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4.夏目漱石『虞美人草』 倒錯した商品世界としての近代

4.夏目漱石『虞美人草』 倒錯した商品世界としての近代


 新聞小説家 夏目漱石

 1907年(明治40年)2月、東京帝国大学講師の夏目金之助は一切の教職を辞して、月給200円で朝日新聞社に入社した。同年6月23日から、彼にとって初の新聞小説「虞美人草」の連載を始め、10月29日で完結した。

 夏目金之助こと漱石は、親友の正岡子規が創刊し高浜虚子が引き継いでいた雑誌『ホトトギス』において、『吾輩は猫である』を、1905(明治38)年1月から翌1906(明治39)年8月まで連載し、また『坊っちゃん』を1906(明治39)年に、第九巻第七号「附録」としてを発表した。この2つは大評判となって雑誌『ホトトギス』の売上に貢献した。言文一致の文体を用い、とくに『坊っちゃん』の文体はその切れの良い江戸っ子ことばを用いた小気味良い言文一致体がきわだっていた。

 ところが漱石は『虞美人草』では凝った美文調を駆使した。たとえば、女主人公「藤尾」の登場では、

「紅を弥生に包む昼酣なるに、春を抽んずる紫の濃き一点を、天地の眠れるなかに、鮮やかに滴たらしたるがごとき女である」(『夏目漱石全集4』(ちくま文庫1988年)27-8頁)。

 この文体は、一般に「雅俗折衷体(がぞくせっちゅうたい)」と呼ばれる明治初期に用いられた小説の一文体である。平安時代の文語文に基づく表現法と日常的俗語とを混合した文体で、ふつう、地の文は文語体、会話は口語体で書かれた。

 みごとな言文一致体で名を上げた夏目漱石が、なぜ彼の新聞小説のデビュー作で、このような凝った美文調の雅俗折衷体をもちいたのだろうか。


 大ベストセラー新聞小説「金色夜叉」

 そもそも朝日新聞社はなぜ東大講師夏目金之助を引き抜いたのか。そこにはおそらくライバルの読売新聞の連載小説「金色夜叉」の存在がある。1897(明治30)年1月1日 から1902(明治35)年5月11日まで連載された、この小説は大人気となり、読売新聞の売上を倍増させた。

 読売新聞社員、尾崎紅葉は、前年1896(明治29)年の新聞連載小説『多恨多情』では言文一致体を用いた。ところが翌1896(明治30)年からは、凝った擬古文調(雅俗折衷体)でこの連載「金色夜叉」を書いた。


 たとえば、前編第一章(一)の二、富山の描写。

「金剛石ダイアモンド!」

「うむ、金剛石だ」

「金剛石??」

「成程金剛石!」

「まあ、金剛石よ」

「あれが金剛石?」

「見給へ、金剛石」

「あら、まあ金剛石??」

「可感すばらしい金剛石」

「可恐おそろしい光るのね、金剛石」

「三百円の金剛石」

 瞬またたく間ひまに三十余人は相呼び相応じて紳士の富を謳うたへり。・・・

 かかる目印ある人の名は誰たれしも問はであるべきにあらず、洩もれしはお俊の口よりなるべし。彼は富山唯継(とみやまただつぐ)とて、一代分限(ぶげん)ながら下谷(したや)区に聞ゆる資産家の家督なり。同じ区なる富山銀行はその父の私設する所にして、市会議員の中うちにも富山重平(じゆうへい)の名は見出みいださるべし。

 宮の名の男の方かたに持囃(もてはや)さるる如く、富山と知れたる彼の名は直ただちに女の口々に誦ずんぜられぬ。あはれ一度ひとたびはこの紳士と組みて、世に愛めでたき宝石に咫尺(しせき)するの栄を得ばや、と彼等の心々(こころごころ)に冀(こひねが)はざるは希まれなりき。人若もし彼に咫尺するの栄を得ば、啻ただにその目の類無たぐひなく楽たのしまさるるのみならで、その鼻までも菫花(ヴァイオレット)の多く嗅べからざる異香いきように薫(くん)ぜらるるの幸(さいわ)いを受くべきなり。

(青空文庫https://www.aozora.gr.jp/cards/000091/files/522_19603.html閲覧、一部改変)

 [なお、咫尺(しせき)とは、貴人の前近くに出てお目にかかること]


