会学のポジティヴな共通性

 社会学の巨人が、なぜ既存の学問から「落ちこぼれ」てしまったのか、それを考えることで、古典的社会学のポジティヴな共通性が見えてきます。

 社会学の巨人たちはなぜ既存の学問のワクから外れてしまったのか。それは彼らが、既存の学問の枠組みには収まりきらない問題意識をかかえていたからです。彼は、日々生きている感覚、違和感や「温度差」といった感覚をも含めて、その感覚を捨て去ることなく活かしながら、自分を包みその中で自分が生きている、今ここにある社会を、まるごととらえようとしたのです。今生きているこの社会を、「近代社会」と呼ぶなら、彼らの問いは、この近代社会とはどんな社会なのか、それはどこから来てどこにむかって行くのか、という問いです。短く約めるなら、「近代とは何か」という問いです。

 この「近代とはないか」という問いこそが、古典的社会学の根本問題です。そしてその後に発展して来た学問として「社会学」をとらえる最もよい立ち位置を提供してくれる問題です。


(4)この講義の予定と特徴

 この講義では、「近代とは何か」という問いのもとに、古典とされる社会学者の業績を見ていきます。また社会学以外のものでも、この「近代とは何か」という問いに答えようとしている作品もなら、おなじくあつかうことにします。




# by takumi429 | 2017-10-04 14:12 | 近代とは何だろうか | Comments(0)

ハリウッド熱中教室 動画

第1回 脚本
https://www.xiaobaiban.net/video/play-joLwbKZrnw9kv2m9Il0Vknem5kM_3D.htm

第2回 ビジュアルデザイン
https://www.xiaobaiban.net/video/play-SgKXjsByA6MnVX3Tek71B1tWkqg_3D.htm

第3回 撮影
https://www.xiaobaiban.net/video/play-fWKbzdKNGwJt5aa51DkxHDgVKDI_3D.htm

第4回 編集
https://www.xiaobaiban.net/video/play-xALhLS2o7e3otUxgJP82DjeXe8c_3D.htm

第5回 音響効果
https://www.xiaobaiban.net/video/play-OPiXXR_2BN3POj3rCVZT_2Fy1xIclSc_3D.htm

動画資料
https://www.youtube.com/playlist?list=PLzhgQ7TDM-3RzyQJdp4vEQFXJAbIFQE1h

# by takumi429 | 2017-09-07 10:08 | Comments(0)

まとめ

近代(現代)社会とはいかなる社会か まとめ

私たちを取り巻き、私たちがその中で生きていくこの近代社会(あるいは現代社会)とはいかなる社会なのか、それこそが、一見バラバラにみえる社会学者たちの共通の問題意識であった。

マルクスにとって近代社会とは、資本主義にほかならない。
ものを使う人にとっての価値(使用価値)ではなく、それはいくらで売れるかで計られる価値(交換価値)が優位となった社会のなかで、労働者は労働を売り、資本家はそれを買取り、労働者を働かせ、利潤を上げ、その利潤を再度、資本投下して、資本を拡大させていく。増殖していく資本の運動として資本主義はある。

テンニースにとって、過酷な資本主義の現実こそ、ホッブスが説いた自然状態(人が人に対して狼である状態)にほかならなかった。この人が品物を買うときのようにあれかこれかという欲得づきの選択でしかつながりあえない関係(ゲゼルシャフト)に対して、それとはちがう本質的な意思により結び合う関係(ゲマインシャフト)を対置して、この両者をホッブスのようにユークリッド幾何学的な体系として社会理論を作ろうテンニースは試みたのである。

資本家のたえざる資本増大の欲求と労働者の勤勉な奉仕というのは、幸せをもとめるあたりまえの生きかたから見ると、じつは倒錯した生きかたでしかない。ヴェーバーはこの倒錯した生きかたの原点を宗教改革の禁欲思想にもとめた。聖職者しか求められなかった禁欲的な労働は、いっぱんの仕事も神から命じられた使命である、とされることで、ふつうの労働にも適用されるようになった。しかも、自分が救いに予定されているのか不安に思った信者たちは、仕事による業績(収益)にその救いの確かさを求めるようになり、けっか、自己の幸福とはうらはらな絶え間ない仕事への没頭をして資本を増大させることになり、こうして現代の資本主義がうまれたのである。

ジンメルによれば、貨幣とは交換関係が「形式」として結晶化したものにほかならない。ヴェーバーは、人間の関係が形式として結晶化し硬直化して人間に対峙するのは、貨幣だけではなく、法体系、音階、建築様式、時間システム、官僚制、などなど、西洋の文化全般の性格であると考え、これを「形式合理性」と名づけた。西洋文化の「普遍性」とは自律的なシステムとなったこれらのシステムを、強引に外部にも適用しようとする、西洋の全体性へに志向にほかならない。

デュルケームにとって、近代社会とは、欲望が本能のもつ制限(リミッター)を失ってらせん状に増大していく時代にほかならない。本能の制限を失って、同一種である人間どうしが奪い合い殺し合うような状態を治めるために、彼は宗教がもっていた道徳の力を復活させようとした。
同時代の作家ゾラは、フランスの第二帝政期を題材として、欲望を異常なまでに増大させているさまざまな社会的装置(欲望の喚起装置)を描き出した。すなわち、市場、株式市場、炭鉱、鉄道、デパート、政治、戦争である。

ベンヤミンにとって、本来の使用から切り離されて市場を浮遊する貨幣のありかたは、さまざまなイメージをそのもともとあった場所から切り離し別のものとつなぎ合わせることで、時代の夢を生み出す映画のあり方につながるものであった。ベンヤミンにとって近代とは夢工場にほかならない。バラバラにされたイメージをつなぎあわせて希望の社会のビジョンをイメージしようしたベンヤミンは、皮肉なことに、映画を制作するように政権を作り上げた(悪)夢工場たるナチズムによって死においやられたのである。

ナチズムを予感させる映画『カリガリ博士』の最後において、世界はすべて精神病院のなかに飲み込まれる。そこでは、収容所を管理運営する科学者が支配者となる。だが権力の源泉は、個人ではなく、一望監視装置に代表される収容所という装置にある。フーコーにとって近代とは、精神病院、監獄、学校、軍隊などの、それ自体完結して人を閉じこめる「全制的施設」(total institution ゴフマンの用語)が支配的となる、すなわち収容所の時代にほかならない。

アンダードンによれば、近代とは国民国家が支配的となった時代である。共同体から剥離された人々をまとめあげる「想像の共同体」こそ、この国民国家にほかならない。この共同体は、言語文化によって一体感を形成され、国旗、地図、人々の移動、新聞・小説などによって、同じ共同体に属しているという幻想をもち、国家装置なかでみずからを位置づけそれに殉じていく。

ウォラースティンによれば、近代社会は、中核、半周辺、周辺という、「世界システム」を形成することで生まれてきた。西洋近代社会はアフリカの奴隷を新大陸で働かせることで資本主義を開花させたのである。近代社会はたえずその外に従属的な地域を必要としているのである。

ナオミ・クラインによれば、新自由主義とは、ショック療法により、人が人に対して狼であるような弱肉強食の状態をつくりあげることで、資本主義の強者がさらなる利益を貪ろうとするものでしかない。現代はこのショック・ドクトリンが蔓延している時代なのである。

アメリカ合衆国におけるフロンティアの喪失は、同じパイを奪い合うホッブス的状態をまねきかねなかった。パーソンズはその危険をお互いの役割を遂行していこうという共通価値の受容によって乗り切ろうとした。しかし、それは白人男性優位の体制を普遍的なものとみなす「おじさんのたわごと」でしかなかった。フロンティアの喪失はアメリカン・ドリームの崩壊をもたらす。まともなことでは成功できない移民やマイノリティたちは非合法な方法で成功を得ようとする。マートンはそこの社会問題の発生の原因をみた。しかし対抗文化のなか、これまで成功とみなされてきたもの(目的)、それにいたる道すぎ(手段)を否定する若者たちがうまれてきた。彼らのナイーブな(このナイーブには「バカ」という意味合いもある)感性を反映したのがエスノメソドロジーである。アメリカはその後、外部に敵をつくりあげることでフロンティアを作り続けていこうとしている。

第二次世界大戦以降、際立ってきたのは、排除すべき他者を集めて殺して消去するという、強制収容所における大量殺害である。バウマンはその典型であるユダヤ人の大量殺害(ホロコースト)は、たんにナチズムの狂気だけでは可能とならず、むしろ、近代の(道具的)合理性を駆使した官僚組織と科学技術によって可能になったのだとした。そこではおそろしく凡庸な陳腐な人間が、ぼう大な生命を消去する指示を下しているのである。

産業資本主義はたえずその外部をもたなくてはならず、しかもその外部をたえず侵食していくことで、みずからの危機を招き、その危機を克服するために、技術革新によってみずからの内部に差異をつくりあげなくてはならなくなった。近代社会もその基本原理である「普遍」の名のもとでの膨張によって外部を失っていく。ウルリッヒ・ベックによれば、外部を失うことでそれまで外部に依存し廃棄してきたものは社会の内部に回帰して危険なものとなる。この状態の陥った社会が「リスク社会」である(外部とはたとえば、自然環境、家庭内での女性、政治から分離中立だとされてきた科学などである)こうして近代社会の外部への作用が自分自身への作用へとなるという「再帰的近代」の段階に私たちの社会はいたったのである。
# by takumi429 | 2016-07-21 20:24 | 社会学史 | Comments(0)

13.リスク社会としての現代

15.リスク社会としての現代
(1)リスク社会の出現
1986年4月26日に旧ソビエト連邦のチェルノブイリ原子力発電所の4
号炉が爆発する事故が発生し、周辺のみならず、ヨーロッパ全土に深刻な放射線被害をもたらしました。同じ年の1986年9月26日、ウルリヒ・ベックの 『危険社会』 が出版されました。同書は専門書としては異例の売上となり、そこで提唱された「リスク社会」の概念は広く知られることになりました。
 リスクとはなにか。私たちの生活は古来、さまざまな危険(英danger,独Gefahr)におびやかされてきました。思いもかけない天変地異が私たちの社会を飲み込んできました。しかし、リスク(英risk,独Risko)とは、こうした危険一般ではなく、むしろ私たちの社会じしんがもたらした危険を指します。
 例えば、2011年3月11日におきた東日本大震災は、地震と津波による災害でした。こうした地震と津波という危険は、地震国である日本が有史以前からかかえてきたものです。しかし、その地震と津波によっておきた福島第一原子力発電所事故は、地震国である日本が、(おそらくは被爆国でありながらも核爆弾の技術を確保したいという隠れた意志のもとに)、過去定期的に津波が襲ってきていた海岸線に原子力発電所を多数建設し、しかも津波に対する備えを充分にしてこなかったという、私たち社会のおこないがもたらし災害、いわば「人災」でした。
 こうした、みずからの行動や選択によって発生しうる危険、すなわち、自己責任により冒す危険、のことを「リクス」とよびます。
 ベックは、自分のしたことが自分に返ってくるという自己回帰的(再帰的reflexive)な構造をもつ社会を「リスク社会」と呼びました。そしてこのこのリスクのもつ自己回帰的(再帰的)構造に、近代の変容、つまり現代の決定的な特徴を求めたのです。

