2009年 07月 02日 ( 5 )

3.2「臨床の知」の探求

3.2「臨床の知」の探求
 形式的理論から人工知能論へ
私たちは、知識や理論というものを、現場からはなれた、現場から抽出したものとして理解することになれています(理論を、現場の状況に拘束されない、命題の形で述べることができるととらえるプラトン以来の考え方のことを、ベナーたち[1999]は「形式的理論」と呼んでいます)。知識や理論にたいするこの考えを推し進めると、人間は自分のまわりの世界のあらゆるものに言葉という記号を割り当てて、頭のなかでその記号(記号)を論理的に処理している、一種の装置だ、という考え方が生まれてきます。すなわち、人間は一個の「情報処理装置」とみなされるわけです。
 「ブール代数」という数学理論の登場によって、命題も一種の(記号)計算としてあつかうことができるようになりました。これによりもともとは計算機であったコンピューターは、論理計算もできることになりました。その結果、コンピューター(電脳)にも人間と同様の情報処理ができるのではないかと期待されるようになり、こうして生まれたのが、人間のように思考できる機械、すなわち、「人工知能」の考えです。
 
 エキスパート・システム
 医学の診断は患者のさまざまな症状から想定される疾患を絞り込んでいくことだといます。症状とその症状をもたらす疾患とのつながりをいくつも重ねていけば、疾患が絞り込まれる。これは一種の知的な情報処理に他ならない。だから医師たちがしている疾患と症状の連関をコンピューターに覚え込ませて、情報処理させれば、医師とおなじような診断ができるようになるだろう。こうしてうまれたのが、「エキスパート・システム」という人工知能でした。
 では機械(電脳)は人間のエキスパート(達人)と同じレベルに達することができるのでしょうか。人間が情報処理の装置にすぎないならば、そのはずです。
 人工知能論は、電脳がエキスパートになることができる、いいかえれば、人間は情報処理の装置であると考えてきました。この人工知能論の考えに公然と反対している論者に、ヒューバート・ドレイファスという哲学者がいます。
 
 反人工知能論
 ドレイファスは言います。人工知能論では、人間は世界の事実を個々ばらばらのデーターにして、そのデーターを頭のなかで規則にしたがって計算している、そうした装置とみなしている。しかし人間の思考はそれとは別物である。人間はまず身体をもつことで周りの対象についての経験をまとめあげている、しかもその対象もそれが置かれた状況から引き離されては意味をなさない。さらにそうした対象が、あるつながりをもつようになるのは、人間が目標や欲望を持っているからだ。すなわち、世界の事実をばらばらのデーターとして処理計算する人工知能は、目的と欲望をもって身体を通じて状況のなかで生きていく人間の思考はまねすることはできない、というのです。
 
 本当のエキスパートとは何か(技能修得の5段階モデル)
 ドレイファスは人工知能のよる「エキスパート・システム」などというものは、本当の人間のエキスパート(達人)のレベルには決して達しないと主張します。
 彼は、弟のスチュウアート・ドレイファスとともに、「技能修得の5段階モデル」というものを提唱しました。それによれば、人間は、①初心者(状況に関係なく規則どおりにふるまう)、②上達した初心者(状況依存の要素にも目配りするようになる)、③上級者(目標によって臨機応変にふるまう)、④熟練者(過去の体験・記憶を生かしてふるまう)、⑤達人(技能が体の一部になって意識されない)へと上達する。人工知能論の考えとはうらはらに、コンピューターはせいぜい②上達した初級者のレベルにしか達しない、と彼らは主張するのです。
 
 看護のエキスパート(達人)とは
 ドレイファスたちはこの理論を提唱するのと同時に、この段階説を看護の現場で検証してもらいました。その成果として生まれたのが、ベナーの『初心者から達人へ』です。
 ベナーによれば、看護婦も、①初心者(体温や血圧などのデーターだけに反応する)、②上達した初心者(繰り返し起こる意味ある状況に気づく)、③上級者(看護の計画をたてて看護できる)、④熟練者(状況を全体的にとらえ看護のコツ(Maxim)を理解し看護できるようになる)、⑤達人(状況を直観的に把握して問題を正確につかむ)、という段階を経て卓越した看護婦へと成長します。
 すなわち看護の現場にみられる人間の実践の知は、コンピューターの知のあり方とは異なり、目的と意欲をもつことで状況を直感的に全体的にとらえることができる知だというのです。この「臨床の知」のあり方でとりわけ特徴的だとされたのは次の点です。
 
 ①格言(Maxim)
 よくスポーツが下手な人が、うまい人に、どうやったらそんなにうまくやれるのか、聞くことがあります。しかしうまい人の答えは、たいがい、期待はずれの答えが多い。いわく「肩の力をぬくことだよ」とか「球をよく見て打てば良いのだよ」とか。下手な人にとっては何の助言にもならないことを言ったりします。こうした格言(コツ)というものは、ある程度やっている人にはわかるけど、初心者には何のことかわからない。
 マイケル・ポラニーという科学哲学者は、言語的な分析的な知に対して、非言語的・包括的な、人間の実践において現れる知のあり方を、「暗黙知」と呼びました(ポラニー[1980])。ポランニーによれば、この暗黙知において、こうした格言(金言)がしばしば現れます。「格言」とは「規則であるが、その正しい適用もまたそれに支配される技芸の一部」であり、「技芸の優れた実際的知識をすでに保有していない者は理解できず、ましてや、適用できないものなの」です(ポラニー[1985],29頁)。
 
 ②傾倒(コミットメント)
 これまで、熟達した看護をするためには、患者からある程度距離をとらなくてはならない、と思われてきました。そして患者のことを「看護の対象」と呼んで、患者を客観的にとらえるべきだとされてきました。しかしベナーは言います。
 「熟練した仕事には、あるレベルの傾倒と巻き込まれが必要である。これを研究して証明することは、看護婦は患者から距離を保たねばならないという、看護のイデオロギーへの挑戦である」(ベナー[1992],117頁)。
 患者への巻き込まれることで、患者が抱える問題を理解できるようになり、対応できるようになる。対象から冷たく距離をおいた知のあり方は、臨床現場の知のあり方ではないのです。
 
 ③物語的把握
 患者の状況に巻き込まれながら理解し把握するために、ベナーとその共同研究者たちは、患者の物語る話を重視する。単独でとりだされたデーターや兆候ではなく、患者の語る物語を理解することで、看護婦は直感的に患者の置かれた状況、患者の抱えた問題を理解し、それへの対応を把握するようになる、と言います。

優秀な・・・看護婦たちは、公式の看護記録や個人的な看護ノートをとる中で患者の物語を知ろうとする。看護婦たちは、どの病気にもひとつの物語かあり(計画か危機に瀕する、あるいは頓挫する、人間関係かかき乱されるといった物語)、患者の生活に起こっているそうした出来事によって症状そのものか特定の意味を帯ひてくることを知っているのである。病気の持つ意味を理解することによって看護婦は治療を容易にし、患者の回復を早めることかできる。治療の手立てがなく、治るのは無理という場合でさえ、患者とその生活にとって病気かいかなる意味を持っているかを理解することは癒しの一形態である。そうした理解に支えられることによって、患者は病気に伴う疎外感・自己理解の喪失感・社会的一体感の喪失を克服できるからである。
(Benner/Wurbel,1999 邦訳11)
・・・人間存在の体系的研究に必要なのは、人間の生の物語的な統一性に注意を向け、
人の生き抜く意味と関心を内在的視点から理解(解釈)するような方法論である。
(Benner/Wurbel,1999 邦訳440)

