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7.デュルケームとゾラ アノミー(欲望の無限増大)としての近代

 7.デュルケームとゾラ アノミー(欲望の無限増大)としての近代

今回は、まず、19世紀末から20世紀初頭に活躍したフランスの社会学者エミール・デュルケーム(Émile Durkheim 1858 -1917)を取り上げる。彼が大学人として活躍しのはフランス「第三共和政」と呼ばれる時代である。ここで少々めんどうだが、フランス革命から第三共和政にいたるフランス史の流れを見ておこう。
 ルイ14世のとき、フランスの絶対王政(1589-1789)は絶頂をきわめる。だが財政破綻し市民の蜂起をまねき、1789年7月14日バスティーユ牢獄襲撃、1792年にはなんと国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットがギロチンで処刑される。第一共和政(1792-98)のロベスピエールの恐怖政治とその後の混乱は、コルシカ出身の砲兵士官ナポレオン・ボナパルトによって収められる。1804年、ナポレオンは皇帝に即位しナポレオン1世となった(第一帝政1804-15)。対外戦争の成功とその後の敗北によるナポレオン失脚後、王政復古(1816)、二月革命(1848)とつづいた政治的混乱は、ナポレオン1世の甥のルイ=ナポレオンにより収められる。彼は1851年皇帝に即位、ナポレオン3世となる(第二帝政1852-70)。ナポレオン3世の指示のもとセーヌ県知事ジョルジュ・オスマンによるパリ大改造がおこなわれ(1854-70)、現在のパリがほぼできあがった。1870年に普仏戦争(ドイツの東のもと辺境国プロイセンとフランスの戦い)で、前線に赴いたナポレオン3世捕虜となり、帝政は崩壊。1871年、勝利したプロイセン王はヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム1世として即位した。(自国が世界に誇る宮殿で他国の田舎侍(ユンカー)の王にドイツ皇帝に即位されたフランスの屈辱やいかばかりか)。その後パリで蜂起した市民(パリ・コミューン)を虐殺してフランスは第三共和政(1871-1940)を樹立する。
 デュルケームが学者として活躍したのは、第三共和政の時代である。その前の、ナポレオン三世の支配した第二帝政期は、フランスの産業は大いに発展し、社会が爛熟した時代であった。ただ終わり方があまりにぶざまだったため、どうやらフランスにとって忘れたい時代となっていたようだ。(たとえば、ミシュラン・グリーンガイドの「歴史上のできごと」には「第二帝政」の表記がない)。
 
 『自殺論』(1897)
 さて、まず、今日の社会学のスタイルを確立したと思われるデュルケームの『自殺論』の内容を見てみよう。

アノミー概念の誕生
 自殺は、個人的な理由(彼女にふられた、リストラされた、病気になったなどなど)により、「死にたい」という個人心理の結果、生じる、と私たちは思いがちだ。ところが、デュルケームは、各国の統計を使って、衝撃的な事実を私たちに突きつける。
 まず、デュルケーム、人口100万人あたりのヨーロッパ諸国の自殺率を上げる(邦訳31頁)。(なおドイツは1870年まで統一していなかったので、バイエルン、プロイセン、ザクセンの各国があげられている)。

ヨーロッパ諸国の自殺率(人口100万あたり)
 

ヨーロッパ諸国の自殺率(人口100万あたり)

 

1866-70

1871-75

1874-78

 

 

の期問

の期問

の期問

第一の 期問

第二の 期間

第三の 期問

イタリア

30

35

38

1

1

1

ベルギー

66

69

78

2

3

4

イギリス

67

66

69

3

2

2

ノルウェ——

76

73

71

4

4

3

オーストリァ

78

94

130

5

7

7

スウェ一デン

85

81

91

6

5

5

バイエルン

90

91

100

7

6

6

フランス

135

150

160

8

9

9

プロイセン

142

134

152

9

8

8

デンマーク

277

258

255

10

10

10

ザクセン

293

267

334

11

11

11

 ちなみに、最近の主要国の自殺率の推移はつぎのごとし。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/2774.html2019年5月20日閲覧)

 この統計から、デュルケームは、自殺率は、国ごとにほぼ一定であり安定している、といいう。たしかに、デュルケームのあげた表によれば、自殺率はほとんど変わらないし、国ごとにその順位もほぼ同じだ。また最近の統計をみても、大きく変化している国もあるものの、自殺率の推移自体は連続的で、イタリア、英国、米国はほとんど変わっていない。また、ドイツ、スウェーデン、カナダも安定してきている。それでいて、国によって自殺率はいちじるし異なる。
 だが、自殺した人間が、「自殺率を安定させるために死のう」などと考えたと思えない。だから、この安定した自殺率は、自殺する人間の個人心理からは説明できない。こうしたという個人心理からは説明できない事実を「社会的事実」とデュルケームは呼ぶ。
デュルケームは、国ごとの「自殺率の一定比率」という社会的事実は、社会的な原因からでなくては説明できないとする。
 彼が自殺の社会的原因だとしたのは次の4つである。

Ⅰ 自己本位的自殺:社会の統合や連帯が弱まり、個人が集団から切り離されて孤立する結果として生じる自殺
例証。プロテスタントとカトリックを比べると、(統合の度合いが低いと思われる)プロテスタントが自殺率が高く、(統合の度合いが高いと思われる)カトリックが低い。また、未婚者と寡婦・寡夫(やもめ)と、結婚している者を比べると、孤立している未婚者と寡婦・寡夫の方が、結婚している者より自殺率が高い。また平時と戦時を比べると、(社会的な連帯が弱まっていると思われる)平時の方が自殺率が高い。つまり統合・連帯が弱い者の自殺率が高い。(この説明の仕方を「共変法」という)。

Ⅱ 集団本位的自殺:社会が強い統合度と権威をもっていて、個人に死を強要したり、奨励したりすることによって生じる自殺
例。宗教による自殺や軍隊における自殺率の高さ(日本軍の集団自決などもこの例に入るだろう)。

Ⅲ アノミー的自殺:社会の規範が弛緩したり、崩壊したりして、個人の欲望への適切なコントロールが働かなくなる結果、際限のない欲望に駆り立てられた個人が、その結果、幻滅しむなしくなっておこす自殺。
 ここでデュルケームは、「アノミー」という概念を提示した。アノミーとは、欲望の無規制な状態、欲望が螺旋状にどんどんと拡大していくことをいう。デュルケームは、例として経済アノミーというものをあげている。いわば「バブル崩壊」による自殺。

Ⅳ 宿命的自殺:欲望に対する抑圧的規制が強すぎるため、閉塞感がつのって生じる自殺。
ベルナール(1988)が挙げている例は、未婚・やもめの男性は結婚している男性よりも自殺率が高いのに対して、未婚女性あるいは寡婦は結婚している女性はよりも自殺率が低い、という例。つまり、結婚は、男性によっては適度な拘束だが、女性にとっては過度な拘束なのである。

Ⅰ自己本位的自殺とⅡ集団本位的自殺を規定する社会的変数は「統合」(まとまり)であり、Ⅲアノミー的自殺とⅣ宿命的自殺を規定する社会的変数は「拘束」(しばり)である、とデュルケームはみなした。
 つまり、統合が弱いとⅠ自己本位的自殺が増え、統合が強いとⅡ集団本位的自殺が増える。結果、統合が弱すぎても強すぎても自殺率は高くなる。
 また、拘束が弱いとⅢアノミー的自殺が増え、拘束が強いとⅣ宿命的自殺が増える。結果、拘束が弱すぎても強すぎても自殺率は高くる。
 つまり適度な統合と拘束の時には、自殺は少ないというわけだ(グラフ参照)。
 
 
 デュルケームはなかなかクールな社会観察者で、一定程度の逸脱が社会にあるのは、「正常」なことだと見なしていまる。だから、自殺率も一定しているなら、それはそれなりに「正常」なことだと見なす。しかし自殺率が安定しないで以上に増加しているなら、それは「異常」である。
 デュルケームは、現代において自殺率が増加しているのは、まさに異常なことであり、その解決策として、統合の中間項として職業集団が活発になる必要があるとした。

 フランス社会の道徳再建
 ギデンズが指摘するように、社会学の古典的学者のいう「社会」とは国民国家にほかならない。デュルケームが「社会」と言うときにさしているのも、フランス国家、第三共和政のフランス、にほかならない。デュルケームは緩んだ社会を宗教と道徳で締めなおそうとした。


 『道徳教育論』
 デュルケームのみるところ、19世紀後半のフランスは、統合(まとまり)と拘束(しばり)がゆるんだ社会でした。かれは、社会の統合と拘束をもたらすのは、道徳と宗教だとしました。また『道徳教育論』では道徳のもつ統合性と拘束性を強調し、それを子どもに注入するのが、教育の欠くべからざる働きだとした。

 『宗教生活の原初形態』
 デュルケームはつぎのように宗教を定義する。
「宗教とは、神聖すなわち分離され禁止された事物と関連する信念の行事との連帯的な体系、教会と呼ばれる同じ道徳的共同社会に、これに消えするすべての者を結合させる信念と行事である。」(邦訳上巻86-7頁)
 デュルケームは、この道徳を規定していた宗教の原初的形態をさぐろうとし、宗教の原初形態をトーテミズムに見出す。
「ナチュリズムとかアニミズムとか呼ばれているものの彼方に、それよりも基本的で原始的な他の礼拝があるに違いない。・・・。民族誌学者がトーテミズムの名を与えているのがこれである。」(邦訳上巻157頁)
 トーテミズム(totemism)とは、「社会を構成する各血縁集団が、トーテムとの間に特別な関係があるとする信仰や制度。各集団はトーテムの名で呼ばれ、それぞれトーテムとの結びつきを物語る神話や儀礼をもち、その採集や捕食などの禁忌をもつことが多い。」(大辞泉)
「トーテムは、なにもまして、他の何ものかの象徴であり、具体的表現である。ではなんの象徴であろうか。・・・トーテムが異なった二種の事物を表明し象徴する・・。一方、それは・・・トーテム原理、またはトーテム神と呼んだ物の完成的な外的形態である。・・・他方、それは氏族と呼ばれるこの一定社会の象徴でもある。・・・したがって同時に神と社会との象徴であるとすれば、神と社会とは一つでないであろうか」(邦訳上巻372-3頁)
 つまり、トーテム=氏族社会であり、かつトーテム=神原理であるから、(氏族)社会=神(原理)なのである。
「一般に、社会が、自らが人びとに及ぼす活動だけによって、人びとの精神に神的なものの感覚をよび醒ますに必要なものを、すべてそなえていることは疑えない」(訳上373頁)
 こうして、デュルケームは、社会が神であるとする。もちろん、デュルケームにとって「社会」とはフランスという国家のことである。だから、デュルケームはつぎのようにフランス国家の生んだ革命についてすかさず言及する。
「社会が自ら神となる、あるいは神々を創造する傾向を、フランス革命の初年おいてほど明らかに見うるところはない。事実、このときには、全般的狂熱の影響によって性格上全く世俗的な事物が世論によって聖物に変換された。すなわちは、これは祖国であり、自由であり、理性であった。自らの教義、象徴、祭壇および祝日をもつ一つの宗教が自ら設立されるに至った。」(訳上385頁)
「・・・礼拝、同時に、個人がその一員である社会と結合する絆を実際に緊める。神とは、社会の具象的な表現にほかならないからである。」(訳上406-7頁)
 信仰共同体は「教会」であるから、フランス国家を神聖なものとして信仰する教会はフランスという人の共同体である。この教会(共同体)へ絆を強めるのが礼拝である。sジャ会はそれを維持するための道徳を人びとに教え込まねならぬとデュルケームは『道徳教育』で主張した。フランス国家の道徳を示し、フランス宗教共同体の教会のトップに君臨するのは、ほかならぬデュルケーム自身である。まさに「デュルケームは第三共和政の法王たらんとした」(折原浩)のである。

 どんちゃん騒ぎの時代(第二帝政バブル)
 ではデュルケームがなんとかしなくてはと思った、まとまりとしばりが緩んだ社会とは何だったのか。それは第三共和政の前、ナポレオン三世が支配した第二帝政(1852-70)の時代にほかならない。ナポレオンの甥によるクーデター成功の後うまれた第二帝政期は、『天国と地獄』で有名なオフェンバックのオペレッタに沸き立たつ、どんちゃん騒ぎの、まさに際限ない欲望の時代であった。
 アノミーの概念によって、際限のない欲望の拡大という事態を指摘しながら、デュルケームが、すぐにそれを抑えこむ道徳と宗教について研究を向けたのは、そうした欲望の無限増大が、自明のものとして先の第二帝政期にあったからである。

 デュルケームの欲望論
 際限なく増大していく欲望。この欲望についてデュルケームが述べているのは、意外にも『社会主義およびサン=シモン』(森博訳恒星社厚生閣)という講義である。
 サン=シモンというのは、「空想社会主義者」と(マルクスの僚友)エンゲルスが名付けた思想家だ。この「空想社会学主義者」という命名のせいで日本では長らく軽視されてきた。だがじつはフランスのおいてはサン=シモン主義者はじつは大きな影響力を持っていた。この講義ではデュルケームはまさにこのサン=シモン主義者と対決する。
 サン=シモンは、「産業者」の活動によって社会が豊かに改善されていくべきだと言った。彼の言う「産業者」とは、資本や土地を所有している「ブルジョワ」ではなくて、直接、物づくりに携わっている技術者・労働者であり、また物を人々のもとに届ける流通に携わっている人々のことである。封建的な社会が去って、今やこの産業者が権力をもって、技術革新によって社会をより豊かなものにしていくべきだ、というのが彼の考えであった(172頁)。サン=シモンは、生産だけでなく流通にも技術革新はあることを着眼し、流通従事者をも「産業者」に入れている。銀行や鉄道の整備や、最近なら、宅急便のシステムなどをみても、流通の革新はたしかに社会を豊かにする。
 しかし、デュルケームは言う。社会が豊かになると人々は満ち足りて、大人しくなったりはしない。むしろ、逆だ。動物には本能があって、欲望の歯止めがかかっている。しかるに人間にはそうした歯止めがない。豊かになり、欲望が満たされると、人間は「もっと、もっと」と求めるようになるだろう。そうして、限りない欲望の増大によって、人々は苦しみ、また闘うようになるだろう。それを抑えるために、「道徳心」が必要となるのだ、と(231-3頁)
 ホッブスは、こうした人間の争いを、「狼が狼に対するように」と言って、動物的な争いであるかのようにとらえていた。しかし、デュルケームは、こうした闘争が、本能の抑えを失った人間固有の欲望の形であることを、はっきりと見すえていたのだ。
 デュルケームは、晩年、サン=シモンもこうした問題に気づき、それゆえ、「新キリスト教」というものを提唱して、歯止めのなくなった欲望に駆られた人々の混乱を納めようとしたのだ、という。しかし、サン=シモンはあくまでも、産業者の活動によって豊かになるまとまりのある社会を夢見ていて、それをそのまま、「新キリスト教」の原理としていたために、それは豊かさがもたらす欲望の無限地獄に対して有効な対策とはならなかったのだ。欲望を抑えこむには、欲望の拡大をもたらした産業者の原理とは別の道徳原理を持ってこなくてはいけない、デュルケームはそう批判する(267頁)。

 サンシモン主義者の活躍
 サン=シモンの死後、その思想の賛同者たちは、一種の教団を作り上げた。しかし、この教団の原理は、いわば「産めよ増やせ」なので、それを実践すべく、一種の乱婚制が提唱・実践されたため、多くの信者が離れていき、教団は瓦解した。しかし、サン=シモンの考えにしたがって、生産と流通の革新によって社会を豊かな(産業)社会へと変えていこうとする人々はその後も続いていった。彼らは、具体的には、株式会社、銀行、鉄道によって、金を集め、流通させ、物を流通させることで豊かな社会をつくりあげようとした。
 このサン=シモン主義者の政策を積極的に支援し推し進めたのが、自らもサン=シモンの思想に深く共感していたナポレオン三世であり、サン=シモンの思想によって産業社会へと劇的にフランスが変貌したのが、第二帝政期だったである。

 ゾラ「第二帝政期の人間喜劇」
 このフランス第二帝政期に、新しい小説の可能性を感じ、この時代と社会をまるごと小説によって描こうとした作家がいた。エミール・ゾラ(Émile François Zola,1840-1902)である。
 ゾラは「第二帝政期の人間喜劇」を『ルーゴン・マッカール叢書』という全20巻の小説群で描いた。ゾラがそこで取り上げたのは、地上げ、中央市場、アルコール中毒、百貨店、高級娼婦、鉄道、炭鉱、株式市場などなど、まさに人々の欲望の喚起する装置たちであった。これらまさに近代の「欲望喚起装置」(鹿島茂)を、実地調査にもとづいてゾラは小説に描いたのである。
 イタリア出身で、ナポレオン軍の工兵あがりの技術者を父に持ち、幼くして父をなくしたゾラは、名門リセを卒後、大学受験のときに急に理工系のグランド・ゼコールを受けて失敗する。しかし、すぐれた技術者の息子だというプライドをゾラは絶えず持っていたようで、バルザックがかならず小説を舞台装置から描いたように、小説の中心に、(社会的な)装置(mecanisme)をおいてそのメカニズムを描いてみせた。