(2)産業資本主義の自己矛盾
 近代の産業資本主義は、つねに、非産業世界(外部)を前提にしていました。産業化はたえずその対象としての未開拓地を必要としていました。
 ローザ・ルクセンブルクはこのことを『資本蓄積論』なかでこう言っています。「資本主義は、その存在と進展のために、非資本主義てきな生産諸形態をその環境として必要とする」(太田哲夫訳書76頁)。
 産業資本主義は、拡大再生産、資本の拡大を不可欠としています。ヴェーバーがいう「伝統主義」が支配する「単純再生産」ではなく、たえざる利潤の獲得とその資本への再投下(拡大再生産)を基軸とするのです。
 しかし、飽和した限られた社会の中からは利潤はうまれません。賃金だけを生活費とするような労働者や正当な賃金払いをもとめる主婦や妥当な価格を要求する資源提供者しかいないような社会では利潤はうまれないのです。片足を自給自足の農業に残したままの労働者や農村を追い出されてぎりぎりの賃金でも満足する労働者が存在し、「愛」の名の下に無給で働く主婦が存在し、ガラス球のようなガラクタや安い対価で鉱物資源や人的資源(奴隷など)を提供してくれる「未開地」があればこそ、産業資本主義はその利潤の獲得と資本
の増大を可能とすることができるとのです。
 しかし、資本の拡大はこの資本主義がそうした未開地へと拡大侵食していくことを意味します。結果、未開地はどんどん失われていきます。労働者は正当な賃金を要求し、主婦は対等な人格と労働の対価をもとめ、「開発途上国」は資源にたいする対価をもとめ、それはどんどん先進国との差を縮めていきます。産業資本主義は外部世界を前提としつつも、その外部世界を侵食して消し去っていくことで、自分の前提条件を突き崩していくという自己矛盾を抱えているのです。
 たとえば、安価でぼうだいな労働者の存在が中国を世界の工場へと押し上げましたが、人口の停滞・現象と労働運動などによる賃金の上昇によって、中国に工場をもつメリットは資本にとってますますうしなわれいきます。中国が資本主義圏に飲み込まれれれば飲み込まれるほど、外部としての性格を失えば失うほど、産業資本主義にとって中国の魅力は薄れていくのです。
 岩井克人はその著『ベニスの商人に資本論』で、遠隔地貿易とは、交換比率のちがう地域間での貿易により利潤(もうけ)をえる経済であった、産業資本主義とは市場と工場内での労働と貨幣の交換比率の差を使った利潤をあげるものであった、といいます。これらの経済はともに、地域格差、空間における価格体系のちがいを利用して利潤をあげる経済でした。
 では地域による価格体系の差がどんどんうしなわれていったとき、どうやって利潤をあげていくのか。岩井はそれは、空間による差異ではなく、時間による差異を利用するのだといいます。つまり、技術革新型の資本主義です。この技術革新型の資本主義は、未来の技術による労働と生産の比率の違いによって利潤をあげる、つまり将来の技術水準を先取りした企業が、まわりの遅れた生産技術との差によって利潤をあげるのだというのです。
 産業資本主義は地域的な価格体系の格差(差異)を利用して利潤をあげてきました。しかし資本主義は空間的に拡大していくというその拡大運動のなかで利潤をあげていきました。技術革新型の資本主義は、こんどはみずからの中に未来を先取りすることで、その先取りに技術革新の広がりの運動の中で利潤を上げていくのです。地域的外部を失った資本主義は、時間的に進んだ部分と遅れた部分とを作り上げることで利潤をあげてきました。しかし、その差は技術の拡散によりつねに解消されていきます。それゆえ、こんどは、たえざる技
術革新あるいは技術モードの変更により格差(差異)を創出していくことが必要とされるのです。
 資本主義の外部への拡大は、外部を失うことで、内部での差異創出の運動へと変化したのです。つまりみずからをたえざる再編へともちこむことで自分を維持する、資本主義がみずからを技術革新によって未来の資本主義へたえず再編していく。そのことによって延命ざるを得ないというわけです。
 この外部から内部への資本主義の運動は、ちょうど外部を近代化していった近代の運動が、みずからの内部へとその運動を転換することにつながります。ここでベックの議論にもどりましょう。

(3)再帰的近代(外部性の喪失)
 ベックによれば、近代とは外部を前提にしていました。ベックのあげるのは次の3つです。
 ①自然環境
 近代産業社会は、自然から資源を取り入れ、外部たる自然に廃棄物を捨ててきました。
 ②「愛」による家庭
 男女の身分的な差別(家父長制)によって、家庭に労働者の再生産をさせてきました。ここでいう「労働の再生産」とは、職場で疲れた労働者が家庭にもどって元気になりまた働くことができるようになる、という現在の労働力の再生産と、子どもをそだててみらいの労働者とするという、新たな労働者の生産(再生産)の両方を意味します。この家庭内の労働は賃金による労働でなく、「愛」の名の下によるほぼ無給の労働でした。近代社会はこうした影に隠れた労働(シャドー・ワーク)を不可欠な前提としてきたのです。
 ③科学の専門化
 科学は政治とは分離させられ、中立公正で客観的なものであるとされてきました。
 しかし、再帰的近代、すなわちリスク社会になるとこうした外部生は失われました。その結果、各領域での再帰的近代化(reflexive modernization)が生じることになります。
 ①廃棄物を捨てることができる余地がもはやなく、廃棄物は環境汚染という形で社会へ跳ね返ってきます。外的環境からの危険とは異なる、人間社会がもたらしたリスクが、問題となってきます。ここでは、富の分配でなくリスクの分配(マネージメント)が問題となってくる。またこのリスクを認知するために科学にきわめて依存するようになります。たとえば、目に見えない放射汚染は科学的な測定によってしか認知できません。私たちは放射線の危機の認知のためにたえず科学をあてにするしかないのです。
 ②産業社会の個人化が家庭にまでおよび、家庭はもはや安定した役割分業の世界ではなくなってきます。失業という危険が人々を個人化する。失業から離婚し、公団やアパートなどで「孤独死」する中高年が増大している現状はまさにこれです。女性の教育水準の上昇し、労働市場への進出して、離婚の増大します。結果、じつは身分的性別役割分業であった核家族(未婚の子どもと両親からなる家族)は解体していきます。
 ③これまで、科学は外に研究対象を見出してきました。ところが、原子力発電事故のように、科学がみずから危険を生産するものになってくると、科学は外に対象を見いだすのではなく、自らが生み出した帰結に対処する(自分で自分のしりぬぐいをする)ようになってくるのです。ここにおいて、科学はおおきな政治的な力をもつものとさえなってきます。しかるにこれまでの議会制民主主義は政府をコントロールすることはできても、こうした政治的な力をもつようになった科学技術には対応しきれなません。これには、市民運動などのサブ政治で対応することが必要になるのです。
 こうして、資本主義のこうした自己回帰的(再帰的)な運動は、近代が外部を近代化する
のではなく、みずからを再度、近代化する、「近代の近代化」(再帰的近代)をもたらすとベックを主張したのでした。
# by takumi429 | 2016-07-21 20:22 | 社会学史 | Comments(0)

12.強制収容所の時代としての現代

12. 強制収容所の時代としての現代

(1)塹壕(ざんごう)の世代
二十世紀、それは大量殺戮の時代と呼んでもいいでしょう。
第一次世界大戦(1914年7月28日 - 1918年11月11日)は、兵士だけで900万人以上の死者をだす未曾有な戦争となりました。機関銃、戦車、飛行機、潜水艦、化学兵器など、現代の戦争兵器が出揃い、国家と国民が総力をあげて戦う総力戦の形もここに生まれました。
 この第一次大戦では圧倒的な火器、とくに機関銃から身を守るために、塹壕がはりめぐらされ、その塹壕の中で砲撃の恐怖に怯えながら身を伏せる、しかし総攻撃のときには、その塹壕を飛び出し機関銃などの一斉射撃の前に身を晒さなくてならない、という体験を兵士たちはすることになりました。
 こうした塹壕戦を体験した世代を「塹壕の世代」と呼ぶことがあります。
 映画『西部戦線異状なし』(1930)は、こうした塹壕戦の体験をみごとに描いています。戦闘の合間、つかのまの平安に主人公は蝶に触ろうと塹壕から手を伸ばします。しかし敵に狙撃されて主人公の少年は死ぬのです。
 塹壕からとびだしての総攻撃は死を覚悟しなくてはいけないものでした。その死を覚悟した時に、時計で計られるような、アメのようなのっぺらと伸びていくような日常の時間は途絶え、死を覚悟しなくてはいけない瞬間へむけてまばゆく飛び込んでいくような時間へと変容します。残されたつかの間の時間、その時間のなかであらゆるものがまばゆく輝いて存在して現れる。青い空、ゆれる木々、羽ばたく蝶。存在はまばゆい輝きをもって、死を覚悟した人間に前に現れれる。ドイツ語では「・・・がある(存在する)」というのを、Es gibt ・・・と表現します。直訳するなら、「それが与える」です。「それ」とは「存在」であり、存在が私たちに与えてくれたものが、「在るもの(存在するもの)」なのです。
 死を覚悟した人間に現れるまばゆい存在から、退屈になれきった日常を正していこう。志願して死んだ友人たちを多くもつ塹壕の世代だった哲学者ハイデガーの思索の方向はこれだったと思われます。

(2)強制収容所(死の工場)の世代
第二次世界大戦は基本的には第一次大戦の引いたラインの上にあります。しかし第二次世界大戦で顕著になったものもあります。それは強制収容所の体験でした。
 精神病院のような、人を隔離して管理する施設はそれまでもありました。しかし第二次世界大戦で出現した強制収容所とは、人を1ヶ所にあつめて殺害・抹殺する、そうした装置、「死の工場」としての強制収容所でした。
 最近、わたしは、ワイマールの近くのブーヘンヴァルト収容所跡の見学体験しました。入り口の向こうには収容所の各棟の跡という何もない空間が拡がっていました。なにもない。しかしこのあとかたもないことの重苦しさはなになにか。ここにいた膨大な数の人が消えてその跡地だけがあるという、その人間の不在(消失)と跡地の重苦しい存在。敷地には人間焼却炉は残っており、その隣に医務室があち、研究と称して収容者を切り刻んだ手術台があり、こびりつき変色したその跡がありました。消えた人間たちとそれを消した装置だけがふてぶてしく残って存在している。さらに、身長測定を装って背後から覗き銃殺した部屋があり、その足元の踏み台にはなんどもそこで犠牲者をまちうけて射殺した人間の足ですり減ったであろう凹みがありました。
 いま、あの風景をふりかえってみると、むかし教科書で読んだつぎのような詩がおもいかえされます。
    さんたんたる鮟鱇(あんこう)   村野四郎
    ――へんな運命が私を見つめている  リルケ

    顎(あご)を むざんに引っかけられ
    逆さに吊りさげられた
    うすい膜の中の
    くったりした死
    これは いかなるもののなれの果だ

    見なれない手が寄ってきて
    切りさいなみ 削りとり
    だんだん稀薄になっていく この実在
    しまいには うすい膜も切りさられ
    惨劇は終っている

    なんにも残らない廂(ひさし)から
    まだ ぶら下っているのは
    大きく曲った鉄の鉤(かぎ)だけだ
                          詩集『抽象の城』1954年

この作品に作者はつぎのような解説をしています。
「私は、この魚を魚屋の店頭でみたとき、はてな、このみじめな、こっけいな姿は何かに似ているな、といった妙な衝撃をうけましたが、それがこの詩のモチーフとなりました。
その次に、死さえ奪いさられてしまうこの悲劇は、現代に生きる人間の状況に何かよく似ているように思えたのです。たしかにそうでした。似ているから、この日常的な光景が、暗喩の対象として私の心をとらえたのでした。日々に私たち人間の人間性を削りとり、うばい去る現代の現実にひそむ悪は、ついにすべての人間を、のっぺらぼうの類型にしてしまうのですが、これを形而上(哲学)的にみれば、人間がなくなったことを意味します。これがすなわち、いわゆる「人間喪失」といわれる現象です。私はそのアンコウに、人間喪失の現場を見た気がしました。(中略)
その後から追いかけるようにして、軒からぶら下がっている空(から)の鉄の鉤が目にはいりました。そしてその鉤は、何か次に引っかけられるもの待ちかまえているように見えたのです。
この新しい犠牲を待ちかまえる貪婪なもの、それはさしずめ、この世の悪の実態、人間の原罪の正体ではないかと、考えられてきました。
こうした衝撃が、まとまって、ここにこのような一篇の詩ができ上がったのです。」(http://poemculturetalk.poemculture.main.jp/?eid=121 2014年1月17日)

 人の不在(消失)に対して、ものの存在が不気味に迫ってくる。ここでは、存在はかがやしいものではなく、ふてぶてしいほど不気味に「ある」のです。そこには根源的な悪の存在が感じられる。
 フランス語では「・・・がある」というのは、Il y a ・・・「それがそこに持つ」と表現します。ものがあることはもはや、es(存在)からの贈り物ではありません。存在はかがやしいものではなく、ものの存在することは、賜物でもなんでもなく不気味に押し付けがましく「ある」だけなのです。
 ハイデガーに学びならながらも、ユダヤ人として肉親・縁者・隣人のすべてを収容所で抹殺されたエマニュエル・レビナスの哲学は、この不気味で重苦しい存在を見すえることから出発しているように思われます。西洋の思想は結局、ユダヤ人という他者を抹殺するという帰結をもたらした。異質な他者との出会い、それを否定(抹殺)するのでなく、その面立ちを引き受けること、それを生きる道徳として、引き受けること、そこにこの強制収容所の曠野の向こうに希望の声を聞く可能性がある、そういっているように思えるのです。