この人間の人生のもつ物語的統一についてはあとでまた取り上げることにしましょう。
 
 ④参加しながらの学習
 こうした臨床の知はどのように修得されるのでしょうか。ベナーたちは、教室で教育され学習された知識を現場で適用する、といったいままでの学習の仕方でこの臨床の知が修得されるとはみていません。むしろ看護婦は行為しつつ考えることで熟練の看護婦となっていく、というのです。
 こうした、参加しつつ学ぶ、という学習は、最近の教育学で、「状況に埋め込まれた学習」(situated learning) あるいは、「正統的周辺参加」(legitimate peripheral participation)と呼ばれ、最近注目をあびつつあります。これについて少し見てみましょう。

状況に埋め込まれた学習
私たちが普通、何かを学ぶ時は、まず教室でそのことがらの原理を学び、それから現場に出てその原理を実践するという手順をふむことが多くなっています(看護でもそうなっています)。しかし考えてみると、産婆、肉屋、操舵手、仕立屋など、いわゆる徒弟修行と呼ばれるものは、こういう学び方は決してしていませんでしたし、現在でも多くがそうした学び方をしません。徒弟修行などでは、まず教え、それからやらせる、わけではありません。すぐに現場に投げ込み、やっている脇に立たせたり、あるいは少しやらせ(参加させ)たりして、しだいに本人の体に覚え込ませていきます。この現場で実践しながら学ぶという学習のありかたは、教育によって学習し、それから現場にでていく、という学習の仕方とは、対照的な学習のあり方です。そこでは学習者は、もっぱら、現場で手伝いながら見よう見まねで覚えていくのです。現場の状況に放り込まれ、そこで学んでいく。つまり、状況のなかで(そこに埋め込まれたかたちで)学んでいくのです(こうした学習理論は最近「状況学習理論」と呼ばれ、大変注目されている)。もちろん、そうした現場への参加は、アルバイト気分の腰掛けでは勤まりません。最初から、「これは自分の仕事だ」と思って参加しなくてはいけないし、「半人前」とはいえ、その仕事をしている「正統な」人間として参加させられます。「修行中の若造」とはいえ、板場にいるかぎりは、「料理人の端くれ」であり、料理を作って食べさせているのです。とはいえ、まだ「半人前」の時には、全面的に任されるわけではありません(つまりフルに参加はしていません)。先輩や師匠の手伝いを脇からするという「周辺的な」関わり(参加)のなかで学んでいき、しだいに中心的な存在になっていく(つまりフルに参加する)。それが「一人前」になっていくという徒弟制度における学習なのです。この学習理論では「正統的周辺参加」というのはそういう意味です。

状況にうめこまれた行為
この「状況に埋め込まれた学習」の考え方のなかには、あらかじめ原理原則を学び、それにもとづいて計画を立てていっても、現場(状況)に入ってしまうと、じつはそれはあまり役に立たないという含みがあります。じつはこれは、行為一般をとらえ直すことにつながっています。ふつう、行為というものは、計画(プラン)を立てそれを実行するという風にとらえられがちです。しかし、実際の行為というものは、そういう風にすすむわけではありません。実際は、その現場の状況のなかで、使っている物や一緒に作業している人との関わりのなかで行為は進められていくのです。完成図をイメージして作業するのではなくて、目先の道具と人との関わりのなかで実践はおこなわれていくのです。
完成図としてのプランと作業の違いということで例を挙げるなら、もっとも簡単な例として「三つ編み」を考えてみましょう。三つ編みを編んでいるときに、三つ編みができあがったイメージを心にいだいて作業はしていません。ただ三つに分かれた房の外側の房を他の二つの房のあいだに左右交互に織り込んでいく、ということをしているだけです。おそらくもっと複雑なレース模様の場合でも、作業中、完成図を頭に浮かべて作業しているわけではないでしょう。織り込んでいく作業を順次積み重ねていくことで、結果として模様ができるのでしょう。またそうなるよう作業を選びはするが、作業中は完成図を思い浮かべてはいないでしょう。
またたとえば、職場に車で行くとします。職場までのルートを選び、そのルートを走るために、エンジンをかけて、ギアをいれ、アクセルを踏み、ハンドルをきる・・・というふうには実際は考えていません。運転作業はぎゃくに細かな作業をほとんど無意識にしていくことで組み立てられていきます。「えーと、まずはシートベルトをして、それからエンジンをかけて、直進してからハンドルを切って、目的地へのルートの最初の道にでて・・・」などという風には考えたりはしません。もしそんなふうに考えて運転していたとしたら、そんな人間は本当の初心者です。
これに関しておもしろい研究を上野(1999)が紹介しています。

ビーチ(Beach,K.D.)は、バーテンダーによるカクテルの作り方に関する記憶の研究において、個人を越えた記憶系の働きを分析している。ビーチによれば、バーテンダーが、注文された飲物をつくるとき、主に二つの記憶方略が用いられているという。一つは、言語的な記憶方略であり、まず、注文されたいくつかのカクテルの作り方を言語的にリハーサルし、それから、このリハーサルにもとづいてカクテルを作るのである。もう一つは、実物にもとづいた記憶方略であり、たとえば、まず注文に応じて必要なグラスをバーのコーナーの上に並べ、さらに、すでに注がれた材料を手がかりにしてつぎの材料を注ぐのである。バーでは、異なったドリンクには、異なった形と色のグラスが用いられ、したがって、このとき、グラスの形や色が、どのようなドリンクをつくるべきかの手がかりになるというわけである。このような実物にもとづいた方略では、バーのコーナーにおかれたグラスの形や色が、注文されたドリンクの種類と数を表示している。また、あらかじめ注がれている材料が、つぎに何を注ぐべきかを示しているということになる。
 ビーチの観察によれば、熟練したバーテンダーは、実物にもとづいた記憶方略を用い、一方、非熟練であるほど言語的な記憶方略を用いるという。このことは、観察だけではなく、実験によっても確認されている。たとえば、言語的なリハーサルは非熟練グループに多く、また、通常のグラスで注文された飲物をつくるとき、つくるべき飲物の種類や混合の仕方のエラーは、非熟練グループのほうが、熟練グループよりもかなり多かった。一方、グラスの形や色をすべて同じにして飲物をつくるという条件では、妨害効果は、熟練したバーテンダーのグループのほうに著しく見られたが、非熟練グループにはほとんど見られなかったのである。さらに、このグラスの形や色を同じにするという条 件下では、注文された飲物の種類を間違えてしまうというエラーは、熟練グループのほうが、非熟練グループよりも多かったという。
(上野直樹『仕事の中での学習 状況論的アプローチ』1999年東京大学出版会5-6頁)
 