 当時、この小説は大変な人気を呼び、「前編」、「中編」、「後編」と書かれたが完結せず、さらに『続金色夜叉』、『続続金色夜叉』、『新続金色夜叉』と書き継がれたが、それでも完結しないで、尾崎紅葉の死(1903明治36)年により絶筆となった。死後、弟子の小栗風葉により、『金色夜叉 終篇作』として完結篇が1906(明治39)年に新潮社から出版された。


 「前編」のあらすじは以下のごとしである。

(全体のあらすじhttps://shakaigaku.exblog.jp/22161747/ を参照、2019年5月12日)


 15歳で両親に死に別れた、間貫一(はざまかんいち)は、鴫沢(しぎさわ)家に引き取られ育ててもらい、高等中学生(ほぼ自動的に東大生になれる)となる。大学を卒業し学士となったら、鴫沢家の娘、宮、と結婚し、鴫沢家を継ぐとの約束である。

 しかし、300円のダイヤモンドの指輪が自慢の大富豪の富山唯継は、かるた会で宮を見染め嫁に求め、鴫沢夫婦も宮もそれを了承する。

 鴫沢隆三が宮をあきらめるよう貫一を説得するあいだ、宮と母親は熱海に来ている。そこへ富山がやって来て宮を散歩に誘う。ところがそこへ貫一もやって来たので、富山は東京に帰る(前編第7章)。

 夜となって熱海の海岸で、貫一は宮をなじり、翻意を乞うが、宮は富山と結婚する気であることを知り、宮を蹴飛ばす(第8章)。貫一はそのまま出奔する。



4.夏目漱石『虞美人草』 倒錯した商品世界としての近代_c0046749_14483045.jpg

(https://shakaigaku.exblog.jp/iv/detail/?s=22161747&i=201406%2F08%2F49%2Fc0046749_15433605.jpg 2019年5月12日 閲覧)


 お宮(おみゃーさん)を、貫一(官位一?)から奪う富山の名前が、親の財産をただ継いだだけで本人になんの取り柄があるわけでもないと言わんばかりの、「唯継」(ただつぐ)という名前なのが、可笑しいし、紅葉の名付け方のあけすけさに驚かされる。

 この富山はその身につけた300円(現在の600万円ほどか)のダイヤモンド(金剛石)で人々の目を引く。このダイヤモンド(金剛石)に目がくらみ、許嫁の貫一を裏切るお宮は、貫一はこう言う(前編第8章)。


「そんな悲い事をいはずに、ねえ貫一さん、私も考へた事があるのだから、それは腹も立たうけれど、どうぞ堪忍して、少し辛抱してゐて下さいな。私はお肚なかの中には言ひたい事が沢山あるのだけれど、余あんまり言難いひにくい事ばかりだから、口へは出さないけれど、唯一言たつたひとこといひたいのは、私は貴方あなたの事は忘れはしないわ――私は生涯忘れはしないわ」(青空文庫より引用)。


 「私にも考えたことがあるのだから」とお宮は貫一にいうが、その内容は明かされず、その後もこの小説ではいっこうに明らかにされない。貫一が苦学生で、それを助けるためにお宮はあえて富豪と一緒になる、というのならわかるが、それも貫一の

「七千円の財産と貫一が学士とは、二人の幸福を保つには十分だよ。」

という発言で打ち消されている。

 思うに、尾崎紅葉は、このお宮の「考えた事」の内容をうまく作ることができず、そのためにこの小説を完結できなかっただろう。

 この裏切りの後、貫一は、高利貸しとなり金の亡者、すなわち、金色夜叉に、成り果てる

 

 『虞美人草』 結婚市場の商品の逸脱と死

 夏目漱石は、この先行した大人気新聞小説『金色夜叉』を強く意識していたと思われる。漱石は彼の初の新聞小説『虞美人草』は、じつは『金色夜叉』のパロディ小説といえる。主人公、藤尾は、『金色夜叉』のお宮のような思わせぶりなことは言わない。ずばり、結婚市場においてもっとも高く自分を売ろうとする。この小説は、自分をもっとも高く売ろうとした女、藤尾の企てが失敗して死ぬ、というお話である。


 『虞美人草』の家系図(点線は許嫁関係 破線は藤尾の欲望と逸脱)

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 小説の登場人物を家系図を見ながら紹介しよう。

 甲野藤尾(こうのふじお)24歳、女学校出の美人。彼女には腹違いの兄、甲野欽吾(きんご)がいる。欽吾の友人にはおなじく東京大学を出て、外交官試験のために浪人している、従兄弟の宗近一(むねちかはじめ)がいる。宗近一(はじめ)には妹の宗近糸子(いとこ)がおり、裁縫を好む家庭的な女だ。