(3)アイヒマン裁判
1960年、もとナチス親衛隊(SS)の隊員アドルフ・オットー・アイヒマン(Adolf Otto Eichmann1906-1962)は、イスラエル諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行され、1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられました。いわゆる「アイヒマン裁判」です。アイヒマンは、ドイツのナチス政権による「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担ったとされた人物です。(アイヒマンは同年12月に有罪・死刑判決が下され、翌年5月に絞首刑に処されたました)。
 ハイデガーの弟子だったハンナ・アーレントはこの裁判を傍聴し、その傍聴記を、『イェルサレムのアイヒマン』という本にまとめました。
 アイヒマンにたいするアーレントの下した判断は驚くべきものでした。いや、アーレント自身が、アイヒマンを見ておそらく驚いたのでしょう。何百万人ものユダヤ人を強制収容所に送り込み抹殺させたその恐るべき人物が、じつに平凡で貧弱なつまらない男でしかなかったことに。自分はヒットラー総統の命令に従ってユダヤ人を強制収容所に送っただけであり、職務を忠実に執行したにすぎない、そうこの貧相な男は主張するばかりでした。裁判でアイヒマンの語ることを実際に見聞きした上で、アーレントはこう結論づけます。あの恐るべきユダヤ人抹殺は、悪魔のような人物によってではなく、このアイヒマンのように貧弱な陳腐な人間によっておこなわれたのだ。それを彼女は「悪の陳腐さ」と名づけました。決して許されてはならない絶対な悪というものが、荒々しく悪魔的な、いわば「悪の英雄」によって執行実現されるのではなく、平々凡々とした小心な組織人(官吏)によってなされる。アーレントは西洋近代のもつこの恐るべき「根源悪」をのぞきこみ、それを私たちに開示してみせたのです。

(4)『近代とホロコースト』
アーレントの問題提起をうけて、おなじくユダヤ人で戦後ですがポーランドからイギリスに亡命したへジークムント・バウマンという社会学者は『近代とホロコースト』という本をかきました。
 彼の結論は単純に言えば次のようになります。600万人のユダヤ人殺害は、ナチスの狂気や悪魔的な意志だけではとうてい遂行できるものではなかった。この天文学的な民族抹殺は、(ユダヤ人組織の協力と)ドイツが作り上げた合理的組織と科学知識をつかった装置を使わなくては不可能だった。ショワー(ユダヤ人せん滅)を可能にしたのはじつは西洋近代の道具的合理性なのだ。
「道具的合理性」とはフランクフルト学派の用語です。フランクフルト学派とはフランクフルトの社会研究所に集った哲学・社会学者たちをさします。主要なメンバーは、ホルクハイマー、ベンヤミン、アドルノです。フランクフルト学派は、マルクス主義とフロイドの精神分析を結合して社会を批判しようとしました。ユダヤ人だった彼らは主にアメリカに亡命し、戦後、フランクフルト大学に戻ってきました。「道具的合理性」とは、目的遂行のために研ぎ澄まされた合理性だり、目的の意味と倫理性は問わない合理性です。いかなる目的であれ、目的設定されればその目的へ到達するべく作動する理性です。
 ヴェーバーはすでにその政治論『新秩序ドイツの議会と政府』において、「生きた機械と死んだ機械が我々を支配している」と言いました。「死んだ機械」とは普通の機械装置のことですが、「生きた機械」とは官僚組織のことです。ヴェーバーは生きた機械である官僚制と機械を生む科学技術によって逆に人間が支配されるという疎外をすでに問題にしていました。フランクフルト学派はこうしたヴェーバーの疎外論をさらに展開したのです。

(5)アイヒマン実験
 ではなぜアイヒマンのような貧弱な人間があのような恐ろしいユダヤ人絶滅の輸送を指示することができたのでしょうか。
 バウマンがその説明として、スタンレー・ミルグラムがおこなった、いわゆる「アイヒマン実験」をとりあげています。この実験の報告は『服従の心理』という本にまとめられました。
 ミリグラムは、市民に学習と罰の関係についての実験に協力を求める呼びかけを新聞でおこない、応募してきた人に「教師役」を、もう一人のサクラに「学習者」を割り当て、学習者が間違えるたびに電気ショックを与えさせるよう、「実験者」が指示するという実験をおこないました。対になった言葉を学習するというのがその課題で、「学習者」役のサクラはわざとまちがえ、そのたびに与える電気ショックの電圧をあげていくよう、「教師役」の被検者は、「実験者」に支持されます。「学習者」役のサクラは電気ショックをうけたように演技をし、電圧を上がるたびにどんどん止めてくれるよう声をあげます。

実験の略図。被験者である「教師」Tは、解答を間違える度に別室の「生徒」Lに与える電気ショックを次第に強くしていくよう、実験者Eから指示される。だが「生徒」Lは実験者Eとグルであり、電気ショックで苦しむさまを演じているにすぎない。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93 2014年1月19日)



 


「学習者」役の人間の、エスカレートする苦悶・懇願・罵倒にもかかわらず、「実験のためだから」、「身体的には問題ないことがわかっている」、「電圧をあげて実験をしてください」など、実験のためだ「実験者」と説明・指示されると、ほとんどの「教師役」の被検者が、罰の電圧をどんどん最高値まであげてしまった、というのが実験結果でした。
 つまり、直接的な責任をもたなくてよく、それが手続きや処理の過程として仕方ないとされていると、人間はどんな残酷なことも平気でするのだ、というのがこの実験からわかったのです。それはちょうど、命令だからしかたなかったのだ、といって平気で死の工場たつ強制収容所にユダヤ人を輸送しづけたアイヒマンのようなことを、残忍でもなんでもないごく普通の一般市民もしてしまうのだというのです。
 ここから、バウマンは、合理的な組織と装置のなかで処理をする者は、それがどんな恐ろしいことであっても、良心の呵責を感じなくなっていくのだとしました。また、苦しむ「学習者」が遠隔であればあるほど、平気で電圧をあげるようになることにも着目しました。それはちょうど、無人飛行機を使ってミサイルを打ち込んで誤爆などしている兵士がなんら罪の意識をもたないのと同じ現象なわけです。

(6)他者の排除から他者のせん滅へ
 もともと、アイヒマンはドイツ国内からのユダヤ人消去を命令されていました。ですから当初はユダヤ人の国外への送り出しをしていました。しかしドイツの勝利によりヨーロッパ大陸全体がドイツの制圧下になると、ユダヤ人を送り出せる場所がみつけられなくなりました。結果、ユダヤ人の「再定住化」先は、ドイツ支配下地域の強制収容所へと変わっていきました。そして、その強制収容所は「死の工場」として、ユダヤ人を消滅させていったのです。
 当初は、他者(ユダヤ人)は外部への排除されました。しかし、ドイツの拡大により、排除先の外部の消失すると、他者は、内部に取り込まれ(収容され)、「再定住」の場(収容所)で消去(殺害)させれたのです。
 ユダヤ人、さらにはロマ人、同性愛者、精神障害者、身体障害者などは、激情に駆られた憎悪や悪魔的な狂気によるのではなく、ある種きわめて冷静に淡々に、合理的な組織と科学的な処理装置をつかって、業務として、消滅させられていったのです。
 もし、ナチスのホロコーストが、狂気や憎悪だけから起きたのなら、そうした狂気に陥っているとはおもえない私たちは安心できるでしょう。しかし、あのホロコーストがあれほど膨大な人間を消去できたのは、むしろ私たちが慣れ親しみそれに依存して暮らしている官僚組織と科学技術によるものだとしたら、ホロコーストの恐怖からけっして私たちは無縁ではない。むしろそれはこの現代社会で何度でも再発しうるものであるし、現に再発してきた現象なのです。

(7)主体の液状化
 こうした道具的合理性の貫徹する組織のなかでは、人間は確固たる意志をもった英雄的(あるいは悪魔的)な存在ではもはやないでしょう。それは、殺された人びと同様に、腐敗して崩れどろどろになって液化したような存在でしかない。外部を失い、他者をその内部で消去していく装置のなかで生きている私たちが直面する危機とはいかなるものなのでしょうか。
# by takumi429 | 2016-07-21 20:20 | 社会学史 | Comments(0)

11.ショック・ドクトリンの時代としての現代

11.ショック・ドクトリンの時代としての現代

(1)カリガリ博士の家
映画『カリガリ博士』では、カリガリ博士は患者チェザーレを治療と称して、自分の操り人形に作り変え、彼をつかった夜な夜な殺人を犯していてしました。そして映画の最後では、カリガリ博士の病院が、実は登場人物全員を収容していることが明かされました。そう、私たちもカリガリ博士の病院のなかに収容されているのです。

(2)『ショック・ドクトリン』
2007年にカナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインが発表した『ショック・ドクトリン』もまた、ふたりの博士の登場から始まります。
 ひとりはカナダのユーイン・キャメロン博士。彼はCIAの援助をうけてモントリオールの病院で、精神患者に電気ショックを与え、その過去の記憶からなる心を消し去り、作りかえる実験を繰り返していました。CIAはかれのショック療法を拷問に技術として導入しました。
 もうひとりは、アメリカのシカゴ大学経済学教授でノーベル賞受賞者、ミルトン・フリードマン博士。かれはケインズ流の国家介入の経済政策を喘鳴否定し、過激な自由主義を標榜しました。その自由主義政策を実施するためには、それ以前の体制がクーデターや大惨事などによって一掃されること、つまり、ショックによって社会が白紙状態になることこそ望ましいとしました。
 この二人の博士のショックによる人間と社会改造という教え(ドクトリン)は、チリの軍事政権のおいて結合しました。社会民主党政権が誕生し、国有化されそうになった多くの企業が国有化されることになり、その所有を奪われそうになったアメリカの企業家は政府に働きかけ、CIAはその手先のピノチェト将軍を使って国家転覆に成功します。この軍事政権の下、シカゴ大学でフリードマンの教えを受けた学生たち(シカゴ・ボーイズ)が経済政策を担当して、政府の機関の多くを民営化して、過激な自由至上主義の政策がとられました。反対者は収容所に拉致されて、キャメロン博士のショック療法からCIAが開発した手法をつかって拷問を繰り返したのです。
 国家転覆や大災害というショックを利用して、弱肉強食の自由主義を導入して、一握りの富裕層と大多数の貧困層を生み出し、反対者は収容所でショック療法によって抵抗力を奪う。ショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義=大惨事につけこんで実施される過激な市場原理主義改革)が誕生したのです。
 この惨事便乗型資本主義は、フォークランド紛争を利用したイギリスのサッチャー政権、「連帯」による民主化革命後のポーランド、ソ連解体後のロシア、壁の崩壊後のドイツ、イラク戦争、津波の襲ったスリランカ、アパルトヘイトの後の南アメリカ、ロシアからの移民を受け入れIT軍事産業国家に変貌したイスラエル、と次々の登場していっているのです。
 この惨事便乗型資本主義では、政府の機関が(軍事や警察までもが)民営化されました。しばしば、政府の担当者が民間企業の経営者を兼ねています。こうした官と民が一体化した「コーポラティズム国家」では復興は一向に進まず、一握りの富裕層が利得を得て、大多数の貧困層はもといた場所から追い出されているのです。