 ゾラが描いた装置のうち、鉄道、百貨店、炭坑、市場、レビュウー、投機市場、戦争、はまさに「欲望の喚起装置」としての、人々の際限ない欲望を引き起こしていった。
 
 欲望の喚起装置:デパート
ここでその代表として、デパート(百貨店)を、鹿島茂『デパートを発明した夫婦』にそって見てみよう。
 ゾラの描いた「欲望の喚起装置」の一つとして、デパート (百貨店)がある。 マーケッテング理論には、「ニード」(need)と「ウォント」(want)という用語がある。「ニード」(need) とは必要不可欠なものへの欲求。それに対して、「ウォント」(want)というのは、なくてはならないというわけではないけど、ほしくなってしまうこと。爪切りがないので買いにスーパーに行ったけど、レジのところにあったチューインガムを見て、ついつい買ってしまった、というのが、(爪切りへの)ニードと(チューンガムへの)ウォントです。スーパーは客のウォント (欲望)を引き出すため、レジの前に少額のつい手が出るような商品を並べている。またデパートでは客寄せのセールを最上階でおこない、そこに行く客をエスカレーターで商品の中を通らせ、当初は買うつもりのなかったものまで買わせる。デパートのエスカレーターは客のウォ ント(欲望)を引き出すための装置のひとつである。
 博覧会とは「商品の万神殿」 (ベンヤミン)だ。「万神殿」(パンテオン) とは、さまざまな神を祭る場所である。この商品の祝祭空間とよべる博覧会を模倣して、消費の殿堂、恒常的な祝祭空間とし19世紀後半に、パリで(!)世界最初にデパート (百貨店)が誕生した。それが「ボン・マルシェ」(Le Bon Marché)である。正確にいうと、ポ ン・マルシェは、アリステッド・プシコーとその妻マルグリットにより、1872年に第1期工事完成し、1887年に全館完成した。
 プシコーと妻のマグリットは、さまざまな販売技術を革新して、客の購買欲をひきだそ うとした。その技術革新とは、入店自由・定価明示・大量陳列・返品自由・現金販売・カタログ通信販売、さらに、薄利多売方式の徹底、バーゲンセールの発明、などがある(小山1997)。プシコーと妻は、これらの販売技術革新によって、顧客の欲望をさらなる高みへと引き上げていった。

 喚起され増大する欲望の時代としての近代 第二帝政期という欲望の際限のない増大の時代に対して、一方でデュルケームはそれを道徳と宗教で抑えようと道徳と宗教の研究をした。他方、ゾラはその欲望の装置のメカニズムを探ろうとした。つまり、デュルケームとゾラの作品は、第二帝政期が生んだメダルの表と裏、といってもいい関係になっている。そして、この喚起され増大しづつ ける欲望の時代は今なお続いているのである。
 

文献
デュルケーム著『社会分業論』(田原音和訳、ちくま学芸文庫、2017年)
デュルケームの最初の主著。あらすじは以下のごとし。

 近代以前の社会は同質性・類似性に基づく連帯、すなわち「機械的連帯」を基本としていた。そのため同質性からの逸脱に対して、体罰を与えたり成員としての資格剥奪をしたした。その結果、近代以前の社会では、行為者当人に課せられる苦痛、地位引き下げを本質とする「抑圧的制裁」を伴う法規が中心であった。
 ところが近代になって社会は社会的分業により連帯、すなわち「有機的連帯」を基本とするようになった。逸脱はその社会分業関係の破綻をもたらす。だから逸脱に対する対応は、人や物の関係の修復をめざすようになった。つまり、諸事物を現状に回復し、阻害された関係の修復をめざす「復元的制裁」をともなう法規が主流となった。
 つまり前近代から近代への移行は、「機械的連帯」から「有機的連帯」への移行であり、それは法体系における「抑圧的法律」から「復元的法律」への移行、に対応しているのである。

デュルケーム著『自殺論』(宮島喬 訳 中公文庫2018)
デュルケーム著『道徳教育論』(麻生誠・山村健訳、講談社学術文庫、2010年)
デュルケームの大学の講義録。きわめて明快でたくみな語り口。デュルケームがたいへん優れた教師であったことがわかる。

フィリップ・ベナール著『デュルケムと女性、あるいは未完の『自殺論』 アノミー概念の形成と転変 』(杉山光信・三浦耕吉郎訳 新曜社1988年)
 現行の『自殺論』は、デュルケームが当初の構想を改変しているので、自殺の4類型が見えづらくなっている。ベルナールはそれを修正して、自殺の4つの社会的原因をあげている。

デュルケム著『宗教生活の原初形態』(古野清人訳、岩波書店1975年)
デュルケムの最後の主著。ただ、いつも以上にくどくて長い。そこでこの本のダイジェストをあげると、
モーリス・アルブワックス著『宗教心の社会的起原 デュルケム「宗教社会学」要綱』(松井了穏 訳、顕真学苑出版部 1937年)(国立国会図書館所蔵 請求記号631-188イ、国士舘大学図書館所蔵 請求番号00330954)

エミール・デュルケム著『社会主義およびサン=シモン』(森博訳、恒星社厚生閣1977年)
この講義はマルクス主義を扱う前に中途で終わった講義のように言われることが多いが、デュルケームの批判しようとした本丸はむしろサン=シモン主義であり、それを批判しきったことで彼は満足して講義を終えたとみるべきだろう。サンシモンの思想についてのみごとな整理と批判にうならされる。デュルケームはちょっと頭のできがちがう、と実感される。

サン=シモン著『産業者の教理問答 他一篇』(森博訳、岩波文庫2001年)
他一篇は「新キリスト教」。マルクス・レーニン系の(人をけなすばかりの)独善的で陰惨な社会主義とは別物の、さわやかな風を帆にいっぱいはらんだような社会思想のみごとな記述。

鹿島茂著『デパートを発明した夫婦』(講談社現代新書1991年)
鹿島茂著『絶景、パリ万国博覧会【サン=シモン鉄の夢】』(河出書房新社1992年)
鹿島茂著『怪帝ナポレオン三世』(講談社2004年)
小山周三著『現代の百貨店』(日経文庫1997年)

ジークフリート・クラカウアー著『天国と地獄 ジャック・オッフェンバッハと同時代のパリ』(平井正訳 ちくま学芸文庫1995年)


松井道昭著『フランス第二帝政下のパリ都市改造』(日本経済評論社2003年)


 ゾラ著『ルーゴン・マッカール叢書』
この叢書の巻数と題名、あららまし、そしてそこで描かれた装置は以下のごとし。
(書誌などは以下を参照http://www.syugo.com/3rd/germinal/lecture/rougon-macquart/ 2019年5月20日閲覧)

1『ルーゴン家の運命』
ルーゴンとマッカールの家系のはじまり。
ナポレオン三世のクーデターによるプッサンの動乱。
少年シュヴェールと少女ミエットの愛し方さえ知らない幼い二人の悲劇。少女は流れ弾で死に、少年は憲兵に墓場でこめかみを打たれて死ぬ。
装置:プッサンという街。墓場(死者を飲み込む場)。

2『獲物の分け前』
オスマン男爵のパリ大改造の下、「地上げ」によって巨万の富を稼ぐアリスティッド・サッカール。若き後妻ルネは夫の連れ子マキシムと温室で不倫にふける。アリスディッドはルネから金を巻き上げて破産を免れ、ルネは若くして死ぬ。
装置:温室(人工楽園)。パリ(人工都市)

3『パリの胃袋』
流刑地から逃げ帰ったフロランはパリの中央市場で働くが、そこの人々の讒言によってふたたび、島が流しとなる。
装置:パリのレ・アールの中央市場

4『プッサンの征服』
フォージャ神父はマルト・ルーゴンの家に住みこみ、いつしかその家ばかりかプッサン市をも支配するにいたる。しかし狂人となったマルトの夫の放火によって家もろとも焼け落ちる。
装置:王党派と共和派の両方がみおろせるマントの家。

6『ムーレ神父のあやまち』
マント・ルーゴンの息子で司祭になったムーレはパラデゥ館の秘密の庭に住むアプビーヌと、アダムとイブのように愛し合う。しかし、彼が庭から去ったため、娘は死に、その葬儀を司祭である彼が司ることになる。
装置:秘密の花園。

6『ウジェーヌ=ルーゴン閣下』
ウジェーヌ・ルーゴンは第3帝政で失墜の危機の乗り切り副皇帝にまでなる。
装置:政治

7『居酒屋』
ジェルヴェーズ・マッカールはランチエに捨てられた後、トタン職人クーバーの結婚し、洗濯屋を開業するが、舞い戻ったランチエとクーボーの二人と関係し、アル中となって貧窮死する。
装置:蒸留酒製造装置・居酒屋洗濯屋。

8『愛の1ページ』
エレーム・ムーレは娘ジャンヌを救ってくれた医師と不倫し、娘はそれに嫉妬して病死する。別の男と再婚した彼女は娘の墓を訪れ去る。
装置:バルザック邸のあったパッシーの高台から見えるパリ

9『ナナ』
ジェルヴェーズの娘ナナは高級娼婦となって多くの男を破滅させるが、最後は天然痘となって死ぬ。
装置:ナナの肉体。

10『ごった煮』
プッサンから出てきたオクターヴ・ムーレはアパートの女たちを意のままにあやつる。オスマン様式の表面はきれいなアパートは裏では汚物にまみれ、主人たちと女中との不倫と嬰児殺しが行われている。
装置:オスマン様式のアパート(欲望の館)

11『ボヌール・デ・ダム百貨店』
オクターヴの作った世界初のデパートは女たちの欲望をあおることで大繁盛するが、周りの商店は破産させていく。
装置:デパート(欲望の館)

12『生きる喜び』
海辺の家にもらわれたポリーヌ・クニュは莫大な遺産を受け取るが、養い親子に財産をすり減らされる。しかも彼女の財産を散在した婚約者サザールを友人に譲ることになる。
装置:海によって浸食される岸辺の村。金をくすねられる遺産の入った引き出し。

13『ジャルミナール』
炭坑に流れ着いたエチエンヌ・ランチエは最初の夜に会ったカトリーヌに強く惹かれる。彼女もランチエに惹かれているが、結局シャバルに暴力的に女にされてしまう。エチエンヌらが中心となって起こした炭坑ストライキは失敗する。炭坑事故で坑内に閉じこめられた二人はようやく愛し合うがカトリーヌは死に、エチエンヌは助かる。労働運動の芽生えを感じつつエチエンヌは炭坑を去る。
装置:炭坑

14『制作』
印象派絵画ジェルヴェーズの長男クロードは画家となって、嵐の夜に出会ったクリスティーヌに理想のモデルを見出し、結婚する。しかしパリを描いた大作は印象派風の絵から毒々しい象徴的なものへと変貌を遂げ、作品を完成できぬまま首をつって死ぬ。
装置:キャンバス

15『大地』
兵隊くずれのジャン・マッカールは、農民となってまじめに働く。フーアン老夫妻の土地の生前分与が失敗し困窮する。土地の奪い合いの中でジャンは妻も土地もなくして、軍隊にもどる。
装置:土地(投資と生産の装置)

16『夢』
シドニー・ルーゴンの私生児アンジェリックは刺繍細工人に拾われて見事な刺繍細工職人となる。いつか王子さまがと夢見る彼女の元にオートクール家の跡取りフェリシアンが現れ、身分を超えての結婚式で、彼女は昇天する。
装置:夢を紡ぐ刺繍

17『獣人』
駅助役のルボーは若妻セヴリーヌが養父の愛人であったことを知り、養父グランモランを列車内で殺害する。それをたまたま知ったジェルヴェーズの次男クロードはセヴリーヌと愛人関係になり、ルボー殺害を計画するが、狂った殺人衝動からセヴリーヌを殺してしまう。その後ペクーの妻とも不倫したジャックはペクーと走行中の機関車(ラ・リゾン)でもみ合いとなって二人とも転落死する。運転手のない機関車は兵士を乗せて闇夜を疾走していく。
装置:機関車・鉄道

18『金銭』
地上げの後、サッカールはユニバーサル銀行を設立して、株をつり上げ、空前のバブルを出現させる。しかし株価はついに暴落して、多くの破産者を生む。
装置:株式取引所

19『壊滅』
兵士の戻ったジャンは、ブルジョワ階級のモーリスと戦友となる。フランス軍は大敗し捕虜となった二人は逃げ出して、モーリスの姉のアンリエットの元でジャンは療養する。その後、モーリスはパリコミューンに参加。また軍にもどったジャンは彼と知らず銃剣で刺し、モーリスは治療のかいもなく死ぬ。惹かれ合っていたアンリエットとジャンは別れる。ジャンはフランスの再生へと歩み出す。
装置:戦争

20『パスカル博士』
パスカル・ルーゴン医師は年金生活をしながら、ルーゴンとマッカールの家系の遺伝を研究し、『ルーゴンマッカール叢書』の内容と同じ文書を残す。年の差をこえて結ばれ自分の子を宿した姪のクロチルドに文書を託して死ぬ。しかし一家の汚名をおそれた母フェリシテは文書をすべて焼いてしまう。唯一残った家系図を見ながら、クロチルドは生まれた息子シャルルに授乳するのだった。
装置:家系樹。遺伝要因が交錯・発現


by takumi429 | 2019-05-20 13:14 | 近代とは何だろうか | Comments(0)

6.ヴェーバー(2) 形式合理性の時代としての近代

 6.ヴェーバー(2) 形式合理性の時代としての近代

 「普遍的」文化とは何か。

 マックス・ヴェーバーは1920年出版の『宗教社会学論集』第1巻で、つぎのような問題定期をしている。

「どのような諸事情の連鎖が存在したために、西洋にのみ、その発展傾向において普遍的な意義と妥当性をもつ文化諸現象が出現したのか」。(5頁)

 これを読むと、アジアのかたすみにすむ私たちは、思わずむっとする。「ヨーロッパ文化だけが普遍的だと?!」と腕まくりしたくもなる。だが、西洋の「普遍的文化」というのは一体どういうものなのか。ここで西洋文化の例として、西洋の時計を、和時計とを比較してみよう。


 和時計と西洋時計

 和時計は、日の出を「明け六」と日没を「暮れ六」として、昼と夜をそれぞれ6等分する「不定時法」による時計だ。当然、その長さは季節によって変化する。和時計は季節によるその変化にすべて対応して、時を告げる。その間の昼と夜をそれぞれ6等分するに合わせて時を刻む時計である。それは設置された場所における日の出と日没時間をすべて組み込んだ、おそるべき精巧な時計である。だが、和時計は設置場所でしか使えない。「普遍的」(どこでも使える)時計ではない。またもともとそういう「普遍性」を求めてはいない。むしろ、使われれる場所の「明け六」、「暮れ六」をちゃんと告げることが求まられていた。和時計の背後にある時間の体系(不定時法)は、その時々と場所に合わせて時間が伸びたり縮んだりする。そうした柔軟な体系である。

 それにたいして、西洋の時計は、1日を24等分した定時法による。つまり、使用されている場所に関係なく一日を24等分して刻む。その地域の基準地を決め(たとえば明石)、その場所における太陽の南中時を正午とする。この時計は、基準地以外では、どの土地にも適合していない、いわば、自律的な時計(自分勝手に動く単純な機械)であって、人びとはそれをあらゆる場所で使い、その土地の活動を強引にそれに合わせさせる。たとえば、春分の日の明石の6時に、日の出後の東京とまだ日の出前の沖縄も同じ「6時」であるとして活動を同調させる。この時間の体系(定時法)は、その時々と場所にはまったく合わせない、硬直した固定的な時間体系でしかない。「普遍的な」どこでも通用する西洋時計と西洋の時間システムとは、現地の日の出、日没、さらには太陽の南中とは関係なく、動く(自律的な)閉じた時間機械と閉じた(自律的)時間システムにほかならない。

 だが、この固定した自律的な時計のおかげで、沖縄の6時と東京の6時は同じ時刻と時間になり、たとえば、「6時に電話する」と約束したなら、同じ時間に電話がなされることになる。これが「暮れ六」に連絡すると約束したなら、東京では日が暮れて暮れ六になっていても、沖縄ではまだまだ日は高い。これでは同じ国として活動を協働させることができない。その場所の日の出・日没(と太陽の南中)を無視した時間体系を共有しているから、時刻と時間が一致し、協働が可能になるのである。

 ヴェーバーの言う、西洋的な「普遍的」な文化とは、その時々、その場所、その事がらに、合わせのではなくて、自律的に完結した(閉じた)体系を、強引に当てはめる(妥当させる・通用させる)文化なのではないだろう。


 ここで、この「序言」が書かれるまでの経緯を、学説史的年代記として列記してみよう。


1900年 ジンメル『貨幣の哲学』初版出版

1905年 ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」雑誌発表

     注で、『貨幣の哲学』の最終章について言及。

1907年 ジンメル『貨幣の哲学』第二版出版

  ?年  ヴェーバー、『貨幣の哲学』第二版に書き込み。

     (書き込み本はアーヘンの教会図書館が所蔵)。

1911-12年 ヴェーバー、「音楽の合理的・社会学的基礎」Die rationalen und soziologischen Grundlagen der Musik(のちに『音楽社会学』と呼ばれ)るを執筆か。 

1911-15年 『宗教社会学』(『経済と社会』の一部分)執筆か。


1916-7年 「世界宗教の経済倫理」を雑誌に発表(のちに『宗教社会学論集』に収められる)。

1920年 『宗教社会学論集』第1巻 出版 「序言」にて、西洋文化の「普遍性」はどこから来たのか、という問題提起。西洋文明のさまざまな領域における合理化について言及。


 ヴェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で、すでに5年前に出版された『貨幣の哲学』初版について言及している。そしてさらに、2007年に出版された『貨幣の哲学』第2版に、書き込みとアンダーライン・サイドラインをして読み込んでいる。