 人間はその仕事(実践)に習熟すればするほど、プランから行動するのではなくて、目の前のものとの関わりのなかから実践を組み立てていくのです 。
 
 (3)行為のとらえ直し
 状況的行為論によれば、人間の行為というものは、プランによって決定されているものではなくて、状況における道具(やその配置)や他の人間との関わりのなかで、編み出されていくものです。
 他方、ベナーたちは、「臨床の知」の探求から、さらに行為をする人間のもつ身体性を着眼している。
 ベナーたちによれば、人間はこの世界に身体を持つ存在として生まれ、その限られた状況のなかで生きていく。人間はこの世界で生きるうちに「身体に具わる志向性」を持った「熟練技能を具えた習慣的な身体」を持つようになる。
「身体に具わる志向性(bodily intentionality)」とは「意味を帯びた状況にたいして、意識的反省抜きに身体がおのずと反応し行為を起こせるという具合に、人間が自分の身体になじんでいること」を指します(ベナー/ルーベル[1999],451頁)。また「熟練技能を具えた習慣的な身体」(habitual, skilled body)とは、文化的・社会的に修得された姿勢・身振り・習慣すべてをふくみ身体のありかたであり、それは習熟した技能をもつことができます(ベナー/ルーベル[1999],450-1頁) 。
 状況行為論と状況学習理論と、このベナーたちの行為論を結びつけるなら、人間は、具体的な現場(状況)のなかで、最初は脇の方から、見よう見まねで技能を体(身体)で覚え込んでいく。そしてその技能を用いて、現場のものと人と関わり合いながら、実践していき、そうして仕事を、さらに共同の社会を、編み上げていく、そうした存在と言えそうです。
 この観点からひるがえってみると、ヴェーバーとその影響を受けた学者たちは、行為というものを、あまりにそのプラン(計画)から眺めていたというべきでしょう。つまり行為を左右するのが、その計画であり、計画を作るのは彼らが信じる宗教教説であると考えられています。しかし現実の行為はもっと状況的であり、かつ身体的なのです。石門心学をまったく知らなくても、また儒教的教えをまるで知らなくても、禁欲的な労働にふさわしい身体訓練をほどこされた肉体が、資本主義的生産にふさわしい機械と労働者の配置の中に投げ入れられれば、資本主義的な生産は行われるのです。禁欲的な宗教教説の系譜がたとえ途絶え、たどることができなくても、身体訓練と道具(機械)との関わりにそれが体現化されているならば、禁欲的な労働というものは生まれうるのです。こうして「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の研究の展開は、単に宗教的教説の系譜を追うのではなくて、むしろ、身体訓練と人間-機械系の系譜と連関に目を向けるべきだということになるでしょう。また理解社会学一般の問題としても、行為の意味の理解は、行為が組み込まれている状況と行為をする身体に目を向けなくてはいけないということになるでしょう。およそ、行為の意味というものが行為者にとって意識されるのは、むしろその行為がうまくいかなくなった場合であって、うまくいっているときは、目先の状況(道具と人との関わり)に寄りかかった形ですすめられていくと考えられるからです
 もちろん、日常行為に齟齬をきたし、生活に頓挫したとき、それをまとめ上げなくて行けないとき、行為の意味というものは強く意識されることはまちがいありません。しかしそれは行為のばらばらの意味ではないでしょう。むしろ個々の行為の意味はひとつのものへとまとめ上げられなくてはいけないでしょう。そのときそのまとまりとして現れるのはなんなのでしょう。つぎに、具体的なケースにそくしながら、意味とそれをまとめ上げるものについて考えていくことにしましょう。
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by takumi429 | 2009-07-02 08:54 | 臨床社会学 | Comments(0)

3.1 病者の意味世界 (看護理論の探求に学ぶ)

 3.看護に学ぶ臨床社会学
1病者の意味世界 (看護理論の探求に学ぶ)
(1)トラベルビーの看護理論  
病いに陥った人が抱える意味の喪失に着目して看護理論を作り上げたのが、ジョイス・トラベルビー(Joyce Trabelbee 1926-1973)という看護理論家です。  病気になった人間にとってその病気はまるで理不尽なものでしかありません。医療にたずさわる者もじつは「健康が一番」と考えている者が大多数です。だからその病気というものは否定されるべきものであっても、意味や意義のあるものとはみなされないのです。  トレベルビーは、医療側の人間、とくに看護婦には「治癒志向的な構え」が蔓延しているといいます。看護婦は病者の病いを否定的にとらえるのではなく、むしろ病者がその病いに対して、納得できるような意味づけができるように支援する必要があると彼女は主張します。  そのために看護者は、はじめの①患者との最初の出会い、という段階から、②お互いに共通なものを見いだして行き(同一性の出現)、③感情移入をしていき、④ともに苦しみ(同情し)、そうして、⑤打てば響くような関係を患者と自らの間に築くという、段階へ移行していかなければいけない、というのです。
 トラベルビーの看護理論は、『夜と霧』で有名なフランクルの「実存分析」の影響をうけています。ユダヤ人強制収容所に入れられたフランクルはそこで人々がその過酷な事態そのものに苦しむばかりでなく、その事態な理不尽で不条理な「意味のなさ」にも苦しむということを知りました。人間はいかなる事態においてもその意味というものを求めずにはいられない存在なのです。「意味を求める存在」としての人間という人間観を主軸に、人々に生きていることの意味探求を迫る学問として彼は「実存分析」を作り上げたのです。  この問題は社会学にとっては決して疎遠な問題ではありません。ヴェーバーが「神義論」という問題としてあつかったのはまさにこの問題なのです。  旧約聖書の『ヨブ記』のなかには、ヨブと呼ばれる敬虔な信者が登場します。敬虔な信者として幸せだった彼は突然、息子をすべて失い、みずからも原因不明の皮膚病の悩まされます。友人たちはこの不幸はヨブの不信心のせいにちがいない、悔い改めろと助言する。しかしみずからにやましいところがないヨブはその悔い改めの助言をすべて退け、最後には神さえも召喚して(呼び寄せて)、なぜ敬虔な信者だった自分がこのような目に遭わなくてはいけないか、と問いただします。神はそれに答えず、自分が天地を創造した時におまえはいたか、と叱咤する。それを聞いてヨブは神が自分のような人間のちっぽけな思慮を超えた存在であることを思い知り、神の前に深くひれ伏すのです。  病いなどの苦難にあった人々はまず「どうして自分がこんな目にあわなくてはならないのだろう」という義憤にも近い思いに駆られます。そうした苦難を宗教的に説明するものが「神義論」と呼ばれるものなのです。ヴェーバーは宗教社会学においてこの神義論の問題(苦難の意味づけ)を重視し、これが宗教論理の内在的な発展をもたらす契機(きっかけ)であるとみています 。
 (2)ベナー理論  解釈学的現象学  トラベルビーはフランクルの実存分析によって病者のもつ意味喪失と意味探求を明らかにしました。それに対して、パトリシア・ベナー(Patrcia Benner)は、ハイデッガーが『存在と時間』という本のなかで提唱した「解釈学的現象学」を使って、病者の意味の世界を読み解こうとします。  「現象学」とは、あえて単純化していうなら、「心の地図のなかに物事がどのように現れるか」を調べる学問だと言えます。「解釈学的」という意味は、そうした「心の地図」に現れる物事がそれをふくむ「文脈」のなかでどのように現れているのかを、(ちょうど文脈を大切にしながらテキストを解釈するように)、考察するのです。
 ハイデッガーによれば、物事が現れる「文脈」を作り上げているのは最大のものは、その人間の「気づかい」、すなわち何をもっとも気にしているか、関心をもっているかです。人間というものはこの世界にあって、常に、何かを気づかっている、何かに関心をもっている存在である。「気づかい」、「関心」のありようによってその人間にとってものごとは異なって現れる。  例えば、雨が降って濡れることを気づかっている人は自分の傘(かさ)を置いた場所を忘れません。しかし雨があがって晴れると、その気づかいはなくなり、目の前の傘のことも忘れて電車をおりてしまったりします。雨にぬれたくないという気づかいがあるかないかで、傘はその人の心の中に現れたり消えたりするのです。  卒業して結婚することに関心がある女子大生はいかに楽に講義の単位をとり、どんな車で彼氏が迎えにくるかと思って窓の外を見ているかもしれません。しかし卒業してキャリア・ウーマンになろうと思う女子大生は卒業後に役にたつ講義をよい成績でとり、講義の後は、セカンド・スクールに行ってパソコンの勉強をしようと考えているかもしれません。  つまり気づかいと関心のありようはその人間の心の世界のありようを規定しているのです。  病気になると、しばしばそうした心に現れる世界のありようを大きく崩れてしまいます。  乳ガンのため乳房を失った女性は、夫に愛されていた女としての世界が崩れてしまったと感じるかもしれない。猛烈社員は病気によって描いていた将来図が崩れ無気力におちいるかもしれない。手が十分にうごかなくなったピアニストは世界と自分とを結びつける決定的なものを失ったと感じることでしょう 。  ベナーたちはこうした意味的な世界の崩壊や撹乱を、「ストレス」と定義します。すなわち、「ストレス」とは「人に円滑な生活の営みを可能にしていた意味ないし理解(世界理解と自己理解)に撹乱が生じた結果、危害や喪失、試練が体験され、そこから悲嘆の情が誘発されたり、状況の再解釈や新しい技能の修得が要請されたりすること」です(ベナー/ルーベン[1999],451頁) 。  
こうした「意味のほころび」とでもいうべき、ストレスに対処するには、小手先の解決やごまかしではどうにもなりません。あくまでも意味の再建がめざされなければならない。そこでベナーは「対処(コーピング)」 を次のように定義します。 「ある個人の携えている意味が撹乱を受けて、生活の円滑な営みが阻害された時にその人の行うこと。対処の目的は意味の再建にあるから、何かに対処するとは、無限の選択肢から最適な戦力を選ぶということではない。」(ベナー/ルーベン[1999],452)  
乳房を失った女性は夫との愛情生活というものを(夫のとの協力と理解のもとに)単なる性愛のレベルとは異なるものとしてとらえ返さなくてはいけないでしょう。元猛烈社員は自分の人生の目的というものを考えなおさなくてはならないでしょう。手が動かなくなったピアニストは音楽との、さらに世界との別の接点を見いださなくてはならないでしょう。  ベナーによれば、看護とはそうした患者の意味の再建を患者の意味世界を理解したうえで支援していく活動にほかならないのです。 
すでにみたように、ヴェーバーの実人生においては、病いによる意味喪失を解決したのは、神の声を聞き預言するという預言者の主体的なありようを自ら再現することでした。ユダヤ王国の亡国の危機にあって預言者は神の声を聞きそれを人々に訴えました。ヴェーバーも、第一次世界大戦のさなか、亡国の危機にあるドイツのために新聞をつうじて、政治的意見を訴えました。つまり、亡国の危機にあったユダヤに向かって預言者たちは神の言葉を投げかけた、という物語をつかって、第一次世界大戦で敗戦と亡国の危機にあるドイツでジャーナリステックな自分の活動を、理解し自覚していったのです。
ハイデッガーの『存在と時間』においては、だれでもないありきたりな平均的な人間(「世人」)に成り下がった人間が、みずからを取り戻すには、良心の声をきき、死をみつめて、生き直そうと決意することが必要とされます。こうした一見、勇ましい、しかしじつはかなり、はた迷惑な実存主義は、ある時にはお説教臭い、あるときにはファシズムへの親和性さえもつものでした。  ベナー(と彼女が依拠するドレイファスの)ハイデッガー受容(Dreyfus[1994])は、こうした実存主義的な決断主義、『存在と時間』ではその後半にみられる、実存主義的な傾向を切り捨てます。そうして、人間が身体をもちながら世界の中に住んでいることを重視します。  知のありようは身体のありようと切り離せない。ベナーたちはこうした身体性とむすびついた知のありようを、看護現場の「臨床の知」のあり方を探ることで明らかにしていこうとしている。つぎにそれを見てみよう。
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by takumi429 | 2009-07-02 08:53 | 臨床社会学 | Comments(0)