(3)ショック=獣人化
 キャメロン博士が生んだショック療法とフリードマン博士が提唱したショックのあとのドサクサに乗じた過激な市場原理導入。この2つは偶然、同時に生まれたものなのでしょうか。
 そうではないでしょう。「狼が狼にたいするように」人が人に襲いかかる自由主義市場原理。これは文化や歴史をもった人間のいるところでは貫徹できないのです。本能のリミッターを失った人間は代わりに、歴史的にけいせいされた文化の中に生まれます。本能をもたないために限界をしらない行動にでてしいかねない人間は、この文化によって、限度を超えない自由をまなんでいるのです。しかしそうした秩序だった自由は、弱肉強食によって社会の富を独り占めしようとしている強者たちにとってはじゃまです。ショックによって人間が歴史と文化の枠をはずれ、本能のリミッターさえもたない「ケダモノ以下のケダモノ「となって互いに奪い合うこと。これこそが、強者たちの望む状態なのです。つまり、ホッブスの描いた自然状態こそ、彼らが望むものなのです。
 こうして人間がショックによって、ケダモノ以下の存在へと転落させられ相争うことを、ゾラの小説『獣人』にちなんで、「獣人化」と呼ぶことにしましょう。
 なぜなら、ゾラの『獣人』では、鉄道という危険な乗り物による恐怖と列車事故による大災害というショックによって、ケダモノ化した主人公たちが、列車殺人や愛人刺殺や機関車内での格闘と転落死、さらにブレーキを失った軍隊をのせた列車の疾走、というものが描かれているからです。

(4)塹壕から収容所
シュベルブッシュの『鉄道旅行の歴史』で明らかにされているように、もともと「ショック」なる言葉は、軍隊の一斉射撃や一斉攻撃によって前面にでてきた言葉です。
 第一次世界大戦において、このショックは、まずは塹壕のなかでの恐怖として現れました。この経験をした世代は「塹壕の世代」と呼ばれます。第二次世界大戦は基本的に第一次世界大戦でうまれた戦争技術と体験の拡大でした。しかし、ショックの新たな現れ方として顕著だったのは、収容所の体験でした。国と国との間の攻撃ではなく、国内における残忍な収容と処刑。このショック体験が第二次世界大戦以降のわれわれの思想の踏み絵となっています。いわゆる「アウシュビッツ以降」と呼ばれる時代、それが現代なのです。
 次回はこの収容所体験がもたらした時代診断を考察することにしましょう。
# by takumi429 | 2016-07-21 20:18 | 社会環境論 | Comments(0)

10.フロンティアの喪失 アメリカ社会学史への一視角

10.フロンティアの喪失―――アメリカ社会学史への一視角
 
アメリカ社会学の歴史をどのようにとらえたらいいだろうか。本稿は、それをフロンティアの喪失という観点からとらえてみることにしよう。
                            
1.ロック:新大陸開拓の承認
 イギリスの社会契約思想家ジョン・ロックはその主著『統治二論』のなかで、「土地の持つ潜在的能力を開花させるものがその土地を占有する資格を持つ」と説いた 。
 ロックのこの主張は、新大陸開拓の植民地の指導者たちを狂喜させた。なぜならインディアンを追いやって、土地を開拓していく彼らの行為がこの説によって正当化されたからである。
 
2.スペンサーの社会進化論:弱肉強食の承認
 弱者たるインディアンを攻め滅ぼし、アフリカから奴隷を連れてきて働かせる。こうした新大陸の論理をさらに正当化するものとして現れたのが、スペンサーの社会進化論である。彼の主張によれば、社会は動物の世界と同様に、弱肉強食であり、より進化しより適応力をもったものが、不適合な者を追い越して、繁栄していくのである(適者生存suvibal of the fitest) 。

3.スペンサーの死
 パーソンズ (Talcott Parsons 1902~79)はそのはじめての著作『社会的行為の構造』(1937)の冒頭で、「スペンサーは死んだ」と述べた 。それはすなわちすでにアメリカは社会ダーウィニズムの当てはまるような、外へ向かって膨張していく、またその膨張によって社会内部の対立矛盾が解消されるような社会ではなくなったことを意味していた。
すなわちフロンティアはもはや消えたのである。

4.ホッブズ問題
 フロンティアがなくなれば、いまやきまった土地のなかでお互いが取り分を求めて競い合うことになる。ひとつのパイを取り合うように、人は互いに敵対しあう。こうした問題をパーソンズは「ホッブズ的問題」と呼んだ。
 もしひとびとが自分の利益だけにはしって行為するなら、それはホッブズが『リヴァイヤサン』で描いた「人が人にとって狼であるような状態」になってしまう。そうして状態はどうしたら避けることができるのか、つまり「諸個人が功利的に行為する場合、どうすれば社会秩序は可能となるのか?」という問題、すなわち、彼が名付けるところの「ホッブズ問題」が生じることになる。
 この問題をパーソンズはどう解決しようとしたのであろうか。
 
4.1共通価値の受容
 パーソンズはこの問題を、「共通の価値の受容」ということで解決しようとした。「人が人にとって狼であるような状態」では、ひとはおたがいの出方(行為)を探り合い、結局、「両すくみ」の状態になって、身動きできなくなってしまう。この状態をパーソンズは「ダブル・コンティンジェンシー」と呼ぶ。ひとびとがたがいに、共通の価値と、それを実現するための様式(規範)受け入れることで、この「両すくみ」の状態は克服される、そうして社会の秩序は可能となる、そうパーソンズは考えた。 
 この共通の価値と規範の受容は二つの側面をもっている。ひとつは 共通の価値・規範を各人が自らのものとすること(内面化)、もうひとつは、共通の価値・規範が具体的な社会制度のかたちをとること(制度化)、である。
 
4.2 相補的役割関係
 共通の価値の受容は、パーソンズによれば役割というものが互いに支えあっていること、むずかしく言えば、一定の役割期待の相補性が成立していることを意味する。
 『社会体系論』(1951)の冒頭の献辞で、彼は妻に、病みがたい理論病患者にとって得難い均衡をもたらした、と感謝の言葉を述べている 。
 要するに、仕事をする「ぼく」、それを支える「君」というわけである。「君作る人、ぼく食べる人」というコピーがかつてあったが、それと大差はない。ともに「家庭は大切だ」という価値観を受け入れて、そのなかで補いあう(?)ような役割分担をしているというわけである(まあ男のかってな言いぐさといわれてもしかたないようなものである)。
 パーソンズはこうしたお互いに補いあうような役割関係が社会の大系を作り上げているとみる。たとえば、医師と患者もそうした相補的な役割関係である。
 
4.3 構造-機能主義
 パーソンズの描く社会は、地位-役割の体系としての社会である。地位の構造に埋め込まれた個人がその地位にふさわしい役割を演ずることで、社会の安定は維持されるのである。社会の構造に入れられた個人が、社会の安定に寄与する機能を果たすことで、社会の構造が維持されることを考察するのが、彼の「構造-機能主義」だったのある。
 
4.4幸福な社会=アメリカ
 こうした理論の背後には、50年代、世界でもっとも成功した社会としてのアメリカがある。つまりそれは「幸福な社会の完成体」としてのアメリカがある。しかしそれがたえず、自己を肯定しその価値観を宣伝し教え込まなくてはいけない社会でもある。じつはそれはそれを裏切る造反への不安がたえず抱えている、そうした社会でもあった。
 
5.1アメリカン・ドリームの功罪
 「アメリカ・ドリーム」と呼ばれるものがある。すなわち、アメリカではあらゆる人に成功の可能性がある、というものである。だがフロンティアの喪失の後、ある者の成功は他者の失敗を意味する。成功した者は他者に追いやられないために、その手段を独占しようとする。それでも成功しようとするものはその独占をうち破るか、あるいはまともではない手段を使ってでも成功しようとする。
 パーソンズの弟子のマートンが、デュルケームのアノミー概念を改変しつつ解き明かそうとしてのは、この問題である。
 
5.2 マートンのアノミー概念
 デュルケームのアノミー概念というのは、欲望の無制限な増大による無規範な状態を意味していた。彼のとらえた近代の病根はこの無制限な欲望の増殖という現象であった。
 マートンのアノミーのとらえかたはすこしちがう。マートンによれば、ある種の社会では「成功せよ」という文化的目標がつよく強調される。しかしそれを実現するための手段は問われない。その結果、人びとはまともな方法、すなわち、社会において制度的にきちんとみとめられ、できあがった手段をとらず、手っ取り早い手段をとるようになる。こうして生まれる無規制状態をマートンは「アノミー」と呼ぶのである
 アメリカは金銭的に成功するように人びとに圧力をかけている社会である。しかしそのための手段はあまり問われないため、人びとは非合法な手段を使ってでも成功しようとする。それがアメリカン・ドリームがもたらしている、アメリカの無規制状態なのである、とうのがマートンの考えていたことである。
 
5.3アメリカン・ドリームへの対応
 マートンは、文化的な目標とそれを実現するための(まともとされ、制度的にできあがっている)手段にたいして、どのような態度をとるかによって、人びとのあり方は5つの分類できるという 。
 Ⅰの「同調」は、社会が設定する目標をまともなやり方、つまり社会が認めた手段で達成しようとする人たちのありかたである。
 Ⅱの「革新」は、同じく社会が設定する目標を求めているが、まともではないやり方でそれを手に入れようとする人びとである。たとえば、ギャングのカポネのような人間を考えればいいだろう。
 Ⅲの「儀礼主義」の人びとは、もはや社会がいう目標を達成する気などなくなっている。しかし、社会的な決まりは守っていこうという人びとである。
 Ⅳの「逃避主義」の人びとは、社会的な目標も求めてはいないし、そのための努力も放棄してしまっている人びとである。
 Ⅴの「反抗」は、社会が標榜する目標もそのための手段にも疑問をもち、あらたな価値観によるあらたな目標とそのための手段を提示する。
 
     個人の適応様式の諸類型
  適応様式     文化的目標   制度的手段
 Ⅰ 同調        +       +     +は従う
 Ⅱ 革新        +       -     -は従わず
 Ⅲ 儀礼主義      -       +     ±は従わず別のものを提示
 Ⅳ 逃避主義      -       -
 Ⅴ 反抗        ±       ±
 
 マートンがいう「反抗」とはいかなるものなのか。それを具体化するような形でアメリカで現れたのが、「カウンター・カルチャー」と呼ばれる文化運動である。
 
5.1 カウンター・カルチャー
 60年代後半から70年代前半にかけてアメリカ西海岸では、「カウンター・カルチャー」(counter culture)と呼ばれる文化的運動が起こった。「対抗文化」とか「 反体制文化」とも訳されるこの運動は 、社会の既存価値観や慣習に反抗する若者の文化・生活様式であった。60年代末期のロック・ムーブメントは基本的にこの文化運動の影響下にあったと言ってよい。
 
5.2 映画『卒業』
 この時代のムードを先取りするように現れたのが、1967年ダスティン・ホフマンが演じた『卒業』という映画である。
 主人公の青年は東海岸の大学を優秀な成績で卒業し、家族のいる西海岸の家に帰ってくる。プールつきの立派な家に帰ってきた彼は、しかしどうもそこでの生活になじめなくなっている。やがて彼は幼なじみのエレインの母親と不倫関係になります。そして仲が良さそうにみえていたエレインの両親がじつは離婚寸前であることを知る。こうして彼は、日常生活の裏側を知り、そこに入っていく」。
 彼がかつてはなじんでいた家族との生活になじめず、まるで異邦人のような気分になっていることを表すシーンにこんなのがある。優秀な成績で卒業したことを祝って、彼の父親は息子に潜水服をプレゼントする。むりやりそれを着させられた彼の目に映る情景が潜水服の中からの視線で映される。8ミリをもってはしゃいでいる父と母。主人公は潜水服着せられ、ぎこちない動きで、水中マスクごしに両親たちを見る。結局かれはプールに潜らされ、水面を見あげ、ついにはプールの底に潜水服を着て沈む。
 同じ年、「ドアーズ」(doors)というロック・バンドがアルバム『まぼろしの世界』(Strange Days)のなかの「まぼろしの世界」(People Are Strange)という曲でつぎのように歌っている(作詞ジム・モリソン)。
「きみが異邦人(stranger)であるとき、ひとびとは見慣れない奇妙なもの(strange)になる。」
https://youtu.be/XZuj_xU-x0I
 この詩で歌われたのと同じように、『卒業』の主人公はまさに異邦人の目でまわりの人びとを見、そのため日常生活を営むひとびとがまるで奇妙な存在に感じられる。
 主人公はやがて幼なじみのエレインと恋仲になるが、彼の不倫相手の母親とそれを知った父親は、急いで娘を別の男と結婚させようとする。結婚式に駆けつけた主人公は教会のガラス越しに、いままさに進行しつつある結婚式を見る。もう手遅れだ、と思った主人公は思わずガラスを手で打ち「エレイン」と叫ぶ。すると突然、式は停止し、彼女は彼を見つめ。それに勇気を得た彼は、式場から花嫁エレインを奪い去り、ふたりしてバスに乗り込み、映画は終わる。
「もう決まったことだ」、「動かしようのないことだ」と思われた日常は、じつは意外にもろいものだった。異邦人の目で日常生活を眺め、それを突き崩していく青年。まさに「反抗」のタイプの人間が登場しつつあったのである。