 前章でも述べたように、『貨幣の哲学』は「分析編」と「総合編」に分かれる。「分析編」は、人間の営み、とくに交換から、どのように貨幣というものが生まれてくるかを描いている。反対に「総合編」は、この貨幣というものが人間の生活にどのような影響を与えるかを書いている。じつは、ヴェーバーの『宗教社会学』もそれに似た構成をしている。前半では、人間の行為から「超感性諸力」(目に見えない力)が生まれ、やがてそれが神概念となり、宗教の意味の体系(教説)を作り上げる。後半ではこうして生まれた宗教がその組織と人間を通して一般に人々の生活にどのような影響をもたらしたかを考察している。

 ヴェーバーの『宗教社会学』は『貨幣の哲学』の影響を受けた可能性が大である。それゆえ、ヴェーバーの『貨幣の哲学』への書き込みは、『貨幣の哲学』の出版(1907年)から『宗教社会学』執筆開始(1911年頃)のあいだになされた可能性が大である。


 ヴェーバー、『貨幣の哲学』を読む

 ヴェーバーの書き込み本を写したマイクロフィルムはアーヘンの教会図書館に所蔵されている。髭文字の略字が多用されていて判読は大変困難だが、今回、私たちが入手したマイクロフィルムのコピーを使って、ヴェーバーがこの本のどこに着目したかみてみよう。

 ジンメルはこの著作で、マルクスの労働価値説(貨幣によって示される交換価値はその商品にこめられた一般的な労働時間によってもらたされる)を否定している。貨幣とは、(交換)関係が結晶化したもの(「形式」)(邦訳第2巻233-4頁)であり、貨幣によって現される価値は交換関係での価値である。だから、ある品物がある貨幣と同じ価値があるとされて交換されるということの意味は、品物の実体的価値が貨幣(商品)の実体的価値と等しい、ということではなく、品物がそれを含む商品全体なかで占める割合(比例)で示される価値と貨幣がその全体の貨幣量のなかで占める割合(比例)で示される価値とが同じであることをしめす(邦訳第2巻172-4頁) 。

 すなわち、商品と貨幣は、実質的な価値が対応し等しいとみなされるのではなく、その商品が商品体系の中でもつ(比例)関係的な価値と、その貨幣が貨幣体系のなかで持つ(比例)関係的な価値、とが等しいみなされる。

 つまり、ここでは商品の交換の媒介となる貨幣が、閉じた体系を持っており、その閉じた体系の内部での関係(比例)値が、閉じた貨幣体系の外にある商品へと対応するのである。貨幣は広汎に普及することで、この交換関係の価値を普遍化する。


「音楽の合理的・社会学的基礎」(1911-12年)

この書き込みをしながら『貨幣の哲学』を読んだ後、ヴェーバーは、「音楽の合理的・社会学的基礎」(Die rationalen und soziologischen Grundlagen der Musik)という論文を書いている。この論文はヴェーバーの死後、妻マリアンネによって『音楽社会学』と題を改められる。マリアンネは夫ヴェーバーが体系的な記述をしていたかのように見せかけようとしたのだ。だがこの論文は『音楽社会学』から想像されるような、音楽と社会の一般的関係をあつかった論文ではぜんぜんない。

 この論文は、西洋の「平均律音階」の出現とその意味をさぐる論文であり、終始、一貫して、音階の比例分割、つまり有理数(合理数)による分割という問題があつかっています。

 もともと西洋では、音楽は数学や天文学と同列の学問だとされてきた。それは音階というものが有理数(分数)で作られるからだ。(たとえば、一つの弦を1/2にすると1オクターブ音が高くなり、2/3にすると、ドの音がソの音の高さになる)。

 ところがどの音から分数によって音階を作っていくかによって、じつは音階は微妙にずれてくる。出発点の音(主音)ごとに、本当は、音階はその度ごとに作り直さなくてはいけない。弦楽器や管楽器ならばそれは微調整で適応できる。しかしオルガンやピアノやギターなど音が固定された楽器ではそうはいかなくなる。主音を変える、つまり転調するごとに別の楽器を使うわけにもいきません。調によって音階を作れる楽器と、調ごとには音階を作れない固定した音階をもつ楽器とは一緒に演奏すると微妙に音のズレが生じる。(おそらく、それが、音階が固定されているピアノやギターが、オーケストラに入っていない理由であろう)。

 この問題を、西洋ではオクターブを12等分することで解決した。だがその際、音階を分割するのは、もはや分数(有理数)ではなく、無理数なのである。人間の耳は周波数が2倍になると、同じ音に聞こえる。12回音を上げていくとちょうど上の周波数が2倍の音になるように音階を分解する。つまり2の12乗根づつ周波数があがるような音階(半音)を12回積み上げて、上の高い同音にいたるような音階をつくる。こうしてできた音階を「平均律音階」という。音階の比例関係は、指数の比例関係に変わっている。ピアノやオルガンなどはこの音律に調律されている。

 この音階によって自由な転調ができるようになる。たとえば、ハ長調のラの音はヘ長調のレの音と同じとされるようになった。だがその結果、平均律音階の音はどれも、本来の有理数による音階から少しずつずれている。

 「有理数」(分数 a rational number)というのは直訳すれば「合理的な数」。それに対して「無理数」(an irrational number) 、つまり「非合理な数」だ。つまり西洋の平均律音階は、無理数(非合理数)で音階を分割するという、「非合理性」の導入によってはじめて完成したのである。

 この平均律音階の誕生の結果、それを内部に仕込んだ楽器(ピアノ)は、どの調の音階にも対応できるようになった。しかし、それぞれの調の音階は、本来は起点とする音からの比例分解によって音階をつくっているために、無理数で分節した音階は正確には対応しない。でもそれをいわば、無理矢理対応させる、というのが平均律音階の強みだ。そうすればどの調の音も、いちいち調律をし直さなくても弾けるようになる。本来は異なっているさまざまな調の音を、「異名同音」として同じ音だとしてくくってしまうのである。それはちょうど西洋的な時間体系(定時法)が、まだ日が高かろうとあるいは沈もうと「6時」だとし、太陽が南中していなかろうと「正午(12時)」だとしてしまうのと同じである。

 ヴェーバーが「普遍的文化」と言ったとき考えているのは、じつはこうした無理矢理あてはめていくような合理性をもった文化のことを考えていたとおもわれる。


 呪術からの解放から形式合理主義の世界へ

 ではヴェーバーは、その未完に終わった『宗教社会学論集』で、この「普遍的文化」の発生をどのように説明しようとしていたのか。残された文献から構成されるのはつぎのような展開である。


 呪術の園

 原生的共同体において、あらゆる生活諸領域は、その神話的呪術的な世界観(聖なる天蓋)の下にまとめられていた。芸術領域もその例外ではない。芸術はこの世界観に文字通り呪縛されており、同時にその世界観に奉仕するものであった。「正しい」とされた様式からの離脱は、呪術的な恐怖を伴うために忌避された。

 たとえば、音楽を例にとるならば、ひとたび呪術的に効果ありとされた旋律は固定されがちであり、それからはずれた旋律は忌避された。この固定された旋律から音階が形成されていった。


 呪術的世界観の打破

 古代ユダヤの民が創出した一神教はこうした呪術的な神話的世界を打破するものとして働いた 。それまで各地の「高きところ」(聖地)でのおこなわれた祭礼はすべてエルサレムに集中され、各地の「八百万(やおよろず)」の神々は否定された。ただユダヤ教はその民族的な紐帯を脱し切れてはいなかった。しかし、その神を継承した、キリスト教、イスラム教ではその神観は普遍的なものとなった。それによりそれまでの地縁・血縁による共同体の祭祀とその呪術的な信仰は打破された。これをマックス・ヴェーバーは「呪術からの解放」と呼んでいる。 

 呪術的世界観の束縛から解放された文化諸領域は、その独自な自律的な展開をする。芸術もその例外ではない。ここでふたたび音楽を例にしてみよう 。

  

平均律の誕生

 脱呪術化した世界観の下で、音階はそれまでの固定的な旋律の呪縛から自由になった。それまでの音階が旋律に拘束され、主音から音階形成がなされていたのに対して、音階内部の自律的で合理的な分節が目指された。有理数(rational number直訳すれば合理数)によるさまざまな音階分節が試みられたが、二分の一、三分の二、四分の三、という有理数による音程の分節は相互に不整合をもたらします。結局、有理数による音程分節はあきらめられ、無理数(irrational number直訳すれば非合理数)による音程分節がなされることになり、それが「平均律」となった。この平均律は和声的には常にわずかながら不純であるが、自由な移調や転調を可能にし、その結果、西洋音楽は飛躍的発展を遂げることになった。

 平均律音階は、提示された主音から合理的の音階形成をしようとしない。すなわち音階の外から与え提示された音から出発して比例によって音階をその度ごと形成しようとはしない。すでにできあがった出来合いの音階でそれに対応しようとする。ヴェーバーはその時々の現実に適合する合理性を「実質合理性」と呼ぶ。しかしこの実質合理性は平均律音階では否定されている。平均律はあくまでも自分のなかの閉じた無理数による分節による音階をつくりあげ、それを適用する。外のものとの完全な対応を放棄することで、その内部の整合性・体系性を追求するこうした合理性を、ヴェーバーは「形式合理性」と呼んだ 。 

 形式合理性の支配

 ヴェーバーによれば、この形式合理性は、西洋音階のみならず、西洋の文化一般の性格であった。

 たとえば、西洋の線遠近法による絵画は、肉眼からみた像とはわずかであるが遊離した図学的体系による作図を基本にしてする。ゴチック建築の登場する以前、たとえば、ロマネスクの教会は、建物の大きさごとに計算され調整されたそれまでの円形アーチとそれによる正方形の区画からの建築しようとした。ゴチック様式はその大きさとごとにつくりあげる試みを放棄して、尖頭アーチと長方形の区画の組合せで、教会の建築をした。西洋の法体系は、事件ごとに人がらや事がらにそくした審議と判決をするのではなく、あらかじめ形式的につくられた法体系を事態に対応させることで、審判を下します。さらに貨幣の体系は、個々人が品物にこめたさまざな思い(使用価値)を切り捨て、交換関係のなかでの価値だけで、品物の価値を決める、そうした自律的な体系となっている。

 貨幣と法体系

 マルクスによれば、商品交換が全般的になるにつれて、個々人にとってのものの価値、すなわち「使用価値」ではなく、そのものがどれくらいの金額で交換されるかという「交換価値」が品物の価値を決定する。すなわち個々人の価値(使用価値)とは別の価値(交換価値)の体系ができあがっており、その価値(交換価値)の体系があることで市場経済が成立している。

 個人の観点からみたら、交換価値というのは、時には「理にあわない」(不合理)もののこともある。例えば、先祖代々大事にしてきた掛け軸が、二束三文の値段しかつかないこともある。農地改革 の時にただ同然で手に入れた土地が、都市化で億の値段がつくこともある。

 貨幣による交換はこうした交換価値によって、個々人の思い入れによる「使用価値」を押しつぶしていく。

 このように個々人や個々の場合から見ると「理に合わない」、「ぴったりしない」けれどもそれがあることでさまざまな処理ができるような体系として、法律の体系がある。A嬢が人を殺したのとB氏が人を殺したのとは、もちろん別の事柄だ。それぞれ別の事情がある。個人の側からみると、事情をよく吟味して罰するしてほしい。それが、いわば「大岡裁き」というものである(これをヴェーバーは「カーディ裁判」と呼ぶ)。でもそれは、A嬢は無罪放免、B氏は死刑(磔獄門はりつけごくもん)という結果を招きかねない。しかし、このようにいつもその事情ごとに罰し方が違っていたら、なんら規則や決まりというものが作れなくなってしまい、社会生活は不安定なものになってしまう。将来のことを予測・計算することもできないから、およそ計画的な経営というものは難しくなり、「越後屋」にでもなって「お代官様」に賄賂を贈ってお目こぼししてもらった方がよくなってしまう。

 ともかく、「悪さ」や「非道」があったら、それに、犯罪名を適用し、さらい、その犯罪に対する処罰を適応する、たとえば、「人殺し」や「刃傷沙汰」があったなら、ひとまずどちらも「殺人」という名でくくり、その罰則の幅を決めておいて、そのうえで事情を考慮するというのが、近代の法体系のあり方である。

 同じようにAさんとBさんが別れるのと、CさんとDさんが別れのとは、もちろん別の事柄である。しかしひとまず「離婚」という言葉でくくってそれから対応するのが法律のやり方である。

 かつて『クレーマー・クレーマー』という離婚をあつかった映画があった。圧巻は法廷の論争シーンで、夫婦の個人的な悩みや問題が法律の「言葉」で表現されるとき、まるで身を切られるような残酷さを持っているのをそれはみごとに表していた。個人の事情が法的用語に置き換えられることで個々の事情・情感の切り捨てられる。だがそれなくしては、案件を法的には処理できない。

 掛け軸を持っているのと、金の延べ棒を持っているのとは同じではない。しかしどちらも「所有」という見方でくくることでその権利を保障しているからこそ、人びとは安心して売買(交換)ができる。持っているものによって急に取り上げられてしまうようになったら不安で売買などできない。

 法律の体系は、社会のさまざま事柄を、法律の言葉でくくり、それを処理する体系である。貨幣(交換価値)の体系も法律の体系も、個々の、本来ならば「同じ」とはみなすことのできない物事を、「同じ」とみなしくくることで、機能している。

 このようにヴェーバーは、個々の事例にそれぞれふさわしい「合理性」を「実質合理性」とよんだ。それに対して、個々の事例を共通なものとして形式的にくくるような合理性を「形式合理性」とよんだのである。


 形式合理性の世界

 その本来の問題解決からみたら「非合理」と思えるものを導入することで西洋の「合理性」は成立し、各領 域は自律的(合理的)体系をなしている。たとえば貨幣の体系は、個々の「使用価値」を無視し、それからみたら「理に合わない」、「交換価値」の自律的体系としてたち現れている。また法体系は、個々の実状をいったん捨象することでその実律的、形式的かつ普遍的な体系となっています。たとえAの殺人とBの殺人は個別的なことなのに、ひとまず「殺人」としてくくる。それぞれに実状にあわせて裁判することを「カーディー裁判」という。しかしそれでは場合によって判決が違ってきて、計算(予測)可能性がなくなり、資本主義的経営がなりたたなくなる。


マルクス   使用価値       交換価値(+労働価値説)

ジンメル   内容 実質的価値   形式(交換関係の結晶)としての貨幣 

ヴェーバー  実質合理性      形式合理性(閉じた自律的システム)

 

 マルクスは『資本論』で、「使用価値」と「交換価値」の2分類を提唱した。その際、マルクスは、「交換価値」は、「一般的な労働」の時間によって計られる、と考えていた(労働価値説)。ジンメルはこの労働価値説を切り捨て、貨幣が現しているのは、交換関係における価値であり、貨幣はこの交換関係が結晶化したもの、つまり関係が実体化したもの、つまり「形式」だとみなした。

 ヴェーバーは、このジンメルの関係の結晶化としての「形式」という考えをつかって、「形式合理性」という概念を得たと思われる。この合理性は、交換や転用が可能な普遍的な合理性である。しかし、それがさまざまなものに交換・転用・適用できるのは、体系が柔軟性だからではなくて、むしろ反対に、他の領域からいったん離れて独立に自律的で、固定化した体系(システム)だからなのである。

 こうして、ヴェーバーは、ジンメルの形式社会学(関係の結晶化としての形式をあつかう社会学)、とりわけ『貨幣の哲学』を経由することで、マルクスの「使用価値」と「交換価値」に対応するものとして、「実質合理性」と「形式合理性」という概念をつくりあげたと思われる。。

 この形式合理性の体系でもっとも重要なのは、貨幣体系と法体系である。しかしそのほかの領域もそれぞれに自律的に(つまり他の領域や人間本来の目的からの合理性を無視して)展開され完結しているとヴェーバーはみていた。

 非合理性を媒介にして形式合理のさまざまな体系が自律的に展開する、それがヴェーバーの近代観である。そうしたばらばらになったさまざまな領域の体系のなかにあって、その分裂を一手に引き受けまとめ上げるべきものとされるのが、個々人の「人格」なのである。禁欲的に自分の幸福からみると非合理に過ぎない労働に邁進する近代人は、同時に分裂した近代にあって統合をめざす唯一の拠点として緊張にさらされている。

 宗教的禁欲主義が世俗的な資本主義を生み出し、非合理を媒介にして自律的形式的に合理化した諸領域が発展していく。ヴェーバーの近代とはこうした逆説的な発展が生み出したものにほかならなかったのである。


文献

マックス・ウェーバー著『音楽社会学』安藤英治・池宮英才・角倉一朗訳、創文社、1967年

すばらしい訳注と解説。音楽理論についてはこの本で十分に解説されている。ヴェーバーの音楽社会学の理解のためには、この本だけで足りる。なお、音楽理論、とくに音階の理論の理解のためには、音感も音楽センスも全く必要ない。分数と無理数の知識(と少々の根気)があるだけでいい。かつて西洋では、音楽が数学と同類の学問とされていたことがよくわかる。


吉松隆著『吉松隆の調性で読み解くクラッシック』(ヤマハミュージックメディア、2014年)

ヴェーバーの音楽理論の理解のためには、邦訳『音楽社会学』だけで十分だが、やはり、別の解説を読むと理解しやすくなる。とくにこの本の「scale 3科学的にみた調性~自然倍音から音階、平均律へ」は、ヴェーバーの音楽社会学の理解を大いに助けてくれる


マックス・ヴェーバー著『宗教社会学論選』大塚久雄・生松敬三訳、みすず書房、1972年

ヴェーバーの宗教社会学のみならず、彼の社会学全般のエッセンスといえるもの。


by takumi429 | 2019-05-16 20:54 | 近代とは何だろうか | Comments(0)

