9. 公共性の変容としての近代---アーレント・ハバーマス---

9.公共性の変容としての近代---アーレント・ハバーマス---

アレント Hannah Arendt 1906~75 ドイツ生まれのアメリカの政治哲学者。ユダヤ
人の家庭に生まれ、マールブルク大学でハイデッガーとブルトマンに、ハイデルベル
ク大学でヤスパースに、フライブルク大学でフッサールにまなび、1928年、ヤスパー
スのもとで「アウグスティヌスにおける愛の概念」によって学位取得。33年、ナチス
政権(→ ナチズム)の成立とともにフランスにのがれ、パリでユダヤ人の亡命救援活
動をおこなう。41年、アメリカに亡命し、カリフォルニア大学、プリンストン大学、
シカゴ大学などで教授活動をおこなった。
反ユダヤ主義の追求
第2次世界大戦後、アレントは旺盛な著作活動を開始する。彼女の名を一躍広めた「全
体主義の起源」(1951)では、19世紀末の帝国主義と反ユダヤ主義の動向を考察しなが
ら、ナチズムとボリシェビズムに代表される全体主義国家の思想史的背景を追求した。
「人間の条件」(1958)で、公的領域の人間的意味の喪失に現代社会の危機をみて、「革
命について」(1963)で、公共空間の回復に革命の現代的意義があると主張した。「イ
ェルサレムのアイヒマン」(1965)は、彼女が「ニューヨーカー」誌の特派員として傍
聴した、ユダヤ人大量虐殺(→ ホロコースト)の責任者アイヒマンの裁判記録である。
ほかに遺著として「精神の生活」(1978)がある。

『人間の条件 The Human Condition』(1955)

人間の条件=人間に地球上での生命が与えられた際の根本的な条件
(1) 生命それ自体=生まれてくるものであるということ(natality)と
死すべきものであるということ(mortality)
(2) 世界性(worldliness)=人間存在の非自然性
(3) 複数性(plurality)=地球上に生き、世界に住むのがひとりの人間ではなく複数
の人間であるという事実)

人間の活動力=人間を条件付けるさまざまな条件に人間が対処するための能力
(1) 労働labor=生命を維持するための活動力 (飲み食うことのための活動性)
(2) 仕事work=持久・永続するものをつくって自然とはことなる人工の世界を作り上
げる活動力
(3) 活動action=人と人との間でおこなわれる唯一の活動力。おもに言葉を通じて互
いを提示しあうこと。

活動の場こそ、明るい光(人びとの注目)に照らされた公共の世界であり、政治の世界
であった。
それは典型的にはギリシャの都市国家のアゴラ (広場) で体現されていた。

『革命について』(1963)
政治とは自由な公的空間の創造のことである。アメリカの独立戦争はそうした自由な空
間の創出をめざした革命である。それは、人民の必要のための独裁という形をとったフ
ランス革命やその派生体である、ロシア革命とは一線を画するのである。

全体主義論
ナチズム(ヒットラーの独裁)もスターリニズム(スターリンによるソ連の独裁)もと
もに、人民の必要をかなえてやるという形でおこなわれた全体主義(個人は全体(国家、
民族、階級など)の構成部分として初めて存在意義があると考え、国家権力が個人の私生活にま
で干渉したり統制を加えたりする体制、あるいはそれを是認する思想)にほかならない。

近代への移行というのは、公共の世界が失われ、生きるための労働を重視し、人民を食
わせてやるための国家が支配するようになったことである。それは人間の自然的な欲求
に答えるような社会の支配の増大した時代であり、労働が支配する世界である。つまり
公的な活動の領域が消え去った「暗い時代」なのである。



フランクフルト学派 の問題意識
フランクフルト学派 フランクフルトがくは Frankfurter Schule 1924年に創設され
たフランクフルトの社会研究所にあつまった思想家たちの総称。ホルクハイマー、アドル
ノ、ベンヤミン、マルクーゼ、レーウェンタール、ポロック、フロム、ノイマン(最後の2
人はのちにたもとをわかつ)などがその第1世代。機関誌「社会研究」を発行。