5.3 エスノメソドロジー
 同じ1967年に ハロルド・ガーフィンケル(Harold Garfinkel 1917-という社会学者の『エスノメソドロジー研究』(Studies in Ethnomethodology) という論文集が出版され。
 この「エスノメソドロジー」という奇妙な名前の学問は、ひとびとがどのように日常生活を作り上げていくか、その方法を、まるで異邦人のような違和感をもちながら、調べていく。
 
5.3.1 エスノメソドロジーによる実験
 ガーフィンケルは、たとえば、学生に「家にかえったら、下宿人になったつもりで、親と会話しろ」と言う。当然、親子の会話は齟齬をきたす。
 たとえば、
親:「あれどうだった?」
子:(下宿人になったつもりで)「あれって、なんですか。」
親:「だから今朝言ってたやつだよ。」
子:「おっしゃることがわかりません。」
親:「お前、どうしたんだ。熱でもあるのか。」
 こうした齟齬をきたした会話からわかるのは、なにげない会話でもじつはその前提となる共通の理解されたもの(「背後理解」)があることである。
 またガーフィンケルは、学生に、「お店で値切ってみろ」と指導する。
 定価販売になれたアメリカの大学生は値切ることなど思いもつかない。品物の値段は「決まったもの」だと思いこんでいる。しかし実際に店の人に、「もう少し安くなりませんか」と聞いてみると、じつはけっこう値引きしてくれるものなのである。
 つまり、日常のふつうに進行していることがじつはかなり込み入ったことを前提にしていたり、「決まりきったこと」だと思っていたことが、じつは案外「やわ」であることがわかる。このように、ひとびとが「あたりまえ」と思っていることを浮き出させ切り出していくのがこの学派のやり方である。またその根底には、社会はあるものではなく作り上げていくものである、という考えがある。
 この学派はまさにマートンが予感した「反抗」の季節の産物といってよいだろう。

6.まとめ
こうしてアメリカの社会学の歴史は、フロンティアの喪失という宿命的な課題との格闘を通じて展開されてきた。フロンティアとは外部への侵出する際の前線を意味する。すなわち、外部へと侵出することが不可能になったときフロンティアは失われる。その後のアメリカの政策は絶えず外部を作り上げそこへと侵略しつづけることで自己を維持していきたように思われる。その意味でアメリカの社会は社会学者たちが立ち向かった問題の解決を回避つづけてきていると言えよう。
 侵略すべき外部の喪失という観点でみるなら、それはけっしてアメリカ一国の問題ではない。それはむしろ私たちが解決すべき問題でもあると思われる。


1.ロック『統治論・第二篇』宮川 透訳、中央公論社、世界の名著、1968
2.コント 霧生和夫.清水禮子 コント・スペンサー 世界の名著36, 中央公論社1970
3.タルコット・パーソンズ著/稲上毅・厚東洋輔/共訳 社会的行為の構造木鐸社1976
4.タルコット・パーソンズ著,佐藤勉訳:社会大系論、青木書店1774
5.マートン(著)、森東吾ほか(訳):社会理論と社会構造、みすず書房1961
6.Harold Garfinkel : Studies in Ethnomethodology, Blackwell Pub.,1984

# by takumi429 | 2016-07-07 22:18 | 社会学史 | Comments(0)

9(悪)夢工場としての現代

 9.(悪)夢工場としての現代

 今回は、ヴァルター・ベンヤミン(Walter Bendix Schönflies Benjamin 1892-1940)がとらえた近代、というよりもむしろ現代、を考えていくことにしましょう。

 疎外論から物象化論
マルクスにおいて、「疎外」とは、作り手である人間から産み出された物が、作り手の手を離れて作り手の、作り手である人間の手の届かない物になってしまうこと、いいます。
マックス・ヴェーバーの弟子でもあったジョルジュ・ルカーチは、この疎外論を『資本論』にもとづき、さらに発展させて、「物象化論」を提起しました。
物象化とは、作り手である人間が生み出した関係が独立して、ぎゃくに人間を支配してしまう事態をいいます。例えば、経営のために生きている人間、官僚制に支配される人々などがその例です。
貨幣の出現によって、使用価値とは別の交換価値が生まれ、その交換価値によって物事の価値が計られようになります。物象化論は、交換価値は一般的労働によって定まるのではなくて、むしろ交換関係という形式が結晶化して、その関係が人間を支配するようになることを明らかにしたのです。それは明らかにヴェーバーの「形式合理性」論の延長線上にある議論でした。
貨幣の流通によって、物や人の固有の価値ではなく、交換できる、誰にとっても通用する価値が、計られるようになる、また、そういう目で人や物をみるようになる。貨幣経済がもっとも盛んな大都市において、それがどういう精神構造を生むのでしょうか。それを示しているのが、ボードレールの散文詩集『パリの憂鬱』の中の「群衆」という詩です。

ボードレールの散文詩「群衆」(1961年)
「群衆を沐浴するというのは、誰にでもできる業ではない。群衆を楽しむことは一つの術である。そして人類をうまく利用して生命力を大いに飲み食いできるの は、ただひとり、揺藍にあった時、仙女から、仮装や 仮面への好みや、己(おの)が棲処(すみか)への憎悪や、旅への情熱を 吹きこまれた者のみだ。
 群衆、孤独。活動的で多産な詩人にとって、たがいに等しく、置き換えることの可能な語。己の孤独を賑(にぎ)わせる術を知らぬ者は、忙しい群衆の中にあって独りでいる術をしらない。
 詩人は、思いのままに自分自身でもあり他者でもあることができるという、この比類ない特権を亨(う)けてい る。一個の身体を求めてさまようあれらの霊魂たちと同じように、詩人は、欲する時に、どんな人物の中へ でも入ってゆく。彼にとってだけは、すべてが空席なのだ。そして、ある種の場所が彼に閉ざされているよ うに見えるとすれば、とりもなおさず、彼の目から見 て訪れるに値しないものであるからだ。
 孤独にして思索を好む散歩者は、この普遍的な融合 から、一種独特の陶酔を引き出す。群衆とたやすく結婚する者は、金庫のように閉ざされたエゴイストや、軟体動物のように殼にとじこもった怠け者などには永久に与えられることのないような、熱烈な享楽を識る のである。彼は、めぐり合わせが提示してくれる職業のすベて、歓びのすべて、悲惨のすべてを、自らのものとして受け容れる。
 人間が愛となづけるものは、この筆舌につくしがたい饗宴、すなわち、詩となり隣人愛となった魂が、目の前に姿を現す思いがけないもの、通りかかる未知のものに、己をすべて与えつくす、この神聖な魂の売荏 に比べれは、まことに小さく、まことに限られており、
まことに弱い。
 この世の幸福な人々に、彼らの幸福に優る幸福、より広大でより洗練された幸福があると、時おり教えてやるのは良いことだ、たとえ彼らの愚かな誇りを一瞬 辱めることにしかならむにもせよ。植民地を築く人々 や、民族を牧する人々、世界の涯に流謫の身の宣教者 たちはきっと、こうした不可思議な陶酔について何ほどか知るところがあるだろう。そして、彼らの天才が 自らのために作り上げた巨大な家族のさなかにあって、これらの人々は、かくも波瀾多き彼らの運命やかくも純粋な彼らの生活のゆえに彼らを気の毒がる者た ちのことを、時おり笑っているに違いない。」(阿部良雄訳『ボードレール全集IV』筑摩書房1987年 26-27頁)

ボードレールは、通りすがりの群衆 の誰にでも感情移入できる、そうした詩人の想像力を、「神聖な魂の売淫」と呼んでいます。彼のいう「神聖な魂の売淫」とは、人々が 互いに名も知らぬままにすれちがうような、そうした 大都会の孤独と陶酔のなかから生まれてくるものなのです。

ベンヤミンの評
ヴァルタ一・ベンヤミンはその著作「ボ一ドレ一ル における第二帝政期のパリ」のなかで、この詩につい てこう言っている。
「ボードレールが『大都市の宗教的な陶酔状態』について語るとき、その陶酔の主体はなざされていないけ れども、それは商品ではなかろうか。そして、あの『神聖な魂の売淫』---これと較べれば『人間が愛と呼ぶ ものは、まったくけちな、限られた、弱々しいものだ』といわれているの---は、愛との対置に意味があると するなら、じっさい、商品のたましいの売淫以外のものではありえない。」川村ニ郎・野村修訳『ヴェルター・ベンヤミン著作集6ボードレール新編増補』晶文社1975年75頁)
交換価値が支配する大都会では、だれにでも売られる、その価値こそが問題となる。そうした価値を推し量る想像力は、物や人の重々しい泥臭い固執から自由になって、軽やかに舞いながら物狂おしく高まり拡がっていく。
ここでは交換価値がもたらす物象化(関係のひとり歩き)が否定的にとらえられるのではなく、むしろ、大都会において出現する新しい詩的な想像力を生み出すものとされているのです。

ポーの紹介文
ちなみに、この散文詩「群衆」は、エドガー・アラン・ポーの短編「群衆の人」に想を得ています。ポーのフランスへの積極的な紹介者でもあり、また翻訳者でもあったボードレールは、その1852年の「エドガー・アラ ン・ポー、その生涯と著作」という論文でポーの「群衆の人」という短編について次のような言及をしています。(その後、この「群衆の人」は1855年にボードレール自身によって翻訳されました)。

「群衆の人」は絶えず群衆の中へと潜りこんでいく。人間の大海原の中で快感をおぼえっっ泳ぐのだ。震えおののく影と光に満ちた黄昏(たそがれ)がおりてくると、彼は静まった街区を逃れて、人間物質の生き生きとうごめく街区を熱心に探しもとめる。光と生の圏が狭まってゆくにつれて、彼は不安になってその中心を探す。洪水の時の人間たちのように、公衆の蠢動(しゅんどう)の最後の頂点をなすものに必死にしがみつく。それだけの話なのだ。孤独を忌みきらう犯罪者なのか?自分自身に耐える ことのできぬ馬鹿者なのか?」(阿部良雄訳rボードレール全集II』筑摩書房1984年116頁)

「群衆の人」
この「群衆の人」はポーが1940年に書いた短編です。舞台はロンドンです。Dコーヒー店の窓から外を見ている語り手は、道行くさまざまな人々をどんな人でどんなことを考えているだろうかと、詩的な想像力を働かせています。ところがひとりの奇妙な老人を見つけます。語り手はその老人だけは、どうしてもどんな人物であるか想像できません。そこでその老人を尾行することにします。老人はうちに帰ることもなく人混みのなかをうろうろ動くばかりです。人混みが密集し活発な所では、老人も元気に歩きまわります。しかし、人が動きもまばらな所では老人の動きはのろくなります。老人は人混みをもとめてうろうろと動いていき、いつまでも動きを止めることがありません。2日目の宵になり、もとのD店に尾行して舞い戻った語り手は、疲れ果てて老人の尾行を放棄し、あれこそは「群集の人」なのだとつぶやくのです。(小川和夫・佐藤正明 他訳『筑摩世界文学体系37 ボオ・ボ一ドレール』筑摩哲房1973年37-42頁)

 ボートレールは、この短編の始めの部分である、ガラス窓越しに行き過ぎる群衆を眺めては、その人々の履歴を読みとる「私」の 精神状態に、散文詩「群衆」の想を得ています。しかし ボーの物語の中心はそこではなく、むしろ絶えず群衆のなかに身をおいて、そのなかでブラウン運動のごとき動きをみせる謎の男こそが、この物語の中心なのです。
「神聖な魂の売淫」を「商品のたましいの売淫」と呼んだ、ベンヤミンにならって、私たちはこの「群衆の人」を貨幣になぞらえることができるでしょう。それは絶えず人と人との間にあって活発に動く。しかも自らはけっして変わることも、何処かに納まることもなく、繰り返し元の場所に返ってくる。市場での活発な商品交換にあって、この運動は活気づく。しかしいかなる商品をも購入することなく、その間をはじかれて動き続けるのである。それは、語り手が老人を評したように、「あらゆる巨大な知力、替戒心、吝嗇、 貧欲、冷静、悪意、残忍、得意、歓喜、極度の恐怖、 強烈な--この上ない、絶望といった諸観念」を担っ ており、そして「すべての犯罪の核心」となり得るのです。
 