5.ジンメル 社会関係形成の結晶化として近代

 5.ジンメル 社会関係形成の結晶化として近代

 前回、我々は、夏目漱石が『虞美人草』というパロディ小説で、貨幣支配の近代社会の批判をしたことをみた。今回は、この貨幣について考察したジンメルとその影響を受け、「形式合理性」という近代を支配する概念をみつけたヴェーバーについてみていくことにする。

 社会分化による相互作用の出現
ジンメル(Georg Simmel、1858- 1918年)がまずとりあつかった近代化の現象は「社会分化」である。それまで人びとを丸抱えしていた共同体が解体し、人は個人になっていく。同時にさまざまな社会領域が生まれ、人は個人として相互に関係を作り上げていくようになる。これが社会分化である。ジンメルは、個人どうしが関係を作っていくことを、「社会関係形成」(Ver-Gesellschaft-ung = making society )という。つまり近代になって、人は個人となって相互作用によって社会関係を作り上げ、作り続けていくことなった。そこに個人が作り上げる関係を、その具体的な目標や内容から距離をとって(引いて)、その関係(形式)だけを考察する「形式社会学」の可能性が生まれた。

 社交(society)の世界
 たとえば、ジンメルは言う。「媚態」(コケットリーcoquetry )とは、肯定と否定を間を揺れる振り子である、と(『社会学の根本問題』阿閉吉男訳現代教養文庫1966年94-6頁)。するとたちまち、私たちにはつぎのような映像が浮かんでくる。
 輝きに満ちた夜の社交界で、青年はある淑女の誘うような拒むような媚態に魅了される。彼女の真意を知ろうと、青年は夜明けに彼女の部屋に押し入る。だがそこには下着姿の少女がふるえて立っている。青年はあわてて、部屋を飛び出し、庭から外へと駆け出しつつ、今見た少女の姿と昨夜の彼女の媚態を、交互に思い返す。
 媚態に真意などというものはなかった。媚態は夜の社交の輝きのなかでのみ存在していた。その媚態を冷静に楽しむ、それこそが社交界に参与することであって、本当のものを求めるなどという無粋な行為は空振りに終わるしかないのだ。
 人びとが作り上げる関係は、その個人個人の「真意」とは独立して関係の世界としてたち現れている。それは、まるがかえの共同体が弛緩すればするほど、顕著になり、その関係の世界は大きくなってきた。その関係を、個々の内容とは距離を取って、いわば、「引いて」、その形式をながめ考察していく、それが形式社会学なのである。

 貨幣経済の形式社会学へ
 人びとの相互作用できわめて重要なのはもののやり取り(交換)である。近代ではそれは貨幣を仲立ち(媒介)におこなわれる。人々が貨幣を使って物(商品)の交換する有り様(形式)はどのようなものなのか。ジンメルは、この貨幣の形式社会学的考察へと歩みを進める。

 ツヴァイク作「女の二十四時間」金をやりとりする手
 貨幣経済を考察するときのジンメルの距離のとり方は、ステファン・ツヴァイク(1881-1941)の小説「女の二十四時間」のつぎのような箇所に似ているかもしれない。

「わたしは賭博場にはいり、自分では賭けずに机のあいだをぶらぶら歩きまわって いました。ごちゃまぜになった組の者たちを、特別な方法でながめていたのです。特別な方法で、と申しましたが、これは死んだ夫があるとき教えてくれたものなのです。・・・つまり、けっして人の顔を見ずに、四角四面な机の面(おもて)だけを見、さらにそこにのっている人間の手と、そのおのおの独自なしぐさだけを見るという方法なのです。・・・あの緑色の長方形の盤だけをです。そのまんなかで、珠がよいどれのように数字から数字へとよろめうごけば、まるで畠にたねだがまくかのように、うずまく紙幣やら、まるい金貨や銀貨やらが、四角にくぎられたかこいのなかに落ち、と、さっとばかり大がまで刈るように、それを管理人〔ディーラー〕の熊手がひっさらってゆき、あるいは、まるで穀物のたばのように、それを勝つた者のところにしゃくってやる、といったぐあいです。速近法的に焦点をあわせれば、この場合変化しうる唯一のものは、手なのです――緑色のテーブルのまわりにぐるりとならび、白くぬきでてものまち顔の、そわそわとおちつかないたくさんの手なのです。・・・実際この突発的な手の動作こそは、常に各種各様の気性を背おったものであり、それぞれがみんなことなったものである上に、また常に思いがけない意外なものだがあるのです。・・・実に幾千という各種各様の手があるものなのです。毛のはえたまがった指があり、卿蛛のように金をわしづかみ にする野獣のような手、靑ざめた爪がついて、金をつかむこともできなさそうな、ふるえる神経質な手、高貴な手、下賎な手、残忍な手、内気な手、狡猾な手、それからいわばロごもるような舌たらずの手――しかしそのどれもがことなった印象をあたえるのです。これらの一対の手が、どれを取りあげてみてもそれぞれの特殊な生活を表現しているからです。」(辻瑆訳「女の二十四時間」ツヴァイク全集Ⅰ『アモク』1961年みすず書房187-191頁)

 ジンメルは、貨幣を媒介とした物の交換を、この小説のように、すこし引いて、個々人から距離をとり、そのやり取りの形式を考察しようとする。この距離による抽象化は、形式社会学という学問がもつ性格である、と同時に、実は貨幣というものが、その使い手の個性や思い入れから離れたものであるという、貨幣のもつ抽象化の産物でもある。
 
 「貨幣の心理学のために」(1889 年)
 ジンメルは、まず「貨幣の心理学のために」という論文で、まず、この限定的交換が貨幣によって乗り越えられることに注目する。
 貨幣というものがないとき、交換は、お互いが、相手の物を欲求していなければ成立しない。
A  B

a b
 しかし、貨幣(Geld)が存在すれば、所有者Aはひとまず自分の持ち物 a をお金G1と交換しておきa⇔Ga、後から、自分のほしいもの、たとえば商品fをお金Gfで買えばよい。同時に交換が成立する必要もないし、また交換がおなじ金額になる必要もなくなる。またa を売って得たお金G1が f を買うお金G2とおなじ必要もなくなる。なぜならお金(貨幣)は分割可能だから。
 所有者Bも同じことができるし、 b⇔Gb 所有者CもDもFも・・・同様。c⇔Gc d⇔Gd f⇔Gf ・・・
 貨幣を得た所有者は、自分がほしい物がほしい値段で市場に現れる、のを待つことができる。こうして交換は広がり、かつ柔軟なものとなる。
aがほしい、bを使ったことしたい、cを食べたい、などなどの目的は、ひとまずその手段として貨幣を手に入れておいて、そのあとで機会をみて、実現すればよい。貨幣が目的実現のための手段としてとりわけ優れているのは、普通の手段なら、aという目的のための手段maは、bという目的のための手段mbに転用することがむずかしいのに、貨幣だとその転用ができる。つまり、貨幣はどんな目的に対しても手段となりえる。
 ジンメルは、この貨幣があらゆる目的の手段となりえる性質を、ちょうど、動力をいったん電力の形に転用すことになぞらえている。
「このことは、落下する水の力、熱せられた気体の力、あるいは風車の翼の力といったいかなる任意も、これらが発電機に導かれれば、この発電機によって、あらゆる任意の望ましい力の形式へと転用されることができるという事態とほぼ同じことである」(大鐘武訳『ジンメル初期社会学論集』恒星者厚生閣1986年138頁)。
「わたしの行為ないし所有も、わたしのさらに生ずる願望に資するために貨幣価値の形式に入らなければならない」(同139頁)
 ジンメルの言う「形式」とはいわば、関係のパターンである。彼の「形式社会学」とは、社会関係のパターンを、個々の人間の内容(中身)ではなく、関係の形(パターン)から考察する学問である。しかし、ここの記述では、「形式」とは、さらにふみこんで、「交換可能で転用可能なもの」を指している。
 お金(貨幣)はあらゆる目的の手段となりえるから、いつしか、お金を得ることが自己目的となってしまうというのは容易に予想できる。これをジンメルは「貨幣が自己目的となる心理的メタモルフォーゼ」と呼ぶ(同142頁)。
 こうして、貨幣があらゆる目的を実現できる手段として自己目的化していくと、貨幣は普遍的で透明なものとなって、あらゆるものの価値を表すものとなっていく。この価値は、ものの固有の価値とはちがって、あくまでも商品交換という運動が、貨幣の形をとって現れている。ものの値打ちがお金(貨幣)で計られるというのは、「事実や理念を不変の形式から、つまり変わることなく固定的であるものや永久に存在するものの形式から、運動の形式へ、つまり事物の永遠なる流れや絶えざる発展の形式へと変える大文化過程の一側面である」(同156頁)。
 こうしてあらゆる物の価値を、公平で透明な形であらわす貨幣は、一種の神のような存在として現代において現れている、とジンメルは結論する。

 「近代のおける貨幣」(1896年)
 その後、ジンメルは「近代のおける貨幣」という講演をしている。内容は、「貨幣の心理学のために」と重なる。新たな論点として、貨幣の登場で、所有者と所有物との密接で固定的な関係から解放されたこと、貨幣によってあらゆることが金勘定という計算によって支配されること。また目的となった貨幣をもとめて人々は狂奔することを指摘している。

 『貨幣の哲学』(1900)
 この後、ジンメルは大著『貨幣の哲学』に取り組む。『貨幣の哲学』は「分析編」と「総合編」に分かれる。「分析編」は、人間の営み、とくに交換から、どのように貨幣というものが生まれてくるかを描き、「総合編」は、貨幣が人間の生活にどのような影響を与えるかを書いている。

 「大都市と精神生活」(1903 年)
この『貨幣の哲学』のいわば要約とでも言えるものを、ジンメルは論文「大都市と精神生活」で書いている。
「大都市的な個性の類型を生じさせる心理学的基礎は、神経生活の高揚であり、これは外的および内的な印象の迅速な間断なき交替から生じる。・・・
大都市は昔から貨幣経済の場であった。・・・
経済心理学的領域での本質的なことは、この場合こうである。すなわち、原始的状態では生産は商品を注文した依頼人のために行われ、その結果生産者と買い手とはたがいに知り合いになる。しかし現代の大都市は市場のための生産、言いかえれば、本来の生産者の視圏にはけっして入らないまったく未知の買い手のための生産によって、ほとんど完全に維持されている。これによって双方の側の関心は、冷酷な主観性を獲得する。」(ジンメル著作集第12巻270-1頁)
 これは、『貨幣の哲学』の「分析編」、人間の営み、とくに交換から、どのように貨幣というものが生まれてくるか、の要約にあたる。
 つぎに貨幣が人間の生活にどのような影響を与えるかを考察した「総合編」の要約にあたるのがつぎの記述である。
「おそらく倦怠ほど無条件に大都市に保留される心的現象は、けっしてないであろう。これはまず第一に、急速に変化し対立しながら密集するあの神経刺激の結果であり、大都市の知性の高揚もこのような神経刺激から生じるように思われる。そのため実は、もともと精神的に不活発な愚鈍な人間は、まさに飽きることのないのがつねである。無際限の享楽生活は、神経を長く刺激してきわめて強い反応をひきおこし、ついには神経がもはやいかなる反応もあたえなくなるため、倦怠を生み出すのである。…
このような心の気分は、完全に浸透した貨幣経済の正確に主観的反映なのである。貨幣は、事物のあらゆる多様性をひとしく尊重し、それらのあいだのあらゆる質的相違をいかほどかという量の相違によって表現し、そしてその無色彩性と無関心とによって、すべての価値の公分母にのしあがる。そうすることによって貨幣は、もっとも恐るべき平準器となり、事物の核心、その特性、その特殊な価値、その無比性を、望みなきまでに空洞化する。事物はすべて同じ比重で、たえず流動している貨幣の流れのなかに漂い、すべての同じ平面に横たわり、ただそのまとう断片の大きさによってのみ、たがいに区別されるにすぎない。…(ジンメル著作集第12巻274-5頁)

 大都会がもたらす絶えまない刺激と倦怠。そして貨幣によって計られ、均(なら)される私たちの精神生活。これは、私たちが前回みた、漱石の『虞美人草』の、東京博覧会の記述にきわめてよく似てはいまいか。その理由は、漱石とジンメルがともに見ていたものが、近代の貨幣によるあらゆるものの商品化と、そのぼうだいな商品の集積として社会の富が現れてくる近代という時代だったからである。

文献
菅野仁 著『ジンメル・つながりの哲学』(NHKブックス968、2003年)
まずはこの一冊から。本章は訳語など多くをこの本に負うた。

早川洋行・菅野仁編『ジンメル社会学を学ぶ人のために』(世界思想社2008年)
ジンメル社会学の入門書。

ジンメル著「社会分化論」(石川晃弘・鈴木春夫訳)(尾高邦雄編『世界の名著47』1968年中央公論社)

ジンメル著『ジンメル著作集(2)貨幣の哲学 分析篇』(元浜清海, 居安正, 向井守訳、白水社1981年)・『ジンメル著作集(3)貨幣の哲学 総合篇』(元浜清海, 居安正, 向井守訳、白水社1978年)

G・ジンメル著『社会学の根本問題』(阿閉吉男訳、現代教養文庫1966年・清水幾太郎訳、岩波文庫1971年)
小著だが、刺激いっぱいのジンメル社会学のエッセンス。


by takumi429 | 2019-05-14 02:40 | 近代とは何だろうか | Comments(0)

4.夏目漱石『虞美人草』 倒錯した商品世界としての近代

4.夏目漱石『虞美人草』 倒錯した商品世界としての近代


 新聞小説家 夏目漱石

 1907年(明治40年)2月、東京帝国大学講師の夏目金之助は一切の教職を辞して、月給200円で朝日新聞社に入社した。同年6月23日から、彼にとって初の新聞小説「虞美人草」の連載を始め、10月29日で完結した。

 夏目金之助こと漱石は、親友の正岡子規が創刊し高浜虚子が引き継いでいた雑誌『ホトトギス』において、『吾輩は猫である』を、1905(明治38)年1月から翌1906(明治39)年8月まで連載し、また『坊っちゃん』を1906(明治39)年に、第九巻第七号「附録」としてを発表した。この2つは大評判となって雑誌『ホトトギス』の売上に貢献した。言文一致の文体を用い、とくに『坊っちゃん』の文体はその切れの良い江戸っ子ことばを用いた小気味良い言文一致体がきわだっていた。

 ところが漱石は『虞美人草』では凝った美文調を駆使した。たとえば、女主人公「藤尾」の登場では、

「紅を弥生に包む昼酣なるに、春を抽んずる紫の濃き一点を、天地の眠れるなかに、鮮やかに滴たらしたるがごとき女である」(『夏目漱石全集4』(ちくま文庫1988年)27-8頁)。

 この文体は、一般に「雅俗折衷体(がぞくせっちゅうたい)」と呼ばれる明治初期に用いられた小説の一文体である。平安時代の文語文に基づく表現法と日常的俗語とを混合した文体で、ふつう、地の文は文語体、会話は口語体で書かれた。

 みごとな言文一致体で名を上げた夏目漱石が、なぜ彼の新聞小説のデビュー作で、このような凝った美文調の雅俗折衷体をもちいたのだろうか。


 大ベストセラー新聞小説「金色夜叉」

 そもそも朝日新聞社はなぜ東大講師夏目金之助を引き抜いたのか。そこにはおそらくライバルの読売新聞の連載小説「金色夜叉」の存在がある。1897(明治30)年1月1日 から1902(明治35)年5月11日まで連載された、この小説は大人気となり、読売新聞の売上を倍増させた。

 読売新聞社員、尾崎紅葉は、前年1896(明治29)年の新聞連載小説『多恨多情』では言文一致体を用いた。ところが翌1896(明治30)年からは、凝った擬古文調(雅俗折衷体)でこの連載「金色夜叉」を書いた。


 たとえば、前編第一章(一)の二、富山の描写。

「金剛石ダイアモンド!」

「うむ、金剛石だ」

「金剛石??」

「成程金剛石!」

「まあ、金剛石よ」

「あれが金剛石?」

「見給へ、金剛石」

「あら、まあ金剛石??」

「可感すばらしい金剛石」

「可恐おそろしい光るのね、金剛石」

「三百円の金剛石」

 瞬またたく間ひまに三十余人は相呼び相応じて紳士の富を謳うたへり。・・・

 かかる目印ある人の名は誰たれしも問はであるべきにあらず、洩もれしはお俊の口よりなるべし。彼は富山唯継(とみやまただつぐ)とて、一代分限(ぶげん)ながら下谷(したや)区に聞ゆる資産家の家督なり。同じ区なる富山銀行はその父の私設する所にして、市会議員の中うちにも富山重平(じゆうへい)の名は見出みいださるべし。

 宮の名の男の方かたに持囃(もてはや)さるる如く、富山と知れたる彼の名は直ただちに女の口々に誦ずんぜられぬ。あはれ一度ひとたびはこの紳士と組みて、世に愛めでたき宝石に咫尺(しせき)するの栄を得ばや、と彼等の心々(こころごころ)に冀(こひねが)はざるは希まれなりき。人若もし彼に咫尺するの栄を得ば、啻ただにその目の類無たぐひなく楽たのしまさるるのみならで、その鼻までも菫花(ヴァイオレット)の多く嗅べからざる異香いきように薫(くん)ぜらるるの幸(さいわ)いを受くべきなり。

(青空文庫https://www.aozora.gr.jp/cards/000091/files/522_19603.html閲覧、一部改変)

 [なお、咫尺(しせき)とは、貴人の前近くに出てお目にかかること]