 『金色夜叉』の「富山唯継」という名付け方をすでにみた。漱石はさらに、裁縫好きの主人公の従姉妹(いとこ)の名前を「糸子」と名付け、宗近家の長男を「一(はじめ)」と名付ける。このあたりの名付け方はほとんどふざけているが、これはパロディなのだよ、という漱石の目配せのひとつといえるだろう。

 藤尾は父親の金時計を気に入っており、いつも玩具にしている。この接触により、「金時計」は「藤尾」の身代わり(隠喩)になる。この小説世界のなかで「金時計」は一貫して「藤尾」と一体のものとして語られる。。

生前、藤尾の父はこの「金時計」をやると、宗近一に言っていた(『夏目漱石全集4』ちくま文庫69-70頁)。藤尾を意味する「金時計」を宗近一にやるということは、藤尾を一(はじめ)にやることでもある(同138頁)。つまり藤尾は宗近家の嫁に行くものと思われていた。

 また宗近の父は、娘の糸子(いとこ)を甲野欽五の嫁にやろうと考えており、糸子もそれを意識している。つまり甲野家と宗近家は、相互に娘を嫁にやる予定だった。

 レヴィ=ストロースによれば、婚姻関係は「女」という物を贈与する関係と見ることができる。ここでは甲野家と宗近家が娘を相互に贈与しあう。つま両家の関係は、レヴィ=ストロースの用語で言えば、「限定交換」がおこなわれる、そうした閉じた関係だったのである。

 しかし欽五の父が外地で急死することで、事態は急変する。藤尾の母は、実の子ではない欽吾が、自分のめんどうを見てくれるか不安だ。だから、できれば欽吾を追い出して、藤尾に婿を取らせて自分の立場を安定させたいと考えている。継母の押し殺した強欲さにへきへきとした欽吾は、「色の世界」(仏教用語での物質世界)を嫌悪し嘔吐し、哲学の世界に逃避しようとする。

 ここで藤尾の花婿の候補として浮かび上がったのが、小野清三である。小野は東京大学を優秀な成績で卒業し、恩賜の「銀時計」をもらい、さらに博士論文を執筆中である。藤尾の母は、小野に藤尾の英語をみてもらうようにし、両者を結びつけようと画策する。。つまり実の娘藤尾を、結婚市場において、できるだけ高く売ろうとしたのである。

 小野は、京都で井上孤堂という先生の世話をうけており、そのかわり井上先生の娘、小夜子の将来の夫となることを約束していた。しかし東京に出て、「銀時計」を獲得した今、小野はさらに博士となって、「金時計」たる藤尾を獲得したいという欲望をもつにいたる(同106,154頁)。

 藤尾をできるだけ高く売りつけたいという藤尾の母の欲望と、美しい才媛である自分にふさわしい男と結ばれたいと思う藤尾の欲望は、安定した女の交換関係を突き崩す。宗近一(一)は藤尾をもらえない。また欽吾も甲野家を出ると、宗近糸子を伊賀家の嫁にもらうわけにはいかない。また小野は、藤尾を獲得するために、井上小夜子を棄てるようとする。

 安定した婚姻の関係のなかでは、藤尾も、糸子とおなじく、家から家へと贈与されるものだった。しかし自分にふさわしい(等価な)相手を求めたり、できるだけ高く買われることを望んだ結果、藤尾は一種の「商品」へと変わったのである。

 それだけではない。かつては藤尾は宗近家へ贈られる品物だった。しかし藤尾の母は、藤尾(金時計)をつかって将来の博士(小野)を婿にもらう(買い取ろう)とする。ここにいたって、藤尾は、贈与物から商品へ、さらに「金」(かね)という特殊な商品(貨幣)へと変身する。

 作家夏目金之助(漱石)はこの藤尾という女(特殊な商品)のふるまいに、断固たる鉄槌を喰らわせようとしする 。小説の終盤で、藤尾に見限られたため逆に自由になった宗近一(はじめ)の活躍により、小野と小夜子が、さらに甲野金吾と糸子が元のさやにおさまる。小野を奪われた藤尾は宗近一に金時計を渡すが、宗近一は金時計を大理石にたたきつけ壊す。自分と一心同体の金時計が破壊されると、藤尾は倒れ、その結果、死んでしまう。


