地図の上の主体2

4. 地図の上を移動する主人公
 『田舎教師』という小説はやたらと主人公が歩いている小説である。冒頭からすでにそうである。
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「四里の道は長かった。その間に青縞の市の立つ羽生の町があった。田圃にはげんげが咲き、豪家の垣根からは八重桜が咲きこぼれた。赤い蹴出を出した田舎の姐さんがおりおり通った」(田山1980:5)。
 家が没落したため進学を断念した主人公、林清三は小学校の代用教員となるべく、自宅から就職先の弥勒に向かう。この第一章の冒頭から第二章の弥勒の小学校にいたるまで、読者はずっと主人公の歩行(移動)に付き合わされる(注1)。
 小説の終盤で主人公が結核となり病床につくが、それまでこの小説は頻繁に主人公清三の移動、それもおもに歩行による移動を描いている。だから小説に添付された地図は、いま主人公がどこを移動しているのかを読者に確認させる働きをしている。 
 この小説での花袋の叙述を支えているのは、まずモデルとなった小林秀三の日記である。この日記を使ったおかげで小説内部の時間は一日一日と確実に進行していく。同時に日記は主人公の内面世界をかいま見せる。花袋は、日記に肉付けすることで、小説の中の時間進行と主人公の内面世界を獲得する。
 しかしそれだけでは小説は主人公の内的世界にとどまってしまいかねない。小説に外的な広がりを与えつつ、よどみない進行を与えるものとして用いられているのが、主人公の歩行(移動)とそれにつれて主人公の目に映る外界の描写である。このことは日記の中断による空白の一年をうめるべく、花袋が想像して書き込んだ主人公の「中田遊郭」行きの描写において顕著である(注2)。
 近所の女工たちに性的な挑発を受けた主人公は、その性欲を鎮めるべく「中田遊郭」に行くことを決め、河畔の道を歩く。
「路は長かった。川の上に簇がる雲の姿が変わる度に、水脈の穏やかに曲がる度に、川の感じが常に変わった。夕日は次第に低く、水の色は段々に納屋色になり、空気は身に沁み渡ように濃い深い影を帯びて来た」(田山1980:115)。
 冒頭と同様に、まず目的地までの行程の線が引かれ、そこまでの距離が語られる。その上を主人公が歩いていく。主人公の歩行が時間の進行を刻み、そして行程の上を移動する主人公の目に写る情景が小説の情景描写となりその空間に広がりを与える。
 目的地へ歩行が作品の時間と空間を形作るばかりではない。目的地への関係が主人公の内面的欲望を規定する。
「清三は自らの影の長く草のうえに曳くのを見ながら時々自ら顧みたり、自ら罵ったりした。立ち留って堕落した心の状態を叱しても見た。行田の家のこと、東京の友のことも考えた。そうかと思うと、懐から汗でよごれた財布を出して、半月分の月給が入っているのを確かめてにっこりした。二円もあれば沢山だということはかねてから小耳に挟んで聞いている。青陽楼という中田では一番大きな家だ、其処には綺麗な女がいるということも知っていた。足を留めさせる力も大きかったが、それよりも足を進めさせる力の方が一層強かった。心と心が戦い、情と意が争い、理想と欲望とが絡み合う間にも、体はある大きな力へと引きずられるように先へ先へと進んだ」(田山1980:155)。
 描写は主人公の目からみた川辺の情景から主人公の内省へと向い、さらに主人公の内面的な性的欲望をめぐる葛藤へといたる。この内面的欲望と葛藤はあくまでの目的地(中田遊郭)への空間的関係から規定されている。小説の描写は、目的地までの距離、空間、風景、そこに映る主人公の影、主人公の内省、内面の欲望へと進む。主人公の内面的欲望は、目的地から距離という地理的関係から導き出されている。
 描写はさらに続く。
「渡良瀬川の利根川に合するあたりは、ひろびろとしてまことに坂東太郎の名に背かぬほど大河の趣を為していた。夕日はもう全く沈んで、対岸の土手に微かにその余光が残っているばかり、先程の雲の名残とみえるちぎれ雲は縁を赤く染めてその上に覚束なく浮いていた。白帆がこころ懶(もの)うさそうに深い碧の上を滑って行く。
 透綾の羽織に白地の絣を着て、安い麦稈の帽子を冠った清三の姿は、キリギリスがないたり鈴虫が好い声を立てたり阜斯(ばった)が飛び立ったりする土手の草路を急いで歩いて行った。人通りのない夕暮れ近い空気に、広い漾々(ようよう)とした大河を前景にして、その痩削の姿は浮き出すようにみえる。土手と川との間のいつも水をかぶる平地には小豆や豆やもろこしが豊かに繁った。ふとある一種の響きが川にとどろきわたって聞こえたと思うと、前の長い長い栗橋の鉄橋を汽車が白い烟を立てて通って行くのが見えた」(田山1980:155-6)。
 ここでの夕暮れの赤い光を背景にして人物を浮き上がらせる手法についてはあとで触れることにしよう。
 中田遊郭に泊った翌日、主人公は知り合いに会うのをさけるため、利根川の対岸の、別の道を通って帰った。
「河岸の渡し場では赤い雲が静かに川に映っていた。・・・其処からは利根渡良瀬の二つの大きな河が合流するさまが手にとるように見える。・・・本郷の村落を通って、路はまた土手の上にのぼった。・・・麦倉河岸には涼しそうな茶店があった。・・・大きな栃の木が陰をつくって、冷たそうな水にラムネがつけてあった。彼はラムネに梨を二個ほど手ずから皮をむいて食って、さて花ござの敷いてある樹の陰の縁台を借りて仰向けに寝た。・・・涼しい心地の好い風が川から来て、青い空が葉の間からチラチラ見える」(田山1980:160)。
 初版本の巻頭には地図だけでなく、縁台に寝そべって川のほうを見ている青年を描いた口絵が添えられている(口絵1)。