 当時、この小説は大変な人気を呼び、「前編」、「中編」、「後編」と書かれたが完結せず、さらに『続金色夜叉』、『続続金色夜叉』、『新続金色夜叉』と書き継がれたが、それでも完結しないで、尾崎紅葉の死(1903明治36)年により絶筆となった。死後、弟子の小栗風葉により、『金色夜叉 終篇作』として完結篇が1906(明治39)年に新潮社から出版された。


 「前編」のあらすじは以下のごとしである。

(全体のあらすじhttps://shakaigaku.exblog.jp/22161747/ を参照、2019年5月12日)


 15歳で両親に死に別れた、間貫一(はざまかんいち)は、鴫沢(しぎさわ)家に引き取られ育ててもらい、高等中学生(ほぼ自動的に東大生になれる)となる。大学を卒業し学士となったら、鴫沢家の娘、宮、と結婚し、鴫沢家を継ぐとの約束である。

 しかし、300円のダイヤモンドの指輪が自慢の大富豪の富山唯継は、かるた会で宮を見染め嫁に求め、鴫沢夫婦も宮もそれを了承する。

 鴫沢隆三が宮をあきらめるよう貫一を説得するあいだ、宮と母親は熱海に来ている。そこへ富山がやって来て宮を散歩に誘う。ところがそこへ貫一もやって来たので、富山は東京に帰る(前編第7章)。

 夜となって熱海の海岸で、貫一は宮をなじり、翻意を乞うが、宮は富山と結婚する気であることを知り、宮を蹴飛ばす(第8章)。貫一はそのまま出奔する。

(https://shakaigaku.exblog.jp/iv/detail/?s=22161747&i=201406%2F08%2F49%2Fc0046749_15433605.jpg 2019年5月12日 閲覧)


 お宮(おみゃーさん)を、貫一(官位一?)から奪う富山の名前が、親の財産をただ継いだだけで本人になんの取り柄があるわけでもないと言わんばかりの、「唯継」(ただつぐ)という名前なのが、可笑しいし、紅葉の名付け方のあけすけさに驚かされる。

 この富山はその身につけた300円(現在の600万円ほどか)のダイヤモンド(金剛石)で人々の目を引く。このダイヤモンド(金剛石)に目がくらみ、許嫁の貫一を裏切るお宮は、貫一はこう言う(前編第8章)。


「そんな悲い事をいはずに、ねえ貫一さん、私も考へた事があるのだから、それは腹も立たうけれど、どうぞ堪忍して、少し辛抱してゐて下さいな。私はお肚なかの中には言ひたい事が沢山あるのだけれど、余あんまり言難いひにくい事ばかりだから、口へは出さないけれど、唯一言たつたひとこといひたいのは、私は貴方あなたの事は忘れはしないわ――私は生涯忘れはしないわ」(青空文庫より引用)。


 「私にも考えたことがあるのだから」とお宮は貫一にいうが、その内容は明かされず、その後もこの小説ではいっこうに明らかにされない。貫一が苦学生で、それを助けるためにお宮はあえて富豪と一緒になる、というのならわかるが、それも貫一の

「七千円の財産と貫一が学士とは、二人の幸福を保つには十分だよ。」

という発言で打ち消されている。

 思うに、尾崎紅葉は、このお宮の「考えた事」の内容をうまく作ることができず、そのためにこの小説を完結できなかっただろう。

 この裏切りの後、貫一は、高利貸しとなり金の亡者、すなわち、金色夜叉に、成り果てる

 

 『虞美人草』 結婚市場の商品の逸脱と死

 夏目漱石は、この先行した大人気新聞小説『金色夜叉』を強く意識していたと思われる。漱石は彼の初の新聞小説『虞美人草』は、じつは『金色夜叉』のパロディ小説といえる。主人公、藤尾は、『金色夜叉』のお宮のような思わせぶりなことは言わない。ずばり、結婚市場においてもっとも高く自分を売ろうとする。この小説は、自分をもっとも高く売ろうとした女、藤尾の企てが失敗して死ぬ、というお話である。


 『虞美人草』の家系図(点線は許嫁関係 破線は藤尾の欲望と逸脱)

 小説の登場人物を家系図を見ながら紹介しよう。

 甲野藤尾(こうのふじお)24歳、女学校出の美人。彼女には腹違いの兄、甲野欽吾(きんご)がいる。欽吾の友人にはおなじく東京大学を出て、外交官試験のために浪人している、従兄弟の宗近一(むねちかはじめ)がいる。宗近一(はじめ)には妹の宗近糸子(いとこ)がおり、裁縫を好む家庭的な女だ。

 『金色夜叉』の「富山唯継」という名付け方をすでにみた。漱石はさらに、裁縫好きの主人公の従姉妹(いとこ)の名前を「糸子」と名付け、宗近家の長男を「一(はじめ)」と名付ける。このあたりの名付け方はほとんどふざけているが、これはパロディなのだよ、という漱石の目配せのひとつといえるだろう。

 藤尾は父親の金時計を気に入っており、いつも玩具にしている。この接触により、「金時計」は「藤尾」の身代わり(隠喩)になる。この小説世界のなかで「金時計」は一貫して「藤尾」と一体のものとして語られる。。

生前、藤尾の父はこの「金時計」をやると、宗近一に言っていた(『夏目漱石全集4』ちくま文庫69-70頁)。藤尾を意味する「金時計」を宗近一にやるということは、藤尾を一(はじめ)にやることでもある(同138頁)。つまり藤尾は宗近家の嫁に行くものと思われていた。

 また宗近の父は、娘の糸子(いとこ)を甲野欽五の嫁にやろうと考えており、糸子もそれを意識している。つまり甲野家と宗近家は、相互に娘を嫁にやる予定だった。

 レヴィ=ストロースによれば、婚姻関係は「女」という物を贈与する関係と見ることができる。ここでは甲野家と宗近家が娘を相互に贈与しあう。つま両家の関係は、レヴィ=ストロースの用語で言えば、「限定交換」がおこなわれる、そうした閉じた関係だったのである。

 しかし欽五の父が外地で急死することで、事態は急変する。藤尾の母は、実の子ではない欽吾が、自分のめんどうを見てくれるか不安だ。だから、できれば欽吾を追い出して、藤尾に婿を取らせて自分の立場を安定させたいと考えている。継母の押し殺した強欲さにへきへきとした欽吾は、「色の世界」(仏教用語での物質世界)を嫌悪し嘔吐し、哲学の世界に逃避しようとする。

 ここで藤尾の花婿の候補として浮かび上がったのが、小野清三である。小野は東京大学を優秀な成績で卒業し、恩賜の「銀時計」をもらい、さらに博士論文を執筆中である。藤尾の母は、小野に藤尾の英語をみてもらうようにし、両者を結びつけようと画策する。。つまり実の娘藤尾を、結婚市場において、できるだけ高く売ろうとしたのである。

 小野は、京都で井上孤堂という先生の世話をうけており、そのかわり井上先生の娘、小夜子の将来の夫となることを約束していた。しかし東京に出て、「銀時計」を獲得した今、小野はさらに博士となって、「金時計」たる藤尾を獲得したいという欲望をもつにいたる(同106,154頁)。

 藤尾をできるだけ高く売りつけたいという藤尾の母の欲望と、美しい才媛である自分にふさわしい男と結ばれたいと思う藤尾の欲望は、安定した女の交換関係を突き崩す。宗近一(一)は藤尾をもらえない。また欽吾も甲野家を出ると、宗近糸子を伊賀家の嫁にもらうわけにはいかない。また小野は、藤尾を獲得するために、井上小夜子を棄てるようとする。

 安定した婚姻の関係のなかでは、藤尾も、糸子とおなじく、家から家へと贈与されるものだった。しかし自分にふさわしい(等価な)相手を求めたり、できるだけ高く買われることを望んだ結果、藤尾は一種の「商品」へと変わったのである。

 それだけではない。かつては藤尾は宗近家へ贈られる品物だった。しかし藤尾の母は、藤尾(金時計)をつかって将来の博士(小野)を婿にもらう(買い取ろう)とする。ここにいたって、藤尾は、贈与物から商品へ、さらに「金」(かね)という特殊な商品(貨幣)へと変身する。

 作家夏目金之助(漱石)はこの藤尾という女(特殊な商品)のふるまいに、断固たる鉄槌を喰らわせようとしする 。小説の終盤で、藤尾に見限られたため逆に自由になった宗近一(はじめ)の活躍により、小野と小夜子が、さらに甲野金吾と糸子が元のさやにおさまる。小野を奪われた藤尾は宗近一に金時計を渡すが、宗近一は金時計を大理石にたたきつけ壊す。自分と一心同体の金時計が破壊されると、藤尾は倒れ、その結果、死んでしまう。


 ところで藤尾と同一視される「金時計」はいかなる意味をもつのか。。小野にとってはそれは恩賜の銀時計のさらにさきにある出世の象徴である。さらに「金」は貨幣(金)を意味する。「時計」は近代的な時間を意味する。労働を測定しその価値を計る。だから「時は金なり」である。

 この「金=時計」の死によって、自然な時間、つつましく自然な欲求と交換の世界がよみがえり、秩序は回復されるのです。


 博覧会 倒錯の商品世界

 ところで、この小説では京都と東京は対照的な世界として設定されているように思われる。すなわち、京都は納まるべきものが納まるべき所に納まっている世界であり、東京は固定した関係が流動化し、絶えず新たな欲望が喚起される世界である。こうした「文明」の世界の典型としてこの小説にとりあげられているのが、1907(明治40)年の連載当時に開催されていた、東京勧業博覧会である。

「蟻は甘きに集まり、人は新しきに集まる。文明の民は激烈なる生存のうちに無聊(ぶりょう)をかこつ。・・・文明の民ほど自己の活動を誇るものなく、文明の民ほど自分の沈滞に苦しむものはない。文明は人の神経を髪剃に削(けず)って、人の神経を擂(すり)木(こぎ)と鈍くする。刺激に麻痺して、しかも刺激に渇くものは数を尽くして新しき博覧会に集まる。・・・蛾は灯にに集まり、人は電光に集まる。・・・昼を短しとする文明の民の夜会には、あらわなる肌に鏤(ちりば)たる宝石が独り幅を利かす。金剛石(こんごうせき)は人の心を奪うが故に人の心よりも高価である。泥海(ぬかるみ)に落つる星の影は、影ながら瓦よりも鮮やかに、見るものの胸に閃(ひらめ)く。閃く影に躍る善男子、善女子は家を空しゅうしてイルミネーションに集まる・・・」(190-1頁)

 東京勧業博覧会では、不忍池に建てられたパビリオンはその見事な電飾で多くの観客を集めていました。この小説ではそれを舞台にして描いている。


「・・・イルミネーションは点いた。

『あら』と糸子が云う。

「夜の世界は昼の世界より美しい事」と藤尾が云う。」(同194頁)


「空より水の方が綺麗よ」と糸子が突然注意した。・・・イルミネーションは高い影を逆まにして、二丁余の岸を、尺も残さず真赤になってこの静かなる水の上に倒れ込む。黒い水は死につつもぱっと色を作す。」(同196頁)


 「空より水の方が綺麗よ」。この短いせりふに作品全体の重要なヒントがある。ここで漱石が言いたいのは、人々が群がっているこの東京博覧会は倒錯した幻影である、ということだ。さらにこの倒錯性は、東京の文明そのものの倒錯性でもある。宝石(ガーネット)の飾りのついた金時計(藤尾)のもつ輝きは、夜の博覧会のごとく、人(小野)の欲望をかきたてはするが、それは幻の、しかも本来の欲求からは倒錯した欲望にほかならない、ということを示唆している。

 休息のため席についた甲野と糸子、左近と藤尾は、偶然そこで井上親子と小野を見つける。小野と小夜子はまるで夫婦のように見える。(現に、後で左近が小野に二人は夫婦のように見えた、と話している)(261頁)。この夫婦のようにみえる小野と小夜子の関係に、藤尾は烈しい嫉妬と怒りを感じ、この関係を壊そうとする(205頁)。

 元来、人は自分の欲求充足をそのための手段たる品物によって満たす。そこには欲求とそれを満たす品物との直的対応関係がある。しかし貨幣経済が進展すると、ひとは現実の欲求のためでなく、いつか生まれてくる欲求のために貨幣をため込み、ひいいては貨幣を多く獲得すること自体がその人間の欲求となってくる。欲求充足と品物との直接対応は貨幣によって崩される。

 品物(小夜子)と固定客(小野)とが夫婦のように納まっているのを嫉妬する、特殊な商品、それが藤尾である。つまり藤尾は、商品と客との間を流動化させる存在としての特殊な商品、つまり貨幣であることが、ここの描写からもうかがわれる。

 そしてこの作品はまさに「貨幣の死」によって、安定した伝統的関係が復活することを描いた作品なのである。そしてこうした作品が書かれたということが、がまさにそうした伝統的な安定した関係が崩されつつあった時代に書かれたことを意味している。夏目漱石は小説家であるより、先行小説のパロディを書くことで、まさに社会批評家として、貨幣の台頭による倒錯した虚飾の商品世界を、きびしく批判したのである。



by takumi429 | 2019-05-13 09:43 | 近代とは何だろうか | Comments(0)

3.ヴェーバー(その1)逆説としての近代資本主義

資本主義の道徳な性格
マルクスによれば、資本主義は資本家と労働者という2つの階級の(対立をはらみながらの)協働によって動いている。その際、両階級の働きぶりには、奇妙なことに、道徳的、とでもいうしかない性格がみられる。資本家は決して守銭奴でもないし、稼いだ金で享楽的な酒池肉林の生活をするのではなく、その稼いだ利益を資本にして再投下して商品を生産し販売し、事業の拡大をめざす(そうしなければ敗者として消え去る)。また労働者も、その日食べていけるだけ稼いだらもう休む、というようなことはしないで、きめて勤勉に働き続ける。

「仕事」の概念
この資本主義の道徳(倫理)的な性格をもっともよくあらわしてるのが、「仕事」という考え方(概念)である。「仕事」と言ったとき、それはたんなる「金儲け」や「口過ぎ」を意味しない。「仕事ができてはじめて一人前」と言った言い回しがあるように、仕事はその人間の人生をかけるものであり、その人間の自己実現とみなされる。

こうした資本主義を支えるある種の道徳的な精神は、金儲けからは直接生まれない。この資本主義の精神の由来をキリスト教のプロテスタンティズム(新教)にさぐったのが、マックス・ヴェーバー(Max Weber 1864-1920)の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904)である。

ヴェーバーの職業喪失
ヴェーバー家の跡取り息子ととして生まれ育ったマックス・ヴェーバーは、早くして(弱冠30歳)大学教授となったが、父との確執・父を糾弾・父の死により、精神疾患を病み、教授職から退いた(1903年)。この職業喪失の体験がヴェーバーに「仕事人間」への懐疑をもたらした。この体験からヴェーバーは、自分を苦しめていた、強迫的な仕事への没頭とは一体何だったのか、を問うことになった。

ルターの職業概念
ルネッサンス芸術が花開く頃、ローマの教皇庁はその莫大な経費を捻出するために、免罪符(贖宥状しょくゆうじょう)なる物を考案し販売した。このころ、ダンテの『神曲』に描かれていうように、地獄・天国の他に、「煉獄」なるものが考え出された。地獄に堕ちた者は、煉獄で人間は7つの大罪(傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰・強欲・暴食・色欲)を業火を受けながら浄化することで、天国に行けるとされた。免罪符とはこの煉獄の苦行を免除するというものであった。免罪符はドイツでも盛んに販売され、ドイツの国富はローマの教皇庁へと奪いされれていた。こうしてローマのカトリック教会へ反感はとりわけドイツにおいて広まっていた。
エルハルト大学教授であった修道士マルティン・ルター(Martin Luther 1483-1546)はこの免罪符がなんら聖書に根拠をもつものでないことを『95ヶ条の論題』(1517)として発表し、さらに、ドイツ人がじかに聖書が読めるよう、新約聖書・旧約聖書のドイツ語訳を刊行した。グーテンベルクの印刷技術により、ルッターのドイツ語聖書訳およびローマ教会糾弾の書はひろく読まれ、こうしてローマ(カトリック)教会への抗議(プロテスト)しその権威を否定してみずから聖書を読む信仰(新教、プロテスタンティズム)がうまれた。
ルッター版の聖書はその精神を引き継ぎながら改訂されながら現在まで出版されている。その改訂の過程でで、Beruf(使命・職業)という言葉を、ごく一般の仕事をもさすものとして使われるようになった。ドイツ語の「職業」(Beruf、英語calling)とは、もともとは、神から呼ばれること、であり、神から与えられた使命であり、修道士や司祭などの聖職を意味した。この言葉をごくふつうの仕事(Arbeit)に適用することは、は、この神から与えられた使命として「職業」という意味を、ごくふつうの仕事にまで与えることになった。カトリック教会の権威を否定したルッターの精神は、聖職者が独占していた天命(職業)の意味を、ごく一般の仕事にまで与えたのである。こうしてそれまではたんなる「口過ぎ」「金稼ぎ」としてみなされなかった仕事が、神から与えられた天命としての「職業」へと変わったのである。
ふつうの仕事が「天職」が変わることで人々はその仕事をきわめて禁欲的にすることになった。だが、それだけでは、強迫的に仕事にまい進し、「仕事ができて一人前の人間」というぐあいに、仕事に自分の存在証明、つまり「証し」(あかし)をもとめるような、(かつてヴェーバー自身が陥っていた不安な)態度は説明できない。仕事をし、成果を出さなくては、不安だ。この不安はどこから生まれてきたのか。それを説明するために、ヴェーバーは宗教改革のもう一方の担い手、カルヴァン派に着目する。

