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10.マンガ

10.マンガ
遊びの心や風刺の精神でえがかれた絵。ストーリー性のあるものはコマ漫画・劇画・コミックなどともよばれる。

日本の漫画
鳥獣人物戯画
高山寺につたわる白描による戯画絵巻で、甲巻は擬人化された動物たちが生き生きと描かれる。この部分図はカエルとウサギによる相撲の場面で、見物のカエルたちだけでなく、なげとばされるウサギ自身もわらっている。勝敗は二の次の相撲ごっこといったところか。「源氏物語絵巻」「信貴山縁起絵巻(しぎさんえんぎえまき)」「伴大納言絵巻(ばんだいなごんえまき)」とともに、日本四大絵巻にかぞえられる。12~13世紀中ごろ。
鳥羽絵 とばえ 江戸時代に流行した戯画で、人物を手長、足長に誇張して描く特徴をもつ。このスタイルは、月にてらされてできた人影からヒントをえたともいわれるが定かでない。鳥羽絵とは鳥獣人物戯画の作者といわれる鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)にちなんでつけられた名称。
鳥羽絵はもともと京都を中心に、扇や袱紗(ふくさ:→ ふろしき)といった身近な持ち物に描かれていたが、その評判は大坂にもつたわり、鳥羽絵が版本として出版されたことによっていっそう広まり、江戸時代を代表する戯画のひとつとなっていった。
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黄表紙 きびょうし 江戸中期以降おもに出版された、絵入り本の草双紙の一ジャンル。子供向け絵本からはじまった草双紙は、1760年代から徐々に大人の嗜好(しこう)にあうものが出版されるようになった。それらは表紙の色から、黒本、青本とよばれ、5丁(10ページ)1冊を定型とした。やがて青本の中から、洒落や滑稽み、荒唐無稽な諧謔のより強い作品が登場し、のちに黄色い表紙がつけられて、それらを黄表紙とよぶようになった。

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1775年(安永4)に刊行された恋川春町作(画も)の「金々先生栄花夢」は、それまで子供向けの幼稚な絵本でしかなかった草双紙に、黄表紙とよばれる大人向きのしゃれた絵本文学のジャンルを切り開くことになった。
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明治の漫画
1862年(文久2)、横浜居留地でイギリス人チャールズ・ワーグマンによって漫画雑誌「ジャパン・パンチ」が創刊され、日本の漫画界に影響をあたえた。
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ワーグマンが創刊した「ジャパン・パンチ」の1869年1月号に掲載された作品。

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1879年(明治12)10月に発布された改正徴兵令を風刺した漫画で、その年の「団団珍聞」12月6日号に掲載された。旭日旗とラッパをもった徴兵令が獅子舞のようにねりあるき、子供たちはにげまわる。その後ろに270円をお盆にのせてさしだす親の姿が。国民皆兵が実現するのは10年後の89年。79年当時は270円で徴兵は免除された。
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ビゴー「芸者と西洋人」
1882年(明治15)に来日したフランスの漫画家、画家のビゴーは、その後、雑誌「トバエ」などを刊行して日本政府を風刺する漫画を発表。ユーモアと共感をまじえて日本人の生活を描いた作品も多い。
1901年(明治34)、宮武外骨(がいこつ)が大阪で創刊した雑誌「滑稽新聞」は、辛辣な反権力漫画や過激な風刺文で人気を博した。このころ「時事新報」で漫画をえがきだした北沢楽天は、この雑誌に刺激されて、05年「東京パック」を創刊。同誌は、全頁カラー印刷という豪華さと、藩閥政治への辛辣な風刺漫画で人気を博した。
大正の漫画
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昭和戦前の漫画
「のらくろ」(田河水泡)
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横山隆一「フクチャン」

昭和戦後の漫画
手塚治虫「新宝島」映画的と言われた手法。「ストリーマンガ」の誕生
それまでの漫画なら一こまですませる描写を細分化して生まれた新たな運動性
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「鉄腕アトム」
アニメーションにもなった手塚の代表作。
「ジャングル大帝」とともにアニメはアメリカでも放映された。「ジャングル大帝」はデズニーの「ライオンキング」のヒントになった。


1977年に漫画は日本の総出版物の28%に達した。
60年代から大学生がマンガを読むようになった。
劇画(虚構の世界を現実のように描出した、漫画による物語)ブーム
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白土三平の「忍者武芸帳」と「カムイ伝」(徳川幕府による厳しい身分制度下、権力の重圧にあえぐ者たち。多彩な人物群と雄大な構 想、透徹した歴史観で綴る)

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つげ義春「ねじ式」(昭和43(' 68)年 ガロ 6月増刊号)

『ガロ』:長井勝一の主宰した漫画雑誌(1964年9月創刊)


70年代から80年代にかけて少女漫画が創作の中心
池田理代子「ベルサイユのばら」
萩尾望都(もと)「ポーの一族」「トーマの心臓」
竹宮恵子「風と木の詩(うた)」
大島弓子「綿の国星」
樹村(きむら)みのり「菜の花畑のむこうとこちら」
山田紫「しんきらり」

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高野文子「絶対安全剃刀」(白泉社 1982年1月)
山岸凉子「日出処(ひいづるところ)の天子」
高橋留美子「うる星やつら」「らんま1/2」
 少女漫画のコマ割りなどの技法を少年漫画に導入。世界的作家となる。

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大友克洋「童夢」
それまで高校生や貧乏学生の日常やそこにひそむ狂気を多く描いていた大友克洋がはじめて手がけたSF長編がこの「童夢」。緻密で正確なデッサンと新鮮な構図、映画を思わせるコマ割りは漫画とその周辺の作家や評論家たちをおどろかせた。

江川達也「東京大学物語」 実験的画法と大衆性の結合

井上雄彦「バガボンド」 肉体の躍動の細部を拡大することで生まれるダイナックな絵とストリーの展開 筆による細密かつエネルギーの噴出を伝える絵
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巨大なメディアとしてのマンガ
日本の出版部数の4割はマンガ。
60代以下のあらゆる年齢層に読まれ、あらゆる題材を扱っている。
記号体系(世界)としてのマンガ
 マンガの絵は写実ではなく、絵文字(記号の一種である)。
なぜ日本でマンガがこれほど発展したか
 漢字(絵文字)とかな(表音文字)の併用が、絵と言葉との併用という表現体系を発展させるに適していた。
 マンガの絵は線によってさまざまな情感を付与される。
 吹き出しの形によって言葉はその情感と語り手を指示される。
 コマ割りによって時間と空間が圧縮されたり解放されたりする
      
by takumi429 | 2007-05-16 00:26 | メディア社会学
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