 ところで藤尾と同一視される「金時計」はいかなる意味をもつのか。。小野にとってはそれは恩賜の銀時計のさらにさきにある出世の象徴である。さらに「金」は貨幣(金)を意味する。「時計」は近代的な時間を意味する。労働を測定しその価値を計る。だから「時は金なり」である。

 この「金=時計」の死によって、自然な時間、つつましく自然な欲求と交換の世界がよみがえり、秩序は回復される。


 博覧会 倒錯の商品世界

 ところで、この小説では京都と東京は対照的な世界として設定されているように思われる。すなわち、京都は納まるべきものが納まるべき所に納まっている世界であり、東京は固定した関係が流動化し、絶えず新たな欲望が喚起される世界である。こうした「文明」の世界の典型としてこの小説にとりあげられているのが、1907(明治40)年の連載当時に開催されていた、東京勧業博覧会である。

「蟻は甘きに集まり、人は新しきに集まる。文明の民は激烈なる生存のうちに無聊(ぶりょう)をかこつ。・・・文明の民ほど自己の活動を誇るものなく、文明の民ほど自分の沈滞に苦しむものはない。文明は人の神経を髪剃に削(けず)って、人の神経を擂(すり)木(こぎ)と鈍くする。刺激に麻痺して、しかも刺激に渇くものは数を尽くして新しき博覧会に集まる。・・・蛾は灯にに集まり、人は電光に集まる。・・・昼を短しとする文明の民の夜会には、あらわなる肌に鏤(ちりば)たる宝石が独り幅を利かす。金剛石(こんごうせき)は人の心を奪うが故に人の心よりも高価である。泥海(ぬかるみ)に落つる星の影は、影ながら瓦よりも鮮やかに、見るものの胸に閃(ひらめ)く。閃く影に躍る善男子、善女子は家を空しゅうしてイルミネーションに集まる・・・」(190-1頁)

 東京勧業博覧会では、不忍池に建てられたパビリオンはその見事な電飾で多くの観客を集めていました。この小説ではそれを舞台にして描いている。


「・・・イルミネーションは点いた。

『あら』と糸子が云う。

「夜の世界は昼の世界より美しい事」と藤尾が云う。」(同194頁)


「空より水の方が綺麗よ」と糸子が突然注意した。・・・イルミネーションは高い影を逆まにして、二丁余の岸を、尺も残さず真赤になってこの静かなる水の上に倒れ込む。黒い水は死につつもぱっと色を作す。」(同196頁)


 「空より水の方が綺麗よ」。この短いせりふに作品全体の重要なヒントがある。ここで漱石が言いたいのは、人々が群がっているこの東京博覧会は倒錯した幻影である、ということだ。さらにこの倒錯性は、東京の文明そのものの倒錯性でもある。宝石(ガーネット)の飾りのついた金時計(藤尾)のもつ輝きは、夜の博覧会のごとく、人(小野)の欲望をかきたてはするが、それは幻の、しかも本来の欲求からは倒錯した欲望にほかならない、ということを示唆している。

 休息のため席についた甲野と糸子、左近と藤尾は、偶然そこで井上親子と小野を見つける。小野と小夜子はまるで夫婦のように見える。(現に、後で左近が小野に二人は夫婦のように見えた、と話している)(261頁)。この夫婦のようにみえる小野と小夜子の関係に、藤尾は烈しい嫉妬と怒りを感じ、この関係を壊そうとする(205頁)。

 元来、人は自分の欲求充足をそのための手段たる品物によって満たす。そこには欲求とそれを満たす品物との直的対応関係がある。しかし貨幣経済が進展すると、ひとは現実の欲求のためでなく、いつか生まれてくる欲求のために貨幣をため込み、ひいいては貨幣を多く獲得すること自体がその人間の欲求となってくる。欲求充足と品物との直接対応は貨幣によって崩される。

 品物(小夜子)と固定客(小野)とが夫婦のように納まっているのを嫉妬する、特殊な商品、それが藤尾である。つまり藤尾は、商品と客との間を流動化させる存在としての特殊な商品、つまり貨幣であることが、ここの描写からもうかがわれる。

 そしてこの作品はまさに「貨幣の死」によって、安定した伝統的関係が復活することを描いた作品なのである。そしてこうした作品が書かれたということが、がまさにそうした伝統的な安定した関係が崩されつつあった時代に書かれたことを意味している。夏目漱石は小説家であるより、先行小説のパロディを書くことで、まさに社会批評家として、貨幣の台頭による倒錯した虚飾の商品世界を、きびしく批判したのである。



by takumi429 | 2019-05-13 09:43 | 近代とは何だろうか
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