都市の社会学 パリ 10

都市の社会学 パリ 10
(8パリの社会学 Ⅴ より)
パリはブルジョワの街、左翼の街か?首都の逆説的選挙
2001年市会議員選挙
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灰色:右派議員が多数
黒色:左派議員が多数

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赤が社会党、緑が緑の党、青が保守党 (ル・モンドより)
http://www.lemonde.fr/web/vi/0,47-0@2-823448,54-920934@51-921954,0.html
パリの東部と(HLM低所得者集合住宅の多い)郊外で左翼が強い。
パリはブルジョワ化しているが、それは資産家であるよりもブルジョワ自由民によるものであるために、政府批判と左翼的傾向が継承される。

〈パリの遊歩者〉
サクレクール教会(Basilique du Sacré-Cœur)

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パリ,モンマルトルの丘の上に建つ巡礼教会。普仏戦争の敗北,パリ・コミューンとうち続く社会的混乱からの回復を願った国家的行事として建設が企画され,アバディー Paul Abadie(1812‐84)によるロマネスク・ビザンティン様式の案(1874)が採用された。その範となったのは,アバディー自身その修復に携わった南仏ペリグーのサン・フロン大聖堂である。実際に着工したのは1877年で、約4000万フランの費用と40年の歳月をかけ、1914年に完成したものの、礼拝のために開放されたのは第一次世界大戦の終わり、1919年のことであった故に、この寺院は皮肉にも普仏戦争以来のドイツに対する復讐の象徴として多くのフランス人から捉えられた。建設中は,パリの景観を損ねる中世建築のまがいものと批判されたが,今日ではパリに欠かせない名所となっている。現在は観光地として人々を魅了している。映画「アメリ」の撮影場所としても知られている。(Wikipediaより)
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サンチエ地区(レ・アールの北)
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入り組んだアーケードに服飾業者の店が建ち並ぶ(→昔の岐阜駅前の問屋街)
パリの服飾業の中心←脱植民地化(北アフリカのユダヤ人社会がパリにもどってきた)
ユダヤ人の出もどりはピエ・ノワールの出もどりより前
ピエ・ノワール (Pied-noir) とは、かつてフランス領北アフリカ、特にアルジェリアにおけるヨーロッパ系住民で、これらの地域の独立後、フランス内地に引き揚げてきた人を指す。
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服飾業界
(1)生地の卸売業者
(2)製造業者(モデルを考案し卸売業者のところで生地を選び、その生地を自分の工房で截(たったり)、截らえたりする。服飾業界の中心)
(3)請負業者 
路上 仕事場かつ運搬場かつ一時的倉庫
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パリ全体よりも高い、サンティエの外国人率(%) (1994年資料)
         フランス人  欧州出身外国人 欧州外からの外国人
サンティエ地区   72.8     7.8      19.4
パリ         84.1     4.8      11.1

歴史の古い中心部へ元の階層がもどってくる流れ
1982年から1990年にかけて
中級および上級管理職の上昇率 パリ全体24%、サンティエ地区43%
中国人の進出がめだつ 中国で造ってパリの持ち込み売りさばく

サン・ドニ通りには娼婦が立っている。
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by takumi429 | 2007-07-24 14:26 | 都市の社会学 パリ | Comments(0)
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