2.理解社会学の誕生

2「理解社会学」の誕生
 さてこれまでみたように、社会学というのは机上の空論の性格をもち、時にはかなりイデオロギー的な偏りをもつものであり、そのため、じつはあまり現場に助言できるものではなかったといえましほう。
では社会学と病いというのは関係ないものなのでしょうか。そうではないと私は思います。すくなくとも社会学の巨人のひとりである、マックス・ヴェーバーがかれの「理解社会学」というものをはじめるようになったのには彼の深刻な病気体験があったのです。それをここでみてみることにしましょう。
 (1)ヴェーバーの病気体験  ヴェーバーは1864年4月21日にエルフルトというワイマールの近くの町でうまれたした。父は富裕な亜麻(アマ)布商人の家系を引く国民自由党代議士、母は敬虔なピューリタンです。幼いときからヴェーバーは、ヴェーバー家の「家督相続人」であるとの自覚に目覚め、それにふさわしくあろうと努力してきました。
長じてハイデルベルク、ベルリン、ゲッティンゲンの各大学で法律、経済、哲学、歴史を学びました。卒業後、一時司法官試補として裁判所に勤務したのち、学究生活に入りました。92年ベルリン大学でローマ法、商法を講じ、1994年に30歳の若さでフライブルク大学の国民経済学教授となり、1897年にはハイデルベルク大学の正教授となっています。
 今日の日本でも法学部などは25歳で助教授、35歳ぐらいで教授になります。ですからこの経歴は異例とまでは言えないでしょう。(ニーチェは22歳でバーゼル大学古典文学の正教授になっています。異例というならそういうのを指すべきでしょう)。しかしやはりきわめて順調な、まさに「飛ぶ鳥を落とす勢い」の出世ぶりだったことは間違いありません。同時代の社会学者ジンメル(1858-1918)がずっとベルリン大学の私講師にとどめおかれ、ストラスブール教授のなったのはその晩年(1914)だったこと。さらに当時からすでに社会学の古典的著作とみなされていた『ゲマンンシャフトとゲゼルシャフト』(1887)を書いたテンニース(1855-1936)がキール大学に教授になったのが1913年だったこと。どちらも50歳をすぎてようやく教授になったことを考えると、ヴェーバーの経歴がいかに恵まれていたかわかるでしょう。
ところが97年、突然、神経疾患に襲われ、公務を果たすことができなくなります。治療の努力のかいもなく、結局1903年には形ばかりと名誉教授となり、遺産と年金によって暮らすことになります。この深刻な落ち込みからの立ち直りのきっかけとなったのは、友人と一緒に『社会科学・社会政策アルヒーフ』という雑誌の編集を引き受けたことでした。彼はこの雑誌に「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という論文を書き、たいへんな論争を巻き起こしました。さらにその論争の答えるように『世界宗教の経済倫理』という題名の下に、「儒教」(のちに「儒教と道教」という論文なる)、「ヒンドゥ教と仏教」を書き、さらに第一次世界大戦中には「古代ユダヤ教」を書き、同時に『フランクフルト新聞』(ドイツの主要新聞『フランクフルト・アルゲマイネ』の前身)に論説を書きました。現在私たちが「社会学者マックス・ヴェーバー」の業績として読んでいるのは、ほとんどこの在野の学者としての業績です。
 教職にもどるのは、第一次世界大戦がおわった1918年のヴィーン大学からで、よく1909年ミュンヒェン大学に就任します。しかし1920年6月スペイン風から肺炎を併発。14日に56歳で死去しています。