理性の変容
本来、全体との対話的な調和をなしていた理性(真偽・善悪を識別する能力)が、目的
のための手段を計算する道具的な理性へと堕落してしまった。

ハバーマス の統合(折衷)
ハーバーマス 1929‐
Jurgen Habermas
ドイツの哲学者,社会学者。いわゆるフランクフルト学派の中に育ち,《公共性の構造
転換》(1962)によってハイデルベルク大学教授となり,まもなくフランクフルト大学教
授として哲学と社会学を講じた。つぶさに学生紛争を味わい,1971年以降は,科学技
術によって刻印されている現代文明世界における人間の生体験の諸条件の研究を目的
とするマックス・プランク研究所教授に任ぜられ,その後もきわめて多産な著作活動を
展開している。学派的には M. ホルクハイマーと T. W. アドルノの衣鉢をついだ第2
世代フランクフルト学派のマルクス主義者であるが,とくに社会学における批判的合理
主義(H. アルバート,K. R. ポッパー),精神科学における解釈学(H. G. ガダマー)と
の方法論争をつうじて,マルクス主義に従来欠けていた柔軟な方法論的基礎を与え,西
欧マルクス主義の再構成に大きく寄与した。主著《史的唯物論の再建のために》(1976)
ほか。

生活世界:話し合いによって人びとが交流し合う世界。ここでの人びとの行為は、コミ
ュニケーション的行為(話し合うこと)である。
システム的世界:企業や官僚などによって管理・支配された世界。ここでの人びとの行
為は目的合理的な行為である。

近代とは、システム的世界が生活世界を浸食することである。

社会のマクドナルド化
(George Ritzer”The McDonaldization of Society” ジョージ・リッツア『マクドナルド化する社会』正岡寛司訳早稲田大学出版1999年)
マクドナルド化とは、「ファストフード・レストランの諸原理がアメリカ社会のみならず世界の国々の、ますます多く部門で優勢を占めるようになる過程」(前掲書、p18)のこと。マクドナルドが、徹底したマニュアル化や、巨大な"M" の文字に代表されるイメージ戦略、どこでも同じものを食べれる安心感、そして最も重要な要素である速さ(調理時間だけでなく、食事をする時間を含めて)の追求を通じて、人々の価値観すら変えてしまうということである。
マクドナルド・モデルの4つの次元。
1.「効率性、いいかえればある点から別の点に移動するための最適な方法」(p30)を与えることである。店長や従業員が効率的に作業するのはもちろんのこと、消費者は、空腹を効率的に(要するに手早く)満たし、さらに、車から降りることなくドライブスルーで商品を手に入れ、走りながら食べることができる。消費者が、効率的に空腹を満たすということは、店にとっては、客の回転率があがるということである。面倒なフォークやナイフも要らず、ゴミは客が捨ててくれる。マクドナルドのキッチンは工場のようだが、客も工場のラインの上を流れ作業で処理されている。
2.計算可能性である。「マクドナルド化する社会では、ものごとを数えられること、計算できること、定量化できることが重視される。」(p106)。このことは、特に、質より量の傾向をもたらす。"ダブル何とか"という誘惑によって、人々は「消費者は小額で大きな食べ物を得ているのだと思いこまされる」(p108)。また、計算可能性は、効率性追求のためにも重要な役割を果たす。すべてを数に置きかえることによって(特に時間)、効率性の判断はたやすくなる。
3.予測可能性である。それは「マクドナルドが提供する商品とサービスがいつでも、どこでも同一であるという保証である」(p33)。常に同じサイズ、同じ味、同じ焼き具合のハンバーガーをアメリカでも、日本でも、モスクワでも食べることができる。ハンバーガーと同じように、マニュアル化された定員の応対も同じである。消費者にとって、これほど安心できることはない。そこでは、すべての客が平等に扱われる。可愛い女の子の客が、販売員にナンパされる可能性さえない。
4.「制御、とりわけ人間技能の人間によらない技術体系への置き換え」(p34)である。マクドナルドの調理の過程は、完全にマニュアル化されている。調理するアルバイト学生は、まるで機械のように定められた動作を、定められた時間で行うよう徹底されている。それでも、人間である以上間違いがあるので、間違いがないようできる限りの作業を機械に置き換えようとする努力がなされている。客でさえも、行列すべきライン、長く居座れないための座り心地の悪い椅子などによって制御されている。

マクドナルド化は、非常に合理的システムである。この合理的システムは、効率性の名の下に人間らしい行為―例えば食事―を単なる面倒ごとに替え手早く終えることをよしとさせ、すべてを数字に置き換え、意外性のない食事を提供し、常に同じ反応を相互に期待させ、人間を機械のように扱う。それに魅入られた人々は、「多くの選択肢で心を乱されたりしない世界が気に入っているので、合理化しつづけるこの世界よりももっとよい世界があるなど思いもしない」(p282)ようになっている。

他の分野への広がり マック歯医者、マック医者 誕生と死がマック的に扱われる
ジャンクフード・ジャーナリズム(USTody) マック大学 
 
合理化が非合理を生む  長い行列 大量のゴミ 味気ない食事
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by takumi429 | 2006-03-18 01:00 | 社会学入門 | Comments(0)
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