カルヴァンの二重予定説
もと法学者でジュネーブの街で神権政治独裁者となったジャン・カルヴァン(Jean Calvin 1509-64)は、神の絶対性を極限まで高める。人間が良いことをすれば救い天国に召し、悪いことをすれば地獄に落とす、というのでは、神は人間の行動によって左右されることになってしまう、つまり人間はその行動で神を操ることができることなる(これを後年ヴェーバーは『宗教社会学』で「神強制」と呼んだ)。神の絶対性を信じるカルヴァンにとってはそれは許しがたいことである。神の絶対性を論理的に推し進めるならば、人間の救いに関する神の決定は、人間の善行・悪行によっては左右されてはならない。その帰結として、カルヴァンは、世界には救い(天国行き)に予定された人間と堕落(地獄落ち)に予定された人間が存在する、そしてその予定はその人間のふるまい(善行・悪行)とは関係なく、あらかじめすでに決定されており、けっしてくつがえることはない、と結論した。これがカルヴァンの「二重予定説」である。
この二重予定説は、一般の信者におそろしい不安をもたらした。信者はつねに、自分は救いに予定されているのだろうかとの不安をかかえることになった。不安を取り除くにはどうすればいいのか。それには、神が与え給うた天命(職業)において着実に成果をあげること。その成果を上げることが、自分が救いに予定されていることの証拠(証し)になると信徒たちは思った。すなわち、自分の事業が収益を上げるならばそれはこの世の中に貢献している、つまり自分は救いに予定されている人間なのだ。だから、儲けた金で遊びまわるなんてとんでもない、さらなる事業の拡大をはからねばならない。また労働者も、自分の救いを確信するために、修道士のように禁欲的に狂ったように働きつづけるのである。

理解社会学の誕生 意味連関と心理連関
修道士たちの禁欲的な労働は、「職業Beruf」という概念を、一般の労働にまで適用することで、一般の仕事にまで広がることなった。これは意味的に理解できるつながり(連関)である。他方、救われる/救われないという二重予定説がもたらした不安は信徒たちを強迫的な労働へとかきたてた。これは意味的・論理的にはつながらないが、気持ちはわかる、という意味で、心理的なつながり(連関)がである。後年、ヴェーバーは『社会学の基礎概念』(1920)で,
この2つの連関によって人々の行為を理解する、「理解社会学」を提唱することになる。

資本主義の精神の誕生
資本主義の道徳性をはらんだ、仕事と仕事への(強迫的な)まい進は、プロテスタンティズムの倫理から生まれた。もっとも俗な生産と労働がじつは宗教の影響によって現在のかたちを取るに至ったという逆説(パラドクス)。この逆説の発見こそ、ヴェーバーのオリジナリティ(独創性)なのである。

文献
マックス・ヴェーバー著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 (1989年、岩波文庫)
社会学のもっとも有名な古典。なぜ古典なのか、それはなんと言っても、「おもしろい」からだ。論理はかなり綱渡りだし資料もかなり恣意的であやうい、だがなんといっても、着想のおもしろさ、論のあざやかさが、ずば抜けている。だまされたと思って、(注は後回しでいいから)一度読んでみてほしい。

折原浩著「マージナル・マンとしてのマックス・ウェーバー――初期生活史の分析」『危機における人間と学問 - マージナル・マンの理論とウェーバー像の変貌』(未来社1969年収録)
勝又正直著「西洋的主体性の系譜学としてのヴェーバー宗教社会学 生活史から見た『宗教社会学論集』」『社会学評論 』 43 巻 (1992-1993) 1 号
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/43/1/43_1_2/_article/-char/ja/(2019年5月4日閲覧)
日本のヴェーバー研究の特徴は、ヴェーバー個人の生き様とその学問を関連づけていく点にあった。折原論文とその展開としての拙論は、精神分析によりヴェーバーの生活史を分析している。拙論ではラカンの精神分析とアルチュセールのイデオロギー論の適用をめざした。


by takumi429 | 2019-05-04 00:05 | 近代とは何だろうか | Comments(0)

2.テンニース ゲゼルシャフトとしての近代

テンニース:ゲゼルシャフトが支配的となる時代としての近代

 今回は、テンニース(Ferdinand Tönnies 1855–1936)のとらえた近代社会をみていこう。テンニースはその著『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(1887)で有名である。まずゲゼルシャフトについてみてみよう。

ゲゼルシャフト
ゲゼルシャフト(Gesellschaft)とは、欲得ずくの、自分にとって一番有利なものとして選らばれた、計算づくの関係である。それは、物の売り買いだけでなく、仕事も会社も、さらには国家や政府も、個人が選びとった関係である(ただ必ずしも取り替え可能とはかぎらない)。

ホッブズ研究
テンニースがもともとホッブズ(Thomas Hobbes 1588-1679)というイギリスの政治哲学者を研究していた。
ホッブスによれば、人間はほっておくと(自然状態では)、互いに殺し奪いあう、お互いにとって狼のような存在である。この人と人が争い合う状態をなんとか打開するためには、個々人がもつ暴力行使を、国家にゆだね、国家に暴力を独占させる。そうすれば平和が実現する、というのである。
ホッブスは、ユークリッド幾何学の体系をまねて彼の政治哲学を作り上げた。ユークリッドが、数少ない定義・公準・定理を組み合わせ積み上げる ことで壮大な数学体系を作り上げたように、ホッブスは、人間のなかにある原理的な運動を組み合わせることで国家論を構築していく。
それによって、ホッブズは、国家を神や宗教から正当化するのではなく、個人間の闘争から組み上げ説明し正当化する。国家は神でも民族精神によるものでなく、個人間の闘争を抑え込む機関にすぎない
ルクスは商品が支配し、貨幣によって何もかもが計算される、市場(商品世界)を描いたが、テンニースはホッブスを学ぶことで、こうした計算づくの関係が、商品世界からさらに、仕事や会社、大都会、さらには国家まで貫いていることを、ゲゼルシャフトという概念で明らかにしたのである。つまりゲゼルシャフトが支配的となる社会、それが近代社会なのである。

ゲマインシャフト
だがゲゼルシャフトが支配的になればなるほど、それではすくい取れない関係が、逆にあわらとなってくる。つまり、かけがえのない、取り代え不可能な関係というものが意識されてくる。テンニースはそれをゲマインシャフト(Gemeinschaft)と呼んだ。すなわち、家族、親族、民族、文化的な小都市などである。 
テンニースは、人間が作る結合体には2つの類型があるとする。ゲマンシャフトは、本質意志による 有機的な(organish) 結合体であり、ゲゼルシャフトとは、選択意志による 機械的な(mechanish) 結合体である。ここでいう、「本質意志」とは、思惟をふくむ意志、生の統一性原理であり、「選択意志」とは、目的にふさわしいかを考えてものを選んでいる意志である。
ゲゼルシャフトな欲得ずくの計算高い関係に傷つき膿んだ人々を癒やすのはこのゲマインシャフトな関係である。
マルクスは、その人間にとってかけがえのない価値を、「使用価値」と呼んだ。テンニースは、かけがえのない関係を「ゲマインシャフト」 をよび、人間の「本質意思」によるとした。他方、マルクスは商品世界の交換される際の価値を「交換価値」と呼んだ。テンニースは、欲得づくの交換価値 代替可能・選択可能な社会関係を「ゲゼルシャフト」とよび、それは人間の「 選択意思」によるものだとしたのだ。こうしてマルクスの、使用価値と交換価値は、テンニースによって、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトという社会関係へと二類型へと発展させられた。

社会関係の幾何学
ユークリッド幾何学の体系に習ってホッブズは自身の社会哲学を人間の欲望・情動から構築した。テンニースも、本質意志と選択意志という基礎から、ゲマインシャフトとゲマインシャフトという関係を構築する。すなわち、
社会関係: ゲマインシャフト/ゲゼルシャフト
意志: 本質意志 / 選択意志
自己のありよう: おのれ(Selbst) / 人格(Person)
所有のありよう : 占有(Besitz) / 財産(Vermoegen)
おもな所有対象: 土地 / 貨幣
権利: 身分権 / 債権
という具合である。

ナショナリズムとナチズムに抗して
ここでわすれてはいけないのは、国家はあくまでもゲゼルシャフトであるということである。資本家の市場獲得や帝国主義的拡張主義が、しばしば、「民族」の名の下におおい隠され、国家が民族や精神論によって正当化される。テンニースの晩年には、ナチズムがゲルマン民族の名のもとにユダヤ人迫害と侵略戦争を正当化した。テンニースは国家の民族・文化による正当化に断固として反対した。世知辛い金勘定と金儲けの世界、さらに差別、侵略をごまかすために精神論として、文化や民族や家族のつながりが持ち出されるのを、彼は徹底的に批判しているのである。

文献
テンニエス著『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(杉之原寿一訳、岩波文庫)
資本主義と所有権の法体系による社会はゲゼルシャフトである。しかしそうした社会が優勢になればなるほど、それとは異なる、「本質的な意志」による人間の結びつき、すなわち、ゲマインシャフトが決定的に重要になってくる。
テンニースは、このゲマンイシャフトの理論を、ホッブスのように、幾何学的に構築しようした。すなわち、本質意志を原理として、出生、母子関係、夫婦関係、兄弟、父子関係、享楽と労働。場所のゲマインシャフト、精神のゲマンイシャフトへと積み上げる。それがテンニースのオリジナリティ(独創性)だ。
 その際、決定的に重要なのは、ナショナリズムのように、国家を、家族・民族の展開、つまり、ゲマインシャフトとするのではなく、あくまでもゲゼルシャフトとみなしていることである。国家のうちにある矛盾・葛藤を、「民族=国民」の名の下に「国民=国家」として覆い隠すのがナショナリズムであるなら、テンニースの、ゲマインシャフトの幾何学は、それとは決然と袂を分かつものだった。
国家を民族や血のつながりから情緒的に語るナショナリズムやナチズムに断固としてたもとを分かち、数学的な怜悧さををもってゲマインシャフトの体系を構築しようとしたこと、それこそが、テンニースの冷静な幾何学的体系の奥にある秘めた情熱なのである。

「ホッブズ哲学注解」(Anmerkung ueber Philosophie des Hobbes)
この処女論文でテンニースのはつぎのように述べている。
「定義と公理から推論され証明される幾何学とその確かさにおいて同等になること、それは学問に可能だろうか、あるいはどうしたら可能であろうか。これが認識理論の中心問題であった。トーマス・ホッブズは新しきヨーロッパでこの問題を解こうと努力した最初のひとりであった」(Vierteljahrsschrift fuer Wissenschaftliche Philosophie 3 (1879) S.461)。
テンニースはこう書いたとき、ゲゼルシャフトの(幾何学的学問)体系を成し遂げたホッブスに対して、自分は、ゲマインシャフトの(幾何学的学問の)体系を作り上る、の決意表明を密かにしていたのではないだろうか。

by takumi429 | 2019-04-17 17:51 | 近代とは何だろうか | Comments(0)

1.マルクス 資本主義としての近代

2.マルクス 資本主義としての近代

 私たちが生きているこの社会(近代社会)とはどんな社会なのか。カール・マルクス(Karl Marx 1818 - 1883)によれば、近代社会とは「資本主義」に支配された社会である。
「資本主義」とは何か。そこではどんなことが起きているのか。まず、ある短編を読んでみよう。

 葉山嘉樹(はやまよしき)「セメント樽の中の手紙」 (1926年)
 松戸与三はセメントあけをやっていた。外の部分は大して目立たなかったけれど、頭の毛と、鼻の下は、セメントで灰色に蔽(おお)われていた。彼は鼻の穴に指を突っ込んで、鉄筋コンクリートのように、鼻毛をしゃちこばらせている、コンクリートを除(と)りたかったのだが一分間に十才ずつ吐き出す、コンクリートミキサーに、間に合わせるためには、とても指を鼻の穴に持って行く間はなかった。
 彼は鼻の穴を気にしながら遂々(とうとう)十一時間、――その間に昼飯と三時休みと二度だけ休みがあったんだが、昼の時は腹の空(す)いてる為めに、も一つはミキサーを掃除していて暇がなかったため、遂々(とうとう)鼻にまで手が届かなかった――の間、鼻を掃除しなかった。彼の鼻は石膏(せっこう)細工の鼻のように硬化したようだった。
 彼が仕舞(しまい)時分に、ヘトヘトになった手で移した、セメントの樽(たる)から小さな木の箱が出た。
 (中略)
「チェッ! やり切れねえなあ、嬶(かかあ)は又腹を膨(ふく)らかしやがったし、……」彼はウヨウヨしている子供のことや、又此寒さを目がけて産(うま)れる子供のことや、滅茶苦茶に産む嬶の事を考えると、全くがっかりしてしまった。
「一円九十銭の日当の中から、日に、五十銭の米を二升食われて、九十銭で着たり、住んだり、箆棒奴(べらぼうめ)! どうして飲めるんだい!」
 が、フト彼は丼の中にある小箱の事を思い出した。
 (中略)
 彼が拾った小箱の中からは、ボロに包んだ紙切れが出た。それにはこう書いてあった。

 ――私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕器(クラッシャー)へ石を入れることを仕事にしていました。そして十月の七日の朝、大きな石を入れる時に、その石と一緒に、クラッシャーの中へ嵌(はま)りました。
 仲間の人たちは、助け出そうとしましたけれど、水の中へ溺(おぼ)れるように、石の下へ私の恋人は沈んで行きました。そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細い石になって、ベルトの上へ落ちました。ベルトは粉砕筒(ふんさいとう)へ入って行きました。そこで鋼鉄の弾丸と一緒になって、細(こまか)く細く、はげしい音に呪(のろい)の声を叫びながら、砕かれました。そうして焼かれて、立派にセメントとなりました。
 骨も、肉も、魂も、粉々になりました。私の恋人の一切はセメントになってしまいました。残ったものはこの仕事着のボロ許(ばか)りです。私は恋人を入れる袋を縫っています。
 私の恋人はセメントになりました。私はその次の日、この手紙を書いて此樽の中へ、そうと仕舞い込みました。
 あなたは労働者ですか、あなたが労働者だったら、私を可哀相(かわいそう)だと思って、お返事下さい。
 此樽の中のセメントは何に使われましたでしょうか、私はそれが知りとう御座います。
 私の恋人は幾樽のセメントになったでしょうか、そしてどんなに方々へ使われるのでしょうか。あなたは左官屋さんですか、それとも建築屋さんですか。
 私は私の恋人が、劇場の廊下になったり、大きな邸宅の塀(へい)になったりするのを見るに忍びません。ですけれどそれをどうして私に止めることができましょう! あなたが、若し労働者だったら、此セメントを、そんな処に使わないで下さい。
 いいえ、ようございます、どんな処にだが使って下さい。私の恋人は、どんな処に埋められても、その処々によってきっといい事をします。構いませんわ、あの人は気象(きしょう)の確(しっ)かりした人ですから、きっとそれ相当な働きをしますわ。
 あの人は優(やさ)しい、いい人でしたわ。そして確かりした男らしい人でしたわ。未(ま)だ若うございました。二十六になった許(ばか)りでした。あの人はどんなに私を可愛がって呉れたか知れませんでした。それだのに、私はあの人に経帷布(きょうかたびら)を着せる代りに、セメント袋を着せているのですわ! あの人は棺(かん)に入らないで回転窯(かいてんがま)の中へ入ってしまいましたわ。
 私はどうして、あの人を送って行きましょう。あの人は西へも東へも、遠くにも近くにも葬(ほうむ)られているのですもの。
 あなたが、若(も)し労働者だったら、私にお返事下さいね。その代り、私の恋人の着ていた仕事着の裂(きれ)を、あなたに上げます。この手紙を包んであるのがそうなのですよ。この裂には石の粉と、あの人の汗とが浸(し)み込んでいるのですよ。あの人が、この裂の仕事着で、どんなに固く私を抱いて呉れたことでしょう。
 お願いですからね。此セメントを使った月日と、それから委(くわ)しい所書と、どんな場所へ使ったかと、それにあなたのお名前も、御迷惑でなかったら、是非々々お知らせ下さいね。あなたも御用心なさいませ。さようなら。

 松戸与三は、湧(わ)きかえるような、子供たちの騒ぎを身の廻りに覚えた。
 彼は手紙の終りにある住所と名前を見ながら、茶碗に注いであった酒をぐっと一息に呻(あお)った。
「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打(ぶ)ち壊して見てえなあ」と怒鳴った。
「へべれけになって暴(あば)れられて堪(たま)るもんですか、子供たちをどうします」
 細君がそう云った。
 彼は、細君の大きな腹の中に七人目の子供を見た。
(大正十五年一月)

 粉砕機のなかに人が飲み込まれてしまったら、実際は機械を止めるにちがいない。この話はあくまだがフィクション(作り話)だ。にもかかわらず、読み手にずっしりとしたリアリティを感じさせる。それは、作者の葉山嘉樹が、実際にセメント工場で働き、その体験のなかで、資本主義における労働というものを、理屈だけでなく、体で理解しているからだろう。
 命がセメントに変化するのは、粉砕機に飲み込まれた青年だけではない。コンクリートの粉がつまってじょじょに鼻がコンクリートになっていく主人公も、またコンクリートへとその生命を変質させている。そして彼ら労働者の命はコンクリートに変えられ、生み出した労働者のあずかり知らぬところへと送られ、商品として、売られていく。
 主人公が、休むどころか鼻をかくひまもなく働かされ、支払われるのは、自分と家族を維持するぎりぎりの賃金でしかない。酒を飲み余暇を楽しみむこともできない。ぎりぎりの賃金で、労働者は、自らの労働力を再生産し、かつ子どもをつくることで、次世代の労働力を再生産する 。