さて、妻マリアンネによる有名な伝記(ヴェーバー[1963])によれば、彼の失墜の原因となった突然の精神疾患、つまり極度の緊張と疲労により一切の業務が果たせなくなるというこの事態には、あきらかな伏線があります。  すなわちそれは彼の父親の死です。  父親と母親の関係は決していいものではありませんでした。俗っぽい父親と、経験なプロテスタントの母親とは対照的な性格でしたし、父親は絶対的な支配権を握り家族の者を支配したがり、妻の行動の自由も奪っていました。(さらに妻が相続した財産を自由にしたがっていたらしいです)。1897年母親が息子たちのもとを訪問しようと計画していたのに父親は反対したのが直接のきっかけとなり、ついに事件は起きました。息子マックスは家族の面前で父親を激しく弾劾したのです。 「このとき、長いことくすぶっていた不幸が爆発したのである。息子は鬱積していた憤懣をもはや抑えることはできなかった。溶岩は砕けた。途方もないことが起こった。息子が父親を裁いたのである。女たちのいる前で審判がおこなわれた。」(ヴェーバー[1963],184頁)  この家族内の事件はさらにきびしい結末をもたらしました。息子による父親の弾劾の後、友人とともに旅にでた父親は胃の出血によって突然、死んだのです。  たとえ直接の原因がどうあれ、ヴェーバーは自分が父親を弾劾したことが父親の死の原因となった、きつい言い方をすれば、自分が父親を殺してしまった、と思ったにちがいありません。  父親を死においやってしまったという罪の意識、そして死に追いやった父の代わりにヴェーバー家の家長としての重責を担わなければいけないというプレッシャー。おそらくそれらがヴェーバーを極度の緊張と精神的疲労に追いやったのだろうと思われます。
(2)理解社会学の成立  だが病いによる挫折は決してマイナスのことをヴェーバーにもたらしてだけではありません。彼は手紙でこう書いている。 「このような病気はそれなりに好ましいところを大いに持っている。・・・なぜならぼくの病的な素質は今までの歳月のあいだ、それが何から自分を守るものかはわかななかったが、何か護符にしがみつくように学問的な仕事に痙攣的にしがみつくということにあらわれていたからだ。・・・病気であれ健康であれぼくはもうあんな風にはならないだろう。」(ヴェーバー[1963],189頁)  彼は病いに陥ることで、逆にそれまでの生活がもつ「病的な性格」を見据えることができたのです。そしてそこにある「職業人しか完全な人間とみなされない」(ヴェーバー[1963],208頁)という、家族だけでなくかつての自分の中にもにあった、偏見に気づくようになりました。  つまり彼はこれまでの自分の仕事ぶりを振り返り、それが家督相続者としての「証し」をまわりに示すための強迫的な仕事ぶりだったことに気がついたのです。仕事に邁進しすばらしい業績をあげて出世していくのが、ヴェーバー家の跡継ぎとしての自分の使命であり、仕事で成果をあげていくことが自分がヴェーバー家の跡継ぎにふさわしい人間であることを証明するのだ。病気以前はそう盲信してことに病気になってはじめて彼は気づいたのです。
 病気以前のヴェーバーには、仕事がまるで「使命」であり、仕事における成果が自分の存在の「証明」であるとの思いこみがあります。こうした抜きがたい、そして彼を苦しめついには神経の病にまで追い込んだ思いこみ(精神)はどこから来たのだろうか。彼はそうした精神の由来を歴史的な宗教の系譜の中に求めます。そうして生まれたのが、彼のもっとも有名な「「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という論文でした。
 ここでは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を要約してみましょう。ちょっと細かくなりますががまんしてください。

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の概要
                            
第1章 問題の提示
第1節 信仰と社会階層
統計をみると、資本主義に参加することと、プロテスタント(新教徒)であることとの間にプラスの相関関係がある。この関係に対して、一般的にはつぎのような説明が考えられる。(1)経済発展が改宗を引き起こした、(2)少数派は経済に専念する、(3)プロテスタントは世俗的だから、(4)営利活動の反動で宗教に向かった。しかしこれらの説明に対しては、(1)むしろ宗教性が経済志向を決定しがち、(2)ドイツではカトリックの方が少数派、(3)プロテスタントはむしろ非世俗的だった、(4)プロテスタントでは事業と信仰が仲良く同居していた、という反論が成立する。そこでむしろ、一見水と油のようにみえる、資本主義参加とプロテスタントであることが、じつは「親和的関係」(相性のいい関係)にあり、プロテスタンティズム(新教)から資本主義への参加、がじつは説明できるのではないか、と考えられる。それをこれから考察していくことにする。

第1章第2節 資本主義の「精神」
まず「資本主義の精神」を体現している思想として、フランクリンの思想を取り上げる。そこにみられる精神は、営利による資本の増大を自分の倫理的な義務とみなすような精神である。この精神はフッガーのような単なる金銭欲とはちがう、ある種の倫理性をもっている。
 この「資本主義精神」は、これまでどうり生きていければ良いする「伝統主義」とは対立する。ゾンバルトは経済の基調を、(1)「欲求充足」と(2)「営利」とに分けている。しかし営利活動が伝統主義によって営まれていることもある。だから「資本主義精神」は経営組織のあり方から自然に生まれるものではない。むしろこの精神が入り込むと、(私の叔父の例にみられるように)経営組織の形態が同じでも、劇的な変化がもたらされる。
 この精神はよく問うとみると、じつはきわめて倒錯的で非合理的である。けっして世俗的な目的を追求する合理性からうまれたのとは思えない。ではこの、営利活動を倫理的義務、すなわち「天職Beruf」とみなすような思想はどこにその源泉をもつのだろうか。

第3節 ルッターの天職概念
営利活動での資本増大を「天職」とみなすこの思想は、世俗の労働を「天職Beruf」と訳したルッターの宗教改革の精神に由来する。つまり彼は修道僧にしか通用しなかった「天職」の論理を世俗の仕事に適用した。しかし世俗労働を「天職」とみなすだけでは、「資本主義の精神」がもつ、資本の増大をたえず求める、あの駆り立てられるような心のありかたは生まれない。絶え間ない資本の増大へひとびとを駆り立てた起動力(Antireb)はどこにあったのかを知るために、プロテスタンティズムの禁欲思想にわけいることにする。
 
第2章 禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理
第1節 世俗内的禁欲の宗教的基盤
禁欲的プロテスタンティズムの、主な担い手は、(1)カルヴィニズム、(2)敬虔派、(3)メソジスト派、(4)再洗礼派系の教派、に分けられる。
 とりわけ(1)カルヴィニズムの「予定説」、すなわち、人は救いと滅びのどちらかに予定されており、それは変更不可能であるという教えは、決定的な影響力をもった。ピューリタン革命時のイギリスでまとめられた「ウェストミンスター信仰告白」にはこの教えが明記されていることからも、この教えが一般信者にとっても周知の教えだったことは明らかである。自信のない一般の信者が、救いに予定されていることの「証し」を求めるのは無理もなかった。ルッターは世俗の労働も神から与えられた「天職」とみなしてよいとした。だから修道院でおこなわれた合理的な禁欲的主義で世俗の労働を行うことが可能になっていた。カルヴァン派の人々はこの合理的・禁欲的な世俗の労働で「神の栄光」を増大させることに「救いの証し」を見いだそうとした。
 こうした傾向は(2)敬虔派、(3)メソジスト派でも同様であった。ただ両派では感情的側面が強く、その分だけ合理的な禁欲が弱まっている。
 (4)再洗礼派系の教派の教義はこれとはちがう。彼らは心正しき者だけから構成された「教会」を作り上げようとした。心正しさは精霊がその者に宿ることで証明される。だから精霊が宿るのを妨げるような、人間の本能的で非合理的なものを克服しようとした。その結果、合理的な禁欲主義をめざすことになったのである。
 こうしていずれの宗派の信徒も、神に召命された者であることの証しをもとめて、合理的で禁欲的な世俗労働へと駆り立てられたのである。