 こうしてみると、ブラウン運動を続ける貨幣の化身を描いたポーの「群集の人」の影響を受けて書かれたボードレールの散文詩「群衆」のおける詩人の想像力「魂の聖なる売淫」を商品のもつ「たましい」である交換価値に起源をもつものであると指摘したベンヤミンの指摘は的をえたものだと言えるでしょう。そして、さまざま人の気持ちに同化してしまう詩人の想像力と、さまざまな人々の間でふらふらと歩きまわる遊歩人は、ともに、商品の交換価値を受容し媒介する貨幣の精神的な化身にほかならいないのです。

 ともあれ、ここでは、物や人が、その固有の価値(使用価値)から切り離されて、交換価値によって計られ売り買いされるという関係が否定的なものでなく、大都会の生み出す詩的な想像力として評価されているのです。
道行く人のさまざまな思いを写しとる詩人の想像力。詩人の想念にはさまざまな人の思いが刻印され、その痕跡を残していきます。つかの間の思いの痕跡、それを拾い集め組み立て直すことで、詩人はその街の、その社会の、声を、一つのまとまりあるものへと組み立て直します。
 この貨幣経済がもたらした、本来の使用される文脈からの物が切り離され、そうしてまったく別の使用文脈にありながらそこから切り離された、物と物が、(交換)価値が同じであるとして、等号で結ばれる(交換される)。この、切り離しと結びつけ、によって散り散りになった人々の思いの痕跡を再編し一つの詩にすること。これこそがベンヤミンが20世紀前半にみいだした新たな思考の可能性でした。それをみていくことにしましょう。

 技術的複製可能性の時代としての現代
 ベンヤミンは、その著「技術的複製可能性の時代の芸術作品」(旧邦訳題『複製技術時代の芸術』)(Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit 1935)で、20世紀とは、技術的複製可能性の時代である、と規定しています。この技術的複製可能性とは、具体的言えば、写真と、写真の連続である映画を指しています(この規定は現代にも通用します)。そして写真とは光の痕跡にほかなりません。
 オーラの喪失 
 元来、芸術作品には教会や宮殿など、それが設置される場所が決まっていたものです。そこに置かれることで、その作品には独特のオーラ(Auraアウラ) が付随していました。
 しかし、写真によって作品のコピーが簡単に作ることができるようになりました。コピーはそれを作品が置かれた文脈・背景から引き離して見ることができるます。その結果、その作品がもともと置かれた場所でもっていたオーラは消えます。しかし逆に、それまで描かれていたのに気づかなかったものに気がつくことがあります。
 異化効果
 ロシア・フォルマリズムという芸術運動において「異化」Verfremdungというものが提唱されていました。「異化」とは「同化」の反意語です。
 ロシアフォルマリズムは、私たちはそこに日常文脈に埋没してなれっこになっている(同化した)ものを、その文脈から引きはがし、異形なものとして提示する(異化する)ことで、その美しさを、鑑賞者・読者に感受させるという、20世紀の美学を生み出しました。
 たとえば、風景をそれがなじみとけ込んでいる周りから切り離すことで、その風景を正視させることができます。すると、そのとき、その風景のもつ美しさが際立ってくるということあります。
 こうした工夫は京都のお寺のそこかしこに見られます。窓で庭の風景を切り取ったり、ふすまなどで区切ったり、門で矩形に区切って風景を切り取ります。そのことで風景の美しさが際立ってくるのです。
源光庵
悟りの窓・迷いの窓
c0046749_2127285.jpg

圓光寺の庭
c0046749_2127335.jpg


切り取られていないとふつうの紅葉の庭にしか見えない。
c0046749_21275727.jpg

南禅寺の大門
c0046749_21282633.jpg

c0046749_21284643.jpg

c0046749_2129018.jpg
 ベンヤミンの友人の劇作家ブレヒトは、この異化をつかって、観客にあらたな社会認識をうながそうとしました。慣れっこになっていることを、ことさら大げさに言ったり演じたり、強調したり、字幕を垂れ下げたりして、観客にその事がらに違和感を覚えさせ、注意を向けさせます。
 たとえば、京都の人が出てくる芝居で、「け、なんぼのもんじゃ」、という悪態を、How much are you?とか「お前の値段はいくらだ?」と言い換えたり、「おいくらですか、あなたは?」という字幕を垂れ幕にしてみたり、「なんぼ」というところで指で札を数える真似をしてみたりします。そうすることで、この悪態が、人の価値を貨幣価値で計るほど世知辛い流通の巷である都会人の悪態である、ことに気づかせるのです。
 そうすることで、芝居をみてスッキリした、という感想をもってもらうのではなくて、なんか後味が悪いけど、それはこの芝居がが私たちの社会をまさに描いているからなのだ、たしかに人の価値を「なんぼ」とお金で計るなんて、ずいぶんなことをやっているのだなあ、とかいうふうに、自分たちの住んでいる社会について気づかせるわけです。
 視覚的無意識
 風景の美しさも悪態の世知辛さも、もともとの風景や言葉のなかにあるものです。でもそれに私たちは慣れっこになっていて気づきません。目に見えるものでも、見えているはずなのに気づいていないものというのがいくつもあるはずです。
 たとえば、走っている馬の足はどういうふうになっているでしょうか。馬が走っているのを実物や映像で見ている人は多いはずです。でもそれがそんなふうだったかというとわからない人は多いでしょう。
 たとえば、馬が走っている時、その足はすべて地面から離れている時があるか、ないのか、という議論がありました。写真が最初発明された時に、マイブリッジという人はさっそくその問題を解決すべく、写真を利用されました。彼は馬の走っている姿を連続した写真に撮りました。

マイブリッッジ 走る馬の連続写真Eadweard Muybridge, Galloping Horse1878
その結果、馬の足がすべて空中にある瞬間がある、しかしそれはそれ以前に想像されたのとはちがって足を広げている時ではなくて、足をすぼめているだったのです。
テオドール・ジェリコー『エプソンの競馬』1821年(パリ・ルーヴル美術館)
こうして、視覚的無意識(見えているはずなのに見えていないもの)は、
写真に撮りその場から切り離して見ると、見えてくる(無意識が意識化される)、あ
あるいはその写真を組み合わせると見えてくるものがあるのです。
https://www.youtube.com/watch?v=4gLBXikghE0
クレショフ効果
さらにこの写真と写真との組み合わせによって新しい意味がうまれてくることがあります。
ロシアの映画理論家・監督クレショフ
写真の連続(カット)と写真の連続(カット)を接合させることで新たな意味生まれることをあきらかにしました(こうしたフィルムの編集のことをモンタージュといいます)。
たとえば、スープの写真(カット)の後に、無表情の男の顔(カット)を置くと、男は腹をすかせている、と観客は思います。また死んだ子どもの写真(カット)の後に、無表情の男の顔の写真(カット)を置くと、観客は、男は悲しんでいる、と思います。また、裸の女の写真(カット)の後に、無表情の男の顔写真(カット)を置くと、男は欲情している、と観客は思います。実際には、無表情の男のカットはすべて同じものでしかありません。それでも別のカットとつなぐことで、それはそれぞれ別の感情をもったショットだと観客には見えるのです。

また、クロス・カッティングという手法もあります。
ここでは2つの系列のカットが交互に組み合わせられることで、その双方が同時進行しているように見えます。
たとえば、A悪漢に襲われるヒロインというカットと、B疾走する騎馬隊というカットを交互につなぐ(A1→B1→A2→B2→A3→B3)ことで、悪漢に襲われるヒロインを救助すべく急ぐ騎馬隊、という物語で出来上がります。
http://www.youtube.com/watch?v=FMTQ9sU3XXw
ベンヤミンは、こうした映画のカット(写真)とカット(写真)のつなぎ合わせによる意味創造を、新しい芸術のあり方とみなしました。

『パサージュ論』
さらに、この光の痕跡である映像の断片と断片のつなぎあわせという技法は、本文から切り離された引用と引用の結合という手法にまで拡大されます。それがベンヤミンが残した膨大な草稿である『パサージュ論』でした。
 パサージュpassageとは、19世紀末にパリで流行した商店街の形式です。アーケードの下にガラス張りの商店が左右に軒を連ねて通路となっているものをいいます。遊歩者は、区切られたガラスごしに商品群をA→X→B→Y→C→Zというぐわいに、順番に、ときには右側の店から左側の店へと視線を移しながら、見て歩くのです。
 ベンヤミンの『パサージュ論』19世紀末期のパリ都市文化をめぐるさまざまな引用を、元の本文から切り離して、まとめたものでした。読み手は、パッサージュを歩く遊歩者のように、読書していくことになるのです。

 無意識の顕在化としての夢
 フロイドがはじめた精神分析において、無意識は夢となって現れます。遊歩者がパサージュを通り抜ける時、近代の無意識が夢となって立ち上ってきます。あるいは詩人が、行き交う人をガラス越しに見ていく時、人々の共通して持つ時代の無意識が、詩となって現れる。
ガラス窓の枠で区切られた商品のイメージが連続していくなかで、都会の人々の無意識の欲望と願望が、(人々の思いの痕跡を詩人が一つの詩にしたように)、写真の連続(映画)として立ち上がってきます(ベルリン交響曲)
 夢を、映像と音と音楽で実現したのが、映画です。引用と引用の集積を読み進めながら、近代の無意識を1つの夢として顕在化させるのは詩人です。あるいは、それはベンヤミンの最晩年の「歴史の概念のために」という文章において、巨大化する瓦礫の山(切断された物の集積)のなかに破局をみいだす「新しい天使」でもあります。

道行く人々の思いは、詩人の「聖なる売淫」(感情移入)によって、その人々から切り離されて、詩人の心に痕跡を残す(写真のように)。詩人はその思いの痕跡を再編して一つの詩を作る。そこに人々の思いが時代の精神として立ち上がる。光の痕跡である写真を編集して映画を作ることは、時代と社会を総体として語る詩を立ち上げることなのである。

 遊歩者=詩人=歴史の天使。
 現代とは、切断された(そのことで隠された意味(無意識)を意識することが可能となった)断片の集積から、時代の無意識(夢)を、あらわとする(映画的)思考が、指導的な思想となる時代です。

 ベンヤミンの思想の皮肉な実現
 ベンヤミンが映画的思考とでもいうべきものに期待していたのに対して、映画的思考は皮肉な帰結をもたらしました。
 
 ナチズム 映画国家  
 ドイツのナチズムは、映画を利用することで政権を獲得し、かつ維持しようとしました。
 政治には、古来、行政と祭り事(政)の2つの顔がありました。祭り事としての政治をおこなう国家を「劇場国家」と呼びます。
 それにたいして、ナチズムは敗戦の直前まで映画を製作し続けました。それは、政権自体が、一種、映画のような、映像的英雄ドラマによる大衆動員だったからです。
 宣伝省という省までもうけて、それはドイツ民族(アーリア人)の幻想をかきたて大衆を先導し動員しました。ユダヤ人やロマ人や障害者・同性愛者を収容所に閉じ込め大量死させ、奪った財産を大衆にばらまくことで支持を得ていきました。
 映画の製作所はしばしば「夢工場」と呼ばれます。ナチズムは夢工場としての政権でした。しかしそれは抑圧され殺された者にとって悪夢の工場でしかなかったのです。
 レニ・リーフェンシュタール 
ナチズムの映画製作に積極的に協力したのがレニ・リーフェンシュタールです。彼女は
『意志の勝利』でニュールンベルグのナチス党大会を、『民族の祭典』で、ベルリン・オリンピック記録映画を監督しました。映像の断片を編集(モンタージュ)することで、偉大なるヒットラーとその党とドイツ第三帝国の栄光を描いたのです。

