7.オーソン・ウェルズ
オーソン・ウェルズ アメリカの俳優、監督、プロデューサーとして活躍したオーソン・ウェルズは、はやくから演劇の世界に入り、斬新(ざんしん)な舞台づくりにとりくんだ。1938年にH.G.ウェルズ原作による「宇宙戦争」をラジオドラマ化した際、放送を聞いた視聴者が実際に異星人から攻撃されていると思いこんでパニックになったのは有名な話である。(しかしそのときのラジオドラマの録音を今聴いてみると、これはドラマであるということわりの文句を聞き逃すとほんとうのニュースのように聞こえてしまうことがわかる。ウェルズはそのことを意識しており、たぶん確信犯だったと思われる。「市民ケーン」でも「宇宙戦争」のニュースに俳優を登場させてリアルに見せる手法が採られている)。。その後、映画史上の最高傑作にかぞえられる「市民ケーン」(1941)を製作し、監督、脚本、主演までこなしたが、そのとき彼はまだ25歳の若さだった。 オーソン・ウェルズ Orson Welles 1915~85 歴史的な名作「市民ケーン」(1941)の監督・主演で知られるアメリカの俳優・プロデューサー・監督・脚本家 ウィスコンシン州ケノシャで生まれ、大学を中退して世界旅行にでかけたが、1931~32年、アイルランドで俳優生活をはじめた。キャサリン・コーネルの一座とともにアメリカ各地をめぐり、フェデラル・シアター・プロジェクトでは俳優と監督を担当している。37年マーキュリー劇団を創設し、斬新な舞台やラジオドラマの製作をはじめた。38年にはH.G.ウェルズ原作による「宇宙戦争」をラジオドラマ化したが、表現があまりにリアルであったため、実際に異星人による攻撃がおこっていると信じた人が続出した。 25歳のときにはじめて映画を手がけ、映画史上の傑作として名高い「市民ケーン」を製作した。ここでは、共同で脚本を書き、主演・監督をつとめて、アメリカの新聞王の内面をさぐりだそうとした。斬新な表現主義的手法で映像と音声をあつかいながら、パン・フォーカスやモンタージュなどの技法をたくみにとりいれたスタイルは、のちの映画作家たちに多大な影響をあたえることになる。しかし、商業的には思わしくなく、その後の20年間をほとんどヨーロッパですごしながら、俳優・監督としての実験をつづけた。監督作は、スリラーからテレビ・ドキュメンタリー、シェークスピアの戯曲の映画化まで、広範囲におよんでいる。 オーソン・ウェルズの「市民ケーン」(1941)は、アメリカ映画史上の最高傑作ともいわれる。ウェルズが監督、脚本(共同)、主演のすべてをこなし、新聞界の大立者ランドルフ・ハーストをモデルにしたチャールズ・フォスター・ケーンの波乱の生涯をたどった。グレッグ・トーランドのカメラによって、きわめて表現主義的なイメージと斬新(ざんしん)な演出が生きている。映画は、ここに収録したように、ケーンが「バラのつぼみ」とつぶやいて死ぬ場面で幕を開ける。極端なクローズアップ、すばやい画面切り換え、通常ではありえないカメラアングルが、この重要な瞬間のミステリアスな雰囲気をもりあげている。この言葉の意味をもとめて記者たちがケーンの生涯をさぐっていき、最後の最後に謎(なぞ)が明かされる。 「市民ケーン」以後も自作に出演することが多く、主要な作品には、「偉大なるアンバーソン家の人々」(1942)、「ストレンジャー」(1946)、「上海から来た女」「マクべス」(ともに1948)、「オーソン・ウェルズのオセロ」(1952)、「黒い罠(わな)」(1958)、「オーソン・ウェルズのフォルスタッフ」(1966)などがあげられる。監督作にはこのほか、「恐怖への旅路」(1943)、「アーカディン氏」(1955)、「審判」(1962)、フランスのテレビ局のためにつくった「不滅の物語」(1968)、セミドキュメンタリー「オーソン・ウェルズのフェイク」(1974)がある。 死後、未完のまま公開された作品には、1955年から長期にわたって製作がつづけられた「ドン・キホーテ」と、42年に南アメリカで撮影された「イッツ・オール・トゥルー」がある。また、監督・俳優のジョン・ヒューストンが主演した自伝映画「風の向こう側」も70年から76年にわたる長期プロジェクトになったが、未完成のままいまだ公開されていない。ほかの監督の作品にも出演しているが、とりわけ「ジェーン・エア」(1943)や「第三の男」(1949)が有名である。75年にアメリカ映画協会の生涯業績賞を受賞した。 『市民ケーン』 新聞王ハーストとその愛人・女優のマリオン・ディビスのゴシップを種にして映画を作りあげている。しかしそれを知らない現代に我々にとっても、斬新な映像と語り口と特殊効果が詰まった画期的映画であることがわかる。 ハーストの圧力におびえた映画館と映画スタジオのためにこの映画はヒットできなかった。 ニュースに主人公のことを語らせる 大パニックを引き起こしたラジオ劇『火星人襲来』での手法を踏襲。 撮影構想 (撮影監督 グレッグ・トーランド) ・ディープ・フォーカス 被写界深度を深くとること(ピントが手前から奥までずっと合っていること) ・長まわし ・慣例どおりにシーンをカットに割ることの排除。