第2節 禁欲と資本主義精神
プロテスタントでは牧師が信徒の相談にのり指導することを「司牧」(Seelsorge)という。ここでは、この司牧の活動からうまれた神学書、とくにバクスターの書いたものをとりあげる。この司牧(魂のみとり)が宗教的な教えが日常生活へ影響する際の仲立ちの役割をしているからである。
 プロテスタント、とくにカルヴェン派、の司牧では、「救いの証し」とされる「神の栄光」の増大は、有益な職業労働から生まれるとされた。そしてその職業の有益さは、結局、その職業がもたらす「収益性」(どれだけ儲かるか)で測かることができるとされるようになった。しかも楽しみ事は徹底的に否定された。その結果、儲けても、楽しみに使わず、さらに営利活動に投資してどんどん利潤を追求していくことが宗教的に奨励されたのである。しかもそうした経営者のもとには、仕事を「天職」とみなして必死になってはたらく勤勉な労働者さえも与えられた。
 しかし富が増大するにつれて宗教心はうすれていきます。その結果、フランクリンにみられた、倫理的ではあるが宗教色の消えた「資本主義の精神」、つまり営利による資本の増大を自分の倫理的な義務とみなす精神が生まれたのである。
 こうしてつぎのことがあきらかにされた。すなわち、資本主義を構成する要素のひとつである、「天職」という考えのうえにたつ合理的な生活態度は、ルッターの「天職Beruf」という考えを前提にしてプロテスタント(新教徒)がみずからの「救いの証し」を合理的な禁欲で追求したことから、もたらされた。
 しかし現代においては資本主義はすでに自律的な自動運動をしており、もはやそれを生み出した精神の支えを必要とはしていない。私たちは、生命のない機械と生きている機械(官僚制)の運動のただ中に、巻き込まれていくばかりである。
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by takumi429 | 2009-07-02 08:47 | 臨床社会学 | Comments(0)

2.理解社会学の誕生(つづき)

さて、いま「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の概要を述べたわけですが、今一度この作品の内容をわたしなりに整理しなおしてみましょう。
この著作はしばしば西洋的合理化を述べた作品であるかのごとく語られます。しかし内容を要約すると、解明はおもに経済的な側面に向けられていることがわかります。
社会の主流である経済体制が、「欲求充足」の経済体制から「営利」中心の資本主義体制に移行する。その移行、あるいは転換はどのように起きたのか、それにたいする宗教の働きが問題とされています。
「欲求充足」の経済に適合的なのは「伝統主義」とよばれる、これまで通りの生活ができればいいとする精神です。それに対して、「営利」活動が中心となった資本主義は、もちろん伝統主義によって営まれることはあるにせよ、やはりそれに適合的なのは営利を自己目的とした「資本主義の精神」です。
しかしこの「資本主義の精神」はそれ以前の「伝統主義」からは生まれたとは考えられません。伝統主義が「今生きてあること」(dasein)を大切にするのに、「資本主義の精神」は現在を犠牲にして果てしない彼方にあるものへ向かって駆けていく、そうした倒錯した精神だからです。
そうした精神の由来を、ヴェーバーは修道院の禁欲主義に求めます。世俗を離れ、ただ神のみを想い、厳しい労働によって自分たちばかりか俗人たちの救済を作り上げていた修道士の活動の論理。この論理はどのように世俗へともたらされたのでしょうか。
神からの呼びかけによって与えられた使命としての職業(Beruf) はそれまで、聖職のみに限定されていました。ですから修道僧の禁欲もあくまでも世俗の外の修道院に限定されたままでした。
しかしルッターが、世俗の一般の仕事も、神からのお召しによる「職業」であるとみなしたことで、この修道院だけにあった禁欲主義は世俗へともたらされました。ちょうどレールを切り替えることで電車が引き込まれてくるように、禁欲主義は世俗の労働に適用可能になりました。
その意味で、ルッターはちょうど鉄道でいえば、列車の進行するレールを切り替える人、つなわち「転轍手」であったわけです。
しかし世俗の仕事が「職業=使命」とみなされるだけでは、あの追いたれられるような、強迫的な労働は生まれません。
それをもたらしたのは、カルヴァン派の宗教カウンセリング(「魂のみとり」)でした。彼らの「魂のみとり」(司牧)では、業績とか収益が「救いの証し」であるとみなされました。その結果、自分が救いに予定されているか不安な平信徒は、「救いの証し」をもとめて、いまや聖職と同格の「職業」と見なされるようになった世俗的労働にまい進することになったのです。
図にまとめるといかのようになるでしょう。

修道院の禁欲------┐転轍
                   ↓
伝統主義-→×      資本主義の精神   
∥               ∥ (適合)
欲求充足-------→営利

 ルッターの転轍       :仕事を「職業=使命」とみなす
         「意味連関」:修道僧の禁欲的労働の論理が世俗労働をつかむ
 カルヴァン派の「魂のみとり」:収益を「救いの証し」とみなす 
         「感情連関」: 不安→証しの追求 心理的起動力が生まれる

ルッターの転轍により、世俗労働=「職業」とルッターがみなしたことにより、修道院の禁欲の論理が世俗の労働をつかみます。人々は日常の仕事を、神から与えられた、神の意にそった「使命」としてはげみます。つまりあたらしい意味の連なり(意味連関)が世俗の労働をとらえたのです。
カルヴァン派の魂のみとりは、収益・業績=「救いの証し」とみなしました。不安にあえぐ人たちは「証し」を求めて仕事(職業)にまい進しました。こうして禁欲的な労働の心理的な機動力がうまれたのです。収益をあげても救われるわけではありません。しかし一般の信徒は心理的に収益をあげて安心したいと思ったです。つまりここでは目的-手段の連関があるのではなくて、不安から労働するという、心理的な連なり(感情連関)があるわけです。
くり返しになりますが、ここでは二つの「解釈がえ」があったわけです。
 ルッターは日常的な労働が「転職」として解釈しなおしました。その結果、聖職者の世界と俗人の世界の区分の廃絶され、聖職者(修道士)の論理が俗界への侵入してきました。しかしそれだけでは社会資本主義へ転換するには不十分でした。
カルヴァン派では収益・業績が「救いの証し」と解釈されました。その結果世俗的労働にまい進する心理的機動力が生まれました。そうして、伝統主義が支配していた経済は、資本主義が支配する経済システムへと移行したのです
つまり、伝統主義と結合していた伝統主義的経済(単純再生産)を、宗教的な合理的禁欲思想が捉える。その帰結として、伝統主義的経済システムから資本主義的経済システムへの移行がうまれたのです。

