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都市の社会学 パリ 2

都市の社会学 パリ 2
現在のパリの形を作り上げたのは、第二帝政期におけるオスマンの都市改造であった。その都市改造を、松井道昭『フランス第二帝政下のパリ都市改造』(日本経済評論社1997)に依ってみてみることにしよう。

1789フランス大革命
1804皇帝ナポレオン1世、載冠聖別式
1814王政復古
1832パリでコレラ大流行、死者19000人。
1848第二共和政
1951ナポレオン3世、クーデタにより帝政開始。
1852-1870 ナポレオン3世がオスマン男爵をセーヌ県(パリとその周辺)知事に任命。オスマンの監督下で大規模な都市改革が実施さる。中央市場、駅、ビュット=シューモン公園、ブーローニュの森、ヴァンセンヌの森、オペラ座、下水道が誕生。ルーブル宮改修工事完成。グラン=ブルヴァールが建設される。パリは20の区に分割。
1955パリ万国博覧会。
1867パリ万国博覧会。
1870普仏戦争。スダンの闘いでプロイセン軍の捕虜となる。第3共和政発足。
1871パリコミューン、ヴェルサイユに鎮圧される。

オスマンによるパリ改造
1.街路整備
シテ島の切開 パレー大通り、貧民街の撤去
パリの十字路 リヴォリ通り(コンコルド広場-バスティーユ広場)・セバストポール大通り(東駅-セーヌ川)。密集街区アルシス街区の一掃。
セーヌ左岸 セバストポール大通りとパレー大通りの延長=サン=ミッシェル大通り、サン=ジェルマン大通り(コンコルド広場-バスティーユ広場)、ポール=ロワイヤル大通り・サン=マルセル大通り(環状路)
鉄道駅への連絡 パリ北駅へのラ・ファイエット通りの延長:オスマン式斜行路の代表格。
ロータリーとしての広場 マドレーヌ広場。オペラ座。シャト=ドー(現レビュグリック)広場。エトワール広場(凱旋門)。
2.近隣市町村の合併
3.公共設備
①公園 小公園(square):家屋取り壊しでできた辻公園。計24ヶ所。旧市内で現存する小公園のほとんどが第二帝政期につくられた。
公園(parc) ビュット=シューモン公園。
        モンスーリ公園。
        モンソー公園。入り口にルドー設計の徴税請負人の関門
②森(bois) ブーローニュの森:ロンドンのハイドパークを模す。ロンシャン競馬場。
ヴァンセンヌの森。
  ③上水道 金持ちの住宅には直接水道が引かれ、家庭風呂が流行。
   下水道 第1下水管:歩道下に埋設される高さ230㎝以上、幅130㎝以上。
第2下水管:高さ240~390㎝、幅150~400㎝。
第3下水管(アニエール集合管):パリの下水をすべてコンコルド広場下に集め、パリ北西郊外のアニエールで放流する。
      下肥 以前はすべて汲み取り。浄化槽にしばらくためてから下水坑道に排出。
4.公共施設
  区役所の新築・増改築
市場 ラ・ビレット:屠殺場・家畜市場
   中央市場(パリの胃袋):鉄とガラスの建築物
5.公共輸送機関
乗合馬車
市内環状鉄道:市内に散らばった鉄道駅をつなぐ。最初は貨物用。

財政 「生産的支出の理論」「良き種は収穫において多くを産する」
  事業のうち公的性格の強いものには全額公的支出。
  その他の事業には、必要な経費を起債(主に市債)で捻出し、のちに不動産を再売却することで償還する。(安く収用して高く分譲する)。→ゾラ『獲物の分け前』
  パリ公共土木事業金庫・不動産銀行:土地の「譲渡証書」(債券)による融資
  →議会での指弾を受け、オスマン退任(1970)

功罪
1.建設ラッシュによる地方からの移民。さらに外国人移民。
2.家賃高騰:70~80%前後。賃金20~30%上昇。
3.セグレガシオン(ségrégation オランダ語のアパルトヘイトと同義):階層別棲み分け。
   立ち退かされ、あるいは家賃の上昇から逃げ出した貧民は市の北東(「パリのシベリア」)に追いやられた。←諸階層の混住
   新興ブルジョワは市の西部に住むようになる。

オスマンの都市改造は、貧民も貴族・上流階級にとって益は少ない。むしろ勃興しつつあったブルジョワにとって大いに歓迎されるものであった。→「パリのブルジョワ化」
パリ中心部に富裕な層が住み、北東部に貧しい層が住むという構造は今日ににまで引き継がれている。

<パリの遊歩者>
『パリの社会学』のなかのコラム「モンソーからエピネットへ」にしたがって、17区のモンソー公園から北東のエピネット地区へ環状高速道路まで歩いてみよう。
このルートを歩くと、まるでジェットコースターで駆け下りていくように、パリのもっとも豊かな地区から貧しい地区へと移動することになる。

モンソー公園Parc Monceau
もともとはオルレアン公の庭園だったこの公園を、財界人ペレールは一部を豪邸用に区画分譲した。その結果、公園を囲むように豪邸が建ち並んでいる。エミール・ゾラの小説『獲物の分け前』はオスマン都市改造のさなか地上げで巨万の富を得る者たちを描いているが、主人公サッカールの邸宅のモデルの1つになった、ムニュ邸がこの公園に面している。
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Sainte-Marie-des- Batignolles教会
このあたりはポルトガル人の大きなコミュニティがある。
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低家賃団地(HLM)
外見はきれいだが、その前の道は未舗装で犬の糞が散乱していた。
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ティレーヌの城壁の外側にあったZone(軍事用の空き地)跡に立てられたスポーツ施設
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by takumi429 | 2007-07-16 12:44 | 都市の社会学 パリ
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