そのために、シーンをキャメラからみて複数の距離平面に分割することや、キャメラを動かすことなどの技法も使わない。 ・キャメラ移動の大がかりな振り付け。 ・コントラストの強い画面をつくる証明 ・一部のシーンではいわゆるUFA(Universum-Film-Aktiengesselschaft1917年に設立されたドイツ最大の(独占的)映画会社、第二次世界大戦後解体、のち部門別に復活)スタイルの強烈な表現効果をつかうこと。 ・ローアングルのキャメラ位置、そのためにモスリン布の天井つきセット。 ・強烈な視覚効果を多用すること―――たとえば複合ディソルヴ(dissolve:ある場面から次の場面へ重なりながら映像が転換する)、極端に被写界深度の深い画面効果・光源に直接カメラをむけること、など。 ほとんどすべてが、当時の大手スタジオ調の撮影狩猟に反旗を翻すものだった。 (Carringer1985 邦訳118頁)。 ひとりの男の人生が複数の語りによって描かれる →黒沢明『羅生門』:一つの事件がさまざまな人間の語り口で語られる「羅生門的現実」 プロット(映画での語られ方)とストーリー(語られる元のお話) 特殊効果 映画の80%に二重焼きなどの特殊効果が用いられている。 声の重なり (←→交互に話し声が入る) 映画にしかできないことをやってやろうという若々しい野心と創意に満ちた作品 語り口(plot) C.クレジットタイトル(製作者名や配役などの字幕) 1.ザナドウ:ケーンの死 2.撮影室: a.ニュース映画 b.「バラのつぼみ」をめぐる記者の会話 3.ナイトクラブ:トンプソンのスーザン取材 4.サッチャーの図書室: a.トンプソンが入りサッチャーの草稿を読む (第1のフラッシュバック[回想シーン]) b.ケーンの母が少年をサッチャーの元へと手放す c.ケーンは成長し新聞社を買い取る d.ケーンは新聞社を拡大する e.ケーンは新聞社を手放す (第1のフラッシュバック終わり) f.トンプソンは図書室を出る。 5.バーンシュタインの事務室: a.トンプソンはバーンシュタインを訪れる。 (第2のフラッシュバック) b.ケーンは新聞社を買い取る。 c.モンタージュ:新聞社の発展 d.パーティ e.ケーンの渡欧についての会話 f.ケーンがフィアンセ、エミィをつれて帰国 (第2のフラッシュバック終わり) g.バーンシュタインは回想を終える。 6.養護ホーム: a.トンプソンはルーランドと話す (第3のフラッシュバック) b.朝食のモンタージュ:ケーンの結婚生活の悪化 (第3のフラッシュバック中断) c.ルーランドは回想を続ける。 (第3のフラッシュバック再開) d.ケーンはスーザンと会い、彼女の部屋に行く e.ケーンの政治キャンペーンのクライマックス f.ケーン、ゲッティス、エミィ、スーザンの対面。 g.ケーンは選挙にやぶれルーランドは転勤したいと申し出る。 h.ケーン、スーザンと結婚。 i.スーザンのオペラ初日 j.酔ったルーランドの代わりにケーンがルーランドの劇評を書き上げる。 (第3のフラッシュバック終わり) k.ルーランド、回想を終える。 7.ナイトクラブ: a.トンプソンはスーザンと話す。 (第4のフラッシュバック) b.スーザンの歌のリハーサル c.スーザンのオペラの初日 d.ケーンはスーザンが歌い続けることを強要する。 e.モンタージュ:スーザンのオペラの経歴 f.スーザンの自殺未遂、ケーンはスーザンが歌を辞めることを許す。 g.ザナドウ:退屈するスーザン h.モンタージュ:ジグソーパズルをするスーザン i.ザナドゥ:ケーンはピクニックを提案する。 j.ピクニック:ケーンはスーザンを平手打ちする。 k.ザナドゥ:スーザンはケーンのもとを去る。 (第5のフラッシュバック終わり) l.スーザン、回想を終える。 8.ザナドゥ: a.トンプソン、レイモンドと話す。 (第5のフラッシュバック) b.ケーンはスーザンの部屋をめちゃめちゃにして紙押さえを取り、「バラのつぼみ」とつぶやく。 (第5のフラッシュバック終わり) c.レイモンドは回想を終え、トンプソンは他の記者と話し、全員が去る。 d.カメラはケーンの持ち物を次々と写し、雪車の名前を写し出し、さらに門、城を写し、終わる。 E.エンド・クレジット 編集 ロバート・ワイズ 朝食のモンタージュ・シーン 文献 アメリカの映画評論家ポーリン・ケールは『スキャンダルの祝祭』(小池美佐子訳、新書館1987年)で、『市民ケーン』の脚本はほとんど忘れられた脚本家マンイーウィッツが書いたものであるとした。またその表現主義的映像は、『風とともに去りぬ』でアカデミー撮影賞を取った撮影監督グレッグ・トーランドが、ウーファの撮影監督だったカール・フォロイントの教えを発展させたためとした。 バランスのとれた記述としては ロバート・L・キャリンジャー(藤原敏史訳)『『市民ケーン、すべて真実』(筑摩書房、1995年)がある。
by takumi429
| 2007-06-22 00:39
| 映画史講義
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