 資本主義の定義
 ここで、「資本主義」というものを、すこしこの小説の読書感に近づけて、定義してみよう。
 資本主義とは、
 生産の現場では、労働者はいわば命をけずって物を作っている。彼らの生命は生産物と成る。だがそうして生み出された物(生産物)は、すべて資本家のものとなり、市場で商品として切り売りされる。労働者がその品物にどんな思い入れを込めようと、関係ない。生産物は、商品となり、いくらで売れるか、お金(貨幣)で、その価値は計られる。労働者の働きは、金(貨幣)で売り買いされる商品にされる。
 資本家は、お金(資本)を増やすように命じられており、それに失敗すれば倒産するほかはない。つまり、資本家は、「人格化された資本」das personilizierte Kapitalであって、拡大を続けようとする資本(お金)に操られた人形である。
 命をけずり切り売りするしかない労働者と、その労働者を雇い資本を増大することを絶対命令として経営する資本家、との関係を、「資本主義」と呼び、それが社会の支配的基調となっている社会を「資本主義社会」と呼ぶ。

 
 商品の世界 
 マルクスが『資本論』 (第1巻1967年)の冒頭で、資本主義では、社会の富は「とほうもない商品のあつまり」 として現れる、と書いている。
 巨大なショッピング・モールやデパートに行った時のことを思ってみよう。そこでは膨大な数の商品がきらびやかに輝きながら私たちを迎え、私たちを「豊かさ」の世界へといざなう。
 あらゆるものが、「商品」として現れる。その気になればそれを「買うことができる」。品物だけでなく、若さも美さえも、成長ホルモンなどのアンチエイジングの薬を買い、スポーツジムの会員になって加圧トレーニングを受ける、それだがだめなら整形手術を受ければ、手に入る。幸福さえ、金があれば手に入る。貧乏は体だけでなく心まで蝕みます。「良い性格」は豊かな恵まれた生活のなかで育まれる(それを理解できないのはほんとうの苦労をしたことがない人だ)。若さも美しさも幸せも健やかな生活も心も、すべて金さえあれば「手に入れることができる」。それがあらゆる「豊かさ」が「商品」として現れている資本主義の世界だ。
 市場社会の奇妙な等号
 さてこの商品世界ではひとつの奇妙な等号がある。
 いま、あなたが、お父さんの形見の万年筆を、質屋かどこかで、売ろうとしたとする。あなたがお父さんの形見の万年筆を使っているといくつも思い出がよみがえってくるだろう。少々引っかかりのあるその筆感さえ、味わい深いものであるかもしれない。しかし、それを売ろうとすると、とたんに、たとえば、「150円」というような値段が付けられる。思い出深い万年筆も、売りに出そうとすると、自販機のペットボトルのお茶と同じ値段のものでしかない。
 マルクスはここで、品物が2つの価値を持っていると言う。
 使う者にとっての品物の価値、これを「使用価値」という。父の形見の万年筆は、思い出の詰まった品物だ。しかしこれを売りに出した時には、たんなる「古いボロの万年筆」にすぎない。売りに出そうとしたときの価値は、「交換価値」、あるいは単純に「価値」という。つまりいわゆる「商品価値」である。
 ここではちょっと奇妙な等号(イコール)が見られる。つまり、使用価値においてはまったく異なっている物が、交換価値は同じだとされる。父の形見の万年筆と自販機のペットボトルのお茶は、まったくの別物だ。だがその(交換)価値、商品価値においては、同じものだとみなされる。そしてこの「(交換)価値」を体現するものとして、お金(貨幣)が出現する。
 貨幣による物の商品化
 貨幣はその商品価値を示すだけではない。貨幣が存在しない物々交換の世界では、万年筆とお茶との交換が成立する機会はほとんどない。たまたま、いらなくなった古万年筆をもっていてお茶が飲みたくなった人と、たまたま、万年筆がほしくてしかもペットボトルのお茶をもっているけどいらない人、そんな二人が出会う、などということは万ひとつもあるものではない。だが、お金を媒介にすれば、そんな特殊な欲望をもった人が出会う必要はない。万年筆を売りたい人はそれを売ってわずかな金に代える。ペットボトルのお茶を売る人は150円出してくれる人に売ればいい。物々交換の同時性はなくなり、商品の交換はきわめてフレキシブルなものになり、より自由にたくさんのものがお金と交換されることで商品となることができる。つまり、貨幣(お金)の媒介によって、物々交換という限定された交換から、商品交換(市場)の世界が出現する。
 貨幣は、品物と品物のたんになかだち(媒介)するものから、その品物の商品としての価値を示すものとなる。さらに、貨幣をなかだちとすることで、交換物々交換のもっていた、互いに相手のものを欲しているひとが出会うという条件から自由になり、交換は格段に拡大する。結果、それまで売りに出されそうもなかったようなものまでが商品へとなっていく。そして、貨幣はあらゆるものを購買できることから、貨幣の所有はあらゆるものを購買し使用できる可能性を溜め込んだ(ストックした)ものとして現れる。「金さえあれば何でもできる」。

 貨幣のブランウン運動
 商品交換(売買)によって、お金(貨幣)は人の手から人の手へと渡り歩いていく。市場における商品交換(売買)は、お金(貨幣)の動きとして現れます。それはちょうどブラウン運動に似ている。ブラウン運動とは、浮遊する微粒子がそれに衝突するいくつも分子のために、ふらふらと自分で動いているように見える現象をいう。商品交換によって貨幣はまるで自律的に市場のなかを動き回っているように見える。
 売り手も買い手もその品物にはさまざまな思い入れや来歴がある。だが商品市場ではそういったことはいったん捨て去られ、品物と品物の交換、お金のやり取りだけが問題とされ、売り手と買い手は、金のやりとりしている「担い手」として現れる。
 マルクスはこう言っている。
「物の使用価値は人間にとって交換なしに、つまり物と人との直接的関係において実現されるが、物の価値は逆にただ交換においてのみ、すなわち1つの社会的過程においてのみ実現される・・・。ここ〔市場〕では、人々はただお互いに商品の代表者としてのみ、存在する。・・・人々の経済的扮装はただ経済的諸関係の人化Personifikationenでしかないのであり、人々はこの経済的諸関係の担い手として互いに相対するのだ・・・。」
「貨幣運動はただ商品流通の表現でしかないのに逆に、商品流通がただ貨幣運動の結果としてのみあらわれるのである。」
 
 労働者の「搾取」
 この資本主義では労働者は搾取されているとマルクスは言う。つまり、労働者が生産現場で生み出した「剰余価値」が、資本家によって奪われていると。ここで、剰余価値についての岩井克人の明快な説明を引こう。

「剰余価値とは、貨幣の蓄積を目標とする産業資本家と、自らの労働力を商品として自由に処分でき、同時に自らの労働力を生産物の形で実現するための生産手段から切り離されているという『二重の意味で自由な』労働者が、市場で接触することによって生じる…。具体的には、それは、産業資本主義経済における資本家は、労働市場で商品として購入した労働力を生産過程で使用することによって、労働力の再生産に必要な生活手段の価値(すなわち労賃の形で支払われる労働力の価値)と生産過程で消費あるいは減耗したさまざまな原材料および生産手段の価値との和以上の総価値をもつ生産物を生産することができる…。そして産業資本家自身のものとなるこの価値の剰余部分が「剰余価値」と呼ばれるのである。さらに詳しく言えば、産業資本主義社会において剰余価値は二通りの仕方で生み出すことができる。一つは労働者の労働時間の延長あるいは労働の強化であり、それによって発生した剰余価値は「絶対的剰余価値」と呼ばれる。もう一つは、労働時間あるいは労働の強化が固定されている中で、労働の生産性を一般的に高めることによって労働力の再生産に必要な生活手段の価値を相対的に低下させることであり、それによって発生した剰余価値は「相対的剰余価値」と呼ばれる」。
「いま、ある企業家が新たな技術の採用すなわち『技術革新』によって他の企業家に先がけて労働の生産性を高めることに成功したとしよう。この企業家が生産物を旧来の技術の下で成立していた市場価格で売るならば、彼は労働生産性の上昇分だけ他の企業家以上の利潤を獲得するはずである。マルクスの言う『特別剰余価値』とは、このようにして革新に成功した企業家の手元に残る超過利潤のことである」。

 つまり、剰余価値とは、生産物に込められた、労賃分の労働力と原材料生産手段の価値より以上の、労働力である。また絶対的剰余価値とは、労働者の労働時間の延長あるいは労働の強化で得られる剰余価値のことであり、相対的剰余価値とは、労働の生産性を一般的に高めることによって労働力の再生産に必要な生活手段の価値を相対的に低下させることによって発生した剰余価値だ。また特別剰余価値とは、技術革新によって労働の生産性をあげることで獲得された剰余価値のことである。資本主義とは資本家がこの労働者のうみだした剰余価値を奪い、市場で金にかえて、それを自分の資本とし、それをさらに投入して生産していくしくみにほかならない。

 システムとシステムの差異
 岩井は、さらにすすんで、あらゆる資本主義とは、価格システムと価格システム(等号の体系)との間の差異(ギャップ)を利用して儲けるものにほかならない、と言う。

「それでは、利潤とは、詐欺、ベテン、泥棒、掠奪といったまさに不等価交換がおこなわれている場 所でしかみ出されえないものなのであろうか?利潤とは、等価交換からはけっして生み出されないものなのであろうか?この問いにたいする答は、しかし、否である。実は、あくまだが等価交換の原則にもとつきながらも利潤を生み出すことのできる場所が、いわば場所ならぬ場所において存在するのである。
 ふたつの異なった価値体系の狭間---それが、そのょうな場所、いや非場所である。すなわち、おたがいに異なったふたつの価値体系のあいだを媒介して、ー方で相対的に安いものを買い、他方で相対的に高いものを売る---それが、等価交換のもとで利潤を生み出す唯一の方法である。利潤とは、価値休系と価値体系とのあいだにある差興から生み出される。利潤とは、すなわち、差異から生まれる。
 たとえば、遠隔地交拐に代表される『ノアの洪水以前から』の商業資本主義とは、地域的に離れたふたつの共同体のあいだの価値体系の差興を媒介して利潤を生み出す方法であり、いわゆる産業革命以降に確立した産業資本主とは、生産手段を独占している資本家が、労働力の価値と労働の生産物の価値とのあいだの差異を媒介して利潤を生み出す経済機構であり、いわゆるポスト産業資本主義的な形態の資本主義においては、新技術や新製品のたえざる開発によって未来の価格体系を先取りすることのできた革新的企業が、それと現在の市場で成立している価格体系との差異を媒介して利潤を生み出し続けている。突際、貨幣の無限の自己増殖をその目的とし、利潤の獲得をその動機としている資本主義にとって、差異さえあれば、それはどのような差異であってもかまわない。」

 商業資本主義は、遠隔地での価格システムの違いをつかって利益をあげる。たとえば、二束三文のガラス玉が、遠く離れたアフリカやアジアでは高値で売れる。遠隔地ではありふれたもの(例えば象牙や陶器)がヨーロッパでは高価なものとなる。二束三文の物(たとえばガラス球)を遠隔地に持っていてそこで高く売り、そこでは高くない物(たとえば象牙や陶器)に換えて、ヨーロッパに戻り、それを売って大儲けする。これが商業資本の利潤の獲得の仕方だ。
 これに対して、産業資本主義は、生産過程における労働力商品の価格と商品交換(市場)のおける労働力商品の価格のギャップ(差異)を利用して資本家が儲ける。生産現場では労働者を一日こき使って商品を作る。だがほんとうはその労働者の一日を養うのに必要なのは、市場ではその生産物の、たとえば、半分と交換される品物でしかない。生産現過程と流通過程での労働力の価値システムの差異を利用して、資本家は利潤をあげる。あるいは、技術革新によって他の生産現場にたいする優位(差異)を利用して利潤をあげる。これは現在と未来の生産力の違い(それによる労働力の価値の違い)という差異を利用して利潤をあげているのだ。
 つまり岩井によれば、資本主義とは、システムとその外にあるシステムとの差異によって動く熱機関のようなものである。だが、もし、システムがその外に別の差異のあるシステムをもたなくなったら、つまりシステムが拡大してその外部を持たなくなったら、どうなるのか。ものを生産する場と、ものを売買し消費する場、が完全に一体化してしまったら、それは、加熱しようにも外部が高温となって温度差がなくなってしまった、すなわち「熱死」の状態の熱機関のようなもので、何の利潤も生み出すことができず、動きを止めてしまう。すなわち、資本主義は、システムの外の差異ある部分、すなわち、システムの外部をつねに必要としているわけである。

 史的唯物論
 こうした資本主義の社会は人類の歴史おいてどのような位置にあるのだろう。マルクスは『資本論』の前に書いた『経済学批判序言』(1859年)で次のような定式化をしている。

「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発生段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。
 社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期がはじまるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる。
 このような諸変革を考察するさいには、経済的な生産諸条件におこった物質的な、自然科学的な正確さで確認できる変革と、人間がこの衝突を意識し、それと決戦する場となる法律、政治、宗教、芸術、または哲学の諸形態、つづめていえばイデオロギーの諸形態とを常に区別しなければならない。ある個人を判断するのに、かれが自分自身をどう考えているのかということにはたよれないのと同様、このような変革の時期を、その時代の意識から判断することはできないのであって、むしろ、この意識を、物質的生活の諸矛盾、社会的生産諸力と社会的生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならないのである。
 一つの社会構成は、すべての生産諸力がその中ではもう発展の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することはけっしてなく、また新しいより高度な生産諸関係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しおわるまでは、古いものにとってかわることはけっしてない。だから人間が立ちむかうのはいつも自分が解決できる問題だけである、というのは、もしさらに、くわしく考察するならば、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに現存しているか、またはすくなくともそれができはじめているばあいにかぎって発生するものだ、ということがつねにわかるであろうから。
 大ざっぱにいって経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生活様式をあげることができる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、といっても個人的な敵対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味での敵対的な、形態の最後のものである。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対関係の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。だからこの社会構成をもって、人間社会の前史はおわりをつげるのである。」

 マルクスは、生産力の発展が、生産関係の変革をもたらし、ひいては社会体制の変革をもたらす、と考えていた。
 たとえば、狩猟生活の段階では、人類はたまにしか獲れない獣をあてにして生きていくことはできない。だから、木の実などを採取して生活していた、と想像される。栗などの木の実をおもに女たちが採取して食事にしていた。木の実の量は限られていたから、そのそばにはわずかな人々しか暮らせなかっただろう。また採取し過ぎると餓死することになるので採取の量と時期についての慣習や指導もあっただろう。また狩猟においては男たちの共同作業の役割と序列があっただろう。たまたまとれた獣をどのように料理し分配するかのきまりもあったことだろう。
 農業生産ができるようになると、一粒の穀物からたくさんの穀物がとれるようになった。たとえば古代のメソポタミアでは1粒の麦から80粒の麦が育ったという。この飛躍的な食料生産力の増大は、大量の人口を可能にした。集落は大きくなり余剰生産物をあつかう市場やそれを管理し略奪から守る権力(暴力)も必要になったでしょう。こうして農民とそれを支配する王権が生まれてきた。また天候と季節に左右される農業生産では、天文学が天候を操る神への信仰も生まれた。
 一年ごとの太陽エネルギーが蓄積されたのが穀物(農産物)だとするなら、有史以前からの太陽エネルギーが蓄積されたのが、石油や石炭などの化石燃料である。この化石燃料を燃やすことで、昼夜、天候や季節に左右されない生産(24時間の生産)が可能になった。この持続的かつ巨大な生産力をつかって大量の製品が生まれた。その生産のための労働者と資本家の関係が社会の中心的な生産関係となった。商品の売り買いを保護するために個人の所有権というものが基本的な権利となり、それをまもるために法律や政府が生まれた。また労働と個人の所有というものを絶対視する考えが広がった。
 原子力という原爆転用の技術を内包した生産力の発見によって、原子力発電が生まれ、それを維持し配電しる電力会社、原子力発電所を受け入れる「原発村」などの関係がうまれた。原爆転用の技術を内包した発電技術は軍事力との密接な関係を裏にもっている。処理方法が不充分だが核兵器への転用の可能な原子力を、たえず「安全だ」と言い続ける必要から、多くの助成金で学者が飼われ、メディアへの巨大な資金の投入から「安全神話」が歌われつづきてきた。
 こうして、生産力はそれに見合った生産関係をもち、そのうえにそれにみあった、政治や文化の形をもってきたのである。
 支配というものは、言うことを聞かせるために、むち打ちするような非効率な支配よりも、支配されることが「あたりまえ」だと思うように人間を飼いならしていくことをめざす。そのほうが効率的だから。
「働かない人間はダメな人間だ」、「残業して一人前」、「有給をとるなんてとんだがない」とか、「空気を読めない奴はダメだ」、というような言い回しは、支配者や資本家にとって好都合な理屈を、「一般常識」のように思い込ませているだけだ。あるいは「女は男と比べると劣っている」という「女ってさ・・・」という言い方は、女性を非正規雇用のパートの低賃金に押し込め正当化するための言い草でしかない。
 マルクス主義では、こういう、支配者にとって支配されるもの信じこませると便利な、支配を正当化するような、ものの考えのことを「イデオロギー」という。また、人々におしつけられ、人々の真実の存在を隠すような意識のことを「虚偽意識」という。

