アビー・ペリー編『看護とヘルスケアの社会学』を読んで
---社会学的想像力と懐疑を持って医療を考察--- 医療の社会学の本を書こうとすると2つの方向に引き裂かれそうになる。 1つの方向は、医療の人々にお伺いを立ててそれを材料にして業績とするものである。だがいま目の前にいる患者をどうしようかと真剣に苦慮している医療関係者たちには、こうした研究や解説はぴんとこないものになりがちである。 もう1つの方向は、医療批判の方向である。イリイチやフーコーを経由し、医療を権力の1つの形態と見なす見解だ。その批判の切れ味はたしかに鋭い。しかしそれでは実際に医療にたずさわる人間にとっては職を辞する以外にするべきことはないのか、という気にさせるだけで、現場で医療を進めざるを得ない彼らにとっては、「じゃ、どうしろっていうのだ」という感じになってしまいがちだ。 結局、私自身は、医療向けの社会学の本を書くに当たって、医療社会学などという狭い社会学でなく、医療者が知ったほうがよい、社会学一般の解説や人文科学一般の解説をしたりしてきた。 医療者をおだてるのでもなく、頭ごなしにしかるのでもない、医療者が自分のしている医療行為に対する考察を豊かにさせるような本は書けないだろうか、それが看護師養成の教育にたずさわるようになってから、ずっと私が悩んできたことであった。 今回、『看護とヘルスケアの社会学』を読んでみて、それに対する1つの回答を与えられたような気がした。この本はフーコーらの理論をふまえながら、しかも医療におけるさまざまな問題を考えていこうとする。その際、本書を貫いているのは、2つの考え方である。 その1つは「社会学的想像力」という考え方だ。社会学的想像力というものを説明するなら、たとえばこんなふうになるだろう。 いまあなたが1杯のコーヒーを飲んでいるとしよう。コーヒー豆を通じてあなたは南米と砂糖を通じて中南米とさらにそれらを操る巨大資本とつながっている。水道水を使うことで日本の環境問題とつながっている。近年日本の家庭に広まったコーヒーを飲むという習慣を共有する人々とつながっている。そしてそれはテレビのコマーシャルや番組での飲むことに影響されている。コーヒーを飲むという1つの行為は広く社会へとつながっているのだ。また今あなたが新聞を読んでいるとしよう。あなたが新聞で見かけた中高年の自殺の数字は、実はリストラ、離婚、ホームからの飛び込み、というような人間ドラマをその1つ1つが持っているのだ。 1つの具体的行為からそれを取り巻く社会の連関へと思いをめぐらすこと、1つの抽象的数字から具体的な人間ドラマに思いをめぐらすこと、具体的な顔のみえる行為と社会の抽象的な語りとの間を自在に往復できること、それが社会学的想像力である。 もう1つの考え方、それはいわば「社会学的懐疑」とでも言うべきものだ。 医療の世界は患者に迅速に対処する必要がある。そのため、医療関係者のなかにはいわば「対処主義」とでも言うべき、すばやく問題解決を急ぐ態度がきわめて濃厚だ。患者の持っている疾患、問題をすばやく判断しててきぱきとそれを解決しようとする。だがそこでは「問題」と見なすその問題の設定の仕方自体が実はかなり偏ったものの考え方であること、いや問題だと設定する構え方自体が実はその問題を引き起こしているのかもしれないという、反省と懐疑が欠けている。 たとえば、ターミナルの患者が死の受容に至っていない、それが問題だとする看護師は、「死の受容」をすべきだという自分の先入観が、実はこの問題を作り出していることに気づかない。それは医療者の先入観と無反省から生まれ、それを患者に投影した問題にすぎないのである。患者は死の受容に至るべきだなどという考えを医療者が捨てれば、その問題なるものははらりと消えてしまう。 こうした、社会学的な想像力と懐疑を持って医療のさまざまな局面を考察する本書は、問題をさっさと解決しよう、業績を上げようという志向をもつ人間にとっては、とてつもなくまどろっこしく歯切れが悪いものにみえてしまうだろう。だがそのまどろっこしさと歯切れの悪さの向こうにある、この本に流れている、みずからの問題設定・対処のあり方を真摯に反省しようとする謙虚な態度こそが、実は医療関係者・研究者が学ぶべきものなのだ。 なお訳者によるていねいな文献紹介もありがたい。それはこの本を出発点にしてさらに思索を深めるための大きな手がかりとなろう。 いま、私はこの本とはまた別の方向で、医療についての社会学の本を書こうと思っている。「患者を理解したい」というのは看護師が常に口にすることである。だが理解とは何か、理解が単に気持ちの理解を超えて、その患者を包む社会とつながるような大きな理解(すなわち社会学的想像力を駆使した理解)になるにはどうすればいいのか。また患者の何気ない言葉や仕草からその患者の抱えた人生の物語をどう理解すればいいのか。このことを考えながら、同時に、ヴェーバーという学者が提唱した「理解社会学」というものを、物語論的観点から再生しよう、というのが今の私のもくろみである(本の仮題は『看護に学ぶ臨床社会学』)。 今回『看護とヘルスケアの社会学』を読むことで、私は新たな本を書くための静かだが確かな励ましをもらえたことを心から感謝している。
by takumi429
| 2006-01-11 01:47
| 臨床社会学
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