 ボルタンスキーの作品
 収容所に強制連行され殺された少年・少女の写真や、死者たちの遺品としての衣服などを集め、それを配置し設置することで、彼らがたどった過酷な運命を立ち上がらせようとする作品を作り続けているのが、フランスのユダヤ人芸術家クリスチャン・ボルタンスキーです。もともとは学校の写真などから切り取られ、そのうえで集められた写真の集積や、もともとはそれを着ていた人たちから引き離された衣服や遺品の集積を見ることで、私たちは、集められ連行され殺されていった少年・少女たちや人々のその後の過酷な運命を、知ることに成るのです。
 ベンヤミンの手法は、皮肉にも彼をも死に追いやったナチズムの歴史を浮かび上がらせるのにもっとも効果的なものとなったのです。
c0046749_22525217.jpg

クリスチャン・ボルタンスキー「プリム祭」1990年
白黒写真、金属製引出し、白布、電気スタンド



 ゼーバルト『土星の輪』
 ベンヤミンの手法を小説の形で写真などを多用しながら推し進めていたのが、ゼーバルトという小説家でした。彼の『土星の輪』という旅行記は、イギリスの東海岸のさびれた海岸線をめぐるものです。
 今はさびれたイギリス南東部の海岸をたどり歩く<私>。
 この南東部の海岸は、いわばヨーロッパ大陸に貼り付けられはがされたガムテープのようなものです。大陸に起きた汚行・破壊のかけらが、この海岸に張り付いています。つまり、この地方は、世界の破壊と残虐の歴史を写し取ったネガのようなものです。この細分化されたかけらは、かけらの集積ではあるが、土星の環が土星の重力を示すように、ひとつの環をつくっています。かけらの形をとった痕跡をひとつづつたどることで、そこから、人間の犯してきた残虐と汚行の歴史が、土星の環のように形あるものとして、<私>(痕跡を読む者)のまえに立ち現れてくるのです。
「痛みの痕跡」は無数の細かい線となって歴史を貫いている(ゼーバルト)。写真というのも光の痕跡にほかなりません。写真という光の痕跡を多用しながら、痛みの痕跡をたどり、歴史の隠れた像を浮かび上がらせる。ベンヤミンの手法を使うゼーバルトの小説も、ベンヤミンとその民族(ユダヤ人)を追いやった過酷な歴史を浮かび上がらせるものとなったいるのです。

NHK 『映像の世紀』
 映像の断片から20世紀前半の歴史と社会の全体像を浮かび上がらせる

# by takumi429 | 2016-06-30 20:59 | 社会環境論 | Comments(0)

8. 規律化と臣民化としての近代 --- フーコー・アルチュセール ---  

8. 規律化と臣民化としての近代 --- フーコー・アルチュセール ---
 
 今回の講義は、社会が、人びとが規律の下に管理・監督される、いわば一種の収容所のようなものとして現れる、ということをあつかいたいと思います。まずはその例として独表現主義の有名な映画『カリガリ博士』の改訂をめぐる話から始めましょう。

『カリガリ博士』:全社会の収容所化
 
c0046749_23164998.jpg

『カリガリ博士』(Das Kabinett des Doktor Caligari1920年)

 この映画のもともとのあらすじは以下のようなものでした。
 見せ物小屋で催眠術をつかって眠り男を操る怪しい老人。町にその見せ物小屋が現れるとおなじく、夜な夜な連続殺人が起きる。主人公フランシスはそれが見せ物小屋の老人の仕業であることをつきとめ、老人を追って彼が逃げ込んだ精神病院を訪れる。そこで彼は、殺人をかさねていた老人がまさにその精神病院の院長、カリガリ博士そのひとであることを知る。院長カリガリは催眠術をかけた眠り男ツェザーレをつかって次々に殺人を重ねていたのである。フランシスの活躍によりカリガリは捕まる。
 しかし映画化にあたって、この話はすべて狂人フランシスの夢物語であった、というふうに改められました。彼の話にでてきた町の人びとというのは、じつは、ヒロインをふくめて、すべてラストで精神病院の中庭に患者として登場してきます。そしてそこへ、何かを企てているような病院長カリガリ博士が登場して、映画は終わるのです。

 クラカウアー(Siegfried Kracauer1889-66年)はその著『カリガリからヒットラー』で、この改訂は、脚本が本来が持っていた権力批判を薄めた改悪であるとしました。以来、日本ではその解釈が一般となっています。
しかし、この改訂は、いわゆる「夢オチ」(…というのは夢でした、という結末の付け方。先鋭的な話、奇妙な話、不整合な話も、すべて「夢」だったということでけりがつけられる)をつかった批判を弱めたもの、というだけではないように私には思えます。とくに正常だったと思っていた登場人物たちが、精神病院の中庭に、気がふれたありさまで現れるシーンのインパクトは無視しがたいものです。
c0046749_23172667.png

c0046749_23263311.jpg

 元の脚本は、扇動し裏から暴力を起こしながらそれを治めるふりをするという権力への批判とも読めるものでした。それがこの改訂で、私たちの社会全体がじつは、精神病院のような収容所であって、「正常」と思っている私たちはじつはそのなかに収容されている。そして異常と正常を分かつのはカリガリ博士によって体現された「知」であり、それは1つの権力として私たちを支配しているのだ、というふうにみえてくるのです。
 社会全体がひとつの精神病院となり、私たちはそこに収容された囚人となる。そこでは精神医学という専門家の知識が権力をもつことになる。
 今回とりあげる、ミッシェル・フーコー(Michel Foucault 1926-84)の描く近代とは、まさにこうした、知識によって管理された、一種の収容所のごとき世界です。フーコーがこうした近代世界のとらえかたを全面的に展開するのは『監獄の誕生 --- 監視と処罰 --- 』(1975)以降ですが、この本を読む前にまず補助線として、デュルケームの『社会分業論』を読んでみることにしましょう。

 デュルケーム『社会分業論』(1893)
あらすじ
 近代以前の社会は、同質性・類似性にもとづく連帯、すなわち「機械的連帯」を基本としていました。ですから、同質性からの逸脱に対して、体罰を与えたり成員としての資格を剥奪をしました。その結果、近代以前の社会では、行為者当人に課せられる苦痛、地位引き下げを本質とする「抑圧的制裁」を伴う法規が中心でした。
 ところが近代になると、社会は、社会的分業(労働が社会のさまざまな生産分野に専門化することによってつくりだされる社会経済的編成)による連帯、すなわち「有機的連帯」を基本とするようになります。逸脱はその社会分業関係の破綻をもたらします。だから逸脱にたいする対応は、分業関係、つまり人や物の関係、の修復をめざすようになります。その結果、諸事物を原状に回復し、阻害された関係の修復をめざす「復原的制裁」を伴う法規が主流となったのです。
 つまり前近代から近代への移行は、「機械的連帯」から「有機的連帯」への移行であり、
それは法体系のおける「抑圧的法律」から「復原的法律」への移行と対応しているのです。

 このデュルケームの考えを、(フーコーをふまえつつ)すこし読みかえてみましょう。
 近代以前の共同体社会では逸脱には共同体の怒りと排斥が向けられました。しかし逸脱者たちは共同体のはざまにあって、ある意味で共同体と共存していました。逸脱者は共同体へ影響をおよぼしうる、時には危険な、しかし時には有益な存在としてありました。
 近代となって逸脱者への対応はより巧妙になりました。逸脱した者は排除されるのでなく、おもてむき、社会へ回復することになります。社会は逸脱者を自己のうちに回収することで、逸脱者を無害なものとします。社会は逸脱者を「更生」・「治療」と称しつつ自分の管理下に集めるのです。社会はもはや逸脱者から脅かされることもなければ、そこから学ぶこともありません。こうして社会にとって危険な逸脱者(犯罪者と精神病患者など)は、排除されるのではなく、社会の内に、しかしその周辺に集められ、包み込まれて無害なものとされるのです。社会はその外部をみずからの内にとりこんだのです。

 では、フーコーの『監獄の誕生』を読んでいくことにしましょう。

 フーコー『監獄の誕生 --- 監視と処罰 ---』(1975)
「第1部 身体刑 第1章 受刑者の身体」
この本の冒頭で、フーコーは、2つの身体への刑罰のありさまを描き、それを対比させます。すなわち、(A)国王ルイ15世の殺害を企ててダミアンへの凄惨な八つ裂き刑(1757年執行)と、(B)4分の3世紀あとの「パリ少年感化院」での規律正しい日課規則、です。そのうえで、次のような問題提起をします。つまり、前者(A)から後者(B) への移行はいかにして生じたか、またそれはどんな意味があるのか、と。
「第2章 身体刑の華々しさ」
(A)にみられたように、かつて身体刑は華々しいものでした。なぜならそれはつぎのようなはたらきをもっていたからです。すなわち、(1) 尋問のための拷問(拷問された身体が真理を生み出す)、(2) 刑罰としての拷問(王の権力が身体の上に見える形で刻まれる)、(3) 祭典としての身体刑(犯罪によって傷つけられた王権を再興するための報復の儀式として身体への刑罰が執行される)、最後に(4) 観客としての公衆(処刑は公衆の前でおこなわれ、そのためそれはお祭り騒ぎとなり、しばしば罪人は英雄に転化しました)。

「第2部 処罰 第1章 一般化される処罰」
18世紀になって身体刑の廃止と処罰の人間化が叫ばれるようになりました。王権から資本主義への移行は、君主による報復としての処罰から社会擁護のための処罰への変化をもたらしたのです。
「第2章 処罰のおだやかさ」
処罰は(1)王権に依拠した処罰(受刑者の身体に報復の烙印を押す祭式)から(2)個人をふたたび法の主体として立ち直らせるための処罰、さらに(3)受刑者の身体の訓育としての処罰へと、変わっていったのです。
 つまり直接的な身体刑ではないが、身体には働きかける監獄というものを使った懲罰が優勢となったのです。その理由には背景としての社会全般の規律化という事態があるのです。
「第3部 規律・訓練」
ここで、フーコーは、直接的な身体刑から監獄への移行の背景として社会全般の規律化の歴史をたどります。
「第1章 従順な身体」
17世紀から19世紀(いわゆる「古典主義時代」)に、権力の対象としての身体が発見されました。従順な身体を養成する必要がうまれ、とりわけ学校・施寮院・軍隊において規律=訓練が発達しました。
 規律=訓練は、人を「独房」に入れ、「座席」させ、それを「序列」づけていくという、組織化をすることで、建築的・機能的・階層秩序的な空間を創りだし、そこに人間を配分します。そして、人間の活動を体系化し、段階的なものにして、それらを相互に組み合わせます。

c0046749_2318866.jpg

フレーヌ監獄での行動でのアルコール中毒の害悪に関する講演
『監獄の誕生』図版28


「第2章 良き訓育の手段」
こうして、規律=訓練が個々人を「作り出す」ようになります。訓育の手段には(1)プラミッド状の階層秩序なす監視、(2)規格化をおこなう制裁、と、この両者を結びつける(3)試験、とがあります。
「第3章 一望監視方式」
癩病患者の隔離(「大いなる閉じ込め」)とペスト流行の対する規律図式による取り締まりの結果、19世紀、排除された空間に対して、規律的な権力技術が適用されました。
排除された異常者にたいする規律=訓練の装置として、もっとも典型的なのは、ベンサム(Jeremy Bentham1748-1832 イギリスの哲学者・経済学者・法学者)の考案した「一望監視施設」(パノプティコン)でした。フーコーはこの「一望監視施設」という装置に近代の規律的権力技術の典型を見出します。
 一望監視施設というのは、中央に監視塔を置き、そこからすべての囚人の様子がみえるように円形に囚人たちの独房を配置する刑務所のつくりをいいます。囚人たちは中央の監視塔からたえず監視されています(正確に言うと、囚人からは監視塔の様子は見えないのに囚人の方は監視塔からは丸見えなので、囚人は絶えず監視を意識せざるを得ないのです)。

c0046749_23183372.jpg

J.ベンサム作、一望監視施設の設計図(『ジェレミー・ベンサム著作集』より)
『監獄の誕生』図版17
c0046749_2319894.jpg

      N・アルー=ロマン『懲治監獄の計画』『監獄の誕生』図版21
c0046749_23192720.jpg

アメリカ合衆国、ステイトヴィル懲治監獄の内部 『監獄の誕生』図版25
 ここでは権力は、見せる権力ではなく見る権力に変わっています。また受刑者はたえず監視されていることを意識することで監視(権力)の目を内面化します。この装置に入れられば、自動的に監視は意識され、権力は自動化されますし、また誰が監視しているかわかないけど誰が監視しようと同じことなので、権力が没個人化されることになります。
 この権力装置のあり方は、(受刑者などの)例外者から一般の者へ適用されるようになりました。すなわち、監獄だけでなく、さまざまな機構(工場、学校、兵舎、病院)に用いられるようになり、さらにそれらの機構は国家によって管理されるようになりました。(天安門広場に乱立する監視カメラはその典型例でしょう)。まさに現代は監視の社会となったのです。
c0046749_2320231.jpg