 まとめ
 ではマルクスの近代のとらえ方をまとめておこう。
 マルクスによれば、近代社会とは資本主義が支配する時代である。
(1)そこでは使用価値が違う物が、等しい(交換価値)を持つものとして交換されます。交換の媒介(なかだち)をするにすぎなかったはずの貨幣(お金)が動きまわり、逆に人々の欲望をかきたて、あらゆるものが商品となっていく。
(2)商品を生産し販売し資本を増大させる資本家は、資本主義の原則に則った形とはいえ、資本の人格化(金の亡者)として絶えざる資本増大を目指し、労働者を搾取し、他の資本家と弱肉強食の争いを繰り広げる。
(3)このマルクスの歴史観では、生産力が生産関係を規定しさらにその生産関係が、法・学問・文化・イデオロギーなどの上部構造を規定する。


by takumi429 | 2019-04-11 18:12 | 近代とは何だろうか | Comments(0)

0.はじめに

 はじめに

 社会学とはなんだろうか。

「社会学ってなにをするんですか?」、「いったいどんな学問なんですか?」、というような質問をよくされる。もし、これが法学や経済学などであったなら、こんな疑問はわいてこないだろう。法学は「法律」を、経済学は「経済」をあつかう学問、とひとまずはっきりしている。

 ところが「社会学」となると、そのイメージがはっきりとうかぶ人は少ない。「社会学」なのだから、社会をあつかう学問なのかというと、それには「社会科学」という、法学も経済学もその中にふくまれるような大きな学問のくくりがある。

 そこでためしに、いわゆる社会学の教科書を手に取ってみよう。そこには、人間が家族の中で成長して、文化を学び、世の中にでてさまざまな活動の従事することやさまざまな社会領域での人間の営みについて書かている。だがそこから受ける印象はきわめて散漫なもので、「社会学」のイメージはぼんやりしたままであり、なんだか社会や人間に関することがなんでも放り込まれているごった煮みたいなイメージしかわいてこない。

 あるいは社会学の古典とされているものを読む人もいるだろう。だが、そこで受ける印象は、いわゆる社会学の教科書とはまるでちがう。教科書の散文的で個条書きで羅列的で退屈な記述とはちがい、そうした古典はそれぞれの問題を追求していてそれなりにおもしろい。しかしその内容は、教科書で習った社会学とどう関係しているのかはまるでわからない。というより社会学で古典とされる作品はばらばらに存在していて、いっこうに関連しあっていないだ。

 社会学の教科書は、いろいろな学者のばらばらな学問内容を羅列するだけで、中心となる記述の柱は、文化、家族、役割、社会構造、といった、文化人類学から借用した体系をつかっていることが多い。


 社会学は「はみ出し者」が作ってきた

なぜこんなことになってしまったのか。なぜ社会学は古典と教科書の内容がずれているのか。

 理由は簡単だ。社会学の古典を書いた社会学の「巨人」たちは、じつは社会学なんてものを勉強したことがなかったのだ。

 こころみに、社会学の著名な学者たちとその出身学問分野を列挙してみよう。

 フェルディナンド・テンニース:古典言語学、マックス・ヴェーバー:法律学、ゲオルグ・ジンメル:哲学、エミール・デュルケーム:哲学、タルコット・パーソンズ:経済学、ユルゲン・ハバーマス:哲学。有名な社会学者は学生時代に社会学など勉強しかったである。

 ところが彼らは、自分の問題意識にしたがって研究をしていくにをしていくうちに、もともとの学問の枠を、はみ出し、悪く言えば、落ちこぼれてしまった。それでしかたなしに、「社会学者」を名乗ることになったのである。つまり社会学の主要な部分は既成の学問からの「はみ出し者」が作ってきたのだ。

 ちなみに、社会学出身の学者としては、ロバート・マートン、それから最近ではウルリッヒ・ベックがいるが、「巨人」と呼ばれるにはすこし粒が小さいように思われる。

 社会学の主要な業績から、こうした「よそ者」・「はみ出し者」の業績を取り除くと、ほとんど何も残らない。社会学というのは、じつは、一個の学問として内在的に発展してきたのではない。他の学問領域をしている学者がその領域に収まらなくなって飛び出して著作を残し、それが「社会学」と名付けられているだけなのだ。

 だから「社会学」というのは名の下にこれらの学者の業績がくくることができるとしたら、それは内容のつながりや共通性ではない。ではこれらの学者に共通するものは何なのか。


 「社会学」という名の問題意識

 社会学の巨人が既存の学問枠組みを飛び越えざるをえなかったのはなぜか。その理由は彼らがかかえた問題意識にある。彼らは、既存の学問枠組みで収まりつかない問題意識を抱えてしまった。それは、今自分が生きているこの時代、あるいは社会が、いかなる時代=社会なのか、という問いだ。

彼らはこの問いに答えるにあたって、自分がその社会(時代)の中に生きているときにわき上がってくる、違和感や肌触りを捨て去るのではなく、むしろそれを生かした形で、時代と社会をとらえようとした。その結果、既存の安定した学問の枠を踏み越えざるをえなかったのだ。

 すなわち、古典的社会学者には共通した問題意識があった。それは、自分を取り巻く社会はどのように変わってきたのか、またこれから変わっていくのだろうか、という問いである。いいかえれば、自分を取り巻き支配しているこの時代(近代あるいは現代)とはいかなる時代なのかという問いだ。これをひとまず、「近代とは何か」という問いとしてまとめるておこう。

 極言すれば、社会学には共通した体系だった内容などない。あるのは共通の問い、つまり、今自分が生きているこの社会とはどんな社会であり、それはどう変化していくのか、という問いだけなのだ。

 だから、社会学の諸業績を振り返るためには、内容の共通性や体系的な連関をさがしてもむなしい。むしろ、この「近代とは何か」という問いに、これまで社会学者はどのように答えてきたのか、という観点からとらえなおすべきだ。というのは、じつはそこにしか社会学者たちの共通性はないからなのだ。


 本書の方針

そこで本書では、社会学の古典的作品を「近代とは何か」という問いにどう答えているか、観点から、社会学者の作品を見ていく。また「近代とは何か」という問いに答えている業績ならば、一般には社会学者とみなされていない者の著作もあつかう。具体的には、カール・マルクス(哲学者・経済学者・革命思想家)、エドガー・アラン・ポー(詩人・小説家)、シャルル・ボードレール(詩人・評論家)、ヴォルター・ベンヤミン(文学者)、エミール・ゾラ(作家)、田山花袋(作家)、夏目漱石(英文学者・作家)、ベネディクト・アンダーソン(東南アジア研究者)、ハンナ・アーレント(政治理論家)の作品である。

 社会学に共通の学問内容などないと言ったが、社会学の古典とこれら諸作品を読んでいくことで、近代(現代)のイメージはいくつかの特徴をもった像へと収斂(しゅうれん)しまとまっていくように思われる。それを最後に述べてみよう。



by takumi429 | 2019-04-03 21:02 | 近代とは何だろうか | Comments(0)

3.ヴェーバー

3.  近代とは倒錯した精神が支配する社会である ヴェーバー


(1)異化する問い

 マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1905)のなかには次のような問答があります。


「なぜ楽しむことを知らずにそんなに休みなく働いているのです?」

「子どもたちに財産を残すためですよ。」

「でもそれは昔の人たちでも考えたことですよ。でも彼らはずいぶんのんびりと生活を楽しんでいきていました。決してあなたのようにあくせくと働いてはいませんでしたよ。」

「ええ、なるほどそうですね。」

「じゃ、なぜそんなに働くのですか。」

「まあ、働かずにはいられない、働いて事業を続けることが生活の不可欠なものになっているとでもいうですかね。」

「それじゃ、あなたという人間のために事業があるのではなく、事業のためにあなたは存在する、というわけですね。」

「まあ、そういうことになりますかね。」

 

 元の文章は、つぎのようなものです。

「休みなく奔走(ほんそう)することの『意味』を彼ら(「資本主義精神」にみたされた人々)に問いかけて、そうした奔走のために片時も自分の財産を享受しようとしない態度は、純粋に現世的な生活目標から見ればまったくの無意味ではないかと問うとき、彼らは、もし答えうるとすれば、『子や孫への配慮』だと言うこともあるだろう。しかし、より多くは、---『子や孫への配慮』という動機は、明らかに彼らだけのものでなく、『伝統主義的』な人々にも同様にあるのだから---より正確に、自分にとっては不断の労働を伴う事業が『生活に不可欠なもの』となってしまっているからなのだ、と端的に答えるだろう。これこそ彼らの動機を説明する唯一の的確な解答であるとともに、事業のために人間が存在し、その逆でない、というその生活態度が、[個人の幸福の立場からみると] まったく非合理的だということを明白に物語っている。」(Archiv 54/RS30/79-80頁。()は引用者挿入、[ ] は改定時(1920年)の加筆)。


 私たちがすっかりなじんでいる(同化している)ものを奇妙でよそよそしいものものに変えることで、それをはっきりと見えるものにすること、こうした技法を、芸術論では「異化」と言います。ヴェーバーはいわばこの「異化」の手法を用いて、日常当たり前に仕事に精出す資本家のあり方が、「人間のために事業があるのでなく、事業のために人間がいる」というきわめて倒錯した、「非合理」なものであることをあばきたてるのです。彼はその有名な著作を、この日常のきわめて当たり前で理にかなったと思われる生活に潜む倒錯(非合理性)をあばき立てる問いから始めるのです。

 この倒錯した非合理性は資本家だけでなく、一所懸命働いてあげくの果てに、資本家からの「搾取」をゆるしてしまう労働者にもあてはまります。

 ヴェーバーによれば、近代資本主義社会とは倒錯した非合理的な精神が支配する社会なのです。 


(2)「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」

 ではこの今生きることを楽しむのでなく、仕事や事業を至上の目的とするような倒錯した精神はどこから来たのでしょうか。ヴェーバーはそれをキリスト教の禁欲思想に求めます。修道士は神の栄光のために、ひたすら労働と祈りの日々をすごしていました。彼らの仕事は、神から呼びかけによって与えられた「使命」(ドイツ語ではBeruf、英語ではcalling)なのです。

 1517年に宗教改革をはじめたマルチン・ルター(Martin Luther 1483 - 1546)とその後継者たちは、 修道士や司教たちの聖職だけでなく、一般の仕事もこうした「使命」であるとみなしました。さらに宗教改革のもうひとりの大立者であるカルヴァンは(Jean Calvin1509 - 1564)は「絶対の神は人間をあらかじめ、救いに予定されている者と滅びに予定されている者とにわけている」という「予定説」を主張しました。信者はたいへんな不安にさいなまれました。しかしカルヴァンの後継者たちはその宗教的なカウンセリング(魂のみとり)で、「神があなたに与えた使命=仕事に励みなさい、そしてそこに大きな成果がうまれるなら、あたなは神に選ばれ救いに予定されている者であるにちがいありません」と助言しました。自分の救いの証拠を仕事の成果や収益に見出した信者たちは、ひたすらまじめに働き、収益をあげ、もうけを使って楽しむこともなく、さらに働き収益をあげようとしたのです。その結果生まれたのが、「搾取される」労働者と、「搾取」によって得た利益をさらに資本投下して資本の自己目的化した増大にはげむ資本家、とがつくる資本主義、が支配する近代社会なのです。

 


(3)ヴェーバーのとらえた近代社会

 資本主義がそれとはまった反対に見える禁欲思想によって生まれた。ヴェーバーはこの逆説的な発展を西洋社会の発展のなかに見出したのです。

 ヴェーバーの時代診断はすなわち、つぎのようになります。

 近代社会は逆説的にうまれた「非合理的」なものをはらむ倒錯した社会である。


by takumi429 | 2017-10-20 19:33 | 近代とは何だろうか | Comments(0)

2.テンニース

 2.テンニース 近代社会とはゲゼルシャフトが支配する社会である

 恩賜の銀時計
 お祖父さんがなくなった。遺品の一つは、お祖父さんが東京大学首席卒業の記念に頂いた「恩賜の銀時計」。二人の孫がいる。占部(うらべ)くんと、財全(ざいせん)くん。
 占部くんは小さいころからおじいさんにこの懐中時計をみせてもらっていて触ったりしていた。小さなへこみ、ねじを巻くときの微振動、すべてやさしいが凛とした祖父の姿を思い出せる。コチコチを時を刻む音は、祖父の心臓の鼓動のように感じされ、占部くんの思い出のなかでは今も、おじいさんは生きている。
 財全くんは、おじいさんとは、生前、ほとんど会うこともなかった。この恩賜の時計をネットで調べたら、15万円で販売されていた。ただすこし凹んだところがあり、箱もないので、それほどの高値にはならないだろうが、なんとか形見分けしてもらい自分のものにしたい。占部が自分のものだというなら争ってでも手に入れるつもり。そしてネットオークションですぐに売って、新型のiPadを買う。お金が余ったらフレンチでも食べに行こう。
 占部くんと銀時計の関係は、「何にも代えがたい」関係である。それに対して、財全くんの銀時計との関係は、代替可能な、売ることができる関係である。だが売るためには、まずは所有しなくてはいけない。所有のためには他人がそれを所有することを排除しなくてはいけない。そこには所有をめぐる争いがある。

 1.テンニースの時代診断
 本質的な「何にも代えがたい」関係は、人とものだけでなく、人と人との関係でもある。こうした「本質的な意志」(思い)によって結ばれている人間関係が形となったものを、テンニース(Ferdinand Tönnies1855-1936)は、「ゲマインシャフト」とよんだ。ゲマインシャフトとは、たとえば、肉親・家族や古くからの町のことで、そこには親身な関係が支配している。
 他方、取りかえ可能でその中のどれかを選んでいるような人と物との関係、さらにその欲得づくで選ばれている(「選択意志」による)関係が形となったものを、テンニースは「ゲゼルシャフト」とよんだ。ゲゼルシャフトとは、会社や大都会のような、欲得ずくの関係が支配している人びとの集まりである。
 テンニースによれば、近代社会とはゲゼルシャフトが支配的となった社会である。しかし、いやそれだからこそ、ゲゼルシャフトとは異なるゲマインシャフトが重要となる社会でもある。

 2.ホッブズ研究者テンニース
 テンニースはもともとホッブズ(Thomas Hobbes 1588-1679)の研究者として出発しました。
ホッブズは『リヴァイアサン』(1651)の述べた〈服従契約としての社会契約説〉はつぎのような三段論法からできています。
(1)人間には自分を守ろうとする、おのずからそなわった権利がある(自己保存への自然権)。しかしそうして自分を守ろうとする人間は自分を守るために他人を傷つけ殺すこともいとわない。その結果、放っておけば、人間が人間に対して、まるで「狼が狼に対するような」殺し合いの状態になってしまう(〈暴力的死の恐怖〉の中で向き合う自然状態)。
(2)これでは人間同士討ちになってしまいかねない。そこで人々は、自分を守るための手段(暴力・武器など)を、ある特定に人間に預けることにし、それを互いに約束(契約)して、そうしてこの同士討ちをさけようとする。
(3)その特定の人間は、暴力手段を預けられることで、人々を自由に支配する力(主権 sovereignty)を持つ。主権をもつ人間へ服従することで、ひとびとは互いに殺し合うことなく、自分たちを守ることができるようになる。ここに、特定の人間にひとびとが服従している状態、つまりひとつの国家ができあがる。
 
 3.所有をめぐる争い
 ホッブスは、17世紀、近代が立ち現れようとする時、人と人の争いを暴力の独占で調停する国家を、一種の「思考実験」によって正当化しようとします。ではこの時、「人と人の争い」とは具体的には何をイメージしているのでしょうか。
 それは品物を排他的に所有しようとする人間同士の争いにほかなりません。自分の所有物であるとした上で、はじめてそれを売って別の物を得ることができる。労働者を働かせてできた品物を我が物とした資本家は、それを売ってもうけ、資本を増大する。
 経済活動における資本主義は、物を所有する権利を国家が認め守ること、を前提にしている。所有権こそが、近代のもっとも基本となる法的権利である。資本主義と所有権を軸とした法体系の結合。そこに近代社会ができあがるのです。

 4.近代社会の幾何学
 ホッブズの社会哲学にたいしてテンニースはその処女作『ホッブズ哲学注解』(Anmerkung ueber Philosophie des Hobbes)のなかでテンニースはつぎのように述べています。
「定義と公理から推論され証明される幾何学とその確かさにおいて同等になること、それは学問に可能だろうか、あるいはどうしたら可能であろうか。これが認識理論の中心問題であった。トーマス・ホッブズは新しきヨーロッパでこの問題を解こうと努力した最初のひとりであった」(Vierteljahrsschrift fuer Wissenschaftliche Philosophie 3 (1879) S.461)。
 ユークリッド幾何学は23の定義と5つの公理からその全体系を論理的に構築する。こういう理論体系を「公理系」といいます。テンニースによればホッブズの哲学は、このユークリド幾何学的な構成をもつ社会哲学です。 
 
 5.ゲマインシャフトの幾何学
 資本主義と所有権の法体系による社会はゲゼルシャフトです。しかしそうした社会が優勢になればなるほど、それとは異なる、「本質的な意志」による人間の結びつき、すなわち、ゲマインシャフトが決定的に重要になってきます。
 テンニースは、このゲマンイシャフトの理論を、ホッブスのように、幾何学的に構築しようします。すなわち、本質意志を原理として、出生、母子関係、夫婦関係、兄弟、父子関係、享楽と労働。場所のゲマインシャフト、精神のゲマンイシャフトへと積み上るのです。
 その際、決定的に重要なのは、ナショナリズムのように、国家を、家族・民族の展開、つまり、ゲマインシャフトとするのではなく、あくまでもゲゼルシャフトとみなしていることです。国家のうちにある矛盾・葛藤を、「民族=国民」の名の下に「国民=国家」として覆い隠すのがナショナリズムであるなら、テンニースの、ゲマインシャフトの幾何学は、それとは決然と袂を分かつものだったのです。


by takumi429 | 2017-10-18 21:03 | 近代とは何だろうか | Comments(0)