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おそらくこれはこの場面を描いたものと思われる。それだけこの中田遊郭への行き帰りはこの作品にとって重要な場面だったのである。
 我々はこの主人公の中田への往復の移動を、小林一郎氏がしたように、正確に地図の上でなぞることができる(地図2)
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(小林1969:232)。
 なるほどできるわけである。なぜなら花袋はこの描写をおそらく地図をみて、地図をたよりに書いているからだ。
 花袋はこう書いている。
 「刀根(とね)の下流の描写は、--大越から中田までの間の描写は想像でやったので、後で行って見て、ひどく違っているのを発見して、惜しいことをしたと思った」(田山1981:258)。
 しかしもしかりに想像だけで書いたら、地名や河川や橋などの地理的関係を正しく把握することは困難だったであろう。しかるに花袋は、「渡良瀬川の利根川に合するあたりは、ひろびろとしてまことに坂東太郎の名に背かぬほど大河の趣を為していた。・・・ふとある一種の響きが川にとどろきわたって聞こえたと思うと、前の長い長い栗橋の鉄橋を汽車が白い烟を立てて通って行くのが見えた」と書いている。川の合流地点から鉄橋が見えるという記述は、想像だけでは無理である。地図の上で確認したとしか考えられない。読者が地図のうえでの主人公清三の足跡をたどることができるのは、まさに花袋自身が地図をなぞり、そこから風景を想像したからにちがいない。
 すでに述べたように、花袋は博文館で『大日本地誌』の編集を助けており、地図を使うことになれていた。たとえば、小説『蒲団』の中でも、花袋がモデルの主人公「時雄」は、手紙をよこした女学生の出身地、「新見町」を、『大日本地誌』の編集室にあった地図を使って調べている。
「・・・本箱の中から岡山県の地図を捜して、阿哲郡新見町の所在を研究した。山陽本線から高梁川の谷を遡って奥数里、こんな山の中にもこんなハイカラの女があるかと思うと、それでも何となくなつかしく、時雄はその付近の地形やら山やらを仔細に見た」(田山1972:11)(注3)。
 また花袋は明治41年(1908)に『読売新聞』で自分の家族をモデルにした『生』という小説を連載している。この小説のなかで自らをモデルとした「銑之助」についてこう書いている。
 「生活は矢張り苦しかった。月に、二十圓の収入を得るのが困難であった。・・・翻訳の安仕事、空想ででっち上げた紀行文。そんなものを賣って生活を續けた」(田山1966:309)。
「空想ででっち上げた紀行文」と言っても、まるっきりでたらめを書くわけにはいかなかったであろう。おそらく花袋はそれまでの旅行経験を使いながら地図をたよりにして空想の紀行文を書いたと思われる。
 ちなみに、『大日本地誌』第一巻(山崎・佐藤編1903)には写真銅版の第十二図として「上武の境川俣付近」という写真がおさめられている(写真1)。これは『田舎教師』の「中田遊郭」行きで描写された場所よりさらに上流の利根川河畔の写真である(注4)。
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 白い帆の船も写っているところや広々とした河原の様子なども、「渡良瀬川の利根川に合するあたりは、ひろびろとしてまことに坂東太郎の名に背かぬほど大河の趣を為していた。・・・白帆がこころ懶(もの)うさそうに深い碧の上を滑って行く」という『田舎教師』のなかの描写とたいへんよく一致する。花袋はこの写真の情景を、小説中の下流の大越から中田までの利根川の描写へと、移しかえたのかもしれない。             
 ともかく花袋は地図を見ながらその想像をふくらませ、見知った他の地域の情景を使いながら書いているとみてまちがいがないだろう。
 ところでここでの風景描写はきわめて透明感にみちている。主人公の視線は遠くに達し、「空気」は澄み切った印象を与える。
 ここで我々が現実に歩いている時のことを考えてみよう。人は歩いている時じつはあまり遠くを見てはいないものである。遠くの風景ばかり見ていては道を踏み外しかねない。ふつう歩いている時には目の前の道や障害物などの近景に眼がいくものである。遠景は立ち止まった時にはじめて良く見えるものである。だからこの小説中の歩く主人公の眼からとらえられている遠景は、じつはふつうに歩いている人間が見ているものではない。
 だが歩いている人間の周りを地図をつかって想像する場合はどうであろうか。地図からは細かな近景は把握できない。むしろ山や川などの遠景の方が把握しやすい。つまりここでの遠景描写はじつは地図からの想像にうながされて生まれたものなのである。
 この中田への行き帰りの場面の透明で空虚な空間は、現実の人間が感じている空間であるというよりも、むしろ地図を見るときに想像される、仮想の空間なのである。
 まとめてみよう。
 地図は主人公の位置を読者に確認させるだけではない。架空の風景描写も、主人公の架空の内省も、その葛藤する心も、さらにはその欲望をも、成立させている。つまり、地図による上からのまなざしが、主人公のみる情景、小説中の経過する時間、さらに主人公の内面的欲望を、つくりあげているのである。
 ではこうした上からのまなざしを田山花袋はどこで獲得したのであろうか。

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by takumi429 | 2007-05-02 21:54 | 田山花袋研究 | Comments(0)
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