ここでは新しい社会科学のアプローチが生まれています。つまり行為をする人間がその行為をどのような意味づけをしているのか、その意味づけをちゃんと解釈し理解することで、その行為はどのように社会を作り上げていく、あるいは社会を変革していくのかを説明しようとするアプローチです。ヴェーバーはとりわけ後者の社会変革の方に関心があったように思われます。
後年、ヴェーバーは『社会学の基礎概念』(1920)でつぎのように書いています。「社会学とは、社会的行為を解釈しつつ理解し、そうすることによって社会的行為の経過や結果を因果的に説明しようとするひとつの学問である。」(WuG85頁)これがヴェーバーの「理解社会学」の定義されることばです。
もちろんカルヴァン派の平信徒のふるまいように、理屈では説明できないけど、感情としては説明つく場合もあります。そうしたことをふまえてヴェーバーは次のように書いいます。
「行為の領域についてみると、とりわけ、その行為によっておもわれた意味連関があますところなくはっきりと知的に理解されるならば、それは合理的な明証性をもつことになる。行為において、その体験された感情連関が完全に追体験されるならば、それは感情移入による明証性をもつわけである。」(WuG86-7頁)
ヴェーバーの理解社会学は、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」でおこなったことを学として成立させるために、「理解社会学」を構想したのではないかと思われます。
その意味でもこの論文は、社会学者ヴェーバーの誕生を告げる論文でもあったのです。
行為の意味をめぐって新たな解釈が生まれ、その結果、行為の意味が転換する。そのことでその行為は今までとは別の社会的な連関を作り上げていく。「理解社会学」というのはたんに社会的行為者の意図を理解するというだけのぼんやりしたものではなくて、行為者自身の行為への意味付与(意味づけ)の転換とそれがもたらす社会的帰結とをつなげる、つまり個人の行為と社会全体の構造とをつなぐ「社会学的想像力」の典型的あり方でもあるのです。

(3)理解社会学の問題点
 しかしヴェーバーの疾患体験から生まれた理解社会学と宗教社会学のありかたは、二つの点で危ういものをもっていました。  まず禁欲的に労働にはげむ人間のあり方を、ヴェーバーはカルヴァンの教説へさかのぼりことで説明しようとしました。そこではあくまでも宗教的な教説が重視されています。ヴェーバーは、行為の解釈がえという(解釈学由来の)方法を重視するあまり、教説や文書にばかり目がいっているのです。
最近、羽入(2002)による批判が話題になりました。羽入氏は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」でヴェーバーが採り上げている聖書の各国語訳を調べ、それがヴェーバーに言うようには訳されていないことを突き止め、そこから「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の論理は瓦解しているとしています。たしかにヴェーバーのこの本での記述は着想が先走り、かなり荒っぽいものです。
しかし羽入氏の批判を浴びることになった根本的な理由は、プロテスタントの信徒の心のありよう(心性)の変化をわずかばかりの有名人や信仰告白の文書から論証できるかのように記述していることです。世俗の仕事を神から与えられた使命と見なすようになること、その成果に自分の救いかかかっているかのように思うようになったこと、こうしたことは、もっと広汎に当時の信者のたちの証言などからていねいに証拠立てて行かなくてはいけないことです。つまりヴェーバーの理解社会学は、解釈学的な方法を重視するあまり、あまりに文書に書かれた教説を重視しており、その結果、一般大衆の心のあり方(心性)の変化を広く捕まえることを怠っていたのです。そこをまさに羽入氏の批判がつけ込んできたのです。
この問題点はさらに心のありよう(心性)をどうとらえるかという問題になります。ヴェーバーが一般信徒(平信徒)の論理的な連関ではなく感情的・心理的な連関をも問題にしたとはいえ、それはいわば頭のなかのことです。  しかしヴェーバー自身が疾患に陥ったとき、彼は今までの自分の禁欲的なあり方が、ばかばからしくなってしまったからできなくなった、というのではありません。気持ちがあるのに体がうごかなくなってしまったのです。ところが彼が「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の論理を組み立てるときには、この体が動かなくなってしまったという体験は十分には生かされませんでした。  禁欲的な労働にはげむ者のあり方は論理や心理の連関だけで説明できない。それが「習い性」となった身体の働きというものが両者の間に存在するはずです。その部分を説明できないと、理解社会学は危ういものとなってしまいます。  ヴェーバーのカルヴァンの二重予定説による説明はプロテスタントから常に疑問をもたれてきました。私たち日本人にはそれはなかなか理解できません。しかしヴェーバーと同じように、日本資本主義の成立を、石門心学や儒教によって説明しようとする人たちの発言を聞くと、私たちもヴェーバーの説を聞いたプロテスタントの気持ちがわかる気がします。石門心学も儒教もまったく知らない私たちがなぜ資本主義に適合的に勤勉にはたらけるのか、なぜそうした身体訓練ができているのか、そこが説明されなくてはならないからであす。
しかし、文献学的な多少の不備を持ちながらも、ヴェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で打ち立てた仮説の正しさを示す事例が、看護の領域にはあるのです。すなわち近代看護の創始者であるナイチンゲールその人がその事例なのです。

ナイチンゲールの証明体験
ナイチンゲールは生涯に四回神の声を聞いたと言います。神の声を聞くことを「召命体験」と言います。最初の召命について彼女はこう書いています。「1837年2月7日、神は私に語りかけられ、神に仕えよと命じられた」。その後、ナイチンゲールはこの「神に仕える」仕事とは何かを模索し続け、ようやく七年後の1844年にそれが看護であるという認識に至ったのです。その後家族の反対を克服して33歳でハーレイ街「淑女病院」の看護監督となり、さらに34歳でクリミア戦争の戦慯者の収容されてたスクタリの兵舎病院に40人の看護婦とともにおもむき、そこで「白衣の天使」の神話が生まれたのです (スミス1981) 。
それまでいやしい女の仕事としかみられなかった看護を神からの召命(calling)による「使命」としてナイチンゲールがとらえ、それが新聞で大々的に報道されました。そしてクリミア戦争後、ナイチンゲール看護学校を設立したことで、看護は宗教的な使命を果たすにふさわしい仕事とされるようになりました。また看護婦制度を作る上で、看護学校は意識的に、修道女のイメージを引き継ごうとし、性的だけでなく一般に世俗的欲望をおさえた禁欲的なイメージを看護婦に与えてきました。
ナイチンゲールによる、看護=使命的職業のひとつ、という解釈替えによって、近代看護婦制度は始まることになったのです。
こうして、ナイチンゲールの召命体験と近代看護婦制度の誕生という事例をは、ヴェバーの仮説の証明のひとつとなっているといえるでしょう。

しかしヴェーバーの理解社会学の次の問題点はまだ解消されてはいません。つまり、
1)禁欲的な労働にはげむ者のあり方は、論理や心理の連関だけで説明できるものではなく、論理・心理が、禁欲的な労働のかたちを取るためには、身体の働きというものが間にあるはずであり、その身体に、まさに禁欲的労働が「習い性」となる形でしみこんでいなければならない。その部分を説明できないと、理解社会学は危ういものとなってしまう。 2)意味の世界の再建が、ヴェーバーにおいては、神の声を聞きそれに応えて立ち上がるという、いわば実存主義的決断によって解決されていることです。それはある時には実存主義的なお説教になったり、決断主義におちいったりしかねない。こうした決断主義に陥らない意味の再建はどのようにしたら可能なのでしょう。
 じつは看護理論の世界でも病いが患者の意味喪失、あるいは意味的世界の崩壊をもたらすことを考察している理論があります。つぎにそれらの理論を見てみましょう。と同時に、それらの理論が理解社会学とおなじ落とし穴に落ちているのか、いないのか、いないならどうのようにその問題を回避しえているのかをみることにしましょう。
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by takumi429 | 2009-07-02 08:46 | 臨床社会学 | Comments(0)

家族看護学

1.2.4家族看護学
(以下の内容は全面的に 森山美智子編集『ファミリーナーシングプラクティス 家族看護の理論と実践』
 医学書院 2001年に依拠しています)
 