2.1666年、ルイ14世がおこなった第1回閲兵式の記念碑
3/4 P・ジファール『フランスの兵術』(1696)
図版3「銃を支えて安め」図版4「火縄をとれ」『監獄の誕生』図版2・3・4

 一望監視装置に代表される規律=訓練のあり方は、学校教育にも広がり、教師は教壇から生徒を見下ろし、また、生徒たちに「きちんとした」所作(しょさ)を叩き込みます。おかげで、資本主義は、最低のコストで、訓練され基準化された身体を手に入れることができるようになったのです。
c0046749_23213154.jpg

「第4部 監獄 第1章 『完全で厳格な制度』」
こうして社会全般の規律化を見た後、フーコーは、刑罰の世界に記述をもどします。
社会全般の規律化を背景して、監獄は、個人を監禁することで、孤立化させ、強制労働によって矯正し、その態度によって刑期と待遇を調節することで、更正をうながすものとなりました。

『監獄の誕生』図版10・11
「第2章 違法行為と非行生」
刑法は犯罪者をその違法行為においてとらえますが、監獄の技術は囚人をその生活態度においてとらえます。前者では違法性が問題とされますが、後者ではその非行生が問題とされます。刑法の建前では、監獄は犯罪者を更正させることになっています。しかし実際には監獄はその特殊な環境によってむしろ「非行者」を生み出し、あらゆる違法行為の可能性を持つ者として社会に循環させているのです。それゆえ、監獄制度の真の意義は、違法行為を減らし、抑制することではなく、社会の転覆や不安につながるような犯罪の可能性を「非行性」として管理し安全なものとして閉じ込めることにあるのです。
[それはちょうど、精神病院のありかたに似ています。精神病院はたてまえとしては精神病患者の治療をするためにあります。しかし患者を閉じ込めることでかえって患者の社会への不適合を生み出してしまいます。実際には精神病院は、社会不安を引き起こす者たちの閉じ込めと管理をしているというべきでしょう]。
「第3章 監禁的なるもの」
監禁的なるものの社会全般への浸透しています。すなわち、平準化、危険分子の囲い込み、規律=訓練的権力の普遍化、権力による規格化の推進、試験のかたちに適合した知のあり方、監獄的な権力にたいする抵抗の難しさ、が広がりつつあるのです。
 
 こうして私たちは最初にみた、(A)ダミアンへの凄惨な八つ裂き刑から、(B)「パリ少年感化院」での規律正しい日課規則、への移行の背後には、監禁的なるものの社会全般への浸透、すなわち、社会全般の規律=訓練化があること、を私たちは知ったのです。

 ではこうした社会全般の規律化が進むと、人びとは、型にはめられたために、いじけた弱々しいものになりはしないでしょうか。じつはそうではないのです。そのことに答えてくれるのが、その後に書かれたフーコーの『性の歴史第1巻 知への意志』です。

 『性の歴史』「第1巻 知への意志」(1976)
 抑圧説
 古典主義の時代から19世紀にかけて[性にたいする]抑圧の時代があったという仮説があります。しかし実際には16世紀のなかばと19世紀の初頭を画期として、性についての言説ディスクール(discours言語による表現)の絶え間ない「増殖」がみられます。前段階では、教会における告白(懺悔)でいっぱい性的なことが語られ、後段階では、性についての性科学などの医学的テクノロジーの出現によっていっぱい性について語られることになったのです。性は秘されたものという形をとりながら、じつはたえずそれについて語るように、懺悔や性科学によって、命じられていたのです。すなわち、性について知ろうとする「知への意志」が一貫して現在まで貫かれているです。「真実の性を語れ」(「懺悔せよ!」とか「ほんとうのことをおっしゃい!」)という命令が、「性の本質」「性の真理」なるもの(「じつはぼく…しちゃいました」「私、ほんとうは…したいと思っているんです」などなどの「真実」)を一種の「虚像」として成立させているのです。
 
 性的欲望の装置
 この「増殖」は19世紀のブルジョワジーが自分たちを対象とする形ではじえまり社会全般に普及しました。それは別の言い方をすれば、「性的欲望の装置(しかけ)」が「婚姻の装置(しかけ)」を凌駕し、「性的欲望のしかけ」が「婚姻というしかけ」を覆っていくことにほかなりません。「婚姻の装置」とは親族関係を固定し展開する、名と財産のシステムであり、「生殖=再生産」をその重要な要素としてもっています。それに対して、「性的欲望の装置」とは、快楽をつうじて流動的かつ多形的かつ状況な技術で身体を刷新し、併合し、発明し、貫いていくこと、そうして人びとをますます統括的なかたちで管理していくそうして社会的なしかけ(装置)なのです。
 性的欲望の装置が婚姻の装置を支配するようになったことで、女の体のヒステリー化、子供の性の教育化、生殖行為の社会的管理化、倒錯的快楽の精神医学への組み込みなど、新しい戦略はすべて「家族」を通じて成立するようになった。
 
 死にたいする権力と性にたいする権力
 「婚姻装置」と「性的欲望の装置」の対立は、それが結びついている権力のあり方の違いでもあります
 「婚姻装置」と結びついていたのは、法による禁止(「してはいけない」という否定)に基づく権力のあり方です。この権力は、王などの人格を中心とした、死刑を最終的な手段とするような権力であった。いわば「死にたいする権力」と言ってよいでしょう。
 それに対して、「性的欲望の装置」が結びついているのは、あくまでも「生」を管理・経営していこうとする権力のあり方です。この権力は、禁止ではなく、そそのかし、管理し介入していくような、匿名の権力なのです。
 この「生にたいする権力」には2つの主要な形態がある、とフーコーはいいます。
 まずひとつは、『監獄の誕生』ですでにみた、17世紀にはじまる、人間の身体を規律によって訓練していく「人間の身体の解剖―政治学」です。
 もうひとつは、18世紀なかばに形成された、生命への介入と管理、すなわち「人口の生-政治学」です。(たとえば、あらゆる生活を医療が支配し、医療の観点から生活が評価される「医療化」という事態があります。そこでは「健康のために運動し健康ためによい食事をし健康のために結婚する(?)」とかいう言い回しが流布し疑問にも思われなくなってきます)。
 権力が私たちの生(いのち)を組織化していくとき、この身体を規律し、人口を調節するというは、生にたいする権力の組織化が展開する2つの方向です。性というのは、まさにこの身体の生と種の生の、両方の手がかりであるために、この2つ「生にたいする権力」の組織化の対象となるのです。
 
 ここで、フーコーは、私たちの生(いのち)そのものを支配の対象とする「生-権力」(bio-power)という画期的な考えを提起しました。
 ではこの生に対する権力はどこからきたのでしょうか。

 「主体と権力」(1982)(『思想』№718)(権力の系譜学)
こうした生にたいする権力はどこから来たのか。フーコーはそれは、キリスト教会における告白(懺悔)に由来する、といいます。教会に来た信者が牧師や司祭にみずからの罪を告白すること、つまり懺悔、ここに生-権力の起源があるというのです。この権力をフーコーは「牧人=司祭型権力」と呼びます。
 「牧人=司祭型権力」とは、牧人(羊飼い)が羊の群の一頭一頭に心を配るように、各個人をその内面からとらえ、たえず監視しているような権力のあり方です。この権力のあり方は、キリスト教の教会での告白(懺悔)を原型として、「近代国家」へと継承されました。この権力は、上から個人を抑圧するのではなく、むしろ下から、すなわち個人に内面を語らせて、それを教え導くことで、個人を主体(subject臣民)として確立=服従さて、支配の関係のなかへ自発的に巻き込ませるのです。
 
 こうして、欲望を抑圧するのでなく、喚起しそれをまとめ上げることで成立する権力のあり方というものがみえてきました。
 こうした抑圧ではなく、そそのかし喚起し、そのうえでそれをまとめあげる、そうした権力のあり方については、フーコーは高等師範学校(大学教員養成校)での先生であった、アルチュセール(Louis Pierre Althusser,1918-90)に大きな影響をうけています。最後にこのアルチュセールのもっとも影響力のあった論文をみておきましょう。
 
 『イデオロギーーと国家イデオロギー装置』(1970)  
 この論文で、アルチュセールは生産関係の再生産はどのように達成されるのか、と問うています。
 労働者にはいつまでも労働者であり続けさせ、さらにその子どもの労働者となるようにさせる。同様に、農民には農民であり続けさせ、その子どもたちにも同じく農民とならせる。同様に、鉱夫には鉱夫であり続けさせ、その子どもも鉱夫となりつづけさせる・・・。搾取され割が合わない仕事でも、それでもその仕事を続ける、そういう気にどうやったらなるようにできるのか。割り当が合わないからやめる、という人間の頭を叩いて強制的にやらせるというのは、もっとも効率のわるい支配の仕方です。たえず銃剣で背中をつつくような権力、つまりむき出しの暴力による支配体制の維持は、維持するための暴力をさらに維持するため、ぼうだいな人材と費用とエネルギーを必要とし、結果体制を維持できなくなってしまうからです。
 持続可能な体制はつねに、人びとに、支配集団の利害を正当化するのに都合のよい、共有された理念ないし確信を、植え付けさせます。これを「イデオロギー」と呼びます。
 俺は親も先祖もずっと労働者だったから、俺も労働者だ。これも立派なしごとだ。おやじも爺さんも炭鉱夫だった、俺もこの仕事に誇りをもってやっている。先祖代々、この土地を耕してきたし、これからも息子たちがそれをしてくれるだろう、・・・。
 体制をささえる生産関係をすすんで形成すような主体(人間)をくりかえし生み出す(再生産する)、つまりイデオロギーを人びとにうえつけ、子どもたちにもそれを継承させるような、そういった場所があるのです。そういう場所のことを、アルチュセールは「国家イデオロギー装置」と呼びました。
 具体的には、それは、政治であり、宗教であり、法律であり、家庭であり、さらに学校やマスメディア、文化も、そうしたイデオロギー装置なのです。
 とりわけ、学校が、子どもたちに国家を枠組みとした現状の体制と生産関係を、「いいものだ」、「正しいものだ」と思い込ませて、すすんでそのなかの成員へとなっていくようにするという働きを持っている、しかも、学校教育のなかで、エリートと非エリート、資本家と労働者と職人・農民などの仕分けがなされ、人材の配分がなされていく、ということを指摘したのは、青ざめるほどのあざやかなものでした。
 こうしたイデオロギー装置を指摘した後で、アルチュセールは、イデオロギーそのもののありようの根幹を、西洋文明の起源である旧約聖書の思想にもとめていきます。
 旧約聖書の世界において、神は人を呼びかけて答えさせることで人を主体(subject「臣民」という意味もある)にするものでした(すなわち、これがヴェーバーが問題とした神からの召命(呼びかけBeruf)です)。この神からの呼びかけに答えることで、自らを確固たる主体となるという、西洋文明特有の自我のあり方は、神からの呼びかけでそれを自分ことだと思い込んでしまう(誤認してしまう)ということにほかならならないのだ、とアルチュセールは言うのです。そしてそれこそが、国家体制のもといままでと同じ働き手となって生産関係を再生産させる欺瞞(イデオロギー)の根幹にある欺瞞(錯誤)なのだという言うのです。

 規律化と臣民化としての近代 
 フーコーは近代という時代が、規律化の進展していく時代であることを明らかにしました。しかし、それはたんに人びとを規制しているのではなく、個人に呼びかけることで彼らを主体(臣民)とし、その欲望を喚起し巻き込みながら管理していく、そういう権力が作動している時代なのです。 
# by takumi429 | 2016-06-24 12:00 | 社会学史 | Comments(0)