ケース4
主婦A(43歳)は、神経性の下痢で入院していた。ほぼ治癒して退院したのだが、家に戻るとまた再発してしまった。Aさんの病状はAさんだけも問題ではないと感じた看護師たちは、Aさんの家族を呼んで話を聞いてみた。
面接の場で、Aさんの夫は家族に背を向けて座り、もっぱらAさんに向かってだけ断定的な口調で話をしていた。それに対して、子どもたちももっぱらAさんにうったえるかたちで話をしていた。
Aさんが、親同士のコミュニケーションと子どもたちのコミュニケーションの間にあってちょうど両者から圧力をうけるかたちになっているのがみてとれた。

 今までの看護では、もっぱら看護の対象は患者個人とされてきました。しかし、このケースの場合、患者を病院という場にいわば隔離しているときには治癒するのに、家族に戻すと再発してしまいます。そこで家族全員を呼んで話をさせるとどうも家族内のコミュニケーションがぎくしゃくしている。それもコミュニケーションのぎくしゃくが、妻であり母親であるAに集中して圧力を与えている。どうやら、「病んでいる」のはじつはこの家族全体であって、その「病い」がAさんの神経性の下痢というかたちで表に現れている(顕在化している)にすぎないのではないか、と考えられます。そうであるならば、看護の対象を、個人からその個人を含む家族全体に広げるべきではないか。こうしてうまれてきたのが「家族看護学」という領域です。

家族療法から家族看護学への影響
森山(編2001 )によれば、家族療法で用いられるシステム論より導き出された家族における重要概念にはつぎのものがあります。
1)家族は大きな上位システムの一部であり,多くの下位システムから構成される。
つまり、家族のなかには、夫婦というシステムや、子どもたち(兄弟姉妹)というシステムがあります。また、場合によっては祖父母たちというシステム、さらにはペットと家族員の誰かの緊密な関係(システム)というようなものがあるかもしれません。

2)全体としての家族は,その部分の総和よりも大きい。
これは「システム」という考え方のもっとも基本となるものです。たとえば、拒食症の子どもをかかえる家族を見るとき、父親、母親、拒食症の子ども、をそれぞれ個別にみても、これといって問題のある人にはみえない。しかし、彼らが家族を構成するとそのコミュニケーションの仕方に独特の問題が生まれてくる、というようなことがあります。こうした、個々の要素からは説明できない、システムとなってはじめて生まれてくるような問題(特性)のことを「創発特性」といいます。

3)家族員1人の変化は家族全体に影響を与える。
システムは成員相互の関係にほかなりませんから、一人の変化は全体の変化となります。

4)家族は変化と安定の間にバランスを創造することができる。
家族システムは、その環境(まわりの社会や地域など)の変化、さらに内なる環境の変化(成員の成長・加齢など)につねにおびやかされています。たとえば、不景気による親の失業あるいは定年退職、学費の上昇や、子どもの進学・独り立ちなど、さまざまなことが変化をもたらします。しかしそれによって家族がすぐに解体してしまうというのではなく、そうした変化に対応しながら家族というものが安定されたかたちで維持されていくことがみられます。たとえば、母親はパートタイム労働を始め、かわりに父親は家事を手伝い始めたり、子どももアルバイトをしたり、家事を手伝ったりして、こうした変化に対応して家族というものを維持していこうとします。

5)家族間の行動は,直線的な因果関係よりも円環的視点からのほうがよく理解できる。
たとえば、拒食症の子どもがいて、それに口うるさい母親がいて、その母親に対してつっけんどんな父親がいるとします。このとき、拒食←母親の小言←父親の横柄さ、という因果関係を想定して、父親の態度が悪いのだ、という単線的(直線的)な決めつけ(原因追及)をしても家族の問題はみえてきません。むしろ、子どもの拒食→母親の夫へ訴え→父親の横柄な対応→いらだった母親の子どもへの小言→子どもの拒食→母親の夫への訴え→夫の横柄な対応→・・・というぐあいに、一種の悪循環が起きているのであり、どれが究極の原因だとすることができるわけではありませんし、だれかを糾弾すれば解決するわけでもないのです。原因があるとすれば、まさにこの悪循環のサイクルそのものなのです。ですから、考察の焦点をこの循環のサイクル、つまり円環パターンに当てるべきなのです。


さらに、サイバネティクス理論より導き出された家族における重要概念(Wright &Leahey1994)としては、
1)家族はフィードバックプロセスを通して自己調整する能力をもつ。
たとえば、登校拒否でゲームセンターにしけ込む息子、それを探し出して家に連れて帰る親。家族のきしみと崩れを食い止めようとする、つまりくずれを打ち消すような(ネガティブ)フィードバックが働いているわけです。
2)フィードバックプロセスは家族のいくつかの異なったシステムのレベルで同時に起こり得る。
登校拒否の子どもの行動を元に戻そうとする親。じつはその子どもの行動こそが、バラバラになりそうになっている家族をまとめる働きになっている、というような場合もあるかもしれません。こうしてさまざまなフィードバックの過程が家族のなかで働きあっているわけです。

直線的質問と円環的質問
円環的なシステム思考によって介入における質問の仕方もちがってきます。
介入の際の質問には,と「円環的質問」の2つのタイプがある(Tomm,1987,1988).
これまでの介入の時の質問は、「そのときだれが何と言ったのですか?」「何かきっかけとなって,食事療法をもうやめようと思われたのですか?」というように直接的に状況を尋ねる質問でした。これは「直線的質問」と呼びます。ここれに対して「ご主人が食事療法をやめられたときに,奥様は何とおっしやいましたか?」「奥様の言われたことに対して,ご主人はどのような行動を示されましたか?」「子どもさんはどんな行動を起こされましたか?」「もし,奥様が“食事が思うように食べられないお父さんのつらい気持ちを私たちがわかっていなかったのね。ごめんなさい”と言われたら,ご主人との関係はどう変化するでしょう?」といった相手への影響を探求する質問があります。これを「円環的質問」といいます。こうした質問は家族員に原因が円環的にめぐっていることに気づかせることで、変化を促す手段となります。(Tomm,1985 ; Tomm1987,1988).
 直線的な質問は、「家族が問題をどのようにとらえ,受け取っているか」などの情報を収集するのに適しています。それにたいして、円環的質問は、「問題についてどのように解釈しているか」を訪ねる質問です。たとえば、「だれがいちばん祐子さんの拒食能を心配していますか?」「お母様は,祐子さんのことを心配して,どのように接しておられますか?」この質問によって家族がどのように影響しあっているかが見えてきます。
 円環的質問は、家族が今まで気がつかなかった、あるいは、見えていても意識しなかったことに新たに気づかせることができます。その結果、円環的な因果関係を家族員に意識させることができます。そこからまた解決への可能性も見えてきて、家族員の行動の変化をうながすことにもつながるのです。

家系図(ジェノグラム)
家族関係の把握のためにはよく使われるのが「ジェノグラム」です。「ジェノグラム」とは、
原則として3世代程をさかのぼる家族員(血縁ではなくとも同居している家族との関係が深い人を含む)の家系図のことをいいます。
家族というのはまず最初に患者をケアする単位であることが多く、とくに慢性病・成人病・老人のケアの担い手となることが多いです。ですから、べつに家族療法や家族看護学の手法をとらなくても、患者の家系図(ジェノグラム)をつくるのはとても有益なだと思われます。
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by takumi429 | 2009-07-02 08:44 | 臨床社会学 | Comments(0)